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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

三浦志郎様 評のお礼 こすもす

佳作の評をいただきありがとうございます。励みになります。
この詩は以前仕事帰りで電車を待っている時に目の前を通り過ぎた貨物列車を思い出して書きました。
貨物列車だけでなくローカル線を走るディーゼル車も好きですが、最近は実物を見に行く機会がないのでインターネットにある動画をよく見ています。これらの列車に懐かしさや哀愁を感じるからかもしれません。
列車に関する詩はこれからも書こうと考えておりますので、その際はまた評をいただけたらと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

感想と評 4/18~4/21 ご投稿分 三浦志郎 4/26

1 上原有栖さん 「ペインキラー」 4/18

「~~キラー」というのは、けっこう物騒なものもあるのですが、これは良い方ですね。
念の為、調べたら「鎮痛剤」とありました。前作は「パパ」でしたが、今回はご自身のこと。
これは実体験を基調としながらも、少し誇張やフィクションが入って仕上げた感じがします。
前作にもあったように、仕事が心身にとってハード過ぎる気がします。精神面が大きい気がします。
「錠剤~二粒」「カプセル~一錠」とあるので、二種類飲んでると理解されます。ポイントになるのは、終わり2連という気がします。後輩のセリフです。しかし忖度なく、ずいぶんはっきりと言うものですねえ。自分のコンディションに傾き過ぎ、他者との関係、他者の気持ちに気が回らなくなった、といったところでしょう。その方面にも薬が効くかどうかは、ちょっと疑問ですね。やはりご自身の意識の範疇といった気がします。
佳作一歩前で。


2 こすもすさん 「貨物列車」 4/18

前口上を少し。
トラック輸送と鉄道輸送の活動比率を調べたところ、現在は圧倒的に前者が多いそうです。
で、このことは、この詩の骨子に少なからず関わってくると思うわけです。

それを前提とすると、この詩は3連が最も読みどころ。「コンテナが数えるほどしかなく」や「トラックが列車を追い越してゆく」が代表でしょう。トラックと列車の速度関係は普通、逆のように思えるのですが、何か事情があったのでしょう。いや、それ以上に、この情景は今の輸送界の実態を示唆するに充分のものがあります。それに答えての「時代の流れなのか」「叫んでいるのか~時代に抗うように~」と続きます。ここはよく考えて書き込んでいます。そんな連を他の連は、美しいが少し切ない描写で囲んでいます。それは貨物列車への優しい眼差しのようでもあります。タイトルからすると、書き手も読み手も力強いものを指向するのが、ほぼ定石なのですが、この詩はそうではない、ひとつの哀感です。そこに価値がある。そこを見ておきたい。
別視点を書きます。貨物列車を実際に運転している人は、こんなことを思ってはいない。鼻歌でも歌って、仕事後の酒を楽しみにしているかもしれない。いっぽうで、離れた地点で貨物列車をこのように書いてくれる見知らぬ人―すなわち詩人―がいる事を、ここに記しておいてもいいかもしれない。佳作です。

アフターアワーズ。
過去にも鉄道に関わる作品がありました。このあたり、単に偶然なのか、それとも何かのこだわりがあるのか、少し興味深いところです。


3 詩詠犬さん 「ことば」 4/19

そういえば 「なんとも言えず」と言いながら
「美しい」と言っている

いきなり引用してしまいました。
少し笑えるのですが、これは大まじめに考えないといけない。僕はこの詩で、ここが一番好きなんです。「なんとも言えず」=「言葉にならない・筆舌に尽くしがたし」とするならば、一応言った「美しい」は本当に正しいのか?嘘くさくないのか?表面だけではないのか?詩は検証を始めます。
実はこの詩は花の状態をきっかけとして、言葉の可能性と限界をシンプルな日常性と言葉の中で言い当てているのだと理解しています。これを私見交えて書いてしまうと……

「人間の五感・感性・情緒・インスピレーション>言葉」

後者は前者群に追いつけない。完璧に体現できない。詩はその事を言っている。結果、詩は終連部分の結論に至ります。これもひとつの見識と思うわけです。深い内容を詩詠犬さんらしい言葉で書かれました。 甘め佳作を。


4 静間安夫さん 「ある作曲家へ」 4/21

前口上を少し。
詩論とは別地点において、評者のみならず、読んだ誰もが(この詩の作曲家は誰だろう?)と思うわけです。とりとめがないので、思いつくままに候補者を挙げて調べてみました。
「スメタナ・ドボルザーク・チャイコフスキー・ムソルグスキー・ワーグナー」
どれもピンときません。どうも釈然とせず。そこで、検索方法を変えたら、ショスタコヴィッチがヒットしました。多分、この人のことでしょう。そう思って書きます。違っても気にしません(笑)。

「社会主義体制に翻弄された作曲家」とありました。
まさに、この詩もそれを充分踏まえています。まずは独裁体制下での彼の辛苦が背景に描かれます。具体的にはスターリン政権下での音楽芸術への圧力です。身の危険も感じるほどの。
加えて、地獄のような独ソ戦。このような中での音楽活動は甚大な圧迫を受けます。詩中にもあるように(生きる為には)「体制に迎合した」面もあったでしょう。この付近までが前半。しかし、この詩の本領は後半部。その前兆がすでに初連から4連までに提示されています。「なぜ亡命しなかった?祖国に残ったか?」の疑問。それを受けて後半はその解析、静間さんの詩を通しての推論、考察です。彼の「良くも悪くも我が祖国」―そんな思いが詩によって浮き彫りにされます。単に履歴羅列に留まらず、ひとつの疑問から発して、この人間の持つ表面、裏面にも触れながら、静間さん独自の音楽家像にまで昇華されました。 佳作です。

アフターアワーズ。
冒頭付近の疑問ですが、亡命ではありませんが、ドボルザークが米国を訪問して、あの「新世界」を完成させた故事が、どうも僕の頭から離れずにありました。静間さんにもあったのかもしれません。僕はクラシックは殆ど聴きませんが、この人、ちょっと聴いてみたいと思います。


5 人と庸さん 「関係」 4/21

まずは準備として、吉原幸子「無題(ナンセンス)」を読みました。

そして初連……例えば街中で人と人がすれ違ったとします。相手の名前は知らない。自分の名前も知られない。そんな一瞬の関係の二人。そこから同心円状に広がる世間・社会・世界。広い荒野はそういったもの。マッチ棒幾本は人の象徴。

2連……吉原詩の1フレーズ。ある解説では孤独のありよう、あるいは存在の本質と説明される。
ここでは、この詩の作者が作品の呼び水として引用したと思える。

3連……初連との対比で、名前さえあれば、関係はもちろん、人間や社会に「変化」という一石を投じるだろう。

4連……2連の引用部を下敷きとして、作者は「いる、いない」の本質を、タイトル「関係」にまで広げている。

5連……転じて、此処は具体的事例。一人の人間の死。

6連(1行独立)……生も死も恐怖である。(2連、4連とも関連)

7連……一見美しいが、内実は醜いだけのこの世界。

8連……人と人に芽生えた「関係」によって、この世界は俯瞰すると美しくは見える。いや、希望的観測かもしれないが、実際、美しいのかもしれない。

9連……世間の個々人に向け、作者は何事かを働きかけようとしている。あるいは祈りや願いかもしれない。詳細は評者にとって不明。

10連……評者にとって意味不明。

―と、まあ、こんな感じで読んでいたんですが、「広い荒野にマッチ棒」はシュールな絵画を観るようで、非常に抽象現代詩的効果があります。それでいて、これらは比喩する物が何であるかはわかる仕組みを取っています。「匿名→名前あり」の発展によって関係が始まり世は初めて動き出す、良くも悪くも―。そんなフィーリングを感じています。詩は難解さを提出しながらも「いかようにも読んでもらって構わないです」といった寛容ももたらしています。 佳作を。



評のおわりに。

ある偉大なアーティストの偉大なコンサートに行ってきました。
会場は1万2千人キャパで満席。
いい歳こいて人生観が少し変わりました。
その1。
人は生を受けたからには、よろしく成功すべきであること。(僕はもうとっくに遅いけど、ネ)
その2。
地鳴りのような重低音を積極的かつ好意的に研究すること。

以上です。 では、また。

編集・削除(未編集)

水無川 渉様 評の御礼です  温泉郷

水無川 渉様 いつも、丁寧にお読みいただきありがとうございます。また、佳作をいただき、うれしく思っております。白黒写真というのは、不思議な記憶の喚起力があると思いました。カラーでない分、想像力を刺激するのかなと思ったりしました。引っ張り出した写真が、素人カメラマンが撮影したモノクロ写真でして(実はそんなに大昔でもありません)、眺めているうちに、作品のようなイメージが湧いて書いてみた次第です。書いていたものが、詩だったらよかったのですが、もう少し、仕事寄りの文章でした(笑)。引き続き、よろしくご指導ください。

編集・削除(編集済: 2025年04月25日 12:30)

ブラザーフッド 上原有栖

「なあタバコをくれないか」
「今度会った時に返すからよ」

お前が煙草を切らすなんて珍しいじゃないか
差し出したマールボロを吸う横顔は
何か隠しごとをしているな
言葉にしなくても俺には分かるんだよ

どうした、という言葉を俺がかける前に
火を消したお前は背を向けて歩き出す
「どうした」
去っていく背中へ一拍遅れて投げかけた言葉に
返ってきたのはヒラヒラと振り返された
手のひらだけだった
こっちを向けよ、コノヤロウ

何かあったときに背中を預けられると思ったのは
後にも先にもお前ひとりだけなんだ
話せば何かと馬が合った
年の離れた兄貴より兄弟らしいとさえ思っていた
お前がいるから今まで歩いてこれたんだ
泥だらけでも、傷だらけでも
ふざけあって、笑いあって
お前と出会って人生が輝きだした

何があったか知らないが
俺がいることを忘れるなよ
辛いとき苦しいときは声をかけてくれ
いつでも準備は出来ているから

それ以来お前からの連絡は途絶えてしまった
伝手を頼って調べてみたが何も分からないのだ
俺のマールボロを吸う本数だけが増えていく
まったく、いったいどこで何してるんだ

なあ貸した煙草、早く返しに来いよ
話したいことがたくさんあるんだ
お前はその話をニヤニヤしながら聞くんだぜ
そうさ、分かってる
お前のことは俺が一番よく知っているんだから

編集・削除(未編集)

水無川渉様 ありがとうございます。

感想をありがとうございます。
テクストは、織物、編み物を意味するラテン語と教えていただき、時間を掛けて何かを作っていく、紡いでいくことの大切さを改めて思いました。
なかなか、周囲にも手仕事をする人が少ないので、針を持つことが、精神の安定に繋がることを書いておきたいと思いました。

編集・削除(未編集)

水無川渉様  評のお礼です。  松本福広

佳作の評ありがとうございます。
おっしゃる通り、自己批判も含みます。
今回取り上げた聖書のエピソードを聞いて、水無川さんの解説された通りに理解しておけば良いと思うのですが……皆様ご自身に対して自覚的で素晴らしいなぁとズレた感想を持ってしまったことが書こうと思ったきっかけです。
自分が「正しい」と思える立場になると攻撃性が増したり、都合が悪いことは忘れて、自分を美化してしまう気持ちは誰にでもあるけど……自分はどれだけ歪さを自覚しているのだろう?
と思うことも多々あります。
自分のことすら実は知らない。
自己正当化とか、自信のなさ故に他の価値観に翻弄されたり……生きるって難しい 苦笑
社会、自己どちらにも当てはまるよう書かせていただきました。
ありがとうございました。またよろしくお願いします!

編集・削除(編集済: 2025年04月25日 08:18)

青島江里様へ  修正の件  松本福広

4/16投稿させていただいた「gold moon/とある青年の独白」
6連目5行目
湖→海に訂正させていただます。
今まで気が付きませんでした。申し訳ありません。

編集・削除(編集済: 2025年04月25日 08:18)

感想と評 4/8~10ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。4/8~10ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●佐々木礫さん「君と白い手の中で」
 佐々木さん、こんにちは。この作品は死のイメージが濃厚ですね。しかも、まだ死んでいない「僕ら」の生でさえ、すでに死に侵食されつつある、そんな現実認識が語られています。タイトルの「白い手」は死神の手ということですね。
 もう一つのテーマは孤独です。死に至る不可避の旅を歩む人々の間には連帯や共感の余地はない、と「僕」は語ります。孤独な「僕」と「君」の間に何らかの交流があったとしても、それはあくまでも「分かり合えたふり」に過ぎない……。
 この詩は死や孤独を徹底的に醒めた目で見つめて描ききった作品であると思います。硬質で突き放したような文体も、このテーマにとても良く合っていると思います。
 ただ私は拝読しながら、それで全部なのだろうか?という疑問を拭いきれませんでした。「僕」は心の底のどこかで、「君」と分かり合えることを願っているのではないだろうか。絶望の中にあるかすかな希望が、タイトルにある「君と」の一語に込められているのではないかと思いましたが、これは読み込み過ぎでしょうか。でも私は個人的に、「読み込み過ぎる」ことができる詩、多様な解釈を誘う作品は、良い詩の特徴であると考えています。評価は佳作です。

●津田古星さん「針を持つ」
 津田古星さん、こんにちは。初めての方なので感想を記させていただきます。
 私は穴の空いた靴下を繕ったり、取れたシャツのボタンを付け直したりしたことがあるくらいで、本格的に縫い物や編み物をしたことはありません。けれどもこの作品はとても興味深く読ませていただきました。
 単純作業の繰り返しでしかも神経を使う針仕事は大変な営みだと思いますが、そこから開けてくるいろいろな世界(友人やコミュニティとの交流、あるいは孤独のうちに見出す心の安らぎ)があるのですね。そうやって心を込めて編んだものを大切な人が身に纏ってくれるというのは無上の喜びではないかと想像します。
 特に最後から二番目の連が気に入りました。絡まってしまった部分を切らずに時間をかけて丁寧にほどく作業は無駄に見えて深い意味を持っているのでしょう。
 ところで、文章を意味するtextという英単語は、元々は「織物・編み物」を意味するラテン語のtextumから来ているそうです。私たちが詩をはじめとするテクストを作り上げていく営みは、時間をかけて編み物を作る作業と通じるものがあるのではないか……そんなことを思わされました。
 針仕事に縁のない私も読むだけで編み物がしてみたくなるような、そんな素敵な作品でした。またのご投稿をお待ちしています。

●松本福広さん「善悪スノーノイズ」
 松本さん、こんにちは。テレビのスノーノイズ、私も覚えています。あの画面は一面白ではなく、白と黒の細かい粒がランダムに混じり合って灰色に見えるのですよね。おそらくこのイメージは白黒すなわち善悪が混じり合って判別し難くなっている現代社会を表しているのでしょう。そしてそれは「私」にも及んでいる。
 引用されている新約聖書の一節は、ヨハネによる福音書にある、イエスが姦淫の現場で捉えられた女性を救ったエピソードですね。その話では、罪を犯した女性を石で打ち殺せと迫る群衆に対して、イエスが「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言うと、身に覚えのある人々が次々と去っていき、結局女性に石を投げつける者は誰もいなかった、という話です。そこで語られているのは「罪のない人間、自分を棚に上げて他者の悪を糾弾できる人間はいない」ということでしょう。
 この聖書のエピソードが終連にも登場し、この詩の中で重要な役割を果たしていることが分かります。つまり、他者の悪を批判する「私」の中にも悪はある。けれどもそれは日常生活のスノーノイズにかき消されて分からなくなってしまっている、ということでしょう。けれども、そのノイズの間から、時々本当の自分の醜い姿が垣間見える……これはとても身につまされるメッセージでした。
 構成的にもとても良く考えられていると思います。初連は最初拝読した時、やや説明的で冗長に感じたのですが、「今の子たち」はスノーノイズなんて知らないだろうという内容は、3連の「今時の若い子は」につながっていますね。
 フェイク情報が氾濫し、ポスト真実の時代と言われる現代、私たちは何が正しく何が間違っているのか、ますます判別しにくい時代に生きていると思わされますが、この作品はそういう現代社会の状況に対する鋭い(自己)批判になっていると思います。評価は佳作です。

●喜太郎さん「きゅん」
 喜太郎さん、こんにちは。これは恋愛における「倦怠期」を描いた作品ですね。ところで、リルケは『若き詩人への手紙』の中で、詩人志望の若者に対して、恋愛詩は書くなと言っています。それは恋愛詩が悪いということではなくて、昔から無数に作られてきた恋愛詩の中でオリジナリティを出すのは並大抵のことではないと言うことだと思います。私も恋愛詩はハードルが高く、自分ではあまり手を出さないようにしています。逆に言うと手垢のついた素材をどう料理するか、そこが詩人の腕の見せ所とも言えますので、喜太郎さんの挑戦に拍手を送りたいと思います。
 さて作品ですが、冒頭の、二人で行ったコンビニのレシートさえ宝物になったという表現は、ごく身近な日常の一コマでありながら、あまり見たことのない表現で新鮮でした。(ちなみ初行の「買った」は次の行に日本語としてつながりませんので、「行った」あるいは「買い物した」と変えたほうが良いと思います。)
 特に仲が悪くなったわけではないのに、何となくすべてがマンネリ化して新鮮味が薄れていくというのはよくあることですよね。「私」はそんな微温化していく「あなた」との関係に一抹の不安を覚えています。それを「心が弾力を失って」と表現したのはなるほどと思いました。弾力を失ったボールのように、だんだん弾みが小さくなっていってやがて止まる様子を「私」は想像します。
 最後の2行がこの詩の一番のポイントなのかと思いました。次第に弾まなくなる心。そのことを「私」は「二人の愛の重さ」として積極的に捉えようとしています。ただし、1行目が「きっと」という確信を表す表現で書かれているのに、最後が「なのかな……」とあやふやな終わり方になっています。もしかしたら「私」は二人の愛が冷えていくことを予想していて、そういう思いを打ち消したくてあえて「心が弾まないのは愛が重いからだ」と自分に言い聞かせているようにも読めて、切なさが胸に迫ってきました。この終わり方はとても素敵でした。ただ「きっと」と「なのかな……」とでは日本語としてつながりが悪いので、表現を工夫すると良いかもしれません。たとえば、

でもそれは二人の愛の重さのせい
きっとそうよね……

これでも「私」の複雑な思いは表現できるかと思います。あくまで一案ですが、ご自分でも考えてみてください。
 最後に2つコメントさせてください。まず「きゅん」というタイトルが本文の内容とあまりマッチしていないような気がします。また全体的に連分けをすると流れにメリハリができて良いと思いました。評価は佳作一歩前です。
 
●荒木章太郎さん「僕は君のしなやかなギブスでいたい」
 荒木さん、こんにちは。これは不思議な印象の詩ですね。
 ストーリーは「僕」が病院の集中治療室で手術を受けている「君」(家族か友人か恋人か分かりませんが)を見舞いに訪れたところから始まります。面会室のテレビでニュースが流れ、そこから「僕」は現在の世界情勢に思いを馳せる。
 ここまではごく普通の展開なのですが、その後話題が「君」に戻ってきたときに、奇妙なことが起こります。手術を受けている「君」という一人の人間についての記述と、「僕の国」という国家の記述が渾然一体となってくるのです。個人と国家、具体と抽象が入り混じって、一人の人間の治療の話なのか国家の平和の話なのか分からなくなってきます。
 個人の生と国家の存在は密接に結びついていると言いたいのでしょうか、それとも「君」の「手術」は一つのメタファーであって、全体として国家のことを描いている詩なのでしょうか。前者の解釈も成り立つと思いますが、私は2回繰り返される「引きで眺めるくらいが丁度良い」と、タイトルの「僕は君のしなやかなギブスでいたい」から後者の読みを取りたいと思います。物事を一歩引いて冷静に見つめ、硬直したイデオロギーではなく、柔軟な哲学を持つことによってこそ、国は安定し国際的にも平和が訪れる、ということなのかもしれません。作者の意図とはずれているかもしれませんが、私はそう解釈しました。
 いずれにしても、読んで楽しく、深く考えさせられる素敵な作品でした。評価は佳作です。
 細かい箇所を一点だけコメントさせていただきますが、終連終わりから3行目の「鉄のようだけと」はこれで良いでしょうか。「鉄のようだけど」なのかなと思いましたが、ご確認ください。

●温泉郷さん「モノクロ」
 温泉郷さん、こんにちは。ある程度年齢を重ねてから自分の若い頃の写真を眺めるのは特別な感慨がありますよね。就職した頃の写真がモノクロで残っているというのは、これが実話だとすると御本人は相当な年齢になると思いますが、たとえフィクションであったとしても問題ありません。この写真がモノクロであることが、この詩のポイントですね。
 写真の中の「若い男」は社会に出たばかりでまだ世の荒波も経験しておらず、無邪気な自信と希望に溢れています。長く苦しい歳月を経てそれを見ている語り手には、その後彼がどのような人生を歩むことになるか分かっているので、その態度はいかにも未熟に感じられるのでしょう。
 詩の後半、写真の男が「こちらをチラッと見る」ところからの展開がとても面白かったです。写真の中の過去の自分が突然動いてこちらを見るというアイデアも良いですし、何よりそれをきっかけに、過去と現在でモノクロとカラーが逆転するのが良かったです。現実の語り手は「摩耗と憔悴のモノクロ」であるのに対して、白黒写真の若い男の頬には赤みが差してカラーになっていきます。語り手は若かりし頃の無邪気な自信に溢れた自分にふと憧れのような感慨を抱いたのかもしれませんね。
 ところで、写真の「若い男」が書いていたのは何なのか、読んでいてとても気になりました(もしかして詩でしょうか)。そこがあえて書かれていないのも、読み手の想像力を刺激して良いと思います。
 とても読み応えのある作品をありがとうございました。評価は佳作です。

●相野零次さん「絶望の夜に……」
 相野零次さん、こんにちは。初めての方なので感想を記させていただきます。
 自分は無為に人生を過ごしているのではないかという焦燥感は誰しも抱くことがあるのかもしれませんが、この詩の「私」は老境に入り、何も価値あるものを生み出せなかったのではという絶望に苛まれています。その否定的な思いが「夜」「闇」「黒い翼」などと表現されています。
 9連の「明日への光はどこにある?」から、絶望の中に希望が見えてきますが、それが「朝」「光」「白い翼」ですね。ただし、この暗から明への転換は簡単にはやってこないことを「私」は自覚しています。ここはとてもリアルで良いと思いました。希望の朝は、光と闇の間を生きつ戻りつしながら、長い時間を経た後にやってくるのでしょう。それは長く苦しいプロセスですが、その中で「私」を支えてくれるのが詩であり歌であり、仲間であり神なのですね。終連の2行「おやすみ絶望の夜/おはよう希望の朝」も良い着地であると思いました。
 心温まる作品をありがとうございます。またの投稿をお待ちしています。



以上、7篇でした。今回も素敵な詩との出会いが与えられて感謝します。

今月から、毎月評を担当させていただくことになりました。井嶋さんの後任ということで責任の重さをひしひしと感じています。至らない者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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椅子  荒木章太郎

メトロポリスはもういい
サイバーシティはもういい
いちばんはもういい
たくさんはもういい
現実はもういい
腰を痛めたものだから
こしかける場所を探している
思慮深く本を読み
くつろいで
サイダーが飲める
そんな椅子を探している

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壁を越えて  こすもす

何かをやろうとして
すんなりいくことはまずない
必ずといっていいほど行く手に壁が立ちはだかる
その壁は高くて厚くしかも硬い

壁を目の前にして
足がすくみ引き返したとしても
引き返した先には
また別の壁が立ちはだかるだろう

どうすればいいのか
壁を越える方法を探すしかない

 壁の上を飛ぶ
 壁をよじ登る
 壁を突き破る
 壁の下を掘る
 壁の端まで行って壁がないところを通る

どれだっていい
越えることができるのであれば

どんな時でも
何があっても
くじけず
ひるまず
しぶとく
したたかに生きたい

あきらめという風に負けない柳のような心を持ちたい
劣等感という岩をすり抜ける水のような心を持ちたい

決してあきらめない
この言葉を心に刻む

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