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酒の好み    野田俊作

酒の好み
2001年12月08日(土)

 パートナーさんは焼酎が好きで、しかもかなり銘柄の好みがある。基本的には、芋焼酎・黒糖焼酎・泡盛、それに中国の高粱酒が好きで、麦焼酎や米焼酎は嫌いなのだが、好きな種類の中でも好きなのと嫌いなのとがある。なかなか難しいのだ。私のような本格的な酒飲みは、アルコールさえ入っていればなんでもおいしくいただくのだが、そうではないみたい。
 泡盛に関しては、沖縄本島や宮古島の酒よりも八重山の酒が好きなようだ。中でも『白百合』という銘柄がお好みなのだが、これは普通のナイチャーはちょっと飲めないほど臭い。そこがいいのだそうだ。一般に、宮古の酒は香りが薄く、八重山の酒は濃い。本島の酒は、最近はどんどん淡白になってきていて、彼女は不満みたいだ。
 石垣でおみやげに『白百合』の一升瓶を探したのがみつからなかったので、しかたなく『八重泉』と『請福』の一升瓶を一本ずつ宅急便で彼女宛に送った。ところが、帰りがけに、石垣の友人が『白百合』の古酒をくださった。八重山の泡盛に囲まれて暮らしているわけだ。彼女は水を入れないで、ロックで飲む。ほんとうに好きなんだ。
 私は、焼酎もいいが、ウィスキーがいちばん好きだと思う。日本酒は、しばらくやめているとすっぱくて飲めないのだが、飲み始めるとすぐに慣れておいしくなる。お正月は、どうせ日本酒ばかり飲んでいるので、口がそれに慣れて、ウィスキーや焼酎が飲めなくなると思う。暖かくなるころに、友だちがイギリスからうんとスモーキーなモルトをもって帰ってくれることになっていて、それを飲みはじめると日本酒をやめて、ウィスキーや焼酎に戻るんだ。いい暮らしだ。



再会
2001年12月09日(日)

 午前10時から午後3時まで大阪のオフィスで講演していた。3時に終わって事務室へ入ると、昔の秘書が来ていた。むかしは「小太り」だったのだが、今はすっかり「大太り」になっていて、一瞬誰だかわからなかった。熱くハグしあって、旧交を温めた。
 彼女は、大阪のオフィスが創業してしばらくしたころから働いてくれていたが、10年近く前に退職して、インドに渡った。そこで瞑想修行しつつアーユルヴェーダ・マッサージを習得した。そのまま日本を通り越してアメリカへ渡り、なにをどうしたのかグリーンカードを手に入れて、今はアメリカに永住するつもりで暮らしている。カリフォルニア州のマッサージ師の試験に合格して、むこうで開業しているそうだ。
 今回帰国したのは、父上が病気なので、今生の別れになるかもしれないから会いにきたのだという。解離性大動脈瘤だそうだ。今は元気だが、いつ破裂するかもしれないので、元気なうちに会っておきたいと帰ってきた。ちょっといきさつがあって、彼女は勘当されていたのだが、姉が「帰ってこないともう会えないかも」と脅したので、いくらなんでもまったく会わないわけにもいかないだろうと帰省したのだそうだ。「『昔のことはすべて若気の過ちでした』と謝ったら許してくれたわ、ははは」とケロッとした顔で言う。そりゃそうだよ、末娘が十何年ぶりに帰ってくれば、どんな父親だって許すわね。
 こういう人が増えているんだ。彼女は「二度と家に帰ってくるな」と言われただけだったが、彼女の友だちは、「二度と日本の土を踏むな」と父親に言われて、「お前は日本の大統領か!」と怒っていたんだそうだ。そうして海外でちゃんと暮らしていく。たくましい人たちだ。彼女らの応援もするが、しかし父親のさびしさもよくわかる年になったな。生活が落ちついたら、ときどきは帰って、「若気の過ちでした」って言ってやんなよ。



ウィルス被害(2)
2001年12月10日(月)

 ハードディスクを再フォーマットしてシステムを入れなおし、これで大丈夫と思っていたら、また動作がおかしい。もう一度徹底的にフォーマットしてから、これまで使っていたウィンドウズのおまけについてきたMcAfee VirusScanをやめて、Norton AntiVirusでチェックしてみた。そうすると、出るわ出るわ、500ものウィルス・ファイルがみつかった。システムのあるCドライブは、さすがにフォーマット直後で正常だったが、データを入れてあるDドライブと増設したEドライブがウィルスでいっぱいだ。こちらの方は再フォーマットしていない。Nimdaがほとんどだが、少数のBadtransもあった。やはり、ソフトはお金を出して買わなくては。
 わが家のパソコンは私とパートナーさんの共用なのだが、どちらもアウトルック・エクスプレスを使っていないので、人に送ったメールにはくっついていっていないはずだが、もし万が一くっついていっていたらごめんね。自分たち同士で実験したときにはついていなかったし、自動的にメールが発送された形跡もない。
 勉強が足りなかったことを恥じるのだが、ウィルスを添付されたメールをアウトルック・エクスプレス以外のメールソフトで受け取り、ただちにゴミ箱に捨てていた場合にも、感染はするんだ。ただ、コンピュータはすぐにダウンしないで、なんとなく不具合になるだけだ。なんとなく不具合というのは、こんな風だった。
終了しようとすると、画面は暗くなるが、本体の電源が切れない。あるいは、終了しようとするとフリーズする。インターネット・エクスプローラがときどきフリーズする。システムは、富士通のデスクトップで、ウィンドウズMeを乗せている。メールソフトは「鶴亀メール」という変わったものだ。周辺機器をいっぱいぶらさげているので、リカバリがとても面倒くさい。まだ完全にすんでいないが、数日かけて完全修復しよう。



ウィルス被害(3)
2001年12月11日(火)

 大阪のオフィスにはマシンが5台あるので、とにかく厳密にウィルスチェックした。さいわい感染していなかった。自宅には、感染していたデスクトップの他に、ノートブックが2台ある。うち1台は感染していた。これはインターネットからではなくて、デスクトップから無線LAN経由で感染ファイルが入り込んだようだ。とにかく、すべてのマシンをガチガチに防御しておくことにした。迷惑なことだ。
 昨日症状を書いたが、ワード関係の症状を書き忘れていた。DOCファイルをクリックすると開くが、ワードのショートカットからだと開かない。印刷しようとすると「メモリが足りません」というメッセージが出て動作しない。これはワードではないが、チェックディスクすると、「他のプログラムが動作中」といって、しばしば途中で止まってしまう。友人が、このホームページの12月9日のファイルがおかしいかもしれないとメールをくれた。チェックしてみたが、おかしなところはないように思う。とにかくウィルスチェック済のファイルに入れ替えておいた。みんな神経質になっているんだ。最近のファイルをチェックしている間に、今月の目次に一箇所バグを見つけた。怪我の功名と言うのかな。
 それと、ネットスケープ・ナビゲータ(以下NN)だと、目次ファイルが12月から11月に変わるときに、題名が左へ動くのが不思議で、両月の目次のソースファイルを並べて見つめたが、何も問題はない。おかしいなと思っていたら、右端にスクロールバーが出たり入ったりするのが犯人だとわかった。インターネット・エクスプローラ(以下IE)は、はじめからスクロールバーが出たままなので、目次の長さによって画面が左右に動かないのだ。
 NNはバージョン4*だと、このホームページはうまく動作しない。バージョン6*でも、IEほどきれいに動作しない気がする。今までNNでチェックしていなかったので、NN使用者にはご迷惑をおかけしたことになる。暇なときに工夫してみます。

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ボディは発育、マインドは進歩、ハートは発達

Q
 小学校5年の長男ですが、今までは家庭内で平気で下(しも)ネタギャグを言ったり、ふざけて裸踊りをしたりして羞恥心もなかった(カワイイね)息子です。ところが最近、朝起きてきたらボサボサの髪型を気にして、「ハネてる髪直して」と言ってきたり、」学校へ着ていく服を選ぶようになりました。長男の下には小3と小1の娘がいます。お風呂上がりに長男は裸のままでリビングに戻ってくるのに、下の娘2人が裸でリビングに戻ってくると、「お前の裸はキモい。早く着替えろ」と、ほんとか嘘かわかりませんが、嘔吐する顔をします。娘たちに、「女の子やし、パンツだけでも履こうね」と伝えてきましたが、どうして急にそんなことを言われるのは理解できないみたいです。私も長男の変化に戸惑っています。どう対応したらいいのかわかりません。ちなみに、お風呂は3人仲良く入浴しています。

A
 これ、単なる普通の発育なんですが(大爆笑)。ボディが発育したんです。で、マインドは進歩するんです。それで、ハートは発達するんです。growthとprogressとdevelopmentです。これはボディのgrowth、発育ですから、そのころになるとみんなそうなるんです。無事に育っていてよかったですね。もうちょっとするとまたいろいろ違うことが起こりますから。子どもの発育というのは楽しいものです、はい。楽しんでください、びっくりしないで。忘れたのか?自分もそうだったのを。(野田俊作)

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お国けなし    野田俊作

お国けなし
2001年12月05日(水)

 今日で沖縄は終りだ。飛行機に乗る前に、空港の近くの全日空ホテルの喫茶店で、石垣の友人たちとお茶を飲んだ。誰かの知り合いが八重山諸島の黒島に家を建てて、太陽熱発電にして、昼間は電力会社に電気を売り、夜は買う、という暮らしをしている話をしていたが、「石垣は風力発電はしないの?宮古は風力発電の実験をしているみたいだけれど」と私が言ったのをきっかけに、石垣と宮古の比較の話になった。石垣島と竹富島との間に橋をかける計画があるが一向に進まないのに、宮古では立派な橋がかかっているとか、石垣空港は移転できないで困っているのに、宮古は立派な新空港ができたとか、石垣の婦人会は70歳代のおばあが幹部をしていてきわめて保守的なのに、宮古の婦人会は50歳で停年なのできわめて進歩的だとか、なにごとにつけ石垣では足の引っ張り合いをするが、宮古ではすべてにわたってガッチリ協力するとか、そんな話が続いた。
 自分の住んでいる地方と、他のある地方とを比較して、あちらが優れているとかこちらが優れているとかいうパターンの話は、額面どおりには受け取れない。お国自慢になるかお国けなしになるか、どちらかが徹底的に優れていて、どちらかが徹底的に劣っていることにしたほうが、話が面白いので、いずれかの方向に突っ走ってしまうのだ。とくに、自分が住んでいる地方をけなしているときには、他地方の人間は、それに悪乗りしてはいけない。私が、「そうだよ、石垣ってほんとに駄目だ」なんて言おうものなら、彼らは一斉に愛郷心にめざめて、「そうは言うけれど、こういういいところもあるのよ」と言うに決まっている。そう思うので、なんとなく曖昧な返事をして聞いていた。
 飛行機に乗ったら、大阪直行便だったので、大阪のおっさんとおばさんばかりだった。団体観光で、なんだかきわめて程度の低い会話をしている。大阪人って、ほんとうにイヤだね。などと考えた時、なんだ、私もお国そしりをしていて、それで誰か他地方の人が、「そうだね、大阪人って、ほんとうに下品だ」なんて言ったら、「ちょっと待ってくれ。そういう面だけじゃないんだぜ」って、きっと反論したくなるんだ、と気がついた。



気分と情動
2001年12月06日(木)

 昨日夕方、沖縄から帰ってくると、なんだかパートナーさんの機嫌が悪い。何を言っても突っかかってこられるような感じがした。「いったい、どうしたんだろう。何か悪いことをしたかなあ。沖縄に一人で行っていたから怒っているんだろうか。でも、仕事のついでに1日か2日か遊んでくるのはよくあることだしな。毎日電話かメールしたし、おみやげも買ってきたし。はて、なぜこんなに機嫌が悪いのだろう。怒られることをした覚えはないなあ」と、すこし不安になった。
 今朝も彼女は、なんとなく不機嫌で、そのまま仕事に出て行った。夕方会うと、やはり機嫌が悪い。話をして結局わかったのは、私に怒っているわけではなくて、疲れて肩がこって気分が悪いということだった。火曜日(4日)が締め切りの原稿を書いていて、それで肩がこったらしい。原因が私でなくてよかった。
 精神医学では気分(mood)と情動(emotion)を区別する。気分は、状況とは関係のない脳の生理的な感情変化であり、情動は、状況に反応して起こる感情変化だ。もし彼女が私の行為に対して怒っているなら怒りの情動であるし、私や他の人の行為に対して怒っているのではなくただ生理変化で怒っているのなら怒りの気分だ。今の場合は、情動ではなくて気分であることが、丸一日してよくやく明らかになった。ふだんは情緒的に安定している女性で、今回のようなことはめずらしいので、診断に手間どってしまった。ふうん、この人でもこんなことがあるんだ。
 心理療法の教科書には、治療者が気分が悪いときには、「今日、私は機嫌が悪いかもしれませんが、あなたに対して怒っているのではありません。ただ疲れているだけですから、気になさらないでください」と言うように書いてある。彼女にもこのことを教えておくべきかな。しかし、私から習うのはいやがるだろうな。まあ、聞けばわかることだからいいか。しかし、今回はこちらに後ろめたいことがなかったから気軽に聞けたが、怒られる覚えのあるときはどうしよう。怒られるようなことをしないのが一番だね。



ウィルス被害
2001年12月07日(金)

 先日からさかんにウィルス付きメールが送られてくる。アドラー心理学の仲間内で感染した人が何人もいるらしい。なんでも、アウトルック・エクスプレスで受信すると、添付ファイルを開かなくても受信しただけで感染するんだそうだ。私はさいわい、「鶴亀メール」という、とてつもなくマイナーなメールソフトを使っているので、添付ファイルさえ開かなければ大丈夫だろうと思っていた。
 ところが、私の留守中にパートナーさんから電話連絡があり、自宅のデスクトップパソコンが「ウィルスに感染している恐れがあります」と警告を出したという。そのままそっとしておくように頼み、帰宅して動かしてみると、一応は正常に作動するし、ウィルスチェックをしても大丈夫そうだ。しかし、なにはともあれ再フォーマットすることにした。昨日は休日だったので、一日かかって作業し、夕方にようやく復旧した。周辺機器がやたら多いので、何度も何度も再起動して、疲れ果ててしまった。
 今日は職場で使っているノート型パソコンのウィルスチェック・ソフトを更新したら、いきなり動かなくなってしまった。スイッチを入れると、一応立ち上がろうとするのだが、途中でフリーズしてしまって、そこから先へ行かない。それで、これも半日がかりで再フォーマットした。こちらは周辺機器がLANカードだけなので、そう手間はかからなかった。
 両方とも、おそらく感染したんだろう。しかし、アウトルック・エクスプレスじゃなかったので、不完全にしか感染しなかったのかしら。他の人に出しているメールも確認したが、大丈夫だった。いやな感じ。
 アウトルック・エクスプレスだけじゃなくて、インターネット・エクスプローラにも悪い噂がつきまとっているので、ネットスケープ・ナビゲータに変えた。ウィンドウズ・メディアプレーヤでラジオを聞くのも念のためにやめておいて、ネスケ系のソフトに変えた。マイクロソフトよさようなら、だ。いっそ、ウィンドウズにもさよならできるといいんだが、今更マックもねえ。LINAXはどうなんだろうか。

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頭でわかっても心身が旧態依然

Q 
 アドラー心理学を学び始めてまだ日の浅い私。小学校の教員です。学校の中で子どもとつきあっていくのにアドラーの教えが頭ではわかっても心や体が旧態依然のことがよくあります。どうしたら進んでいけるでしょうか?

A
 あのねえ、…ご信仰が足りない。僕がアドラー心理学を学んできたときに、私は大人になって医学部出て、医学部ではフロイト心理学を辻悟先生という大変高名な先生からほぼ1年間教わりました。さっぱりわかりませんでした、頭悪くて、難しくすぎて。そのあと、高石昇先生からコミュニケーションの心理学とかをしっかり勉強しました。アドラーに出会ったときはだから、うんとこさ頭でっかちだったんですよ。いっぱい知ってたんですよ。それでアメリカへ行って、シャルマン先生からアドラーを学び始めて、最初ねえ、「これも知っている。これも知っている」って思ったんですよ。あるとき、2,3週間して気がついたんです。「これやると何も学ばないで帰ることになるぞ」って。「これも知っている。これは知らなかった。あ、これは知らなかった」をやらないと何も学ばないで帰るよって。だって今まで知っているものに無理やり当てはめているの。ほんとは微妙に違うのに、それを今まで知っている言葉に頭の中で翻訳しているんですよ。だから、「勇気づけ」っていうと、「ああ、エンカレッジメント=エンフォースメントだな、強化だな」って、「知ってるもん」ってこう思うわけ。「強化」と「勇気づけ」は実は全然違うんだけど、今までに知っている言葉に翻訳しちゃうんです。人間の頭ってそうなっていて、すでにできている「枠組み」でもって新しいものを理解したいんですよ。僕は「これは間違っている。これをやっている限り永久にアドラーはわからないと思った。だから全部捨てるしかしょうがないって。でもね、捨てられないんだよね。既に知っているものは捨てられないんです。じゃあどうしたかっていうと、丸暗記することにしました。アドラーが言った言葉を、ドライカースが言った言葉をすっかりそのまま丸暗記するんです。意味がわかったってわかんなくったっていいから。だから、「大切なことは何を持っているかではなくて、持っているものをどう使うかだ」ってアドラーが言ったら、言ったとおり覚えて暮らすんですよ。そうしたらそのうちその意味が文脈の中でわかるじゃないですか。そこですぐに解釈して理解してしまわないで、ただ覚えて暮らすんです。それはどういうことかというと、例えば、古いお茶がいっぱい入っているコップにあとからお茶を追加できないんで、古いお茶を捨てないといけない。捨てないと入らないんですよ。だから多分この方も、「頭ではわかったが…」というのが問題なんです。「頭でわかった」というのはわかってないんです、きっと。今まで知ってる知識にアドラー心理学を翻訳なさったんですよ。だから、「私はアドラー心理学は、ま・っ・た・く、わかってないと、まず思ってくださし。なんにもわかってないって思って。なんにもわかってないって思って、じゃあ何がわかっているか考えてよ。そしたら、わかっていることが1つぐらいあるんです。例えば、「感情が波立っているときは会話のチャンスでない」とドライカースが言いました。これだけわかっているんです。で、とにかく感情が波立っているときは会話のチャンスでない、これだけを守って暮らすんですよ。これで生活は変わります。「失敗したときこそ勇気づけのチャンスだ」とドライカースが言ったんです。これを知ってるんですよ。今度は「失敗したときこそ勇気づけのチャンス」と思って暮らします。そしたら変わります。こうやって学ぶんです。だからアドラー心理学を先に「一覧表」で学ばないでほしいの。1つ1つの言葉を自分の暮らしの中で種を播いて芽を出して花を咲かせたら、また次の種を撒いて芽を出して花を咲かせると、ほんの2,3年すれば、どっちもこっちもアドラーの花がはびこっているでありましょう。「はびこる」。はびこるのは実感!抜けられんな、これは。(野田俊作)

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銃後    野田俊作

銃後
2001年12月01日(土)

 昨夜から沖縄に来ている。来る飛行機にはアメリカの兵隊らしいのがたくさん乗っていた。アフガニスタンに行った海兵隊の補充だろうと思う。雰囲気はきわめて明るかったので、すぐに戦場へ行くわけではなさそうだ。アメリカの軍隊は民間機で移動するんだ。しかも、自国の飛行機じゃなくてもいいんだ。
 嘉手納基地をかかえる沖縄市内のホテルに泊まったが、アメリカ人の男性がたくさん泊まっている。見たところ兵隊ではないようだが、男性ばかりだから観光客ではもちろんないし、ビジネスマンにも学者にも見えない。いったいなんなんだろう。那覇ではなくてわざわざ嘉手納基地の近くで泊まるのだから、やはり戦争と関係があるのではないだろうか。こちらは、そんなに明るくなくて、深刻そうになにやら話しあっていた。
 嘉手納基地の入り口のチェックがきわめて厳しいらしくて、車が長い列を作って待っている。なんだか、数日前に警戒のレベルが上がったとかいうことだ。海兵隊をアフガニスタンに上陸させたからだろう。
 私のほうは、基地に行ったわけではなく、アドラー心理学についての講演をしにきたのだ。楽しく話をして、あとは仲間と島酒をしこたま飲んだ。



内親王誕生
2001年12月02日(日)

 雅子妃が入院されたことは知っていたが、その後のことが沖縄ではまったく話題にならない。朝、石垣に向かうため那覇空港へ行くと、「新宮様ご誕生おめでとうございます」とポスターが掲げてあったので、ああ、お生まれになったんだなとはわかったが、男児なのか女児なのかがわからない。空港のテレビは、たまたま今日開催されている那覇マラソンの中継をしていて、皇室関係のニュースは流れていない。そこで、しかたなく、『沖縄タイムス』を買った。一面トップに「雅子さま女子出産」という記事が載っている。そうか、内親王だったんだ。
 沖縄県民へのインタビュー記事があったが、もちろん祝福している人も多いのだが、中に次のようなものもあった。

☆県内の平和活動家の男性(51)
 まったく関心はない。一人の女性が子どもを産んだことはおめでたいと思うが、別に天皇家と私は関係ないし、もともと天皇制には反対している。マスコミの特番はやめてほしい。くだらないことだ。

☆県内平和団体で活動する女性(87)
 新しい生命を生み出す素晴らしさはみんな同じ。男子でも女子でも無事出産されたことはめでたい。だが皇太子妃だからといってこれで一日中大騒ぎになるのは奇異に感じる。心の中で見守っていればいいのでは。

☆買い物途中に新聞の号外で知った浦添市内の主婦(39)
 昨晩からテレビで報道されていたので知ってはいたが、皇室に特別な感情があるわけではない。子どもが生まれたのだからおめでたいではある(ママ)。昨日も一日中このニュース一色になるのかなと家族で話していた。

 本土の新聞で、こういう意見が3人も並べて書かれているということはないよね。やはり沖縄の人は感じ方が違うんだ。そう思って石垣に着いて、出迎えに来てくれた友人に、「雅子さまが女の子を産んだんだってね」と言ったら、関心なさそうに「そうだってね」と言ってくれただけで、すぐに別の話題になった。



しまちゃび
2001年12月03日(月)

 石垣島の友人たちによると、よく内地のOLさんが退職して流れてくるんだそうだ。なぜか28歳が多いのだと言っていたが、サンプルの偏りもありそうだから、年齢までは信憑性が高くないかもしれない。彼女たちは、機織などの「地場産業」で暮らせるだろうと思ってやってくるのだが、一日働いても5万円ほどにしかならない。それで、仕方なく夜の仕事もしたりする。そのうち疲れ果てて内地へ帰っていくのだそうだ。
 西表島などの離島へ行くと、子どもは中学を出ると石垣の高校へ行き、そのまま島へ帰ってこないで、石垣で住んだり、那覇や東京へ出て行ってしまうので、老人ばかりが残る。島に残っても仕事がないのだから、仕方がない。島にいる若い人は沖縄本島や県外から来た移住者だ。もっとも、先ほど書いたように、他所から来た人が誰でも移住に成功するわけではなくて、成功した人だけが残っているのだ。残る人は生活力があって、工夫してなんとか仕事を作り出している。島で生まれた子どもは、そこまでして島に残る気がない。
 島の人は言う。「ここは別に『楽園』ってわけじゃないから」。日本全体に景気が悪いが、沖縄はもっと悪い。さらに離島はもっともっと悪い。経済政策が根底的に間違っていて、農山漁村を切り捨て、離島を切り捨て、大都会でだけ暮らせるようにしている。それが、最近は、いわゆるグローバリゼーションで、世界レベルになってきて、アメリカでは暮らせるが、それ以外の国では暮らしにくくなってきている。そのうち、日本全体が「離島化」するかもしれない。「しまちゃび」というのは琉球語で「離島苦」のことだ。日本全体が「しまちゃび」に苦しむ日が来なければいいのだが。



しまちゃび(2)
2001年12月04日(火)

 石垣島で教師をしている友人と酒を飲んだ。泡盛の三合瓶があっという間に空になった。「景気が悪いね」と言うと、「そうなんですか?」と言う。あれれ、そういう実感がないんだ。石垣島でも市内じゃなくて僻地の小さな学校に赴任しているので、リストラなんて周囲にないし、ホームレスのおじさんもいないんだ。「でも、あなたの学校の子どもたちが卒業しても、結局島にいられなくて、都会へ出て行くんだろう。そのとき、就職がないかもよ」と言うと、「ふうん、そうなんだ」と、暢気なことを言っている。
 彼は、以前は本島の学校にいたが、そこはあまり住み心地がよくなかったようだ。数年前石垣に転勤してきて、それからはすっかり現地適応している。毎日5時に仕事がひけて、カヌーに乗って釣りに出て、楽しくおもしろく暮らしているようだ。「沖縄へ移住したいなら、教員採用試験を受けて教師になればいい」と彼は言う。あなた、そんなこと言うけれど、本島の学校にいたころは、学級崩壊してベソかいていたじゃないか。沖縄だって、あなたがいるような僻地をのぞいては、ちゃんとポストモダン的混乱状況の中にあって、不登校もあれば学級崩壊もあるだろ。そこに沖縄独特の問題、たとえば中学生の飲酒があって、そこにさらに離島苦、すなわち子どもの未来の暗さがあって、状況はちっとも明るくないんだぜ。
 ま、そうは言うものの、赴任地を気に入り仕事を気に入っている教師のほうがいいね。子どもたちは教師からたくさんのエネルギーを受け取って育つわけで、状況が暗ければ暗いほど、楽観的で明るい教師と暮らすのがいい。

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