Q
私の妻は私が異性と話をしたりするのをとてもイヤがります。例えば、仕事関係の電話があって話をしたりするのもとても気にします。私を信頼してほしいのですが、どうしたらよろしいでしょうか?
A
うーん。奥さんを愛さないとしょうがないんですけど、私はもしもこんな女性と一緒に暮らすとしたら、「嫉妬というのはわりと子どもっぽい行動だよね。恥ずかしいんだよね、嫉妬って」という話をして、ちょっと嫉妬しにくいようにしておきますけど。わからん。
Q
自分にとって大変だなと思う仕事があると、そのときまで不安でたまらず、最悪の場合のことばっかり考え、最悪の事態になったらこう行動しようと、そこまで考えたら落ち着きます。もっと気楽に考える方法を教えてください。
A
僕もこう考えますから、わかりません。直し方はわかりません。僕も最悪の場合を考えるのが凄い好きなんですよ。「こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう」を凄い楽しむんです。インディー・ジョーンズみたいなんです。無茶苦茶なことを考えるんです。凄い安心するんです。最終的にこれしか起こらないのかと思うんです。だから必要なんじゃない。
Q
小学校5年生の男子。書き順を間違える字がたくさんあります。特に平仮名や簡単な漢字の書き順が違うのが気になります。間違えて覚え込んだ書き順を直す良い方法を教えてください。
A
「目標の一致」といって、子どもが「直したい」と思ってくれれば直せます。「直したい」とまだ思ってなければ直せません。だから訊きます。「私はあなたの字の書き方を見てるとそれは間違っていて、世の中では普通そんなふうには書かないと思いますが、あなたは書き順を直したいと思いますか、しばらくこのままでいきたいと思いますか?」と訊きます。「しばらくこのままでいきたいと思います」と言ったら、「そうですか」と言うんですよ。それからふた月ほどして、「まだ書き順を間違えていますが、直したいと思いますか、直したくないと思いますか?」と訊くんです。「直したくない」と言ったら、「そうですか、じゃあしばらくそのままでいってください」と言うんです。子どもが「直したい」と言ったら、それでは直してもらおうと、こういう手続きです。これがアドラー心理学の良いところなんですよ。こっちが善悪を判断して「こうしなさい、ああしなさい」と言うんじゃなくて、「それ良くないと思うけど、あんたどうする?」と訊いて、子どもも「そう。それ良くないと思う」と言って初めて協力するという手続きです。
Q
ひとり暮らしを始めた息子が気になります。怪我したりしている様子だし、電話しても来ません。たまに帰ってきても、「向こうのほうが住みよい」と言うんです。これは子育ての成功と言えるんでしょうか?(成功です。成功です。)見守るというのは難しいもので、「ああすればよかった」と言いながら見ているという感じです。
A
うちも娘が1人なんか小田原へ消えていったまま消息を絶って5か月です。その前、手紙出して「生きてるか?」と聞いたら、「生きてるよ」と返事が来ましたから、いいんですよ、それが子育ての成功だから。親なしで暮らせるようになったら。いいかげん男でもくわえこみゃいいのにまだくわえこんでいないようだし。
Q
中学1年生と小学校4年生の子どもがいます。兄は週に2回くらい学校に行っています。妹は適応指導教室に飽きたようで家にいます。私は「子どもは学校へ行ったほうがよい」という信念を変えたくて、「学歴なんかいらない」という本を読みあさったりします。そうしているうちに、極端な思考に走れない自分に気づき、野田先生の「僕たちのアドラー心理学入門」が子どもの状況に一番寄り添っているなという結論に達しました。友だちから「別の考え方もある」言われて、そうなんだと思い、1週間ぐらい子どもたちにイライラしなくてすむけど、また不安になるということを繰り返しています。このごろ少し自動思考から抜け出しそうです。「楽笑会」も「子育て勉強会」もそのために必要なんです。自分は「自動思考」のお話がとてもよかったです。
A
ありがとうございます。私、中途半端で生ぬるいんです、いつも。「絶対学校へ行くべきだ」ともよう言わんし、「学校なんかいらねえ」ともよう言わんし、真ん中へんでウロウロっとしてるのが好きなんです。それが結局一番実情に合っているわけでしょう。「学校いらない」主義になっちゃうと、子どもが学校へ行く気になったときに困るだろうし、「学校絶対行け」主義だと、子どもが学校へ行きたくないとき困るだろうし、一番無難に対応できるのは、ボクシングのフットワークみたいにあっちへ行きこっちへ行きしているのがいいわけで、ガチッと固定しちゃうと動きにくかろうと思うから、いつもそんな感じなんです。だからある人には「学校やったほうがいいですよ」と、ある人には「学校やらなくていいです」と言うことにしてるんです。親はいつも子どもを援助するためにいるわけで、子どもの方向を決めるためにいるわけではないから、子どもの決めた方向に向かって援助すればいいんじゃない?