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貧しくすればスピリチュアルか?

Q 
 先生のおっしゃる「プラズマテレビ付き、庭付き一戸建ての大きな家、大きな駐車場に外車3台」は単に身を守るためで(ああなるほど)、こんなものが人間のほんとの幸せにつながらないことは自分でもとてもよくわかっています。でも貧乏生活の中で暖房もなく雪が机にまで埋まってきて軍手で受験勉強してきた私からすれば(ああ、いいですねえ)、それも手に入れてみればと思うのです。悪いことをしていると思いたくない。(悪いことしてない。いいこともしてないけど)。それが社会の役に立ち、それがそのための生活の基盤ならシンプルにすべて壊す必要があろうやいなや?

A
 あのねえ、貧しさの中でスピリチュアルに生きるのと豊かさの中でスピリチュアルに生きるのとどっちが簡単か。僕はあんまり金持ちだとスピリチュアルに行きにくいと思うの。いろいろ未練ができて。もっともあんまり貧乏だとスピリチュアルに行く余裕がないと思うの。「衣食足りて礼節を知る」で。だからやっぱり中庸だと思うんです。中国人がインド人より賢い点はその点なんです。中国人の例えば道教の修行者たちは、そんなに極端な断食をしてガリガリになるわけでもないし、ずーーっと腕を上げっぱなしで腕が麻痺してくるヨガでもなし、奥さんもいたり子どももいたりするし、それなりに豚饅食ったりシュウマイ食ったりして暮らしているわけですよ。といって贅沢三昧しているわけじゃないんです。これが中国人のスピリチュアルな暮らしの1つの理想なんです。中国人がスピリチュアルな暮らしの理想像として描いているのが陶淵明という詩人なんです。陶淵明さんは下級役人だったんですけど、役人生活を捨てて田舎の自分の家へ帰って子どもたちと一緒に暮らしながら、畑を耕して悠然と南山を見て菊を取って暮らしたりしたんですけど、奥さんもいたし子どももいたんです。陶淵明さんの詩を読んでみると、「うちのガキゃー(餓鬼は)本も読まんとトンボばっかり取って暮らしている」と書いてある。それが中国人の思うところのスピリチュアルな暮らしだったんです。僕もそうなんだと思う。金持ちすぎるもいけない、貧乏すぎるのもいけない。真ん中へんが一番いいんだと思います。だからそんな暮らしをみんなが何となくイメージできるようになってくれたらいいと思います。アメリカ人は無限に金持ちになりたがったんです。だからビル・ゲイツさんなんていう人がいて、もの凄い金持ちだと思う。あんなに金があってどうするんだろう。ずっと前に補正項(日記)に書いたんだけど、ソフマップという電器屋さんがありますね。あれね、大阪の日本橋(にっぽんばし)に最初の店ができたときから知っているんですよ。そこで買い物してたから。小さな店でガレージカンパニーで、数人の従業員で、中国人とかの社長がそこに座って「ああせえこうせい」とゆうてたんです。それがアッという間に急成長しまして、今、東京にも店があるし札幌にもあるんかなあ、あっちこっちにあるんです。九州にもあるしね。ああなるとつまんないと思うの。小さな会社で、全従業員の顔を知ってて、なんかゆうたら社員が口答えして、「こら何してる。クビにするぞ」「クビにできるならしてみい」とゆうてやってたときのほうが、きっと社長は幸せな毎日ではなかったであろうか。株をどこの誰とも知らん人に上場して売っちゃって、人事部長が社長の知らんところで勝手に採用したり解雇したりしてて、そんな暮らしってリアリティがないと思うの。でもお金はたぶんうんと儲かるようになったでしょう。だから真ん中へんを越しちゃうと、今度は「過ぎたるは及ばざるがごとし」でかえって良くないんです。まあ、そこそこね。別にお金というものは決して人間を不幸にはしないが、幸福にもしないと思います。

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増えるフリーターやニート

Q 
 最近、フリーターやニートなど学ばない働かない若者が多くなっていますが、先生はどう思われますか?

A
 彼らの心配は彼らにさせよう。ニート、フリーターというような働かない若者を心配しているのは、われわれではなくて小泉さん(首相)です。小泉さんは税金の収入とか国民健康保険の支払いを気にしているだけなんですよ。若者たちの将来を心配しているわけではないんです。彼にとって関心があるのは、自分や自分の仲間の老後の心配だけなんです。だから小泉さんが心配しているだけで、僕らは心配せんとこう。若者たちは若者たちで面倒見てもらおうよ。

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24歳ニートの息子

Q 
 今日の講演は、幸せの本質を突くとても意義ある内容でした。ところで24歳ニートの息子には私の誤った育児(の訂正)はもう遅いのかなあと後悔しています。親鳥が雛を巣立ちさせるように人間だって、仕事も勉強もしなくてパラサイトのような息子と一緒に暮らすことが、時に大きなストレスになります。今更他人の話に耳を傾けるような人間ではありません。親鳥としては巣立ってもらいたいのですが、良いアドバイスをお願いします。

A
 まあ、巣立たなくていい社会的状況をどっさり作ってしまいました。頑張りすぎましてな、高度成長だとかいって必要以上にお金を蓄え、物を蓄えてしまいました。いいじゃないですか、これを食い潰すまでは。僕らが年老いて、その子たちの時代になればその子たちがその子たちの世界を作るでしょう。僕、そう思うんです。われわれ、僕今57歳なんですけど、団塊の世代でね、70年安保世代でね、まあ困った世代でね、教授さんたちを殴りに行った子もたくさんいてね(僕行きませんでしたけど)、そこまでせんでも親や教師に逆らって暮らしてきたんです。大変問題児だったんですよ。「この子たちが世界を担ったらいったいどうなるんだろう」と思われたと思うの。確かに今でも浮いてると思います。前の世代からも浮いてるし、後ろの世代からも浮いていて、この間、ライブドアの堀江さんという人がフジテレビを買収するだの何だの言っているので、テレビ局がアンケートをして、「堀江さんに賛成しますか?フジテレビに賛成しますか?」と言ったら、多くの人が堀江さんのほうに賛成するんです。買い取りのほうへね。しかも50歳の男性が圧倒的に賛成が多いんです。他の世代より。つまり僕ら浮いているんですよ。それはそうだと思う。われわれは前の世代とも違うしあとの世代とも違うけど、一生何とかこれでやってこられて、会社なんかでは僕らは「70年問題」って言われているんですって。問題世代でめったやたら頑張って働いて、前後の見境なく上にも下にも迷惑かけて暮らしたんだそうです。僕らのひと世代半下、今の20代くらいの人たちも、あれはあれで問題世代なんでしょう。けれどもそれはそれで一生何とかやっていくんではないでしょうか、きっと。僕らの作ったものを食い潰して、次の世代へあまりたくさん相続しないで終わる。それでいいじゃない。われわれは彼らについて心配するのをやめたい。彼らの心配は彼ら自身にしてほしいんです。僕らは僕らの心配で精いっぱいなんです。だから課題の分離をして、あの子たちに、まあ冷たく「家から追い出せ」とは言いませんけれど、もう心配してあげたり必要以上援助をしてあげたりするのをやめて、「あなたもいい年なんだから、援助やめ!」と言うて最低限のことだけしてあげたら?

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家事を頼むと断られる

Q
 関係は悪くないのですが、家事を手伝ってもらおうと思って頼むんですが、断られることが多いです。家族の者にそういう傾向があります。長い習慣がこのようになったと思いますが、どうしても家事労働が多くなります。頼むときの言葉やチャンスが下手くそなのかもしれません。自分自身に勇気づけするのにどのようにすればよいでしょうか?家事を丁寧にすること、毎日の日常生活を丁寧にすることに喜びを感じるにはほど遠い毎日を送っています。

A
 だいたいね、これは発想の一番根本のところで間違っていて、「家事はあんまり楽しいから子どもになんか絶対にさせるものか!」と、こう思っているの。子どもに、「あんたはダメ。こんな楽しいことをあんたにはさせられません」と言うと、したがるんです。まず親のあなたがそれをエンジョイする方法を見つけないといけない。家事って楽しいことよ。僕、毎日お掃除するんです。「生きるとは掃除することだ」という哲学があって、僕らの細胞は24時間ずっと掃除をし続けているんですよ。知ってますか?われわれはなんで呼吸するかというと、体全体をお掃除するために呼吸するんですよ。なんで食べたり排泄したりするかというと、体全体をお掃除するために食べたり排泄したりするんですよね。食べるというのは1日3回とかしかしないし、排泄も小便も含めて1日数回とかだし、呼吸もたかだか1分に20回ほどしかしないけど、細胞1個1個のレベルで見れば、その瞬間瞬間に新しいものを入れ古いものをそこから排泄しないと死ぬんです。家というのも生き物です。家、生き物だと思いませんか?ここからちょっと南へ行って西中島のほうへいくと、古本屋さんが前あったのが、そこの店主が亡くなったかなんかで誰も住む人がいなくなったら、家が朽ち果ててきてるんですよ。おじいちゃん(店主)がそこで古本屋をしているときは、その家は生きていて朽ち果てたりしなかったのに、人がいなくなったらどんどん崩れていくんです。あれ不思議だと思いませんか?もっと神秘的なことを申しますと、私の父親が死んだとき、家の心電計が壊れたんです。「おー、これ親父が生きてるときこの人も一緒に生きてたんだ」と弟と笑ってたんですけど、ほんとに機械とか家とか道具とかいうのは持ち主がそれを一生懸命使っていると、命が吹き込まれて生きていて、持ち主がいなくなると死ぬじゃないですか。家ってそうなんですよ。だからあなたの家も生きてるんですよ。その生命を保つためには、毎日掃除をしてあげないと家が腐ってくるんです。そう思って掃除をする。「これは家を生かすためなんだ」と。生きている家に住むのと死にかけ腐りかけている家に住むのとどっちがお好きですか?そう思うと、家事は楽しい仕事をしていると思うんです。「あー生きてるなこの家は」と。「お母さん、手伝わせて」「ダメ、何言ってんのよ。こんな楽しいことあんたなんかにやりません」と言うと、「そんなこと言わないで手伝わせて」「しょうがないわね、ほんとに。困った子ね」と言って手伝わせてあげるんです。

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スピリチュアリティ

Q 
 うまく質問できないかもしれないけど、野田先生の中でアドラー心理学の中で、スピリチュアルなことを扱っているのかスピリチュアルの中でアドラー心理学を扱っているのか、それとも両者同じことなのでしょうか?私は野田先生編曲のアドラー心理学がとても好きです。アドラー心理学が科学で言語システムの1つだとすると、言葉を超えたものを扱うスピリチュアリティを考えるとこんがらがってきます。私の修業にはあまり関係ないのですがちょっと訊いてみたくなりました。

A
 基礎講座では「理論」と「思想」を扱います。スピリチュアリティはアドラー心理学の「思想」の部分です。アドラー心理学の科学の部分は「理論」の部分です。「共同体感覚」というのをアドラーが言っていた時点で、共同体感覚はすでにもう理論じゃなかったんです。あれは思想で、「人間はいかに生きるべきか」という話だったんです。理論というのは「べき」でなく、「人間はこのようだよ」という「である」の話なんです。スピリチュアリティというのは思想ですから、アドラー心理学の中に収まります。スピリチュアリティという大きな運動、たくさんの運動がありますけど、その中にアドラー心理学をあてはめてもいいし、アドラー心理学の中にスピリチュアリティをあてはめてもいいし、別にどっちでもいいです。科学じゃないから、入れ子構造のどっちが外でどっちが内かあまり気にしないんです。アドラー心理学は昔からそうでした。ユダヤ教徒のアドラー心理学者が、「ユダヤ教の中にアドラー心理学があるのか、アドラー心理学の中にユダヤ教があるのか」と言ったら、「そんなんどっちでもいい」と当然言います。キリスト教徒もそう言います。1人の人間の中に混然と混じり合った生き方ですから、それを「どっちが外でどっちが内か、どっちが先でどっちがあとか」と言うのが近代的自我のやる仕事ですね。

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