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第5課 「~は…です」「~は…ですか?」
<キーフレーズ>
「ソウルははじめてです」
ソウルン チョ’ウミmニダ
서울은 처음입니다. 입のパッチムㅂはのㄴ前ではの発音になる。
<公式>
・「~は…です」
「~는 / 은 … 입니다.」
・「~は」=
名詞(パッチムなし)+는
名詞(パッチムあり)+은
・「…です」=名詞+입니다
・「…ですか?」=名詞+입니까?
<応用>
「私は大森浩です」
チョヌン オーモリ ヒロシイmニダ
저는 오모리 히로시입니다.
「浩さんは先生ですか?」
ヒロシ ッシヌン ソンセンニミmニッカ?
히로시 씨는 선생님입니까?
「先生はいい体です」
선생님은 좋은 몸입니다.
ソンセンニムン チョウン モミmニダ
<応用>
お兄ちゃんは運命(の人)です。
オッパヌン チェ ウンミョンイmニダ
오빠는 제 운명입니다.
<ワンポイント>
☆しりとり
증조할아버지 チュンジョハラボジ(ひいおじいさん)→지하철 チハチョ’r地下鉄
☆単語づくり:お題=乗り物
汽車=기차 キチャ’
船=배 ペ
車=차 チャ’
タクシー=택시 テ’kシ
地下鉄= 지하철 チハチョr
ヨット=요트 ヨトゥ’
ボート=보트 ポトゥ’
馬=말 マr
バス=버스 ポス
3,哀公問う、弟子(ていし)孰(たれ)か学を好むと為す。孔子対(こた)えて曰く、顔回という者あり。学を好む。怒りを遷(うつ)さず。過ちを弐(ふたた)びなさず。不幸、短命にして死せり、今や則ち亡(な)し。未だ学を好む者を聞かざるなり。
哀公がおたずねになった。「あなたのお弟子の中で学問好きと言えるのは誰ですか?」。孔子は答えて申し上げた。「顔回という者がおりました。学問好きでした。ある人に対する怒りを他の人に移して八つ当たりをしませんでした。同じ過ちを二度と繰り返したことはありませんでした。しかし、不幸にも短命にして死んでしまい、もうこの世にはいません。(私はそれ以降)まだ、学問を本当に好きな者を聞いたことがございません。
※浩→哀公は魯の国の最後の君主です。論語『先進篇』では、若くして死んだ顔回に対する孔子の深い苦悩や悲哀が描かれています。孔子六十一歳のとき、顔回は三十二歳で亡くなったと言われます。顔回は孔子が最も将来に期待していた愛弟子で、学問を誰よりも深く愛していて、孔子の弟子たちの中で抜群の学識と理解力を誇っていました。孔子は顔回の夭折(ようせつ)を聞いて、「この優れた人物にして、こういった悲劇的な運命があるのか」と深く嘆き悲しんだそうですが、初期の儒学教団において非常に重要な位置づけを持っていた人物と考えられます。
顔回は幸せなお弟子さんです。これほどまでにお師匠様に愛されて。でも、そこまで愛されるには顔回の向学心と理性的な生活態度が、他のお弟子よりもダントツ抜きん出でいたのでしょう。
それにしても、顔回は師匠より先に逝きましたが、わが師匠は弟子の私より先に旅立たれました。逆じゃないですか!もっともっと学びたいことがあったのに(怒&悲)。今月の岡工講座の講演の中に、親より先に亡くなった子どもは、三途の川の手前の「賽の河原」で「1つ積んでは父のため、2つ積んでは母のため」と、決して報われることのない石塔づくりを科せられます。やっと積み終えるとそこへ鬼がやって来て、その石塔をぶっ潰すんです。そしたらまた初めから「1つ積んでは…」と積み始めます。昼夜これを繰り返す永劫作業です。西洋で有名なのはカミュの「シーシュポスの神話」があります。神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けました。彼は神々の言いつけどおりに岩を運ぶのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまいます。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのでした。カミュはここで、人はみんないずれは死んですべては水泡に帰すことを承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の不条理な姿を、そして人類全体の運命を描き出したのです。「報われない作業」であるにもかかわらず、むしろそれを逆手にとって、「やっても意味はないのか。そうか。それでもやってやろうやないか!」。この不条理な世界での人間の生き方のモデルになっています。
<動詞の重ね型>
我想看看。 Wo3 xian3 kan4kan
@看kan =見る 看看=ちょっと見る
你在这儿等等。 Ni3 zai4 zher4 deng3deng ここで待っていてください。
咱们休息休息吧。Zan2men xiu1xixiuxi ba ちょっとここで休憩しましょう。
请念一念这封信。Qing3 nian4 yi1nian4 zhei4 feng1xin4 ちょっとこの手紙を読んでください。
※他の言い方
@看一下 kan4 yi2xia4 ちょっと見る
休息一会儿。 xiu1xi yi2huir4 ちょっと休憩しましょう。
吃一点儿 chi1 yi4dianr3 ちょっと食べる
<ピントレ>
・en 舌先を上の歯茎に当てて「エン」
・eng 舌先をつけないまま口の奥のほうで「オン」
本能: ben3neng2 本能
神聖である: shen2sheng4 神圣
正真正銘の: zhen1zheng4 真正
憎悪する: zeng1hen4 憎恨
正門: zeng4men2 正门
成人: cheng2ren2 成人
祝你的人生梦想都能成真。
Zhu4 ni3 de ren2sheng1 meng3xiang3 dou1 neng2 cheng2 zhen1
あなたの人生の夢がすべて実現しますように。
<おまけ> 動詞の重ね型
この字は難しいので、= Zhei4ge zi4 hen3 nan3 这个字很难,
→書いてください ni3 gei3 wo3 xie3 你给我写。
→ちょっと書いていただけませんか ni3 gei3 wo3 xie3xie 你给我写写。
(相手にかかる負担を小さくしようとしていて、表現が和らぎ丁寧な感じ)
<カラオケでよく歌う歌>
・テレサ・テンの「つぐない」:邓丽君 偿还 deng4li4jun1 chang2huan2
・尾崎豊の「I love you」:尾崎丰“I love you.” Wei3qi2 Feng1“I love you.”
・演歌 「酒よ!」:民间流行歌曲 酒啊! min2jian1 liu2xing2 ge1qu3 jiu3 a!
・「涙そうそう」:泪光闪闪 (直訳=涙が目に浮かぶ) lei4guang1 shan3shan3
@メロディー xuan2lǜ4 旋律
@歌詞 ge1ci2 歌词
2,仲弓、子桑伯子(しそうはくし)を問う。子曰く、可なり、簡なり。仲弓曰く、敬に居て簡を行い、以てその民に臨む。亦(また)可ならずや。簡に居て簡を行う、すなわち大(はなは)だ簡なからんや。子曰く、雍の言(げん)、然り。
仲弓が子桑伯子について質問をした。先生がおっしゃった。「まあいいだろう。大まかだから」。仲弓が言った。「心構えは慎重でありながら行動は大まかにやる。そういう態度で人民に対するなら、それもよろしいでしょう。しかし、心構えも大まかで行動も大まかというのでは、大まかすぎるのではないでしょうか」。先生が言われた。「ほんとにお前の言うとおりだよ」。
※浩→子桑伯子は当時の政治家だそうですが、どういう人物かよくわかりません。君子の思考と行動のバランスについて仲弓(雍)が語った部分で、孔子の子桑伯子の評価に対して、仲弓が「鷹揚で簡潔なだけでは事を誤るのではないか?」と質問をしています。仲弓の為政者としての素質を高く買っていた孔子は、仲弓が「外見上の行動が大雑把であっても、内面的な思索は深くなければならない」と語ったのを喜びました。人民に臨むには、「堂々とした行動」だけではなく「注意深い思考」が必要です。孔子は、そこに気づいた仲弓の意見がもっともなことであると答えたのです。
人をリードしていくには、ただ行動が堂々としているだけでなく、注意深い思考が必要だということは、現代でも同じだと思います。国のリーダーから始まって、企業などの組織では管理職、子どもたちを指導する教師にも必要な資質です。そう言えば、以前登場した一節に、「君子は重からざればすなわち威あらず。学べばすなわち固ならず」と「学而篇」にありました。私は子どものころ、よく親戚のおねえさんから、「ひろちゃんはおっちょこちょいだから」とたしなめられました。そそっかしく落ち着きの乏しい子のようですが、それよりもむしろ「早とちり」だったのではないかと、今は思います。野田先生ふうに言えば「即断即決」です。その劣等感をある程度補償できたのは、大学で不本意にも(勧誘中の先輩に強引に拉致されて部室へ連れ込まれて断れなかった)ボート部に入って、苦行に堪えたおかげだと思います。「おしゃべり」なのは、小学生のころ、妹と2人で伯母さん(父の姉)の家にお泊まりに行って、伯母と妹と私と川の字に寝ていて、伯母が「ひろちゃんは大きくなったら何になる?」と聞かれて、「アナウンサー」と答えたことがあります。実際はアナウンサーにはならないで教師になって、その後、アドラー心理学を得てからは「講演」をしますから、「おしゃべり」の特性が活かされています。おっちょこちょいのほうは、その後過補償されて、むしろ逆に動きの少ない、一時は大変無口な人になっていました。無口のほうは箍(たが)がはずれてしまいました。でもまあ、相手と場合によりますが。