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滝本政博様、「上海租界」に関する批評と感想をありがとうございました。
この詩はとある知り合いの女性から聞いた話です。
女性がまだ少女だった頃に外国で目にした、戦時下での過酷な現状や人間のエゴイズムを詩に盛り込むことに注視しました。また、こうした女性の当時見た光景や感じたことをできる限り客観的に描きたかったので、今回はあえて、一人称や文中での飛躍、そして比喩などのレトリックは扱いませんでした。
まだまだこの詩にも推敲が必要であり、詩人として更なる進化を遂げていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
人は簡単じゃない
絶望に支配されても
それは一時のこと
人は複雑すぎない
希望に目覚める朝
それは毎日のこと
大丈夫 と 自分に言い聞かせて
それだけの 祈りを空へ 羽搏かせて
君は眠る 僕もそう
眠りに包まれれば リセットボタンが押される
希望 それは人間の始まり
けれど 絶望 それは人間の終わりじゃない
人は歩く
心臓は鼓動を止めない
力強く ドクンドクンと 生きている
君は確かに生きている
僕も確かにここにいる
そうして歩いていく
あせらずに
元気なときは 走ればいいさ
転ばないように
おいしいパンを焼いて
粒の立ったお米をよそって
食べる
食べることはしあわせ
だから
人間は毎日しあわせを噛みしめて
生きているんだ
しあわせはたくさんある
ふしあわせなこともある
マイナスかけるマイナスはプラスになる
数学の不思議を僕と君にも当てはめよう
希望を胸に
絶望を力に変えて
時には
振り返って
立ち止まって
正解を探して
心臓は止まらないから
脳も計算を止めない
誰にも訪れる
明日まで
歩みは続く
希望も絶望も
君も僕も
みんな
いっしょに
手を取り合って
パシャパシャ ピシャピシャ
おにわからおとがする
なんだろう?
まどからそとをみるとトリたちが
おにわのみずたまりでみずあそびしてる
つばさをバタバタさせて
からだいっぱいにおみずをかけてシャワーみたい
あおいトリきいろいトリ しろいトリ
なかよくパシャパシャ ピシャピシャ
トリたちはみんなたのしそうにわらっている
なつのあついひにみずあそび
トリたちはみんなきもちよさそう
わたしもみずあそびしたいな
つめたいみずですずしくなるよね
雷が怒号のごとく
怒号が雷のごとく
稲光がたまに落ちる
負の連鎖のフラッシュバック
肉体に記憶され世代を超えて伝播する
目はよく見ろと叱られた
泣かされたら涙で見えない
耳はよく聴けと叩かれた
耳鳴り響いて聞こえない
口は「バカなことを言うな」と殴られた
うまく呼吸ができないから
酸素や愛を摂取できない
仕方がないから頭と体を切り離し
野に解き放ち痛みをなくす
それぞれに名前をつけて
役割与えて世界へ放つ
梅雨が開けたと
光トカゲが教えてくれた
人を殺せる程の暑さだ
父も母も死んでしまった
眼耳口がそれぞれに
刻んだ記憶を持ち寄って
お盆に集まる時が来たのだ
目は光トカゲを食べる国をみたという
耳は光と影が毎日争っている国のことを聞いたという
口は影のない国の料理を食べたという
最初は話が噛み合わなかった
光と影は対立しない
無意識と意識は争わない
諦めないで対話を続けて折り合いつけて
負の遺産を売りに出すのだ
このままでは誰も買わない
互いの個性かき集め
新たな物語を創作する
光トカゲはずっとみていた
俺も光と影をずっとみていた
身の危険を感じると
影の尻尾を切り落とす
夜が更けると世界が影に覆われる
光トカゲは空に張りつく
尻尾は稲光流れ星となり闇を切り裂く
光と影は混じり合い
一つの躰に統合された
朝には光が生えてくる
俺には未来が生えてくる
「人に伝わる詩が書けるようになりたい」という思いを胸に投稿を続けている私にとっては、またしても評して下さることで完成する詩となってしまいました。どうしても読み手に甘えてしまうのです。書いている時には気づきません。本当は第二連以降、燻製を通じて、生命が生まれ、人類が生まれ、これら繋がり、人類の未来を描くファンタジーの中に私が伝えたいことがあったはずです。三浦先生の感想を伺って、私も作中の燻製の煙に巻かれてしまい自分を見失ったことに気づかされました。推敲する際はもっと生み出した言葉に責任を持ちたい。改めて、世に残る素晴らしい作品達は自立しているからこそ私の胸に届くのだと痛感しました。今後は論理的な側面と、自由な側面を両立させることを諦めないで描き切りたいと思います。もちろん楽しんでおります。
拙作「石ころ」について丁寧なご感想をありがとうございました。長く生きてきてつくづく思う事を書きました。世の心理学者は性格は変えられる、と説きます。でないと皆さん前向きに生きられないからか、と私は思います。私は自身についても出会ってきた沢山の人々を見て、そう思わないのです。芥川は性格は運命である、と言いましたがそれが真実と思うに至っています。いい性格に生まれた人はそれだけで天の祝福を享けた人、でも世には自分の意思でなく性格、人格障害を持って生まれたり極端には生まれながらのサイコパスという人も稀ではありますが、存在します。そのような宿命だけでなく、誰もが自分の資質を選べない。すべては外因ゆえで内因ではないと思います。天才に生まれた人もなみならぬ努力をしなければなりませんが、ろくでもない資質ばかり天に与えられた人の人生は誰にも認められず不運の人生を余儀なくされる場合が多い。昔ならそれも分と心得て諦め、受け入れて生きたと思いますが、現代はそのような心持を持つのは難しい時代です。天運に恵まれなかった人はどう生きるのか。実は投稿作と末尾は現在変えました。実体験から、変えられず変われなかった悲しみを描きましたが、改作して、それでも石ころとして恥じずに生きよう、という風に。(表現は抽象化しましたが)運命は宿命とは違う。文字通り、命を運ぶのだ、と思いを転換しました。今後もこのようなテーマで書くと思います。長文失礼、又、よろしくお願い申し上げます。
あけびの実を捜して
ふる里の山野を駆け巡る
柴栗の林を抜けるころ
喉はカラカラ
足が止まる
草叢に寝転がって休んでいると
微かな雫の音
ぽたぽたぽた
ぽたぽたぽた
木の根元から滲み出す水
大平山(おおひらやま)の湧き水だ *1
思わず喉がなり手を伸ばす
掌で受ける雫は
冷たく
渇きを癒す
湧き水が集まるところ
見ると
鐘形の秋りんどうが咲いている
沢を好む花
天に向かって開く藤紫の花穂
花びらに手を添え
瞑目すると
野山に咲くりんどうの花を愛した
母の笑顔が浮かび上る
*1 大平山 山口県防府市 牟礼〜富海
S・M・L―服のサイズではない。そのオーケストラが備える、
シンバルの大まかなサイズである。いずれもジルジャン社製。最高級の音だ。
*
たとえば―ドヴォルザーク「新世界より」第四楽章
全楽章通じてシンバルの演奏はただの一回 ただの一打
その日 奏者A その一打のために誰よりも早く楽屋入りする
彼の妻もその一打を鑑賞しに会場に来るだろう
出番一回の打楽器奏者と出番が忙しいヴァイオリン奏者のギャラは同じ
よく冗談めいて話に上るが事実である そしてこの扱いは極めて正しい
音楽は楽器は 回数の時間の 多寡にあらず
各奏者が楽器の特性・役割に従い貢献する精神のことだ
精神は平等
シンバル音はONE AND ONLYな“点”で音楽を彩る
ひとつの演奏責任の重さと美しさに報酬は払われる
彼にとって出番に寝過ごさないのも音楽
端座し緊張と戦いながら小節数を数えるのも音楽
もちろん 見事に報酬分の責任を果たすに違いない
たとえば―ベルリオーズ「幻想交響曲」第四楽章(断頭台への行進)
最後近く 短いが穏やかな旋律を遮断するシンバル音
強く激しい一撃 断頭台の刃が首を断ち切る瞬間を暗示している
その時 奏者B その小節を待つ 水のような心境だろうか?
瞬時にフォルテシモを打ち 直後にシンバルを腹に当て音止め
奏者は今日 シンバルで罪人の首を切り落とす
一打の出来不出来で音楽は輝きもするし台無しにもなる
失敗しても調整も回収もできない 誰も助けてはくれない
(プロだから まずあり得ないが)
もしも仕損じた時は 死ぬほど恥じ入って
片手のシンバルを投げ捨て
片手のシンバルのエッジで(罪人ではなく)自らを断頭しかねない
彼は背中に そんな悲愴幻想も背負っている
*
奏者A。 奏者B。 座ってその時を待ちながら、実は彼らが楽曲の生殺与奪を握っている。
成功と失敗。 彼らはその愉悦と絶望の中にいる。 孤高。 彼らこそが「音職人」。
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付記。
実際、寝過ごして、演奏機会を失った奏者はいるそうです。
実際、失敗して、後日、懊悩し自死した奏者はいるそうです。
滝本様こんにちは。暑すぎますね。いつも丁寧に読んでくださりありがとうございます。まとまりよく書けていて内容もしっかり伝わり安心しました。土いじりが好きなせいか今時期は特にとかげやらバッタ、蛙、蜘蛛、私の嫌いなカメムシ、カミキリムシに囲まれて楽しく暮らしてます。蛙は色んなところにちょこちょこ姿を現し、色を環境に似せるので気づいた時はどきっとしたりしております。お調べの通り白になってる時もありますね笑器用な生き物です。また、よろしくお願いします。
ご丁寧な評をありがとうございます。
最後の三行は私も迷ったのですが、ないと投げ出した感じになるかと思いました。
この体裁で、若い方がプロポーズしたら、受けてもらえる確率は高いかなと思ったりします。
(若くなくても)