◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。
◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、
<<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear
をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。
どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
和室から見える景色は
まさに夏そのものを現している
水色に薄められた絵の具に
白を淡く馴染むように付け足した
そんな背景
伸びる焦茶の自由な線に
緑は白く光り
ときおり吹く生暖かな息に
気持ちよさそうに体を揺らす
開け放した窓の網戸の端に
一匹の羽蟻がウロウロと彷徨い歩き
まるで木々と木々との間を渡りながら
空中浮遊しているようだ
どこからともなくじっとりと
浮き出る汗を拭いながら
私も以前羽蟻のように
行きつけではない銀行へ
たまたま行く途中で道に迷い
畑と住宅地の広がるアスファルトの道を
行ったり来たりしたことを
思い出して苦笑した
人通りもやけに少なく
民家とビニールハウスとが交互に入り組み
歩くたび蒸されたような食物の匂いと
土の香りとが鼻についた
喉の渇きを覚え
あまりにも歩き疲れて
自暴自棄になりながらも
やっと辿り着いた安堵感
(今目の前で彷徨いている羽蟻も
目的地に着くだろうか)
そんなことを考えながら
もう一度網戸のほうへ目を向けると
羽蟻の姿はいつの間にか消えていた
その言葉 フランス語
英語で「リフレイン」
日本語で「繰り返し」
反復は音楽や詩の常套手段である
刷り込みの効果だろうか
度が過ぎると迷惑だが
度が過ぎてかえって名曲になったものもある
フランスの作曲家 ラヴェルによる
バレエ曲 「ボレロ」
とりわけ オーケストラの
スネアドラマー(小太鼓奏者)をスポットしたい
一曲約十五分 三拍子 全三百四十小節のうち
ドラム 三百三十八小節を全く同じ音符のルフラン
試みに分析すると
ドラム 同リズム スティックで四千五十六打
その数を―
奏者も
もちろん聴衆も
意識はしないが
大小さまざまな多数を打ち込む
その一打一打の積み重ね
その総体に築かれる音楽
出だしが最も困難で
打楽器奏者にとっての
ある種の試練
技術よりも心の均衡
オーケストラ全員が彼の精神に支えられる
後方にいるもう一人の指揮者だ
一曲を使っての一つのクレッシェンド
各楽器の登場で光彩が与えられる
旋律もドラムに従い反復が続く
リズムが第二の旋律
なによりも
音楽の「場」であり「風景」であり「環境」だ
その打刻に導かれオーケストラは
ピアニシシモの地を発し
フォルテシシモの門をくぐり
ゆっくりと雄渾に
ルフランの架け橋を渡る
会場の人々は賞讃し歓迎する
ルフランへの感動
その声と拍手
反復が
シンプルを突き抜け
辿り着く先は
舞踊と音楽の王国
クレッシェンド……だんだん大きくの意
ピアニシシモ……音の最弱
フォルテシシモ……音の最強
***************************************************
付記
あの優美な旋律と、どちらかと言えば、あの角ばったリズムパターンはあまり相性は良くないと思えるのですが、
妙にブレンドするのは不思議としか言いようがありません。
三浦様、「てるてる坊主」の評をありがとうございました。毎回のことですが、締め切り当日まで、直しながら投稿しております。既存曲の山下達郎作品、どんなだろうと調べました。評をいただくまで、存じなかった作品ですが、人が作るもの、心が感じることは山下達郎のようなスーパースターでも、こんな私でもわずかにリンクしているのかなぁと思いました。これからも、詩を書きます。ありがとうございました。
お母さんの調子が悪いので
訪問日に見に来てください
訪看さんから連絡があった
母は色々な精神障害を持っている
今はうつ症状がひどいらしい
ちょうど私の仕事の休みの日に
訪問看護師さんの訪問日があった
その日母と看護師さんと私で
久しぶりに顔を合わせた
母は押し黙ったまま動かない
そのうち静かに泣き始めた
今にも消え入りそうな声で
寂しい寂しいと繰り返している
ああ私が子供の頃からの声だ
そのうち母の泣き声が聞こえなくなり
だんだん意識が遠くなる
私は昔住んでいた岬の町に迷い込んでいった
岬の町並みはいつも
強い海風にさらされている
いたるところに石が積んであるのは
家を守るためだろう
その石積みにはいくつもの
赤いよだれかけのお地蔵さん
あまりに古いものは表情が
消えかかっているものもある
みんな青い海を見つめている
その海までは10歩といったところに
たくさんの小さな家が立ち並ぶ
潮風に誘われるように私は歩き始める
家と家の間は狭く 1mくらいしかない
その細い路地を抜けると海だ
影になった薄暗い路地をそろそろと進む
狭ければ狭いほど気持ちが落ち着く
もしかしたら私には猫の血が
流れているのかもしれない
そして私の好きな時間は1人の時だ
いつも1人は落ち着くし安心で
1人で静かな時間を過ごすのが本当に好きなので
私には母の寂しいが今日も全く分からなくて
今日だっていつだってあてもなく
私の好きな岬の町を半分猫になって迷子になるしかない
いつも読んで下さりありがとうございました。本作では少しでも読み手に伝わる詩が書けて良かったです。私は1960年代後半生まれです。60年代、70年代のカルチャー、ウッドストックとか学生運動、反戦運動を行なっていた世代の人達にお世話になりました。そんな世代を生きた人達への憧れ、羨ましさ、失望、不満の感情だけではなく、批判や周りのせいばかりにして、甘えてしまって、無関心を装い自分から行動に移さない私自身、同世代を応援する気持ちも描きたかった。異質なものを排他したり、対立する考えを潰す、従わせるという方法ではない変革の仕方があるのではないか。それをリフォームで喩えてみました。今後も時代批判の詩を書きたい気持ちは強いのですが、とても難しいと感じております。
電車で勤務先のホテルへ向かう
反対側に乗って海に行きたくなる
そんな妄想を抱いてしまうのは
日頃からのことで
いつもの乗り継ぎで目的の駅に着く
勤務先の事務所に入ると
会社のクレドが目立つところに
掲げられており
最初にそれを目にすることになる
「私たちはお客様に非日常を提供します」
朝礼の接客用語声出し
おはようございます。
少々お待ちください。
お待たせいたしました。
かしこまりました。
ありがとうございました。
今日の宿泊予約をチェックして
リネン部門と打ち合わせ
今日はお客様が少ないですね。
そう笑う彼に
そうですね。お願いします。
その他の部門ともいつもの打ち合わせを行う
チェックインの時間
常連のお客様には
いつもありがとうございます。
新規のお客様には
ご利用ありがとうございます。
手続きはルーティンワーク
軽く会釈をしていく方
特に反応されない方
手だけあげる方
サービスに対する反応は様々
たまにクレームもある
改善すべきクレームと、理不尽なクレーム
理不尽なクレームは
残念ながらよくある
それを見ていた別のお客様
気持ちをきりかえて、いつものサービス
ありがとうございます。
お客様からの笑顔でのお言葉
業務が終わり帰宅する
先に帰ってきた妻が夕食を作ってくれていた
いつもありがとう。
私も疲れているし妻も疲れているだろうから
急にどうしたの?
そう笑う妻、一緒にビールを飲もう
今回も読んで頂き、誠に有難う御座います。その上、細かな所までご感想や評を頂き、とても勉強になりました。これからの創作の参考になりました。ありがとうございます。
いつまでキツい靴で歩き続けるの?
足の指も形も変わっちゃって
痛みは足首から膝 そして股関節から腰まで
気付けばまともに歩けてないじゃないか
普通に歩いていると思っていた
社会に出て靴を履き替えて
いろんな靴を履いてきた
最初は足に合った靴を探していたのに
気付けば靴に足を合わせて
押し込んで痛みを我慢して歩いてきた
そろそろ靴を脱いでみたらどうだい?
靴下も脱ぎ捨てて
素足で歩いてみなよ
アスファルトは冷たいかい?
土の上はどうだい?芝生の上は?
誰かが言ってくれた
『君は何処を歩いてるの?
ちゃんと自分の道を歩いてるの?』
俯いた顔を上げて見渡した
横には海が広がっている
夏の日差しの下 キラキラと輝く水面
靴も靴下も脱ぎ捨てて裸足で砂浜へ走った
砂は思ったより熱くて
それでもまだ感じることの出来る足が僕にはある
さぁ どの道をありのままの裸足で歩こうか…
水無川様、いつも評をしていただきありがとうございます。
これを書いていた時は、少しふさぎ込みがちだったので自然と死にまつわるテーマに惹かれていました。自分が死んだら誰がどんな顔をするのだろうということをよく考えます。悲しんでくれる人があんまりいなさそうで、大抵その後虚しくなるのですが笑。
そういう思いを膨らませてこれを書きました。
ブルーな気持ちではあったんですけど、メソメソはしすぎないように気をつけていたので、感傷に溺れていないとおっしゃっていただけて嬉しいです。佳作の評もありがとうございました。また投稿しますので、よろしくお願いします。