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が遅れて申し訳ありませんでした。気長にお待ちいただいたことお礼申し上げます。ありがとうございます。
「花心」じじいじじいさん
じじいじじいさん、こんにちは。大変お待たせしました。
ひらがなの詩をいつも拝見しておりますが、今回は大人向けの作品、拝見させていただきました。書き続けられると慣れていかれると思います。どうぞぜひ続けてくださいね。というのもじじいじじいさんのお人柄、そしてお気持ちの美しさが作品にとてもよく映し出されていると感じました。花への気持ち、花から受け取る気持ち、そういったものをいろんな思いを投影しながら描かれています。詩に横たわる想いがなんといっても素敵でした。
ただ、やはり慣れていないのかなと思う点が、二連以降見られてきました。一連目は導入部で、リフレインや重なっていく「私」などはこのままでも良いと思います。ただ、二つの連に分けてもいいかもしれませんね。連を分けることで逆にテンポが良くなると思います。そして、二連目以降ですが、こちらは少し推敲してみてはどうかなと感じます。今は、じじいじじいさんの想いが全て文字にして書かれているように思います。それは私、花、という二つの主人公の登場の多さからも、一行の長さから伝わってきます。これを詩というものとして凝縮していく、どちらかというと引き算になりますが、さらに足すものも出てくるかもしれません。どうぞ何度も何度も推敲されて、読んでみてください。きっと素晴らしい作品になると思います。
「小さきものへの哀歌」上田一眞さん
上田さん、お待たせしました。こんにちは。
とても良い作品だと思います。佳作です。
やどかりを眺めながら深まっていく思考、内側へ内側へと続いていきます。それは、引いては返す波のようでとても壮大なものにつながっていきますね。
ただ、一つだけ気になったことがあります。それは冒頭の「潮溜まり」なのですが、潮溜まりって干潮のときに水がひいたときにできる磯などの岩のすきまにできる水たまりのことですよね。そうすると、ここに砂があってそれを掘って水溜りを作るっていうのは少しおかしいので、潮溜りができた岩に座って砂浜に向かって足を投げ出しているのかな?と思ったんです。そこが冒頭なので、そこで引っかかってしまうと情景が浮かびにくくなってしまいます。そこを上田さんの描きたいものに近づけるために工夫して見て欲しいと思います。
「ワニを焼く」荒木章太郎さん
荒木さん、お待たせしました。
とても面白いタイトルでどんな話になるのかなとワクワクしてしまいました。そして、作品はその期待を裏切らないものでした。佳作一歩手前です。
さて、まずは出だしがいいですね。ワニって言われてみたら甲殻類みたいな気がします。あの皮をかぶっているし、ゴツゴツしていますものね。で、うっかり焼いたら赤くなるのかと勘違いしそうになりました。エビやカニみたいに。中華屋さんという設定も良いです。そして、この赤つながりは最後まで続いていきます。そこもとてもいいなと。ユーモアがありながら、考えてしまう、日常でありながら非日常である、そういった対比が感じられてその立体構造が短い作品に「ため」を作りますね。
ところで、レッドロブスターというチェーン店があるのご存知ですか?そこに昔行ったときに「ワニ」がメニューにありました。シーフードなんだなと思ったんですよね。というわけで、この作品は決して唐突ではなかったんですよね。
「僕の名は」相野零次さん
相野さん、お待たせしました。
こちらの作品はひらがなでした。ひらがな表記については少し思うところがありますが、ご自身のこだわりがあると思いますので、その点については自由です。ただ、少し厳しくなってしまう面があるということだけお伝えしておきますね。
実は、私も最近「始まり」と「終わり」について考えたところでした。そして、相野さんの1連に似たようなことを考えました。始まりは終わりで終わりは始まり、みたいなことをです。相野さんはそれを時計に見立てて考えられたのですね。だから、時計のはりがI(アルファベットのアイ)になる午前0時、終わりで始まりのその時間、からペンネームを取られたということで、とても素敵な自己紹介になっていました。そんな由来のペンネーム、とても素敵ですね。
「終わりの終わりはゼロ」ふわり座さん
ふわり座さん、こんにちは。
相野零次さんの作品を読んだ次が、ふわり座さんの「終わりの終わりはゼロ」というタイトルだったということに何かとても縁を感じます。やっぱりふわり座さんも終わりは始まりというテーマで書かれています。こちらの作品はおまけの佳作です。ふわり座さんよく頑張っていますね。一生懸命試行錯誤して書かれたのが伝わってきました。直すところはないのですが、一つアドバイスするとしたら、少し力を抜いてみてください。少しサラサラっと力を抜いた作品もたまには書いてみたりして、ふわり座さんの詩作の幅を広げていって欲しいなと思います。というのも、ずっと一生懸命真摯に書かれてきて随分と書けるようになってきたのですから、その先へ、と詩作を楽しまれていくために、提案します。
続けて二作、始まりや終わりについての作品を拝見して、実際私も最近そういったものを書いたんですが、そうしてみると、その人の人生観っていうのがすごく反映されるんだなと感じます。どれが良くてどれが悪い、とかではなくて、どれもいいんですよね。みんなそれぞれの死生観みたいなものを持っていて、みんなそれぞれの人生を持っていて。私も若い頃と今では全然違いますし、感覚って常に変わっていくものなのですよね。
「お大事に」温泉郷さん
温泉郷さん、こんにちは。
日常のほんの束の間を切り取った作品はとても温かいですね。良い作品だと思います。作品を最後まで読むと、その一言が「お大事に」だということがわかりました。まず、この作品は前半部は私をそわそわさせてくれました。どっちだろう、と主人公と一緒にそわそわしドキドキし、そして、くしゃみメインの風邪ひきさんかなというのがわかります。さらに、その後の、主人公の心模様がなかなか乙に描かれていて、よく構成されリズムの良い作品でした。佳作です。とても力を感じました。これからも楽しみにしていますね。
「影法師の歩く道」人と庸さん
人と庸さん、お待たせしました。
まだよく存じ上げない方なので、評価はつけませんが、作品はとても素晴らしいものでした。大きな力を感じながら読ませていただきました。構成や設定、そして、描き出すものの力、いずれもとても強く印象に残るものでした。これからもとても楽しみです。
影法師が淡々と歩いていきながら、徐々に生き生きとし始める、そして、さぎ草の場面が訪れます。白い小さな花が羽ばたいていくところが目に浮かんできました。影法師も一緒に羽ばたいていく。今はもうお祭りの日にしかいない影法師が何を示唆するものなのかははっきりとはわかりませんでしたが、もしかしたら誰かなのかもしれませんし、誰でもないかもしれません。けれど、それは別にどうってことないんだなと最後まで拝見して思いました。とてもよかったです。
「ていねいに」まるまるさん
まるまるさん、こんにちは。今日のトリはまるまるさんです。
今回もとてもいいですね。佳作です。
まるまる節、と言いますか、まるまるさんの独特な優しい世界が作品にいつもあることが私にはとても嬉しいです。今回も新人さんが運んできた「丁寧」を愛おしみたずさえて暮らすことになったことがとても素直に優しく、押し付けがましくなく、さらりと語られていました。とても素敵だと思います。こういう優しい世界がどんどん広がっていけばいいのにと思ってしまいました。
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力作揃いで、読ませていただきながら、「みんな上手だなあ」とつくづく感じました。
毎日の生活は、待ったなしで進んでいきますが、ここに集まる方たちは詩情を胸にみんなそれぞれの場所で日々を送られているのだなと改めて思います。
梅雨がやってきますね。雨も良いものですよ。
まなうらに閃く光は
春先 最初に見た燕
行く先を見定め
遠く海を越えてきたもの
はるか昔 進化の道を分かたれた人は
地に縛られ 時に道を見失っては
まよい子のように彷徨い歩く
街角のざわめきが
ふと 波の響きのように聞こえてくるのは
さらなる昔 太古の海に棲んでいた
魚だった記憶の名残りからなのだろうか
口すぎのために働く 慌ただしい一日の終わりに
疲れ切り ようやく眠りにつく時
ここは違う、となぜか思う
別のどこかに
安息の場所があるのだと感じる
足りないものは 自ずと満たされ
日々生じる煩いも 不安や恐れも消え失せる、
そのような 知るはずのない楽土の在り処を
どうにか思い出そうとしている
これは多分 神様のはかりごと
鳥になれず 魚に戻ることもできない 人は
天に描かれた見えない座標の
どの位置にいるのだろう
夏が過ぎると
燕は 新たに産まれたものたちを連れ南へ帰る
自分の在り方、在るべき場所を
いつも迷いなく知っている 変わることのない姿
鳥も 魚も そのままでいいのだ
通りですれ違った 下校中の小学生たちが
ふいに無邪気に挨拶をしてくる
「こんにちは」「こんにちは」
とっさにこんにちは、と返す間に
子供らはもう 人混みにまぎれてしまっている
行き交う見知らぬ人々も
職場でせわしく働く知り合いたちも
顔を認めている暇もなく 視界を通り過ぎてゆく
時間とは
無限に短く区切ることができるものだという
けれども例えば
無限の彼方へ遠ざかる一瞬のような時間を
そこにある風景を
記憶に留めおくことは 人には到底できそうにない
それとも 普段は気付かない意識の底の深みが
秘かに 大切に憶えているだろうか
夜ごと心で探し求める場所は
そんな認知の先の領域に 立ち現れるのかもしれない
おそらく人がみな 誕生の時から憧れ
いつか辿り着くよういざなわれる世界
(足らざるもの満たされ──)
本当は 分かり始めていることがある
私自身が足りていないのだ・・・
道端に咲いた 名も知らない花が
風に揺れてうなづく
神様は きっとほくそ笑んでいる
ピンクの野花がテーブルを飾り
お花畑になった
くるり くるり
と 花茎にそって螺旋状につく無数の花冠
ひとつの大きさは五ミリほどだろうか
実に愛らしい
娘が摘んできた沢山のネジバナ
小さいけれど
これも 蘭
カトレアや胡蝶蘭と同じ仲間だ
七月 娘の誕生日を迎える頃
毎年 ロゼット状の葉っぱから
つんと伸びた花茎にピンクの小花をつける
初夏をいざなう花の香
ネジバナの季節だ
この花 別の名をもつ
忍捩摺(しのぶもぢずり)
なんと風趣に富む名なことか
こんな歌がある
陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり
誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにし われならなくに *1
歌人は
千々に乱れる心 忍ぶ恋のあり様を
花柄に見たのであろう
耳を澄ませば
遠く
平安の時代 陸奥 信夫の地に因んだ *2
いにしえ人の声が聞こえる
忍ぶ恋の苦しさ
甘さが 匂うように届く
娘はこのネジバナが好きで
よく 庭に咲いた花を摘んでは
花瓶に放り込んで
飾っていた
ある年 誤って
除草剤で庭のネジバナを全部
枯らしてしまった
大失態
娘は悲しんだが その後
花季(かき)になると
湖畔の草叢へ行き
ネジバナの花を摘んで来るようになった
知ってか知らずか
ネジバナの花言葉は〈思慕〉
恋の花を飾る娘
その 切なげな姿が愛おしい
父の知らぬ間に
手弱女に成長した娘
さては 忍ぶ恋を覚えたか
陸奥の信夫の地でも
ネジバナは
いや しのぶもぢずりの花は
今は盛りと
咲き誇っている
*1 河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)
作 古今集より
*2 信夫(しのぶ)は福島県信夫郡のこと
ぼくは わかった
いいや、大したことはないよ
ぎこちなかった訳とか
あの日の君が何を思ってたかとか
そんなこと
ぼくは わかった
たぶん、大したことはないよ
つかれてた嘘とか
君の嘘が何を守っていたかとか
そんなこと
なにかがわかった途端
からだのどこかが透き通る
そして通り抜けてゆくんだ
わからないままでも
きっと生きてゆけたようなことが
からだじゅうに広がる
しびれ 甘み たしかな火照り
ああ これがたぶん、ユリイカ
いつかの天才の気持ちも
今ならわかる気がする
裸はまだしも
下着でベランダくらいなら
出てもいい気がしてくる
わかるって
それくらい勢いのあること
わかって すっとして
わからなくなって もだえて
なんにもわかってなかったことがわかって
またわかって、かわって
くりかえす
生まれくる季節とともに
ふるびながら あたらしくなって
ひとみが いっそう深くなって
いつか そのひとみが
しんとした
ふるさとの海のようにしずまった時
本当にぼくがわからないといけなかったことが
ようやくわかるのだろう
そして わかったそばから
ひとみから 光は消えて
最後の深みへと
人は沈んでしまうのだろう
人はそういう切ない生きものなんだろう
なんて
なんだか悟った気になるベランダ
夕風がつめたい もちろん服は着ている
めったに吸わないけど煙草がほしいな
ただなんとなく
ひとみの海は ゆらゆらと波打って
ときおり まぶたの浜に
ぽろぽろと打ち寄せる
頬に 熱いものが過ぎ
その跡に 冷えた小径ができる
ぼくは わからない
どうして 今になって
君のことなんか 思ったりしたのか
ぼくには わからない
たぶん、大したことはないよ
散歩から帰ってきた母と入れ替わりに
私も外へ出た
6時を過ぎたばかりの夕方の空は
まだ明るい
スロープ状の坂を下って
土手へ降りると
むうっした草独特の臭いが
マスク越しでも鼻についた
手入れもされず伸び切った雑草が
風で揺れている
思わずマスクの上から鼻を手で押さえ
土手沿いの白い道を早足で歩く
川は少し陰り気味の陽射しを浴びて
白く襞を帯びながら輝いていた
川に沿って土手に設置された
コンクリートのベンチの側では
若い男性が手足を動かして
何やら屈伸運動でもしているようだった
少し過ぎると
小型の可愛らしい犬を連れたご婦人とすれ違う
犬は飼い主にリードで制されているためか
吠えもせずに大人しく付き従っていた
桜の木が何本も聳え立つ草むらで
外国人の男性が訝しげに
私の顔をジロリと睨みつけてきたが
私は構わず脇を通り過ぎ
とうとう橋の下を二箇所潜り抜け
北大路橋の袂までやってきた
もうかなり日も落ちてきていたが
橋へと繋ぐ階段を登り
そのまま橋を渡る
明るく賑やかな光に彩られた
北大路通りへとは向かわずに
自宅の方角へと向かうため
黒く繁った土手に降りると
暗くなりはじめの景色は
行きの頃とは一変し
流石に不気味さを醸し出していた
歩いていても
ゴミを一纏めに入れたビニール袋が
闇に蹲る白い獣のようなものに見えたり
暗闇のベンチの上でお互いの体をノリのように
くっつけ合っていちゃついている
若いカップルのけたたましい嬌声が
背筋を凍らせるほど悍ましい
怪物の声に聞こえたりする
こういう時なぜかほっとするのは
ランニング姿で元気に通り過ぎる
初老の女性だったり
俯き加減で冷たい椅子に腰掛け
携帯を触る男性だったりする
人なのか物なのかそれとも物怪なのか
判別しにくい暗がりで
ただ人が少しでもそこにいることの安心感
私は歩くペースを早め
できるだけ暗くなり切る前に
家に着きたい一心で歩く
我が家へと続く橋へと辿り着いた時の達成感
しかし家路に着いた途端
腰に巻いたカーディガンを落としてしまったことに気づき
また来た道を戻り探す羽目となる
地面に落ちてないか俯きながら探し回った結果
紺のカーディガンは自宅近くの橋を降りてすぐの
土手のところに
暗い地面に溶け込ますかのように
本体をべったりつけて待っていた
私は家に帰ってすぐさまカーディガンを
洗濯カゴに放り込み
温かい湯船へと飛び込んで
気持ちよく汗を流した
分厚い精神分析の書籍に
私情を挟んだ
しをりを失くした
俺は父性を探し求めていたが
幼少期は父の顔をよく間違えていた
たまに目の前に現れる父は
いつも未来から訪れる俺の姿だ
心の井戸を掘り進めるのはやめることにする
真っ暗で母の香りにしか辿り着けないから
全ての井戸は海へと繋がることを知ったから
人生のページを捲るうちに
言葉のナイフは鋭くなり
解釈が上手くなった
頭を切る仕事ではないのに
愛することができず
花ばかり切り落としてしまう
暗いソファの上で分析に明け暮れていたから
しおりは出て行ったのだ
地上に上がり海辺のカフェに入った
久しぶりに分厚い四季報を捲った
色彩の眩しさでテーブルが現実に染まる
痛みは解釈では切り取れない
抱きしめて受け入れるしかないのか
分厚い精神分析の書籍に
詩情を挟んだ
前の席に座っている
しをりをみつけた
もう ずっとずっとずっと 前
深夜に息子がビショビショで帰ってきた
最寄り駅から電話をかけてきたとき
自転車で帰ると言うから
「傘持ってるの?」
「うん」
なのに ずぶぬれで帰ってきた
「傘は?」
「ずぶぬれの傘のない人が居たから貸した」
(貸したんじゃなく それは あげちゃったんだろが
まぁいいか。。)
あのねぇ その人もずぶぬれだろうけど
お前だって ずぶぬれやぁん
「だって 僕は帰ってすぐ風呂へ入れるから」
あのなぁ・・
その人だって帰ってすぐ風呂へ・・
ま・・・ いいかぁ
深夜遅く帰ってきたこと
連絡が かなり遅くなってから来たこと
怒りました 当然
昨今の日本が わけのわからん
理解できない事件がやたら起きていて
そんな時期に 深夜まで連絡無しで子供が帰らなかったら
どれだけ心配するか どれだけ探し回るか
怒ったし 胃の痛む思いを訴えたし
そこへ 「傘 あげました」
「びしょぬれで可哀想で・・・」
これは・・・
怒れません
文句も言えません
お前なぁ 傘だって無料じゃねーんだぞ
・・・なぁんて
思っても 言いません
そかぁ その人は助かったねぇ
早く お風呂入って 風邪ひかないよう寝るんだよぉ
息子が寝た後 ふと 思いました
思ってしまいました
深夜の駅
傘を差した男の子
「ど-ぞー」 傘を差し出す
「え? だって 君は?」
「私はありがたいけど 君だって濡れるでしょう?」
そんな想像
そうして
「ありがとうね」
「君の気持ちはすごく嬉しい」
「でも 君も濡れちゃうんだから」
「気持ちだけありがたく貰うね」
あたしの中の 想像
あたしの中の実際怒り得る現象
でも・・
それはなにもなかったらしい
「あ ありがとう」
傘を貰った(借りた?)人はそのまま
当たり前のように走り去る
それが 現実
それが これから
この息子達が生き抜いてゆく 現実の社会
ねじくれたメビウスの輪は
それでも ちゃんと 輪になって繋がってはいるけれど
もう ねじれた輪すら ここにはないのだろうか
この子達は どこに行くのだろう
私たちは どこに 連れていこうとするのだろう
傘をさして帰った人の心に
その傘はずっと さされ続けるのだろうか・・
雨が上がると同時に
全ては 消え去ってしまうのだろうか
なにもわからないまま
それでも私はやっぱり
「その人は 濡れなくて良かったねぇ」
きっとそうしか言わない
言えない
そんな 我が家の
雨の 物語・・・
市内から山に向かって
車を走らせる
やがて峠が見えてくる
峠を越えると道の駅があり
そこを通り過ぎて右に曲がると
小さな寺がある
今は赤い芍薬の花が出迎えてくれる
私のルーツはこちらの寺だ
祖父がお寺の子だったから
小さい頃は父によく連れられて来た
そんな記憶がある
ただその記憶は高校生で途切れる
父にとって出来損ないだった私が
寺への同行を求められなくなったからだ
あれから30年
父の一回忌を迎えた
かつて父の車で行った道を
今日は自分の車で走る
我が家から山に向かって
峠を越えて少し経つと
緑に囲まれた静かな寺に着く
住職は当時から代替わりして
私と同い年の親族になっている
住職は私の空白の期間について
何も聞かない 私も何も言わない
ここは交差点です
お父さんとまたここで会える場所です
住職が優しく話を始めた
これからお父さんはあの世から
私は家からこの交差点を目指し
何がどうあったとて血縁は続き
これからも繋がっていくのだろう
きっかけを探してる
テストの範囲の事
数学の授業の事
毎回 こんな事ばかりLINEで聞いて
きっと良いイメージ無いよね
それでも繋がってるって感じたい
『既読』が付いて返信が来て
細い細い糸でも良いから
繋がってるって感じて
安心する
今夜も君からのLINE
今夜は今日の数学の授業の事
知ってるよ
ちゃんと授業を受けてる事
だって ずっと見てるから
いつもの様に聞かれた答えをそのまま
それだけを返信してしまう
『何してたの?』さえも聞けない
もう少し勇気があれば…
そっけない奴だと思われてるかな
きっかけを探してる
二人は些細なきっかけを探してる
でもそれは少しの勇気で見つかるのに
授業では教えてくれない恋の方程式
答えは数学の様に一つとは限らない
でも もうすぐ見つかる気がする
細くても糸で繋がれた二人
LINEより言葉で見つけてみて