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今回も深く読み込んで頂きまして
ありがとうございます。
わたしの訳の分からない気持ちを
見事に解釈してくださいました。
しかも、高い評価で驚いています。
励みになります。
また、頑張って書きます。
再度、ありがとうございました。
お初にお目にかかります。朝霧綾めと申します。
この度はお忙しい中、「アイスブレイクは砂糖がとけるように」に感想を下さりありがとうございます。丁寧に読み解いていただき感謝申し上げます。
爽やか言っていただけたことが何より嬉しかったです。それこそ私の表現したかったものでした! いつもこのような気持ちでいられるわけではないですが、この気持ちを忘れたくなかったので詩にしました。私の中で思い入れのある作品なので、推敲を繰り返して大切にしたいです。
水無川様から感想をいただくのは今回が初めてですが、いつも新作紹介は拝読していました。特に、去年の夏頃に新作紹介にのせていらした「海になるとき」という詩が大好きです。当時「こんな詩を書く方がいるんだ!」と、とてもびっくりしたのを覚えています。
また投稿させていただくと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
水無川 渉先生、感想ありがとうございます。
ネット詩誌MY DEARを見つけるまで、ずっと自分の詩は詩と言えるのか悩みながら書き続けてきました。
しかし、もう、私の居場所を見つけたので、ネット詩誌MY DEARに作品を発表していきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。
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また、全く存じないのですが、秋冬様、おめでとうございます。
好きな詩で生きられる幸せを噛み締めながら、創作に励んでください。
島秀生様、投稿がちょっと前後しましたが「春眠」に評をいただきありがとうございました。
季節的に少しずれてしまったかもしれません。実際春のまだ寒い時期にちょっと遠出して動物園に行った時に感じたことをそのまま書いたのですが、とてものんびりした感じの中に少しぴりっと張り詰めた緊張感を表現出来たらと思ったのですが、なかなか難しいですね。
4連に関してはほぼ読まれた通りで構いません。私も歌って何だろう?と思いながら書いていました。「春眠」というタイトルは結局どちらに帰結するのだろう?という問いかけでもあり、状況を肯定的に捉える俯瞰的な視点で結びたかったので、ややこしくてすみません。
秀作もありがとうございました。また次回よろしくお願いいたします。
お待たせいたしました。5/30~6/1ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●理蝶さん「路地」
理蝶さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
何やらハードボイルドな設定ですね。私も海外にいたときなど、治安の悪い地区は昼間でも近づくことができないところがありました。そんな都会の薄暗い路地に迷い込んだ「彼」を厄災が襲います。
この詩は実際の犯罪行為を描写しているようでもありますが、人生のメタファーという読み方もできるかもしれません。特に都会に生きる人間にとって、一歩間違えれば取り返しのつかない悲劇が待っている「路地」があるのでしょう。そう考えると、首に巻き付いてくる「黒いタイ」にも何か意味があるのかと思えてきます。
いろいろなことを考えさせられる興味深い作品でした。またのご投稿をお待ちしています。
●喜太郎さん「地球最後の日」
喜太郎さん、こんにちは。「明日世界が終わるとしたら何をするか?」というのはよくなされる質問ですが、意外と「いつも通り過ごす」という人が多いように思います。この詩はそんな選択をした夫婦の姿が描かれています。
この詩は世界の終わりに仮託して語られていますが、中心的な主張は
「何も無い日常ほど大切で貴重だと気付いたのだ」
ということだと思います。愛する人と過ごす、何の変哲もない日常のありがたみ、それを噛み締めている作者の思いが伝わってくるような、ほのぼのとした気持ちにさせられます。
そんなメッセージをSF仕立ての設定に込めているのがこの詩の面白さでもあるわけですが、その設定の作り込みが不足しているために、あまりリアリティを感じられなかったのが残念でした。どのような原因で世界が終わるのか、簡単でもいいので説明が欲しかったですし、世の中がいつも通りというのもどこか現実味がありませんでした。むしろ社会が大混乱している中、「私と妻」がいつも通り過ごしているというふうにした方が説得力が増したかもしれません。
この詩は少し手を入れるともっと良くなると思いますので、考えてみてください。評価は「佳作一歩前」となります。
●積 緋露雪さん「目玉」
積さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
私たちの目に見えている「世界」は実際の世界そのものではない、という哲学的思考を綴った詩ですね。私たちには世界そのものは決して認識できない、いやもしかしたら世界そのものが妄想かもしれない、そんな果てのない思考に「俺」はあえてはまり込んでいき、しかもそのことを楽しんでいるようにも思えます。哲学者というのはこういう種類の人々なのかもしれませんね。
それをただ書いたのではなかなか詩にならないところを、「ぎろり」と世界を見つめる「目玉」を中心に描いているのが、なんとも言えない独特の雰囲気を醸し出しています。旧仮名遣いで書かれているのも味があって良かったです。またのご投稿をお待ちしています。
●森山 遼さん「僕は僕の知らない遠くへ行く」
森山さん、こんにちは。人は生きている限り「自分」という存在から逃れられないわけですが、でも自分でない存在になりたい、「自分」がいないところに行ってしまいたい、という願いを感じることはあると思います。そういうかなわぬ願いを追い求める「僕」の葛藤が描かれた詩ですね。
僕はもう長く
僕とつきあってきたから
疲れたんだ
の部分から、その思いがよく伝わってきます。そんな「僕」を呼ぶ声がする。それが誰なのかは明かされていませんが、私は何となくあの世からの呼び声のような、不吉なものを感じました。
自分が自分でなくなる遠いところに旅立ちたい。けれども死んでしまいたいわけでもない。そんなどうにもならないやるせない気持ちが「きのうのつめたい死んだコーヒー」という表現にも表れています。この表現はとても良いと思いました。
最後の部分は正直よく分かりませんでしたが、結局「僕」は冷めたコーヒーを飲みながら想像の世界に旅立った、ということかと解釈しました。最終行の「sayonara」がローマ字で書かれているのは、自分が自分でなくなっていく様子を表したものかもしれません。
構成的に言いますと、内容的に最初の11行と残り7行の間に区切りがあるような気がします。前半でどこかへ行ってしまいたい、という思いがいつの間にか死への思いに向かって行くのに気づいて、「だけど僕は死んでしまいたくはない」と我に返り、冷めたコーヒーを飲みながら想像の世界に遊ぶことに甘んじる、という展開かと思います。もしこの解釈が正しければ、この2つの部分の間を1行空けた方がいいかもしれません。
細かい点をもうひとつだけ指摘しますと、最後から2番めの行の「僕の知らない遠くへいく」の最後はタイトルと7行目に合わせて「行く」と漢字表記にした方が良いと思います。
全体的になんとも言えぬ哀しみが伝わってきて胸を打たれました。評価は「佳作」です。
●樺里ゆうさん「探していた」
樺里さん、こんにちは。思春期の頃は自分が何者なのか、アイデンティティを探している時期だと思うのですが、その場合の「自分」とは「他者の目に映る自分」であることが多いんですよね。この詩ではそれが「他人という鏡」と表現されていて、なるほどと思いました。
けれども、そういった年代を通り過ぎた現在の「わたし」はもはや他者の目を気にすることもなくなりました。
あの頃のわたしは
他人とちゃんと向き合っていたとは言い難い
という部分は、昔の自分に対する客観的な視点が感じられます。この詩は全体的に若かりし頃の自分に対する冷めた視線が印象的ですが、それで過去を切り捨ててしまうのではなく、そういった「鏡探し」の時期があったからこそ今の自分がある、と肯定的に捉え直しているところに「わたし」の成熟した人格を感じます。それでいて最後は深刻ぶらないで「なんてね」と締めくくるところがとても良かったです。評価は「佳作」となります。
●紫陽花さん「紫陽花に戻っていいですか」
紫陽花さん、こんにちは。名前は私たちのアイデンティティの重要な要素ですね。けれども子どもは自分で名前を選ぶことができませんので、親に付けてもらった名前に対して様々な思いをもつことがあります。この詩では普通には読めない名前に対する「私」の葛藤が描かれています。
学校で病院で店で
何千回も何千回も
の部分はその大変さがよく伝わってきました。そしてついに平仮名表記にすることにした。「私」にとって、それは自分でアイデンティティを決め、親から自立する一歩でもあったのでしょう。けれども一方で、それは親から受け継いだ大切な遺産を手放すことにもなる。「父」が亡くなって、「私」はそのことに気づき、ふたたび「紫陽花」に戻ります。ある意味で、亡き「父」は紫陽花(ひさえ)という名前を通して「私」の中に生き続けているのだと思います。
最終連も「父」から授かった名前への誇りが伝わってくる心温まる終わり方でした。評価は「佳作」となります。
*
ここからは評から離れます。冒頭にも書いているように、私は基本的に投稿された詩の作者さんと詩中の語り手は区別して読んでいるのですが、もしこの詩が作者ご本人のことを書かれているのだとすると、これまでずっとお名前を間違えて「あじさいさん」と読んでいたことになりますので、本当の読み方が分かってよかったです。紫陽花(ひさえ)さん、良い名前ですね。
●朝霧綾めさん「アイスブレイクは砂糖がとけるように」
朝霧さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
世の中には初対面の人となかなか打ち解けられなかったり、人見知りしてしまって話しかけにくい人が多いようです。だからこそビジネスや学校などで顔合わせの時に緊張をほぐすための「アイスブレイク」がよく行われるのですが、「私」にとって初めての人と知り合うのは、ティータイムのような楽しみなのでしょう。冷たくて固い氷を、さっと溶けてなくなり、しかも甘みを与える砂糖というイメージで置き換える発想はとても新鮮でした。
この詩は全編このポジティヴな思考と他者への信頼に貫かれていて、とても爽やかな読後感を覚えます。またのご投稿をお待ちしています。
*
以上7篇、今回も読み応えのある作品に出会うことができました。ありがとうございます。
今月で私の福祉の学校の授業が終わる
私の隣には中国から勉強に来ている
20代の陳さんがいる
私は彼女の日本語が好きだ
彼女の日本語は歌うように
優しく発音される
そうっとそうっと発音される
巣から落ちた小鳥を拾い上げるように
壊れないようにそうっと
そしてなにより
単語選びと言葉遣いが丁寧だ
私の言う
ここ分からないから教えてが
陳さんが話すと
ここに大変な問題があります
教えてください
になる
彼女の教科書を読んでるような
日本語は少しかしこまっていて
よそ行きで憧れる
そんな日本語を半年聞いてきて
伊予弁も聞いてみたくなった
一緒にペットボトルのお茶を
飲みながら陳さんに
ペットボトルの蓋開かんけん
開けてもらえる?
と私は言った
陳さんはいつものように丁寧に
ペットボトルのふたあかんけん
開けてもらえる??と真似して
あかんけん??と笑っていた
私は開かんけんは
開かないからっていうことよと
説明して
それから方言のこと
愛媛は語尾にけんって付けるから
使ってみてねとおすすめした
それから二人で練習した
開かんけん 開かんけん
閉めるけん 閉めるけん
知らんけん 知らんけん
見たけん 見たけん
来たけん 来たけん
帰るけん 帰るけん
2人でけんけん言うと
また私の好きな日本語が
優しく育ったような
幸せな気持ちになった
島様、詩の評をありがとうございました。
自分の詩に何やら違和感を感じていたのですが、理屈っぽいという事だったのかもしれません。今後詩作するうえで大きなポイントになると思います。
原文に近い形での直しをありがとうございました。よくよく読んで、検討したいと思います。条件付きではありますが、名作をいただき、とても嬉しいです。「あっち」という語も今回は採用しようと思っています。それと書き方、理屈っぽい部分も重なりますが、大きなポイントだと思います。
いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
後ろ姿はどれもいい
用事があるのだろうか
ここにいたくないのだろうか
後ろ姿ほど
正直なものはない
普段人に見せない
あるいは
自分でもわからないなにかが
宿っている
ピカソもダリも
初期には後ろ向きのモデルばかり
たくさん描いた
嘘はつけない
月の裏側は
泣きながら笑っている
いずれ誰もが
後ろ姿に
旅立つのだろうか
故郷へ帰るのだろうか
あなたの
後ろ姿はとてもいい
鳥たちに怒られながら
桑の実を摘む
抱えたボウルに次々とほうりながら
これは私のものよと
何度言っても怒られる
何度も何度も
鳥たちは同じことを言う
私も負けずに言い返す
やがて疲れて
私が先に口をつぐむ
生きるために繰り返す
些細なやり取りに生かされている
明日もきっと同じことが繰り返される
だって昨日もそうだったんだから
その前のことは忘れた
だから、明後日のことはわからない
おそらく彼らとは仲良くなることはないだろう
こんな素敵なことってある?
鳥たちは落ちている実を拾う
柔らかい枝にはとまれないから
そうする
私は脚立に乗って摘む
摘んでそして、美味しいジャムを作る
明日がもしかしたら来ないなんて
私は信じない
来週の今頃はきっと全部の実が採り尽くされて
そこでようやく私たちは仲直りする
そしたら、少しさびしくなるだろう
去年もそうだった
来年もきっとそうなのだろう
その次のことはわからない
早く明日が来ますように
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掲示板開設一周年おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
お忙しいなか拙作への評と感想ありがとうございました。
とても丁寧に読んでいただき感謝しております。
因みに今回の投稿詩は、中国は唐の時代に鬼才として知られていた李賀という詩人の
「恨血、千年、土中の碧」という詩の一節から着想を得て自分流に書き上げた創作ものです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。