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話し合いをしたが大声で怒鳴ってしまう

Q
 毎日の感情のバランスがとりにくく、何もなくて朝から子どもがイライラ(これ、気分なんですね)。息子すぐにオーバーヒートする。話し合いをしたいが、大声で怒鳴るというしゃべり方をしているので、話し合いにならない。話し合うときに机をバンバン叩いたり、何がなんでも勝利をしているという形で挑んでくるので、果たし合い・決戦のような。たまにそのくせ甘えん坊でびっくりする。

A
 そんなとき、「今は話し合いのチャンスではないですね」と言って、さがる。話し合いは即打ち切り。何度でも打ち切る。「落ち着いて話ができますか」と言って「できる」と言って、また怒りだしたら、「今は話し合いのチャンスではないから」と逃げる。「逃げるか、卑怯者」と言っても逃げる。冷静でないときは話し合いのチャンスではないんです。その状態で続けてもしょうがない。だから、相手が怒り出したり、あるいは自分が怒ったら、「今は話し合いのチャンスではないです」と言って逃げます。それから、息子さんも知っていると思う。すぐカッとしちゃうことは。で、もしも話するんだったら、クールダウンする方法を工夫してほしいって、途中でカッとし始めたら自分で自分の部屋へ行って、それでなんかするとか、落ち着く操作、音楽聴くとかして、もう1回来てくれるとか、庭へ出て野球のバットで素振りして帰って来てくれるとか何か「あなたが落ち着く工夫をしてほしい」とお願いしたほうがいいと思う。とにかく、1回で決着つけなきゃなんないことってないんですよ、普通、家の中には。だから継続審議にして全然問題ないと思う。そうやって相手が興奮してしまったらストップして、2人ともストップして、カームダウンしてもう1回やり直しましょう。(野田俊作)

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適性    野田俊作

選曲
2002年08月26日(月)

 10月におこなわれる日本アドラー心理学会総会の余興にコーラスをしようと思っていて、曲を選んでいる。本棚を探っていたら、オーストリアの南部のケルンテン地方の民謡集やらスイスのベルン地方の民謡集が出てきた。むかし、学会などでヨーロッパへよく行っていた時代があって、そのころに買ってきたものだ。いくつか選んで編曲しようかなと思っているが、問題は歌詞だ。ドイツ語の方言なのだが、なまりがひどすぎて、標準ドイツ語からの類推ではわからない部分が多い。ま、想像で和訳するしかないな。
 もうひとつ、金沢大学合唱団の秘曲をとりあげようかなと思っている。金沢大学の先生が室生犀星の詩につけて書かれた曲だ。犀星の故郷金沢にちなんだ曲なのだが、総会は富山県砺波市であるので、近くの金沢にゆかりのある曲がいいかなと思うのだ。私がむかしいた大阪大学混声合唱団と金沢大学合唱団は姉妹合唱団で、毎年合同演奏会をしていた。そのとき、合同演奏の曲目になったもので、楽譜を保存していた後輩がいて、持ってきてくれた。すこし難しいので、やさしく編曲しないといけないかもしれない。
 明日からまたカウンセラー養成講座なので、なかなか時間がとれないのだが、休憩時間にでもすこしずつ編曲しよう。無伴奏混声4部に編曲するのだが、これはまったく楽だ。今週中にはすべて仕上がるだろう。



掘り出し物
2002年08月27日(火)

 今日も本棚をあさって楽譜を探した。すると、カルロ・ジェスアルド・ディ・ヴェノーサのマドリガーレ集がみつかった。うわー、こんなものを持っていたんだ。むかし買ったに違いないのだが、存在を忘れていた。すごい掘り出し物だ。
 ジェスアルドは16世紀の作曲家なのだが、音はきわめて現代的だ。和声が調性なくさまよっていく。そのうえに、半音階の旋律があてもなくただよう。どうたとえればよいのだろう。たえず脱皮をくりかえしていくような、扇が開くたびに模様が違うような、雲が次々とわいて色も形も違うような、独特の色彩感がある。
 ジェスアルドについて、アントン・ウェーベルンが大学にいた時代、論文を書いていたと思う。ウェーベルンは、アドラーの患者だった作曲家で、まるで虫の声のような、調性も旋律もない音楽を書いた人だ。アドラーも、そういう音楽が好きだったみたいだ。もちろん、私も大好きだ。ストラヴィンスキーも、ジェスアルドの宗教音楽の編曲をしていたんじゃなかったかな。彼の後期作品もすてきだな。
 ジェスアルドやウェーベルンやストラヴインスキーの後期作品を聴いていると、他の人から文句が出る。みんなが思っている音楽とは違うからね。だから、ひとりでひそかに聴く。隠れ現代音楽ファンなんだ。



ワイン
2002年08月28日(水)

 パートナーさんの弟がまた帰ってきている。いつもはデパートでワインを買い込んでやってくるのだが、今回は経路がデパートのある駅を通らなかったとかで、パートナーさんに電話があって、彼女が近所の酒屋にワインを買いだしに行った。「ワイン通の弟が帰ってくるんですよぉ」と酒屋のお姉さんに事情を打ち明けて、慎重討論のうえで買ったのが、イタリアもの・アルゼンチンもの・スイスもので、弟くんの好きなボルドーは含まれていなかった。なんでも、「めったに手に入らないめずらしいもの」を集めたんだそうだ。
 イタリアものはまあまあ飲めた。アルゼンチンものはひどかった。まるで漢方薬のようなブーケだし、後口もそういう風だ。スイスものは、弟くんは、「スイスのワイン。そんなもの飲むんですかぁ」と言っていた。たしかに白ワインならともかく、赤は、聞いたこともない。しかし、これは予想に反してまあまあだった。弟くんはきわめて愛想のいい人なので、この選択に不平も言わず、「ワインは、1本あけると1時間は話題になるでしょ。これがいいんですよ」と、姉をなぐさめていた。
 ちなみに、今日は鍋ではなく、焼肉だった。さまざまのものを焼いたが、「豚レタス」というのがおいしかった。豚肉と大量のレタスを焼いてポン酢で食べるのだ。シンプルな料理だが、脂を吸ったレタスがきわめてかぐわしい。



適性
2002年08月29日(木)

 カウンセラー養成講座で、適性のない人2人に、「あなた方は向いていないから、カウンセラーになることを断念したほうがいい」と言い渡した。この人たちは、以前にもこの講座を受けたことがあって、そのときも落第した。最初から才能ゼロだと私は知っていたが、受講させろとしつこく言うので、受けて試験に落ちれば悟るかなと思って、一度は引き受ける。1回の講座で、3~4回は実技試験を受けられるんじゃないかな。それをすべて落ちて、なお悟らない。翌年の講座も受けさせろとしつこい。ほんとうは断ってもいいのだが、ひょっとしたら反省して上手になっているかもしれないので、もう一度だけは受けてもらう。二度も落ち続ければ、自分で気がついてくれるだろうと期待しているのだが、気がつかない。仕方がないので、はっきり言ってあげる。
 こういうことについては、私だって迷うんだ。その人たちに適性がないという見極めについて迷うんじゃないんだよ。それはまったく迷わない。1回目の講座のときから知っている。そうじゃなくて、夢を砕いてしまうことについて、私がそれをしてもいいのかなと迷うのだ。しかし、私が砕かなければ、その人たちは不可能な目標に向かって生き続けることになる。いつか誰かが、はっきり言ってあげないといけない。だとしたら、私が言うしかないんだ。猫の首に鈴をつける役はいやなんだけどね。
 あと何人か、適性のない人がいる。しかし、一度目だから、今回は言わなくていい。言わなくても、多くの人は、自分で気がついて、再受講を申し込まないから、私は役目を果たしたことになる。だといいんだが、再受講を申し込みそうなのもいるな。そのときには、言おうかどうしようか。

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自信をなくした子を「能力がある」と思える子に戻すには?

Q
 今までの関わり方が悪く、もう萎縮、自信をなくしてしまった子をどうすれば、「私は能力がある」と思えるような子に戻すことができますか?夜スリスリして眠る?日中の行動が凄く気にかかる。

A
 いくつかわかんないけど、だいたい今までやった育児の半分の期間欲しいんです。だから5歳だったら7歳半まで。10歳だったら15歳まで、20歳だったら30歳まで時間をくだされば、取り返すこともできます。どうやったら取り返せるかというと、アドラー心理学を誠実に実行したら取り返せます。アドラー心理学の理屈は凄いやさしい。もちろん今日言っただけではないですけど、そんなに難しくなく学べます。ただ実践はとても手間がかかります。実践すれば、今までの間違った育児の半分の期間があれば、うんと良くなりますが、ただ良くなった姿はあなたが望んでいる姿ではない。子どもがこうやって消極的になったり反抗的になったり依存的になったりするのは、親が望んでいる姿と子どもが望んでいる姿と違うからなるんだと思うんです。アドラー心理学は、親の望む子どもを育てようとしているんじゃなくて、子どもが自分自身望む子どもを育てようとしているんです。(野田俊作)

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休息効果    野田俊作

休息効果
2002年08月23日(金)

 カウンセラー養成講座の実技試験を3人の方が受けられ、3人とも落第した。去年は、落第者が多いことで悩んだのだが、今年は気に病まないことにした。ひとつは、講義の内容をうんとシンプルにして、最小必要限のことしか教えないことにしたこと、ひとつは、パワーポイントでスライドをこしらえて要点を整理し、しかもそれを資料として配布していること、ひとつは、実技指導も、あまり細かい点に入り込まず、大きな戦略の立てかたに重点をおいて、できるだけわかりやすくしていること、など、講師の側でできる工夫は考えられる限りしたからだ。これで落ちるなら、生徒の側の問題だぜ、と、講師は開き直ることにした。あつかましいだろう?落ち込むよりはマシさ。
 全体のスケジュールは、前半に4日間の集中コースがあって、3日間休み、後半また4日間ある。前半が終わったばかりなので、まだ4日ある。その間に、成長する人は成長するだろう。昨年もそうだった。前半4日間ではとうてい合格の見込みのなかった人が、3日間の休みの間に、なにをどう悟ったのか、すっかり上手になっていたことがある。それに期待しよう。
 この休憩の間の上達というのは面白い現象だ。「水泳は冬に、スキーは夏に上達する」という諺があるようだけれど、ほんとうだと思う。ただし、一般論はできないので、上達する人としない人があって、その間にはなにか差がある。それを前もって予測できないかなと思っている。つまり、前半はあまり上手じゃなかった人が、休みの後どれだけ上達しているか、ひそかに予測している。当たりますかどうですか。
 しかし、こんなことを書くと、受講者たちはいやがるだろうな。誤解のないように言っておくけれど、私は、全員が合格することを願っているんですよ。落として喜んでいるわけじゃないんだ。ただ、アドラー心理学カウンセラーの品質管理は私の責任だと思っているので、水準に達しない人を泣く泣く落としているんです。



心理テストと鑑定
2002年08月24日(土)

 友人の弁護士に頼まれて、鑑定書の反論を書いている。民事裁判で、心理学者が原告と被告の両者に心理テストをして鑑定書を書いた。その内容が、友人の弁護士の依頼人の側に不利なので、反論したいが、なんとかならないかというのだ。まあ、「理屈と膏薬はどこにでも付く」と思ったので引き受けた。
 しかし、裁判に心理テストを使うなんて、どうなんだろうか。民事鑑定はもちろん、刑事鑑定でさえ、心理テストを根拠にものを言うことに、私は疑問をおぼえる。いかなる心理テストを使っても、丁寧な面接でわかる以上のことはわからない。しかし、素人はテストに目をくらまされてしまうだろう。テストは、一見「客観的」に見えるものね。なるほど心理テストのスコアは「客観的」なものだが、スコアの解釈はきわめて「主観的」なものだ。心理テストの客観性は、だから、見せかけにすぎない。そこで、鑑定書に書かれているスコアを、鑑定人とはまったく違う解釈を加えて反論する、というようなことができるのだ。鑑定人もインチキ臭いが、反論している私もインチキ臭い。



新潟
2002年08月25日(日)

 新潟市に来ている。新潟市で講演するのははじめてだ。長岡では何度か講演したことがあるが、新潟市には、間違ったアドラー心理学解釈に凝り固まった人々がいて、私を呼んでくれなかった。さいわい、そのグループは自壊してしまった。そのグループを支持していた人の一部が改心して、私を呼んでくれることになった。もちろん、自然に改心したわけではなく、新潟県下の仲間たちの根気強い働きかけがあったのだ。人が、自分が信じているものの誤りに気づき、正しいものを一から学びなおす気になるのは、大変なことだ。そういうことができるためには、本人の勇気も必要だが、周囲の勇気づけも必要だ。
 100人以上の聴衆が集まった。「長岡では講演していたのですが、ようやく新潟市まで来ることができました。だんだん北上しているから、次は佐渡かな」と、講演の冒頭に冗談で言ったら、ほんとうに佐渡から来ている人がいらっしゃって、来年は佐渡に呼ばれてしまいそうだ。まあ、夏場だったらいいかなと思っている。渓流釣りもダイビングもできそうだしね。
 遠く福島からかけつけてくださった方もいらっしゃった。東北地方は保守的なのか、なかなか正しいアドラー心理学が広まらないが、あわてることはない。「錐を袋に入れておくと、自然に先が出る」という中国の諺があるんだそうだが、根気よく運動していれば、いいものなのだから、かならず全国に広がると思う。

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小5女子、片づけをしない

Q 
 小学校5年、春から6年の女の子です。子どもが片づけをしません(また片づけか。)

A
 片づけについてどうしても困る。さっきは「捨てなさい」と言いましたが、1つはね、家族全員で話し合うこと。「片づけについて何か良い方法はありませんか?」って。一応やっぱり「捨てる」という問題だと思うんですよ。「夕方とか寝る前に床に落ちているものは捨てます」というのを家族全員で決めて、ほんとに捨てる。親のものであれ子のものであれ、出っぱなしのものは捨てるという方針は1つありうると思う。民主主義というのはそういうもんです。みんなが合意したら。だから「捨てられるのはイヤだったらみんな片づけてください」と、そういうのを家族全体で冷静に、脅しじゃなくて感情使わないで話し合って取り決めたことを、冷静に、怒りながら見せしめとしてじゃなくて、ざまみろじゃなくて実行すれば、それは効き目があると思う。これは難しい方法です。ここで親が冷静をずっと保つのが。「ざまあみろ」と言って捨てるから、たいていの親が。それをやっちゃダメね。(野田俊作)

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