クリスマスケーキ
2001年12月24日(月)
むかし、ちゃんと医者をしていて、それなりに金持ちだったころは、大阪キタの新地で飲むこともあった。一人前に、行きつけの店もあった。そこのママが、帰りがけに、「ご家族におみやげに」などと言って、ポワール・ドュ・ノールという店のケーキをくれた。もちろん、その分の支払いは原価に上積みされて請求されたのだが。ケーキは、あまり好きではないのだが、さすが大阪一の飲み屋街のど真ん中にある店で売っているだけのことはあって、飲ん兵衛が食べてもこれはおいしいと思う。
アドラー心理学にのめりこんで心理療法専門になり病院勤務を辞めてから、ひどく貧しくなってしまって、キタ新地で飲むなんてことは夢の中ですらできなくなった。けれども、その店のケーキのおいしさは覚えていて、ときどきケーキを買うためだけにキタ新地まで行くこともある。特に、クリスマスは、どうせケーキを買うのだから、それならおいしい店のがいいだろうと、毎年その店で買うことにしている。
今年も早目に予約しておいて、今日の夕方に店に寄って買ってきた。先に作り置きして売っているのではないようで、その日の朝に作ったのではないかと思う。他所で買うよりもよほど高いが、それだけのことはある。家族が喜ぶのであれば、寒い道を歩いて、高級クラブを横目で見て、ケーキだけ買って帰ってくるのも、悪い選択ではないと思っている。
アウディに乗って、バーバリのコートを着て、高級クラブで「せんせ、ありがと」なんて言われていた生活と、軽自動車に乗って、スーパーで買った服を着て、お好み焼き屋のおばちゃんに「まいどおおきに」と言われている生活と、今のほうがぜったいに幸福だと思う。むかしの名残は、このケーキくらいのものだ。
牡蠣鍋その後
2001年12月25日(火)
先週の火曜日来なかった牡蠣が来て、牡蠣鍋をした。くださった方は、別の方に依頼して、その別の方が業者に頼んでくれたのだが、そのどこかの段階で行き違いが生じたのだそうだ。あつかましいが「牡蠣が届かないんですよぉ」と電話して、結局、今日になった。鍋だけではなく、グラタンもしたし、殻つきのものもあったので蒸してそのまま食べたりもした。
これを慰労会にして、今日でいちおう仕事納めにしようと思っている。もっとも、仕事納めは私だけで、他のスタッフは27日まで出社する。秋からとてもよく働いて疲れているし、出社しても私のできる仕事はあまりなさそうなので、家の掃除でもすることにした。社長がサボると宣言しても働いてくれるスタッフを持って、とてもありがたく思っている。
大掃除
2001年12月26日(水)
今日から休暇をとって、年末の大掃除を始めた。手始めに窓を拭いた。子どもの頃、学校の窓ガラス拭きをよくやらされたが、そのときは乾いた布で力を入れて磨いた。今は、そうしないで、水で洗った後、洗剤をつけて磨く。このほうがはるかに簡単だしきれいになる。学校で習ったやり方は役に立っていないわけだ。今のように科学技術が急速に進歩する状況では、一生涯使えるような生活法を初等教育で教えることが難しい。ガラス拭きでさえそうなのだから、高度技術に関連することは、学校で習っても、すぐに役に立たなくなるだろう。
たとえば、初等教育でコンピュータの扱い方を教えようとしているようだが、私はあまり賛成ではない。ワードやエクセルを教えたって、そんなものいつまで使われているかわからない。キーボードやマウスさえ、いつまで使われているかわからない。大人になって、必要になってから学べばいいんだ。だって、私は、大学を出てからはじめてコンピュータに出会って、それで人並みに使っている。すくなくとも初等教育では、一生そのまま使えそうな生活力を養成するほうがいいんじゃないかな。
そんなことを考えながら、窓ガラスを洗っていると、雨が降ってきたので、それはやめにして、いらなくなった服を捨てることにした。収納スペースが小さいので、あまりたくさんの服をもてない。これはかえっていいことで、そうでなければ決して着ない服をいつまでも置いておくことになるだろう。
服についてはいいのだが、困るのは本だ。あまり多くの本を家に置いておけない。仕方がないので、職場に置いている。必要なものだけ家に持って帰って、用事が終われば職場の図書館に返す。ちなみに、私は書斎を持っていなくて、仕事はダイニング・キッチンでする。コンピュータも流し台の近くにある。夜は家族がテレビを見ている。若い頃からそういう環境で本を読んだり論文を書いたりするのに慣れているので、それはそれでいいのだが、ただひとつ困るのが、多くの本を置けないことだ。しかし、これはどうしようもない。
今日は、本の整理までは手が届かなかった。明日は本やアウトドア用品の整理をしよう。後は、床磨きをすれば、私の受け持ちは終わりじゃないかな。
Q
甘えの中に受動的と能動的とあるんじゃないですか?私の性格は赤ちゃんみたいに末っ子で‘受け入れる甘え’ですが、長男だと逆に‘訴えて甘える’ような性格なんでしょう。それを逆に治すには、甘えを知って、働きかけるように治していけばリーダー的な性格が出てくるでしょうか?
A
出てこないでしょう。受動的な人は受動的なんです。だから、受動的であることをどう建設的に生かすかを考えないといけない。内気な人を外向的にしたり外向的な人を内気にしたり、器用な人を不器用な人したり不器用な人を器用にしたり、能動的/受動的を入れ替えたりするという考え方をぜひやめてほしい。引っ込み思案だったら引っ込み思案のままでうまく生きていくことを考える。やたら出しゃばりだったら、出しゃばりのままで人の役に立つことを考える。それを工夫したい。
Q でも環境によってそういうふうにならざるをえない。リーダー性を望まれるとか。
A そのうち向こうが諦めるでしょう。「あいつは無理だ」と。それでクビにはならないでしょう。
Q でも社会の組織の中ではだんだん「長」になっていく。リーダー性が必要になっていくわけでしょう。
A だから、早い目に無能になること。「ピーターの法則」と言います。ピラミッド型のヒエラルヒー=階層構造がある。新入社員はみんな最初は平社員。このうち何人か出世して何人か出世しない。1人か2人出世できない人が出る。最初に落ちこぼれて。会社は滅多にそういう人をクビにしない。そういうのを飼っておく。その中から出世してまた落ちこぼれる。そこからまた出世して落ちこぼれる。……。
そうすると、各レベルが長いことやっていると、黒丸(落ちこぼれ)ばっかりになっていく。そのレベルで出世が止まった人が溜まっていく。やがて社長以下全員無能です。大きな役所なんかまさにそのとおりです。係長は係長のレベルで無能になった人、課長は課長のレベルで止まった人、部長は部長のレベルで止まった人、そういう人だけで占められる。ごく有能なやつは目立つからすぐその上に行ってそこで止まる。これがピーターの無能レベルです。
幸せに生きていくには、「限界をはっきり知って、無能レベルに達する直前に出世を止める努力をする」こと。自分がほんとは無能でないうちに、無能であるかのようにみんなに思わせること。そうすると無能じゃなく生きていける。
私はだから病院をやめたんです。私は会議がダメなんです。先に決まっていることをウニャウニャと言って何か決めんといかん。病院は10年勤めると肩書きが付くんです。係長補佐待遇。そうなると会議で責任がある状態になる。これはいかん。「何とか長」と付いたりするとどうしようもない。全然管理能力がないからね。絶対出世しない職場でないとダメ。うっかり病院に勤めていると、何もしなくてもどんどん出世する。そうすると必ず無能レベルに達して、「あの精神科部長は無能だ」と、院長からも看護師からも必ず言われる。そんな不愉快な生活はイヤです。だからさっさとやめた。裁判所だと出世しない。医者はスタッフで出世コースから完全に外れていて、一生平社員です。自分の限界をはっきり知ること。
日本だけじゃなくおよそ階層構造の職場のおかしさは、平社員として有能な人には管理能力もあるはずだと思っちゃうこと。全然別のことなのに。与えられた仕事、経理がきちっとできる人が管理職として有能だとは限らない。自分もリーダーシップではダメだと思うんだったら、あっさりそれを認めてみんなにもそう言って、「あいつはリーダーにだけはさせないでおこう」と、人事の人に思わせること。そしたら適切な場所を選んでくれる。大失敗する前に思わせておけば。
会社が従業員を利用して生き残るように、従業員も会社を利用して生き残る。ギブアンドテイク。だから、会社の期待どおりに動くこともない。会社が出世を餌にして、苦手な仕事を押しつけてくるなら、「出世しないぞ」というのを武器にして、あるレベルで止まっちゃうのもいいんじゃないですか。
友だちに一生平教師だった先生がいた。ああいう人は迫力がある。「私は管理職としては無能で、いつも子どもたちと一緒にいたいから」という理由で。定年前には、どこへ転勤しても校長や教頭よりも先輩です。校長や教頭がみんないやがった。あれはいい。迫力があって。いい先生だった。非行の子がみんなその先生にくっついていた。非行少年の親分をやっていた。技術家庭科の先生でね、校内をブラブラしている子を見つけてきて工作したり畑耕したりしてたから、子どもたちも観念してついていった。(野田俊作)
朝の夢
2001年12月22日(土)
明け方、合唱団で歌っている夢を見た。むかし歌っていたことのある、大阪のある混声合唱団だ。当時の指揮者はもう亡くなっていて(これは実際にそうだ)、新しい人が指揮をしている。団員にも、私を知っている人はいない。だって、やめてからもう20年以上たつもの(これも実際にそうだ)。そう難しい曲ではないのだが、長いこと歌っていないので、譜面が追えないし声も出ない。しかしまあ、そのうちなんとかなるだろうと思っている。
そのうち、二重見当識になってきて、夢だと知りながら夢の続きを見ている。「実際には、もうここで歌うことはないんだ」と、とてもさびしく思う(現実の世界では、最近、親しい友人をこの合唱団に紹介した。私と同年輩の女性で、「老後の遊び」について相談されたので、合唱はどうかと勧めたのだ。夢の中でも、そのことを知っている)。彼女は夢には出てきていないが、一緒に歌うことも実際にはないんだなと思う。なんだか、とてもさびしい気がする。
夢の場面は変わって、私の知らない小さな病院の前にいる。そこから家に帰ろうとして、バス停でバスを待っている。夕方で、小雨が降っていて、寒い。一人の知らない女性がそばにいて、「お疲れですね」と聞いてくる。そう、とても疲れている(現実の生活でも、ここ一月ほどとても疲れていて、昼間でもすぐに眠ってしまう)。「英語の論文を書かないといけないんでね」と私は言う(現実には英語の論文は今は書いていないが、1月初旬締め切りの論文がある)。「研究と臨床と講演と、すべて全力投球ですもの」と、その人は言う。
ここで、一度目がさめる。「実際そうだよな。全力投球だな。最近、カウンセリングの時間を増やしたし、来年は講演も多いし、その上、本を書いたり論文を書いたりは、無理なのかなあ。減らすとしたら、一般向けの講演をいちばん減らしたいんだけれど、そうもいかないよなあ」と考えて、ため息をついて、また眠りに入った。
先ほどの女性とは違う女性が出てきて、山の中の農家の縁側に座っている。天気はよいが、冬か春先で、寒い。二人で、大阪南部の葛城山系の話をしていて、彼女は4つほどの山の名前を言う。「あれれ、その山は、この間、地図でチェックした山だぞ」と私は思う(現実には、最近は葛城山系の地図は見ていない)。そこへ行くといいと、彼女は言う。その女性は、なんとなく巫女(みこ)風だ。彼女は、なんだか神秘的な意味でそれらの名前を言っていることはわかる。しかし私は、そう理解しないことにして、「山歩きも、このごろ行っていないなあ。忙しすぎるものな」と思う(現実にもそうだ)。
これで、夢は終わりだ。知らない女性が出てきて、さかんにアドバイスしてくれるところなど、ユング派の人が聞いたら、きっと深遠な解釈をしてくれるだろうな。でも、アドラー心理学は、きわめてあっさりと解釈する。全体として、「仕事を整理しなさい」と無意識は言っているんだと思う。たしかにオーバーワークだ。しかし困ったな、そう簡単に整理できないんだよ。数年計画で、もうすこし負担を減らす方向で生活設計をやりなおさないといけないな。健康管理しないとね。
ちょっとだけIT革命
2001年12月23日(日)
土曜日から瞑想のグループワークをしているが、ニューエイジ・ミュージックをたくさんかける。ここ数年、同じようなものばかりかけていたのだが、今年は全面改訂することができた。それは、インターネットのおかげだ。インターネット・ラジオのChoiceRadio.com New Ageで聞いて、気に入ったCDをAmazon Japanで買うことにしたのだ。ちょっとしたIT革命だね。新しい音楽を聴いているのは、とても快適なのだが、いくらでもいいCDがあるので、支払いが大変だ。
本(特に洋書)とCDの通販に関してはインターネットの便利さは認めざるをえない。社会構築主義とエリクソン催眠についてこの冬に勉強しようと思って、関係する洋書をAmazon Japanでたくさん買った。検索すれば簡単に見つかるので、きわめて便利だ。しかし、こんなにたくさん読めるのかね。
Q
学校の教師です。本を何冊か読ませていただいて……。
A 嘘ばっかり書いてあるでしょう。だって、誰が読むかわからないから嘘しか書けない。
Q それはそれとして、授業中に騒いでしょうがない子がいる。そういう子に対して、普通の学校だと「静かにしなさい」と言うのが普通なんですが、「静かにしていただけないでしょうか?」という語りかけはどうだろうかというのがあって、それもそうかなあと思った。そういう話を職員室でしました。「そういうふうな考え方で今度子どもに接してみてはどうかなと思うんですが…」と言うと、ある先生が……
A あなた、自分はやってますか?
Q はい、やってます。
A じゃあ、黙ってやる。決してアドラー心理学の宣伝をしない。どこでも。家庭でも学校でも、「決してアドラーはいいよ。あんたこうやったほうが生徒はよく言うことを聞くよ」と言わないで。
Q わかりました。
A これ、ポイントなんですよ。
Q 話の中で……、
A 話するからこじれてくる。
Q あ、こじれた話なんですか。
A だからこじれないコツをあらかじめ話している。こういう場合は、いっさい「アドラー心理学だ」と言わないこと。向こうが「教えてくれ」と言うまで教えない。私は裁判所にいたことがあります。裁判所はフロイト派の巣です。日本のフロイト派のほとんどは裁判所にいる。で、調査官はかなりいいフロイト心理学の教育を受けている。だから、「アドラー」なんてこっから先も出さないでしばらく暮らしていた。半年くらいしたら、「先生のやり方は何か変わっている。教えてほしい」と言ってきた。「いやだ」と言った。「私は自分でアメリカへ留学して高い金を払って学んできた。あなた方はただここへ来て習おうなんて甘い」と言って教えてやらなかった。彼らはすごすご帰った。2,3か月して来たから、また「いやだ」と言った。「お前たちは身銭を切る気もなくて、今まで学んだことを捨てる気もなくて、ちょっと一般教育でやりたいだけなんだ。そんなのに教えてやれない。今まで学んできたことを全部捨てて、徹底的に改宗するなら教えてやる」。またすごすご帰った。やっと1年くらいして、5,6人が改宗すると言って来た。仕方なしに、少しだけ教えた。それも出し惜しみして、聞かれたことにしか答えなかった。そうすると一生懸命勉強する。それしかない。
学校で、自分がほんとにいいクラス運営ができて、子どもたちといい関係が持てて、他の先生たちが、「先生ところのクラスはどうしてあんなにいいようにやれるんですか?」と聞いてくるまでアドラーの話をしてはいけない。夫婦間でも、お母さんと子どもとはすごく良くなって、何でも話が通じるようになるまで、ご主人に「あなたのやり方は間違っているよ」と言ってはいけない。それさえしなければ余計なトラブルは起こらないし、とてもうまく動く。
まだ十分実践できていない間に宣伝ばかりするのは、その人自身の信用もなくなるけど、アドラー心理学自体の信用がなくなる。何か変なことをやりながら、「アドラーだ、アドラーだ」とやっていると、「アドラーって大したことない」と思われる。その人がどんなに軽蔑されてもかまわないけど、アドラー心理学が軽蔑されるのは困る。勧進元としては。発売元としては。だから、僕、他の先生との関係は知らない。
Q そのときの話の中で、「学校というところは、それぞれの家庭で育った子が集まって、ある程度同じことを押しつけられるわけだから、そういうのを許すことは基本的にできない」と言われて、どう答えていいかわからなかった。
A 「そうですか。わかりました」と言う。権力闘争からは降りる。
Q ああ、縦の関係ですか。
A そう。そこでその人を論破したら日本の教育は変わるか。そこでその教師をひとり論破したところで日本の教育は何も変わらない。いつも人と喧嘩しそうになったら考える。「ここで私がこの喧嘩に勝ったら世界は変わるか、人類は救われるか?」。そうじゃなかったらあっさり負けよう。議論に勝ってもしょうがない。文科大臣と議論して言いくるめるなら、それはやってもいい。やる価値はある。(野田俊作)
外人宿
2001年12月17日(月)
東京の事務所の近く、台東区谷中(たいとうくやなか)の「よみせ本通り」に、外人用の旅館がある。オーストラリア人の友人が、外人向けの情報網で見つけて、泊まってみたところ、感じがいいという。空いていれば日本人も泊めてくれるというので、試しに泊まってみることにした。
スタッフは日本人で、日本語の疎通に問題はない。受付の後ろにiBookがおいてあって、インターネットにつながっている。誰でも使えるようだ。部屋のドアがやたら背が高いし、部屋の中も天井が高い気がする。和室で、バス・トイレがついていて、シングル一泊6千円+消費税だ。東京の宿としては抜群に安い。清潔だし、接客も感じがよい。これから、東京の事務所に講師を招いたときなどの宿にしようと思う。「アネックス勝太郎旅館」という。最寄駅は、山手線の日暮里か、地下鉄の千駄木だ。
まぼろしの牡蠣鍋
2001年12月18日(火)
広島の友人から大阪の事務所に牡蠣を送ってくれるというので、みんなで待っていた。ところが、どういう手違いか、いつまで待っても届かない。野菜や豆腐を買って鍋にするつもりでいたので、困ってしまった。ええい、仕方がない、牡蠣なしで食べてしまえ。しかし、野菜と豆腐だけではちょっとさびしい。大急ぎで近所のスーパーマーケットへ行って鶏肉とアンコウを買ってきてもらった。味噌仕立てで鍋にして、日本酒をすこし飲んで、楽しく盛り上がった。牡蠣だともっとよかったのだけれど、残念。
明日は私は東京へ行かなければならない。もし明日届いたりすると、スタッフがみんな食べてしまうだろう。くそっ。鍋だけじゃなくて、グラタンも作るという予定で、ホワイトソースも用意してあるのに。
ごっこ遊び
2001年12月19日(水)
新幹線で3人がけの席の通路側に座って東京へ向かっていた。隣は2席とも空いていた。名古屋から一人の女性が乗ってきて、窓際の席に座った。真中の席はまだ空いている。彼女は、まず真中の席のテーブルを出してエビス缶ビールの大きいほうを置いた。ほう、大きいのを飲むか。次にノートパソコンを取り出して、自分の前のテーブルに置いた。メールでも書くのかなと思っていると、違うんだね。パワーポイントを開いて、なんだかプレゼンの用意をはじめた。なかなか「雄々しい」姿だ。どうも、実業関係ではなく、学会発表の準備のようだ。女性科学者なのかな。
そういえば、斜め前の女性はニューズウィークを丹念に読んでいる。女性がニューズウィークを読んでどうってこともないのだが、でもやはり「雄々しい」姿ではある。こういう女性が増えたことを、私は喜んでいる。だって、話し相手としては、こういう人たちの方が圧倒的に面白いもの。ファッションや芸能にしか興味のない女性がいけないとは言わないけれど、話題がなくて困ってしまう。政治や経済や科学に関心をもってくれていれば、退屈しないで話しあえる。
それはそれとして、昨夜、パートナーさんとウォーキングしながら、子どもを虐待する母親について話をしていた。そういう母親は、どうも、子ども時代に「お母さんごっこ」をしたことがないんじゃないかと思われる人が多いように思う。本人たちに尋ねてみても、「お母さんごっこ」をした記憶を思い出せないことが多い。ただし、これはレトロスペクティブな(大人になってから子ども時代をふりかえった)データだから、あまりあてにならない。記憶は現在の信念を反映して選択されるのでね。つまり、今「母親をするのはいやだ」と思っているので、それに従った線で過去を想い出しているだけかもしれず、そのうち母親であることが好きになれば、子ども時代からずっと好きだったかのように記憶が変わるのかもしれない。
しかし、それはそれとして、子ども時代の「ごっこ遊び」は、人格を形成する上できわめて大切なことだと思っている。ごっこ遊びでもって、将来の行動様式の「種」をたくさん用意しておくんだ。境界は十歳くらいかな。それ以前にした「ごっこ遊び」をもとに、それ以後は生きていくんじゃないか。
先日、ある保育士さんが面白い話をしていた。怪我をした子があると、誰か他の子が付き添いになって職員室まで連れてくる。怪我をした子はただ泣いていて、付き添いの子が「○○ちゃんとぶつかって怪我をしたの。手当をしてください」と頼む。別の時、今度は、この前怪我をして泣いていた子が付き添い役で、別の怪我をした子を連れてくると、この前は泣いていただけの付き添い役がちゃんと説明する。「怪我人」のペルソナも「付き添い」のペルソナも、両方とも練習しておくんだ。3歳児ですでにそうなのだそうだ。この「付き添い役」のペルソナは「母親」のペルソナでもある。こういうのも「お母さんごっこ」のうちだ。
隣でパソコンを触っている彼女は、「女性科学者」のごっこ遊びをして育ったのかもしれない。向こうでニューズウィークを読んでいる彼女は「女性政治家」かも。もちろん、彼女らも「お母さんごっこ」もしたかもしれない。そうして、多様な「ごっこ遊び」を通じて多様なペルソナを用意するのではないか。そうだとしたら、彼女らもいい母親になるだろう。ところが中に、「お母さんごっこ」をちゃんとしなかった子がいて、大人になって出産して困っているのが、子どもを虐待してしまう母なのかもしれない。
こうして考えると、女性が政治や経済や科学に関心を持つことと、母親としてちゃんと機能できることの間には、矛盾が何もないことがわかる。政治や経済や科学が「男性的」な活動だという先入観は、歴史的に構成されたものにすぎず、生物学的な事実ではない。だから、そういう活動に女性がコミットしても、母親であることの邪魔にはならない。ちゃんと「ごっこ遊び」さえしておけばね。