Q
産業カウンセラーについてどうお考えでしょうか?マクロな会社側に立った考え、ミクロな個人のための考え。現状はどう作用しているのでしょうか?
A
現状はどう作用しているか知らん(笑)。産業カウンセラーさんと個人的なつきあいはあるけれど、実際に会社の中で動いているのに立ち会ったことはないし、どう作用しているか知らん。同様にスクールカウンセラーも個人的なつきあいはあるけど、現場によってみな違うと思う。
私は、個人的な考えとしては、カウンセラーは弁護士と同じものだと思っている。個々のクライエントさんの側に立って、会社なり学校なりに対してクライエントさんを保護するために相談に乗るものだと思っています。が、今の制度はそういうふうにできていなくて、会社なり学校なりの側にカウンセラーがいて、会社や学校の都合のいいように個人を改造するお手伝いをするという制度になっています。
昔、ミッシェル・フーコーが批判したとおりです。かつて精神科医が国の手先になって、精神科の患者さんを国に都合のいい治安維持と生産性向上に向いた人間に改造する役割だったように、今はカウンセラーたちが会社や学校という小さな権力の手先となって、民衆を抑圧するエージェントになっている。それではいけないが、まあそれも、会社の考え方とかカウンセラーさん個人の考え方で、現場ではさまざまあるでしょう。(回答・野田俊作先生)
Q
時々学校を休む小2の息子のことです。途中から遅れて学校へ行くこともよくあります。このごろは、遅れて行くとみんながいじめるのでイヤだと帰ってきたりします。この前、行ったと思ったら、学校近くの雑木林でしばらく過ごして、少し遅めの遅刻になってから、ケロリとして帰ってきました。本人は林の中で勉強したり寝転んだりしてたそうです。上の娘に学校に見てもらいに行ってもらったら、先生に「神戸の事件(=首切り事件)もあったのに、何と無責任な親か」と言われた。私は、「もう1回学校へ行ってきたら?」と言ってプレッシャーをかけすぎたかなと思う。
子どもはその後、無鉄砲なこともせず自分で遊ぶ時間を決めて過ごしていて、良かったと思っています。こんな親は無責任でしょうか?
A
もうちょっと勇気づけてあげて、学校へ遅れて行かないようにしてあげられそうに思う。小学校2年生ならね。もうちょっと「適切な行動」に注目したい。
「遅刻する」というところに焦点を絞らないで、とにかく家を出て行くのは立派だとか、帰ってきても悪びれないで、正直に「学校サボったと言ってくれて嬉しい」とか。子どもとのポジティブなコミュニケーションをもうちょっと増やす努力をする。そしたら、「もうちょっと早く学校へ行けるにはどうしたらいいんだろうね」という相談ができるようになるでしょう。
初めから、「遅刻する」、「この問題を何とか取り除こう」という発想をするとうまくいかない。もっと良いコミュニケーションがいっぱいできて、子どもが「僕はちゃんとやっている。でも“これだけ”足りないんだ」という認識になったら、その「足りないこれだけ」を相談できるようになる。「適切な側面に注目すること」をしばらく濃厚にやってください。(回答・野田俊作先生)
Q
整理することが下手です。何か捨てようと思うのですが、「いつか役に立つかもしれない、これを買ってきたときああだった」と思い出して、捨てる決心がつかなくなります。潔く物を捨てることができたらと思います。
A
これは簡単です。友だちに頼むこと。
「うちの家を掃除して」と言うと、情け容赦なく捨ててくれる。私は、そういう友だちが1人います。彼女に頼むと何もかも全部捨ててくれるので、危なくてときどき頼めないことがあるけど、どうしても困ったら、「ちょっと掃除手伝って」と言う。「これも捨てよう。あれも捨てよう」と、懐かしい思い出のついたものを全部捨ててくれる。いいですね、捨てられてしまったら。だから、友だちに頼むこと。
私は掃除するのがあんまり上手じゃないんです。最近気がつきました。浪費癖と掃除下手とは関係があるんですね。私は浪費癖あるんです。掃除上手な人は節約するね。心理学的に深い関係がありそうです。
掃除下手なのでどうやって掃除するかというと、友だちを家へ呼ぶ。「今度ご飯食べに来てよ」。そしたら必死で掃除してくれる。しばらくはきれいです。また汚くなったら呼ぶ。あんまり物が溜まったら、掃除好きな人に手伝ってもらうんです。あとで後悔するんですけど。「しまったー」と。でも、後悔先に立たず。いいんですよ。後悔する決心をしておけば。(回答・野田俊作先生)
Q
最近親しくなった友人のことについてです。その人は普段から口数が少ないんです。一緒にいてもほとんど私がしゃべっています。時々しゃべりすぎたと思うことがあり、相手にしゃべってもらおうと思って質問してみたりするんですが、ひとこと・ふたこと・みことの返事、「うーん、どうかな」で終わったり、私が黙っていると向こうも黙っていることがよくあります。でも、向こうから電話がかかってきたり誘われたりします。こういうつきあい方もあるんでしょうか?
A
あると思います。私(野田)はよくしゃべる人なんです。でも、友だちの中に私よりよくしゃべる人がいます(浩→僕ではありません)。1人か2人。その人なんかと一緒にいると私は聞き役に回ります。すごく面白いことを言うんだもの。相手によってしゃべったりしゃべらなかったりするんで、きっと他の人もそうでしょう。私が他の人にしゃべっていてみんながそばへ寄ってくると、きっと私の話を聞きたいんだ。聞きたくない人はきっと私のそばへあまり寄ってこないんだ。寄ってくる人はきっと私の話を聞きたいんだと思ってしゃべっている。きっとこの人もそうでしょう。(回答・野田俊作先生)
Q
2名体制で内科の仕事をしています。以前、「自分1人でやらず他の人に任せることも大事だ」という先生のお話を聞きました。しかし、アドラー心理学を勉強すればするほど、自分1人のほうへ患者さんが流れてきます。どうすればいいでしょうか?
A
愛想悪くすればいいんだ。そんなにたくさん患者さんを診たら、患者さんに対するサービスが低下するでしょう。何かの方法で制限をかけたらいい。私なんか厳しく制限かけているから、ほとんどカウンセリングしない。「いくらでもします」と言ったらみんな私のところへ来るでしょう。私のところへ来ても大したことはない。そんなに腕が良くないから。さと子さん、鎌田君、中島君のほうがうまい。ある問題に関してはね。
だから愛想悪くして、「なかなかカウンセリングしません」と思ってもらうこと。「こんなにたくさん患者さんが来るから、私って素敵なんだわ」という我欲を捨てること。それは優越追求で競合的だから。(回答・野田俊作先生)