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今回も私の詩にお目を通して頂き、誠に有難うございます。
そうですね...確かに新鮮な感じが乏しくなってしまいました。
この一座と主人公の名前は架空です。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
紗野玲空様、素敵な評と感想を有難うございました。
紗野玲空様のおっしゃる通り、この詩は桜の木の下で咲く小さな雑草の花について書きました。
ちょうどこの時期は近所に桜の花がたくさん咲くので、地元の人も観光客も桜にばかり目に行きがちになるようです。
そんな目にも留められない雑草たちに自らを重ね合わせました。
深く理解し共感していただけて大変嬉しく感じます。
また指摘して頂いた箇所はさっそく直させて頂こうと思います。
これからも精神込めて書き続けたいと思いますので、なにとぞよろしくお願いします。
神たちが議論している。
どうすればこの世から争いがなくなるのか?
そもそも争いはなぜ生まれるのか?
限られた資源を奪い合うのが目的ではないか、
みなが満たされていれば争いなど起きない。
人間たちにはお金というものが必要である。
有限である。無限に作れないものである。
これを見直す必要があるのでは?
しかし神は言う
「そうなのだが、それはとても難しい
人間たちによって作られた決まりに直接手を加えることは、原則としてできないのだ。
神にも決まり事があるのだ。君たちもそれは知っているだろう?
天変地異などを起こして、遠回りに変えていかなければ、どうしようもない。
傷ついた人間同士の支えあいがヒントになる。
奪い合いの逆のことを行う必要がある。
そのために、ある程度の災害や紛争を起こしていかねばならない。
違う!それは違うのだよ。
全ての争いを失くすことなどできぬのだ!
もう遅いのだよ。それが出来た時期はとうに過ぎ去ってしまった。
そうだな、少なく見積もっても三千年前とか……いや、今言っても仕方ないさ。
そうだ。小規模な争いをいくつか起こすことによって、
人自身のバランス感覚をもう一度思い出す必要があるのだ。
そう! バランスだ。光と闇だよ。陰と陽だ。凸凹コンビだよ。
寓話などで指し示しているではないか。そう、遠回りだが、仕方ないのだ。
他ならぬ人間自身によって、改めてもらわねばならぬのだ。
そうだ!神は万能などではないのだ!
だからこそ、みなの気づかぬところからコントロールしているのだ。
正解は神自身にもわからぬのだ! 実験だよいわば。違う、生体実験ではないよ。
ある程度の見通しはついている。
バランス感覚、次に大事なのが取捨選択だ。
何が必要で、何が不必要なのか。
ときには見捨てることも必要不可欠だ。
ここで重要なのが、これ、ここが一番大切なところだ。よく聞け!目を凝らせ!
愛だ! 愛が最も大事なのだ!
人間しか持っていないものだよ……いや、違うな。
人間はいまや動物たちの頂点に君臨している。そうだろう?ひとつの種を滅ぼすことすら簡単にできる。
殺傷能力はあるし、乱獲することも容易だ。
それをしないのはなぜか。愛だ。ひとえに愛のおかげだよ。
ああ、極論かもしれない。
しかし、最早それにかけるしかないのだよ、諸君!
ふう、よし整理しよう。
優れたバランス感覚で取捨選択し、愛に訴える。
これが大事なことだ。
神自ら手は出せない。
祈るしかない。
そうさ、神頼みという言葉は神のためにあるのだ。
神の力を十二分に発揮させるために宗教などがあり……。
おっと、これ以上はまた別の議論になるな。
今日のところはここまでにしよう。
最後にもう一度だけ。
一番必要なのは、人間の愛だ。以上」
評価ありがとうございます。
戦争だけでなく、弱肉強食や食物連鎖など含めて、スケールの大きさを出したくてひらがなにしました。
童話っぽいイメージもあります。
新聞に載ったら大喜びしますね。そう言っていただけるだけでもうれしいです。
また書かせていただきます。
1 上田一眞さん 「みいちゃんと木苺」 4/20
ひと口で言うと良い詩です。文学的香気も感じることができます。当然ながら木苺(蛇苺)について調べました。学術的、分類的話柄はこの詩の主旨ではないので措きます。この詩は二つの点において注目、評価できるのです。まずはひとつ目。これは叙述上のこと。
この詩はもちろん①円熟した大人の上田さんが遥かな過去を思い出して書いたことは明らかなんです。ところが、②まるで当時の実況のようなライブ感覚があり、過去をそのまま現在進行形に乗せた背景がある。作者が当時に成りきって書いている。
① : ②=10% : 90%くらいの比率で僕は見てます。そこに僕は詩の価値を見出します。
次にふたつ目。こちらは詩の心情的なこと。
この詩に見る兄・妹の仲の良さがうるわしい。妹は兄を心から信頼し楽しいひとときを満喫している。いっぽう、兄は妹が可愛くてしようがない。喜んで楽しく世話している。「彼女の好きな夏の到来だ」や終蓮によってそれはすでに明らかです。こういった両人の消息がセリフの中で生き生きと綴られます。上記のふたつは、言ってみれば、ハードとソフトで両輪を成しているかもしれない。
結果としての佳作です。
2 詩詠犬さん 「Skimaくん」 4/20
当然のように「ニッチ」という言葉が想起されます。もともとビジネス寄りの言葉ですが、原初の意味はまさに「隙間・Skima」ですね。
この詩は面白くも賢く人・物・場所・時間の真理を衝いている。隙間=余地、余力、“遊び”をも意味するでしょう。「隙間くん居なければ 息苦しくもなっちゃうよ」―このあたりがそれの最たるものです。場所や背景の設定も上手く考えられ(なるほど)と思えるものです。この詩の発想自体も、誰もあまりカバーしないところを衝いてきた。詩世界でも上手く隙間を狙ってきたわけです。
最終連―(これが言いたかった?)―どうやら結論が出たようですな。こちらはSkimaくんと仲良しの“佳作くん”にご登場願いましょう。
3 相野零次さん 「やさしいうた」 4/21 初めてのかたなので、感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
やさしいうた、やさしい詩です。童話の一部分から現れたような気もしました。全てが良い発想、良い記述なのですが、とりわけ印象的なのが「びょうどうに ふりそそぎます」「なみだのおちるおとを こーらすに」「ないたあとは はれわたります」などでしょう。陽の光、雨が降り注ぐように地球全部に降り注ぐやさしいうたがあってもいい、そんな発想。世間の多くの場所でBGMといったものが存在しますが、全世界に降り注ぐやさしいうたがあってもいい、そうすれば戦争など無くなることでしょう。そんな願い。評者はなかなか感動しました。新聞にもたまに詩が載りますが、こういった詩も載れば嬉しいです。
ぜひ、また書いてみてください。
4 あこさん 「たそがれ」 4/22
たそがれの中で思ったこと。それが人の最期の迎え方だったようです。
これは実際に想起されたことと推測されます。
「助けてくれと願いながら」か?
「からだ中の愛だけを胸に」か?
当然、あこさんは後者を願っているわけですが、「私のなかの無数の貴方とともに」が最も詩的であり想いの重量を感じています。
ところで、最後の集団「あの人のための~」から最後まではフォークシンガー吉田拓郎楽曲「人生を語らず」の3番歌詞そのままです。そのつもりで、大幅文字空けをしたのでしょうが、それだけでは不十分で、これは注釈とか引用紹介を絶対すべきです。そうでないと、あこさんの立場を危うくする可能性があります。評価は保留にしておきます。
5 森山 遼さん 「世界内存在」 4/22
まずは「存在」ということです。それに関わるに自分(わたし)と君(他者)がいます。その関係において自分は君を信じる。信じる力を感じる、というもの。後はよくわかりませんでした。
前作と今作を読んで(ああ、こういう書き方をする作者さんなんだ)と概ねわかる気がしました。
具体的に言うと、短い言葉の連続(ex ただ、君、なぜ、だから、もう すべて)と断片的なショートフレーズです。
僕は①詩は平文・小説と違い、必ずしも100%伝える必要はない、と思っています。
ただし②何がしかの匂わせ、暗示、象徴によって、一定のイメージを読み手に与えるべき。
―と考えています。この書き方だと、②もなかなか難しいと思えてくるのです。
よく言えば作風、悪く言えば―大変失礼ですが―クセのようなものかもしれない。
これは直したほうがいいです。もう少し各文節に意味を持たせ、各文節を繋いでひとつの流れを作ることです。そこに必然的に②も出て来るはずです。②までは持っていく試みをしてみてください。今の状態で行くと、いつか壁にぶつかる気がします。 佳作二歩前で。
6 静間安夫さん 「旅立ち」 4/22
前作とガラリ、フィーリングを変えてきてます。いわば”独白詩“といった雰囲気です。忘れないうちに言っておくと、2連、けっこう時代がかった内容なので「ステージ」よりも「舞台」のほうがいいかも。
内容はこの通り、額面通りでしょう。なかなか気概があり“きっぷ”のいい人物ですね。まあ、こうじゃなきゃ、やっていけない稼業だったでしょう。ここで押さえておきたいのは、旅とは普通、非日常ではありますが、この竹本孫太夫さんにとっては旅こそが常態。そういう彼にしてみれば、死も旅の延長、拡大解釈の中にあるとも考えられるのです。覚悟のうえで、あるがままに受け入れる、といったところでしょうか。いや、むしろお芝居のように賑やかに迎え入れかねない勢いですね。
勢いといえば、まだ当分死なない、そんな気さえ起こさせる孫太夫殿ではあります。今回、読んで面白かったです。ただテーマへのアプローチ法としては割とありがちな気はします。佳作半歩前で。
アフターアワーズ。
この一座と主人公の名前は架空ですかね。
評のおわりに。
さて、ゴールデンウイークです。皆さん、いろんなプランをお持ちでしょうね。
されどミウラ、人並みの休みあるも、理事会、親戚来訪のみ。
後は行くアテなし。詩のネタなし。行きつけのジャズ喫茶に行って、
ジャズ魂でも体内注入してくるか! では、また。
申し訳ありません。都合によりお先に失礼致します。
4/23〜4/25にご投稿いただいた作品の感想でございます。
素敵な詩を沢山ありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
*******
☆「本気の真っ赤な麻婆豆腐を召し上がれ」 紫陽花さま
紫陽花様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
今回も、ご子息への深い愛情、親子の温かいやり取りに胸が熱くなりました。
茶色と赤色の麻婆豆腐の色の違いを上手に用い、子どもの大人への成長をうたうといった処は、詩の色彩派ともいうべき紫陽花さんの本領ですね!
今回もお見事です。
ご子息のために、麻婆豆腐を作り分けされていたんですね。優しいお母様だわ。(その点にまず感動してしまう)
麻婆豆腐を通じての母子の歴史は、息子を見守る母の慈愛に溢れてますね。丹念に綴られた詩句の一つ一つが、読み手に語りかけてくれるように響いてきます。
特に、最後がいいですね。
息子はいつだって一生懸命で
私もいつだって本気で
ひとつずつ大きくなる
ひとつずつ大きくなれ
私はまた本気を求む挑戦を待つ
この部分、とても素敵です。
「大きくなる 大きくなれ 挑戦を待つ」
端折ってしまい申し訳ないですが、これぞ母!ですね。
全ての母親への応援歌です。
勿論、佳作です。
細かい事を少しお話しさせていただきますと〜
例えば、冒頭ですが、
いつもうちの麻婆豆腐は茶色いけど
と始まっています。勿論、十分この詩句で構わないのですが、私でしたら、
本気の麻婆豆腐を作っていいよ
いつもうちの麻婆豆腐は茶色いけど
普通は赤いことを知ってる
とするかしら〜と考えました。あるいは
本気の麻婆豆腐を作っていいよ
普通は赤いことを知ってる
いつもうちの麻婆豆腐は茶色いけど
でもいいかもしれません。
何を申したいのかといいますと、連の中で詩行を倒置させると、雰囲気が変わってくるということです。
また、倒置させることにより、不必要な詩行も見えてきます。
勿論、紫陽花さんはなさっていると思われますし、最終的にどこに落ち着かせるかは、作者の好みではあります。
私自身はなるべく冒頭は短めに、読み手の心をいかに掴むかを考慮して作詩しております。
一案としてお心に留めていただけたらと存じます。
麻婆豆腐をいただく度に、紫陽花さんの詩を思い出すと思います。
愛情あふれる素敵な詩をありがとうございました。
*******
☆「花」 喜太郎さま
喜太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
一輪の花に託して、ご自身を読まれたのでしょうか。
素敵な詩ですね。
春の盛り、多くの花々の咲く姿を目にしましたが……、お花畑もきれい、鉢植えの一輪もきれい……私はそこまでしか感じ取れませんでした。
ですから、喜太郎さんの視点はとても新鮮でした。
自分が花だったら……という視点。
想う人に摘まれたい、見つけてほしいですよね。
末尾にいくにつれ、切実な想いはいよいよ胸にせまってきます。
その一瞬でも
あなたの手に中で咲いていたい(手の中に…かしら)
花として咲いたなら
素敵ですね〜。
想う人の手の中でこそ、咲く花でありたいものですよね。
ところで、喜太郎さんは男性ですよね。
詩に性別のらしさを申し上げるのはナンセンスだとは思いますが、とても女性的だと感じました。男性でありながら、こうした感情を花に乗せることができる、女性的見方ができるというのは、ご自身の詩の世界の広がりにつながると思います。
とても「雨の大晦日」のワンカップ、万年床の方が書いたとは思えません。
私はどちらもすきですが……。
佳作です。
一つだけ欲を申し上げさせていただくならば……
イヤ、ワタシ、ココ、がカタカナになっている点についてです。
短い詩なので、カタカナ部分が目立ち、どんな意味を含ませてらっしゃるのか考えさせられました。
目立つからこそ、使用する時には、効果をお考えになるとよろしいかと感じました。
ロマンチックな素敵な詩をありがとうございました。
*******
☆「楽団」 理蝶さま
理蝶様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
今、ホルストの組曲「惑星」の(木星)を聞きながら、感想を書かせていただいています。
指揮者は……先日、逝去された小澤征爾さんが想像されましたが、小澤さんは指揮棒を使わないんですよね。
壮大なコンサートの様子を目の当たりにしているようで、観客として、臨場感あふれる舞台を楽しませていただいております。
コンサートの始まる瞬間から、終演あとの感慨まで、実に緻密に丁寧に綴られていますね。
「木星」が聴きたくなったのは、恒星が奏者に降り注ぎ、金色の小銀河へと舞台が様変わっていくという、詩句の広大さが、そのまま宇宙をテーマとした「木星」に結びついたからです。
少し、教えていただきたい部分がありました。
「切先」という言葉が時々出てきます。
切先とは、刀身の先端部分のことを指す言葉であり、指揮棒の先端を刀の先端と表現されたのでしょうか。
指揮棒が振り上げられる=刀が振り上げられる。
楽団が繰り広げる白熱した演奏を、一種の戦いと見なし、その思いを光を集める刀の先端に託されたのでしょうか。
奏でられる音を、擬音語を一つも使用せずに伝えているのも素晴らしいと思います。
特に5連……無音からの響きを床部分の材質で表してしまう!
本当に素晴らしいですね。
ひとの息が……
ひとの弾みが……
目を閉じて……浮かぶ
重力も ……浮かぶ
と、所々おかれる反復も効果的にきいていると思いました。
演奏中は勿論、心踊るものです。
しかし、その後の会場に流れる空気も私は好きで、大抵、最後まで座席に座って取り残された指揮台や奏者の譜面台をぼうっと眺めております。
その感情をも丁寧に詩にしてくださっている処が嬉しいですね。
最後の3連に描かれる「つめたい今」はとても印象に残りました。
つめたい今に負けることなく
ひとの内に
いつまでも残ってゆくのだった
この部分、着地点の詩句は最高です。
綿密に丁寧に描かれる情景描写は、この特別な場の緊張感そのままに、糸をぴーんと張り詰めたようです。
少し緩める部分を作るとまた味わいが変わるかも知れません。
内容がとても濃いので、例えば、開演中のこと、終演後のことの二つに分けて練り直しても、新しく興味深い詩ができるのではないかと思います。
楽団の響きの余韻が詩句と共にいつまでも残ります。
佳き作品でした。
ありがとうございました。
*******
☆「春の多様性」 秋乃 夕陽さま
秋乃 夕陽様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
擬音語が上手に使われていて、情景描写を楽しいものにしていますね。
川、風、緑の精。
そして、視線は足元に落とされます。
たんぽぽ、ジュウニヒトエ
緑、黄色、青紫と色彩も鮮やかに詩を彩っていますね。
「大木の影にひっそりと」
ここから、少し、様相が変わっていきますね。
1行1行読み進み、思わず、嘆息の声を漏らしてしまいました。
最後まで読ませていただいた処で
「春の多様性」……題の深さがしみました。
春……桜の美しさ、儚さに目が行きがちです。
しかし、こちらの詩は、その影にひっそりと生きる花に視線が向けられています。
はっとさせられました。
短い詩文の中で、前半部の長閑さとは打って変わり、後半部、畳みかけるように真髄をつきつけていく。
素晴らしい詩です。
華やかな桜ではない私も……
誰に気づかれないままでも、命を咲かせ、命を繋ぎ、……
「小さな多用性慎ましく
逞しく生きてゆく」
私自身、信条としたく感じ入りました。
下敷、踏みつけ……そんな風に自らを思う読者は、私だけではないはずです。
たんぽぽ、ジュウニヒトエとして生きる誇らしさ、力を与えてもらえました。
多くの人に共感を与える詩だと思います。
一つだけ。
冒頭ですが、
川のせせらぎそやそやと
と1行にまとめてしまった方がいいように思いました。
これに続く
靡く風音さらさらと
緑の精はがやがやと
と同様にそろえた方がまとまって見えると思います。
ちいさなものに視点をあて、励ましをもらえる……佳き作品でした。
ありがとうございました。
以上、4作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
先日、井嶋りゅうさんの日本詩人クラブ新人賞のお祝いで、MY DEAR レギュラーメンバーの集まりがありました。
何より、感じたことは、MY DEARに所属させていただき、伝統あるMY DEARならではの素敵な詩人の方々と出逢えた喜びです。
評を記す筆をおいた今も、同じことを強く感じています。
素敵な詩人、素敵な詩……
MY DEARにしかない詩の世界です。
ありがたく、幸せな気持ちでいっぱいです。
この掲示板を立ち上げ、多くの詩人を育て、長きに渡り守ってこられた島秀生さまには、今更ながら、深く感謝致しております。三浦さま、井嶋さま……他の評者の方々のチームワークもMY DEARならではだと感じています。
こんな素敵な場に私も在籍していられることは、大きな喜びです。
改めてありがとうございます。
ゴールデンウィークが始まりますね。
皆様、楽しい時間をお過ごしになれますよう、祈っております。
おぼろづきよに口笛ふけば
雲はほろほろ解けていって
あなたの寝顔を
象ってゆく
歌詞を忘れた子守唄
あなたの夢に届くだろうか
木々はざわめきながら
根元に溜まる月光を吸いあげている
ゆらめく夜の
出口となって
寄るべないものたちを眠らせる
枝先で開かれた羽
その優しい羽ばたきから
こぼれ落ちたわたしは
ただひたすらに
螺旋階段を降りてゆく
乾いた足首が軋むたび
昏い体内で息づく星々
張り巡らされた静脈の分かれ目で
蒼白く光る
祈る言葉の代わりに
吐ききった息を繋いだ風に
靡くカーテンの
緩やかな襞は
月明かりを透かしながら
夢とうつつの波打ち際へと溶けてゆく
変わらない景色
変わらない夜空
けれどたしかに終わってゆく
冷たく滑らかな手すりの
始まりで解かれた
あなたのか細い指先
底に沈んだ夕日を求め
澄んだ足音だけが続いてゆく
明かるすぎず暗すぎない
春の夜を
山雀ぐり様
中日新聞夕刊への詩の掲載、おめでとうございます。
詩への感想ですが、「二角形」という発想に脱帽しました。
月と球面上の幾何学(非ユークリッド幾何学というのでしょうか)の組み合わせが斬新です。
また、球面には境界や辺縁がないことが、さびしい二人の心をつなげることのメタファーとなっているようで、巧みな表現だと思いました。
月の呼び名には臥待月の他にも、居待月や更待月など「待」という字の入ったものがあるそうですね。
この「待」という字に、さびしい気持ちが込められているようにも感じました。
発想の斬新さと美しさを兼ね備えた詩だと思います。
今後のご活躍をお祈り申し上げます。
パリは風そよぐ花の街
なのに
僕のこころに
マロニエは咲かない
こころのカンヴァスに
横溢するは
ユトリロの絵のような冬のパリ
リスボンからやって来てファドを唄う
黒髪の女がひとり
窓辺で切なげに口ずさむ
紅い唇
いつからだったか
僕の絵のモデルになった
そして恋に…
帰国の迫った僕は
ふたりの道行きを語った
だが 彼女は無言のうちにパリを去り
故国へ旅立つ
恋が 疾(と)く 風に消えた
僕はひとつの額縁の中に
美しい花を
失った
いまも女が唄う
苦しげで切なく
哀愁を帯びたファドが耳に残る
ファドに敗れた
悔しさが
鐘の音とともに
花咲くパリの街にこだまする