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三浦様、いつも丁寧に読んでいただいてありがとうございます。
実は僕もこのうつわがどんな形かはっきりイメージできてません。
頭の中に何となくのイメージがあるだけです。僕たち人間は日々いろんな物を受け止めているけど、その全てを受け止め切れるわけではないし明日に活かせるわけでもありません。そういう所が穴の空いたうつわに似ているかなと思ってうつわに喩えて書きました。
うつわの精神性の方に着目して読んでいただけて嬉しかったです。僕もそちらの部分を伝えたかったので、変なうつわの設定が邪魔をしていないようでよかったです。
佳作の評もありがとうございます。
いつもありがとうございます。今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願いします。
ある広場
老人がカラスに餌をやっている
(奇特な人だ)
と 私はベンチに座って見ている
他のカラスもやって来て
鳴き声をあげながらケンカ
餌を取り合う
(バカな鳥だ)
と 私は黒い羽が騒ぐのを見ている
そんな光景もひと段落
すると空から光るものが落ちて来た
行ってみると
五百円玉が一枚
老人が叫ぶ
「五百円玉が空から降って来た!」
(あり得ない!)
おそらく ありようは――
地面で餌を探していたカラスが
落ちていた銀貨を咥えたはいいが
(これは喰えない)
と思って飛びながら嘴から放したものだろう
場面を考えると
餌を与えた彼への
お礼ともとれるだろう
(それにしては多すぎだろ? 釣りをやれよ)
彼が私の傍に来て
「アンタ 見てたろ 半分やるよ」
そう言って、私に二百五十円を手渡して
スタスタと行ってしまった
私はその老人を知らない
アカの他人だ
その後 コンビニで
その金で
鳥の唐揚げを買い求めた
さいわいか
あいにくか
カラスの肉ではなかった
***************************
評なしで。ほぼ実話であります。
気取り屋も気分屋も嘘つき屋も
太鼓持ち屋も活字屋も押し付け屋も
とりあえずビール屋を見下す重箱の隅つつきたい屋も
調子乗り屋に腹を立てる癇癪持ち屋も
目立ちたがり屋を隠した謙虚屋に
いれこんでしまった自称エリート屋も
不都合があるとすかさず手を合わせる祈祷屋も
何度でもさよならを言うわりになかなか立ち去らない執着屋も
いつでも相手の出方を伺う小心屋も
忙しいという看板を立てゲームにこうじるめんどくさがり屋も
期間限定でオープンされたクリスマス屋の前で立ち止まる
サンタ屋の配る風船をもらって
歩きながら少し笑うと
子どもみたいに空へ手放す
本当は寂しがり屋なのだと
気づいてしまう前に
****
雨音さん、ご無沙汰しております。
ちょっとしたご感想をいただけたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願いします。
メリークリスマス!
三浦様、作品『ある日』の評をありがとうございました。
こちらに投稿される作品で、私の心に刺さりまくる作品を投稿される方がいらっしゃいます。丁寧な日本語で、毎回書かれている作品に、ため息さえ出るほどです。もちろん、いい意味で。そんな気持ちを詩にしました。最後は確かにぼやけた感じがします。
また、投稿します。ありがとうございました。
僕は、縄文土器で縄文人が表現したかったものは、人間の肌艶だったと思うのです。
光と影、光沢。その中にある、ロマン。
迫害されていた縄文人たちは
きっと異性との充分に生活が約束された上での性交が出来なかったと思ってます。
その現実世界での敗北が、イマジネーションを逞しくし
想像の世界でのセックスを作ったのだと思ってます。
現代でそういう社会的存在があり得るとしたら、やはり障害者です。
障害者は合理性ありきの世界で生きていない非合理の塊なのですから
ロマンやイマジネーションによる創造に向いているのです。
障害者はけしからん。充分に社会貢献していない人間がなにかを言ってはいけない。
絵で表現するものと違い、文章で表現する障害者の弱みです。
パソコンも充分に使いこなせないし、バイトの履歴書作成すら出来ない。
僕は障害者。合理性の世界で生きていません。
クリスマスグッナイ。恋人もいない僕が、クリスマスを祝う。それって素敵だろう?
今回も拙作を丁寧にお読み頂き、ご感想を下さり誠にありがとうございます。
おっしゃるように「わたしはこの世にいないかもしれないが」の部分が
あいまいな表現になってしまいました。練り直してみます。
また投稿致しますので、どうかよろしくお願い致します。
お先に失礼致します。
1 上田一眞さん 「晩夏の蛍火」 12/16
冒頭佳作です。
現代の詩ながら、どこか中世文学に誘われてゆくような、そんな趣ある詩です。まずは防府市橘坂について調べ、映像も観ました。鄙びた道が続き、海が綺麗に見える、なるほど景勝の地ですね。ことさら「橘坂」が出て、「五日前 突然~」のくだり、「朝には紅顔ありて~」の句がある。母上は、何か不慮の死を遂げたことが想像されます。主人公の悲嘆の甚だしさも、そう感じさせます。そういった背景の中を飛ぶ蛍です。蛍を化身と感じ見つめるその感慨。「御文書」に見る無常観。これらがこの詩の柱となります。そういった日本古来の思想もあるのですが、僕はそれ以上に、文体が、その感覚が、2行目に書いた感想に繋がっていきます。これはひとつの技術となって、この詩にしっくり溶け込んでるのを感じました。詩情たっぷり、終わり方も印象的です。これは上田さんコレクションでもハイランキングになりそうです。
2 エイジさん 「言の葉紡ぎ」 12/17
この詩には言葉を生み出す時の辛さが書かれていない。これは批判ではなく祝福です。
詩に向き合う際の肯定性の中で書かれています。そこに詩的係数としての「言の葉」の喩えが入ってきます。そこから比喩世界を広げる。2連と5連の前半しかり、です。僕は4連と5連後半の書き方も好きですね。「幸せ」「楽しい」と「かかっている」「慎重な作業だ」などの硬軟のバランスもいいでしょう。この詩の背景は一言で説明可能です。「好き」だからです。「好き」という理由は全てを覆う理由です。
前回、少し”ベタ“という指摘をしました。今回はさほどでもないですが、少し痕跡を残すかのようです。甘め佳作を。
アフターアワーズ。
そうですね。僕も大体、この詩の感覚ですね。書いてる時は辛さはないです。「やりがい」とか「生活のハリ」といった感覚に近いです。辛いのは言葉や作品が浮かんでこない時です。歳と共に、そういうのが増えていきますね。
3 静間安夫さん 「小春日和」 12/17
今回、二度目の登場です。おそらく年配のかただろうと思います。それにふさわしく、文体は端正に整えられ、ゆったりと落ち着いています。
こういったものはやはり年輪が関与してくるでしょう。
この詩の動きを図示風に書くと、僕はこんな風に感じました。
心の豊かさが→ある種の強さを生み→それらを背景として心の平安が訪れる→悟りや達観の境地に至る。
これらが非常に順序立って整列し、文体と共に構成美を成しています。クリスマスに至るまでの時の流れ(待降節・降誕祭)をこのように書くのはキリスト教に造詣が深いのかも。一点、気がかりなのは「わたしはこの世にいないかもしれないが」です。どのように受け止めればいいのか?
今回から評価が入ります。書けそうな人ですが、基準としての佳作一歩半前からで。
4 晶子さん 「靴を鳴らして」 12/17
タイトル、ステキですね。 これは人によってさまざまに解釈可能だと思うのですが、僕は濃度濃い目の暗喩詩と把握しています。対象となるものは生活の仕方、生き方、好きなものとの接し方などでしょうか?アプローチの仕方としては「さりげなく、ナチュラルに、自分らしく、そして、わずかに匂わせる”ケセラセラ“」――。個人的には「音に合わせてスウィングすれば」が好きですね。「オ~、イェ~」ってな感じ。わずかに感じるメッセージ性を軽やかな語り口に乗せ好感です。
メッセージと言えば、終わり2行はちょっと“ハズした”ところがカッコイイ。タイトル兼中心詩行になる「靴を鳴らして」はなかなかシャレています。爽やかでいいですね。佳作を。
アフターアワーズ。
爽やかついでに言うと、初連のみ、ちょっと重たく爽やかでない。8行を2等分してもいいかもしれないです。
5 ベルさん 「ある日」 12/18
これは「ある日」に実際体験したことを綴ったように僕には思われます。その対象となる「君」は詩史上、有名な人というよりはむしろ普通の人が書いた詩に感動したと推測されます。その方がこの詩に似合う気も致します。よろこびの詩を読んだ結果、生み出された本作もよろこびの詩なのであります。生まれたこと、出会いのこと。反面、人はいつか消える、が、証だけは守られる。それが詩というものでしょう。それらの事情を詩は勇気と永遠といった概念で締め括ります。賛歌でしょう。
ところで、最後の1行が少し気がかりになりました。 ①文中「君」で統一されているが、此処だけ「あなた」である点、その関係性は? ②「いつかめぐり遭う」の語感には「今は未知だが」のニュアンスが伴いがち。いわゆる不特定多数的。してみると、前文との整合性や、いかに?
以上、2点が考えられ、着地が少し不安定な気はしたのです。佳作半歩前で。
6 理蝶さん 「うつわ」 12/18
もともと穴の空いたうつわなるものを考えてみましたが、うまく思いつきませんでした。常識を少し外したところから始まるのか、それとも(以前は健全だったが)、後天的に負の要素を負ったのか、傷ついたのか、たぶん後者だと思う。ただし、この件はさほど問題にはならないでしょう。なぜならば、それ以降の主人公たる「うつわ」の精神性がこの詩の主要部分であるからです。今の構造上、通り過ぎるのはやむを得ない。しかし忘れない。熱い記憶として、全てずっと留めおく。その気概のことです。負を負いながらもけなげに気高く刻印する。終わるまで――。
このうつわの様態がユニークな着想だし、全篇を流れる思想に見事に寄与しています。その高め方に佳作の証明があります。
7 大杉 司さん 「咳」 12/18
僕の独断と偏見かもしれませんが、俳句・短歌の世界は極度に散文的ということを嫌うような気がします。詩は散文詩という分野があるくらいですから、さほどでもないのですが、この詩はやはり散文的なところがあって、もう少し詩的純度は上げておきたいのです。策としては、語るべきは最終連という気がします。例えば、2~4連は削除してもいい。1連~5連~7連と繋いで(ここも少し省略形でも可)、繰り返すようですが、この詩において大いに語るべきは最終連。どんな気持ち?(こりゃ、大変だ!)それとも(大したことはないだろう)? 会社は?etc。そんな部分をふくらませて書くといいと思います。大杉さんは今日的なモチーフを掬い取っている点に優れ、好感をもっておりますが、修辞的に詩的な表現を用いれば、さらに良くなると思っています。そのあたりを意識してもらえればいいと思っています。佳作一歩半前で。
評のおわりに。
さて、いよいよ年末本番といった感じ。クリスマス終わると、ドーッと行く感じ。
ミウラやるべきこと。 忘年会1件、除草作業、窓拭き、年賀状、仕事納め、2年越しの評エリア。
評投稿のほうはこれが今年最後になります。一年お付き合い頂き、誠にありがとうございました。
澄みきった空を翔け 風を切る
鳥影
晩秋の頃
決まって柿の木に飛んで来る
鳩より少し大きい
鳥がいる
隼の仲間でありながら
優雅なホバリング
ドローンのように空中で静止して
畑のモグラを狙う チョウゲンボウ
キッキッキ と啼いて
高枝にとまる狩りの名手
いつもこの季節
妹を背負って探し歩く兄
幼い妹は広い兄の背中に負ぶさって
お兄ちゃん
鳥さん おらんねぇ
茶色い羽根の鳥さん
どこに行ったの?
何度も何度も
繰り返し
聞く
猛禽類の好きな兄は
飽きることなく
長く伸び始めた自分の影を踏みながら
畑の周囲を見渡す
早く見つけなきゃ日が暮れると
少々焦りぎみ
鳥さんやぁ〜い
鳥さんやぁ〜い
二人の掛声が縺れあう
妹は遠くにいる鳥の姿を見い出すと
小さな可愛い顔を綻ばせて
喜ぶ
そして
満ち足りたのか
兄の背中で
すやすや 寝息をたてて眠ってしまう
疲れたんじゃのぅ
ごめんよ
静かで
豊かな時が流れ
背中から脳髄へ伝わる幼い妹の温もりが
ふんわりと柔らかく
愛おしい
起こさぬように気をつけて
ゆっくりと歩く
それを見たのかチョウゲンボウが
柿の木の上でキキキキキ と
高笑いする
やがて
鳥の影も長くなって頭上に落ちてくる
秋の落陽が赤く空を染め
ひんやり冷気の漂う
愁いの晩秋だが
そこは
ホコホコとした
命の温もりに溢れている
仕事帰りはどしゃ降りで
駅前では女が二人立っていた
金が欲しいと立っていた
俺は鞄の中をびしょ濡れにして
カビが生えた過去しかないと跳ね除けた
おじさんの皮を
剥いたらマーメイド
マーメイドの皮を剥いたら
マーブルケーキな子供の頭
頭を剥いたら何もない
今宵は一人カレーを作る
出てゆく君が泣いたのは
俺が玉葱だからだろうか
剥いても剥いても皮ばかりと
匙を投げてしまったか
玉葱の皮には役割がある
中身がないことを受け入れ
剥いたものと君のものとを
混ぜて炒めて煮込めば良かった