頼藤和寛くんの講演
2002年05月31日(金)
第1回日本アドラー心理学会総会は、1984年に大阪大学医学部で開催された。そのときに頼藤和寛くんに特別講演をお願いしたのだが、講演テープがないかと事務局を探したら、出てきた。そこでこれもCD-Rに焼いた。その総会のときの頼藤くんの写真が家にあったので、それを背景にして、ラベルを作った。
昨日から、彼の最後から2番目の作品『人みな骨になるならば』(時事通信社)を読んでいる。新しい発見はほとんどなくて、彼が思春期から言い続けていたことが書いてある。この本を書いているときは、ガンであることを彼は知らなかった。けれど、人生の総決算みたいな本だ。無意識が死期を知っていたのだろうか。まだ読了していないので、感想は書けないが、ここ数日なんとなく彼と縁の深い生活をしている。
冬写真コンクール
2002年06月01日(土)
仲間内で、冬の間に撮った写真のコンクールをした。2001年11月1日~2002年3月31日の間に撮影された写真を1人5枚提出できる。大阪のオフィスに来るお客さんは、誰でも3票投票できる。題材はなんでもいいが、動物と子どもの近接写真は禁止だ。というのは、写真のことをあまりよく知らない人の点がたくさん入って、不公平だから。被写体で点が入ってはいけないと思うのだ。写真の作り方を評価されるのでなければ。
今日、投票を締め切った。だいたい予想どおりの作品が入選した。私も出したが、予想どおり落選。どうも試合になると弱いんだよな。それに、冬は沢へいけないので、いい写真が撮れない。夏写真コンクールもする予定なので、そちらはがんばろう。
味覚
2002年06月02日(日)
浜松へ行った。むかし(2001/07/21)、「浜松のウナギはあまりおいしくない」と書いたことがあって、因果応報は世の習い、浜松の仲間に、ウナギ屋へ連れ込まれた。もちろん、きわめてきわめておいしかった。だって、そう書くしかないじゃないか。
そこでの話なのだが、このごろ大阪の食べ物がおいしくなくなってきている気がする。ひとつには、「旦那衆」がいなくなって、すべてが大衆化したためだと思う。お金持ちはみんな東京へ行っちゃったんじゃないか。いいお客がいないから、いい料理が出ない。需要がなければ供給もとだえる。もっとも、私は高級料亭などというところで食べたことがないので、あるいはそういうところへいくとおいしいものもあるのかもしれないが、中級クラスの料理店の味は、ぜったいに落ちてきていると思う。
しかし、私の味覚はそれほどアテにならない。学校給食のおかげで、「何でも食べる元気なよい子」になって、味覚を破壊されてしまったのだ。味覚というものは、なんでも、中学生くらいまでに鍛えておかないと育たないものなのだそうだ。だから、私がマズいと言っても、実はおいしいのかもしれない。
味覚の発達といえば、このごろは高校を出てから調理師学校へ行くので、料理店の味が落ちたのだと、調理師の友人が言っていたっけ。そういうこともあるかもしれない。子どものころから弟子入りして鍛えないと、とくに日本料理用の味覚は育たないのだそうだ。職人芸はなんだってそうだね。漁師だって大工だって、子ども時代から学ばないと学べないことがあるみたいだ。今の教育制度には多くのメリットもあるけれど、こうしたデメリットもある。なにか工夫はないのかな。
経験の共有
2002年06月03日(月)
パートナーさんを誘って、中国映画『活着huó zhe(活きる)』をもう一度見にいった。終わったあと、パートナーさんは「なんでこんな映画に連れてくるのよっ!」と、とても機嫌が悪い。悲しすぎて、心がつぶれそうなんだって。「男は暢気に生きていて、苦労するのはいつも女と子どもよ」と、過激フェミニストみたいなことを言ってヤツ当たりしたりもする。主人公の男性はともかく、ずいぶん苦労していた男もいたよ。
ともあれ、二十世紀後半の中国はこんなだったんだ。日本人は第二次大戦後、平和でのんびりした生活を送ることができたので、こういう悲惨を知らない。中国人は、次々と変わる政治情勢に翻弄されながら、やっとのことでサバイバルした。もちろん、サバイバルできなくて命を失った人もたくさんいた。命を長らえた人々にも、悲しい出来事がたくさんあっただろう。
経験を共有しているときだけ、言語が疎通すると思っている。パートナーさんと私とが話し合えるためには、経験を共有していなくてはならない。だからこの映画に誘ったのだ。しばらくは機嫌が悪いだろうが、そのうち、この映画をネタに話し合える時がくるだろう。政治的な嵐に翻弄される状況は、一種のスピリチュアルな危機だと、私は思っている。そういう意味で、いくつか話し合わなければならないことがあると思うんだ。そのためには、この映画を見ておいてもらわなければね。しかし、ご機嫌が予想より悪いので、ちょっと参ったな。
唯骨論
2002年06月04日(火)
頼藤和寛『人みな骨になるならば』(時事通信社)を読みおわった。思想的な人間の知的骨格は、10代後半から20代前半に作られるものなんだね。学生時代に話し合っていたことが、それほど発展せず、ただ証拠になる文献はうんと分厚くなって、主張されている。結局、次のようなことが言いたかったようだ。
このように、われわれがしでかすあらゆることが無駄になる。「全てには意味があり、この上なく重要なのだ」といった言明も、同様の妥当性をもって提唱できるだろう。しかし、それは願望の表明でしかないがゆえに信憑性を欠く。「何かは無駄かもしれないが、それ以外に無駄でないものがある」というのが聞き慣れた常識だろう。だが、これもまた「何が無駄でないのか」について人々のあいだで見解が統一されず、論争の火種になるだけのことである。結局のところ全てが無駄であると観るほうが、永遠や宇宙をひきあいに出した時に一層真実味があり、また自他に欺かれるリスクに最小にできそうである。
しかし、これまで何度か指摘してきたように、「全て」が何々であるというのは、実は何も示していないことと同じである。確かに全ては無駄なのだが、その中でわれわれはどんな無駄を選ぶのかというのが問題なのである。そして、無駄と知りつつ何かに熱心に取り組むことができるかどうかが、われわれの人生の質を決めることになる。いや、むしろ「なにをしても無駄」と覚悟していることが、「それでも、なおこれをする」という決断に重みを加える前提でさえある。信者がお百度を踏むことは単に迷信と御利益の期待に基づくだけだが、ニヒリストがお百度を踏むとすればそれには相当深い意図と決断が隠されているはずなのだ。(pp.230-231)
知的な誠実さを追い詰めた結果、こういう結論に達したようだが、私は彼よりもうちょっと動物的なので、知というものをそれほど信じない。知というのも、ライオンの牙や鳥の羽根と同じ、適応のための道具にすぎないだろう。だとしたら、誠実に事実と向かい合うニヒリストよりも、自己欺瞞的に宗教や政治や経済を盲信する大衆のほうが、適応がいいじゃないか。だとすると、知的誠実よりも自己欺瞞のほうが、脳の本来の使いかただぜ。
ま、そうはいうものの、私も知的に誠実な生き方のほうが好きだが。なぜなら、スピリチュアルな生き方を求めていて、しかも知的誠実さというのがスピリチュアリティの骨格だと思っているからだ。彼もそうだったのだが、自分のしていることがきわめてスピリチュアルな探求だということに、気がついていたのだろうか。『唯骨論』の提唱者だから、「スピリチュアル」という言い方は、いずれにせよ嫌いだったと思うがね。
Q
A 向こうも疲れているでしょう、きっと。こっちが疲れているときは向こうも疲れている。昔の旧日本軍は、「味方が苦しいときは敵も苦しい」と言いましたが、ほんとにそうだと思います。
Q 気分の波が激しく機嫌の良いときと悪いときのムラが凄いです。勉強についてもやるときとやらないときの差がひどく、気が向かなければ登校すらしません。
A 素敵な子だね。自分の人生を自分できちっとコントロールしているわけだ。
Q 気分の悪いときには、長女や私に何かと理由をつけては喧嘩を売ってきます。大概は喧嘩を買わないようにしていますが、こちらも疲れて体調が悪かったりすると、激しい親子喧嘩になって、その後自己嫌悪に陥ります。正直に言って、長女のほうをより大切に思っていて、そのことに次女はわかっているようです。どうしたら、「人々は仲間で、私は能力がある」という子どもに育てていけるでしょうか?
A 最後のほうは矛盾しているな。まあいいわ。
Q 頭が痛い毎日です。
A
あのー、そういう人生を選んでいることを素敵だってまず思おうよ。穏やかで怒りとか悲しみとか不安とかが少なく暮らす人も素敵だけど、凄い情緒豊かで振幅の大きい人も素敵だと思う。そういう人も人類にとって必要なんですよ。映画監督になったり小説家になったりするじゃない。だからこれはOKだってまず思って。それはこの子のパーソナル・ストレングスなんだって。個性の強さなんだってね。そっから話を始めたいんです。「この子のこれをやめさせよう。長女のように改造しよう」たって、それは無理よ。向日葵は向日葵、薔薇は薔薇で、向日葵を薔薇に改造できないんです。だから、この子はこの子のままでちゃんと生きられるように援助しないといけないと思います。それが一点。
それからねえ、気分と感情を区別してほしんです。特に女性は気分の悪い日があるんです。全然意味なく気分悪いんです。朝起きた瞬間から気分悪いんですよ。その日はね、言ってほしいの、僕らは。「あの、今日はわたくしはとても気分が悪いので怒っていますが、それはあなたに腹を立てているのではありません。体調が悪くて気分が悪いんです」と言ってもらえれば、僕らは安心してつきあえるんだけど、なんか怖ーいオーラが漂っていると、「何したんだろう」と僕ら男どうしで相談したりするんですよ。「おかしいな、なんかお前したか?」「俺してない」とね。あれって困るんです。ここ、多分お母さんも娘さんもそうなんだわ。感情じゃない気分。気分というのは生理的なもので、感情は心理的なものなんです。感情というのは何か出来事があった結果起こることで、気分は出来事はないけど体の体調の変化で起こることなんです。これ、精神医学の使い分けなんですが、男性に比べて女性は気分変化があるんですよ、生理的な変化で。気分の悪い日に、何言われてもムカついちゃうんです。それは決して相手の言ったことにムカついているんじゃなくて、こっち側の感受性がちょっと過敏になっているのね。その日はお母さんがまず言うようにする。「今日は私はとっても体調が悪くて気分が悪いですから、刺激しないでください。もしも私を刺激して私が怒ったとしても、それはあなたが嫌いとか憎いとかじゃなくて、私の気分が悪いからです」と言うと、娘さんも学ぶじゃない。「そうか、ああやればいいんだ」って。「お母さん今日は赤信号よ」って向こうが言ってくれるから、赤信号だと思ってつきあえばいいじゃない。そういう気分の変動のあることも良いことです。それもその人の個性で、それを「OK」って受け入れれば、それをポジティブに使うことができます。(野田俊作)
存在しない一日
2002年05月26日(日)
アメリカ中西部時間5月26日(日)午前7時にホテルで目覚め、8時にホテルを出て、12時の飛行機に乗ったが、そのときは日本時間だと27日(月)午前2時だ。だから、26日日曜日は存在しなかったも同然で、書くことがない。
シカゴ(6)
2002年05月27日(月)
飛行機は12時ちょうど発なのだが、ホテルでウロウロしていてもしょうがないし、ホテルは空港の近所にあってまわりには何もないし、8時すぎに空港へ行った。搭乗手続きに行くと、「早起きは三文の得」とはよく申したものでありますな、「ビジネス・シートにさせていただいてよろしゅうございますか?」と言うではありませんか。ええ、ええ、よろしゅうございますとも。そういうわけで、12時間の飛行を、ゆったりと楽しめた。といっても、寝てばかりいましたがね。でも、寝心地がまったく違うんですよ。現地時間26日日曜日正午、日本時間27日月曜日午前2時にシカゴを発って、日本時間月曜日午後2時に着いた。メラトニンという、日本には売っていないがアメリカだと普通の薬局で売っている時差調整薬を服んだので、時差ボケは感じない。成田から大阪行きの飛行機を待ちながらこれを書いている。大阪行きは午後6時発で、いやになるほど時間がある。
アメリカのアドラー心理学は元気だ。もっとも、質的に変化しつつある。私の先生のシャルマンなどの、精神分析の匂いを残したやり方はもう顧みられなくなって、短期療法だの構成主義だの、最新流行の方法とドッキングした考え方が主流になってきている。これは、薬物療法の進歩で、神経症や精神病の心理療法が話題にならなくなったことと関係があると思う。アメリカの心理療法は、健常人の日常的な問題の解決に特化してきている。病気の患者さんを長い時間かけて相談するというようなことは、アメリカの心理療法家は、もうしなくなっているようだ。
シャルマン先生と私のユダヤ・ママのドロシー・ペヴンが共著で本を書いた。事例集で、古典的なアドラー心理学的心理療法を、とても美しい文体で記述してある。精神病者や性格障害者を、とても長い時間ていねいにつきあって、いい治療効果をあげている。ドロシーが「あなた、訳すのよ」と言って、私はちょっとシブっていたが、飛行機の中で読んで、これは自分で訳してもいいなと思うようになった。文体の美しさが気に入ったこともあるが、アドラー心理学の歴史の中で、精神病者の長期療法について書かれる最後の本になるかもしれない。シャルマン先生にとっても最後の本になる可能性が大きい。彼はもうすぐ80歳だもの。だから、長年の学恩へのお礼のつもりで、翻訳させてもらってもいいなと思っている。誰か手伝ってくれればだが。
姑
2002年05月28日(火)
パートナーさんよりも一足早く帰宅した。彼女は帰ってくると、「職場の上司と食事に行ってもいい?真理香(娘)も誘うから。あなたの食事だけ、ご自分でお願いね」と言って出て行った。そこで、自分の食事を作っていると、姑さんがあがってきた。
姑:先生(彼女は私をこう呼ぶ)、真理香の食事も作ってくださっているんですか。
私:いいえ、自分の分だけです。真理香ちゃんは、一緒に食事をするんだそうです。
姑:そうですか、真理香の分まで作らせているんじゃないかと、心配で来てみたんです。ほんとうに気ままな娘ですみませんね。
私:いえいえ、かまわないんですよ。
彼女の感覚では、男女共同参画というのは、女のわがままに見えるのだ。私は、ちっともそうは感じないんだけれどね。
初恋の来た道
2002年05月29日(水)
張芸謀(チャン・イーモウ)監督の『初恋の来た道』という映画のDVDを先日東京で入手して、昨日見てしまったので、今日、オフィスへ持っていって、張監督ファンのスタッフに貸した。
別のスタッフが、「あの女の子(主役)はおかしい」と言う。田舎の村に赴任してきた若い男性教師に村娘が惚れこむ話なんだけれど、彼女がとても積極的なのだ。その積極性が、常軌を逸しているというわけだろう。これに対して、張監督ファンのスタッフは、「私の心の中に入り込まないで」と言う。私は、「おかしいとは思わないけれど、ホルモン・バランスの異常かもしれないね」と言って、張監督ファンに恐い眼でにらまれた。
画像の限りなく美しい映画だ。主役も美人だ。しかしね、「おとぎ話」も、ちょっと度が過ぎているように思う。せいぜい☆3つだな。
鳥獣戯画
2002年05月30日(木)
頼藤和寛くんの追悼集会(05/16)に行ったとき、奥様が彼の講演を聞いたことがないという話があって、そこから彼の講演テープがあればダビングしようということになった。帰宅してパートナーさんに尋ねると、昭和60年と思われる講演のテープを持っているという。今日、それをCDに焼いた。奥様にさしあげる他に、研究室にも寄贈しようと思っている。
CDのラベルをなににしようかと考えて、鳥獣戯画にすることにした。インターネットを探していると、ちょうどいい絵がみつかった。おや、これって見たことがあるな。むかし、父の漫画を掲載したことがあるが(2001/03/13)、その中に、とても似たのがある。模写をしたのだろうか、それとも父の記憶の中に残っていたのだろうか。
Q
中学1年の男の子ですが、部屋の片づけがまったくできません。私自身片づけが得意ではないのであまりきつくは言いませんが、どんな言葉がけをしていけばいいでしょう?だんだんエスカレートしていくようで困っています。
A
お片づけのコツはねえ、極めて簡単なんです。捨てることです。ただ一点なんです。まずあなたが実験してみてほしいんです。わたくしは一応片づけができる人だと思っているんですが、それはね、「超整理法」だからなんですよ。超整理法というのは、うちは本が最大の敵なんですけど、ほっとくと家中本だらけになるので、本棚の量以上の本をうちへ入れない。今日、伊丹空港で本一冊買ったんです。ということは、今日うちへ帰ったら、「この本を捨てるか、うちにある本を1冊捨てるか」を決めたということね。どうやってうちにある本を1冊決めるかというと、一番最近読んだ本は左端にあるんです。一番右端の本が捨てられる可能性大なんです。途中真ん中の本を読んだら左端へ行くんです。だんだん読まない本が右へ行く。」一番右にいる君やばいよ」ってこう思うんです。こうやって情け容赦なく捨てます。どれかを。うちは男所帯なので洋服ダンスはその目に遭ってないが、女性のおうちは是非洋服ダンスを超整理法なさるといいと思います。むごいよ、これ。着たやつは左端で、一番右へ行くと「君ヤバいよ」なんです。そうやっていっぺん実験してほしいの。やってみて。そうすると子どもさんとお話できるじゃない。「片づけのコツは、ほら、捨てることなんだ。捨てた結果、ほら、こんなにきれいになったでしょ」って。だからやっぱりやってみせないと。方法がわからないと、信念だけでは「片づけなければ」というココロだけでは動かないと思う。技術がないとね。(野田俊作)
シカゴ
2002年05月21日(火)
火曜日の朝11時の飛行機で成田空港を発って、火曜日の朝8時半にシカゴに着いた。タイムトラベルみたいだけれど、日付変更線を越えるのでこうなるのだ。11時間半も乗っている。シカゴへ行くと言うと、何人かの人が「ビジネスクラスでしょ」と言ったが、なんのなんの、貧乏人はエコノミークラスだ。宇宙飛行士みたいに、小さな椅子に縛りつけられて半日、なるべく寝ることにして、つらさを忘れるようにした。
空港に着いてから、市内へのアクセスがわからない。留学してきたときは、西も東もわからないので、タクシーで市内まで出た。しかし、それでは高くつく。空港は市内からひどく遠いのだ。案内を見て回るが、とても不親切だ。結局、空港内のモノレールに乗って、別のビルへ行き、そこからバスなり電車なりに乗るのだとわかった。市内行きのバスは主なホテルに止まってくれるのだが、私が泊まるのは、どう考えても「主な」ホテルではない。黒人街にほど近い安宿だ。そこで、危険だという噂のある地下鉄に乗ることにした。これだと、1ドル50セントでダウンタウンまで行ける。ところが、切符の買い方がわからない。黒人の駅員さんに教えてもらってやっと買えたが、次は改札の通り方がわからない。これも駅員さんに助けてもらった。お登りさん丸出しだ。20年前、私がいたときとは、すっかりシステムが変わっている。むかしはトークンというコインで乗ったのだが、今はカードだ。そのカードの使い方が日本と違っている。ともあれ、45分で市内に着く。駅からホテルまで、大きなスーツケースを転がしながら歩いた。
11時半頃ホテルに着いたが、部屋に入れてくれた。予想どおりの安宿だ。ま、いいさ、明日からは超高級ホテルだ。荷物を置いて市街へ出かける。ダウンタウンをブラブラしてみたが、留学時代にもここへはあまり来なかったので、地理がわからない。1時ごろ、ダウンタウン探検はあきらめて、むかし住んでいたあたりへ向かうバスに乗った。北2800番地のあたりだ。シカゴは完全な碁盤目都市で、巨大な京都のような構造だ。市の中心部に東西ゼロ番地の道と南北ゼロ番地の道が交わっていて、そこから北何番地とか東何番地とか数える。だから、北2800番地・西500番地などというと、どのあたりか誰でもわかる。そこいらで昼食を食べたり、買い物をしたり(ツォンカパの『ラムリム・チェンモ』の英訳を手に入れて機嫌がいい)、リンカーン動物園へ遊びに行ったりした。その動物園には、むかし、箕面(みのお)の猿がたくさんいたのだが、いなくなっていた。どうしたのだろう。
明日は、北米アドラー心理学会の役員会を見学しようと思っていたが、つまらないのだそうで、やめにして遊びに行く。友人がひとり来るので、朝待ち合わせをして、夕方までブラブラするつもりだ。明日からは総会会場の高級ホテルに引越しする。肩の凝ることだ。
シカゴ(2)
2002年05月22日(水)
朝から、日本アドラー心理学会の役員会のチャットに参加した。シカゴ市内のアクセスポイントに電話をかければいいのだから、1時間もチャットに参加しても、たいした額にならない。便利な時代になったものだ。
10時に、オーストラリア人の友人ダイアン・リマーと、ダウンタウンで待ち合わせて、午後まで遊んでいた。なにはともあれミシガン通りだねと、銀座風の繁華街へ連れて行った。ブランド物の店ばかり並んでいて私にはもうひとつピンと来ない界隈ないのだが、シカゴの人が誇りにしている場所だから、ひとまずは行っておかなくてはね。その一角に、「ウォーター・タワー」という古い塔があって、なんだか由緒のあるものだそうな(いい加減な紹介でごめんね)。そのまた近くに、ジョン・ハンコック・ビルというものがあって角が2本生えたのっぽビルだ。最上階に展望台があるので、登った。シカゴにはじめてくる人は、ここへ連れて行くと、市内が一望できて、地理の説明に便利だ。東京タワーや通天閣みたいなものだな。
シカゴ(3)
2002年05月23日(木)
ようやく北米アドラー心理学会の総会がはじまった。今日は一日、オスカー・クリステンセンとウィリアム・ニコルという教育心理学者の(オスカーは旧知だが、ビル(ウィリアム)は初対面だ)『アドラー心理学ブリーフ・カウンセリング:学校関連の問題への応用』というセッションに出た。全体として11のセッションが並行しておこなわれていて、そのうち5つが丸一日、3つが朝だけ、3つが午後だけだ。これに出ると、他のすべてをあきらめないといけない。
ワークショップ形式で、講義と実習の繰り返しだ。基礎的な理論や方法を講義して、次にそれがカウンセリングの中でどう使われるかを、聴衆の誰かに出てもらってオープン・カウンセリングをしたり、あるいは参加者が組になってウンセリングの演習をしたりすることで学ぶ。オープン・カウンセリングが2件、演習が1回しかできなかったが、なかなか有益だった。
演習のほうは、3人の男の子を持つ両親に対して、2人のカウンセラーが相談にのるという設定なのだが、私は「英語が不自由だから見学に回る」と言ったら、「そんなことを言わないで、子どもの役をなさいな」と、12歳の男の子の役をした。下に10歳と4歳の弟がいて、もともと消極的な性格だったのが、最近学校へ行かなくなった、という子どもの役だ。ほとんど喋らなくてよかったので楽チンだったが、ルイス・イングバーとかいうラテン系の女性のカウンセラーがとてもうまくて、感心してしまった。テクニックはまあ平均なんだけれど、雰囲気というか人間性というか、とてもカウンセラーに向いている人だ。クリステンセンの生徒なんだそうで、師匠によると「特にエクセレントな生徒だ」ということだ。そうだろうね。
7時間もの英語の講義を聞くのは、とても消耗する仕事だ。アメリカ人のいうところの「エグゾースティング」な感じだ。脳のATP(活性物質)がすっかり枯れてしまう。最後のほうは、どうでもよくなって、あまり聞いていなかった。6時間が限界だな。ニコルのほうがものすごい早口で、しかもコロキアルな言い回しをよくするので、とても疲れた。
昼食に、隣のホテルまで出かけてイタリア料理を食べたのだが、これがすごい量だったので、夕食はパスした。アメリカの食事の量はすごい。だから肥満が問題になるんだよ。日本には絶対にいないような肥満体が、ごく普通にいる。
午後7時から、私の先生のひとりであるハロルド・モザクの講演があるので出かけたが、脳がすっかりしびれていて、あまりしっかり聞き取れていないかもしれない。学問的な内容ではなくて、学会運営に関する内容だったのだが、どこの国の学会も同じようなことに悩んでいることがわかって、安心してしまった。その後、レセプションがあったが、英会話がかなりかなわなくなっているので、ちょっとだけ出て、9時には部屋に帰って、これを書いている。
シカゴ(4)
2002年05月24日(金)
北米アドラー心理学会は2日目だが、ものすごいスケジュールだ。
07:30-08:00 初参加者の朝食会
08:10-10:00 全体講演:グラッサーとモザクの対話
10:10-11:10 7つの部屋に分かれて発表
11:20-12:00 昼食会
12:00-13:20 グラッサーの講演
13:30-15:00 7つの部屋に分かれて発表
15:10-16:40 7つの部屋に分かれて発表
16:50-18:00 分科会
19:00-22:00 バンケットとオークション
このように、10分刻みでびっしり詰まっている。事務局の苦労は大変だと思う。参加者は、ただ会場から会場へ走り回ればいいだけのことなのだが、事務局がここまでアレンジするのも、想像するだけでゾッとするほど面倒だったろうと思うし、当日のお世話も大変だろう。終わったら、ドッと疲れが出て、寝込むんじゃないかな。
学術講演はともかくとして、遊びのほうの話を。私のユダヤ・ママ、さすがに私のママで、「分科会など出ても仕方がないから、5時からバーよ」と、きっぱりと命令口調で言う。そこでバーに行くと、師匠のバーナード・シャルマンやその友人のレオ・ゴールドも来ていて(反主流派なので、分科会など出なくてもいいのだろう)、飲みながら「スピリチュアリティ」の話になった。意見はまったく一致しない。ドロシー・ママは最近トランスパーソナル心理学にカブれていて、ひたすらそちらの方向から話をする。シャルマンは「存在という言葉の意味は」だのといったドイツ哲学的切り口で迫ってくる。ゴールドは「神秘主義に走っても仕方がない」と、明日『子ども時代の思い出とサイコドラマを通じてスピリチュアリティに迫る』だとかいう演題を発表するくせに、無責任なことを言う。6時過ぎまで、あれこれそういった話をしていた。
7時からのバンケットとオークションは、とてもおもしろかった。料理のほうは、なにしろ典型的なアメリカ料理なので評価に値しないが、西洋人の宴会というのもいいものだ。ママの命令で、シャルマンなどと一緒に座ることになった。困ったことに、宗教学者のエリック・マンサガーが来ていて、さっそくドロシー・ママと大激論になった。エリックはカトリック的にものを考えるので、トラパかぶれのドロシーとは、意見がことごとく対立する。こういう食卓の話題の好きな人ばかり集まっていたわけではなく、エリックの奥さんなどは、すっかりしらけていたように思う。そういう話をしている間に、古本だのその他、さまざまのものをオークションする。口調がとても面白くて、大笑いしてしまった。
隣のテーブルにジェーン・ネルセンとその一党がいる。西海岸のおばさま方は、とても仲良しで、いつもツルんで一緒にいる。ものすごい迫力だ。その周りに無数の若い人たちがいる。日本の学会もそうだが、アメリカの学会も女性パワーがものすごい。その中のひとつで、たぶんもっとも強力なのが、ネルセン一派だ。30代から60代までのおばさんの喋り声でいっぱいの懇親会だった。国際学会は老人会みたいなのだが、北米アドラー心理学会は若い人が多いので、これからのアドラー心理学の発展が期待できる。方向は、私の師匠たちのものとは違ってくるかもしれないが、それはそれでいいだろう。アドラー心理学も進化するんだ。
シカゴ(5)
2002年05月25日(土)
最終日だ。朝8時半から午後5時までギッシリと詰まったスケジュールをこなして、5時から何人かの人とバーへ行って、やがてその人たちとバイバイして、6時からユダヤ・ママのドロシーと2人で食事に行った。2人きりになったのは、このときがはじめてだ。予想どおり、パートナーさんとどんな風かとか、彼女の子どもたちとどんな風にやっているかとか、自分の子どもたちとはどうかとか、別れた妻とはどうかとか、そういうたぐいのことをたくさん聞いてくる。一方、彼女の子どもたちのことや、孫のことや、お嫁さんたちのことや、亡くなったパートナーさんのことや、そういうこともたくさん話してくれる。
問題は3つほどある。まず、英語だ。私はそういう話をするために使う英語をよく知らない。私の英語は学術論文に特化していて、「以下のごとく仮定されるべきであるが」とか「以下のように考えることをもしあなたが許すならば、私はあえて主張するが」というような言い方だって、会話の中でしかねない。20年前に、学校で習った英語プラス学術論文英語の知識だけでシカゴへ来て、つまり、いわゆる英会話を習ったことがないままで来て、アドラー研究所の英語の入学試験(当時は口頭試問だけだった)にパスしてしまった。その後、日常生活の中で上手になるかなと思っていたら、師匠のシャルマンが、私と同じような文語体で喋るんだ。それで私も文語体で喋って、ちっとも不自由じゃなかった。患者さんや看護師さんたちも、シャルマンに慣れていたので、私が文語体で喋ることにはちっともびっくりしなかった。患者さんや看護師さんが言うことは、当時はとてもよくわかった。毎日聞いておればわかるようになるさ。今だって、口よりは耳のほうがよくて、相手の言うことはほとんどわかる。ただ、自分のことをうまく言えない。英語は出てくるかもしれないが、ほんとうに言いたいことと違うんだ。たとえば、「娘には結婚してほしいと思うし、いい男性が見つかればいいなと思うけれど、一方では、男性に縛られてしまうと、彼女のほんとうにしたいことができなくなるかもしれないと思うんだよ。日本人の男性は、まだまだ女性を縛る人が多いんでね。だから、彼女にまかせるしかないと思うんだ」というのを、英語で言えないのだ。こういうことは論文に書かないのでね。「仏教徒は否定的な言語で表現することに慣れているので、『本当の自己を実現する』とか『究極の存在を体験する』とかいったことに懐疑的なのだ」というようなことなら、すぐに英語で言えるのだが。
第2の問題は、文化差だ。家族生活のこととか、お金の稼ぎ方とか、学校制度のこととかは、日本とアメリカではずいぶん違っている。「日本には健康保険があるんでしょ。あなたのカウンセリングは何パーセント保険が支払ってくれるの?」「全額患者負担だよ」「どうして?」と、ここまではいいんだ。「保険はある種の病気にしか支払われない。たとえば、子どもが学校へ行かないで困っている親には支払われない。もしその親たちを自費でカウンセリングすると、分裂病(統合失調症)の患者に対する保険の支払いが難しくなる。ある人には自費である人には保険という経営の仕方を、国は認めないんだ」というような話になると、英語の問題もあるし、制度の細部を私が理解していないことあるし、話そのものがわれわれの間の本質的な問題ではないこともあるし、とてもやっかいに感じるのだ。
第3の問題は、私が嘘をつかない決心をしていることだ(黙秘はするけれどね)。彼女は、とんでもないことを聞いてくる。アメリカ人の、あるいはユダヤ系アメリカ人のセンスでは、そうオフェンシブじゃないのかもしれないが、私は当惑してしまうのだ。性生活のこととか、そういうたぐいのことね。いい加減な嘘をついてごまかすのはいやだし、かといって本当のことをあからさまに言うのもはばかられるし、単語もよく知らないし、どういう言い方をするといいのかわからないし、とにかく困ってしまうのだ。
まあ、そんな風で2時間ほど話をして、「おお、マイ・ディア。あなたのことが大好きよ。明日もあなたとお話ができればどんなにいいか。いくらでもお話しすることはあるわ。一日中だって、一月だって、一年だって、お話し続けることができると思うわ。帰ってしまうのね。どんなにさびしいかわかる。また来るのよ。ぜったいに来るのよ」と、駐車場でたくさんたくさん言われて、たくさんたくさんハグして、たくさんたくさんキスして、ようやく解放された。彼女のことは好きだが、ママには疲れる。