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◎2024/08/06~08/08ご投稿分、評と感想です。
☆好きになったら大変だ 喜太郎さん
恋愛感情を内臓的、心臓的な気持ちになった視線で書かれた作品。かなり冒険しましたね。一行目の「こちらコントラロールセンタ!!」は本来なら「こちらコントロールセンター!!」になるのでしょうけど、パニックになって言ってしまったと受け取りました。この一行を拝見した瞬間、私の耳の中では「バァーン!バァーン!」っていう、アニメに出てくるようなコンピューターの警報の音が鳴り響きましたよ。直接、詩の中に鳴り響いたとは書いていませんけれども。好きになってしまったら、もう何をしても無駄。レベルを指し示す針のメーターは、どんどん上がっていく様子。無駄だ……から【大好き】になっている場面は、急加速のスピードメーターをみるように具体的に伝わってくるものがあり、面白く読めました。
人を好きになるっていう感情は、外側から見えないけれど、それを具体的にわかりやすく表現しようという感じが伝わってきました。実にユニークなアプローチ。しかも少しおかしみを誘う雰囲気もあって。全体的には切ない恋愛感情を軽やかな雰囲気で拝見できる作品になっているのですが、印象深い作品にするためには、これぞという独自の表現の一行が欲しかったかな。「見守るしかない/本人のハート次第だからな」で終わってしまうのは、もったいない気がしました。ウントコドッコイショのもうひと踏ん張りの一言を。思い切って冒険した作品は、今すぐではなくても、何年か先、書けない時に振り返った時にも、何らかのプラスを引き寄せてくれると思います。今回は佳作一歩手前で。
☆嗅覚が家出した 紫陽花さん
初のコロナ感染ということで、相当量、体に負荷がかかっただろうと思います。お辛いめにあわれましたね。通常の生活になるまでお時間がかかるかもしれないですが、どうぞ、どうぞおだいじに。
嗅覚を擬人化。嗅覚を一時的になくすことを家出と例えました。家出ということの意味合いとしては、文字にしてはいませんが、自分が望んでこういう結果になったのではないということと、急に今の状況になってしまい、戸惑っている。悲しく、寂しい気持ちになっているということも感じさせてくれました。嗅覚を失うということについて書いているのですが、「白黒世界」という色という視界、「ざらざらとした砂を舐めているよう」という味覚、のように、嗅覚以外のことに重きを置きながら作品を進めています。つまり、嗅覚は単独で嗅覚ではなくて、日常のあらゆるものに繋がっているのだということ。作者さんの、今回はそれを再認識させられたという思いを感じさせてもらえました。
日々の生活の中、嗅覚がなくなったと一番思わされる部分は、やはり食事。食事の例えのメニューの中で「わさびマヨネーズ」を選択されたのは、とてもよかったと思います。色といい、味といい、通常の日々との違いを大きく見せつけてくれる表現に一役買っていると思いました。また、強い匂いを発するものではないですが「ソーダ」や「パンケーキ」のほのかに感じる部分にも焦点を当てていて、心と共に発せられる、ほのかな部分を感じることもできない寂しさを表現しようとしている点も、非常に繊細で、印象に残りました。ところで、一つ気になったのは、「なにせあなたは私の1部」の「1部」です。「1日」「1秒」に揃えましたと言いたいところですが、数字にしてしまうと物品の単位のようで、個人的には、身の中のひとつという意味に用いるのだとすれば、漢字を用いて「一部」にした方が伝わりやすいのではないかと思いました。文字にしていないことを多く感じさせてくれる作品。今回はふんわりあまめの佳作を
☆「下駄の音」 森山 遼さん
下駄の音ですかぁ。いつきいただろうなぁ。もう、音というよりは一種の音楽のリズムのようなところもありますよねぇ。印象に残るというのはそういうところからくるのかな?きいたと言っても、生まれた実家を引っ越しする際、おじいさんのお父さんあたりの人の下駄が見つかって、それで遊んだというぐらいしか記憶がありません。森山さんが作品内でおっしゃる通り、実際に履いている人をみて、その音をきいたという記憶は、はっきりとしないですね。TVや映画ではありますが。TVやSNSなどでは、情報多き現代ですから、いつのまにか見たり聞いたりしていて、実際に体験したような感覚に陥りそうになることは、多いかと思います。この作品はそんなことも思わせてくれます。「下駄の音?」そんなこと知らないヨ!で済ますことなく、実際に得た情報を楽しんでいる気持ちが、三連とも溢れていて、読み手も同時にその様子に引き込まれていくところは魅力的ですね。
各連の末行が同じフレーズになっており、リズム感が生まれてきて、それは下駄のゆっくり歩く音にも似ているようにも思えてきます。えっと、三連目の「舞い子はん」「舞妓はん」のことですよね。人名の舞子にとられることはないですが、一応、お伝えしますね。
三連ともによいのですが、三連とも見たこと、聞いたことを書いて同じようなリズムを持って書き終えているので、その三つをまとめるような連が、一行でもいいのであるとよかったなと思いました。もう一歩踏み込んで、仮に自分自身が下駄を体験したらとか、下駄に関する思いなど、書き上げることができたら、更によい作品になると思いました。今回は佳作半歩手前で。
☆天の賜物 津田古星さん
片方の聴力をほとんど失われたのですね。一連目を拝見していると、その時の不安な気持ちが、ひしひしと読み手にも伝わってきました。しかし一連目末行から二連目にかけてのお気持ちの在り方の表現につきまして、静かな書き出しの中に、私は作者さんの今の状況を受け入れるという強い覚悟を感じさせてもらいました。と、同時に、聴力は天からの賜物だと感じることができたという、前向きなお気持ちには光を感じさせてもらえるような、一人の人としての温度を感じました。
ところで、細かいところでは、四連目の「生きてゆかれる」は「生きてゆける」に。五連目の「人が集る」は「人が集まる」あるいは「集う」にされる方がよいと思いました。
自分の身の上を詩にして表現するということは、読み手に姿かたちは見えないとしても、プライベートを書いて表すということですから、ある意味、とても勇気がいることだと思うのです。ですが、詩を書くということに巡り合えた人には、ある一定のラインを越えてしまうと、強い不安や辛いことを遭遇している時、勇気とか迷いとか、もうそれすらも考えることも超えて、気が付いたら机に向かって詩を書いていたという、詩を書く人しかできない体験をすることがあると思います。そこから、今を生きている私をどうにか確かめることができたり、書くことにより、自分で自分を支えていたのだと思えることもあると思います。個人的には、辛い思いをしている人のためにも、詩は常に近くで存在してくれていると思っています。
静かな音節の流れの中に、作者さんの立派な芯のある覚悟を感じられる作品だと思いました。これからも実のある詩生活をおくることができますように。
☆最低なあなたへ 朝霧綾めさん
かなり複雑な「私」の感情です。「あなた」によって一時は救われたような気持ちになったのかな?だけど、なんらかのきっかけで「あなた」の「私」に向けられた気持ちが、自身のためだけにだと思えた瞬間があったのかも。「あなた」の正体は、かなりの世渡り上手な偽善者、もしくは180度違う、究極のお人好しかもしれません。作中からは詳細が明かされていないので、どちらとも言えないのですが。偽善者とは違うお人好しの「あなた」側の方についてみれば、力になろうと尽くしたのに、自分だけ楽になってズルいって思われるって、一方的な感情だなという方向に映ってしまいます。反対に「私」の方から「あなた」のことを拝見すれば「あなた」は、自分の株をあげるために優しくする、或いは薄情な自分と思われたくない、そうでないと思いたいだけの偽善者のように映ってきます。詳細が描かれていない分、どちら側についても大きな塊のようなものに辿り着いてしまう……そのような思いが渦巻きました。どのようなことがきっかけなのか、核心の部分がいくらかわかるニュアンスがあれば、この作品の読みどころも、はっきりしてくるように思えました。
個人的に気になったのは、人称についてです。喜びなどを表現する時は「あなた」をいくら使っても大丈夫だと思うのですが、幾人かの読み手を想定し、ダイレクトに読み手に向けて、憎しみのような感情を表現する場合、その表現の配分については、かなり繊細なものになってくると思います。なかには「あなた」と言われると、自分が言われているような気持ちで辛くなって、最後まで読んでもらえない可能性も出てくるかもしれません。「あいつ」のようにして直接的に読み手に感情を投げかけることをずらしたりするのもよいかもしれないです。あるいは、一連目の「あなた」という単語の前に具象化、または次元をずらしたような単語を表記し、後の行はそのまま「あなた」と続けていくのもよいかもしれません。例えば「あなたは最低なことをした」を「〇〇〇/あなたは最低なことをした」のような感じで。人称については、個人的なものなので、あくまでこういう方法もあるのだと留めていただければと思います。とても複雑な感情の表現です。日をおいて、熱がすっかり冷めたと感じられた頃にもう一度読み返してみると、作品の推敲の方向も変わってくると思いました。更なるステップアップが期待されます。今回は佳作二歩手前で。
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酷暑続きと思えば、大雨。複数の台風の発生。全然落ち着かない天候。今年の夏です。
夕立や夕涼みという言葉は、どこにいるのだろう。そんなことを思うこの頃です。
どうぞ、おすこやかに。どうぞ、ご安全に。
みなさま、今日も一日おつかれさまです。
濁った空の下
確かな職もなく、行き場の無くなった人々が
カラカラに乾いた精神(ココロ)を持て余し
ただ、何の希望も見い出せずに
その場限りの生活を送っている
彼らのたったひとつの持ち物は
コインロッカーに残された小さな荷物
そう、使い古された歯ブラシや
擦りきれた私服
それらを全部(すべて)僅かな空間に押し込めて
薄汚れた制服姿のまま
その日限りの割り当てられた仕事場へと
出掛けてゆく
まるで暗い、暗い、穴蔵のような部屋で
ただひたすら、機械の部品を
いじくり回す日々
あぁ、いつになったら
この生活から脱する事が出来るのだろう?
オレももう、四十五
マトモな職についてたら今頃は
真っ白なシャツに
パリッとした真新しい背広姿
青空の映るガラス張りのビルの中で
責任に似合うそれなりの権限を
上司から与えられて
せわしなく働いていただろう
たとえ身体が疲れ切って
棒のようになったとしても
温かな家庭の光と匂いが立ち込めるなか
女房・子供の優しい笑顔が
オレを迎えてくれただろう
それなのにオレはたった今
幾ばくか手渡されたばかりの給料を握り締め
ネットカフェの中に設えられた窮屈な寝城で
痛む背中を丸めながら
決して明ける事のない
侘しい夜を過ごしている
そんなオレを見て世間は
白い眼付きをして嘲笑うだろう
お前が今まで
何の努力もして来なかったからだと
しかし、オレだってこんな生活を
決して望んでいたワケじゃない
大学を卒業して人並みに就職したくとも
会社はオレをすぐに虫けらのごとく追い出し
ソッポを向き続けてきた
オレをマトモに使ってやろうなんて気持ちは
さらさらなかったのさ
そこでやっと辿り着いたのが今のこの有り様
それでもオレを
生来の怠け者だと囃し立てるのかい?
世知辛い今の世の中で
無常極まる刹那を
何とかもがき苦しみながら生きるオレを
それでは余りにも酷すぎる
お前はオレやオレと同じ眼に遭っている
連中の立場に立った事があるだろうか?
真綿でジワジワと首を絞めるように
見えない喪失感がオレを蝕んでゆく
大きな闇がオレをスッポリと被い
オレを盲目にして、無気力にすらさせるんだ
灰色に汚れた分厚い壁が
オレの前に立ちはだかるけれど
その正体すら解らず
ただ、抜け道のない迷路をさ迷う
オレ達の現状をもっとシッカリ
瞳に焼き付けてくれ
何とはなしに少しだけ
黒くこびり付いた表面だけ見て
机上の空論ばかり唱えてないで
きちんと伝えてくれ
もうオレのようなヤツを
造り出して欲しくない
もう誰もオレのように、
足掻いて欲しくないんだ
それだけが社会から食み出されてしまった
オレ達の唯一の願い
一筋の希望
ヘンデルランプに書かれた風景が
家屋の天井に描かれ
ステンドグラスの輝きが
灯りによって、より魔性を魅せる。
アンティークな家具に囲まれている
そんな大正浪漫あふれる場所で
100年以上前の機材が
ゼンマイを巻いて動き出す。
円盤に配置された星空が
木漏れ日を纏いながら
あなたに
こころと呼ばれる魔法の芯を届ける。
届けられたものは
夕景だったり
朝焼けだったり
忘れていたあの頃だったりする。
文化人が夜のお茶会で
時代の先に
見えない世界の果てまでを語っていた時代。
時を超えて、現在。
紡がれた世界の片鱗たちは
今もどこかで
詩や絵のほんの一部や、一面に
あらわれているかもしれない。
流星群に思いを馳せて
夢の可能性を描くように。
拙作『カレーパンダ』読んでいただき、丁寧にありがとうございます。
後半の作り込みが至らない部分があったようですね。
アッサリし過ぎた感はありますね。あと行の工夫でしたね。
名は体を表すっていうけど、表さないこともあるよなーって。レッサーパンダとか。
勝手に期待しちゃうけど、そういうのを口に出さないで押し込めてあげるのも大人の優しさなんじゃないかなー?と思う部分があり。
そんな現実によくある一場面を描いたから、実話っぽく見えたのかな?とポジティブに解釈しておきます☆
次回、投稿のタイミングが合ったら、よろしくお願いします!
今回も丁寧な御感想ありがとうございます
アドバイスとても嬉しいです
でも何だか凄く難しく思いました
挑戦はしてみるつもりです頑張ります
いつも通りのものを間に挟みながら書いてみます
上手く書けるか分かりませんがやってみます
これからもよろしくお願い致します
「九時三十分にお客さん来ちゃうからさ」に評をありがとうございました。
そこなんですね!最後にもう一つ情景!そこを見つけることができませんでした。
何となく最後の栓がしまっていないような不足感があったのを思い出しました。
お教えいただいて、おかげさまでつながって、水漏れがなくなりそうです。
良かったです。
「よく書けている」嬉しかったです。
今回もありがとうございました。
お忙しい中、評をいただきありがとうございます。
まだまだ暑いですが、朝晩は少しずつ秋に近づいていっている気がします。
たしかに、1番強くのところに違和感あります。ご指摘いただき初めて気づきました。
大事なところの細部を見落としていました。ありがとうございます。
いただいた評を参考に推敲しているところですが、もっとしっくりいく形にできそうです。
実はまだまだ未完成ですが「雨音」というタイトルの詩をあたためています。
完成しましたら読んでいただきたいです。
もし不快に思われたらどうしようとちょっと心配で先にお伝えしてしまいました。
また宜しくお願いいたします。
雨音さま コメントありがとうございます。
なるべく頭をからっぽにして軽やかに書くとこんな感じになりました。
自分の感想? みたいなところを抜いたほうがいいかなと、後から思いました。
最近、自分のスタイルを模索しています。
雨音様 評を頂きありがとうございました。詩を書き始めてから3年目、この時期がちょうどしんどい所でした。詩のことを少しずつ知るようになると、その度に表現することの難しさに直面するのです。本作を書いている時の私は作中の「俺達」側だったのですが、先生の評を頂いた今は「片方の松葉杖をつく少女」側にいます。先生の助言は猛暑の中のペットボトルの水です。有難いです。息継ぎをしながら連を分けてみます。もう少し本作と向き合ってみます。
雨音様
いつも丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。脱字があったこと、誠に申し訳ありませんでした(ここだけ、修正させていただきました)。以降、気を付けたく存じます。一行の字数やメリハリをつけるというご助言、とてもありがたいです。書いているときは、テーマが音楽なので、何となく短く揃えてみたのですが、今、読み返してみると、なるほど単調に感じました。一行の持つ効果について、じっくり考えることが重要であることが分かりました。この作品は、是非、手を入れて完成させたいと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。