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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
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MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
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雨上がりの道路の水たまりに
ハナミズキの枝が映って揺らいでいる
澄んだ空にカラスがカアと声を上げる
遠くのカラスがカアと返事をする
何度も呼び交わして
そのたびに確認し合って
「ねえ」
「うん?なあに?」
当たり前の夫婦の言葉の交わし合い
いま身もだえして欲しがっても
その相手は空のなかへ入ってしまった
行方は杳として分からない
※都合によりお先にいかせていただきます。
◎8月 8日(火)~ 8月10日(木)ご投稿分 評と感想です。
☆ポンコツ悲歌 積 緋露雪さん
自身がポンコツであるという悲哀がじわじわと伝わってくる作品だと思いました。自分は不器用でダメな奴だ、他人からは無様だ思われているとしながらも、決して自己嫌悪の沼にはまり込まず、「やっとの思ひで日常を過ごしてゐる」ということからわかるように、生きていくことを捨ててはいないという、自分が自分らしく息をできる隙間を探ろうしている芯の通った力を感じさせてくれました。
それは、言葉に記すだけではなく、実際に、仏像を彫るという例を取り上げ、読み手にも伝わりやすくしているところは、とてもよかったと思います。夏目漱石は『夢十夜』をとりあげ、よい自分を表現していると思うと「そこはポンコツ」としたりしている。そんな自分を上げたり下げたりしているところは、自身の中で感じているポンコツ度を浮き彫りにしていると思いました。
読み手の私自身がポンコツで、この詩の中の登場人物の方に何もよい術をお伝えすることはできないですが、全国のポンコツの皆様、或いはポンコツファンの皆様(実際いるのか??)には、ポンコツでも生きていいのだという思いを、胸に浮き上がらせてくれたのではないかと思います。ということで、このままでも充分で問題はないのですが、欲を言えば最終行「しかし、ポンコツはさうして生きて行く外に術がないのだ」ですが、個人的にはあきらめの境地で終わらせるのではなく、0.01%でもいいので、ポンコツなりの良さを感じさせてくれる救いのような言葉があればなぁって思ってしまいました。今回はふんわりあまめの佳作を。
☆寝ピク 喜太郎さん
寝ピクっなんだろう?って、一瞬思いましたが、読み進めてみると・・・・・・
確かに!あるある!見たことあるある!って、頷いてしまいました。これを詩のモチーフにしようとするこの発想、かなりユニークな視点だと思いました。
寝ピクの様子を、きっちりと写実してくれていますね。その様子を浮かべやすいのは浮かべやすいのですが、事実をそのまま書き写した感がちょっと強めに出すぎているような気がするので、自身の気持ちをもう少し入れ込んでみるスペースを広げてみるのもいいのではないかなと思いました。
例えば、「もう………と思いながら」の「もう………」の部分。その部屋の空気の感じとか、自身の鼓動の様子とか、作者さんなりの表現で一歩踏み込んでみると、詩の全体の雰囲気が違ってくるように思えました。作品の数ヶ所で置き換えることのできる部分があるように思えます。こういう作業も詩を作る時の楽しい作業の一つでもあると私は思っています。また時間があったら挑戦してみるのもいいかなと思います。
発想がとてもユニーク。ありそうでないような視点。よい刺激をいただきました。今回は佳作二歩手前で。
☆紫陽花らしさ 紫陽花さん
名前って、単なる単語ではなくて、人の気持ちが入っているというところがいいですよね。
親から願いを込めて名前をいただける。それって、とってもありがたいことだと思います。
私が紫陽花っていうお名前に遭遇するのは、初めてなのです。ペンネームとしての「紫陽花」にお会いすることは幾度かあるのですが。「あじさい」ではなく、花ではなく、人の名前として他の読み方でというのは初めてなのです。
最初に私が迷ってしまったところを。こちらの「紫陽花」なのですが、親からもらった呼び名の正式な呼び方が作品のどこにも見あたらなかったところです。「ひーちゃん」や「さやちゃん」など、一部であるものがしるされているのですが、どちらも全然違う呼び方になってしまうので、いったい、このお名前の呼び方は?って、モヤってしまったのです。
正式には、こう読みます。人からはこうなのでこう呼ばれています。その二点がわかるような表現が部分的にでもあれば、すらすらと楽しめたと思います。一連目の「そして私の名前は紫陽花」のあたりに、「○○と読みます」ぐらいの言葉を追加してもいいかもしれないですね。ここがとても惜しいなって思ったところです。
これ以外のところは、ご自身がこの世に生まれて授かった名前への愛がとても感じられて、読み手としての私も、心地よい温もりに包まれました。
この作品で一番印象深かったところは「きらきらと明るく輝くように
そんな願いを聞いたことがある」です。
雨に濡れてもしょげない。それどころかきらきらと明るく輝いている。まさに紫陽花のお花ですね。雨に生まれた我が子への愛情が強く感じられました。そして、この思いをずっと忘れずにしまっているご本人の気持ち。とても清らかで。名前のごとく、幽霊と呼ばれてしょげそうになっても、明るい気持ちでそれを雨に濡れる花びらのように流してしまう。そんなエピソードも素敵でした。
紫陽花のさやちゃん期が始まった。まるで、自身の名前の遍歴を名前の歴史のように思ってみるところも、名前への愛を感じました。名前についてのあたたかな思い入れがつまった作品。今回は佳作半歩手前で。
☆月夜の晩に えんじぇるさん
とつとつと、独り言のように語られてゆく詩のリズムがあります。
詩は土→声は土、土を受けてからの砂。荒れ狂う海で石を打ち砕いてできた砂からの、海、そして水。次は羽。これは海鳥から続いていると想定することも可能だと思いました。ここから飛んでいきたい場所が月だとの飛躍。この月、満月でないところがミソですね。かけている月ということで、足りないから愛に続いています。そして愛からの人の温もり。人から人という自分にかえってきました。
これらの隠された言葉の循環具合がとても繊細だと思いました。頭の中で浮かぶ空想の様子が丁寧にまとめられていると感じました。そしてひとかたまりとなって、最終連の「逢いに行きませんか?」の理由と化しているようにも思えました。
そして、詩全体の静かな雰囲気は、月夜のイメージを表現するのにぴったりだと感じました
☆夕空 山雀詩人さん
〝世界〟とは
地上のことだと思っていた
一行目から衝撃の一行ですね。いったい次の連にはどういう世界が待ち構えているのか?と思わせてくれます。え?異次元のこと?宇宙とか?など、日常とは違う非現実的なものが浮かんできたりしたのですが、次の行を見てびっくり。驚くほどの日常にある言葉の連鎖。そしてまた、「人がいるところが世界なのだ」と言ったかと思うと、「でも違った」と。この二転三転する四連、重要だと思いました。ここがきっちりと書き込まれていることにより、次の連からの独自の世界のラインがくっきりと、わかりやすく表現しやすくなっていたのだとも思いました。すんなりと飲み込めました。
7階のこの部屋から見ると
7割以上が空なのだ
地上はたった3割未満
作者の独特の気づき。これをもとに展開されてゆく後々の詩の世界。情緒あふれる世界になっていると思います。寝ている母を訪ねるシーンは、とても印象深く。そして、空を夕空にしたところ。一日の終わりが近づくというイメージと、一人の人生の終わりが近づいているかもしれないというイメージが強く重なり合っていて、じわじわとしたものがなしさが迫ってきます。
いや 横たわった母からは
もう空しか見えないだろう
そういう意味では母はもう
空の住人なのかもしれない
もしかするとこの夕空を
自由に飛んでいたりして
これらの作者さん、地上と空の感じ方に関する独自の表現が目をひき、心を打ちます。母と共に生きる日々。あと少しかもしれない共に生きる日々、そして自身の寂しさが、どこにでもあるものの、あちこちに刻み込まれているようにも思える作品でした。秀作を。
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台風7号、関西圏接近中。数年前の21号でとても怖い目にあった私は、できる限りの準備をし、おびえながら祈るのみ。暴風域、または、コースがそれていたとしても、影響をうけそうな地域にお住まいのみなさま、どうぞご安全に。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
はじめまして。
ご感想ありがとうございます。
鬼灯はたまたま鬼灯を両腕で一つずつ担いでいた方がいらっしゃり、
その人を見て「ああ、夏っぽくていいなぁ」と思って、どうしても入れたくなりました。
最後の行は口に出して読んでみて、なんとなく決めた感があります。
次回からは是非ともよろしくお願いいたします。
感想ありがとうございました。
空を見上げ
雲の流れを見ている
夏になると
ふと、穏やかに過ごせているのは
昔の人々のおかげという事を強く感じる
はるか昔も
人々は空、雲、星、月、太陽など
見ていたのだろうか
もしそうなら
何を想い、そして何を願っていたのだろうか
過ぎ行く日々に哀愁を感じながらも
今日も空を見上げながら無事に過ごせた事に感謝する
こんにちは。
佳作との評価、ありがとうございます。
こまかいニュアンスを雑にちゃちゃっとやってしまうとこがあるな、と自分でも思う事はあるのですが、なかなか実生活から叩き直さないと治らないものだな、なんて思い、反省してしまいますね。
39年、培われた怠惰と対峙するのはなかなか手強いものです。
詩を丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。
ところで私事ですが、夏期休暇にはいりました。
自分がどれだけ、労働が嫌いなのか。はっきりと噛みしめながら、だらだらとマンガ読んでます。(今の仕事は環境的にいい方だと思います。ただシンプルに労働と気があわないのでしょうね。)
夏休み。いくつになってもドキドキします。
また、詩を投稿させていただきます。
次もよろしくお願いいたします。
「ママどこにいくの?」
ママはわたしをダンボールにいれて
こうえんのすみっこにおいた
「ごめんね」ってちいさいママのこえだけきこえた
ダンボールのなかでママがくるのをずっとまってた
「おなかすいたよ さみしいよ
ママにあいたいよ」
わたしはひとりぼっちにされちゃった
なんでこんなことするの?
いぬだから?にんげんじゃないから?
わたしはオモチャじゃないよ
わたしはしんぞううごくし
いきているし たくさんいきたいよ
わたしをみてよ
もっとだいじにしてよ
ダンボールにいれられて
こうえんのはじっこにすてられて
さみしいよ いやだよいきたいよ
わたしのママは?ぼくはだれのこ?
うまれてきちゃだめだったの?
いぬだってねこだってかぞくだよ
ボクはいきたい
しあわせになりたいよ
しらないひとがわたしをみた
だれ?こわいよ?
そのひとはわたしをみてなみだいっぱいながしてわたしをみた
「わたしがきょうからかぞくだよ
あなたのママになるからね
ひとりぼっちつらかったね
かわいそうにね もうだいじょうぶ
わたしがママだからね」
あたらしいママ?このひとが?
わたしはないた あたらしいママをみながらうれしくてないた
わたしはママにだっこしてもらった
とってもあったかくてきもちいいんだ
ママはやさしいめをしてる
ママ!ママ!よろしくね
井嶋りゅう様、「スカート」に評をいただきありがとうございました。
特に他意はないのですが、ただ短くてすっきりしたものが書きたくて。いろいろ膨らませることも出来たかもしれませんが、あまり遠回りしない方がいい気がして、でももう一つ二つはあっても良かったかもしれません。
あとはわりと普段はよくこういうの書くのですが、MY DEARにはありそうでないテイストかなと思いまして。評価困難で申し訳ありません。また次回よろしくお願いいたします。
「T・クルーズ」に評をいただきまして、
ありがとうございました。
本詩を読んで、最近観た「タイタニック」を
イメージされたとのこと、
私が伝えたかったイメージとの
あまりのギャップにびっくりしました。
映像的なイメージを、文字で伝えるのって、
難しいですね。まさかそこまでずれるとは…
どうもありがとうございました。
また投稿させていただきます。
時は何のためらいもなく過ぎて行く
季節は刻一刻と移ろって行く
紫陽花は梅雨の潤いに咲き
百合は力強くかつ上品に咲いた
時は何のためらいもなく過ぎて行く
永遠での眠りに向かって
亡き者よ 君等は今……
永遠に所有されているのか?
君等のあの情熱的な想念は
もはや里山の霧の如く消えたのか
私という物語の最後の行を何と括ろう
もう明日は来ないという日が来ても
明日への希望を謳うだろう
永遠での眠りに携える希望か
私という物語の最後の行を何と括ろう
僕のこの想念が消え失せる前に
煙突の煙の如く空に消えてなくなる前に
もう一度 朝の森を散歩したい
この世界を僕は大いに愛した
鶯のさえずりを 舞い踊る蝶を
絶え間なく働き続ける蟻を
公園に咲き誇るあの桜の花々を
ではこの詩の最後の行を何と括る
もう一度でいいから
あの朝焼けの時を過ごしたかった
もう一度でいいから
あの希望の日の出を見たかった
もう一度でいいから……
井嶋様、詩の評をありがとうございました。
今回は設定や話の展開に無理があったかもしれないと思ったのですが、僕はドラマチックな展開のためなら、ありえないことが起こっても良いと思っています。それは詩の中のことだからです。が、時計を捜索するという方向で、何とか自分なりに考えてみたいと思います。違和感を感じるかと問われれば、ほんの少しのものです。
でも、もう少し考えて、時計はあったけど動いてなかったという展開でも面白いかなと思いました。
今後ともよろしくお願いいたします。