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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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故郷の夢を見た
それはとても優しくて
とても暖かくて
なんだかこの先の人生はいいものだと
慰められているようで
手を差し伸べたものに
裏切られることもあるでしょう
何度立ち上がっても強く強く
打ちのめされることもあるでしょう
どうしても忘れることの出来ない
願いの一つや二つあるでしょう
夢の中なら叶うのでしょうか なんて
少しだけ笑って見せる
先ゆく人々の後を追いかけて
色々な事を学んだ
だからこそいつまでも後ろにはいられない
さっさと追い越していかなくちゃ
辛い事があっても決して涙はみせないと
強がってみても「泣いていいんだよ」
その言葉に涙はこぼれ落ちた
昨日より今日 今日より明日は
きっともっと強くなってる
だから今は信じて
笑って歌って踊ろう そう決めたんだ
遠い昔 子供の頃 自分自身に誓った
いつか消えてなくなる時は笑って逝こうと
この世に未練は残さずに逝こうと
そんな事を考えてしまう世界だからこそ
他人に流されるような人生では胸を張れなかった
それでも新しい世界に憧れて
こんな僕でも少しだけ強くなった
そして何かを全力でやり遂げた時
笑顔で帰って ただいま を言うんだ
その時きっと故郷は夢のままにある
そう 僕が歩んだ道のりは間違っていなかった
人生を勝ち取った瞬間を
感じることが出来るだろう
おはようございます。上田です。
滑の山の写真を見て下さったのですね。ありがとうございました。僕が滑を訪れたのは小学5年の林間学校が地元の小学校で行われたときが最初でした。蜩や河鹿蛙が美しい声でなき、川へ行けば渓流魚が沢山泳いでいました。ここは桃源郷かと思った次第です。
四季折々の表情を見せる滑ですが、春の桜の時期はとても綺麗です。
紅色のすみれを見つけたのは山野草写真に傾注していた三十代の始め頃で、たまたま山道にあった紅色の花を見たときは心を奪われました。
記載されてありますように紅色のすみれは非常に珍しいものです。ノジスミレかアケボノスミレの変種だと思います。薄暗い林床を飾る森のすみれ、とても愛らしいです。
詩作は最近不調で、自分にはこんな作品しか書けないのかと、投稿されてる他の優秀な作品を読んで、溜息をついていました。そんな折に佳作を頂戴出来るとは思いもしませんでしたのでとても励みになります。ありがとうございました。
今回も私の詩に丁寧なご感想を頂き、誠にありがとうございます。上席佳作
との評をくださり、とても励みになります。
「革命云々ではなく、一個人として終わりたかったからでしょう」
と書かれていますが、本当に同感です。
「自分は見事逃げ切ったのだ、という自負の表れ」とは少し違うように
思います。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
評価をありがとうございます。
「話の立て方」にもっと着目していこうと思います。
言われてみれば、世間と自分はつきまとうものですね。
タイトルについて、いつも考えています。
今後、大きく考えすに作品に向かうことにします。
次回も評価をお願い致します。
三浦様、「はじける」の評をありがとうございました。今回は、卒業をテーマに自身の思い出を時の流れを遡って書きました。タイトルは、漢字の〝弾ける”にしようか迷ったのですが、平仮名の方が気持ちが近かったのです。
また、評を頂いてはじめて気づくこともありました。これからの作品に活かすことが出来たらと思います。次の回もよろしくお願いします。
評者側にしてみれば、
評価をつけるというのは、実はその部分だけで一つの悩みどころでして。
というのは、評価をつけるというのは、出来不出来の順位づけをすることになるからですが。
評者側の気持ちとして、「これは順位をつけられない」「これは順位をつけるべきでない」あるいは「今、順位をつけるべきでない」
と思う場合があるのです。
それが「評価保留」です。
「評価保留」というのは、漢字が意味するとおり、私はこの作品に評価をつけませんの意です。
順位づけ行為からの辞退であって、
評価の「最下位ランク」という意味ではありません。
(何故、文字通りの意味に取らない人がいるんだろう??? 評者側は文字通りの意味で使ってるんだが)
作品としてある程度以上の完成度にあり、作品評価の土俵上で評価をつけてよい、と思われる作品には、
評価は、まずまずつけやすいのですが、
その土俵上だけで済まない場合に「評価保留」となるケースが多いです。
①違う土俵に足がかかってる作品
・たとえば、作品性よりも個人の記念碑的要素が勝ってしまっている作品
②テーマが非常に大きく、主張には賛同なのだが、作品化が追いついていないケース
・たとえば、ロシアのウクライナ侵攻反対とか、能登半島地震の復興支援を、とか書かれると、その主張自体には無論賛成なのですが、往々にして、作品化が追いついていないケースが多く、
評者としたら、一方で賛同し、一方で待った!をするようなことになってしまうので、評者の方が相反のあいだで困って、評価保留にすることがあります。
③まだ土俵に乗っていない作品(土俵に乗っていないうちから甲乙はつけない)
・たとえば、まだ未完成度が高い作であると思われる場合や。もしくは意図するところは悪くないのだが、書き方として入る方向から変えた方がいいと思われる作品(そういう意味でまだ未完成作)
あるいは、今ここでイマイチな評価をつけてしまうより、書き方の方向を変えたら良くなるので、再生に期待したい作品であるとして、評価を保留にする評者もいます。
④評者側のギブアップ
・難解な作品であるのに、作品側で注釈等、補足説明が充分でない場合です。評者の方がこれはちゃんと読み取れませんでしたので、良いも悪いも言えませんの意で「評価保留」にすることがあります。
ちなみに、うちの評者でギブアップされるようであれば、一般読者であれば、まず95%以上、その作は読まれないと思ってもらって、間違いないです。
「評価保留」がつくのは、概ねこの4つのケースです。
「評価保留」の意味合いを知ってて下さい。
て、いうか、文字通りの意味に受け取って下さい。
「評価保留」は、評価の「最下位」ランクの意ではありません。
「評価保留」は文字通り「評価の保留」です。
*三浦さん、他にもケースがあったら補足して下さい。
三浦様へ
この度は「静かの海」をお読みいただきありがとうございます。
その通り、311についての詩でございます。
当時僕は幼稚園児でしたが、異様な雰囲気で包まれていたのは確かに覚えております。
13年経った今も、街や人は暗いまま。
忘れてはいけない事だと思います。次回も宜しくお願い致します。
島様、読んでいただき、今回も多くのアドバイスを感謝しております。
始まりの部分をばっさり切断して下さり、目を見張る思いです。
でもなるほど確かにそうしたほうがすっきりするものなのですね。
しかも切り落とす理由も詳しく説明されてあって、私自身は文体などという
意識もなく・・でもどこか違うのでしょうか・・などと勉強させて頂きながら
また書いてみたいと思います。次回もよろしくお願いいたします。
お先に失礼致します。
1 上田 一眞さん 「紅色のすみれ」 3/9
今回は正統的な詩です。僕にとって、このサイトは時に花を勉強する場にもなります。今回はすみれ。花に出会うまでの過程、擬音が入り描き出されます。そしてひっそりと咲くすみれの姿です。
「花くれない」―慣用句ながらいい響きの採用です。花の美しさには常に少量の哀しみが混じるものですが、「散りどきを悟って~五日の命なのだ」のくだり、そういったものを充分感じさせてくれます。後半、ハチの登場により場面は動きあるものになります。僕はこの部分が一番好きで「はぐれ蜂」という呼びかけ、すみれとの関係、これら風景に同化する上田さんの心情、この三つがこの詩の読みどころでしょう。最後に擬音について触れておきます。それぞれ独立連にしてある。これは意図されたところでしょう。
これにより、間と呼吸感、そして詩の姿に変化を与えています。この効果も大きいです。佳作です。
アフターアワーズ。
すみれの画像を見ましたが、紅色は意外と希少価値なのかもしれない。それと特筆すべきは滑峡の美しさです。大変感銘を受けました。この景観もまた詩になることでしょう。
2 ベルさん 「はじける」 3/10
この詩の発生~完成時期が卒業シーズンと重なったでしょう。すてきな内容です。
タイトルの付け方がユニークで、だいぶおもしろいのです。卒業を終わりでなく始まりと捉え、弾けて羽ばたく、大変前向きですね。
この詩は時制が動きます。1~3連は過去を現在風に書く。手法としてアリです。いいですね。
部屋の整理~寄せ書きが出て来た。このあたりのエピソードも相応しく印象に残ります。
4~5連でワンセット、十数年と結婚。「さらに時が流れた」終連は娘さん。このあたりのタイム感覚は少し急ぎ過ぎですね。あるいは内容的に、このサイズで載せるには「自分か娘さんか?」―どちらかに絞った方がいいと思うのですよ。僕の感覚で言うと、娘さんには失礼ながら、今回は自分を書いたほうがいいような気がします。殆どが「自分」で来ているし、5連で止めたとしても最低限、詩はワンテーマで成り立つのです。改訂も容易です。「娘さん」でやると60%くらい動かさないといけないからです。
佳作二歩前で。
3 大杉 司さん 「静かの海」 3/11
その末尾を読むと、これは3・11の黙祷時の思いではないか、と想像されます。
僕が最も感銘を受けたのは3連目です。全く同感ですね。ここは当事者の心の襞に迫っているのがよくわかります。2万2千の死者・行方不明者を出し、今なお3万人の避難者(そのうち9割が福島県民)がいる、と新聞にありました。この災害を風化させず、鎮魂し、今後の防災の教訓にするのは勿論なのですが、13年経った今、不変なもの、変容せざるを得ないもの、が分かれてきたような気もします。それは誰それが良い悪いといった事とも少し違って、時間の作用のような気もして来ます。読んでいてそんな要素も感じたしだいです。タイトル通り、今、海は静かですが、静かだからこそ、この災厄について、あれを思いこれを思う。そんな黙祷の時間であるようです。 佳作を。
4 静間安夫さん 「孤独」 3/11
実名は出しませんが、これは長らく指名手配になっていて病死した過激派の男のことですよね。
こういったものを書く時に、もちろん賛美はできない。そうかといって、非難に終始しては当たり前過ぎてつまらない。そこで、静間さんの選んだ道は、事件の属性・非の部分はまずまず措いて、「その男」の逃亡という背景での内面や人間性に深く切り込み探ろうとした点です。これは思わず唸りたくなるほどの正しい選択でした。少し抜き書きします。
「何ものにも拘束されることのない生き方を貫く」
「この試練を克服すれば、既存の国家や社会の枠組みが必ずしも絶対的なものではないと証明できる」
これら言葉は事の是非をいったん外してみると、非常に重く考えさせられるものです。しかし、男はそれらと引き換えに、言いようのない内面的辛苦を背負うわけです。すなわち年老いてからのありようです。やはり年齢とは肉体的にも精神的にも、如何ともしがたいものであります。
ひとつのエピソード。酒と人々との触れ合いーこれは事実です―は市井の幸せとして、革命的使命とは相入れないものです。男はまたこの幸せによっても苛まれるわけです。年齢と共に革命意識は薄れていったように思われます。死に際して男は本名を名乗ります。それは革命云々ではなく、一個人として終わりたかったからでしょう。その消息はこの詩の書き方の正しさを証明するものであるでしょう。とにかく、この文章力には圧倒されます。上席佳作を。
アフターアワーズ。
男が死んだ病院とは当家もよく行ったところです。男が勤め生活していたのは隣町です。
(何処かですれ違ったかもしれない!)この事件を知った時、衝撃を受けました。50年も社会的保証を受けず暮らすとは驚異的なことです。こんなことがあるんですね。世間とは、人間とは、わからないものです。若い頃の指名手配写真と晩年の写真を比較すると(これじゃあ、わからないかもなあ)が偽らざる思いです。この事件は男の死によって完全に終わりました。しかし真相は闇へ。そして今後の防犯に資する機会は全く失われた。そこに禍根を残したわけです。いっぽうで、本名を名乗ったのは(自分は見事逃げ切ったのだ)という自負の表れだと取る人もいます。ともあれ、あれから少し経ちましたが(あの男の生とは一体何だったのだろう?)そんな思いは今も僕の中で残っています。
5 晶子さん 「同じ時代の悲しみに」 3/11
この詩は2連が最も大事で、しかも深く考えさせられるのです。少し難しいのですが、たとえば―。
自分の両親については悲しみは残っているが、曾祖父母やその又父母ともなると、特に悲しみは湧かないわけです。ここはそういった事を言っているのかな?と思ったのですが―。ここが違うと、この詩の全てを読み誤ることになってしまうのですが。もしそうだとして、構わず話を進めます(笑)。
さて、ここで関与してくるものは何だろう?時です、時間です、時代です。そうすると、タイトルと繋がるかな?そんな風に思っています。人は確実に死にます。従って悲しみは絶えることなく続いていくのですが、その悲しみは人によって、時期によって変容するものである、そんな風に捉えています。このように、この詩は認識をより大きく捉え、その中の「今」を取り出して見せてくれたように感じています。それも自然死というより不慮の死に方に重心が行っているように思える。そう考えると、あるいは別解釈の一端として3・11と能登半島地震も関係してくるようにも思えてきます。
正直に言うと(もう少し何か書いてもいいんじゃない?)といった気はしていて、たとえば、事例的に特定の事態や人物を出すとか。そうすると、より理解も深まり、一石二鳥といった気もしますね。 佳作半歩前で。
評のおわりに。
日記風に―。
3・11は東日本大震災の日、と同時に母の命日でもある。新聞や町内放送で、その時間での黙祷要請があった。
たまたま家にいたので黙祷した。だが、母に線香をあげるのを忘れてしまった。
(母者、許されよ) では、また。