27,子曰く、君子博く文を学びて、これを約するに礼をもってすれば、亦(また)もって畔(そむ)かざるべし。
先生が言われた。「学問を志す人が、できるだけいろいろの文献を読んで、その知識を礼の理念によって統一するならば、正しい道からはずれることは決してあるまい」。
※浩→学問は実証的に広く資料を集めなければならないが、中心の理念(=礼)を欠いてはいけないという意味です。君子はまず広い教養を持たなければならない。そうして生活は理想に向かって集約されないといけない。理想に向かう前提が、広い知識、広い教養ですが、「為政篇」の「学びて思わざればすなわち罔し(くらし)、思いて学ばざればすなわち殆し(あやうし)」とも通じるものがあります。私のアドラー心理学修業は1991年に始まりました。それ以来、お師匠様・野田俊作先生の講義などから直接知識を得つつ、幅広く関連の書物に触れ、講座等で知り合った人たちとの交流で幅を広げ、今日に至っています。厖大な量の情報を得るには得ましたが、長らく断片的な知識の集合でしかなかったように思います。最近になってようやく、「あ、あのときのあれは、こういうことか」と、改めて眼から鱗を落としています。孔子がここで説いている統一原理は「礼」ですが、アドラー心理学では「共同体感覚」でしょう。自宅でのひとり暮らしでは他者が存在しませんから、共同体感覚を発揮する機会がありませんから、せめてご町内に貢献的でありたいと願います。毎年田植え前には「町内一斉清掃(主に用水路のドブ掃除)」があります。各戸から代表者が出て、ドブのヘドロを除去したり、道ばたの草取りを約2時間ほどやります。出ないと協力金を2000円収めます。うちの地区では、私が越してきて間もない2000年ころ、子どもさんたちが自立したお宅が多く住人は主に高齢者と女性でした。それで用水路に入ってのドブ掃除は負担が大きくて、ある方の提案で業者に委託することになりました。もちろん全戸賛成です。1年おきに業者に実施してもらうので、費用として毎月500円を2年間積み立てることになりました。集金は2か月分1000円を翌年に「組長」になるお宅が行います。その役はわが家からスタートしました。集金したお金を銀行に預けます。そのため「私名義」の口座を開設しました。以後、業者に支払うたびに組長さんがわが家へ「印章」を借りに来ていました。これがわりと煩わしいので、私が自費で角印を作りました。ちょうどよく利用するスーパーの中にハンコ屋さんの出店があったので、「赤田町内会八班D組」と刻んだ印章を作ってもらいました。9000円かかりました。その年の組長さんは「口座から引いてください」とおっしゃったのですが、それは辞退しました。組長さんは大変恐縮されました。私としてはそれでもう十分報われました。組長さんが回覧板で、全戸に一応そのことをお知らせはしてくださいましたが、どのおうちからも別に何も言ってはきませんでした。開設した口座名義は「印章」と同じですが、「住所」はわが家にしています。私も高齢化してきました、どのおうちからも、代わってあげようとは言われません。私はすでに80歳を越えて久しいです。ま、存命中は私が続けますが、いなくなったらどなたかやってくださるでしょう。
人名の「博文」は「論語」のここがルーツでしょう。伊藤博文の博文です。逆さまの「文博」は私の大学ボート部の先輩に「泉本文博」さんがいらっしゃいました。私が1年のとき4年生でしたから大先輩です。ご自分では、自己紹介のときには「文学博士」の“文博”ですとおっしゃっていました。懐かしいです。
第24課
<接続詞と複文>
・複文:短い単独の文を2つ以上組み合わせた文。
接続詞を使うと長く複雑な文を作ることができる。
#「因为~,所以…」= ~なので、だから…
Ta1 yin1wei bin4 le, suo3yi3 zuo2tian1 mei2 lai2 shang4ke4.
她因为病了,所以昨天来上课。
彼女は病気になったので、昨日は授業に来ませんでした。
#「虽然~,但是…」= ~だが、しかし…
Sui1ran2 wo3 hen3 xiang3 qu3, dan4shi4 mei2you ji1hui4.
虽然我很想去,但是没有机会。
私はとても行きたいのですが、機会がありません。
#「不但~,而且…」= ~ばかりでなく、さらにしかも…
Ta1 bu2dan4 zhi1dao, er2qie3 zhi1dao de hen3 xiang2xi4.
她不但知道,而且知道得很详细。
彼女は知っているばかりか、とても詳しく承知している。
#「如果~,就…」= もし~なら、…
Bie2ren ru2guo3 yu4dao4 kun4nan, wo3men jiu4 ying1gai1 jin4li4 bang1zhu4.
别人如果遇到困难,我们就应该尽力帮助。
他人がもし困難に遭遇したら、私たちは全力を尽くして助けるべきだ。
#「只要~,就…」= ~しさえすれば、…
Zhi3yao4 bu2duan4 nu3li4, jiu4 yi2ding4 neng2 cheng2gong1.
只要不断努力,就一定能成功。
絶えず努力しさえすれば、きっと成功できる。
#「只有~,才…」= ~してこそ、(唯一)…できる
Zhi3you3 duo1 ting1 duo1 shuo1, cai4 neng2 xue2hao3 wai4yu3.
只有多听多说,才能学好外语。
たくさん聴いて話してこそ、はじめて外国語をマスターできる。
<ピンイン>
・uen :子音が付くと綴りは「子音+un」になるが、発音は「e」が若干残る。
dun1 蹲 しゃがむ
gun3 滚 転がる
kun4 困 眠い
jie2hun1 结婚 結婚する
shun4li4 顺利 順調である
chi3cun 尺寸 サイズ
Wo3 ai4 chi1 hun2tun he2 dun4 chun1sun3.
我爱吃馄饨和炖春笋。
私はワンタンと筍の煮物が好物です。
26,宰我、問いて曰く、仁者はこれに告げて井(い)に仁ありと曰うと雖(いえ)ども、それこれに従わんか。子曰く、何すれぞそれ然らんや、君子は逝(ゆ)かしむべきなり。陥らしむべからざるなり。欺くべきなり。罔(し)うべからざるなり。
宰我がおたずねした。「仁の徳を持つ人は、もし誰かが井戸の中に、(仁ある/誰か)人が落ちている」と言ったなら、そこへ行きますか?」。先生が言われた。「そんな馬鹿なことはない。君子は井戸のところまでは行くだろう。しかし井戸の中まで入って其の人を探すことはしないであろう(善意に依って動こうとするけれども思慮分別を失って過度の行為はしない)」。道理にかなったことで君子を騙すことはできる。常識にはずれたことをもちかけても彼を欺瞞することはできない」。
※浩→宰我は、才子で雄弁家だったので、孔子に難問を持ちかけて、困らせようとしました。仁者とは人を愛するものだと言うが、もし「井戸に人が落ちている」と嘘をつかれたら、その仁者はどうするかと聞いてみた。「人が井戸に落ちたという知らせを受けて、そんなことがあるものかと知らん顔をしていないで、井戸のそばまで走って行く。それでなければ仁者でないが、井戸の中をよく調べてもみないで、いきなり飛びこむことはしないよ、と孔子は答えた。この孔子の答えを「ご名答」と解説にありました。宰我はこういう意地悪な質問をして、孔子に嫌われていたそうです。
井戸に乳児が落ちそうなとき云々と言えば、孟子の「四端の心」の“惻隠”を思い出します。次の一節はあまりにも有名です。
……人にみな人に忍びざるの心ありと謂う所以(ゆゑん)のものは、今人乍(にわ)かに孺子(じゅし)の井(せい)に入らんとするを見れば、みな怵惕(じゅつてき)惻隠(そくいん)の心あればなり。交わりを孺子の父母に内(むす)ばんとするためにもあらず。誉れを郷党朋友に要(もと)めんとするためにもあらず。その声(きこえ)を悪(はばかり)りて然するにもあらざるなり。
これに由りてこれを観れば、惻隠の心なきは、人にあらざるなり。羞悪(しゅうお)の心なきは、人にあらざるなり。辞譲の心なきは、人にあらざるなり。是非の心なきは、人にあらざるなり。惻隠の心は、仁の端(はじめ)なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人のこの四端あるは、猶(な)ほその四体あるがごときなり。
現代語訳→今や乳児が井戸に落ち込もうとするとき、その咄嗟の場合を見れば、誰しも驚愕し痛ましいと思う心、怵惕惻隠の心に取りつかれて、思わずハッとしてそのほうに駆け出すでもあろう。それは乳児の父母と親交を結ぼうとするからでもなく、郷里の友人の間で名誉を得ようとするからでもなく、また助けなければ悪い噂が立つのを恐れたためでもない。この本能的な内からの発作を考えれば、人間の本性として忍びざるの心のあることがわかる。それが起こらないものは人でなしではないか。
乳児の井戸に落ちる譬えから推し及ぼして、憐れに痛ましく思う「惻隠の心」、悪しきことを恥じ憎む「羞悪の心」、へりくだり人をすすめる「辞譲の心」、よしあしを見分ける「是非の心」の四つを人間本有のものとし、それぞれ「仁義礼智」となる「芽生え(端)」だと、力強く主張します。
アドラー心理学の世界にも、野田先生に変な質問をする人がいました。野田先生の回答は鮮やかそのものでした。こんなのがありました。
Q 結婚して1年になる息子、交通事故による障害者です。嫁は健常者です。よく夫婦喧嘩をします。親としての声のかけ方を教えてください。
A 結婚したらもう子どもじゃないから、忘れてください。
簡にして明です。質問者には肩すかしだったでしょう。でも野田先生も、いつもこういう素っ気ない回答をされるとは限りません。ほとんどの場合、丁寧に回答されます。
<ジョブキソ53>
#テーマ
取引先のためにホテルを手配する際「朝食を付けますか?」と確認するには?
I have one question about your hotel. Would you be needing breakfast the following morning?
ご滞在について1つ質問があります。翌朝の朝食は必要ですか?
@ will be ~ing = ~することになっている
I'll be having a meeting from 5 p.m.
私は5時からミーティングをすることになっています。
@Will you be ~ing? = ~することになっていますか?(柔らかく質問)
※参考
丁寧に確認するときには、One question.だけでもいい。
One question about the meeting. のように。
#応答
Yes, please! I would appreciate that.
お願いします!感謝しますよ。
25,子曰く、觚(こ)、觚ならず、觚ならんや、觚ならんや。
先生が言われた。「伝統的な觚(こ)の杯(さかずき)も、本来の觚の形を失った。これが觚であろうか。これが觚であろうか」。
※浩→觚(こ)とは、お酒を飲むための杯のことで、この形が古来からの伝統的な形を失ってしまったことを孔子は嘆いているのです。なぜなら、孔子は『古代の觚』を『古代の周礼(周の時代の礼法)』に重ね合わせているからで、儒学が基本的に保守思想である以上、伝統的な形態や慣習が無闇に変化させられることを好ましくないと考えていたのでしょう。
もとを辿ると、「觚は礼に用いる器なり、一升のものを爵と曰い、二升のものを觚と曰う」という馬融の説を引いて、荻生徂徠は、古代の二升は日本の一合七勺八分であり、小杯だったとしています。小さい杯を“猪口(ちょく→ちょこ)”というのに似ています。そうすると、酒はまさに寡少に飲むべきなのに、今はみんなが大酒を飲む。それで「觚ならんや(何が觚だ)」と言ったのだという説があります。ドキッ!明日は、月例岡工講座で懇親会があります。飲み過ぎないように気をつけます。さらに、過食にもならないように適量のお料理を楽しむことにします!
また「觚」の一番元の意味は、「稜(りょう=かど)」で、杯としては、四角な角のある杯ですが、別にまた木を長六面体か長八面体に削り上げて、子どもの習字の道具にしたもの、今の石版のようなものも「觚」と呼ばれました。朱子は、「觚、觚ならず」を、本来角のある道具の觚が今は角がない、おかしなことだと解釈したそうです。まるで、“もらいものの角砂糖のよう”と、故・三遊亭圓生師匠ならおっしゃったでしょう。
儒学が保守思想だというのは、すぐあとの「述而篇」の「子曰わく、述べて作らず。信じて古を好む。窃(ひそか)に我が老彭に比す」のところでもよくわかります。これは謙遜しているようでもありますが、別のところでは「温故知新」と言っていますから、ただの懐古趣味ではないようです。いずれにしても、私たちは、先人の残した貴重な遺産を大切にして、そこからさらに新たな展開・発展をめざしていくものではあります。NHKラジオの早朝番組(オールナイト番組の最後)は関西版(大阪からの放送)で、“滅び行く京都の町家”について放送されていました。祇園祭が京都の町家を残したそうです。さらに第二次大戦で連合国が京都を空襲しないで、貴重な町家や神社仏閣を残してくれたのに、戦後、資本主義の悪い面がそれらを破壊して、ビルや駐車場を作って近代都市にしてしまいました。祇園祭の山鉾が町家を抜けて通過すると、屋根屋根よりも鉾のほうがはるかに高く空にそびえていました。これがビル街を通過すると、鉾よりもビルのほうが高くきらびやかなんだそうです。イタリアのフィレンチェでしたかは、500年前の古い建物がそのまま市役所に使われていて、今、そこで職員がパソコンを打っているそうです。京都府庁は古い建物を一応残してはいるそうですが、職務は行っていないそうです。この差は大きいです。近代化とか開発とかは、日本では古いものをぶっ壊すことだと信じられてきたようです。とんでもない傲慢です。和服を着用するのは、今は花柳界か、成人式で新成人がやたらケバい振り袖を生涯に一度着るかですし、古典芸能の歌舞伎や能楽や和楽もどんどん廃れて、そのうち、この日本から消えてしまって、伝統もない無国籍文化の国になってしまうのでしょうか。孔子の「觚(こ)、觚ならず、觚ならんや、觚ならんや」という嘆きが心にしみます。歌舞伎では昭和の名優さんたちが次々亡くなられて、最近の舞台はどこか隙間風が吹いているように感じます。大ファンだった三代目市川猿之助さんも逝かれました。わが家に残る映像記録をときどき出して在りし日を偲ぶことにします。圧巻はやはり「伊達の重役」でしょうか。