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幼い子どもが答えを見つけられないとき

Q
 子どもが幼く経験などが少ない場合、問いかけをしても子どもがうまく答えを見つけられないときどうすればいいでしょう?親が教えるというのは大人が決めるということになるのではないですか?やはり最初は「教える」が先に立つのでしょうか?

A
 先ほど、「お父さんの意見を聞いてみる気はありますか?」と言いました。たいていの場合子どもは「ありません」と言います。それはとても結構だと思います。で、「どうします?」と言うと、「もう少し考える」と言います。「じゃあもうちょっと考えますけど、1人で考えるかこうやってお話ながら考えますか」と言うと、多くの場合「お話しながら考える」と言います。これ成功だと思います。アドラー心理学の目標はこれなんです。僕たちとお話しするほうが自分1人で考えるよりも、子どもが考えやすいような対話の仕方を学びたい。お父さんやお母さんと話していると、なんか頭がだんだん変になって考えられなくなるという対話の仕方をやめたい。われわれの仕事、心理療法家の仕事というのは、まさにそうなんです。グジャグジャしている頭をお話している中で整理していってもらいたいわけね。僕たちが具体的に「ああしなさい、こうしなさい」という助言は滅多にあげないんですよ。向こうが「どうしましょう?」と言ったら、「私の意見聞きたいですか?」って言って、「じゃあ言います」っていうことはあるけど、こっちから「それいけません。こうなさったら」って言わないです。そうじゃなくて、お話していく中で、いけないことには自分で気がついてくれるだろう。もちろん小さい子どもは答えを知りません。けれども、多くの子どもは、話をする中で気がついていくと思います、経験上。ちょっと手間はかかりますけど。時間がかかります。気がつかないときに、子どもが「自分じゃわかんない」と言ったときに、「じゃあ、お母さんの意見言っていい?」って言って、そのときに「こうしてみたら?」と言えるお母さんは立派だと思う。たいてい言えないんです。例えば、「なかなか成績が上がらなくてどうしよう」って話になって、僕ら、最終的に「こうしてみたら」というアイディはあまりないんですよ。「お勉強時間延ばしてみたら?」くらいのアイディアしかないんですよ。そんなのくだらないアイディアでしょう。もっと楽して稼ぎたい、できたら。「学校でしっかり聞いてくる」のほうが、ずっと賢いんですよ。でも、学校でしっかり聞いてくるというのを、僕たちが「学校でしっかり聞いてきなさい」と言うよりも、子どもが自分で、「ああ、学校でしっかり聞いてこよう」と言ってくれるほうがいいじゃないですか。きっと実行するから。僕はお医者さんで心療内科のお医者さんを週1回だけやってるんですが、内科の患者さんが結構来るんです。その患者さんたちに、例えば、よそのお医者さんで狭心症だと言われて、まあ内科の先生に言われて一応落ち着いたんだけど、なんか「内科の先生は全然話を聞いてくれなくて、『血圧計ってお薬飲んでなさい』と言ってくれるだけで凄い不安なんですよ」と言って来るわけ。心療内科だと内科も診てくれるしお話も聞いてくれるかなと思って」と言う。で、最初に「あなた、狭心症について何を知ってますか?」と聞きます。そしたら、大体知ってるんです。「もう少し私の知っていることがあるんですけど、それについて説明してもよろしいですか?」って聞くと、「説明してください」と言うんです。それをね、「あなたはどんなことは知っていますか?」とか、「もう少し説明してもよろしいですか?」をすっ飛ばして、「あ、狭心症ですか。狭心症はね…」と最初から説明し始めると、聞いてないんです、患者さんは。でも、「あなたはどんなことを知ってますか?」言って、「残りの部分は私の説明を聞いてみる気はありますか?」と聞いてみて、「聞いてみます」と言ったら聞いてるんです。子どもも一緒なんですよ。「なんか成績悪いんだー」と言ったら、「どんな工夫をしようと思ってますか?」と聞いてみて、「じゃあもうちょっとなんかない?」と聞いて、それから「ちょっと考えたんだけど、言ってもいい?」「うん、聞く」って言ってから、「例えば学校の授業時間はどうしている?」「ああ、授業時間はわりとボーッとしている」と子どもが気がついて、「やっぱりあのとき聞いといたほうがいいよね。家で勉強するよか先生の話をちゃんと聞いてノート取っているほうが楽だもん」と、子どもが言えば実行すると思う。それを僕たちが先に言っちゃうんですよ。だからたいてい知っていると思う、丁寧にやれば。(野田俊作)

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コモンセンス    野田俊作

コモンセンス
2002年06月16日(日)

 朝、広島から福岡に来て、講演をした。話の中で「大きな物語」が崩壊したこと、物語が「コモンセンス」を作るので、コモンセンスも崩壊したこと、アドラーはコモンセンスの養成を重視したことなどを話した。たとえば、「人に迷惑をかけてはいけない」ということをコモンセンスとして子どもに教えなければならない。
 ところが、これに対して、「何が迷惑で何が迷惑でないかは、話しあわないとわからないじゃないか」という質問があった。こういう質問が出ることが、まさに「大きな物語」が崩壊していることを示している。今から50年ほど前なら、何が他人に迷惑であるかは、話し合うまでもなく自明だったと思う。こういうことについて、大人が自明性を見失っていることが「非常識な」若者たちを作っているのだと思う。
 別の質問で、「『大きな物語』が崩壊したということは、多様な価値観を認めるということで、いいことではないか」というのがあった。私はそうは思わない。哲学者が「大きな物語」というのは、キリスト教とかジェントルマンシップとか儒教道徳とか、そういった、多かれ少なかれ超越的な、価値の根源のことだ。それらが死んでしまうと、資本主義(=拝金主義)という不道徳な物語だけが生き残っていることになる。それに対抗するものが何もないのだ。「多様な価値観」などというアイデアは、結局は大勢順応主義、ことなかれ主義、ミーイズムでしかないと思う。
 アドラー心理学は、ある意味で、きわめて保守的だ。コモンセンスという言葉が、イギリスのジェントルマンシップと関係してできてきたことを考えると、よくわかる。産業革命後勢力を持つようになった平民の有産階級が、それ以前に権力を握っていた貴族たちの道徳的堕落を批判しながら、ジェントルマンシップというものを作り上げた。それは、急速にヨーロッパ社会全体に広がって、たとえばトルストイの『アンナ・カレーニナ』に出てくる、アンナの夫のカレーニンは、いかにもジェントルマンだ。良くも悪くもね。
 ジェントルマンシップは、一方ではヴィクトリア朝風の形式主義とも結びついていたので、形式主義に流れ、偽善的だった。アドラーはその部分を「自己欺瞞」という概念でもって批判しつつ、コモンセンスのいい部分だけを取り出そうとしたのだと思う。しかし、なんだか、そういうのんびりしたアイデアでもって救済できる時代じゃなくなってしまった気もする。人類の未来は大丈夫なんだろうか。



粟国島
2002年06月17日(月)

 博多から那覇に来て、そこでパートナーさんと落ち合って、その夜は那覇に泊まって、今朝の飛行機で粟国島に来た。カウンターにある量りで体重を量られてしまった。それによって乗る場所を決めるのだそうだ。天候不良で、飛行機が飛ぶかどうかちょっと心配したが、なんとか飛んだ。10人乗りの双発プロペラ機で、パイロットのすぐ後ろの席に座った。パイロットの席の隣にも一人お客さんがいる。ベンチシートで、ちょうどタクシーのようだが、幅はうんと狭くて、2人座るといっぱいだ。ダイビング器材は先に宅急便で送っておいたが、持ってこなくてよかった。とても乗せるスペースはない。操縦席のメーターを覗くと、時速110ノットで飛んでいる。約200キロだ。のんびりしたものだ。20分間ほどで粟国空港に着く。着陸が、なかなか迫力があって怖い。
 ホテルから車で迎えに来てくれる。ホテルに着いて、ダイビングショップに電話をかけると、歩いてくるように言う。ホテルのおばさんは、「あの店は迎えに来てくれないんですよ。もう一軒の方は車で来てくれるんですがね。だから、うちに先に予約されたお客さんには、もう一軒の方を紹介しているんです」と言う。あらま。
 ショップに行って手続きをするが、風が強く、かなり波がある。1時間ほど待機したが、結局ボートは出せないことになって、今日はダイビングはできない。ショップの人が気の毒がって、午後から島内観光をするという。
 ホテルに帰ったら、昼食が作れないという。そのかわり、ホテルの車を貸してくれて、それで食堂へ行くことにした。食堂といっても、別の民宿だ。そこのおじさんが、「日帰りか?」と聞く。「いいえ、○○に泊まっています」と言うと、「あそこは昼食が出ないし、高いので、はじめて来た人は泊まるけれど、二度目からは泊まらない。うちへ泊まればよかったのに。三食つきで安いよ」と言う。ううむ。
 洞寺という鍾乳洞、マハナ展望台というところ、それに粟国塩の工場へ行った。おのおの、それなりに面白かった。ダイビングのガイドさんが運転してくれたのだが、彼の話のほうがもっと面白かった。

 話1:この島では、10年程前までは天水を溜めて使っていた。石をくりぬいた天水桶を置いておくのだが、それを犬や猫が舐めてはいけないので、島には犬は持ち込み禁止だった。ただ、食べるために移入することはあって、那覇から船で運んだが、その場合には3日以内に殺さないといけないことになっていた。今は海水淡水化装置で水を作っているので、犬も飼えるようになった。ダイビングショップに2匹犬がいるが、村人は、「いつ食べるのか?」と聞くのだそうだ。
 話2:この島は今でも、土葬でも火葬でもなくて、昔ながらの風葬なんだそうだ。お墓のそばを通るとき、この話になった。ついこの間亡くなった方がいらっしゃるんだそうで、臭いがするので、お墓には近づけないんだそうだ。3年すると洗骨して骨壷に納めるとか。

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子どもが自分のすべきことをしても「嬉しい」「ありがとう」?

Q
 子どもが自分の宿題をするのに、「嬉しい」と言うのは違和感が重く、子どもが自分ですべきことをした場合も、「ありがとう」「嬉しい」は必要でしょうか?

A
 宿題をすること自身は「嬉しい」とか「嬉しくない」とかじゃないけど、宿題をしている姿を見たら、どう感じますか?「あ、ちゃんとやってるわ」と思わない?「あ、自分で宿題しているんだ」と思いません?それなら「あ、自分で宿題してるんだ」と言ったらいいじゃない。別に僕たちは「台詞」を教えようとしてないんです。自分の中にある喜びを見つけ出して、その喜びを言葉にしてほしいだけなんですね。だから、「あ、自分で宿題してるんだ」とか、あるいは「このごろ自分でちゃんとできるようになったね」と言ったってかまわないんです。「偉いね」「頑張ろうね」って言わなきゃいいんです。僕たちの気持ちを見たいんです。僕たちの中にある喜びを探したいんです。その喜びをちゃんと伝えておきたいんですよ。どういう言葉を使うかは工夫してください。子どもが自分ですべきことをした場合、嬉しくないですか?僕、自分ですべきことをしてくれたらとても嬉しいですが。朝起こさなくても自分で起きてきてくれたら嬉しいですが。だから、「あ、自分で起きてきたんだ」と言うと思います。(野田俊作)

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ホテルですること    野田俊作

ホテルですること
2002年06月08日(土)

 金沢に来ている。アドラー心理学の講座をしたのだが、なんと2人も北海道から参加している人がいる。ありがたいことだ。
 現地の世話役さんが駅前のAPAホテルをとってくれた。ここは大浴場が売り物だ。ところが、風呂はあまり好きでない。毎日入るが、ほんとうにカラスの行水だし、今の季節になると湯舟に入らず、シャワーを浴びて終わりだ。大浴場へは行ってみたが、ちょっと入ってすぐに出てきた。暑くてたまらないのだ。値打ちのないことだ。
 ホテルにいるときは、ノート型パソコンでDVDを見ることが多い。今回は、ジョージ・パル監督の『タイム・マシン』と、ブリジット・バルドー主演の『殿方ご免遊ばせ』をもってきた。両方ともむかしの映画で、オジさん仲間から借りた。仲間内でDVDの貸し借りをしている。『タイム・マシン』は、近く新しいバージョンが封切られるようだが、むかしの映画もなかなかよい味わいだった。BBの方は、半分ほど見たところで眠くなってやめた。おバカなパリジェンヌは、次回見ることにしよう。



温泉帰り
2002年06月09日(日)

 私が乗った金沢から大阪への特急列車は、前半分が富山から、後半分が和倉温泉からやってきて、金沢駅で連結する。私の席は、温泉から来たほうだった。まわりは熟年の男女が多く、温泉旅行の余韻で、金沢から大阪まで、少しも休まず大きな声で話している。参ったね。この次から、温泉から来るほうの車両は避けて予約しよう。
 もうひとつ事件があった。乗ったとき、隣の席が男性で、連れの女性が違う席にいた。「かわっていただけませんか」と言うので、喜んでかわってあげた。しかし、この男女、どうも怪しい。男性は50代かなあ、女性は30代だと思う。どう見ても夫婦には見えない。しかもかなり親しい。ふむ、まあいいさ。



オークション
2002年06月10日(月)

 今年の日本アドラー心理学会の総会でオークションをしてはどうかと勝手に思い立って、出せそうなものを探している。事務所を探してみたら、国際学会でもらった記念品とか、欧米の有名な先生のサイン入りの本とか、アドラーの著書の大昔の翻訳本(これは高いぞ)が出てきた。アドラーの原著で彼の生前に発行されたものも数冊持っているが、これはちょっと売れない。
 自宅も探したら、なんと、シカゴに留学していた時代に英語で書いた随想のようなものや、留学を終えて帰るときの集会で発表した論文が出てきた。古道具屋で20ドルで手に入れたレミントンのタイプライターで書いたオリジナルだ。世界に一部しかない。売ってはいけないような気もする。しかし、コピーをとって、オリジナルを売ってしまうという手もあるな。これって、かなり高く売れるかもしれないし、逆に誰も買わないかもしれない。
 頼藤和寛くんと共著した論文の別刷りも出てきた。こういうものも値がつくかもしれない。あるいは、私の処女論文の別刷りもある。『クラスはよみがえる』という本の原稿も出てきたな。世の中には、こういうものをほしがる人もいるんじゃないか。
 なぜオークションをするかというと、学会は社団法人化のために資金が必要だからだ。2千万円くらいいるんじゃないかと思っている。その一部にでもなればと思うのだ。現金を寄付するだけの財力がないので、せめてオークションの商品でも寄付しようと思っている。探せば、まだまだめずらしいものが出てきそうな気がする。仲間にも呼びかけようと思っている。



吉田健一
2002年06月11日(火)

 映画は見ないだの小説は読まないだのと言っていたくせに、最近はよく映画を見ているし、そのうえ小説まで読みはじめた。きっかけは、金沢の駅前に古書店があって、そこで新潮日本文学アルバム『吉田健一』という写真入の伝記を手に入れたことだ。大阪への帰りにそれを読んでいて、無性に彼の小説が読みたくなった。
 昭和45年に『瓦礫の中』という長編を書いていて、これが評論で一家を成していた彼の小説としての処女作なのだが、新聞の書評を見て買って、一読して気に入った。大学の5回生のときだ。それ以来、彼の小説が出るたびに買ったので、初版本でそろえていた。離婚するときに元妻の家においてきたので、今は古本屋へ行ってしまったかもしれない。その後『吉田健一集成』(新潮社)というものが出て、今はそれで持っている。
 さしあたって『東京の昔』という、まだ読んでいない作品(かあるいは、読みはじめて挫折している作品であるかもしれない)から読みはじめた。主人公は、例によって職業不明の読書人で、脇役に、勘さんという自転車屋さんやら、古木君という帝大仏文科の学生やら、川本さんという富豪やら、男性ばかり、しかも呑平ばかりが出てきて、酒を呑んでは話し込む。この話がとほうもなくご馳走で、ただそれだけの小説だ。彼の作品はすべてそんな風だ。
 その中に、次のような一節があった。勘さんが自転車のブレーキを工夫して、新しい仕組みを発明した。それを主人公が川本さんに、製造して売る資金をなんとかしてくれないか相談する。その時点では勘さんと川本さんは面識がない。勘さんを川本さんに会いに行かせたところ、帰ってきた勘さんが次のようなことを言う。

 「その川本さんの考へなんだ、」と勘さんが言つた。「あのブレーキで少し大きく金儲けがしたければそれも実際に出来るだらうけれどね。あれは呑み込みが早い人だよ。それとも前から自転車のことは知ってゐたのかね。川本さんに設計図を見せて説明したら直ぐに解ってそれでまだ色々自転車つていふのは改良の余地があるんぢやないかつて、その研究を援助してくれてもいいし、もしブレーキだけ違つてゐてもそれで一つ自動車の工場を作ることを考へて見ないかつて。そこが話が食ひ違つてゐる点なんだよ」それならばこつちにも解ることなので、

 「そんな大袈裟なことぢやないつていふのか、」と言つた。
 「さうなんだ。あの川本さんは金持らしいから工場を一つ作る位出来るかも知れないよ。併しそんなことがしたくてあのブレーキをこつちが考へたんじやないんだからね」。勘さんがさう言つてゐる甚兵衛の土間には夕日が丁度差してゐた。それは人の話が解り易くなる時刻で勘さんの話はそのまま頭に入つた。
 「もつと具体的には貴方が乗る自転車にあのブレーキが付いてゐればよくて、ただそれだけぢや勿体ないやうな気がするつていふことなんだらう。」とこつちは言つた。
 「さう、だから特許を取つて広めるのはいい。併し工場なんて持つて御覧よ。又そこで作つた自転車が売れるやうになつたらどうするんだ。それから人を使ふのも構はない。そのうちに自転車の商売が駄目になつて自動車の修理工にでもなつたらそこの工場を自分でやつて行きたいと思ふかも知れない。併しそれはその時の話だよ。今は自転車で結構やつて行けるんだからね。そしてこつちはこの町に生れて育つてそのもとの場所に今でも住んでゐるんだ。そこへ自転車の工場でも持つて金持になつてさ、下手をすると、」と勘さんは何かそれが恐しいことのやうに言つた。「自動車なんか乗り廻す身分になつたらどうするんだ。それで今の家や店を持つてゐても仕方がなくなつて他所に越すなんていやなこつた」。

 この小説は読んでいないはずだが、同じような発想は彼の小説のどれにでも出てくるので、影響を受けたのかもしれない。金持ちになれない呪いがかかっちゃったんだな。

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子どものころの母と同じように現在自分の子どもに怒っている

Q725
 私は3人きょうだいの長女で、子どものころ怒る母親が恐ろしく、両親も不仲で家の中はいつも争いが絶えないという環境で育ったのですが、結婚した今、自分自身がその母と同じような雰囲気を作りだしていて、自分の中にある怒りの感情がことあるごとに湧き出して抑えられません。息子を見ていると、子どものころの私とまるで同じで、私の顔色を見て不安な気持ちにさせていることがわかるのですが、2年前にカウンセリングを1年くらい受けたことがあるのですが、いまだに怒りの感情から解き放たれない自分にどうしていいか、悩む日々です。

A725
 カウンセリング、うちのアドラーじゃないよね、きっと。アドラーで1年カウンセリングを受けて変わらなかったら、僕そのカウンセラーといっぺんワタリをつけないといけない。「お前、何してんだ!」と言って。感情であれ何であれ、アドラーはこう言ったんですよ。「この世にcan notということはなくてwill notがあるんだ」って。「できないことはなくて、したくないことがあるんだ」って。だから感情的になりたいんです。感情を抑えられないんじゃないんです。感情を抑えたくないんです。なんで抑えたくないかというと、別のやり方を学んでないからです。親の育児は僕らに確かに影響を与えます。どうやって影響を与えるかというと、モデルとして、お手本として影響を与えます。だから、感情的で喧嘩している親がいると、感情的で喧嘩するお手本はたっぷり学びますが、同じことを感情的じゃなく話し合いで解決するモデルを学んでないんですよ。それを学びさえすれば、感情的な葛藤から出ていくことはできますが、それを学ばないでは出ていくことができない。どうやったら学べるかというと、アドラーのカウンセリングを受けると学べるんです。アドラー心理学が教えようとしているのは、「感情をなくしなさい」、「感情を抑圧しなさい」じゃなくて、「同じ問題を感情じゃないやり方で学んでください」です。あなたが感情を使うか、他のやり方を使うかは、選んでもらっていいです。でもわれわれのやり方は、感情を使わないほうが自分にも相手にもシコリが少なくて、建設的な結果になると思います。こっちのほうがお勧めではあります。お勧めではありますが強制ではありません。アドラー心理学を20年も学び、すっかり身につき全部アドラーをやるけど、今日はアドラーを置いといて怒ろうかなという日もあるかもしれん。僕たちは選択の自由があって、スイッチは自分が持っていますから。(野田俊作)

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