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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

三浦志郎様  御礼  静間安夫

今回も私の詩にお目を通していただき、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。

女性の年齢の描写についてご助言をいただいた上に、作例をお示しくださり、
大変参考になりました。こうすることで、流れがずっとよくなりますね。

今後とも、どうかよろしくお願い致します。

編集・削除(編集済: 2024年11月24日 11:05)

感想と評 11/15~11/18 ご投稿分 三浦志郎 11/24

1 人と庸さん 「天泣そして天弓」 11/15

タイトルがどうしてこうなったかはひとまず措きます。本文のほうは自分なりに概ね感知することはできそうです。これは一種の寓話詩と捉えました。「電車」はこの社会、この世界と見ます。しかも冒頭にあるように、停滞して硬直化した社会のようです。そんな中で人々はルーティン化した日常、ステレオタイプ化した価値観で生きてゆく。そして、相互に無関心で相互に“孤独な群衆”なのでしょう。どうも、ここに出て来る人々や事物は、うなだれて、ひどく疲れているように思えます。現代の日本を思わせます。しかし、時に文中「その人」のような人も存在します。こういう状況に耐えきれず、飛び出す人。「その人」は誰でもいい。不特定多数・匿名的人間。何もかも踏まえながらも、敢えて飛び出したのです。ここも非常に寓話的です。虹という一筋の”社会的光明(?)“を見たのかもしれませんが、でも、その人は知っています。(それが何になるんだ、何もなりゃしない!)―そう簡単には変わらない、ということです。彼は元の枠組みに戻っていきます。こんな風に読みました。この詩のどこかには、どうも社会学の素地がある気がする。もし、そうであるならば、と考え佳作とします。


2 上田一眞さん 「祐の成長」 11/16

アイゴを調べましたが、ホント、棘が凄そう。個性的というか、不気味というか、ちょっと好き嫌いが分かれそうなものを感じました。それを上手く使った冒頭エピソードです。「たけすて~」はケッサクですね。上田さんは山口ですが、息子さんは千葉におられて、上田さんが息子夫婦を訪ねた折りでしょうか?これは実話でしょうね。二度目の「たけすて~」は昔を思い出してからかったのでしょうね。悲劇はスマホを落としたこと。その後も各種見舞う不運です。それにもめげず、粘り強く探す祐さんです。しかし不運の末の幸運。海中からスマホを掬い取るのは至難の業でしょう。冷静にひとつひとつ手段を用意していた。諦めない意志力もある。あと器用な気もしますね。思わぬ出来事から息子さんの成長を見た。子ども時分を知っているだけに、思いもひとしおだったのでしょう。
詩としての純度を求めたものとは少し違う、エッセイ詩といったところでしょう。すでに上田さんは詩モチーフというか傾向によって書き分けているので、これでいいのです。 佳作半歩前で。

アフターアワーズ。
釣り具用語が多少出て来るので、それらも注釈付けてもいいかも?


3 松本福広さん 「水兵ソデビーム氏の愛」 11/16

「* 本来、ここまで書かない方がいいとは思いますが」―いえ、書いてもらってよかったのですよ(笑)。いやあ、勉強になります。普段見たことはあっても何の感興もわかなかった。読んでみて、(ああ、そういえば―!)といった感覚です。名があるのも知りませんでした。もちろん、その役割すら、です。逆に言えば、こういった物に目が行き素材として連れてくる松本さんの傾向、属性には驚くばかりです。なかなかこうはいかないものです。どの連も感動的ですが、僕にとっては、とりわけ4連・5連でしょう。「氏」は人知れず立つ。いざとなれば、自分の姿かたちがゆがんでも、へこんでも、人を、車を、物を守る。これを「無償の愛」「至上の愛」と呼ばずして何と呼びましょうや。(あ~ナンカ、興奮してきた!) 生身の個人はこうはいかない。擬人化された物品ならではの精神でしょう。最後の「信仰」が象徴的ですね。その信仰とは、人に振り向かれず、なすところなく、ただ、立ち尽くすのが、すなわち彼の幸福・人々の幸福と信じることでしょう。物品でありながら、すぐれてヒューマンな素材と詩でした。そこが魅力の佳作。


4 白猫の夜さん 「雨の味」 11/17 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。

どこか童話的、ファンタジー的です。2連~4連の論理性がややこしいです。1~2回読んだだけだと、よくわかりません。読み手側からすると、―けっこう大事な部分なので―論理性をスーッと通してやったほうがいいでしょう。とにかく、結果、この少女は亡くなるわけですが、この詩は、やはり寓話的で、現代の悲劇、つまり孤独や懊悩の末、亡くなってしまう人々と、無関心で優しさ無しの周囲の人々との関係を説いたもの、そんな風に評者は受け取っています。それをファンタジー風に味付けしたものと考えていますが、そうすると、3連は全体ファンタジーの中にあって現代という“地”が出てしまっています。ここは違和感を感じますので、上記した論理性も含めて、再編成したいところです。今回を参考にして、また書いてみてください。


5 じじいじじいさん 「ありがとう」 11/17

いやあ~、こういう詩は弱いんですよねー。たとえ想像やフィクションで書かれたとしても、これは世の常にありがちな場面。ある種リアリズムです。いいと思います。
まず褒めておきたいのは、子ども自身の独白である点です。気持ちを素直に出せるでしょう。良いチョイスですね。次に子供の気持ちが素直に直截に出た言葉の表情をよく捉えている点です。いわゆる”なりきって書いている“のがよく伝わってきます。死というものがどういうものか、まだよくわかっていない。そこに幼さを感じさせます。こどもの幼い年齢を考えると、「じいじ」は比較的若いおじいちゃんかもしれない。文中通り「おもいびょうき」だったのでしょう。この詩はそこまで考えさせてくれます。悲しみがいっそう存在する。ゆめのくだりは、じいじが夢で最後に会いに来たのでしょう。起きてみて写真が置かれていたのは、ママの心づくしでしょうか。じいじは亡くなられました。
タイトルを「じいじの~」とかせず、「ありがとう」―これは詩のタイトル特有の付け方ですね。良いと思います。甘め佳作を。


6 まるまるさん 「絵本の読み聞かせをしています」 11/17

私事になって恐縮ですが、僕はある詩人会に入っているのですが、ご高齢者には、この詩と同じような心情になることはあります。
(つい先日もM氏にそのように思いました)。
端的に言えば―この詩文中から拾うと―「来てくれる回があるだけでいい」
たとえば、病気でのドタキャンにしても、運営側としてはその人を気遣いながらも、正直、困惑するわけです。ただ、この詩は、そういった地点とは別の処に立っていることが理解されるのです。ここで気持ちの切り替えが行われています。それが、詩中二度出て来る「来てくれる回があるだけでいい」この詩を代表する言葉です。「残念は あるはずもない」もいい言葉ですねえ。こういう気持ちの切り替えを、人は普通、優しさと呼びます。ある日の読み聞かせサークルを背景としながらも、これは気づかいの詩。まるまるさんに相応しい。こういう事例は現場で経験した人が実感を以って共感できるでしょう。甘め佳作を。


7 相野零次さん 「ありがとう」 11/18

これは良い意味での、語り手の得体の知れなさが面白いですね。このことが最後まで読ませる要素に繋がっていると思います。この詩もファンタジー的、寓話的。けっこう「論」も多用されてますが、けっして押しつけがましくもなく小難しくもない。それはこの語り口のおかげ。あくまで優しく軽くフレンドリーなんです。場面の差し込み方の量もバランスもタイミングも考えられていますね。
思うに、相野さんが普段、感じ思い考えていること、そんなフィーリングを、ちょっと奇妙な場面、世界に託して語った、これはやや変形ながら相野さんの独白と捉えてもいいかもしれない。「いえいえ こちらこそありがとう」以降、なんかホンワカして、安心して眠れそうです。甘め佳作で、おやすみなさい。


8 静間安夫さん 「イートイン」 11/18

冒頭から恐縮ですが、助言です。この奇妙な女性の年齢の描写があったほうがいいんです。そうすることによって、時代背景が鮮やかに立ち上がって来るからです。説得力も増すでしょう。「学生運動やってた頃は」で、大体察しはつくのですが、まあ、戦前・戦中の話も出てきますが(単に知識として知ってたのでしょうが)、なかなかリアルなので、時代感覚において僕には軽い錯覚があったのです。年齢らしきものを入れると「学生運動」と呼応して傍証が二本立てになります。すっと入って行きます。

幾つくらいだろう?
女性の歳を言うのはけっこう難しいが
七〇半ばくらいか

―などと、ニュアンスをつけて綴っても可です。


さて、なかなか面白い場面設定です。実話かフィクションかは問わず、ストーリーのみ注目しましょう。かつては女闘士として、行動のみならず、なかなかの理論派でもあったようです。前半は明らかに回想を含めた独り言なのですが、後半、彼女が席を立って「わたし」に話しかけるくだりから、流れが少し変わるようです。ヘルダーリンの詩がポイントになってきます。前回、話した「詩と哲学」の関係が、今回はかなり近寄ったのがわかります。そして、その格言めいた詩行も、その硬さも含め、良い味になりました。この言葉こそが主役。極端に言えば、この言葉を表現するために、この詩はあったとも言えるでしょう。僕が最終的に思うところは、静間さんの思いを、この奇妙な老女に託して語らせた。そのニュアンスこそが、この詩の身上と思うわけです。さらに言うと、コンビニのイートインという現代性と、この老女の型破り性。その対照の妙も見どころ、読みどころ。最後の主人公の心情も爽やか。物語が詩に乗せて結ばれました。長く書いた価値ありにして佳作。


評のおわりに。

「QUINCYな夜」


“Have you met Mr JONES
ジョーンズさんに会ったかい?“

          *

その人が亡くなった
―と聞いた
九十……? 何歳だったか

「愛のコリーダ」
マイケル・ジャクソンとのコラボレーション
その頃の彼の仕事は
私にとっては 
実はどうでもいい

見つめていたいのは
その人が終生持ち続けた
JAZZの根幹

ブラックのために
過去のメモリー
未来のデザイン

彼は
ブラックミュージックの「今」を掴みながらも
いつでもJAZZに還るハートを持ち合わせていた
BASIEをボスと仰ぎ
作曲とアレンジに明け暮れた若さへ

私は
“JAZZ顔”を持っていた頃の
彼に会いに
酒と共に渡り歩いたが
そのサウンドはきりがない

苦笑 
半ばであきらめ 
眠りにつくのだった
瞑目
QUINCYと酔った夜
QUINCYを悼んだ夜

“R。I。P。 Mr JONES
おやすみなさい ジョーンズさん“

では また―

編集・削除(編集済: 2024年11月24日 17:36)

島 様 評のお礼

拙作に対し過分なお言葉を頂き恐縮です。
また、読んで頂いて「あったかい」というご感想も頂けてとても嬉しいです。
「絵本にもできそう」ということですが、書きながら絵が浮かんできて、私も絵本にできたらいいな。と思っておりました。
とても励みになる評を頂きありがとうございました。

編集・削除(未編集)

島 秀生様  評のお礼です。  白猫の夜

評価をありがとうございます。
最初の4行を消して読んでみて、少しですが島先生の仰ることがわかりました。
確かにこちらの方が表現したいことがまとまっています。
ご指摘ありがとうございました。
またよろしくお願い致します。

編集・削除(未編集)

島 秀生様 評のお礼です 上田一眞

お疲れ様です。上田です。
詩において、こころ模様を伝えることの難しさを痛感しています。
自分の中にはどうしようもない修羅がいて、幼い頃よりそれに苦しんできました。対人関係を構築出来ない辛さを味わい、長じてはうつ病の形で発露して、こころを更に捻じ曲げられ、寛解に近いとはいえ、今も死への誘いが顔を出します。
そんなとき、山や海に行き、一人になって自分に問いかけるのですが、それを詩として、いざ説明するとなるとなかなか困難です。
茸を焼いて食べるという行為、これにはご指摘を受けて、ああなるほど、自分の中にあるものと、世間の感覚は違うのだなと思いました。私は老いて世の中に置いて行かれているようです。
焚き火は私にとって、幼い頃より慣れ親しんだ行為ですから説明が必要ですね。
島さんの評を読んで、ご指摘いただき得心がいきました。
ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

島 秀生様 評の御礼です。 温泉郷

島 秀生様 拙作に評をいただき、ありがとうございました。名作との評価をいただき、うれしい限りです。奥様が車に轢かれたネコを助けようとしたエピソードを拝読し、私の母と共通するものを感じました。こうした言動は、それまでのその人の人生経験や生来の感性の豊かさや優しさが咄嗟に現れるものなので、なかなか身に着くものではないと思いますが、少しでもそれに学ぶことが大切だと思っております。まあ、私の母はドライなところもあり、「どうせ、お前には無理だろうけどねえ」と言っているように思えて、「悲しい教え」となった次第です(笑)。今後ともよろしくご指導いただけますと、誠に幸いです。

編集・削除(編集済: 2024年11月23日 15:35)

井嶋様へ 喜太郎

今回の件、心からお詫び申し上げます。
申し訳ございません。
言い訳は致しません。
ただ井嶋様へ与えてしまった、不快なお気持ち、ただただ反省しています。
申し訳ありません。
自分へのペナルティとして、投稿は控えます。
本当にすみませんでした。

編集・削除(未編集)

島 秀生さま 評のお礼です  相野零次

島 秀生さま コメントありがとうございます。
体調のほうもすこぶる悪くなって、一か月休職したのですが、
おかげさまでちょっと復活してきました。
詩のほうもまた書けるようになった感じで、嬉しいです。

編集・削除(未編集)

島様 評のお礼です。  荒木章太郎

島様 本作につきまして、私の今のところの代表作と褒めて下さり感謝致します。以前8月頃、「ロールキャベツ」で島様から頂いた評の中で、「私のベースが抒情系の側にあるので、抽象系になればなるほど混合体に行ってしまう」とのアドバイスを受けてから、抒情系である認識を持って描くよう心がけてきました。本作も抽象表現への誘惑を断ち切りながら推敲を重ねましたので感無量です。今後とも精進致します。
 加えて、「躱わす」について、交わすと意味が異なる場合は、わざと「ひらがな」で表記することもあるのは存じ上げませんでした。
私の詩は、同音語を多用しますので覚えておきます。ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

評、11/8~11/11、ご投稿分。  島 秀生

それにしても、食料品の値上げはもうそろそろ止まってくれないものだろうか。
世の中には、収入の上がってる人と、上がってない人がいるんだが、
食料品の値上げは、そんなのおかまいし一律だもんね。やれやれです・・・。
今年はいくつか食の楽しみを捨てました。
(二流メーカーさんは、今こそ付け入るチャンスかもしれないよ)

103万の壁については、一気に178万まで上げない方がいい、段階を踏んだ方がいいと考えます。
なぜなら、労働時間の長い人が増えたら、少ない人員で済むなってことになるわけで、
じゃあ誰かの首を切れるなって、考えるのが企業だから。


●月乃にこさん「金魚にできること」

あったかーい作品ですね。
まずもって、2連~6連まで、前を通るいろんな人が描けてるのがいい。
ここにもう、金魚を通してみる、人間の姿がある。
そして、話のメインというか、クライマックスというか、水槽から飛び跳ねるシーンが先にあるのがいい。どちらかというと、川や海を述べた5連に絡む形で、ジャンプがあって、そのあとに思いがけなく、「とぼとぼ歩き、涙をこぼす人」(3連の人)が反応を示してくれるのが、ほろりとする。(最初からその人の前でジャンプして見せたというんじゃないところがいい。あとから思いがけなく、この人も反応したというところが、きゅんと来る。ストーリーのそこで話が繋がるのがいい)
また、「ぴちゃん」の命名が思いがけない。ここもさらっと作者のユーモアなんだと思う。

うむ、いいんじゃないでしょか。金魚を描くように見せて、人間も描けてる。なにより読後があったかくなるのがいい。
名作あげましょう。
月乃さんは久々なんで、比較する他の作の記憶が私にないんで、しかと言えないんですが、代表作入りの作でしょう。

ちょっとだけ言うと、
2連の2行目と3行目は逆の方がいい。
7連1行目「水槽の上で」じゃなく「水槽の上へ」の方がいいと思う。

うむ、ストーリーこのままで、言葉をちょっと加工したら、そのまま絵本にもできそうです。
しっかり書けてる作品だと思います。

(そういえば、きんぎょ注意報ってアニメがあったな。金魚が空飛んでたよ。)


●白猫の夜さん「獄中の虚」

最初の4行、書きたいのでしょうけど、詩全体のことを言えば、初連5行目からスタートした方が良いです。得体の知れぬ他者に首を斬られるという、ワン・ストーリーの物語になりますから。
また、比喩的ではありますが、得体の知れぬ他者に首を斬られても、自分は正しく自分を通したという、意味合いとしても深淵なものになりますから。

3連は、武士の時代のように、打ち首、さらし首の図ですね。他者に首を斬られるところから話が続きますから、流れとしておかしくないですし、他方、「サイレン」がありますから、それを現代のものとして置いているのでしょう。

今の時代を生きる困難を、武士の時代に喩えた暗喩的な作品となって、まとまります。
ですので、冒頭の件、一考されてはいかがでしょう。

秀作一歩前とします。


●上田一眞さん「焚き火」

今はいい焚き火グッズがあるんだろうか??? 山の中で焚き火をすること自体、心得がある人でないとできないし、キノコにしても、わかってる人にしか取れないものなので(シロウトには毒かどうか識別がつかない上に、そもそも見つけることが難しい)、キノコを取って、焚き火で焼いてること自体に、プロフェッショナルを感じてしまいます。

なかなかフツウの人にはできない、ステキなシーン、今のアウトドアブームからすれば、贅沢な時間を過されているように見えるのですが、作者的にはそうでもないようです。
むしろ森の中に一人、身を置き、孤独になって、自身に問いかける時間であるようです。
逆説的ですが、水鏡を見るように、焚き火の焰は、自身を映す鏡なのかもしれません。
憶測ですが、もっというと、ずっと昔から、この「一人の楽しみ」をやっておられて、それゆえ作者を少しノスタルジックにさせるものもあるのかもしれません。
4連の、

 辛い過去の記憶が 
 まなこから剥がれ落ち
 露わとなる

の後ろ2行は、涙がこぼれた、という意なのでしょう。
問題はこのあとですね。

 苦みの効いた味がする
 ああ これは修羅の味だ

 再び口腔に現れた
 〈うつ〉という名の死神が 
 私の肩を叩く

4連の脈絡からすると、過去のツライ記憶に囚われているように思うので、5連は、そのツラかった時期の記憶と重なる味、という意味で、「修羅の味」の意を受け取ったのですが、6連も、「(うつ)という名の死神」と書かれているので、過去の記憶に続くものであると読むのが順当と思うのですが、

いちおう言うと「口腔の死神」と言われると、毒キノコを食ったのかな?とも読めてしまいます。

また前者の意味として確定して読めないのには要因があって、
森の中でキノコを焼いて食べるという経験が(もしかしたら、その地方では珍しくないものなのかもしれませんが)全国レベルでいうとレアな経験であり、どちらかというとやってみたい興味深い経験に見えていて、貧しい様子には見えていないこと。
また、昔からそうしたことをやっているとは書かれていないので、私らは現在の行動としてしか焚き火を読んでおらず、無条件に過去に繋げて読めない。というか、伏線が引かれてないので、いきなり過去の話を持ち出されても、唐突すぎて、ついていけない感があります。

整理していうと、森の中で焚き火をしてキノコを焼く行動に対するそもそもの作者の思い、また、その行動をいつからしてるかについて、書いた方がいいと思う(あるいは過去の思い出を少し入れると、そこからの継続性が出る)。それらの点において、たぶん読者が読んで感じてるものとの齟齬を生じてると思われるので、書いた方がいいと思う。前提条件のところでズレがあるから、後半ついていけないのだと思う。

「こっちにおいで」の字下げ部分以降自体は悪くないと思う。ステップを踏んでないから、うまくそこに入れない、という意味です。

親は世代が違うから割り切れるんですが、とりわけ兄弟や同世代の友が先に亡くなっていると、死が我が事のように身近になります。誘われてる気がするのもわかる気がする。

現状、秀作にとどめます。指摘した点を一考してもらったら、まだ良くなれる作です。


●相野零次さん「卒業」

ここのところ長いのをがんばって書いてくれてましたから、書きたかったテーマをひとつ書き切ってしまったかもしれませんね。今は次に移る過渡期かもしれません。

ここのところ、脇目も振らず、真正面から直進してくる感じのものが多かったですが、ここらあたりで脇目を振ってみませんか?
相野さんは、確固とした自我をお持ちなので、極端な話、他者のことを書いたり、外の風景をスケッチしてたって、自我は出てくると思いますよ。
なので、少し脇道から書くことを勧めたいです。

今回の作品ですが、後ろ半分がおもしろいです。最後の「ちくしょう」は、ちょっと光が当たったかに見えたが、壇上から降りる頃には、もうすぐに忘れられてることへの「ちくしょう」なのでしょう。

私も正直、自分が高齢になる頃には、もっと穏やかな心でいるものだと思ってましたが、いまだに「ちくしょう」と思うことの多いこと、多いこと。
世の中、なかなか穏やかには過させてもらえませんね。

過渡期に思えるので、評価は今回おいておきましょう。


●佐々木礫さん「『痛い』とは、言えない心臓。」

上からセリフになってるところまでは、いいと思います。言葉にハートを感じる。
ただ、そのあとはあまり感じない。「そう言った彼は~血を吹き出して動き始めた」の間は、あまりハートを感じない。いや、ハートはあるのかもしれませんが、一般的に言って、スジだけを追う感じに書いてしまうと、読む方には情感が伝わりにくいものです。

そのあとは「小さなささくれ」のリフレインになっていますが、そこはまずまず悪くないので、私は上記セリフあとの部分だけ、変えた方がいいと思います。

セリフより上は、ハートがあるから、いろいろな読み方ができます。湖は本当の湖にして、心臓を自身の喩え、として読んでもいいし、人間の体が水分比率が高いことを思うと、これ全体が、体と心臓の関係と読んでもいい。もちろん血を流しながら進む、人生の喩えと読んでもいい。セリフより上は映像力があるので、いろいろ想像が湧く。それが比喩力でもあります。
対して、セリフ下は、言葉が固定的で、そうした想像がきかせにくいです。
言葉を、ただの言葉だと思ってしまうと、どのようにも合成ができてしまうのですが、そうした考えで言葉を扱ってしまうと、すごく平面的なものになります。立体化、映像化、しないです。
そこの違いをちょっと注意してみて下さい。
この詩はセリフより上の、湖と心臓の関係性の映像がキレイですから、せっかくそこまで作ってますから、「湖」をはずさずに、セリフ下も考えてみて下さい。例えば、湖に、鹿が水を飲みに来たっていいのです。発想を広げて考えてみて下さい。

佐々木礫さんは、私は初めてなので、今回感想のみとなります。

 
●温泉郷さん「悲しい教え」

ええ話やね。ポロっときたわ。
主人公は、猫のようでいて、母ですね。その時に、そう言える人間でありなさい、と諭されているようです。もちろん心も行動も含めてです。
温泉郷さんは、お母さんがまだご健在ことと思いますが、私らのように親が亡くなっている年代の人間が、こんなの思い出したら泣けますね。(本人が亡くなっているだけに、思いが倍増される)
子供の頃は、とかく自分以外のことには無神経なものです。それがフツウですが、子供の頃からズシンと来てる作者は、むしろエライなと思う。

死期を悟った猫がいなくなるところもリアルです。あれ、不思議なんですが、探しても絶対見つかりません。私も子供の頃から20歳くらいまで、ずっと猫を飼っていたので、累計、何匹もわたって飼っていたんですが、一度も見つけたことがありません。
一度だけ、家の中に急にノミが発生したことがあって、さては天井か、縁の下で死んでるな、と思いました。死んだらノミが逃げますからね。

余談ですが、4~5年前、家のすぐ前の道路で、飼い猫であろう、よその猫が車に轢かれて死にました。夜8時頃のことだったので、保健所を呼んでもすぐ来ないだろうし、どうしようかなと思ってしばらく見ていると、妻がつかつかつかと箱を持って、ゴム手袋をして、「このままだと、何度も轢かれてしまうから、かわいそうだから」と死骸を掴もうとするので、そこまでされちゃあ、男の私がせねばなるまいと、私が代わり、死骸を箱に入れ、家の横のところへ逃げました。目玉が飛び出してました。ちょっと記憶に残っちゃいました。
まあ、それは翌日、保健所を呼んで、箱ごと引き取ってもらったんですが、あの、何のためらいもなく妻が、もう死んでる死骸を助けてあげようとしたのには驚いた。好きになれないところが少なからずある妻ですが、あの態度には驚いた。ちょっと惚れ直しました。
あ、余談でした(← 余談多いぞ!)。

これ、猫を飼ったことのある人間にはとても響くことでしょう。母と猫、セットの思い出ですね。名作あげましょう。
これをきちんと伝えられるのは、温泉郷さんの技量ですね。技量がないと、この話はここまで仕上がらない。代表作の並びに加えてよいと思います。


●荒木章太郎さん「テニスコートの誓い」 

まるで別人やねー。これ、ホントに荒木さんが書いたの? って思ってしまうくらい、いいデキです。ビックリ!!
しっかり書けてますね。言葉の緊張感も最後まで持続している。破綻がない。
出だしもおもしろいし、3~4連には自身のポリシーと変遷が描かれている。たぶん卒業間際の決意をして、フランス革命の導火線となった「テニスコートの誓い」と、比喩してるのでしょう。
また、4連までで終わらずに、5~7(終連)へとポリシーを比喩展開(5連「狼~液体」、6連「山羊」、7連「根菜類」)してるのがいい。ここで詩がワンステップ上がって、出色のデキになります。
うむ、名作を。こりゃあ、荒木さんの今のところの代表作ですね。すばらしい。

一点だけ。
4連の、

 指切りをしながら契約を交わし

のところの「交わし」ですが、「交」の字を使うと、これは「交わる」、「交流する」、「取り交わす」、ここでは契約を結ぶ、の意味になってしまうのですが、ここはたぶんそうじゃないですよね? たぶん逆の意(契約を守らないの意)で使ってるんじゃないでしょうか?
文脈からもそうじゃないとおかしいし、そう読まないと連の後半の「約束を結ばない俺」とも、早速矛盾してしまいますからね。

「避ける」、「体をひらりかわす」の意で使うなら、「かわす」は漢字的には「躱す」の字になります(「交わす」の字を使うと、契約を守る側の意味になるので、真逆になります)。この詩においては、この漢字を使うことを勧めます。
ちなみに、詩においてはこの程度の漢字は、意味を正しく伝えるために使ってOKなんですが、常用漢字でないということがあって、新聞記事などでは、「かわす」と故意にひらがなで表記されます(漢字の「交わす」の意と区別するために、わざとひらがな)。

今後も使うと思うので、これだけ覚えておいて下さい。

編集・削除(編集済: 2024年11月23日 16:12)
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