おはようございます(^^)
文学の匂いのする探訪記つづく、、、でしょうか。興味津々。
昨日は、美魔女さんが西国三十三か所巡りの句をつくって見せてくれたので、お吟さん大喜び。
晩菊や褪せゆく赤に入日映ゆ
陰気満ち冬待つ庭の清々し
白浄の信心持ちて近江行 →白浄の信心冬の近江行
秋遍路湖上を渡る三井の鐘
名にしおふ瀬田の唐橋今もなほ
→「壬申の乱の時代からこの唐橋を制する者は天下を統ると言われていて、
その橋が今も有る!」と感動されているお気持ちは分かりますが、
ここは季語の力を信じて、季語に思いを託して、そこで出会った季語、
連綿とつづいている生き生きとした季語を見つけてぽんと置こうではありませんか。
とアドバイスさせてもらいました♪
↓お祖母さんの大島を別布を足して縫い直したものをお召でした。
松本病院と云ったか都内でも有名な精神病院で過ごしている患者が小康を得て下宿したのはいいがヘルパーを寄せ付けぬ糞尿ばら撒き男で誰も成り手が無いので所属している複数の会社から同時に依頼があったほどだから、わたくししかいないと振られたのだろう、近くなので行って見ると類は類を呼ぶのか、その彼が終始駄洒落を言うのだが、その中の最高傑作が「星はどうやって見るのが正しいか」という謎掛で「正座して見る」というのに「座布団十枚!!!」と感心したら一発で気に入られ、部屋も綺麗になり楽しく過ごしていたが、医者が薬を間違えて強過ぎる薬を投与したので倒れて再入院して、再退院はなかったから「星座は正座して見る」という存問だけが記憶に残った。
昨日は「ににん」の岩淵喜代子さんのお供で麻布本村町の石鼎旧宅探訪の再トライである。岩淵さんは2013年からこの地図を探しているから十年近い執念である。わたくしは敬愛するイタリア文学者の須賀敦子のファンなので彼女の遺作となった『遠い朝の本たち』(筑摩書房、1998年)の「ひらひらと七月の蝶」の中で、子どもの頃に麻布の家の隣に住んでいたのだが、父曰く「隣の主人は、ホトトギス派で名のとおった俳人らしいぞ」という原石鼎夫妻だったので、須賀敦子が子どもの頃に見ていた風景を見に来たのである。だが、辿り着いたその場所は大規模開発地として白い工事壁に囲まれた広大な建設予定地として遮られていた。
夕月に七月の蝶のぼりけり 原石鼎
「夕月へ七月の蝶のぼりけり」と推敲しなかったのは「夕月」ゆえの風情か。
>わたくしたちにはかげおさんだったが、
かげおさんの句は、初心のお吟さんにとって、魅惑の大人の男の句でした。猫髭さん、遺句集が出来上がったら、是非お吟さんにも買わせてくださいませ。ご冥福をお祈りいたします。
今日はお煎茶の席を設けてもらいました。ランチは、零余子ごはんに冬野菜のお惣菜。茶花は、猫柳の冬芽の枝と晩菊。茶菓子は、鳴門金時の干菓子や麦こがしを使った州浜というお干菓子。↓米寿の師匠は、茶道具ちらしの小紋に冬椿の帯。「椿が派手すぎるので、なんとか隠して結べないものかしら?」とぶつぶつ言ってらして可愛いこと♪
藪柑子関守石の置かれあり 桑原芳江
>浮気した主人を捨てて一人で子供育ててます
どうして浮気をするのかねえ。人間の屑だね、家庭を大事にしないやからは。まあ、大事にしてても捨てられる者もいるが、大事にしているから相手の意見を尊重して言う通りにしているので、わたくしは結婚という形にはこだわらないので、みんながそれでいいならそれでいい。
枇杷の花は善福寺川に一本あって今年は盛大に硬い白い実をつけているから来年には盛大に枇杷の実をつけるだろう。お世辞にも綺麗とは言えない硬くて小さいカリフラワーのずず汚れた塊のようだが、実が成るとある日、鴉と椋鳥がやって来て一日で食べつくしてしまう。人間には小さ過ぎて酸っぱいが鳥たちには食べごろなのだろう、一斉にやって来て食い尽くす。
ああ、今日は千秋楽で絶対的に有利な高安が阿炎に気合負けして優勝決定戦でも変化されて首を捻ってぶざまな四つん這いで、大関も変化を怖れてびびりまくり一気に押し出されて、番付下位の平幕に優勝を攫われるという困ったちゃんの茨城地元力士である。がっかり。
さあ、明日は朝一の仕事が終わったら、とある全国結社の代表のお供で原石鼎の旧居とイタリア文学者の須賀敦子の旧居跡を探すことになっている。わたくしは作品主義なので別に作者がどこに住んでいようが関係ないのだが、風土というか、どこに住んでいたのかを地理的にその場所を探し出して立つと、作品が膨らむというか、その町の土地の匂いが作品から漂うような親密さが生まれるのかも知れない。そういうお供で、明治時代の古地図からわたくしがこの場所だと特定したことがあり、その土地を歩いていると、ふと作品でしか知らなかった場所の公園とか佇まいに、作品に親しんでいた分、懐かしい気持になることがある。この坂を下りていったのかと作者の思いが風土から教えられるというか、この丘に吹いている風を彼らも感じていて、そうしてわたくしたちもその風を感じているといった、風土と作品がシンクロナイズされて通い合う、そんな気がするのかもしれない。
帰宅したら、今度はわたくしが俳句でお世話になった水先案内人の俳人が九月に病に倒れたのでその遺句集を編むお手伝いである。ハイヒール句会に参加していたので、今回のバックアップの中に遺句集に載せられる句があればもって瞑すべしである。わたくしたちにはかげおさんだったが、桑原三郎主宰の「犀」の編集長だった岡田一夫さんがそのひとで、何度も吟行句会で御一緒もした。わたくしが忘れられない彼の代表作は「眠り穴」の一句である。
秋風や喪服の襟の眠り穴 岡田一夫
コロナ禍でお茶会などもずっと中止であったのが、ここへきて再開されだして、お茶人の方々は、コロナ太りで初釜に着る着物が合わないと、お吟さんのところへ飛び込みで来られます。「お仕立てブログに添えられた一句で俳句の勉強始めました」などと言われたら、浮気した主人を捨てて一人で子供育ててますと言う今日のお客さんの訪問着なんて、すぐに直しちゃう(笑)。このところ怒涛の来客ですが、涼しい顔して手びねりの器でお饅頭とお薄出しますのよ♪
侘助やたぎりそめたる釜の音 山崎多角
男の子の羽織の肩揚げをしてくださいと見えた方は、銅版画家の山本容子似の垢抜けた美女。30分ほど待ってもらって目の前で縫って差し上げる。真備町で美容室を経営していたが、水害で二階建ての屋根のてっぺんまで水につかり、店も母屋も一切合財失った。その後コロナの追い討ち。髪だけでは従業員に給料が払えないので、貸衣装も始めた。で、着物のメンテナンスに困っている。。。。
地元民をお助けしようと、京都や名古屋の呉服屋の依頼を断っているお吟さんですからね、はい、困った着物があれば、いつでも持っていらっしゃい、と自分で自分の首を絞めております(笑)。
晩菊の古葉を払ひ供花となす 増原寿恵
