16 <「値引きしてほしい」とき何と頼む?>
#キーフレーズ
Could you give me a discount ?
#データベース
Can you make it a little cheaper ? もう少し安くできませんか?
Is it a special price ? これは特別価格ですか?
17 <「また別の国にいるみたい」と伝えるには>
#キーフレーズ
I feel like I'm in a different country again.
@ in = ~の状態にある
@ feel like ~ = ~みたい
#練習
(髪を切ってさっぱりしたから)I feel like I'm a new man !
@ feel like + 名詞=~したい気分、~を食べたい気分、~を飲みたい気分
I feel like a cup of coffee.
#データベース
I feel like I'm still in school. まだ学生のような気分です。
@ in school = 学生である
I feel like you're my real little sister ! あなたは私の本当の妹みたいです。
I feel like we are old friends. 私たちは幼なじみです。
18 <モスクを見るのは初めてだと伝えるには>
#キーフレーズ
This is my first time to see a mosque.(これはどちらかというと話し言葉)
#練習
This is my first time to visit Hawaii with my family.
This is my first time to drink coconut juice.
#データベース
It's his first time to come here. 彼がここに来るのは初めてです。
It'll be my first time to go to an American zoo. アメリカの動物園に行くのは初めてです。
納豆を食べるのは初めてですか?
Is it your first time to eat natto ?
19 <申し出をやんわり断るには?>
#キーフレーズ
No, that's all right.
#断り方
Thank you, but no thank you.
No thank you. I'm fine.
Not this time, thank you.
#データベース
Thank you anyway. とにかくありがとう。
(No.)But thank you for the offer. でもお申し出ありがとう。
It's all right, but it's not my favorite. 悪くないけど私の趣味ではありません。
20 <「落ち着いて楽しむのよ」と言うには>
#キーフレーズ
Just relax and have some fun !
#データベース
Don't be nervous. 緊張しないで。
Everything's going to be all right ! すべてうまくいきますよ。
It's going to be a lot of fun ! きっととても楽しいから。
老子第16章
虚(きょ)を致すこと極まり、静を守ること篤(あつ)く、万物は並び作(おこ)れども、吾れ以って復るを観る。それ物は芸芸(うんうん)たるも、各々その根(こん)に帰る。根に帰るを静と曰い、これを命に復ると曰う。命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰う。常を知らざれば、妄作して凶なり。常を知れば容(い)る。容るれば乃(すなわ)ち公なり。公なれば乃ち王たり。王なればまた天なり。天なれば乃ち道なり。道なれば乃ち久し。身を没するまで殆(あや)うからず。
心を空っぽにして静けさを保っていると、万物がどんどん生み出されてまた元の姿へ戻っていくさまが見える。この世のすべてのものはどんどん生み出されては、そうやって根源へ帰っていくものだ。万物はこうして静寂へ還る。これを「命=本来の姿」に戻ると言う。これを「常=永遠不滅」とも言う。この法則に目ざめるのを「明=絶対の智恵」と言う。常なるあり方に目ざめなければ、軽挙妄動して不吉である。常なるあり方に目ざめれば、何びとに対しても寛容となる。寛容となれば公平無私となり、公平無私となれば王者の徳を備え、王者の徳を備えれば天のごとく広大となり、天のごとく広大となれば、無為の道と一つになり、無為の道と一つになれば、永遠不滅である。そうなれば生涯を通じて安らかに生きられるのだ。
※浩→この章も、無為自然の道を体得した老子的聖人の安らかな処世を説明しています。人間を含む一切存在の根源である無為自然の道は、虚であり静であるから、道の根源的な虚静に立ち返って、己れもまた虚の極致に達し篤く静を守ることが、己れの本来的なあり方に立ち戻ることになり、本来的なあり方に立ち戻るとき、己れもまた道の永遠不滅性を己れの永遠不滅性として安らかにこの世を終えることができるということです。
中国の復帰の思想について福永光司先生の解説から学びましょう。復帰を人間の内面性に即して主体的・実践的に考える方向と、復帰を古今という時間の推移の中で歴史的に考える方向があります。前者では、人間の心は本来、清浄円満なのに、後天的にはさまざまな欲望知識によって掻き乱されているから、人知人欲を捨てて本来的な清浄円満に帰らないといけないと考えます。中国の仏教や道教は、基本的にはすべてこの立場だそうです。後者では、過去の時代を道が完全に実現された至徳の世で、現在を堕落もしくは下降した不完全な時代として、不完全な「今」から完全な「古」に帰ろうとします。堯舜禹の世に聖人の実在を信じて、その古聖の道への復帰を説く儒家の思想が代表です。そういえば、孔子もいにしえの周公旦の「礼」を理想にしていました。孔子の生まれた魯(紀元前1055年 - 紀元前249年)は、周公旦を開祖とする王朝国家で、周公旦は周王朝を開いた武王の弟です。周公旦は、武王の子である成王を補佐し、建国直後の周を安定させました。周公旦は、曲阜に封じられて、魯公となるが魯に向かうことはなくて、嫡子の伯禽に赴かせてその支配を委ね、自らは中央で政治に当たりました。周公旦は、周王朝の礼制を定めたとされ、礼学の基礎を築き、周代の儀式・儀礼について『周礼』『儀礼』を著したとされます。旦の時代から約500年後の春秋時代に生まれた孔子は、魯の建国者周公旦を理想の聖人と崇めました。孔子は、常に周公旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかったので「年を取った」と嘆いたと言うほどでした。魯では周公旦の伝統を受け継ぎ、古い礼制が残っていました。この古い礼制をまとめ上げ、儒教として後代に伝えていったのが、孔子一門です。孔子が儒教を創出した背景には、魯に残る伝統文化があったのです。
老子の思想も、「いにしえの極」を強調します。「古」は無為の道の完全に行なわれた至徳の時代です。「今」は道が失われ徳の衰えた堕落の時代だとします。のちに「大道廃れて仁義あり」と出てきます。また、万物は己れの根源すなわち道に復帰する存在であるとし、その永遠不滅な道に立ち返ることによって本来的な自己のあり方、絶対的な人間の生き方を実現しようとする主体的・実践的な復帰の思想が、明確に力強く語られています。
世間の常識では、人類は「野蛮」から「文明」に発展してきたと考えます。これは「技術・科学」の面でのことで、人間の内面はソクラテスや孔子のころからほとんど成長も発展もしていなくて、むしろ退化・衰頽したとしか思えないです。というか、発展しすぎて、本来余分なものまで作ってしまったとも考えられます。核兵器やミサイルなどが好例です。余計なものを作ったために人間が不幸になるというと、たとえ土着思想であっても、受け入れる余地ができてくるかもしれません。新幹線もLEDもなかったころの人々の生活が不幸だったとは思えません。野田先生は、「ボディの欲」「マインド」「ハート」ということをおっしゃっていました。
◇ ボディー、マインド、ハート
1.全体論
アドラー心理学では、心の要素は、一見矛盾し対立しているように見えても、実は分業し協力して同じ目標を追求していると考えます。ボディもマインドも心の要素ですから、一見矛盾し対立しているように見えても、実は分業し協力して同じ目標を追求しているはずです。
2.目標追求
その目標とは何かというと、ボディの側から見る方が簡単なのですが、生存(=自己保存+種族保存)と所属です。マインドはこの目標の実現に向かいながら、かつ社会と折り合いを付けるために、さまざまの工夫をしています。
こう考えると、ボディはフロイトが言う「イド」であり、マインドは「エゴ」であり、目標追求とはリビドーエネルギーのことであることがわかります。
3.ライフスタイル
ボディには個性がありません。どの人のボディも、本能的に生存と所属を追求しているだけです。マインドは、ひとりひとり違っています。その違いをライフスタイルと言います。ボディには型はありません。
4.神経症
ボディは動物的なものですから、悩むことはしません。欲求不満は持つでしょうが、それは「今ここで」のことであるにすぎず、くよくよ悩む材料にはならないのです。
悩みはすべてマインドが作り出すトリックです。マインドは、自分をごまかし他人をごまかすために悩みを作り出します。悩みによって、ボディの目標追求と社会の要求との折り合いを付けようとするのです。その悩み方がひどくなって、現実には目標追求できていないのに、幻想的にできているような気になっている状態を「自己欺瞞」と言い、「神経症」と言い、「マインド・トリップ」と言います。
例えば、「みんなの仲間でいたい」という目標(=所属)を追求しているとすると、これはボディの仕事です。しかし、「仲間がいなくなる」、「友だちが離れる」ということに異常なくらい恐怖心を持っているとすると、それはマインドです。そうして奇妙な神経症症状を出して、幻想の中でだけ目標追求しています。この場合でも、幻想の中においてではあるが、マインドはボディに協力しています。しかもボディは永久に欲求不満です。
5.治療
マインドが悩んでいるときの解決法は2つあります。「俗」アドラー心理学では、より巧妙なマインドを作り出そうとします。「聖」アドラー心理学では、マインドを捨てて大きなものに「お任せ」するように勧めます。どちらを採ってもかまいません。私(野田)は、「より巧妙なマインド」は、より問題を深くする気がするのです。だから、マインドを捨てて、しかもボディだけの動物レベルに還るのではなくて、ハートの目覚めた新しいレベルに進むように、人々に勧めています。
野田先生は、太古まで戻るのは不可能ですが、「昭和30年代くらいまで戻るといい」とおっしゃっていました。確かに「ボディ」のレベルは“古代のまんま”かもしれません。
第35課 意志の表明や約束・動作の目的
<意志や約束の表現>
「~(し)ますから」「~(し)ますね」
#キーフレーズ
「もう私が全部やりますから」
イジェ ネガ タ ハrケヨ
이제 내가 다 할게요.
#公式
・動詞の語幹(パッチムなし) + ㄹ게요
・動詞の語幹 (パッチムあり)+ 을게요
・パッチムㄹは取って + ㄹ게요
@する=하다 → しますから、やりますから=할게요
#比較
・ㄹ/을 거예요=「~(する)つもりです」
・ㄹ/을게요=「~(し)ますから」(相手に約束する意味合いが強い)
「ハングルを一生懸命勉強しますから」
한글을 옐심히 둥부할게요.
「笑いますから」
웃을게요.
「泣きますから」
울게여.
「明日電話をかけますから」
내일 전화를 걸게요.
<動作の目的>「~(し)に」
#キーフレーズ
「何か食べに行きましょうか?」
ムオ モグロ カrカヨ?
뭐 먹으러 갈까요?
#公式
・動詞の語幹 + 러/으러
・パッチムはそのまま + 러
@食べる=먹다 →食べに=먹으러
@作る=만들다 →作りに=먼들러
※後ろに来る動詞は가다(行く)、오다(来る)など移動を表すものが多い。
<練習>
「一緒に遊びに行きましょう」
같이 놀러 갑시다.
<ワンポイント> 食材
@白菜=배추 きゅうり=오이 きゅうりのキムチ=오이김치
@じゃがいも=감자 じゃがいも鍋=감자탕
@野菜=여채 または채조
@食用肉=고기 牛肉=소고기 豚肉=돼지고기 鶏肉=닭고기
@食材の魚=생성 生きている魚=물고기
<エクササイズ>
1,サムゲタンを作りますから。
삼게탕을 만들게요.
2,今度夕食を食べに行きますから。
다음에 저녁을 먹으러 갈게요.
<ひとこと>
「いいなあ!」=촣겠다! チョ’ケッタ
相手の話や提案を聞いて相づちを打つときにも使う。
「いいですね」=촣겠네요.
<発音> 長母音
말=言葉[ma:l] / 말=馬[mal]
눈=雪[nu:n] / 눈=目[nun]
※会話では短い発音になることが多い。
<フィナーレ>
「今日時間がありますか?」
오늘 시간이 있어요?
「はい、あります」
네, 있어요.
「ではカラオケに行きましょう」
그럼 노래방에 갑시다!
「はい、行きましょう」
네, 깁시다!
「今日は僕の歌をたっぷりお聞かせしますから」
오늘 제 노애를 듬뿍 들려 그릴게여.
老子第15章
古(いにし)えの善く士たる者は、微妙玄通にして深きこと識(し)るべからず。それ唯(た)だ識るべからず。故(ゆえ)に強いてこれが容と為す。豫(よ)として冬に川を渉(わた)るが若(ごと)く、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(はば)かるが若く、儼(げん)としてそれ客の若く、渙(かん)として冰(こおり)の将(まさ)に釈(と)けんとするが若く、敦(とん)としてそれ樸(あらき)の若く、曠(こう)としてそれ谷の若く、混(こん)としてそれ濁(にごりみず)の若し。孰(たれ)か能(よ)く濁りて以(も)ってこれを静めて、徐(おもむろ)に清(す)むや。孰か能く安らかにして以ってこれを動かして、徐(おもむろ)に生ずるや。この道を保(いだ)く者は、盈(み)つるを欲せず。それ唯だ盈たず、故に能く敝(やぶ)れて新たに成る。
古くからの「道」を充分に修めた人は、その微妙な働きによって奥深い所に通じていて、奥深さゆえにそのありさまは到底理解できない。理解できないことではあるが、あえてそれを説明してみよう。おずおずと冬の川を渡るように慎重であり、びくびくと周囲を警戒するように用心深くあり、きりっと威儀を正した客のように厳粛であり、解けてゆく氷のように素直であり、切り出したばかりの丸太(樸=あらき)のように純朴であり、深い谷間のように寛容であり、濁った水のように曖昧である。この濁った水を静かに止めて上澄みから清水を得られる者は誰であろうか?またそれを再び動かして生命を生み出すことができる者は誰であろうか?「道」に沿った生き方をする人は、いっぱいまで満たされることを望まない。だからこそ彼の器はたとえ壊れても何度でも再生するのだ。
※浩→老子の理想とする「道の体得者」(荘子では“古の真人”)の風貌と人生態度を説明しています。荘子に比べると、比喩的な表現が多く、比喩も素朴で直截的であると福永光司先生。なるほど、「冬の川を渡る」(慎重)「四隣を畏(はばか)る」(用心深い)「威儀を正した客」(厳粛)「早春の氷」(素直)「樸(あらき)」(純朴)「谷間」(寛容)「濁水」(曖昧)と、比喩が具体的です。
『荘子』だと、例えば「大宗師篇」には、「古の真人は、その状(かたち)は義(たか)くして崩れず、足らざるがごとくして承(う)けず。与乎(よこ)としてそれ觚(ただ)しきも堅(かたく)なならず、張乎(ひろや)かにしてそれ虚しけれども華(うわ)つかず、邴乎(はれや)かにしてそれ喜ぶがごときか、崔乎(ためら)いてそれ已(や)むをえざるがごとくすか。…… 広乎としてそれ世のひとつのごときか。謷乎(おおき)くしてそれいまだ制(き)るべからざるか。連乎(ひめや)かにしてそれ閉ざせるを好むがごとく、悗乎(うっと)りとしてその言(ことば)を忘れたり。
なるほど、『荘子』では、「例えば…」にあたる説明がないですが、両者は基本的には性格を同じくするもの、精神的風土には共通性が感じられます。福永光司先生はさらに、儒家の理想的人間像と比較されます。『礼記』を引用して──
「儒に、親しむべくして劫(おびや)かすべからず、近づくべくして迫るべからず、ころすべくして辱(はず)かしむべからず、その居所淫(みだ)らならず、その飲食溽(あつ)からず、その過失は微(ほの)かにして辯(ただ)すべきも面(も)のあたり数(せ)むべからざるあり。その剛毅なることかくのごとき者あり」。
「儒に、忠心もって甲冑となし、礼儀をもって干櫓となし、仁を載(お)きて行き、義を抱きて処(お)るあり。暴政ありといえどもその所を更(か)えず、その自立することかくのごとき者あり」。
「儒に、善を聞きてはもって相い告げ、義を見てはもって相い示し、爵位には相い先(ゆず)り、患難には相い死し、久しくして相い待ち、遠くして相い致(まね)くあり。その任挙することかくのごとき者あり」。
このように、儒家が恥辱に対して潔癖な態度を固執するのに対して、老荘は泥を含み、汚辱にまみれた濁水のごとき生き方を理想とします。
ふと、宮沢賢治の「雨にもマケズ」を思い出したのですが、それは↓
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
カタカナ混じりで読みにくいですが、宮沢賢治の人生態度は、どちらかというと、儒家よりでなく老荘ふうに思えます。「阿弥陀堂便り」という映画に、“花見百姓”というフレーズが出ていました。野田先生も確かこの映画は絶賛されていたと思います。寺尾聰さん扮する主人公は、1回だけ賞をもらった作家です。女医さんでパニック障害に陥った妻(樋口可南子さん)とともに、寺尾の故郷・信州に帰ってきます。そこの地元のお百姓さんの会話の中に、「桜の花に見とれて、田植えを忘れてしまう」花見百姓という言葉が出てきました。主人公もそんなお百姓になりたいとかどうだとか。
長くなりましたので、このへんで〆ます。
第31課 経験を表す助詞「过 guo」
<キーフレーズ>
(あなたは)北海道に行ったことがありますか?
Nin2 neng2 qu4guo Bei3hai3dao4 ma?
您能去过北海道吗?
@过(過) guo = ~したことがある(経験)
@qu ←q+ü
#肯定の答え
Wo3 qu4guo Bei3hai3dao4.
我去过北海道。
短縮は→Qu4guo 去过。
#否定の答え
Wo3 mei2 qu4guo Bei3hai3dao4.
我没去过北海道。
短縮は→Mei2 qu4guo.没去过。
@“不” = ~しない
@“没” = ~していない/~したことがない
<練習>
Ni3 he1guo pu3'er3cha2 ma?
你喝过普洱茶吗?
Wo3 he1guo pu3&er3cha2.
我喝过普洱茶。/ He1guo. 喝过。
Ni3 qu4guo Tian1jin1 ma?
你去过天津吗?
Wo3 mei2 qu4guo Tian1jin1.
我没去过天津。/ 没去过。
<経験をたずねるもう1つの質問>
Ni3 qu4guo Tian1jin1 mei2you?
你去过天津没有?
↓
答え:肯定=去过。 否定=没有。
<ショート会話>
あなたは初めて日本にいらしたのですか?
Nin2 shi4 di4 yi1 ci4 lai2 Ri4ben3 ma?
您是第一次来日本吗?
いいえ、去年1回来たことがあります。
Bu4, qu4nian2 lai2guo yi2 ci4.
不, 去年来过一次。
どんなところに行きましたか?
Dou1 qu4guo nei3xie1 di4fang?
都去过哪些地方?
京都、奈良、大阪に行きました。
Qu4guo Jing1du1, Nai4liang2 he2 Da4ban2.
去过京都,奈良和大阪。
北海道に行ったことがありますか?
Nin2 qu4guo Bei3hai3dao4 ma?
您去过北海道吗?
まだありません。北海道には面白いところがありますか?
Hai2 mei2 qu4fuo. Bei3hai3dao4 you3 shen2me hao3wanr2 de?
还没去过。北海道有什么好玩儿的?
北海道にはおいしいものがたくさんあります。例えば、シーフード、ラーメン、ジンギスカン…
Bei3hai3dao4 you3 hen3 duo1 mei3shi2. Bi3ru2, hai3xian1, la1mian4, kao3yang2rou4 ....
北海道有很多美食。比如,海鲜,拉面,烤羊肉 ....
本当ですか?私はシーフードが大好きです。今度は是非とも北海道に行ってみたいです。
Zhen1 de? Wo3 te4bie2 ai4 chi1 hai3xian1. Xia4ci4 yi2ding4 qu4 Bei3hai3dao4 kan4kan.
真的?我特别爱吃海鲜。下次一定去北海道看看。
<発音>
“ü”: 「ウ」の口の形で「イ」を言う。
ただし表記は↓
J+ü→ju 菊
q+ü→qu 去
x+ü→xu 续 (続く)
ü の表記は→yu 雨yŭ 月yuè 员(員)yuán
@ji4xu4 继续 継続する
@Ying1yu3 英语 英語
@xing4qu4 兴趣 興味
@you2ju2 邮局 郵便局
@yue4 yue4 yu4 shi4 跃跃欲试 腕が鳴る