7月のみんなのネット俳句会は、管理人の白内障の手術と日程が重なるため、中止します。楽しみにしていた方には申し訳ありません。8月句会は8月5日開幕です。奮って投句願います。
6月句会の互選結果の記事のピン留を解除しました。ご覧になりたい方は、no,5695の記事までスクロールしてください。
管理人さん、割込みますがよろしくです。
嚶鳴庵俳句教室は26日です。
兼題は、雪崩 ボブスレーです。12時50分までに兼題と当季雑詠の合計5句を提出してください。
投句用紙は規定のものがありますので、ない方には当日配ります。
難易度の高い兼題も2月、3月と残り2回になりました。それぞれに成長されたことと思います。
それは講師として本当に喜ばしいことです。
26日の句会もワイワイ楽しみましょう、万障繰り合わせの上おでかけください。
いつもご苦労様です。今月の兼題は何だか季重なりになって
しまって悪戦苦闘しておりますあと三日やり直しでーす。
今月もよろしくお願いします🙇♂️
ご苦労様です。嚶鳴庵俳句の名物・兼題は今回は「雪崩」と「ボブスレー」ですか。難問ですね。あと三日必死で無い知恵を絞ることにしましょう。
藤井棋王またまた勝ちました!
今日は仕事をしながらアベマが見られないので
棋譜情報を見てましたが中盤まではいい勝負かな
と感じてましたが終盤になった途端に藤井棋王の
ペースになりました強いねー💪
ナチーサンさん、木の芽の句の鑑賞、ありがとう御座いました❢ 小さな小さな庭ですが50余年余りの庭木に鉢物に小さな歴史が有ります。60年程前に名駅の地下街にお花屋さんが有りました。そこで潮干狩りのお礼に何でも好きな物を買ってあげると言われ10代の私は迷わず福寿草を選びました❢ その時の福寿草が今年も15.6の蕾を付けてくれています。枯れてゆくのも有ります。大好きなライラックは沢山の花を咲かせてくれましたが去年枯れてしまいました❢ 挿し木が出来ましたのでその子は頑張っています❢
ライラックちゃんでしたね。お孫さんですから。
何物にも代えがたい貴重な時を繋ぎ留めてくれる存在が身近にある幸せ。福寿草ですか、名駅の地下街でね。親はいなくともその思い出を紡いでくれる福寿草。きっと末長く素敵な庭を彩ってくれるでしょう。
福寿草さんそれとライラックさんによろしく。
アイビーさん、鑑賞有難うございました。ダイアさん、ナチーさん選句ありがとうございました。
金閣寺には、過去2回訪れ再建後は境湖池を巡りました。確かにアイビーさんご指摘のとおり「ハット息を吞むような美しさ」に打たれる池端のちょっとした高台から逆さ金閣を眺めたような記憶があります。
この俳句は最近のテレビニュースに映し出された雪の金閣寺を愛でたものです。チョット余談になりますが、人は心のもやもやは海岸で海を感じる時気持ちが安定するらしいですね。識者が言うには。金閣寺池畔の境湖池は母の胎内を思わせるような趣がある。胎児の時は皆さん逆さまでしたよね。逆さ金閣を自分と錯覚してしまうかもしれません。
アイビーの俳句鑑賞 その1
柊やほのかに香り夫(ひと)を待つ (ヨヨ)
夫との待ち合わせの場所に柊花が咲いていた。句意はそれだけのことだが、これを5・7・5に纏めると俄然雰囲気が出てくる。俳句という定型詩の妙味だろう。柊は花が咲く時は葉の角が取れて丸くなり、辺りに芳香を放つ。ここらあたりに寓意が込められている、とすれば深読みのし過ぎであろうか。上五で切れているが、切らなくても別に構わないと思う。まあ、好みの問題だが。それと「夫」と書いて「ひと」とルビが振ったが、素直に「つま」と読ませてもよかったのではないか。
絵踏寺童女の墓と刻みあり (森野)
歴史的事実としても「踏み絵」が春の季語にされるのは疑問だと思う。季語のもつ季節感が全くないからだ。アイビーの個人的な意見を述べても仕方ないことだが。絵踏寺はどこの寺か分からないが、恐らく隠れ切支丹がいた長崎県の五島列島あたりの寺と推測される。その寺に切支丹の故をもって罰せられた人の墓があった。被葬者は、刻まれた字からは童女であることが分かる。薄幸の童女の定めを思い、しばし感慨に耽る作者。淡々と事実のみを追い記述したに過ぎないが、読み手の側にかくも想像を掻き立てる、俳句の醍醐味だろう。
光るもの徐々に増えゆく雨水かな (弥生)
「雨水」は二十四節季の一つで2月19日頃に当たる。春の訪れを感じるのは気温ではなく日差しだろう。一足飛びに温かくはならないが、燦燦たる日差しは明るい。まさに「風光る」を体現するようだ。万物に光が満ち溢れる春。春を喜ぶ人々の心を詠んで過不足がない。丁度、雨水の頃にその思いが強くなる。
声高の病人ふたり日向ぼこ (塚口)
風刺がきいた一句。一体どこが病人なんだとツッコミが入るような二人。それでも、れっきとした病人なのだ。お互いの病気を嘆き慰めあっているのだが、辺りを圧する大声は、元気そのもの。三食に憂いはなく、はた目には結構な身分にしか見えない。けれども病人は病人である。現代社会の欺瞞を鋭く喝破した一句。が、嫌みがなく聞こえるのは上質のユーモアに包んでいるからだろう。
どんど焼漁師になると漁師の子 (尾花)
南知多町の師崎地区の左義長を詠んだものか。地区の5つの部落ごとに行われる左義長は、私も見たことがある。村の青年の通過儀礼の意味もあり、漁村らしい趣向を凝らした正月の行事である。村役は羽織袴に威儀を正すが、主役の青年達は褌一本で参加する。狭い村とてお互い顔なじみばかりだ。いきおい師崎中学の同窓会のノリで参加することにもなる。最近はそうでもないだろうが、漁師の息子だから、後を継いで漁師になることを当然と考える。また、世間もそれを当然視していたのである。
無駄な物捨ててしまおう春はそこ (コビトカバ)
冬の暗さから解放される春がすぐそこに来ている。春を迎えるに当たり、もろもろの足かせ手かせとなる物を、この際一掃しようと作者は考えた。この思考の過程は私ら年配者にもよく分かる。座五の季語を「春隣」「春近し」でなく「春はそこ」としたところに作者の工夫が見られる。そのために,当たりがソフトになり、俳句自体に若々しさが生まれたように思われる。
新春に夫従えて映画かな (ラガーシャツ)
昭和30年代、日本人がひたすら明日を信じて頑張っていた時代は日本映画の黄金時代でもあった。プログラムピクチャーという興行形態があり、邦画各社は年に百本近い映画を量産していた。ことに年末年始は映画館の掻き入れ時であり、ドアが閉まらないまま上映したものだ。ところがいつの頃か、映画を見なくなった。ところが正月のこととて映画を夫婦で見ることになった。もっとも奥さんの方に見たい映画があり、夫はつきあっただけなのだが。それでも久しぶりの映画である。映画の始まる前のわくわく感を久しぶりに味わったことであろう。
以下次号、不定期掲載
ラガーシャツさん、楽しいお話を有難うございます。私の実感として婦唱夫随も悪くないと思います。それにしてもドラゴンズのキャンプ地の沖縄に行かれたとは驚きました。ひととおりのドラファンの域をはるかに超えて、ドラXXの境地ですね。(XXは放送禁止用語)
アイビーさん映画の句鑑賞ありがとうございます。
ちょつと前までは俺に付いてこいの勢いでしたがこの10年程は
妻の言うなりの楽な生活を送っております。昨日まで奥方様が
熱狂的なファンのドラゴンズ沖縄キャンプに5日間行って来ました。
サイン帳を持って走り回る彼女を見てるだけの楽しい旅😀これも良し!
尾花さんへ
コロナ騒ぎ以後、簡略化したようですね。褌の若者が縦横に走り回るのが売り物なのに、肝心の若者の褌姿が見られないのは期待外れです。これでは観光客は呼べません。
コビトカバさんへ
毎月、貴女の俳句を楽しみにしています。毎月何か新しい試みをされ、読み手にもその意図が分かるのです。
鑑賞ありがとうございます!
いつも楽しみにしています^_^
春はそこは私も好きな下五だったので、良いと言って下さり嬉しいです✴︎
春は私は花粉にやられて弱りますが、ピンク色の自然たちが可愛くて好きですo(^_^)o
アイビーさん、どんど焼きの句の鑑賞をありがとうございました。
今年、褌一本の青年はお見かけしませんでした。
海風が強く寒かったので何か羽織ってしまったのかもしれません。少し残念でした。
アイビーさん
紅さしてまだ百二歳春そこに
の句を鑑賞していただきありがとうございました
百二歳になるのは私の叔母でとても明るくておしゃれな人でした
なぜだか国会中継がお気に入りでよく聞いたり見たりしてたのを思い出します 頭も歳の割にはすごくしっかりしてて私なんかより世の中のニュースに詳しかったのを昨日のことのように思い出します
とても元気だったのですが今年に入ってコロナに感染しあっけなく逝ってしまいました
皆さんにこの句を選んでいただいたことをとても嬉しく思っております
ありがとうございました
2月句会のトップ、おめでとうございます。102歳は叔母さんでしたか。コロナをこじらせてお亡くなりになられたとか、ご冥福をお祈りします。国会中継がお好きとか、愉快な明るい叔母さんだったのですね。
だうしても訛りの抜けぬ雪女(アイビーさん)
雪女といえば白く冷たく美しい妖怪で、木こりの親子の親の方に「ふぅーー」と冷気を浴びせたので死んでしまい、息子に「この事は誰にも言うな!誰かに話をすればおまえも死ぬ!」と言ったという。
雪女からすれば想定通り事を運んだと思うのだが「あーー、また訛りが出てしまった、どうしてもこの訛りが抜けなくて・・・」なんて嘆いているとしたら妖怪なのに可笑しくて。
アイビーさんの発想と創造力で楽しい雪女になりました。 名句佳句が100余りある中で、唯一見た途端クスッと(笑)きたので特選にいただきました。
拙句を鑑賞いただきありがとうございます。雪女は現実には居ないのですから、いきおいファンタジーの世界に遊ぶか、雪女に見立てた実在の女性を詠むことになります。その雪女に見立てた女性はそこそこ美人でしたが、九州訛りがひどく、何かをしゃべると幻滅です。雪女はべらべらしゃべるイメージではないのです。だからしゃべってはいけませんね。
アイビーの俳句鑑賞 その2
梅凛と二輪咲おり朝日受け (和談)
たった二輪でも梅が開花した。朝日がさして神々しいまで美しい。遅い早いはあるが自然の摂理に背かず必ず開花する。自然界の営為の前には、人は敬虔な気持ちになる。そんな感懐を俳句にして間然とするところがない。ただ、全体に表現が控えめというか、インパクトが弱いように思う。語順を変えるとか、切れを工夫するとか、推敲の余地はありそうだ。
アイビー流に 「朝の日を浴びて凛たり梅二輪」
玉手箱民話の杜や梅含む (玉虫)
「梅含む」は「梅ふふむ」と読み、蕾が膨らんできて開花寸前の状態を言う。浦島伝説は各地に存在するが、愛知県で言えば武豊町にもある。念の入ったことに、太郎が竜宮城から土産にもらった玉手箱まであるそうだ。きっと伝承を尋ねて神社巡りの途中、梅の蕾が綻んでいたのを即興で詠んだのだろうか。浦島伝説と梅の組み合わせは一見、何の関係もないように見えて、よく考えれば雰囲気があって悪くない取り合わせだ。
明日見えぬ時代を生きて紀元節 (ABCヒロ)
出口の見えない迷路にいる私たち。現代は個人も社会も名状しがたい閉塞感に覆われている。過去の歴史を振り返る時、同じような体験を私たちはしたような気がする。折しも昭和百年に当たる今年。ことさら「建国記念日」ではなく、「紀元節」を持ってきた作者の意図もその辺にありそうだ。
剪定のゆずらぬ考の形になり (えっちゃんあら)
季語は「剪定」。考と言うからには作者のお父さんは既に亡くなっている。そのお父さんは庭いじりが趣味だったのだろうか。独自の美意識があったに違いない。今もって剪定をすれば、自然に亡き父好みの形になってしまうのだろう。この句は亡き父を懐かしむ気持ち、同時に限りなく父を敬慕していた作者の心情が読み取れる。
紅さしてまだ百ニ歳春そこに (ポジ)
今月の巻頭句。一読して、よく推敲が行き届いた句と感じた。まず句材が良い。長寿社会を象徴するかのように百ニ歳の老人を登場させた。「百ニ歳」と具体的なのも良い。「春隣」「春近し」としても句意を損ねないにもかかわらず、「春そこに」とソフトに受けた呼吸の良さ。大いに参考にさせてもらいたい。「春」という言葉が出てくるが季節としては冬の句。
冴返る言の葉ときに凶器にも (てつを)
二物取り合わせの句。季語の「冴返る」と中七以下の楚辞とよく響きあっていると感じた。二物取り合わせは二つの異なるテーマを取り合わせるのだが、不即不離が大原則。ありきたたりの取り合わせだと答えがすぐ分かってしまうし、離れすぎても響きあうものがない。その点、この句の離れ具合は理想的だ。
以下次号、不定期掲載
アイビーさん、鑑賞ありがとう😆💕✨ございます。亡くなった義父が愛した庭の松等を脚立に足かけて剪定していました。他の人が剪定しても同じ様な形にしています。剪定の人に感謝と有り難みを強く思ってので俳句で詠みました。暫く義父の思い出を庭を見ながら幸せな時間でした。
絵踏寺は名古屋にあります栄国寺です❢ 東別院の中を失礼して信長のお母さんの屋敷跡とやらを右手に見まして裏手に出ます。左側へ暫く進めば栄国寺があります。その手前の公園かな〜?角に日本で初めての腑分け跡と言う立札が有りました。そこを過ぎて左側にお墓があり右手に栄国寺があります。その頃の踏み絵が置かれていました。その隣の部屋にはお雛様が飾られていました。童女のお墓を見て来たあとでしたから何とも言えない思いをしました❢ 私がキリシタンの人達を思い始めたのは長崎の西坂の丘に建てられて居る日本26聖人の像を見てからです❢ その中には3人の少年もいました❢ 記録にはその中の一人が僕の十字架はどれですか?と発したとか❢ 京都、大阪で捕らえられ片耳を切られ長崎まで歩かされ処刑された人達。昭和50年代になってバチカンから聖人とされたとの事❢ 秀吉は怖かったのでしょうか?信仰心の薄い私には分かりませんがひたすらキリストを信仰する人達の事が❢ 栄国寺か何処だが知りませんが大戦が終わる迄、十字架はあったそうですが戦後、進駐軍が持って行ったとの事です❢
懇切なるご教示、ありがとうございます。意外に近いところにあったのですね。
アイビーさん、「雨水」の句の鑑賞ありがとうございます。
「雨水」は俳句を始めて歳時記を見るようになってから知った言葉です。
美しい言葉だと思います。
具体的ではない言葉なので何か具体的な物と取り合わせられればよかったのですが、
光る様に感じる物が多過ぎて巧くまとめられませんでした。
弥生