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嫌いな人を人格障害だと言うのは危険か?

Q 
 あまり人を類型化してはいけないとのことですが、大嫌いな同僚を人格障害だと思いたくなるのは危険な考え方でしょうか?

A
 もちろん危険な考え方です。僕は若い精神科のお医者さんと話をする機会がわりとあるんですけど、「人格障害という病名を付けないでね」と言っているんです。「精神科医が自分の患者さんに『人格障害だ』という病名を付けるのは差別なんだ」って。要するに「あの患者はイヤな患者だとか、あの患者は嫌いだとかいう意味のことを、医学的に難しく言っているだけで、そんなものを病名にするのは「イヤな患者」って意味でしょう。それはパニック障害とか強迫性障害とかと同レベルのものじゃないんです。価値判断が含まれているもの。価値判断が単語自身に含まれている単語は使わないほうがいいと思っています。「あの人はパニック障害だ」とか「強迫性障害だ」とか言うのには何も価値判断は含まれていませんからね。逆に、医学でも価値判断が何となくくっついた単語はあるにはあるんです。例えば、「痴呆」。「老年痴呆」というのを使うのをやめて「認知症」に変えました。なんで変えたかというと、「痴呆」という語彙そのものに「ボケて愚か」という感じがあってイヤだと言う老人たちがいっぱいいたんです。医師の側はdementiaという英語を翻訳して使っていたんですけど、「痴」にも「呆」にも意味があると思っていなかったんですが、「まあそう言うなら変えましょう」となった。それから「精神分裂病」は「統合失調症」に変えました。「分裂しているというのが具合が悪い、感じが悪い」と患者さんたちが言うんですけど、僕も「精神分裂病」という名前は良くないと昔から思っていたんです。あれは「精神統一病」なんです。へんなところに精神を統一しすぎているから、「UFOの命令だ」とか言うから、もっと分散してくれという意味なんです。特に精神医学の領域では、価値判断の含まれた単語を避けたいんです、いつも。患者さんがイヤだと言うと「はいはい」と病名を変えるんです。病名なんていうのは、ほんとは精神分裂病とか統合失調症とか僕らは思ってないので、F2だと思っているから、F2なんです。躁鬱病はF3なんです。全部国際病名分類の番号で覚えているから、何でもいいんです。科学者としては、名前というのがただの符牒ですから、そこに特別の社会的な意味がこめられていると思わないんですが、でもやっぱり入り込んでくるんです、いつも。特に「人格障害」personality disorderというのは、アメリカでも評判の悪い病名なんです。そんなものを病名として認めていいのかと。今、精神科病名分類は、大きく分けて2つあります。WHOが作ったICD(International Classification of Diseases国際疾病分類、今10)とDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders精神疾患の診断・統計マニュアル、今バージョン5)というのが出回っています。すごく立場が違うんです。どっちを取るかで日本の精神科医の中で争いがあって、僕は絶対ICD派なんです。ICDには「人格障害」という概念がないんです。DSMではすごく大っぴらにある。病名分類そのものの中にそういう価値判断がある疾患分類に反対なんです。まあ日常で人格障害という言葉を使いますから、もっとわかりやすく「イヤなヤツ」とか言うほうが誰にでもわかっていいと思う。(回答・野田俊作先生)

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神経症とは

Q
 神経症ってそもそもどういう状態のことでしょうか?

A
 神経症というのは症状があって、何かの不安とか動悸とか食欲不振とか不眠とか症状があって、しかも体の検査、脳波とかCT検査とかをすると、何も異常がない。だから「形の病気」ではなくて「働きの病気」なんです。脳の形が潰れちゃっているの、形というのは別に脳に腫瘍ができていなくても、脳の何かの物質代謝かなんかが壊れていて、セロトニンが増えてるだのノルアドレナリンが減っているだのがあれば、これは器質性ですが、神経症というのはどうもそんなんじゃないみたい。いくら生化学的な検査をしても何も出てこないけど、症状だけしっかりある。こういうのが神経症です。古典的には神経症を4つか5つに分けています。僕らが一番よく出くわすのはパニック障害というやつで、不安になってドキドキドキしたりして、ひょっとしたら過呼吸になってしびれてしまったりする、そういう病気ね。それから強迫性障害といって、細かいこと例えば鍵を閉めたかどうか、ガスの元栓を閉めたかどうかとかが気になってしょうがなくなって、他のことができないとか。それから癲癇(てんかん)性障害といって、あるいは解離性障害といって、二重人格になったり三重人格になったりして、突然ポコッと変わるんです。で、その間のことを覚えていない。あるいは脳波異常があるわけじゃなくて失神する。それから体の麻痺。何も体が悪くないはずのに、右手がずっと動かないとか、眼が見えないとか。そういえば皇后陛下がいっぺん声が出なくなったね。あれは亀さんの功徳で治ったんだそうです。小笠原島へ行かれて、ウミガメの放流をしているときに、いきなり「あなた海へ帰るのね」と言ったんだそうです。それで声が出た。亀の功徳ってありがたい。あれはヒステリー性神経といって、畏れ多いことながら病名はそうですね。別に耳鼻科的にはどこも悪くない。そういうのを神経症という。その神経症という病気が20世紀の初めごろの大変大きな話題でした。19世紀は現代の医学というものが出来上がった時代です。医学は昔のギリシャ時代からもちろんありました。昔の医学は、体液病理説といって、大学で習いました。どんな人が講義すると思いますか?おじいちゃんです。日本医学会の理事かなんかでヨボヨボなんです。難しい顔をして講義をしてくださった。体液病理説。血液とか胆汁とか黒胆(メランコリア)といって黒い胆汁と粘液と、4つの体液がバランスがあってそのバランスが崩れると病気になる。これ、ギリシャ時代以来の病理説です。体液病理説が最終的に崩れて細胞病理説というのができます。細胞病理説というのは、病気は細胞の異常だという説です。細胞の異常とはどういうことかというと、目で見えるということです。病気は目で見える。体液だと目で見えない。だから顕微鏡で体の細胞を見たら、病気のときは必ず細胞の形態的、形の上での異常がある。この説は病気を観察可能なものにしました。初めて医学が完全に科学として自然科学として語れるようになりました。誰がこういう偉いことを言ったかというと、フィルヒョウです。ルドルフ・フィルヒョウ。フィルヒョウ先生はウィーン大学の教授で、ウィーン大学の病理学と内科学の教授で、アドラーがウィーン大学に入ったときにはもういらっしゃいませんでしたが、アドラーはフィルヒョウの愛弟子から内科学とか病理学とかを習ったと思う。細胞病理説というものの発祥の地へアドラーは入学します。フロイトはたぶんフィルヒョウから直接習っていると思う。アドラーより14歳年上ですからね。こうやって全部の病気を顕微鏡で見るようになりました。そこで漏れたのが神経症です。それまで謎だった心筋梗塞も糖尿病も高血圧もみな体の細胞のどこかに何か異常が見られて、「あ、ここだね」と言ったのに、神経症はいくら習っても特定の病気ではないんです。それである種のお医者さんたちが神経症に大変興味を持ちました。最初に神経症というものをきっちり医学的に見ようと思ったのはフランスのシャルコーという神経科の先生です。フロイトはシャルコー先生のところへ留学しました。アドラーはフロイトと一緒にいたのでシャルコーの影響がありますが、要するにようわからん。疾病分類、型の分類はさっき言ったヒステリーだとかパニック障害だとか強迫障害だとできたんですが、もとになるものがわからなかった。でまあ諸説ありますが、アドラーはこれを劣等コンプレックスと言ったんです。生物学的な病気ではなくて心理学的な病気なんだと言いました。(回答・野田俊作先生)

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優越の位置・劣等の位置が変わるのは

Q 
 ライフスタイルを変えてうまく制御してまわりの人々と仲良く暮らしていても、優越の位置や劣等の位置は変わらないのでしょうか?

A
 「変わる」というのはどういうことかというと、洗脳なんて極端なことじゃなくて、僕たちが普通に出くわす変わり方、カウンセリング受けたりして変わる変わり方というのは、それまで白黒だったものがカラーになる、中間色がいっぱいできるんです。極端じゃなくなることだから、位置そのものは変わりません。そんなに変わったら困るしね。ライフスタイル分析を受けたらすっかり違う人になったりすると、みんな困りますよ。劣等コンプレックスは、劣等感を口実にして自分の目標達成しようとしない、上手な言い訳を言って動かないこと。自己欺瞞は、ほんとは能力があるのに何かのせいにして動かないこと。劣等コンプレックスは誰かを騙しているんです。「私は劣等だ、だから~ができない」ってね。誰が一番騙されているかというと、本人が一番騙されている。だから「自己欺瞞」と言う。「鬱、憂鬱で体が動かない」と言うと、家族がみんな冷たいんです。「そんなこと言ってさぼるの」と言う。これは結構当たっている。ご本人が一番「私は鬱だ、病気だ」と言っている。だから自己欺瞞です。劣等コンプレックスで一番騙されているのが本人です。「私のつらさなんか誰にもわからない」。わからないさ、あなたが作っているんだから。そのへんはアドラーの治療者はわりとクールです。作らなきゃいけない事情があるのはわかる。鬱であれ神経症であれ、事情があるのはわかるけど、みんなあなたが作っている。他の誰かがあなたの感情とか気分とか症状とかを作ることはできないので、あなた自身が目標追求のために作り出した手段なんだってまあ思います。だから気の毒だとはあまり思わない。工夫すればそんな方法を使わなくても目標追求はできるだろうと思う。(回答・野田俊作先生)

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質疑応答「優越の位置、劣等の位置は変化するか?」

 今日はこちらでお読みください。↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-10-3.html

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アドラー心理学は意志の強い人のため?

Q
 「アドラー心理学は意志の強い人のための心理学ですか?」と言われることがあります。私もそう思いますが、どのようにお答えしたらいいでしょうか?

A
 実は全員意志が強いんですよ、人間は。意志が弱いふりをするんです。そのほうが便利だから。本当は、すべての人は人間の行動を完全に主体的に、つまり個人が心身を動かす。「私が全部決めている」と言うといろいろ具合が悪い。何かに決めさせられているとか、感情に流されているとか、環境の被害者だとか言うほうが便利じゃないですか。だからそんなふうに酔っているんですよ。ライフスタイルそのものがそういうふりをする。「私は被害者だ」というのを全面的に押し出している人がいます。僕らはそんなことはないけど、ある程度は被害者でいたほうがいい。何がいいか?責任を取らなくていいから。全部自分が決めいたら全部自分の責任じゃない。だからアドラー心理学は意志の強い人のための心理学ではありません。アドラー心理学は普通の人間のための心理学なんですが、気に入らない人がいっぱいいるんです。なんで気に入らないか?アドラー心理学を認めると責任を取って生きなきゃならないから。「アドラー心理学はなぜ流行らないのですか?」と時々聞かれるんですが、流行らないと思うわ、これ。だって何も人のせいにできなくなるもの。(回答・野田俊作先生)

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