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日々の営みとしてスピリチュアルに…

Q
 今回の講演、話の内容としては共感するところが多いです。例えば、今こそ物語が必要だと。その上で日々の営みとして、子どもにどのように具体的に接することが必要でしょうか?

A
 私は昨日の晩にハンバーグステーキの上にね、納豆と青じそとネギの刻んだのを乗せて、そこへ醤油とお酒と黒砂糖をいっぺん煮立てまして冷めたところへワサビをちょっとたっぷり塗った料理を作りました。で、娘が「リスキーね、これは」と言いました。僕もリスキーねと思いましたが、結構いけたんです。反省点は一点、納豆はねあれは挽き割りに刻んでおくべきです。丸のママだと脱走するんですよ、食べるときに。いつも心を込めてお料理を作りたいと思います。なぜなら僕がお料理作ることにしているから。心を込めて部屋の掃除をしたいと思います。部屋がピカピカにはなかなかならないけれど、散らかっていないようにしたいと思います。いつも折り目正しく暮らしたいと思う。いつも丁寧に毎日の日常生活を生きていきたいと思うんです。そのことが一番大事なことだと一応思っています。ハート、スピリチュアリティというものについて、アドラー派の内部で30年にわたって論争がありました。出だしは、アドラーの一番弟子・ドライカースが「スピリチュアルタスク」というものについて論文を書いたんです。仕事、交友、愛というライフタスクの他に、スピリチュアルなタスク、つまり人間を超えたものに対するタスクがあるんだと。神とか運命とか生き死にとか。それをめぐってずーっと議論がありまして、2000年代になってつい最近、レオ・ゴールドというこれも私の先生の1人なんですが、レオ・ゴールドが「スピリチュアル・タスクは存在しない。存在するのはスピリチュアル・アティテュードだという論文を書きました。どういう意味かというと、外の世界にスピリチュアルな対象があるんじゃなくて、外の世界とわれわれがどういう態度でつきあうか、スピリチュアルな態度というのがあって、それは毎日の1つ1つの暮らしをスピリチュアルにすることもできるし、ノン・スピリチュアルにつまりマテリアル・物質的にすることもできる。朝のご飯ひとつ作るにしても、それをスピリチュアルに朝のご飯を作り食べることもできるし、マテリアルに朝のご飯を作り食べることもできる。だから問題はスピリチュアル・アティテュードだというふうにレオ・ゴールドが書いて、一応今多数説はスピリチュアル・アティチュード派なんです。僕はもちろん急先鋒なんですけど、2000年代に論文を書いているんだけど、これは日本人にとっては常識なんですよ。少なくともかつての日本人にとっては。道元禅師はこのことを「常時綿密」とおっしゃいました。臨済禅師は中国人ですけど、「正念崇徳」と言いました。「ずっと覚醒して瞑想的に生きなさい」。毎日毎日の暮らしそのものが瞑想です。座禅なんていうのは、そのためのトレーニングにすぎなくて、日々の暮らしを離れたところに瞑想なんてありませんて、ずっと日本のお師匠さまたちは言い続けました。だからスピリチュアル・タスクなんかないんだと思います。スピリチュアル・アティテュードだと思うんです、スピリチュアルな態度。だから毎日の暮らしをどうやってハートでもって、一切の人々の幸せのために晩ご飯をいただくかどうか、一切の人々の幸せのためにお部屋の掃除をするかどうかと思う。一切の人々なんていないからせめて家族のために晩ご飯を作るんだとわかっていること。面倒くさいなと思いながら作らないこと。今日の夕食は、この世界が始まってこの世界が終わるまで、ただ一度の今日の夕食なんです。明日の朝の「おはよう」は、この世界が始まってこの世界が終わるまで、ただ一度の「おはよう」なんです。それが繰り返されているけれど、毎日違うんです。昨日の朝のわたくしと今日の朝のあなたとは、一日分違うんです。どこのも同じものなんかないんですよ。そう思ったときに全部がスピリチュアルになるじゃないですか。そう思ったときに僕たちの生きることが覚悟として、腹の座ったものとして、ただの機械的繰り返しじゃなくて、人間的なものとして蘇るじゃないですか。そのことを日々の営みとして生きたいと、目標ですがね、すぐ緩みますからね。「いくぞー」って2,3日は保つんですけどね、まあ緩みます。緩んだらまた持ち直せばいいんです。別に、今日言ったからそうかと永久にできるとはまったく期待しておりませんから、ご安心あれ。(野田俊作)

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トランスとサマーディ    野田俊作

トランスとサマーディ
2001年11月29日(木)

 「催眠トランスのことを、サンスクリットでなんというか知ってる?」と、友人の仏教フリーク(熱狂的愛好家)たちに聞いたら、「わからない」と言う。「サマーディ(三昧)だよ」と言うと、びっくりしている。トランスとサマーディは同じものだと思う。
 サマーディに入ると悟るかというと、そんなことはないようだ。道元『正法眼蔵・四禅比丘』に、四禅(サマーディの4つの段階)を四果(悟りの4つの段階)と混同してしまう比丘の話が出てくる。これは出典があって、『大智度論』17巻だ。
 仏弟子の中に一人の比丘(びく=男性の出家修行者)がいて、もっとも深いサマーディである第四禅を得て思い上がってしまい、最高の悟りである第四果を得たと思った。はじめに初歩のサマーディである初禅を得て、初歩の悟りである予流果を得たと思い、第二禅を得たときは、これは次の段階の悟りである一来果だと思い、第三禅を得たときは、これは不還果だと思い、第四禅を得たときは、これは最高の悟りである阿羅漢果だと思い込んだ。そう思い込んで舞い上がってしまい、それ以上修行しようとは思わなくなった。命が尽きようとするとき、四禅に相当するあの世の姿が見えてきて、間違った了見をおこし、「これは涅槃じゃないぞ。きっと仏が私をだましたんだ」と思った。この間違った了見のために、四禅のあの世の姿を失い、地獄の姿が見えてきて、ついに命が尽きると地獄に生まれ変わった。

 仏弟子中有一比丘。得第四禅。生増上慢。謂得四果。初得初禅。謂得須陀洹。得第二禅時。謂是斯陀含果。得第三禅時。謂是阿那含果。得第四禅時。謂是阿羅漢。恃是自高。不復求進。命欲尽時。見有四禅中陰相来。便生邪見。謂無涅槃。仏為欺我。悪邪見故。失四禅中陰。便見阿毘泥梨中陰相。命終即生阿毘泥梨中。

 ちなみに、四禅というのは、『岩波仏教辞典』によると、

初禅は欲望から離れることによる喜び(離生)
二禅は禅定から生ずる喜び(定生喜楽)
三禅は通常の喜びを超越した真の喜び(離喜妙楽)
四禅は苦楽を超越した境地(非苦非楽)

 ということなのだそうだ。四果のほうは、預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生まれかわれば悟りを開く位。一来とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。不還は欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿羅漢は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界へは生れない位、なのだそうだ。
 催眠を使うと、容易に深いサマーディに入れる。四禅というのは、きっと、自分の身体の感覚も、世界の存在の感覚も、思考もなくなって、ただ「見ている私」だけが残っているようなトランスのことだと思うが、そういう状態になるのも、そう難しいことではない。しかし、だからといって悟りは開けない。それは、深いトランスに入った経験があると、よくわかる。



遊びの師匠
2001年11月30日(金)

 父の法事で、私の子ども時代の遊びの師匠T氏に会った。高知の人で、大阪大学の理学部で高分子だかなんだか化学系の研究をしていた。父が気に入ってかわいがっていて、よく出入りしていた。夏休みには、私や弟は彼にあずけられて、一緒に高知へ行った。
 私の娘の一人に坂本竜馬にちなみのある名前をつけたという話をしたら、高知県人の話になった。鈴木商店というのがむかし大阪にあって、造船に投資していたのだが、第一次大戦で船の価格が高騰して儲けたこと、片岡という高知の須崎の人が経営者だったこと、やがて社運が傾くと金子という、これも高知の須崎出身の番頭さんが、高知出身の浜口首相に政府が援助してくれるように頼んだが失敗したこと、その金子氏が昭和19年にボルネオでアルミニウムの鉱山を開発しようとしたが、高知県人を雇うことにし、「学歴はいらないから、孫子の兵法を読め」と言ったこと、鮎の養殖を始めたのも高知県人で(名前を言っていたが忘れた)、大阪と宝塚に大きな屋敷を持っていて、そこに水が循環する池を作って鮎を入れたのが最初であること、坂本竜馬には子どもがいなかったが甥がいて、幸徳秋水らの大逆事件に連座したこと、その人はその後も生きていて、講演に来たのを聞いたことがあること、などなどなどと、高知県人にちなんだ話が延々と続いた。宗教学者のミルチャ・エリアーデが『ムントリャサ通りで』という小説を書いていて、その中に、延々と昔のことをしゃべる校長先生が出てくるが、そんな感じだった。とても面白かった。
 考えてみると、私の子ども時代には、他に三人、こういう話をしてくれる人がいた。一人は海洋少年団の団長をしていたO氏で、中学の技術の先生だった。キャンプで焚き火を囲みながら、軍隊時代のことなどをたくさん話してくれた。もう一人は関西大学で西洋史の先生をしていたA氏で、フランスやスペインの巡礼の話やら、中世の旅の風習の話やらを聞いた。そういえば、私の父も物知りで、中国の歴史書を引用しながら、さまざまの話をしてくれた。医学の話はさっぱりしなかったな。
 そういう「強烈薀蓄(うんちく)オヤジ」が何人も周囲にいたことは、私の人格形成と深くかかわりがあると思う。だって、私もそうなってしまったもの。薀蓄だけじゃなくて、今日会ったT氏と、海洋少年団のO氏は、私の遊びの師匠だ。海の遊びも山の遊びも、基本的な技術は彼らから習った。子ども時代にそういう大人が回りにたくさんいたことは、私の幸運だ。私もそういう「薀蓄オヤジ+遊びの師匠」になれるといいと思っているが、手ごろな子どもがあまり周囲にいないのが残念だ。

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質疑応答

 「意欲的に進めない息子」
    ↓
http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-10-01.html

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物語の終焉(3)    野田俊作

物語の終焉(3)
2001年11月27日(火)

 私が子どものころ、水道の蛇口は真鍮でできていた。今はクロム鍍金のピカピカしたものだ。なんだか軽薄だ。天井灯は白熱電球が外から見えていたが、今は環状の蛍光灯が多く、外から見えないデザインも多い。光がなんとなく嘘臭い。そういう小物だけじゃないな、住宅そのものが変わってきた。木と土と紙でできていた住宅が、合板やアルミでできている。なんとも落ちつきがない。これらの変化は、おそらく1960年ごろを境におきたのではないかと思う。
 すべてが安っぽくなったような気がする。「安っぽく」と言って悪ければ、「かわいく」なっている。ここで「かわいい」というのは褒めことばではない。幼児的とか未成熟とか大人っぽくないという意味だ。真鍮の蛇口も白熱灯も白壁も、すべて大人っぽい印象のものだった。今は、すべてが子どもっぽい。こんな風に感じるのは、年をとったからではない。二十歳代にそういうことを書いたことがあるもの。
 こういう変化を、ちょっと前までは「進歩」とか「進化」とか呼んでいた。なんであれ、新しい素材を使い新しい組み合わせをすることはいいことだったのだ。でも、ほんとうだろうか。これも「物語の終焉」なんだ。変化は存在するけれど、進歩や進化は、ほんとうは存在しないんじゃないか。進化とか進歩とかいうのは価値感情を含んだ言葉だけれど、変化することは無条件によいことではない。むしろ、生活を直接とりまく環境が安定しているほうが、心理学的にはいいことのように思う。むしろ変化しないほうがいいかもしれないのだ。
 「自己」というのは、精神や身体だけではなくて、親しい環境をも含んでいるように思っている。自宅の様子とか地域の風景とかも、広い意味での自己の構成要素だと思う。そういう親しい環境が次々と変わっていくというのは、自己が不安定だということで、きっといいことではないと思う。恒常的な環境の中に暮らすほうが安心して暮らせる。環境が勝手に変わっていくと、たえず不安でいなければならない。人間の中の動物的な部分がおびえてしまうと思う。これはきっとよくないことだ。



物語の終焉(4)
2001年11月28日(水)

 「かわいい」に関して。「かわいい」というのが女性に対する褒め言葉になったのはいつごろからだろうか。私の母などは「かわいい」と言うと怒ると思う。「美しい」とか「しとやかだ」とか言うと喜ぶだろうが。これもやはり1960年ごろを境に変わったのではないか。
 女性がかわいくなるにつれて、彼女らの衣服や生活環境もかわいくなった。電話やティッシュペーパーの箱にレースのカバーをかけたり、花模様の壁紙を張ったり、ひらひらしたカーテンをつったり。彼女らの精神的・身体的自己がかわいくなると、環境としての自己もかわいくなったのだ。
 衣服は彼女ら自身の属性だからいいのだが、住環境は、そこに住む他者、たとえば私、にとっても影響がある。私だけじゃなくて、保育所のような室内では落ちつけない男性が多いのではないかな。さいわい、パートナーさんは「かわいくない」タイプの女性で、私は救われている。
 昨日も書いたが、「かわいい」というのは幼児的であるということであり、大人にならないということだ。女性がかわいくなって、子どもたちをかわいく育てて、そうして日本人全体がかわいくなって、成熟を拒否し、一生子どものままで生きる。今おこっているのは、そういうことではないのかな。実際、若い男の子たちもかわいくなっている。「かわいい」という物語はいま盛りだ。
 このままでは困るんじゃないかな。「大人になるのはいいことだ」という、新しい物語を作らないといけないね。白川静先生が「漢文を読むと大人になる」という意味のことをおっしゃったことについて前に触れたことがあるが(10/01)、なるほど漢文を読まなくなったことも関係があるのかもしれない。その他にも複合的な要因がありそうだ。アメリカ文化という、きわめて幼児的な文化にかぶれたことも、もちろん関係があるだろう。技術革新という名前で、水道の蛇口や天井灯を、深みのない安っぽいものにしてしまったことも関係があるかもしれない。

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他の子どもと比べたくなる&子どもを尊敬・信頼する

Q
1,すぐに自分の子ども(5歳)とまわりの子どもと比べてしまいます。そしてダメなところできてないところがどうしても目についてしまい、腹立たしく思うことがあります。例えば恥ずかしがり屋で引っ込み思案なところ。どうすれば比べずにいられるでしょうか?
2,子どもを尊敬する・信頼することについて教えてください。

A
 「PASSAGE」出てくださいな。それではアカンのかしら。この方はPASSAGE出たのかしら?子どもはひとりひとりみんな違うんです。どの子が将来社会のために役に立ち、この国を担うか、僕らにはわからないんですよ。われわれは未来を知らないんですよ。良い大学を出て高級官僚かなんかになって、そこから国会議員かなんかになって、それで国内や外国から賄賂をもらって、それで国を売ることだってあるかもしれんし、まあ高校なんてなんとかごまかして出て、プー太郎になって働いたり遊んだりしていて、カラオケ24時間かなんかやってて、その子が突然世のため人にためになんかするかもしれない。わかんない。僕たちは、なんか戦争のあとにできた大きな物語にわれわれ自身が洗脳されていて、僕らの価値判断の基準がハートのレベルじゃないんですよ。全部ボディーかマインドのレベルなんですよ。ボディーかマインドで善いか悪いか判断する資格がないんです。それはやめたほうがいいんですよ。だから比較のしようがない。善いとか悪いとかわかんない。この子はこの子なんです。この子はどうしようもなくこの子なんです。これが1。 2は、じゃあこの子をどう世のため人のために使いものになる人にするかが僕らの仕事なんです。子どもの使い道って僕言うんだけど、怠け者は怠け者の使い道、働き者は働き者の使い道、お勉強できる子はお勉強のできる子の使い道、お勉強の嫌いな子はお勉強の嫌いな子の使い道、みんなと楽しく遊ぶ子は遊ぶ子の使い道、ひとりで遊ぶ子はひとりで遊ぶのが好きな子の使い道があるはずじゃないですか。だから親がそれを工夫してあげないといけない。自分のことを言うと無難ですが、私の母親はあるときに私に言いました。「あなたの将来は精神科の医者か弁護士しかないわよ」って。「そんだけカラスをサギだと言いくるめる口ばっかりなんだから、その商売ならば大成するだろうけど、他へ行くとロクなことをしない」と言いました。それを僕は凄い当たっていると思いました。僕は商人とか政治家とかになると、凄い自分を悪く使うと思う。人を嘘で騙し、国を誤り、極道になると思うんだけど、精神科医とか弁護士とかいうのは初めから「人を守る」システムになっています、何してても。何やってもあんまり儲からないシステムになっている。そこなら安全だと思って、「弁護士しようかなあ、精神科医しようかなあ」って思って、弁護士ってねえ、国選弁護人かなんかになって悪い奴の弁護をしないといけないじゃないですか。誰がどう見たって“悪い奴”って、世の中にいるんです。滅多にいないんですけど、いるんです。僕、裁判所へ勤めましたので、よく知ってます。「これはあかんで」と思う人がね、「これはまあ死刑はないけど、一生とにかく刑務所に入っといてもらわないとしょうがない」と思う人が、申し訳ないけど人口のほんのちょっといるんです。それも弁護士になったら、「ああのこうのどうの、ドラえもんがどうの」ゆうて変な弁護しないといかんじゃないですか。それってイヤだなと思ったの。自分の良心に恥じることはしたくないって。でも精神科の医者だと自分の良心に恥じることはしなくていいでしょう。悪い精神病者はいませんから。犯罪者になる精神病者はいますから、それは間違ってなるので、本当の職業犯罪者みたいに悪い人はいませんからね。だからまあ精神科のお医者さんになろうと思いました。そんなふうに親が子どもの使い道を考えるべきだと思います。「この子は一体どんなふうに使えるだろうか」って。それは子どもと相談してみないといけない。子どもは世間が狭いから、そんなによくわからないんですよ。親だって世間狭いけど、親のほうが世間広くしようと思えばできるからね。だから、自分の子どもを何か自分の子どもじゃないものに改造しようとする計画を捨てて。タンポポはタンポポだし、スミレはスミレなんです。スミレに向かって、「お前タンポポになれ、タンポポになれ」と言うと枯れるんですよ。スミレはスミレで立派に咲いてほしいの。タンポポはタンポポで立派に咲いてほしい。それが子どもを尊敬するということです。子どもたちは僕たちの知らない未来に向かって、僕たちの知らない花を咲かせるんです。僕たちに一部分をお手伝いできるけど、彼らの人生の全部を知ったり助けたりできない。(野田俊作)

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