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4/2付「しょっぱいお握り」の件ですね。
これから出てきます。評者の都合でUP時期は前後する場合があります。
畏れ入りますが、しばらくお待ちください。
詩行の書き方、良くなりましたね。これでOKです。
島 秀生様
感想をいただき、誠にありがとうございました。他の方への評も含め、このサイトは、本当に学べることが多いと感じております。今後ともご指導いただけますとうれしいです。ありがとうございました。温泉郷
こんにちは。上田です。
拙作「覆輪舌の野花」に高い評価を頂き、ありがとうございました。正直、今回の作品は以前書いた戦争詩のように評価して頂けないのでは、「評価保留」ではないかと思っていました。
評にて指摘されてます “ガイド詩”であり”図鑑詩“ という位置づけにあるものが、詩として成立するのか、試行してみた次第です。
三浦さんは佳作を下さいましたから 是とされたわけです。人によっては神社仏閣のパンフレットと同じと看做されるかもしれませんし、散文との境界にありますからそちらの面からも「詩にあらず」とされるのではないか、不安を持っていました。
今、試行錯誤を重ね、詩作しています。
失笑されるようなものもあるでしょうが、気長にお付き合い下さい。
説明が難しくて「覆輪」など専門用語を使いましたことお詫びいたします。
お先に失礼します。
1 晶子さん 「Nuclear」 4/5
この詩は注釈が貴重で有難いことです。調べると、これはオッペンハイマーの伝記映画とのことです。これが無かったら、僕は何のことか、全くわからなかったでしょう。副題にして軽く強化しても可。この独白はオーソドックスに判断すれば、オッペンハイマー自身ということになるのでしょうが、初連~2連は何か核分裂や核融合のようなものを暗示しているようにも僕には取れたのです。
核の詳しいことはわからないのですが―。そして、その解釈で読んでも、この詩は読み通せる、そんな不思議さもありそうです。
ダブルミーニングの詩かもしれない。事の是非を外して書いているのも、この場合、良い方向に働きます。晶子さんにおいては異色作とも言えそうです。で、もうひとつは、なんか、この詩、切ないところがあって、そこがとてもいいんです。ひとつ指摘があるとすれば、この稿の2行目に書いたことが、ここに来て少し気になってきました。注釈に呼応して、少し映画に沿って書かれた部分も欲しかった気はしています。 そうするとサイズも少しちがったものになってくるでしょう。佳作半歩前で。
2 上田 一眞さん 「覆輪舌の野花」 4/6
まず評の手法として、品種に赤丸を付けて調べ(予備知識編)、その骨格を成す詩篇を味わうことにしました(本編)。
まずは導入であり総論的な「エビネ賛歌」です。それ以降はいわば各論。黄色と香りのキエビネ。
ジエビネのジュスティーヌの喩えはふるってますね。ナツエビネの白紫系の覆輪はジエビネの紅系とは好対照をなすようです。鹿児島編ではキリシマエビネとカンランの関係が今一つわかりませんでした。単に品種の違いでしょうかね。「長門峡のエビネ」「絶滅落胆」はいわば番外編と言ったところか。前者はむしろ中也賛歌であり後者は愛好家ならではの愛惜を感じます。
全体を通しての感想です。本作は山歩き愛好家、山野草(エビネ)愛好家には好適な“ガイド詩”であり”図鑑詩“(どちらも造語)である点でしょう。次に、それぞれ一篇として自立できる詩の連合体といった特異な立場を取っている。これ自体で立派な小詩集ができるでしょう。細かく見ると、それぞれの花・場に見合った描写、表現、修辞が成されている点が評価できます。それぞれに土地名が出てきて、花もさることながら、その土地の人文地理を味わうにも適しています。とりわけ「長門峡」の美しさはどうでしょう。「比類なき」といった表現が僕の中で生まれました。好みにもよりますが、前記「図鑑的~」要素と詩的価値は少し別物といった微妙さもこの詩は伝えているように感じることはあります。が、佳作です。
アフターアワーズ。
正直書くと、エビネ、全部同じに見えました(笑)。どんな分野も門外漢とはこんな感じでしょう。そんな中にあって、カンラン、フウラン、トキソウ、サギソウは個性が印象に残りました。サギソウに至っては優美としか言いようがない。余談ですが、花についても島氏はプロ級の知識をお持ちです。
3 荒木章太郎さん 「紅色鯨の種」 4/7
冒頭の2行は何のことか、わかりませんでした。全体としては食文化史と呼ぶべきものでしょうか。
とりわけ発酵食品のことだろうと思います。発酵と腐敗は紙一重のような気もしますが、人間の、あるいは日本人の知恵で菌を上手くコントロールして、紙一重を乗り越えてきた過程でもあるでしょう。そんな風に読めました。なかなか面白いモチーフを持って来られました。2連、3連はよくわからなかったのですが、食物といったところから少し離れて精神性の領域に至っている気はします。
そう考えると、この詩は人間の食物に対する接し方・発展の仕方(過去・現在)を省察し、未来へと繋げて行こうとするのが本旨ではないか、そんな風にも思えるわけです。俯瞰的見地にある作品。佳作を。
4 益山弘太郎さん 「わりきれないJOKER」 4/8 初めてのかたにつき、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
いわゆる「ショートショート」の定義にぴったりするような書きぶりですね。奇想天外ですが、ストーリー性はちゃんと備えています。パロディ要素もある。最後にオチも待っています。
アフターアワーズ。
この書き方は違いますね。掲示板冒頭のお願い「詩行を、1行おきに書くのはやめて下さい。
原稿は正しく書いて下さい」を読んでおいてください。そしてまた書いてみてください。
5 静間安夫さん 「紅白の桜」 4/8
多少、分析的になりますが、事実とフィクションの混合作品と推測しました。会社の事と桜~屋敷と少年と出会ったのも事実。少年にまつわる来歴はフィクションか?もっとも、奇妙な伝聞としての事実ということも視野に入れてもいいでしょう。語り口というか書きぶりになかなかの「圧」があります。先を読みたくさせる文章というか、引き込まれる力を感じました。
3行目までの出だしは軽くさりげなく→次に背景作り→少年の登場(現象描写)→古参社員が語る来歴(奇譚)→最後を飾る作者の思想。
こう見て来ると、ストーリーが自然でツボを得て流れていることに気づきます。歴史的背景も当時のリアルでしょう。そういったことを淡々と書いているのが、かえって怖いです。古参社員に語らせる設定(事実?)も効果が高いです。 フルボリュームの文章にあって、最後の連は単に恐怖では終わらせない何か気高いものがある、そんなエンディングです。 このあたりが静間さんの思想であり詩である所以でしょう。 佳作を。
6 ベルさん 「思い出は」 4/8
「傘寿」(さんじゅ)―八十歳のお祝いだそうです。勉強になります。今年だと1944年(昭和19年)
に生まれた人々です。なるほど、永遠といったラインから見ると少年も傘寿も同列と言えるかもしれません。タイトルに「は」を入れたのはけっこうこだわりがあったのかもしれないです。2連目は思わず遠い目をしたくなるような風情があっていいもんですね。しみじみします。
「おくやみ欄」とあるから相当著名な人かもしれない。以降に続く「昭和歌謡」の人かもしれません。
歌や音楽というのは不思議なもので、自分が生きてきた時代、時代に伴走するものですねえ。
3、 5連はそういった消息を語っている。充分思い出になり、最盛期のモニュメントでもあるわけで
す。ここでは「過去からの手紙です」「心の中のスクラップブック」などが代表しています。
「また今日も私は生きる」―そうですね、今日も生きるから、思い出は思い出たりえるわけですね。 佳作を。
7 森山 遼さん 「信じる」 4/8 初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
この詩の特色を成しているものに「言葉×3回」があります。これは意図されたことでしょう。
そこに思い入れとリズム感を感じる事が出来ます。ひと口で言うと、孤独、苦悩、逡巡といった雰囲気があり、その背後に僅かな願いや希望の気配を感じてはいるが、それをどのように活かしていいかわからない、そんなイメージで自己の内面を堂々巡りしているの感があります。心の中の具体性のようなもの、その核になるようなものを―はっきり書く必要はありませんが―もう少しシグナルとして出したほうがいいように思いました。様子を見ましょう。また書いてみてください。
評のおわりに。
桜もそろそろピークを過ぎ、散り行く頃。葉の緑が目立ってまいりました。
しかし、いにしえ人は葉桜をも愛でたとか申します。 では、また。
おはようございます。上田です。
拙作「おば様の歴史」に高い評価を頂戴しましたこと、大変嬉しくありがたいことだと思っております。
ご指摘のように私もキャスリンおば様がなぜ強制収容されなかったのか疑問に思っておりました。
ご本人に聞いたものではありませんが、当時、日系以外の軍人軍属に嫁した女性は収容を免れたようです。作品の中にその当たりの説明が必要だったかもしれませんね。
わが家には米国に渡った親戚も多く、子供心に定期的に送られてくる干しブドウや甘いビーンズなど楽しみにしていました。
彼らの歴史を紐解くと東洋人への差別の中に苦闘した姿が浮かび上がります。作中のユウセン・シミズ(二世)などはマンザナー強制収容所にぶち込まれ、苦労した一人です。その当たりは以前投稿した「ある日系人の苦闘」に書かせて頂きました。
ドイツ系のご主人を持ったキャスリンおば様はご主人とどんな話しをしたのか興味深いのですが、残念ながらもう出来ません。
また、新たな作品に挑戦して投稿したいと思いますので宜しくお願い致します。
島 秀生さま 評ありがとうございます。
飛躍させすぎっていうところ、最もなご意見かと思います。飛躍させると書いてて楽しいんですよね。ちょっとキビしめの評だなあと思いましたが、実力あるんでしょうかね僕は。うーん、飛躍させると楽しいですが、詩の完成度というところで落ちるというか、飛躍できないとダメみたいなところが自分のなかにあって、それが逆に足を引っ張ってるのかも。最近ちょっとスランプ気味でして。どうしたもんだか。あんまりネタにはしらず、地に足のついた詩?を書くほうがいいかもですね。やりたいことに実力がおいついていないってところでしょうか。うむむ、ここで考えても答えはでませんよね。実力があるとのお言葉を信じて、精進していきたいと思います。
ごめん。ウソつきました。
日曜は一日不在になるため、こりゃ月曜になるかなあーと思ってたんですが、
土曜のうちに(いやもう日曜だが)滑り込みということで。
●まるまるさん「たどり着いたお通夜の夜」
難しい年頃の息子さん。あまり返事もせず、口数も少なく、なんでも無関心なシラケたふうに見えてしまうので、その成長を心配する親ごころが日頃からあるわけですが、
大切な命の話は、ちゃんと聞いていた。ちゃんと受けとめてわかっていたことに安堵した親ごころが描かれています。と共に、通夜の夜、二人は同じ方向に祈りを捧げています。ステキなエンディングですね。
小さい子が亡くなる話を聞くのは、とりわけ気の毒な気持ちがいつもします。
この詩は、その亡くなった子の話と、難しい年頃の息子さんの話が、実のところ相俟っているのですが、今回とても上手に処理できていると思います。
小さい女の子のことなので、終連の「お星さまになるね」の表現もよく似合っていました。
それから、いつか個人詩集を出される時、息子さんの話はシリーズで読むことになると思いますが、そういう補完関係を得た時に、この詩はシリーズの中でとても映える詩になると思います。今よりもっとね。
そこも見越して、ノーミスの名作を。
●大杉 司さん「4月」
後ろから2連目は、いい事言うなあー この連は今の世情を表わしていて、まさに!!です。
2連も、暖かくなって活動的になることや入学・進学などの人の移動を示唆していて、季節と人の関係性が語られてていい。
4連の
嘘なんて吐かず
この春を感じていたい
も、気持ちの入った、いい詩行です。
終連の、
「心は晴れやかであるべき」と
近所の犬が吠えている
は、そこまでの流れにない飛躍で、スルリと騙されるけど(ここで、よもやのウソかも?)、この詩全体にとっては、とてもいいアクセントになっていて、ラストでの使用が成功してます。
うむ、いいデキだと思います。秀作プラスあげましょう。
些細なところ少し。
初連2行目「余裕なく」 → 「余裕はなく」の方がいいかな。
3連「今となっては」の使用法が、それホントは正しくないので、「今は」か「今では」かにする必要があります。そこの変更によって前後の調整が少しあると思うので、一考して下さい。
●相野零次さん「ポテトチップス」
うーーん、なまじうまいので、筆がすべっちゃうタイプなんだろうなあと思いました。
この作品、まじめ路線で書いても、ちゃんとテーマ性が出る作品だと思うのだけど・・・。テーマ性のスジを一本通しておいて、ユーモアで逸脱しても、またテーマ性のところに戻ってくるべきだったように思いました。
思うんだけど、「ポテトチップス」は、詩を書くためのただの材料に過ぎなかったのかしら? 「ポテトチップス」で書く限りは、「ポテトチップス愛」みたいなものをはずしてはいけない気がしてたんだけど、この作品はそれがすっ飛んでしまっています。そこが一番残念な点です。
具体的にいうと、序盤でまず、きちんとポテトチップス愛を述べて欲しかった。1~2連の内容だけで5連くらい書いて欲しかった。ウンチクを少しは垂れて欲しかった。「卵」に行くのが早すぎです。
それで卵の話をしてから、話を本線に戻してきて欲しかったのだけど、ラストの2~3連はもう1回ユーモアの飛躍に行ってるようにしか見えない。もしかしたら家族の何かを言いたかったのかもしれないけど、現状は飛躍にしか見えないから、これだったら、後ろの2連はない方がいいと思います。
いきなりキビシかったかな? 相野さんはそれなりの実力者だとわかるので、レベルを合わせてしゃべりました。
できるなら、読者が読み終えたあとに、それが食べたくなるような着地になる詩を書いて下さい。その方が、みんながホントに笑えますよ。
今回、私は初回ですので感想のみとなります。
●akkoさん「優しい時間」
まず、ご質問の回答から先に言いますと
初連の、
何ごともなかった日の当たり前に返ってきた
3連の
籠りきり
終連
忘れそうになっていた
行ってらっしゃい
行ってきます
これらの表現があるので、今はいないのだと大丈夫わかります。副題は不要です。
Akkoさんは、いつもいい瞬間を捉えますね。その「捉える眼」というのも大事で、ちゃんと詩人の眼をしてらっしゃいます。
初連は、実は1~2行目と3~4行目で時間が違うのだけど、もしかしたら1~2行目は、間際ではなくて、何十年か前の若い時の夫の映像がありそうで、反して3~4行目には、夫の姿がない。両者間には、何十年かの時が流れている気がして読みました。
それと今回は2連の叙景を上手に書きました。今回はこの詩にピタリとはまりました。さらには、両者の距離感というか、絵の構図を表わす大事な連になりました。
作者も女の子も、どちらもおずおずとした、スローモーションのような動きとなる3~4連も、様子がよく伝わるし、
5連の「優しい時間が流れた」の言葉も、言い得て妙。
6連の「スカートの裾が隠れるまで」の表現も生きています。
終連も、初連の意が蘇るように結論づけられていて、いい。
うむ、いいと思います。「行ってらっしゃい」「行ってきます」で見事に繋がったね。それに、いい瞬間を捉えました。映画のようなワンシーンでした。名作且つ代表作入りを。
これは余談ですが、その女の子はまず、声をかけられたのが知ってる人かどうかの記憶を辿り、知ってる人ではないと思ったけれど、挨拶されたら挨拶を返すという礼儀正しさでもって最後は判断して、挨拶を返したんでしょうね。それが、その間でしょうね。
でも、その瞬間に二人の時間が繋がったのは間違いないし、詩だから主観的に判断してもいい。それに、2回目からは「知ってる人」になってることでしょう。
●温泉郷さん「仲春の高尾山」
この英語表現は知っていますが、よもやまじめに展開してくるとは、思いがけなかったです。足払いをかけられたような気分でした。スッテンコロリとしてやられましたな。
二人の会話スタイルで進むところ(でも、一人芝居)。
「ネコとイヌ」を、「土砂降り」の語のあとではなく、先に出しているところ。且つ、4連、5連で創作を膨らませているところ。
「おにぎり」を作る話を、もう一つのストーリーとして走らせているところ
など、なかなか念の入ったテクニシャンです。
それでいて、話の軸をはずさないとこもいい。
タダモノではありませんな。
初回は感想のみになりますが、なかなか楽しみな人が来てくれました。
●荒木章太郎さん「折り鶴」
あのーー、読む者としては、最初はまっさらで入るので、「病室」と言われると、それでもう想像は病院の病室に飛んでしまう。すると、2連以降の部屋の風景と合致してこない。
病院の病室として読むと、初連は「病室」として読めるけど、2連からもう瓦解してしまいますね。
気分は「病室」かもしれないけど、一般読者に「病室」と言うと、病院の病室しか思わないわけだから、詩の出だしはまず、イメージを他者と共有できる言い方からスタートされるべきですね。
詩の出だしは、これから展開される詩の舞台というか、場所というか、イメージする映像の外枠になってくるので、そこで読者側と違えてしまうと、あとはずっと書き手と読者が違う舞台の上に、ものを積み上げていってしまうハメになるので、話がどんどん空振りしていきますよ。
比喩は話が中に入ってきた時に使うべきで、まだ話が中に入ってきていない、話の外枠段階で使うべきでないです。比喩はあとから出してくるのが基本形なので、慣れないうちは出だしに比喩を置かない方がいいです。
それと詩の舞台となるところ、「場」は、きちんと書いた方がいいです。それが話の外枠だからです。初連からぐっと盛り込むのではなく、「初連は、ゆっくりと丁寧に、スロースタートする」という心得でやってみて下さい。
と、基本形であることを勧めますが、ちなみにもう一つの手、高度なテクをいうと、
絶望に宛てて
毎日のように
千羽鶴が届けられた
と、初行を削除してしまう手もあります。
これは逆に所在は2連の「この部屋」に譲って、初連ではまだ所在を敢えて出さない書き方になります。
次の話になりますが、2連の「捨てられたアルミニウム」はお酒を想起させるので、伝わりやすい比喩でいいと思います。内容からすると、かなり荒んだ状態のようです。
想像ですが、この「千羽鶴」というのもきっと比喩なのかなと思って読みました。毎日届く励ましのメールのようなもの(ただし、本人にとってはかなり負担になっている)を、「千羽鶴」に喩えているのかな?と思い、読みました。
終連の処理なんですが、このサイズの詩でしたら、センテンスは長くしない方がベターです。
押し付けられた願いが
時に行き場のない怒りに変わり
部屋中に響き渡る
折り鶴の腹に
そっと息を吹き込むと
やさしさが膨らみ
希望が息を吹き返す
このように2センテンスにした方がいいと思います。
一考してみて下さい。
依然ミスはありますが、全体としての心情は、伝わるようになってきたと思います。大事なのはまさにそこなので、進展してると思います。
もうちょっとですね。半歩前とします。
●理蝶さん「アクアリウムと平和」
世界の平和とは何か? と問われた時、「戦争のない世界」という否定語ではすぐ答えられるのだけど、じゃあ、どんな感じになることなんだと問われると、説明するのは、案外と窮する。
でも、この詩で描かれる風景は、一つの回答例になるのかもしれないなあーと感じました。
2連の「海はいくつかに章分けされて 物語を語る」が、実際にはどういう感じかはわからないのですが、提案としては、この章分けのそれぞれの海の様子が示されたあとに、
7つの海からきた彼らが
縦横に行き交う様は
さながら この世界の交差点のようだ
が来たほうが、「平和の図」に見えていいんじゃないでしょうか?
つまり、並びが逆の方がいいんじゃないでしょうか?
その方が、イルカが跳ねる図とともに、七つの海の統合が平和の図としてダブルで描かれている感じになると思います。
現状は1~2連と、3連以降の話が途切れてる感じになってるので、両方の話が内容的にも繋がってくる感じにする(どちらも5連に着地してくるようにする)のがいいんじゃないかなと思いました。
そこの構成だけ一考してみて下さい。秀作プラスを。
後半はこのままでステキです。「心の凪」あるいは「凪いだ心」という言葉が、この詩にはとてもよく似合う。皆が凪いだ心で暮らせますように、と祈らずにはいられない。
●上田一眞さん「おば様の歴史」
日米開戦後に、西海岸の4州にいた日系アメリカ人は、れっきとしたアメリカ人であるにもかかわらず、「敵性外国人」(日本軍のスパイ活動をしたり、日本軍が攻めて来た時に、日本軍側に寝返る危険性があるという嫌疑からです。)と見なされて12万人が立ち退きの上、人里から離れた強制収容場所に追いやられた歴史があるんです。これは全くの濡れ衣で人種差別なのですが、ご主人が職業軍人だったから、それは免れたのでしょうね。また、もしかしたらそのサンディエゴの新居自体も、軍関係者用の住居(官舎)で、州に関知されない「治外法権」的エリアだったのかもしれませんね。
ちなみに日系アメリカ人だけでなく、ドイツ系アメリカ人も当時差別対象でしたから(アメリカはドイツとも戦っていたので)、ご夫婦はそのへんも数奇な運命を辿られてる気がします。
また、(私の勝手な想像でしかありませんが)のちにフィラデルフィアに移られたのは、ご主人が眠るアーリントン墓地と近いことが、そもそもあったのやもしれませんね。
戦後、米軍が日本駐留するにあたり、通訳として日系二世が多数登用された(軍人として)と聞くので、その中におばさまもおられたのでしょう。
主人を殺した日本軍の将兵を呪った
憎しみの感情がたぎった
から、日本へ来ての心変化、縺れてくる感情のところは、この詩の醍醐味だと思います。
最後に、アーリントン墓地の桜で描かれた情景は、両方が入り混じった象徴的風景で、戦争によって翻弄された、一人の日系二世の人生が描かれています。またそれが親族ということで、作者との距離が近いところで書かれているのがまた良いところです。
文体も、やや硬めの上田さん流の文体として出来上がりつつあるというか、レベルが上がったんじゃないかな? なにより流れがにキレイなんで、触るとこありませんでした。
このままで名作&代表作入りを。
強いていえば、冒頭の強制収容の時代と、時と場所が重なっているので、そこは若干説明入れた方がベターかもですね。もしかしたら軍にいる人にとってはそれは当たり前のことなのかもしれませんが、当時の世情と照らし合わせてみる向きには、そこに住んでることに若干の不思議があるので、補足あった方がいいかもしれません。
●晶子さん「螺旋の君」
「君」は、神のようであり、地球そのものであり、って感じですね。
ただし、「天地開闢」というのは、地球の大陸の生成期を意味するものではなく、「世界のはじまり」を意味するものなので、「天地開闢より遥か遠く」という言い方をすると、もう「神様」の話になってきてしまいますね。
また「螺旋」と言われると、DNAの方が先に浮かんできてしまいますが、生命体が変化していく様子をこの詩では想起すべきなのでしょう。ただし「神」であれば、最初から人間が登場することになり、「地球」の歴史で語るなら、いろんな生物を経て人間に至るわけで(もしかしたら人間の先にも進化形が待っているのかもしれません)、それぞれに2択の解釈ができてしまうのです。
つまり、この詩は「神」のつもりで書いているのか、「地球」のつもりでその歴史を伴って書いているのか? 最初から「人間」だけの螺旋なのか、地球としての「生命体」の螺旋で書いているのか? そこをはっきり最初に設定して書く必要があります。
どうも読んでて、そこが曖昧に感じてしまうのです。
私の意見を言えば「君 = 地球 = 一つの生命体」で書くのがいいと思うのだけど、その方が「天地が破れて」の地球規模の天変地異の意も生きてくると思うのだけど、ただその場合には歴史的な部分は科学的に踏まえて記述する必要があるのだけど、この詩にはそこがないのですよね。だから「神と人間」みたいに読まれてしまっても仕方がないところがあります。
ただ、そう読んだ場合にも、神は「螺旋上の前にも後ろにもいない、別個の存在」なので、「君の螺旋の中に僕らはいる」という言い方は矛盾してくる。
なので、悪いけど、この詩はどう読んでもスッキリしないんです。
抽象性の高い詩を書く時は、図に書けるようにしといた方がいいですよ。これ、ランダムに追ってるから混乱があるような気がする。
この詩、構想は大きくて興味深いものがあるので、そこは非常におもしろいところだから、全体図が成り立つように、また、全体図のパーツがきちんと埋まるように、もう一度見直してみて下さい。
現状、断片評価で、秀作としておきますが、うまくできあがれば、スケールの大きい詩になれる気配です。
それからね、あのーー、
赤字に白十字は、スイスの国旗ですね。スイス製ってことでしょうね・・・。
下書きの時にはざらっと気にせず書いていいんですけど、推敲段階では、正確を期すべき記述部分については、きちんと調べて仕上げるという習慣を持って下さい。
下書き段階では誰しも思い違いがあるものです。だからこそ、仕上げ段階では、工程としてそれをチェックする習慣を持っておいて下さい。
ごめんよ、晶子さんには期待が大きいから、評もキビシメなんです。ご勘弁を。
しょうがっこうへいくみちをあるいていると いろいろないろがあるいてる
よくみたら1ねんせいのランドセル
ピンクにキイロにアオやミドリ
かわいくさいたランドセルのはな
たくさんのはなは あたまにきいろい
ぼうしをかぶってる
1ねんせいはちいさいからランドセルしかみえないんだね
キイロとピンクのはながてをつないで
うれしそうにあるいてる
みんななかよしそうでうらやましいな
わたしも1ねんせいのとき
がっこうにいくのがたのしかったな
でもね いまのわたしはがっこうがきらい
みんなはわたしをいじめるから
かみのけひっぱったり わるくちいったり
だれもわたしとなかよくしてくれない
わたしはがっこうがだいきらい
1ねんせいにもどりたいな
がっこうがすきになりたいな
おともだちほしいな
1ねんせいのみんなはなかよくしてね
みんなでたのしいがっこうにしてね
すみません、私の担当日の評、
月曜夜になりそうです。
申し訳ないです。
後ろの評者の方、
できてたら、先に行って下さい。
よろしくお願い申し上げます。