Q
人と話すのが恐いのです。何も話すことのない自分を知らされるので用事がないとなかなか話せなくて、人を避けてしまいます。人と仲良くコミュニケーションするには?
A
あっ、話そうと思うからいけない。聞こうと思えばいい。聞こうって。対人恐怖とか引っ込み思案とか赤面恐怖とかいう人たちが私のところへカウンセリングによく来まして、私はきっとそんな人たちにいくつかのことを言うんです。まずカウンセリングしてて「あんたの話は面白くない」と言うんです。「あなたみたいな人がもしもう1人いて、その人があなたの側へ寄ってきてあなたとおんなじ話をずっとあなたに聞かせたら、あなたは聞くか」と。「そんなの聞かない」とその人も言うんですよ。だから、「そんな話、私はどんなに不幸か、しゃべるのが下手だとかをいくら言ったってみんな関心を持たないから、人に話をしてわかってもらおうと思うのをやめなさい。あなたはわかったところでみんな不幸になるだけだから、ひとりで不幸になってなさい」。これが1。2は「とにかく他の人の話を聞いてらっしゃい」って。家族の話とか友だちの話とか電車の中で隣どうし話している人の話とか、それを聞いて、絶対あなたはつまんないと思う。なんでかというと、あなたは人にわかってもらいたいけど、人をわかりたくないから。もらいたいけどあげたくないから。そのもらいたいけどあげたくないという基本的な姿勢がある限り、人の話は面白くないし、人生も面白くないんですよ。人生というのは困った原理が1つあって、与えたものが返されるんです。与えない人には何も返されないんです。だから「人に何もあげません。私にひたすらちょうだい」と言う人は、そのうちまわりの人にうんざりされるんですよ。だから、うんざりされた状態で神経症なんですよ。そうなると、自分が人に何を与えるかが問題なんです。与えるというのは、くだらない話でもないし付け焼き刃の冗談でもないので、一番与えてほしいのは、他の人の話を面白がって聞くということね。興味を持って他の人の話を聞くということが、一番与えられることだと思うから、それをお稽古しなさい。
Q
人間不信はどうしてなるのでしょうか?その直し方、ならない方法は?
A
使い道があるんですよ、何だって。だから、自分の人間不信というものをどう使っているか観察してくださいな。だからけっこう何だって良いことがあるわけ。人間を簡単に信じるよりは簡単に信じないほうが例えば安全だとか、損しないですむとかいうことがあるわけですよ。人間を信じて暮らすというのは投資するわけだから、投資するということは回収できない可能性もあるんです。人間不信だと投資しないわけだから、得しない代わりに損しないんですよ。人間が暮らしていくには得しないで損しない方法と、損するかもしれないけど得する方法と2つありまして、そのどっちでも好きなほうを取ればいいんです。どっちでも好きなほうを取ればいいんですけど、アドラーさんはよく「リスクテイキングしなさい」って、「危険を引き受けなさい」って。だってそうしないと面白くないもん。投資しないで誰にも何も与えないし何も害も与えないでそーっと生きていると、人生の誤った3つ目のやり方、無関心、関係しないやり方になりまして、これは一応人に迷惑をかけないから、支配するとか依存するとかに比べればマシな生き方かもしれないけど、少なくとも面白くない。それからまあある意味で穀潰しで、他の人の役に立ってないので、できたらリスクテイキングして楽しく投資もし楽しく損もしたほうが面白いんじゃない?そう思えば人間不信なくなるわ、使い道がなくなるから。
Q
私は六星占術という占いにはまっています。物事の判断をこの占いで決定することが多くあります。しかし「所詮占いは占い」という気持ちもあり、早くこの占いから脱却したいと思うのですが、どうも気になって仕方ありません。どうすれば脱却できるのか教えてください。また野田先生は占いをどうお考えでしょうか?
A
えーとですね、未来はどうやって決まるかというと、こう考えるんですよ。インド人がこう考えるので私もこう考えます。普通は時間があって、こう過去があって未来があって、で人間が現在こう歩いていると思うでしょ。こう考えるとこのへんに未来の何かがあったりして、歩いて行って出会うと思うじゃないですか。家があったり木が生えていたり。ところがインドの人たちはそう考えなくて、こう川が流れているんですよ。川はこっちからこっちへ流れているんですけど、上流から下流へね。で上流が未来なんですよ。下流が過去なんですよ。私は川の中に立っている棒っくいみたいなもんで、時間が向こうから来るんです。ワーッて突然来るから何かするんですよ、私が。何かすると下に波が立つんですよ。この波が立ってるあとに残ってる波をカルマと言うんです。「業(ごう)」ね。こっち側・未来には何もないんです。ただ「出来事」が次々起こってくるので、初めから家が建ってたり木が生えたりしないんです。私がパッと時間に出会って何かをする結果、世界が形づくられるわけ、私のカルマで。だから占いはないんですよ。未来は一切予言できないんですよ。というのは未来のある時点で私が何をするかでその時点が作られるから。全部私の行為だけで決まると思っているんです。で、占いというのは、人間が不安だからその不安から逃れるために編み出したまじないの1つですね。未来のことが知れるといいなと思うんですよ。その未来のことは一番根本的なところでは知ることができないだろうと思うんです。ただ、知ることはできないけど、何が起こっても自分のすることをしようと思ってさえいれば、そうビクビクしなくてもいいと思うんです。最後どっちにしても死ぬだけだし、最悪の場合。死ぬのは何してても死ぬしね。占いは僕、まったく信じてません。別に占いでお商売している人の邪魔しようとは思わなくて、そういうので助かる人がいるなら助かってもらっていいけれど、私自身は占いに助けてもらおうとは思いません。
Q
論文のテーマを見つけたいけどなかなか見つからない。どうしたらいいでしょうか?また、早く論文を書く方法を教えてください。
A
指導教官に訊くこと。僕いつも言っているんですけど、心理学の大学院の人なんかが私のところへ来て、「アドラー心理学で修士論文を書きたい」と言うから「そんなバカなことはやめろ」って、「自分のとこの指導教官が専門にしていて、『これで書いたらどうだ』というテーマで書きなさい」って。だって大学で学生を指導している先生というのはね、積み重ね、彼の中に蓄積があって、訊けば何でも知っているんです、その分野は。2年間もそんな人の側にいながらそれを使わないのはバカだ。アドラーなんていつだってできるから、そんなん大学を卒業してから研究するなら一生研究して一生論文を書き続けたっていいわけで、とにかく大学の卒論とか修士論文とかは、指導教官が得意にしている分野で、指導教官が「これについて書いたらどうだ」というのを、興味があろうがなかろうがいっぺん取りついてごらん。絶対に得するからって思います。私も、阪大医学部はちょっとシステムが変わってて6年行くんですけど、4年生から5年生に行くとき基礎医学が終わって臨床医学へ行くときに、ゼミと卒論にあたるものがあるんです。私自身は中川米三先生という、亡くなったけど、医学哲学の先生のところでサリドマイド事件のときに会社側の肩を持ってサリドマイドは無害だという論文を書いた学者が何人もいたんですけど、サリドマイドは無害だという統計の中のいかさまを暴くという変な研究をしていました。それって僕の人生の全体の流れにあんまり関係なかった、当時も今も。関係なかったけど、結果的に凄い良かった。そこで学んだいろんなこと、例えばドイツ語の論文をかなりたくさん読んだということ自体凄い良かったし、ドイツ語恐くなくなったから。統計というものをそのまま信用してはいけないよとかいうのも凄い良かったし、大学の先生は意外と簡単に買収できるんだということを学んだのも凄い良かったし、ほら、薬害エイズ事件の何とか教授とかいっぱいいるじゃないですか。あんな人たちは決して清廉潔白じゃなくて、ちょっとお金を積めばすぐ薬屋さんの思うとおりの論文を書くんですよ。ということを早くから知っているのも良かったし、結果的に凄い人生の役に立っていると思うんです。卒業論文とか修士論文ってそんなもんですから、自分の興味のあることというんじゃなくて、その学校のその場所にいて一番たくさん資料が提供されるようなものをしたほうがいいし、先生の得意なものをやったほうがいいと思います。論文の書き方も人によって書き方の癖があるので、それも指導の先生の言うとおりにしておいたほうがいいのじゃないかな。
Q
瞑想についてお願いします。クンダリーニ瞑想を後半30分ときどきしていましたが、昨年の秋から泣きたくなるというか、何かにつかまりたくなるというか、マイナスの感情が続きやめました。今年春よりわりと毎日しています。呼吸を見るのが難しく「考え」が出てくるのですが、手先がジンジンして呼吸は長くしたり短くできるのに、「心臓は勝手に動いているなあ、まあ1日も休まずに動いているんだけど凄いなあ」とか、「おならが出るなあ」とか身体のことが気になってます。時には瞑想ワークに参加したらいいのかと思ったり、参加すると癖になるとか、瞑想すると怒りとか不安とか憂鬱とかの感情が少なくなると、「トーキングセミナー」に書いてありましたが、怒りは少なくなったのに憂鬱は同じように感じてしまいます。
※「クンダリーニ瞑想」
・第1ステージ:15分
エネルギーが足元から上昇して来るのを感じながら、全身を緩め、振動させましょう。体のあらゆる部分を手放し状態で解放されるのを許し、振動そのものになります。
目は閉じても、開いたままでもかまいません。
・第2ステージ:15分
踊ります――あなたが感じるままに、体全体を、それが動きたいように動かしましょう。目は閉じても、開いたままでもかまいません。
・第3ステージ:15分
座るか立ったままで、目を閉じて静止します――内側と外側に起こっているすべてを観照します。
・第4ステージ:15分
目を閉じたまま横たわり、静止します。
第4ステージでは、あなたが望む場合は座ったままでもかまいません。
A
まあやっててくださいな。いろんなことが起こります。僕の瞑想の先生は3人いるんですけど、そのうちの1人のチベット人の先生が言ったんです。「退屈するようになったらホンモノだ」って。退屈しないでこうやって「おなら出るな」と思っている間はまだできてないので、そのうち「なんでこんなことしてるのやろ」と思う日が来ますから、それまではやってくださいな。