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この度も評をいただきまして、ありがとうございました。
出先で見つけた朝顔のグリーンカーテンをじっくり観察しながら書いたのでそれが作品にも出たのだとコメントをいただいて思いました。
2、3連をまとめる案は確かにそちらの方が全体的にもまとまるように思いました。
ご指摘いただいた2点をもうすこし考えてみます。
いつも丁寧なアドバイスをいただきまして本当にありがとうございます。
また投稿をすると思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
三浦志郎様
『引きこもり』を読んでいただきありがとうございます。
題名、再考します。どうにも自分の詩が一皮剥けない感じがしてもがいています。
今年の夏はあまりにも厳しい暑さなので、三浦様も皆様もどうぞご自愛ください。
「ウサギ先生」に評をいただきましてありがとうございました。
私が行く動物病院は、犬猫のほかに、うさぎはもちろん、
鳥類、爬虫類、両生類、その他けっこう何でも対応していて、
待合室は、人間含めた動物たちを縦軸に、
病院なので、生老病死という横軸が交わって、
一触即発、何かドラマが起きそうな不思議ワールドです。
その不思議さをどこまで表現できたかな、という気があったので、
佳作をいただけましてたいへんうれしく思います。
おっしゃっていただいたような
「日常の一コマに、童心に戻った想像力が奥行きを与えているような、楽しい作品」
をこれからも書いていければと思います。
どうもありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。
三浦様
久遠恭子です。この度は『七夕の悲しみ』という詩をお読み下さりありがとうございました。
感想をいただき心から感謝申し上げます。これを励みにしてまた詩を書いていこうと思います。よろしくお願いいたします。
お待たせいたしました。7/25~27ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●喜太郎さん「モラハラ」
喜太郎さん、こんにちは。この作品は親しい人との心のすれ違いを描いた詩と受け止めました。語り手と「あなた」とは夫婦かそれに類する関係にあるようです。時間の経過とともに最初の情熱が薄れ、期待と現実のギャップに心が苛まれるようになってきているのでしょうか。一見優しそうに見える言葉が「私」を傷つけていることに「あなた」は気づかない。そんな心の叫びが聞こえてくるような詩です。
この詩のクライマックスは最後の6行ですね。ここは文句なしに素晴らしいです。「ホコリぐらいの言葉でも/人は心が死ぬ時があるんだよ」というのは真実ですね。心に迫る言葉でした。
いくつかコメントさせていただきます。まず細かい点ですが、「〇〇〇」という表現は、将来朗読する場合のことを考えると避けたほうが良いかと思います。あとは全体をいくつかの連に分けると読みやすくなるかと思います。
私が一番引っかかったのはタイトルでした。「モラハラ」(モラル・ハラスメント)の特徴を調べると、相手に対する暴言や無視、人格否定、嘘をつくなどの精神的暴力がよく言及されています。そうすると、この詩で描かれているようなことはモラハラに当たるのかどうか、疑問に思う読者もいるかもしれません。一見優しい言葉による精神的支配(それは相当巧妙なものだと思いますが)も広い意味ではモラハラに当たるかもしれませんが、モラハラであろうがなかろうが、「わたし」の「心が死んでいる」のは間違いありませんので、言葉の定義の問題で読者の関心が詩の本題から逸れてしまってはもったいないと思います。
いずれにしても、そのものずばりのタイトルにするよりは、詩の内容を暗示するような言葉で間接的に表現する方が良いのではないかと思いますので、ご一考ください。これはあくまでも例えばのご提案ですが、私でしたらタイトルは「ホコリ」とすると思います。
評価は「佳作一歩前」になります。
●理蝶さん「高い目」
理蝶さん、こんにちは。これはSF仕立ての不思議な雰囲気を持った作品ですね。見ている存在がいつの間にか見られる側になっている、そんな状況を描いています。
「女の裸」は欲望の対象を表しているのでしょうか。スマホだけ残して人々が消えてしまうというラストは、人々が欲望の主体ではなく対象になるとき、その存在自体が消滅してしまう、という意味かもしれません。だとすると、これはもしかしたら、スマホ全盛の現代のメディア社会による人間性の喪失についての批判を込めた作品なのではないか、そんなふうに思えてきます。
この詩で気になったのは「スマホのライト」という表現です。これはスマホの懐中電灯機能のようなものを指していると思うのですが、たとえば都会のビルの壁にあるスクリーンの画像をスマホで撮影しようとする時、ふつうライトはつけないと思いますし、実際につけても離れた対象を見えやすくする効果はないと思います。ただ、スマホのライトがついているということが、後の展開で必要になってきますので、この描写をただなくしてしまうわけにもいきませんね。難しい問題ですが、これをどうするか、考えていただきたいと思います。たとえばライトをつけなくてもスマホの画面自体はある程度光りますので、それについての描写に変える等です。あからさまなフィクションであっても(むしろフィクションだからこそ)、細部のリアリズムは重要かと思います。
大きなところで気になったのはその点だけでした。(あとこれは単純な誤変換だと思いますが、4連2行目の「発行」は「発光」の間違いでしょうね。)発想は面白いですし、内容的にも深みのあるいい作品だと思いますので、ぜひ推敲して磨きをかけていただきたいと思います。評価は「佳作半歩前」です。
●積 緋露雪さん「闇は闇のままで」
積さん、こんにちは。光と闇は古来いのちと死、善と悪などのメタファーとして広く用いられてきました。通常「闇」はネガティヴな意味で捉えられることが多いと思いますが、この作品では闇は闇のままにしておくように、と呼びかけています。
この詩では「光」は人間の理性で理解できる世界、「闇」は人間には極めがたい神秘の世界を表しているのでしょうか。人間は科学文明を進歩させ世界の「神秘」を暴いてきましたが、それが行き過ぎると闇からのしっぺ返しを食らう、ということなのでしょう。キリスト教や仏教の用語も登場して、宗教的な響きもある作品ですね。最後の「闇こそ浄土」という逆説的な表現が全体をうまく締めくくっています。
一つ気になったのは最初の2行、「闇は闇のままでゐ給へ/これ以上光にその身を曝してはならぬ」です。この部分で語り手は闇に呼びかけ、そのままでいるようにと語っていますが、詩の残りの部分ではむしろ人間に対して、闇を暴かず闇のままにしておくように、と呼びかけていますので、最初の2行だけ違和感があります。したがって、最初の部分も人間に呼びかけるような表現に変えてはいかがかと思います。ご一考ください。
全体に文語的表現の中に英語の単語が散りばめられていますが、そこに必然性があるのか、なぜSpotlightやFrontierの最初が大文字なのか、よく分かりませんでした(Harmagedonはギリシア語で書かれた黙示録からの引用でしょうが、英語ではふつうArmageddonと綴ります)。
全体的にとてもいい内容の詩だと思いますが、個人的には「闇」の持つ積極的な面について(ただしっぺ返しが恐ろしいというだけでなく)、もう少し書いていただきたい気がしました。評価は「佳作半歩前」です。
●山雀詩人さん「ウサギ先生」
山雀詩人さん、こんにちは。最初のタイトルからしてメルヘンチックなほのぼのとした内容を予想させ、その後も、子どもの頃は犬猫病院の先生は犬や猫だと思っていたとか、動物式会話の話とか、いろいろと興味深い内容が語られていきます。私は少年時代に読んだドリトル先生の話を思い出しました。
ところが最後の3連で雰囲気が変わります。ドアの向こうには誰がいるのか。本当にウサギの先生がいるのか。その正体が明かされないで、緊張感を保ったままおしまいになるという、この全体の展開はとてもいいですね。思わず引き込まれました。
この詩の中心ではないかもしれませんが、主題の一つに「言語」あるいは「コミュニケーション」があると思います。動物の言葉は人間には分からない。けれども、動物同士では、ある意味では人間同士より通じ合うことができる、という10連の内容は、これほど発達した言語と情報技術を持ちながら互いにわかり合えない人間社会への皮肉と取れるかもしれません。その中で見逃せないのは、「僕」とウサギの「グリ」との間には、ちゃんとコミュニケーションが成り立っているということですね。
動物病院での待ち時間という日常の一コマに、童心に戻った想像力が奥行きを与えているような、楽しい作品でした。評価は「佳作」です。
●妻咲邦香さん「ごまか詩」
妻咲さん、こんにちは。この詩は詩についての詩、いわゆる「メタ詩」ですね。
まず、ここで語られている「詩」が詩作品一般のことを言っているのか、それとも特定の詩のことを言っているのか(たとえばだれかに贈る愛の詩)が問題になりますが、終連からすると前者かと思います。詩作というのは本当の思いをストレートに表現するものではなく、それをごまかしているのだ、という、ある意味で詩人が自らの営みを突き放して冷笑して見せる、そんな意図があるのかと思いました。
そもそも言語というものは思想や感情を伝えるためには不正確なツールであると思います。そうした頼りない言語を用いて書かれるという宿命を背負っている以上、詩は書き手の意図を百パーセント正確に伝えることはありえないし、読み手によっていろいろな解釈が生まれる。その「ゆらぎ」を楽しみ、そこから何か思いがけない化学反応が生まれることを期待するのが詩の醍醐味かもしれませんね。そういう観点からすると、この詩で言われている「ごまかし」というのは、作者が意図してごまかしたものだけでなく、ある意味すべての詩は傍から見たら「ごまかし」になってしまうのかもしれない、と思いました。2連で言われているのは、そういうことだと思います。
それを肯定的にとるか否定的にとるかは人それぞれだと思います。「ごまかし」という言葉そのものは否定的なニュアンスがありますが、どうも私にはそれが語り手の本意であるようには思えませんでした。そう考えてくると、「詩はごまかしである」というこの詩自体がごまかしなのではないか、という自己言及のパラドックス的な疑問もわいてきて、いろいろ興味深かったです。
本作はこれまで拝読してきた妻咲さんの作品に比べて、イメージの奔放な飛翔などはあまり見られず、アイデアの面白さが突出して印象に残るように思い、その点では少し物足りなかったです。ただ、一般的にメタ詩はどうしても抽象的で観念的になってしまいがちだと思いますし、そういうジャンルとしては面白く読めました。評価は「佳作」です。
●紫陽花さん「あの海へ」
紫陽花さん、こんにちは。この詩はとても面白いですね。毎日暑いので水槽に自分を泳がせるという奇抜なアイデアで、初連からぐっと引き込まれます。
この詩は暑さで無気力になった「私」が毎日部屋に閉じこもっている様子を描いている、そんなふうに読みました。毎日部屋にいると時間の感覚がなくなっていきますよね。そういう状態が「水底では時間が止まったよう」という表現によく表れていると思います。
一日の中で唯一時間の感覚が戻るのが、朝と夕。これは朝夕の食事のことを言っているのか、よく分かりませんが、とにかく何らかの人間らしい活動をする。そのことを、水面に浮かび上がって息継ぎをすると表現したのですね。この表現もとてもいいと思いました。
そんな「私」が思いを馳せているのが、「あなた」と海を見た思い出です。同じように水が満ちていたとしても、水槽と海ではまったく「私」にとっての意味合いが違う。狭い水槽と広大な海との対比が、「私」の孤独を引き立てていて、これもお見事ですね。
何度も読み返してみましたが、この詩にはどこにもあらと言える部分がありませんでした。文句なしの「佳作」です。
●松本福広さん「キューブアイスちきゅう」
松本さん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。
私は下戸なのでオンザロックを飲んだことがないのですが、グラスの中で琥珀色のウィスキーに浮かぶ氷塊を地球に見立てるという視点は面白いですね。語り手の想像力は空間的にも(銀河系の彼方)、時間的にも(地球の歴史)広がっていきます。しかもそれだけでなく、そこで語られる「物語」に意味を見出そうとすることで、内容に一層深みが出たと思います。
一つ気になったのはタイトルですが、「キューブ」は立方体ですので、本文に出てくる丸氷とは形が違い、別物になってしまいます。そこは本文に合わせて「アイスボールちきゅう」のようにした方が良かったかと思います。
蒸し暑い夏の夜には、氷の入った涼やかなグラスを手に、果てしない時空に思いを馳せ、親しい人と語り合うのもいいかもしれませんね。またのご投稿をお待ちしています。
●小林大鬼さん「懐かしき柴又」
小林さん、こんにちは。私ははとバスには乗ったことはないのですが、柴又行きのコースがあることを今回初めて知りました。ネットで調べると、詩に出てくる通りの、帝釈天に参拝して草だんごを食べ、最後に柴又の老舗うなぎ屋で夕食をとって帰るプログラムになっていました。(細かい点ですが、7連終行の「草だんこ」は「草だんご」の誤記かと思います)。
そうすると、この詩ははとバスツアーで「父」と「私」が柴又に行った時のことについて書かれている詩のようです。柴又と言えば寅さんですが、「父も私も見ていない」という、一見ユーモラスにも取れる表現が、逆に父子の絆を表しているようにも見えました。いずれにせよ、「男はつらいよ」の映画を一度も見ていなくても、日本人ならなんとなく情景が目に浮かぶというのは、考えてみればすごいことですね。柴又を訪れたことのない私にも、なんとなくその場の雰囲気が伝わってきました。
この作品には少なくとも2つ、もしかしたら3つの時間軸があるように思います。一つは「父」と「私」がはとバスで柴又に行った時のこと。もう一つは、その40年前に「父」が仲間と柴又を訪れた時のことです。
分からなかったのが、最終連です。最終行の「父の記憶」とは、「私」が持っている(今はなき)「父」についての記憶なのか、それとも「私」と一緒に鰻を食べている「父」が昔を思い出している記憶なのか、どちらにも取れるからです。前者なら「私」が「父」と柴又に行ったのは過去の話で、その時のことを夏になって思い出している、という設定になり、時間軸は3つになりますが、後者なら最終連ははとバスツアーの時のことを言っている、ということになりますね。私は最初前者のつもりで読んでいましたが、全体を何度も読み直すうちに後者が正しいように思えてきました。だとすると、終連で「父」の存在を示す何らかの語句を入れた方が、情景がより正確に伝わると思います。
8連目「小さな鰻重を皆で味わう」の「皆」もはっきりしません。40年前の研修旅行の仲間なのか、詩中には出てこない、「私」の家族なのか、それともバスツアーの参加者なのか。おそらくツアー客かと思いますが、ここはまぎらわしいので「皆で」をカットするか、あるいは(これが「私」と「父」のことであるなら)「二人で」に置き換えてもいいかと思いました。ここを直すだけでも全体がずっと分かりやすくなります。
全体としてとても風情のある詩なのですが、「父」の感情と「私」の感情、記憶の中の柴又と現在の柴又が渾然一体となって分かりにくくなっているのが惜しまれます。細部の描写を少し補足するなどして、このあたりを伝わるようにしていただくと、よりすっきりした詩になると思います。評価は「佳作半歩前」です。
●えんじぇるさん「よく見ている人.」
えんじぇるさん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。
人間だれしも自己を愛する思いや承認欲求というものはあると思いますが、現代社会の孤独の中で、他人に自分の存在を気づいてほしい、関心を持ってほしいという思いが抑えようもなく肥大していくのかもしれません。SNSに人々がはまるのもそれが一因かと思いますし、この詩で取り上げられた自傷行為もその一例でしょう。
人が自傷行為に至る理由は複雑で、周囲の関心を引きたいということだけではないのかもしれませんが、それが一つの重要な要因だとは思いますので、このテーマを取り上げてくださったのは良かったです。
ただし、最初の2行は説明的になりすぎているのが残念でした。この2行で、この詩全体で言いたいことをほとんど言い尽くしてしまっている気がします。また、最後の「おしまい。」という軽い終わり方も、この詩のシリアスな主題とはそぐわないように感じました。真ん中の対話部分を中心に推敲してみると、もっといい詩になると思います。
えんじぇるさんは、この詩のタイトルにあるように、「よく見ている人」だと思います。またのご投稿をお待ちしています。
*
以上、9篇でした。今回も興味深い詩との出会いを感謝しています。猛暑が続きますが、みなさま熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
こんばんは。上田です。
この度は拙作「ねがい」をお読み下さり、ありがとうございました。
作者にとりまして誠に心地のよい感想を頂戴しました。感謝申し上げます。
これを励みにまた投稿致しますので宜しくお願いします。
三浦様へ
この度は「蝉」をお読みいただきありがとうございます。
今回は、夏の風物詩とも言える蝉に注目して書きました。
蝉にも居心地の良し悪しが分かるのかなぁと思い、何処か我々にも似ている部分があるなぁと感じました。
また、擬人法的についても、見返してみたら確かに擬人法的だなぁと思いました(笑)
身近な事柄を細かく表現するのは大事だと改めて知ることが出来ました。
次回も宜しくお願い致します。
いつも、ご投稿ありがとうございます。突然ですが、お願いしたい儀がございます。
8/11~8/14から、8月区間限定で評価のみ休ませて頂きたいと存じます(感想は従来通り)。
諸般の外的事情と“評者も夏休み”が理由でございます。
誠に勝手ではありますが、ご賢察の上、よろしくお願い申し上げます。
枯野を飛ぶ
色なき風が囁く
何処かで
誰かが
私を呼んでいる
私を捜している
そんな気がして
ちっぽけな私の力でも
望むなら
与えましょう
あなたにです
私は平気です
喜んでくれるならば
泣くことも忘れる
細かい霧の中から生まれた
陽の光が
身体にまとわりつき
止まった風に埋もれて
私は
夜が来るのを待っている
夢の中に溶け込み
あなたの腕の中に
疲れた身体を投げ掛け
優しさの中で安寧に溺れる
今宵の月明かりに
頬を照らされ
少し微笑んだあなたは
透き通った群青の中
もう一度逢いたい
未練な想いを抱きながら
立ち尽くす私は
籠もった瞳で
月の影を見つめる
私の慟哭は
天を揺るがせ
地を震わす