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良い関係で話を聞くには

 2026(令和8)年、新春一番!

Q
 生徒や保護者の話を聞くとき、自分の考えや価値が気になり批判的な気持ちで聞いてしまいます。相手にどんな言葉を返したらいいかわからないときが多いです。相手が何を求めて話をしているかを理解し、相手と良い関係で勇気づけができるための話の聞き方や問いかけの工夫の仕方を教えてください。

A
 基本的に、「あなたはどう考えますか?」「あなたはどうしたいと思いますか?」「そのためにどんなことをしようと思いますか?」と言いますけど、明らかに間違ったことを言う人がいるんですよ。わたくしにも価値観がありまして、「人はこう生きるべきだ」と思うことがありますもん。お父さんと話をしていたら、「子どもは叱って育てて時には体罰も必要だ」なんか言うと、「それって違うぜ」と思うんです。あるいはお母さんと話をしていると、「子どもっていうのはとにかく抱きしめてあげることが大事で、悪いことをしててもそれを批判することはせず、ただただヨシヨシしてればいいんだ」と言うと、それも「違うぜ」と思うんです。学校の先生と話していると、「道徳教育なんていうのは価値観の押しつけで、国家の手先になって、子どもをまた戦場にやるためにやっている」と言うとまた「それも違うぜ、あんた」と思うんですよ。そのときやっぱり意見を言いたいじゃないですか。それは言うんです。言うけど、「私の意見を言ってもいいですか?」と言ってから言うんです。あるいは、「私の意見を聞いてみる気がありますか?」って。「ありません」言ったら言いません。聞く気のない人に言ってもしょうがないもん。「どうぞおっしゃってください」言ったら、「これは私の意見ですが」と言って言います。価値っていうのは私の価値なんです、いつも。共通の価値というのは、たまたま多くの人が信じているだけで、だから正しいというわけでもないと思うんですよ。つまり人間は真理を知らないと思う。人間は絶対の正義を知らないと思うんです。わたくしの正義もあるし、わたくしの善もあるし、わたくしの信念もあるけれども、それは「わたくし」のものなんです。それは、多数決取ったら、私の正義や私の信念はひょっとしたら多くの人と共有しているかもしれないけれども、たまたま多くの人と共有しているだけなんですよ。例えば、民主主義はいいことだと僕は思っています。独裁とか軍国主義とかよりも民主主義、自由民主主義、共産主義じゃない民主主義、民主主義というのも朝鮮民主主義人民共和国という国がありますから、用心して使わないといけない単語だと思うんだけど、自由民主主義っていいもんだと思っているんだけど、相対的だと思うの。私がそう思っているだけで、じゃあ自由民主主義が正義であり、世界のすべての国を自由民主主義になきゃならないと、アメリカの大統領みたいなことを思ってはいけないと思うんです。アメリカが自由民主主義OK、イギリスが自由民主主義OKだけど、例えばイランが自由民主主義を選ぶか選ばないか、それはイランの国の人が決めることで、僕らの決めることじゃないだろうと思うの。だから、「わたくしの考えを聞いてみる気はありますか?」って言います。で、「いえ、それは反対です」と言われたら、「結構です」って言って終わりじゃない。

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大学院   野田俊作

大学院
2002年05月17日(金)

 東京にいる。大学院に行きたいということについてのカウンセリングを2件続けてした。両方とも40代の男性で、働きながら学びたいと言う。がんばってほしい。
 私は大学院にも行かなかったし、博士号も持っていない。その昔、学生紛争時代に医学生をしていた。学生集会というものが週に1回だか2回だかあって、まったく申し分のない正義にもとづいて、諸問題を話し合っていた。そこで、大学院・博士号ボイコットについて、演説をブッたことがある。別に私が演説をブたなくても、当時の全国的流行だったから、所詮はそうなったのだが、ともあれ私は、ただ賛成票を入れるだけじゃなくて、積極的に過激な演説をブッた。
 その後、同期生の間に内紛がおこり、政治的にラディカルな半数は「非入局ローテーション」というもので、どこの教室にも所属せずに2年間卒後研修を受け、穏健な半数はどこかの教室に入局した。私はというと、そういう内部対立のドロドロに嫌気がさして、医学部と大学病院を抜け出して、ひとり、大阪大学微生物病研究所付属病院で卒後研修を受けることにした。みんなバラバラになったのだが、誰ひとり大学院には行かなかった。
 5年目に、私は医学部と大学病院に復帰して、精神科医になった。そのころには紛争は事実上終焉していた。それから数年すると、同期生でも博士号をもらう人が出てきた。時代は変わったんだ。でも、私は、むかし演説したことがあるのを気にしていて、本気で博士論文にとりかかることはしなかった。
 博士号がなくても、実際上はほとんど困ることはない。それでも、これまで一度だけ人に迷惑をかけたことがある。大学の非常勤講師になるとき、私が博士号を持っていないので、教授会が困ったのだ。結局、何報か英文や独文の論文があることを口実にして、非常勤講師にしてくれた。死んだ父も博士号を持っていなかった。彼はよく、「博士号はもらっておけ。そうしないと、人に迷惑をかける」と言っていた。ほんとうだね。
 今のような時代に学生をしていたら、当然大学院へ行ったと思うし、当然博士号ももらったと思う。逆に言うと、博士号を持たないでいることは、あの時代に学生をしたことの証しなんだ。そう思うと、とても嬉しい。60年代後半と70年代前半に青春時代を送れたことを、とても誇らしく思っている。その証拠が、博士号を持っていないことなんだ。と言っても、今の若い人にはなんのことだかわからないと思うけれど。



桐生
2002年05月18日(土)

 群馬県桐生市にいる。関東平野がここで尽きて、山地に入る。渡良瀬川の支流、桐生川という渓谷に沿って山に入り、しばらく走ったところに『清風園』という旅館がある。そこに泊まっている。温泉ではないが、川の水を沸かした風呂が24時間使える。料理はとびきりおいしい。畳廊下の造りも美しい。裏の川ではヤマメが釣れるという。
 群馬県に来るのは、生まれてはじめてだ。東京から新潟へ行くのに通り過ぎたことはある。しかし、降りたことはない。桐生は美しい町だ。着倒れだという。むかしは絹織物が盛んで、経済的にも裕福だったし、文化程度も高かったが、今は過疎化しつつあるという。
 政府の経済政策は、根底的に間違っている。地方都市が元気でないと、この国はいつか滅びるよ。グローバリゼーションだとかいって、地域産業を滅ぼしてしまったのでは、けっきょく自分で自分の首を締めることになると思う。こういう美しい地方都市に来るたびにそう思う。
 ともあれ、何人かの友人と、のんびりした夜をすごしている。明日は足利で仕事だ。というか、その仕事のために、今夜は桐生に泊まっているのだが。



足利
2002年05月19日(日)

 今日は栃木県足利市にいた。桐生市の隣町だ。桐生に近い足利市内に、『小俣幼児保育団』というものがあって、そこへ行ってきた。古い友人の大川真氏が園長をしている保育園だ。広大な敷地の中で、子どもたちを「放し飼い」にしている。山麓に建てられているので、子どもたちは森の中を自由に走り回る。しかし、迷子は出ないそうだ。そもそも、保育士さんたちが子どもを追いかけまわなさい。呼べばちゃんと来るのだそうだ。アドラー心理学の成果だな。
 大川一族は土地の素封家(「そほうか」:社会的地位や領土を持たない民間の大金持ちや財産家)で、保育園は大川氏の旧宅を利用して建てられている。その一部に、嘉永年間だかに建てられた作業小屋があって、そこを『アルフレッド・アドラー・ルーム』なる研修室にリフォームしたのを見にいったのだ。実にうまくリフォームしてあって、感心した。ちなみに、大川氏は、古くからのアドレリアンだし、足利は、日本のアドラー心理学の初期に、アドラー心理学保育のメッカだった土地だ。



渋谷
2002年05月20日(月)

 渋谷へ映画を見にいった。張芸謀(チャン・イーモウ)監督『活着huózhe(活きる)』だ。東京での上映館は、渋谷に一軒あるだけだ。なんということだろう、こんないい映画を。
 話は1940年代から1960年代に及ぶ。ある一家が時代の波に翻弄されながらも、いかにも中国人らしく「塞翁が馬」式に生きていく物語だ。ものすごい悲劇を、監督は淡々と、いや、それどころか、ユーモラスに描いていく。画面作りがすごい。こってりと油の乗った画像だ。
 主人公の男性・徐福貴の生き方は、日本人にはちょっと共感しにくい。国民党の時代には国民党の言いなり、共産軍につかまれば共産軍の言いなり、文革になれば紅衛兵の言いなり、ちっとも節操がない。しかし、彼のことを節操がないと思う私が「日本気(リーベンチー)」なのであって、平和で恵まれた国で、ボケたことを言っているだけなのだと思う。福貴の変わり身は、3千年にわたって戦乱の中で生き延びた中国人の知恵なんだ。
 妻役の鞏俐(コン・リー)がすばらしい。『始皇帝暗殺』で趙姫役を演じていて、そのときはじめて見たのだが、ものすごい女優だ。中国は広いんだね、こんなすごい女優がいるなんて。帰りに、彼女が出ている映画のDVDを何枚か、衝動買いしてしまった。
 3人のおしゃべり女と一緒に行ったのだが、映画の後、夕食をした。その間中、彼女たちはほとんど喋らなかった。かしまし娘を一時間以上も黙らせるほどの映画なんだ。5つ☆。

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自分を落ち着かせる「間(ま)」

Q
 自分を落ち着かせるための良い方法を教えてください。急いでいるときに食事を散らかされると、「止まる」「落ち着く」この間がとれません。


A
 3秒が5秒です。(間は)とれますって。「止まる」「落ち着く」という公式を知っていれば、ほんとに3秒とか5秒とか長くて10秒ぐらいなんですよ。目を閉じて時間を計ってみてよ。10秒ってどれぐらいの時間か。結構長いよ。だから、「落ち着く、落ち着く」と言えばふた呼吸で止まりますから、大丈夫です。「落ち着けません」というのは嘘です。落ち着きたくないだけです。(野田俊作)

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頼藤和寛追悼集会    野田俊作

ケーキ・バイキング
2002年05月12日(日)

 福岡に仕事に来ているが、終わるとみんなでケーキ・バイキングに行くのがならわしだ。とんでもない悪習だと思う。しかし、女性方は洋菓子が大好きだ。困ったことだ。というようなことを言いながら、私もついて行って、けっこう食べている。普段は洋菓子は食べないようにしている。見るからに太りそうだもの。でも、機会酒と同じで、機会ケーキで、このときだけは食べる。さいわい、あまり多くは食べられない。
 和菓子もあまり食べないんじゃないかな。餡子の入った饅頭なども好きなのだが、カロリーを考えると、うかうか食べられない。煎餅は大好きなのだが、これもけっこうハイ・カロリーだ。
 ともあれ、今は「禁麺」だけで様子を見ようと思っているので、いつも程度にケーキを食べた。



親不孝(2)
2002年05月14日(火)

 ユダヤ・ママから返事が来た。

 わかったわ。でも、私は木曜は会場へ行かないの。金曜と土曜の午後に行くわ。金曜に、シャルマン先生と私とで発表するの。だから、着いたら電話をちょうだい。あなたに罪悪感を持たせて悩ませる気はないのよ。私の3人の息子にもその方法はうまくいかなかったし、あなたにもうまくいかないことがわかったわ。でも、電話はちょうだいね。私とお話する時間をとってくれるでしょ。

 うっぷす!ちょっと罪悪感があるな。パートナーさんは、「あなたは、なんてひどい人なの。男の子の母親の気持ちがわからないのね」と言っている。いや、気持ちはわかっているよ。でも、暑苦しいのさ。返事を書いた。

 きっと電話する。水曜の夜なんか会えないだろうか。もし私の友だちも一緒にいられるなら、彼女も私も嬉しい。彼女はあなたにとても関心があるようだ。でも、内緒の話があるなら、彼女なしでもいいよ。何時にどこにいればいい?ホテルで待っていてもいいし。

 ちょっと圧されているな。ま、いいだろう。



半分風邪
2002年05月15日(水)

 昨日は額のところがすこし痛くて、ネアンデルタール人の眉みたいなものがくっついているようだった。気圧が下がってきているせいかなと思っていた。原始人なので、そういうことに敏感に反応するのだ。
 しかし、やはり風邪だ。今朝はまだましだったが、午後になって、顔の右半分だけが痛い。目も痛いし、耳も痛いし、鼻の奥も痛い。右側だけ水洟(はなみず)が出る。ふうん、半分だけ風邪をひくなんていうことがあるんだ。
 全身はそうつらくないのだが、風邪をひくと考えることができない。古代ギリシアのヒポクラテスの医学書に、「鼻水は脳が融けて流れ出しているのだ」と書いてあったように思うが、まさにそんな感じだ。



頼藤和寛追悼集会
2002年05月16日(木)

 頼藤和寛くん(野田先生の親友)が亡くなってもう一年になる。大学の研究室が、奥様をお招きして追悼集会をするというので、参加してきた。大きな集会じゃなく、ひっそりと15人集まっただけだ。研究室といっても弱小グループなので、全員集まっても、この倍はいないんじゃないかな。精神医学教室にはいくつかの研究グループがあるのだが、われわれの心理療法研究室はそのうちのひとつで、しかもいちばん小さい。教室全体に呼びかけると、もっとたくさんの人が来ただろうが、それよりも、一緒に勉強していた仲間だけのほうがいいと、幹事が判断したのだ。私は正解だと思う。彼は、そんなに社交的じゃなかったからね。
 ひとりずつ、彼の思い出を語ったのだが、彼の教えを受けた人たちが、しんみりしてしまって、涙声になったりして、ちょっと湿っぽい会になってしまった。あの人は、そんなに濃厚な人間関係を築く人じゃなく、よくいえばあっさりと、悪くいえばそっけなく、若い人たちとつきあっていたと思う。それでも、こんなにしんみりしてしまうんだね。私は努めて明るい話をした。あの人は、湿っぽいことが苦手な人だったから。
 私が死んだ後でも、こういう会があるんだろうか。もしあるとしたら、泣いてほしくないな。いい人生を送っていると思っている。いい時代に生まれたし、健康に恵まれているし、いい友だちをたくさんもっているし、いい学問ができていると思う。だから、いつ死んでも残念じゃないので、一緒に喜んで笑ってほしい。ま、まだ死ぬ気はないんだが。(浩→私たちは毎月、講座と懇親会で、アカルク野田先生の話題で盛り上がっていますよ、先生!)

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ゼロ歳からの勇気づけ

Q 
 ゼロ歳から勇気づけの子育てはできるでしょうか?もしできるなら、まだ言葉を話さない子どもの事例で教えてください。

A
 あの、ジュヌヴィエーヴ・ペインターというハワイにいたアドラーのおばさまが、ゼロ歳児の勇気づけの本を書いたんですよ。僕、「そんなバカな!」と思ったんですよ。なんかいっぱい書いてあるんだけど、「うっそー!」って思って、ペインターさんに会ったときに、「あなた、あの本ちょっとインチキみたい」と言ったら、「そうなのよ」と彼女言うんですよ。「なんであんなの書いたん?」と言ったら、「ゼロ歳児の頭を良くするペインターおもちゃキット」というのがあるんです。シンガポールかどっかで作っていて、彼女は老後の生活設計で、それを売りたいんですよ。それを売るために、「ほら、このおもちゃキットを使うとこんなに賢くなる」と書いたんです。あれはまあアドラー心理学みたいなふりしているけど、実はペインターさんの生活設計なんですね。先ほども申しましたが、ちゃんと言葉が通じるようになるまでの子どもは、かわいがって育てるということだけで充分なんです。その時期に躾けるとか難しいことを考えないで、良い母子関係・良い父子関係を保つこと。僕たちが狂わないで、神経症とか精神病とか犯罪者とかにならないで、正常な人として暮らす条件の1つが、ゼロ歳から3歳ぐらいまでにお父さんやお母さんからかわいがられたことだと思うんですよ。かわいがられた記憶が全然ないと、やっぱりしんどいんです。「この世界は良いところだ」とか「人々は仲間だ」と思いにくいじゃない。だから僕たちは、ゼロ歳から3歳までの子どもをみんなでかわいがって育てるのがいいと思う。こんなん言うとまた、ある種の人たちの反発を買うんですが、僕、ある年齢までは母親が子どもの側にいてあげたほうがいいと思っているんです、ずっと。だいたいアドラー派の人はみなそう言うんですけど、今のお母さんたちはみんな凄く早く働きに出たがるんですね。働くことは女性の権利だと言って、それで子どもたちを託児したりするのを国の責任だと言って、早くから託児所とか保育所へ預けるんですよ。生活に困るなら、ほんとに食べていくことに困るなら、それはやむをえないけど、あくまでやむをえないことなんです。子どもは母親との良い関係を持つほうが、どんなに良い保育士さんでも母親には負けますから、だから持つほうがいいと思います。そんなん言うと、「女性の自立を侵害してる。なんで男性ではいけないのか」とか言う。「お父さんでいいか」どうか子どもに訊いてよ。「お父さんがずっとあなたが小学校出るまで家にいるのがいいか」「お母さんがいるのがいいか」と訊いたら、ほとんど全部の子が「お母さんがいい」と言いますよ。家にお父さんがいて、「お帰り」と言うのは、あんまり子どもとしては好みじゃないんです。そうやって温かい良い母子関係を作れるということが大事。それをすると女の人は欲求不満になるの。「どうして私は外へ出られないの!」って。「夫は毎日飲みにいって楽しくしてるのに、私はずっと子どもと二人で」って。なんでそう思うかというと、“地域”がなくなったからですね。だから、母親が家にいて育児をしながら快適に暮らせるというのを工夫すべきで、1日も早く外へ働きに出られるというほうを工夫すべきじゃないと思うんです。ちょっと余談。怒る人は怒ってね。今はこの意見は少数派ですから。心理学者はみんなそう思ってるんです。心理学者自身は。(野田俊作)

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