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年の瀬が近づき
忘年会シーズンを迎えた
今日この頃、
いよいよ
わたしが一番美味しい季節が
やって参りました
皆様、
今年の冬も
ぜひぜひ
ごひいきに願います
すっかりお馴染みの
こととは存じますが
この機会に改めまして
自己PRの口上を
述べさせて頂きます
もとよりわたくし
幾多の酒類の中では
食中酒、といわれる
カテゴリーに属します
同じ分類の仲間には
ワイン、
紹興酒、などがございます
どの仲間も
食中酒の名前に恥じることなく
丹精込めて作られた
お料理の味を
いっそう引き立てることにかけては
他のいかなるお酒にも
ひけはとりません
そのうえ
不思議なことではございますが
わたしどもを
ごひいきにしてくださる
多くのお客様がおっしゃることには
召し上がるお料理が変われば
わたしどもの味も変わって
感じられるのだそうです
たとえば
わたくし、日本酒の例で申しますと
同じ銘柄であっても
しめ鯖を召し上がるときと
おでんを召し上がるときでは
味わいが違う…
つまりは
それぞれのお料理に合わせて
わたくしどもも
自在に風味を変えて
お客様を楽しませるのです
そればかりではございません
「酒は百薬の長」
とよく言われますが
とくに食中酒は
栄養価が高いのです
わたくしには
様々なアミノ酸、
ポリフェノール、
豊富なビタミンとミネラルが
含まれていますし
一方、ワインは
西洋の方々にとって
昔から
長い冬を乗り切るための
貴重な保存食だったのです
さらに
わたしに限って言えば
もうひとつ
大切な役割がございます
もともと「さけ」とは
日本古来の稲作の神でおられる
「さ」の神へ捧げる
「け」、すなわちお供え物の
ことなのです
自分で言うのも
おこがましいのですが
わたしには聖なる力があり
神様と人々を結びつける―
古くからそう信じられてきました
そして神様の前で
人々が心をひとつにし
豊作への願いを込めて
わたしを飲み干したのです…
ここまで
わたしの自己PRを
いろいろお話しして参りました
ただ、昨今は
アルコールハラスメントへの
批判がきびしく、そのため
忘年会や新年会の開催に
及び腰の企業様も多いと伺っております
しかしながら
「飲むゅニケーション」
という言葉は決して
頭から否定されるべきでは
ありません
人間関係の希薄な時代に
人と人を結びつける
一助にならないとも
限りません
忘年会・新年会の折りに
社員様の間の敷居を低くして
融和を深める潤滑剤として
さらには
会社の業績目標の達成―
いわば豊作に向けて
一致団結する気運を
盛り上げるために
きっと、お役に立つ
ことができると存じます
ぜひとも
今年一年をしめくくり
新たなスタートをきる
お手伝いをさせてください
なにとぞ宜しくお願い申し上げます
三浦志郎 様
本年も大変お世話になりました。
また来年もどうかよろしくお願い申し上げます。
どうか良いお年をお迎えください。静間安夫
いつもどおりの朝
いつもどおりの交差点
ここに集まる人たちは
みな待っている
なにかがかわるのを
昨日よりすこし寒い
昨日よりすこし厚着になった
それだけで
世界はずいぶん かわって見える
「ここでの役目を終えたから
わたしはひとりで旅に出ます」
そう言ってあなたは行ってしまった
旅の先で
あなたに大きな大きな波が打ち寄せる
波の襞が幾重にも幾重にも
あなたにせまる
それを遠くから
何年も先の遠くから
ながめているものがいる
信号がかわる
みないっせいに歩み出す
ぶつかりそうになり 立ち止まる
すぐに動けず 立ち尽くす
わたしは波を割いている
(横断歩道のしましまは
打ち寄せる進行と停滞なんだろうか
みな先に行ってしまった
わたしとぶつかりそうになった人も
雲のように旅する人も
街路樹の葉の色も
(役目があるのはしあわせなのだと
「休日」が物知り顔で話していた
(その言葉をほそくほそく縒って
針刺しにそっと突き立てておこう
いつもどおりの朝
いつもどおりの交差点
今日はうまく渡れるだろうか
「ここに役目があるので
わたしはまだここにいます」
凪ぐことのない毎日で空だけが
立ち止まった者を待っている
自身の進行の先が
その日でもっともうつくしく染まる時間まで
そこには時おり
あなたの詩(うた)も打ち寄せている
空が落ちてくる
僕の真上から
僕は両手を広げてそれを受け止める
重い 足がぷるぷると痙攣する
誰か手伝って
誰もいない
みんなどこいった?
空が落ちてくる
僕の真上から
僕は支えきれずに
空の上へと落ちていく
水平線が真上に青空が真下に
ぐるぐると回転する雲
空をどこまでも昇っていく
あ、やっと人を見つけた
向こうも僕に気づいた
指さしている
飛行機が用意された
猛スピードで飛んできた
僕のためにパラシュートを用意してくれたらしい
ありがたいことだ
僕はパラシュートを背中におぶって 広げた
地上へむかって
ゆっくり落ちていく
ようやく重力に従う気になったらしい
地上には人がたくさんいる
救急車や消防車もいるパトカーもいる
僕 悪いことしたのかな
みんなおさわがせしたね
地上へゆっくりと降りた
パラシュートがふんわりと縮む
ただいま
次の瞬間
地上が起き上がった
眠っていた地上が眼をさましたのだ
大変だ!
大急ぎでそこから離れる
僕は怪我していなかったのでパトカーに乗った
地上がめりめりと剥がれていく
空がぐんにゃりと曲がっていく
地上は一人の大きな
とてつもなく大きな巨人だった
大空を抱えて巨人は飛び立った
宇宙へ向かってジャンプした
どうやらみんな逃げきれたみたい
巨人の抱える空に人はいなかった
でも鳥や牛さんは見えた
途中で重力に惹かれて落ちてきた
竜巻があちこちで発生していた
大雨が降ってきた
あらゆる天変地異が同時に
僕らの地上を脅かす
巨人は空から僕を見て笑った
その顔はなんと僕と瓜二つだった
僕が巨人? このパトカーは?
パトカーなんてなかった
最初から僕は巨人だった
何が何だかわからなくなってきた
僕はこの古くなった地上を入れ替えるために
やってきた未来の人間だったんだ
巨人は仮の姿
本当は全身タイツを着た
ヒーローショーのお兄さんだ
そう僕はヒーロー
過去の汚れた地球を綺麗な地上に入れ替えに来たんだ
僕の仲間も今頃 世界各地で活躍している
僕はユーラシア(アジア・ヨーロッパ)、仲間の一人はアフリカ、他にも北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極の6大陸を入れ替えに来た
汚れた地球をまっさらにするために
一から立て直すのは大変だけど
また別の役目を持った仲間が来るから
大丈夫だよ
僕らは巨人族
ときどき台風や津波で地球を掃除してきた
事故や死者もあったけど
全部避けることはできないんだ
また作って生まれ変わってがんばって
僕らもがんばるよ
月が見えてきた
僕はいったんユーラシア大陸を月に降ろす
クリーニングしてまた戻しに行くからね
今度の満月の夜に
空が落ちてきた
僕は両手をあげた
今度はちゃんと支えれた
綺麗になった地上をゆっくりと
戻すために
僕は月から地球へ
と飛び立った
地球はどこまでも青く澄んでいた
五 「後年」
ルイス・ザンペリーニのことである。彼は大船に約一年間留め置かれた。ここでは異例の長さである。彼が大船に長く拘留されたのには理由がありそうだ。正規の収容所に移せば、国際赤十字に国籍・軍籍・階級・人名が申告され、初めて“正式な捕虜”として本国に通知される。非正規の大船に留め置くことは、”行方不明“であることを意味する。ある意味、著名人のザンペリーニを行方不明状態におくことで、アメリカ人に不安を与え、戦意を挫く狙いがあったらしい。その後 東京の大森収容所(今の平和島付近)に移された。彼の捕虜生活は、さらに過酷になっていった。が、運は彼を見放さない。やがて日本の降伏。
終戦後 彼はある男を憎んでいた
移転先の東京・大森収容所で彼を執拗に虐待した日本人
その男には任務を越えて
ある種 嗜虐癖があった
ここでは名を伏せよう
男は終戦後逃亡し続け戦犯をのがれ
結果として平成十五年まで生きた
ザンペリーニは終戦後 結婚して一家を成し
終生 静かな一市民であり続けた
その男とザンペリーニ
戦後という同じ時間を生きながら
その生き方の違いは一体どういうことだろう?
だが
彼は時の流れと持ち前の信仰心で
(今はあの男を許そう)
その日本人への気持ちである
時の流れとは
穏やかな方向に向かうものらしい
彼はその日本人に
面会を求めたが
男は拒み続けた
(仕方あるまい)
二人は戦後ついに会うことはなかった
不幸かもしれない あるいは
人生のひとつの姿なのかもしれない
ルイス・ザンペリーニは
その名から連想するようにイタリア系アメリカ人である
大船収容所時代に小学校運動会に呼ばれ
模範の走りを見せたあの男
彼は世界が認める優れたランナーだったのだ
遥かな後年
戦後五十三年
平成十年の冬季長野オリンピックの聖火ランナーに選ばれた
来日して新潟県上越市内で見事な走りを披露した
その大役を果たした彼には
ぜひとも訪れたい場所があった
かつて捕虜として一年を過ごした鎌倉市大船
その今を見届けたかったのだ
収容所は跡形もない
大部分が住宅地になっている
その変わりように彼はやや茫然とした
のどかだった
裏山だけが当時を語るように残っている
その山に収容所で死んだ六名が埋められたが
終戦と共に故国に帰還 改葬された
彼は道路隔てた向かいにある龍宝寺を訪ねた
この地で亡くなった六名の捕虜の霊を弔っているという
ポツンと一本 卒塔婆だけが立っている
花を手向け拝礼
六名の中に彼の部下がいたのだ
(ドナルド“フィーリー”ジョーンズ軍曹 おれだよ ザンペリーニだ 会いに来たぞ)
ここは玉縄小学校の校庭
戦時中 彼・ザンペリーニが模範に走った運動場だ
(ああ ここはよく憶えている
ゴールした後
子ども達が盛んに拍手してくれた
小さな女の子が出てきて賞品を渡してくれた
ひととき 戦争のことは忘れたのだ
SWEET POTATO 日本でいう“さつまいも”
そのプレゼントの貧相には驚いたが
甘くて旨かった記憶はあるな)
「SATSUMAIMO サツマイ~モ サツマ~イモ!」
彼は何度かその言葉を言ってみる
なぜか可笑しみと親しみがわくような気がした
(手渡しに来てくれた女の子
すごく小さくてショートヘア
敵国人でいかつい私が恐かったのだろう
貰ってすぐに
頬にキスしてあげた
渡してすぐに
振り向きもせず駆け去った
その後ろ姿が妙に可愛く
今も懐かしく想い出される)
(その子 名も知らず
今は顔もわからないが
どうしているだろう いくつになった?
幸せならばいいのだが―)
この地を再訪したザンペリーニは
“あの時間”へのピルグリム(巡礼者)でもあったろう
日本での過去と現在の
時間全てを受け入れ
彼は帰国の途に就いた
六 「私自身」
時代はさらに下って
戦後七十九年
私自身
この地域を歩き回った
ザンペリーニはじめ
この地で戦争に翻弄された人々を思っていた
すでに史跡としては跡形もない
石碑ひとつない
収容所跡は住宅地でしかない
この”何もなさ“は
(国にとっての不都合は全て消し去ろう)
私にはそんな思惑が働いたように思われてならない
今 私はその寺にいる
龍宝寺という
外国人捕虜六名の卒塔婆をお参りした
合掌
か細い花が供えられていた
それがかえって哀れを誘うようだった
このたった一本の木札によって
全ての贖罪が終わったとでもいうのか?
それとも この一本に
心からの謝罪を込めたのか?
私にはわからない
が 年に一度 お盆には
供養されるのは幸いだろう
今はのどかなこの地に
かつて 人間の尊厳を問われる
重大施設・重大事件があったのだ
(多くの人がこの歴史を知らない)
そのことに心を残しつつ
私は寺を去った
ついこの間まで私自身も知らなかったのだ
もう一人の自分がつぶやく
(おまえは何のために この地に産まれ 今まで生きてきたのだ!?)
完
********************************************************
〇付記。
この作品に登場したルイス・ザンペリーニの伝記映画が存在する。アンジェリーナ・ジョリー監督作品
「不屈の男アンブロークン」である。 アメリカではヒットしたが、日本では上映か否かで賛否が分かれた為、規模縮小して
2016年2月に公開された。
本作は妻のちょっとしたPC打ちミスがきっかけだったが、このひとつの土地に多くの周辺事情が横たわっていたのを実感した。
さながらドラマのようだった。
本作の登場人物の名前はルイス・ザンペリーニ以外、全て架空です。
実在の人物とは一切関係ありません。地理・地名・背景等は全て実在です。
長々とスペースを取って、ご迷惑をおかけ致しました。
本作は島 秀生氏の許可・協賛を頂き、掲載致しました。 ありがとうございました。
皆様 今年一年、誠にありがとうございました。 では、また。 どうぞ、よいお年を。
宇宙に流れる 不思議な音楽
宇宙の私語 不思議な音楽
暗黒 銀河 星々
包み 流れる 不思議な音楽
なぜ 銀河が見える
なぜ 美しい なぜ 愛がある
聞こえるもの
あれは私語
宇宙の私語
何の意味
消せ 消せ 消せ
ぬぐえ ぬぐえ ぬぐえ
しかし あそこに 何がある
宇宙の私語が 愛だったら
わたしは それを 信じよう
もし それが わたしの 死であれば
わたしは それを 信じて 受け入れよう
宇宙の私語は それで
存在し続けるであろう
そうだ いい
愛する この世界は
今日も 明日も 存在し続ける
わたしは 泣きはしない
三 「ひとつのエピソード」
世界に存在する光と影
人間社会にあり続けるアメとムチ
この捕虜収容所も例外ではない
これは小さな”光とアメ“のはなし
捕虜の一人にベルリンオリンピック長距離走で入賞した者がいた
ルイス・ザンペリーニという将校 元B24爆撃機の乗員
収容所の命令で近隣小学校の運動会で
模範の走りをすることになった
他の捕虜たちも見学を許された
子どもたちはその堂々とした走行姿に感動し
大きな拍手を送ったという
彼に賞品が贈られた
粗末な皿にのった二本のさつまいもだった
あたし 先生に
走ったがいこくのへいたいさんに
おいもをわたすようにいわれた
からだがすっごく大きくてこわかったけど
あたし うんとがんばってわたした
そしたら そのへいたいさん
「アリガ~~ト」って そういってわらってた
だから ちょっとあんしんした
そしたら そのへいたいさん
あたしのほっぺにいきなり口つけてきたの!
あたし びっくりして
こわくなって
べそかいてもどった!
高い塀と有刺鉄線に覆われた内側
過酷な尋問と制裁
その外側では
ささやかながらも住民との触れ合いはあった
この落差は一体何であったろう
いくつかのエピソードが
土地の古老によって今も語り継がれているようだ
四 「解放」
ザンペリーニ運動会出場の例のように、ごくまれに訪れる外界との触れ合い。収容所に対して“従順で協力的な”者には江ノ島や鎌倉大仏への遠出も許された。もちろん所員の同行・監視付きだが。行楽と虐待。塀の内側にもアメとムチはあった。そして、この奇妙で悲惨な生活にも終止符が打たれる時がやって来る。
時の使者が彼らに朗報
解放を告げにやって来る
すなわち昭和二十年八月十五日
終戦 日本の降伏
所員と捕虜の
立場も運命も逆転した
一枚の写真がある
咥えタバコに憮然とした表情で出所する元捕虜
昨日までの支配者が深々と頭を下げ謝罪している
気の荒い者はその謝罪の頭を蹴り上げたかもしれない
人間として けっして美しい光景ではない
世界がその浅ましさを見つめる
一枚の写真がある
大船駅構内
元捕虜がタバコを吸いながら電車を待っているようだ
表情は軽やか
電車を乗り継いで厚木に行き
そこから味方輸送機で帰還の途に就くのだろうか
かなりの拷問を受けたエルビン・コゾフィー大尉も無事帰国しただろうか?
この収容所での死者は六名で他所と比べ多くはない。さりとて許されるべきものではないが。ここはひとつの収容所としては、三十名近くの戦争犯罪人を出した。異例である。おそらくこの施設が国際的に無届け、極秘だったのがその原因と思われる。現場の所員が虐待に手を下したのは、もとより罪ではあるが、彼らは上官の命令に従ったに過ぎない。抗命したり手加減すれば罰せられるのは自分たちだ。真に断罪されるべきは、施設を極秘にし虐待を命令した軍上層部であるのは間違いない。「大船収容所事件」。この国が持った不正の意志である。
*厚木……神奈川県中央部に位置する市。
終戦後、マッカーサーが降り立った
土地。
つづく。
(昭和四十年十二月)
中市(なかいち)の米屋の横に *1
本家があった
お使いで
本家に行くときは少しだけ緊張したが
楽しみでもあった
おばあ様 一眞です
お餅を届けに参りました
まあ かず〜さんいつもありがとう
上がって上がって
お茶を差し上げましょう
お饅頭もあるのよ
独り暮らしの優しいおばあ様
小顔で和服が似合い
気品がある
出石(いずし)の出身だと聞く *2
でも 名前を覚えてもらえない
かずまさんでなく
いつも かず〜さん
おばあ様 かず〜さんはやめて
かず〜さんって
物乞いに歩く人のことですよ
今は亡き当主であるおじい様は
元外交官
在ブラジル日本領事館に奉職されていた
この家は宝の山だ
いつ訪れてもワクワク
広い屋敷の二階にあがると
黒ずんだ壁に
黒い大礼服と
ナポレオン風の弓の形をした帽子が
ぞろりと掛けてあった
書架には和洋の
分厚い書籍がずらり並ぶ
壮観だ
陣笠や槍 大脇差しもあった
裃も…
井桁に木瓜の家紋はわが家と同じだ
おばあ様は目を細め 往時の
おじい様との日々を思い出すように
語った
あの人は
外国で珍しいものを見つけると
必ず送ってくれました
蝶を集める趣味を持っていましたのよ
標本にして飾っていました
とても綺麗でした
かず〜さん
いつも来てくれてありがとう
あなたは優しいし
明石にいる孫に
雰囲気がとてもよく似ているの
*
(他の親戚にお餅を届けた帰り道)
あっ 鼬が走った
鼠も道に飛び出して来た
火事だぁ
火事だぁ!
と叫ぶ声
みるみるうちに火が廻り
本家は
煙と火炎に包まれた
僕は叫んだ
ああ 大変だ 中に
おばあ様がいるんだ
・・・
乾燥しきった大気に
メラメラと燃え上がる紅蓮の炎
消火はいっこうに捗らない
火が風を呼び
家屋は昼夜燃え続けた
*
(それから三年の後)
故郷を後にする 前の日
僕は本家の火災現場に立った
焼け跡は片づけられ
屋敷の姿・形はない
火に巻き込まれ
亡くなったおばあ様
そして
あの宝物もすべて灰になってしまった
おそらく
明治の藩閥政治に繫がっていただろう本家
貴重な遺産が失われた
火事が憎い
焼け跡に
無常の風が吹く
鶺鴒が一羽 昏きところより
ちょこちょこと走り出た
ピピピ〜ィピッピ
ピピピ〜ィピッピ
あれぇ あの顔 あの目
おばあ様に似てらぁ
鶺鴒に姿を借りて
僕に会いに来てくれたんだな
改めて深い喪失感に襲われ
眩暈で
地べたにしゃがみ込んだ
そして 瞑目して囁いた
さよなら さよなら
おばあ様
一眞もこの地を離れます
どうぞ安らかに
お眠り下さい
優しく
慈愛に満ちた貴婦人
忘れ得ぬ人の一人だ
*1 中市 山口県防府市富海の中心地区
*2 出石 兵庫県豊岡市の城下町
風邪をひいた心に
君はそっと暖かい沈黙を注ぐ
ホットハチミツレモンティーの湯気で
曇った瞳が晴れていく
止まらない争いの熱が上がり
悪意ある言葉が飛び交う中で
悪魔のような感染を防ぐために
必要な沈黙
天使たちは間違えたように通り過ぎ
ひとときの微笑みだけを
そっと置いていく
束の間の平和に満たされた時間
これまでは冷や水を浴びせられ
病気にされてきたから
同じ過ちを繰り返してきた
身を守るために
言葉で壁を築いてきたから
愛を受け取る空白がなかった
―この歴史を教えてくれた妻の機転と配慮
そしてこの地で生死した外国人のために―。
一 「きっかけ」
戦国期 小田原北条一族の
ゆかりの寺のひとつである
今 私はその寺にいる
龍宝寺という
この寺のもうひとつの歴史
奇妙なもの
日本の寺ながら
外国人の為の卒塔婆がある
供養されている
ここから始まる「詩」物語
妻がパソコンで地元ネットスーパーの記事を探していた。いろいろ見て回るうちに、手許が狂ったのだろう。あらぬ地元記事を引いてしまった。この町に戦時中にあった施設の事である。妻は私が歴史に興味あることを知っているので、その記事を知らせてくれたのだ。「ねえ、こんな記事、出ちゃったんだけど、知ってた?」―こう書かれていた。
「戦時中、神奈川県鎌倉市大船に“秘密”の捕虜収容所があった」
衝撃だった。私はこの地に生まれて今まで七十年近くを過ごして来たが、その事を知ったのは初めてだった。
そして強く思った。 恥ずかしいことだ。こんな風に―。
(自分は何のために、この地に産まれ、今まで生きてきたのだ!?)
私はこの収容所の事を調べた事実で書きたい。余地ある部分のみフィクションを用いよう。それもなるべく大筋を外さず、
“あったかもしれない”ものでありたい。歴史小説の手法を、詩の世界に活かすつもりで―。
二 「虐待」
現在 この地
神奈川県鎌倉市 大船駅西口側
大船観音の背後にあたる地域
少し歩けば もう横浜市
近くには
小田原北条氏が築いた玉縄城祉
そして くだんの龍宝寺
近くに 栄光学園 清泉女学院といった名門校あり
いわば郊外
歴史地区・文教地区・住宅地区
そんな土地柄である
*
(通訳 同席)
B29爆撃機機長・エルビン・コゾフィー大尉……だな?
正直に答えよ
B29一機の爆弾種類と搭載量はいかほどか?
私の認識番号は「11-246-375 BLOOD TYPE A」
そんなことは聞いとらん! 爆弾のことだ!
質問を変えよう 無事でいたいなら吐くことだ
たとえば サイパン島でのB29の標準配備機数は?
私の認識番号は― (以下 何度か同じような問答の繰り返し)
馬鹿者! わしを愚弄するか!
命惜しさに捕虜になりおって 笑止千万 恥を知れ!
ボカッ!(大尉を殴る)
ムム ウウウ……ワタシ…の ニ・ン・シ・キ・……
こいつ しぶといな
おい ムチで打て 独房行きだ 吐くまでメシは与えるな!
軍医殿―
ジョーンズ軍曹ら数名が熱を出していますがー
ヤツらめ 知恵熱か そのうち下がるじゃろ
大丈夫でありますか?
下士官は大した情報は持っとらん
氷嚢でもぶら下げておけ
捕虜はどいつもこいつも図体だけはでかくて頑健じゃ
そのうち熱も下がるじゃろ
心得ました!
おい 炊事人―
捕虜どもが「我々に木の根を食わすのか!」と騒いでおるぞ
ここには肉などないですよ ごぼうは日本伝統の食い物だと言ってやって下さい
俗に「大船捕虜収容所」。対外的な名称は「横須賀海軍警備隊植木分遣隊」
(「植木」とは大船の一地区。住所から取っている)。龍宝寺という寺の向かい側にあった。 昭和十七年四月開設。国際法上、無届けの収容所だった為、秘密とされた。そんな事情が表向きの名称にも表れている。ここは普通の収容所と違い、捕虜から軍事機密を供述させる為の、いわば「“吐かせる”施設」と言ってもいい。二~三か月の拘留が多く、供述後は別の収容所に送られた。黙秘や偽証言をした捕虜への虐待は峻烈だった。加えて食事と医療に怠慢だった為、六名の死者を出した。捕虜収容所と言えど人間生活の場である。
必要最低限のものはあった。大部屋と独房。トイレ・シャワー室・洗濯場・その他バレーボールコートなど。昼間は外で過ごすよう命令された。下士官は防空壕掘りなどの労働、将校は尋問。洗濯や体操・バレーボール・コーラス練習などで過ごした。温暖な地とはいえ、冬は寒かったことだろう。あとは虐待。それは精神面にも及んだ。ささいな事での平手打ちなど日常的に行われた。この施設に関わった多くの日本人が戦後横浜軍事裁判で有罪となった。その中には主任尋問官で判決後、約十二年の刑期を終え著名な戦記作家となった男がいた。軍令部員の彼が捕虜虐待を命じたことはまず間違いない。
つづく。