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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

「大審問官」

キリスト教の
偉大なる影
大審問官
いま もし
キリストが現れたら 全否定すると言う
キリストが意味をもてば
救いの前に 崩壊するするしかない  この世界

この世界に意味があってはならない
だから
キリストがいま ここに 現れたなら
わたし 大審問官は  救済のない この世界の ニヒリストとして
彼を 全否定する

この世界を存続させるため
救うのではないとは知っていても

それしか できなのだよと 深く 呻く(うめく)

かつして キリスト教 大審問官の否定した
意味を持ちつつ 崩壊しながら
海を超え布教し

存在を謳歌する
全世界に救いのない意味をな擦り付けつつ

かつして キリスト教の意味の苦悩 全世界に広がった

キリスト教の科学
全世界を救い また崩壊させるだろう

意味を消して 存在を 残す
美しき存在を残す
存在に意味はないが 美しい
存在と意味の超克

明日 誰が やる
この宇宙 存在する限り
人類は 意味と存在を超克しつつ
類を残す

わたし 喜ぶ だれが 泣く

色即是空 これを 超克す



(注)大審問官

ドストエフスキーの代表作であるカラマーゾフの兄弟の中で、無神論のイワンがカトリック教会の堕落というより必然的そうなってしまう摂理をスペインの異端審問を行っている大審問官とそこにやってくるイエス・キリストの復活劇の物語として語っています
(詩となっていますがイワンが語る一つの物語として読んでいいと思います)。

編集・削除(編集済: 2025年01月14日 06:06)

雪の華  上田一眞

はらはらと舞う 雪の華
静寂のうちに
山野を侵す

しんしんと降る ささめ雪
わが魂に降り積もり
こころの裾野を凍てつかせる

河原の石を拾って
炉を組み
おこした火に枯れ木を焚べる

ゆらゆらと巻き上がる 雪の華
赤い焔に煽られ
雪は再び天上へ舞い戻る

淡雪に
出会い別れた人
無形のものとなった諸人の残影を重ねる

人生ははぐれ路
儚くも消え去る沫雪の如し

編集・削除(未編集)

たまくす  三浦志郎 1/10

一 「ハイネ」

いわゆる黒船来航(嘉永六年 一八五三年)によって幕末が始まる

マシュー・ペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊に
なぜかドイツ人が加わっている
ペーター・ベルンハルト・ヴィルヘルム・ハイネ
名前が煩雑
彼の経歴も煩雑なのでここでは触れない
ともかく ドイツ人ハイネ
ペリー提督に随行の画家であり著述家
日本遠征の報告者でもある

ペリー 一行が上陸した土地
久里浜 横浜 箱館(現・函館)下田 琉球で
ヴィルヘルム・ハイネは実に多くの風景画を描いた
写実的 と言っていい
日米交渉場面から親善風景 村落の佇まい 庶民の生活・風俗まで

現代に生きる我々が当時の自国を知るのに
少なからず 
外国人の手を借りねばならないとはどうしたことであろう
多くの学者・研究者は彼・ハイネに感謝するべきであろう



二 「ペリー横浜上陸の図」

翌 嘉永七年(一八五四年) 三月 ペリー再来航
日米和親条約締結
ここは両国約束の地 神奈川・横浜村

ここでも彼ハイネは絵を描いた
沖には艦隊が浮かび
米水兵警備の中
軍楽隊も加わり
まさにペリーが一団を率いて
上陸した直後である
まさに交渉所に入る直前である
出迎える日本武士の高官たち
離れて見物する下級武士たち
ご丁寧に路上 野良犬まで二匹描かれている

歴史的資料価値は極めて高い
歴史上の人物もさることながら
私が注目するのは絵画右側上方
一本の樹木である
この大樹こそがこの詩にとっての主役



三 「横浜開港資料館」

それは横浜市中区の中心地に建っている
横浜開港資料館
さほど大きくはないが白亜の瀟洒な洋館である
門を入って中庭に行くと
繁茂する緑
大樹がある
「たまくす」(タブノキ) 漢字で「玉楠」
調べると
「クスノキ科タブノキ属の常緑高木」とある

実はそれはハイネ作「ペリー横浜上陸の図」の
右上に描かれたあの木だと言われている
現存している 
命と系譜を繋ぎ
歴史を見て来た

時代の紆余曲折に
挫けず屈せず
今もけなげに鎮まっている
百七十年の時を経て―



四 「私とたまくす」

開港資料館の隣には
開港広場公園がある
まさに日米が条約調印した場所である
記憶を残すように石碑が立っている
道路を隔てて 斜め向かいに
私事ながら――自分の職場があった

私はその頃 書店に勤めていた 
その支店に四年ほどいたろうか(今は撤退)
ちょうど「MY DEAR」の「ネットの中の詩人たち」の
第一集が出たばかりの頃
私が任された小さな本屋にその本が入荷したのは
不思議としか言いようがない
やはり何がしかの縁(えにし)
導きがあったのかもしれない
私はその本を買い「MY DEAR」に初投稿した
二〇〇一年 六月か七月  古い話だ
そんな事情から
この大樹と「MY DEAR」は
私の中で不思議に同居する

以上は余談 話を元に戻そう

職場での私の昼休憩
たいてい外食し その後は
たいてい開港資料館の中庭で休んだ
たまくすの木を観て残り時間を過ごした
きれいに整備された中庭
大樹のせいだろう
太陽の下でも
真下は緑の影になる
位置はハイネの絵とほぼ一致する
当時よりも少し横に広がっている
時の流れの作用だろうか

そこで休む時はいつも天気は晴朗で
その木を観ながらいつも心は静かで
癒された記憶だけが残っている
当時からその木の由来は知ってはいたが
さほど興味はなかった
今 ことさら書いているのは
おそらく歳のせいだろう



五 「これからもー」

ペリーもハイネも条約も
それらは この国にとって
恩人・恩恵ではあるが
今はすでに
遥か歴史の彼方にある
このたまくすの大樹だけが
今も晴れがましく
生きた歴史を繋いでいる
これからも
そうであるだろう

私もその木にならって
願わくば自らの歴史を繋ぎたい
ペリーやハイネや条約よりも
私にとってはその木が常に親しい
これからも
かつてのように 折にふれ
たまくすの木の下で
ベンチに憩い 本でも読みながら
移ろう時代を感じていよう



*************************************************

付記
ハイネは日本に関する絵画・著述を実に多く残した。彼の実績の殆どは日本に関わる事らしい。
もっと注目されていい人物だろう。この国の過去の何事かがもっと理解できるだろう。

詳細な沿革・科学的な樹木調査によれば、「今のたまくすの木」にも、多少の修正が加わるのかもしれない。
が、それはそれ、これはこれである。
文学的に「全き継続、全きいのち」と信じてやるのが、伝承へのささやかな心くばりなのかもしれない。

編集・削除(未編集)

新年を聴く  温泉郷

青銅の少女
夏の装いで
石の台座に座って
目をつぶり
穏やかな微笑み
昭和の彫刻が
令和の音を聴く

片側二車線の大通り
トラックの音
バイクの音
宅配便の音

歩道の
大学生の声
サラリーマンの声
携帯電話の着信音

耐震構造の新築ビル
仕事始めの
工事の金属音

「聴く」
それが少女の名前
固定された
誰も傷付けない微笑みが
今を聴き
昔を聴き
遠くを聴く

凍ることなく
曇ることなく
閉じた目で
またやってきた
新年の音を聴く
遠くの音を聴く

「おめでとう」と
ふざけて声を掛ける
子どもの声を聴く

(注)彫刻「聴く」(富田憲二作)より

編集・削除(編集済: 2025年01月09日 18:25)

ネズミと男たち  相野零次

世界のどこかの薄汚れた倉庫。
そこでは男たちがある作業を行っていた。
男たちは二十名ほどいた。
男たちは背中に大きなかごを背負っており、かごの中は何十匹ものネズミで満杯だった。
男たちはかごを背中から床へ下すと、かごの中の一匹のネズミを捕まえ、全身を隅々まで眺めた。指で腹や背中を愛おしそうに撫でたりした。それが終わると、丁寧に床へ放逐した。
二十名ほどの男たちが同じ作業をした。男たちのかごからネズミがいなくなった。
床を何百匹ものネズミが動き回っていた。
男たちのうちの誰かがかごを背負った。他の男たちもかごを背負うと、今度は手袋をつけ、動き回るネズミを一匹ずつ捕まえ始めた。捕まえたネズミはかごに戻した。
動き回る数百匹のネズミをかごに戻すにはそれなりの労力を要するらしく、作業は何時間も続いた。男たちは汗だくになった。やがて最後の一匹を誰かが捕まえた。
すると男たちの一人がその最後の一匹を捕まえた男に拍手をした。それを皮切りに、やがて盛大な拍手となった。拍手を受けた男は照れたように笑い、かごからネズミが逃げないように、軽くお辞儀をした。
そしてそのお辞儀をした男はその場から去った。
他の男たちも、互いの労をねぎらいながら、ほうぼうへ去っていった。
一時間ほどすると、先ほど去って行った男たちとは別の、二十名ほどの男たちがやってきた。
男たちはかごを背負っており、かごはネズミで一杯であった。
そしてまたかごを床へ下すと、ネズミを一匹ずつ愛撫し、放逐しはじめた。
二十名ほどの男たちによる、同じことの繰り返しが始まった。
初めて見る顔ばかりかと思えば、先ほどの男たちの中にいたメンバーもいた。リピーターもいるのだろう。
世界のどこかの薄汚れた倉庫で、今日もまた、額に汗して男たちがネズミを追いかけている。

編集・削除(未編集)

相野零次さんへ。 三浦志郎 

今回の評に、少々キツい表現がありました。どうぞ、ご容赦を。
なお、この記事への返信はくれぐれもご心配なく―。

編集・削除(未編集)

三浦志郎さま 評のお礼です  相野零次

三浦志郎さま 評ありがとうございます。
確かに前半部分いらない箇所多いですね。
テーマ的には後半部分の方が重要なのに前半の方が長い。
そしてわからない部分はわからないままにしてしまっている。
気が向けば書き直そうと思います。
気が向かなければ放置でいいかな。
詩って難しいですね。ときどきほんとに見るのも書くのも嫌になります。
でも全然やめられそうにありません。
今年の抱負は「テーマを大事に、わかりやすく伝わるように」

編集・削除(未編集)

異臭さわぎ  荒木章太郎

近所で異臭騒ぎがあった
バイト先で知り合ったエタンは
「issue」と聞き間違えた

この町では、蓋をして
匂いごと封じ込めるのだと伝えると
ぶつかり合わなきゃ
終わらないだろうと怒っていた

「だから君の町は瓦礫の下敷きに」
そう言い返したら
彼の涙が静かに匂う

言葉の間に生まれる亀裂が
触れられない距離を作っていたのか
エッジの効いた安全神話と消毒液の臭いが
その裂け目をさらに広げたのか

思わず彼を抱き寄せた
霞がかった朧月夜に
ほのかな匂いが漂い溶ける
鋭さを持たず、ただ静かに馴染む

生まれた時から沁み込んだ
匂いと汚れを一緒に清める
なんて乱暴な風習だろう
もうエッジの効いた夜は御免だ

編集・削除(未編集)

空間概念  温泉郷

小学生だった君は生意気だったよね
絵を見たときこう思ったろ

キャンバスの布地を切り裂けば
奥が現れるのは当たり前
キャンバスの布地と奥の地との間に
隙間があるのも当たり前
見ればわかるよ うん

キャンバスの布地と奥の色合いとか
線を何本切るかとか
ナイフで切るか、カッターで切るかとか
まあ 色々あるという説明だったけどね 
でも 展示するんなら
ちゃんと描かないと
これ 切ってるだけで
労力かけてないのに
美術館の一角を占めちゃって
ずうずうしいよね
「空間概念」
なにそれ
単なる手抜きだよ

うん そうだったね
君はずるいって思ったね
他の画家は皆一所懸命描いているのにね

でも その絵
「空間概念」が君の心の美術館の一角を
ちゃっかり占めてしまったんだよね
もう取り外せないんだよね
それが悔しいんだろ?

この絵
赤い粗い画布に三本の鋭い裂け目
右上から左下へ緩い曲線
奥に黒い地が細く覗いている

君とぼくだけの間だから
ぼくの自己流の解釈を披露しよう

心のキャンバスにも
表面と奥があってね
切ってみることで
心の表面の奥に
別の心が潜んでいることが分かる
そして それこそが
本当の自分の心なんだ
この絵はそれを見せている

あのときの君は
この絵をみた瞬間
自分の心が切られたと感じた
その奥にある空間を見るのが
怖かったんだ

あのとき君は
確かに
心にひどい傷を受けていたからね
それを認めたくなくて
手抜きだなんて思ったんだね
それなのに
いつまでも いつまでも
その絵を心の奥に掛けておいたんだ

今この絵をみると
見えない奥の広がりの中に
本当の自分が隠れていたことが
よくわかる
あのときの傷はもう癒えて
古傷になって
跡がどこにあるのかさえわからない
だから 今見ても痛くはない

あのときの君は 
もう
キャンバスの奥に
隠れてしまった
そこは
どんなところなのか
今の自分が一緒に行くことは
もうできない……

お 
君は いま
キャンバスの裂け目から
少しだけ顔を出してくれたね
ふーんって感じの
相変わらずの生意気な顔だったけどね


*倉敷市 大原美術館 フォンタナ 「空間概念 期待」より

編集・削除(編集済: 2025年01月07日 18:42)

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。   滝本政博

年末からインフルエンザで入院してきょう六日、退院してきました。
さすが風邪の親玉、大変な目にあいました。
猛威を振るいながら流行中です。皆様も気を付けてください。
今回、私の批評期間中の投稿作品はありませんでした。病み上がりですので、実のところ助かりました。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

編集・削除(未編集)
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