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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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カコーン カンカン カコーン
樹々のざわめき
鳥達の囀りと風の囁き
山奥に響く木こりのうた
町の雑踏 うたは聞こえない
そんな中 一人の青年が振り返る
町向こうの山に目をやり
導かれるように歩き出す
山の裾野に辿り着くと
カコーン カンカン カコーン
………目を閉じて森の奏でるうたを聴く
やがて手に持つ鞄を離して
山奥へと進む
カコーン カンカン ………
木こりはその手を止めて
山を登ってくる青年を見つめる
向かい合う青年と年老いた木こり
木こりは手に持つ斧を青年に渡し指を指す
そこには一軒の小屋がある
老人は小屋とは反対方向へと歩き出し
霞のように消え去る
青年は腕まくりをして斧を大木へと振り下ろす
カコーン カンカンカン
カコーン カコーン カンカン
樹々が新しいリズムに合わせるようにざわめき鳥達も迎え入れる様に囀る
風は静かに呟いた
カコーン カンカンカン
カコーン カコーン カンカン………
評を頂き、誠に有難う御座います。
ご感想とアドバイス、とても参考になりました。
これからもアドバイスを頭に置いて創作していきたいと思います。
ありがとうございました。
地獄に堕ちたことで永遠の命を与へられたが、
巌を押して山頂までのすんでの所で
元の木阿弥と化して山裾まで巌は転げ落ち、
再びシシュポスは山頂目指して巌を押して行く
虚しい労役を繰り返すのであるが、
果たしてそこに虚しさは存在するのであらうか。
永劫の労役を与へられしシシュポスは
初めは虚しさを覚えたかもしれぬが、
それは初めだけで後はRunner's highの如く
高揚に満ち繰り返しの労役が
快感になってゐたと想像できる。
翻って私はといふと膝を病み
30㎏の米袋を米がなくなる度に
家の中へと運び入れるのであるが、
歳と共に膝が悪くなって行く私は、
最早30㎏の米袋さへ持ち上げるのは難儀し、
シシュポスの如く30㎏の米袋が入った段ボール箱を
ずっずっと押して運ぶのである。
冬真っ盛りとはいへ汗をびっしょりとかきながら
ずっずっと運ぶのが
しかし、私には快感なのである。
膝は悲鳴を上げるのであるが、
それでも米袋をまだ動かせるといふ快感で
私は嬉しいのである。
嬉嬉として押す米袋が入った段ボール箱は
それはちょっとの力ではびくともせぬが
渾身の力で押してずっずっと動き出し、
その後は慣性で少し軽くなり、
ずっずっずうと動くのであるが、
それが続くのは精精2、3メートルの出来事である。
さうして休んでは息を整へて
ずっずっと再び30㎏の米袋が入った段ボール箱を
押し始め、
また、2、3メートルのところで休んでは再び押すのである。
その労役に嬉嬉としてゐる私は
次の難題、家の上がり框の上へ持ち上げるのに難儀する。
それが難しければ難しいほど
私は高揚して嬉嬉とする。
いつもそこで段ボール箱から米袋をなんとか出して
米袋を鼠に食べられないやうに
上がり框の上へと持ち上げるのである。
この上がり框の上へ上げる上げぬは
鼠が食ふか食はぬかで大きな差が出る急所なのである。
私は膝がぎくぎくと悲鳴を上げるのも構はず
米袋の上部に綺麗に編み込まれた持ち手を持って
ずりずりと持ち上げる。
やうやっと持ち上げればそれで私の労役は一応終はるが、
膝はまた一段酷くなったと笑ふのである。
そのとき思ふのはいつもシシュポスの労役のことで、
これが、米袋が福島から届く度に繰り返される労役の全てなのだ。
私の田舎は福島ではないが、
福島応援も兼ねて福島第一原発事故以降は
福島産の米を毎回買ってゐる。
福島の米の美味しいこと。
それでも他県に比べれば少しばかり値段が安い福島産の米は、
今もなお、消費者に敬遠されてゐるのだらう。
こんな美味い米を食べぬなんて勿体ないではないか。
シシュポスを思ひ浮かべながら、
食べる福島の米のなんと美味しいことか。
シシュポスは地獄にゐながら天国にゐる心地だった筈で、
地獄とは思へば逆説的天国の別称に違ひない。
咳が出たので
僕は病院へ向かった
「今流行りのインフルエンザ?」
そう思いながら向かった
病院へ着くと
沢山の人が椅子に座っており
呼び出しを待っていた
皆虚ろな顔だ
受付を済ませて
僕も椅子に座った
テレビが点いていたが
していたのは子供が見るアニメだった
しばらくすると
「診察室へどうぞ」と
呼び出しがあった
僕は中へ入った
院長と体調面の会話をしたり
食事や睡眠についても話した
熱は以外と無く
倦怠感も無かった
会話が終わり
咳が出る原因が分かった
「A型インフルエンザですね」
やっぱりかと僕は思った
院外処方で薬を貰い
急いで家に帰った
飲んですぐ治れば良いのになぁと
少しばかり願った
しかし今日はゆっくりしよう
何もしないでいようと決め
僕は布団を出して寝ることにした
苦い薬の味が口に残っている
俺はうつわ
なのに穴が空いている
俺はうつわ
少しひびが入っている
君の言葉も通り過ぎる
俺の内側を滑って
留めようと体を曲げたりするけど
俺はうつわ 穴の空いたうつわ
微かな痺れを残して通り過ぎる
素敵な時も通り過ぎる
俺の内側を滑って
時計は読めるしずっと覚えているけど
俺はうつわ ひびの入ったうつわ
2度と帰らず通り過ぎる
全部全部通り過ぎる
俺はうつわ うつろなうつわ
通り過ぎたものたちが
どこへ行ってしまったか分からない
なくなってしまったかも分からない
けど 俺はうつわ 熱く秘めるうつわ
通り過ぎたものたちの記憶を
その壁に熱く秘めるうつわ
この熱だけは奪えない
何にも奪わせない
そしてまた熱くなるうつわ
俺はうつわ
なのに穴が空いている
俺はうつわ
少しひびが入っている
いつか割れてしまううつわ
熱いままに散るうつわ
君の書いた詩を読む
自然に涙が溢れた
言葉のひとつひとつに魂が宿っていて
生まれたこと
生きていること
大切な誰かにめぐり逢えたことへの
よろこびの詩だった
そして
消えてゆくこと
消えてゆくこと
それでもたったひとり守りたいもの
君という証が
今この瞬間もここにあるから
僕も生まれてきてよかったと言える
君の詩で僕はまた勇気をもらった
一秒先も
この永遠を信じている
ありがとう
いつかめぐり逢うあなたへ
靴を鳴らして踊るといいよ
時には自分自身の為だけに
伸ばした腕が短かろうが気にしない
お腹が出てても気にしない
踊れないなんて奴に限って
よく鳴る靴を履いてるものさ
踊れないなんて奴に限って
ダンスの定義が御大層
音に合わせてスウィングすれば
自分だけに聞こえる音で
葉っぱだってやっている
誰に見せるでもなくやっている
街灯の下
公園の真ん中
人が見たなら笑えばいいさ
ちょっと羨ましいのなら
一緒に踊ってしまえばいいさ
好きなことは何?
楽しいと思えることは何?
靴を鳴らして踊ればいいよ
悲しかったら悲しくていいよ
それからよく眠ったら
この星のこれからを考えよう
波乱多き
わたしの人生に
ようやく訪れた
穏やかな日々
終の棲家になるかもしれない
小さな住いの
古風な書斎の窓から
今 陶然として眺めている―
わずかばかり残った
木々の黄色い葉が
かさかさと音を立てて
舞い落ちていくのを…
ときおりヒヨドリが
甲高い声をあげながら
屋根と屋根に区切られた空を
斜めに横切っていくのを…
路地裏の日溜まりからは
こどもたちの声が
とぎれとぎれに聞こえてくる
石蹴りに興じているのだ―
入り日と競争するように
そして わたしも
あかね色に染まり始めた
西の空をむさぼるように眺め
晩秋の世界に溶け込もうとしている
やがて
乏しいけれども柔らかい夕日に包まれて
我を忘れてしまうだろう
自我の重荷に苦しむこともなくなるだろう
こうした心持ちにたどり着いたのは
もはや限りある時間しか
自分には残されていないことを
悟ったからこそ…
自分自身にも
周りの世界にも
心底から満足している―
そんな気持ちなのだ
さりとて
穏やかな日々が長く続かなくても
いっこう構うところではない
時を経ずして
冬の訪れを告げる
刺すような木枯らしが吹きすさび
またたくまに
氷と雪に閉ざされる日が来ようとも
恐れるものではない
なぜなら
今のわたしには
はっきりとわかるから―
そうした凍てつく厳しい寒さのうちにも
ひっそりと救いの力が生れていることを…
待降節の人々の祈りは必ずかなえられることを…
もはや
わたしはこの世にいないかもしれないが
降誕祭のときには
再び冴えわたった夜空に
幼子である神のもとに
人々を導く星が現れるだろうことを…
いつの頃からか
言の葉を
紡ぎ続けている
時には虹の模様に編み
時にはケルト文様みたいに
この間はインドの曼荼羅
そっくりに編んでいた
どうやってそんな風に
編むのかと人は聞くけれど
ちょうど木の葉が
木の枝に生るように
言の葉が木に生っているから
美しいと思った言の葉を
一つずつちぎってくる
それをまんべんなく
地べたに並べて
その間に音だけの
ひらがなの言の葉を
散りばめていく
好みで敷物にもできるし
素敵な色の着物にもなるし
光を通すカーテンにもなる
どの言の葉が最適か
注意深く選んでいる時が
最高に幸せなのさ
組み合わせて
美しい響きにするのが楽しい
神秘的な文様にするのも
私の審美眼にかかっている
最後に言の葉で何を伝えたいか
編んで行くのは慎重な作業だ
組み合わせで色んな
メッセージを発信できる
今日もまた
言の葉ひとひら
舞っている
甘い水に誘われて
蛍来る
小さな古池が中庭にある
五日前 突然身罷ったわが母
その衝撃に打ちひしがれ
ただ日々を送るだけの脱け殻
泣き疲れ
ひとり母の箪笥の前で伏しているとき
みなもを照らす淡い光を見る
あっ 迷い蛍
昇天した地 橘坂*から飛んで来て
闇の中を彷徨う
母の化身か
幻か
悲しげに
切なげに
悲しげに
切なげに
こころの内にある
追懐の情にいざなわれ
仕舞う者をなくした
蚊帳の中に入る
蛍
思わずわが手を差し出し
そっと囲おうとしてみるが
あまりに弱い光だから
涙の波間に溺れてしまう
母の着た 《死》の着ぐるみを
誰か脱がせてくれないか
わがこころの悲嘆を光に溶かし
蛍よ 阿弥陀仏の元へ届けて
と冀(こいねが)う
《朝(あした)には紅顔ありて
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり**》
ああ この無常
美しい月の夜に蛍火が灯る
それは寂寞(じゃくまく)とした
晩夏の夜の光
もうじき秋がやって来る
母なき季節が訪れる
*橘坂 防府市富海 旧山陽道の景勝地
**浄土真宗「御文書」より抜粋