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🔶お知らせ・・ロケット掲示板とRara掲示板は同時運営しております

このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

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編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

橋の会は残念だけど、3作品は生きている

Rara掲示板投稿記事から
🔺えっちゃん 投稿日: 2023年02月22日 22:00:20 No.53

金糸雀様
橋の会の経緯は今思うと素晴らしい方々の応援があったのですね。
それだけでも橋蔵さんの素晴らしさに感動しました。
私が橋蔵さんの舞踊見た記憶は、鐘の岬と日本テレビのスタジオでガラス越しから見た茶音頭だけですが、これが一番の思い出です。
ともかくも橋蔵さんは忙しすぎましたね。ファンにとっては嬉しいことですが、もう少しゆっくりしていただきたかったと思います。私自身も正直毎日忙しくして、なかなか主人の墓参りもできず明日行く予定ですが、いつも毎月一緒に行ってくださる友人がいます。有り難いことです。4月は3作品がまたみられるということで、うちの地区の民生前会長さんも橋蔵ファンなので、録画して差し上げるつもりです。3月、4月また楽しみにしております。ありがとうございます。

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"歌舞伎の日"に橋蔵さんに思いを馳せて

Rara掲示板から
🔹金糸雀 投稿日: 2023年02月20日 17:44:41 No.49

今日は日本伝統芸能である”歌舞伎の日”でした。
そんなこともあり、ちょっと橋蔵さんに思いを馳せてみました。

1607年2月20日、出雲阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めてかぶき踊りを披露した日だそうです。
歌舞伎のおこりは、1600年、京都の近衛信伊の屋敷に招かれ”ややこ踊り”を披露し、1603年に阿国が”かぶき踊り”を披露しています。
この”かぶき踊り”が様々な変換をして現在の歌舞伎が出来上がったというわけです。
しばらくすると幕府から風俗を乱すという理由で女役者は禁止され、少年による若衆歌舞伎に替わり、これも風紀の乱れのもとになると
成人男性が演じる野郎歌舞伎へと発展し、その後自然な流れとして女性を演じる女形が生まれたということになります。

女性らしい体つきに見せるため、肩を下げて内に入れ、歩幅を小さく内股にし、歩くだけでも、肉体的にきついものです。
傾城のような立派な衣装の役の場合は、重さ30kgにも及ぶ衣装を身に付け長時間にわたる演技をしますから、女性には無理ですね。
年若い俳優が演じる女性は、初々しい雰囲気が本当に愛らしいですし、ベテランの俳優が演じる女性は、上品で色気があります。
また、実際の年齢と離れた役を演じても、役柄同様に可愛らしく見えるのがとても不思議、俳優自身が持つ雰囲気によるものが大きいとは思いますが、
歌舞伎独特の”らしい”演技がなせるわざかもしれません。
歌舞伎の世界も、いまの若い女形俳優がどう変化していくのか、またすでに活躍しているベテラン俳優がどう円熟していくのか、見守っていくのも
楽しみの一つになりますね。

歌舞伎界にはそれぞれの家に屋号があり、演技様式にも上方では「和事」江戸では「荒事」と呼ばれるものが発展し人気を集め、
歌舞伎の歴史の中でもっとも古く歴史があるのが「成田屋」で、市川團十郎家の「成田屋」は荒事、尾上菊五郎家の「音羽屋」は舞踊、
片岡仁左衛門家の「松嶋屋」は東西で活躍と、それぞれの芸風を見比べながらの歌舞伎見物も楽しみの一つになりますね。


・・・ぐたぐた書いてしまいました・・・

橋蔵さんの特別公演が終了した時点で、私は歌舞伎座、明治座から足が遠くなりました。今はテレビで放送される芝居や舞踊や能等の番組から、
今の日本の伝統芸能を見せていただいています。
橋蔵さんは舞踊を得意とする「音羽屋」に於いては大事に育てたかった俳優であったでしょう。
しかし、梅幸さんも6代目から教えをうけ芝居、舞踊は上手かったようですし、5代目菊五郎いや6代目の隠し子と噂があったようですし、
順番からしても橋蔵さんが菊之助、菊五郎を継ぐのはよほどのことがなければ無理なことでしたね。
全盛時代を迎えていた時代劇映画が即戦力になる歌舞伎俳優を探していたとき、同じ舞台の仲間が映画に移って成功していたことも、
橋蔵さんにとっては幸運なときだったと思えます。

10年単位で歌舞伎、映画、テレビと移り変わり環境を違えてきた橋蔵さんでしたが、テレビでの銭形平次は長すぎました。
家庭を持ったということと、一年に取り組む舞台特別公演をやっていくための決断だったと思っています。
舞台公演も大川橋蔵一枚看板での特別公演は、銭形平次を掲げることにより成しうることだったのだと思います。
スポンサーがいなければどうにもならない世界ですから。

それでも、橋蔵さんは尾上を襲名して歌舞伎界に残っていたら、どんなふうに芸能界で取沙汰されるまでになっていたのだろうと、考えがよぎりました。

当時歌舞伎が上演できる劇場が少なかったことは歌舞伎役者には致命的です。 再開したばかりの新橋演舞場と新装になった歌舞伎座しかありませんでした。
収入減となりますから、菊五郎劇団も、映画に出演したり、新作歌舞伎の上演をして新たな観客層を開拓しようとしたのです。が観客の目当ては
團十郎、梅幸、松緑の3人だけで、橋蔵さんにはこれが良くなかったのです。3人の演目がずらりと並ぶのは当然。
幕開きに羽左衛門か松緑の時代物、梅幸の舞踊が中幕、キリは團十郎と梅幸の世話物と出し物は決まっていて、橋蔵さんの出番はほとんどありませんでした。 時代物、世話物、どちらの芝居に出ても梅幸のサブの役しか回ってこないし、任されても中幕の舞踊がメインです。
その橋蔵さんに映画界入りを決心させたのは、東映、新芸プロサイドからの熱心な説得と、六代目菊五郎の借金返済のためだったと言われています。
最初の3本ぐらいの映画までは歌舞伎に籍を残しての映画出演、本人は名前を知ってもらうためにという気持ちで、歌舞伎に復帰するつもりでいました。
それが映画に専念することになったのは、映画で絶大な人気を博してしまったから、皮肉なものですね。
歌舞伎に帰る場所が無くなってしまった錦之助さんや雷蔵さんの場合とは違い、帰れる場所があった橋蔵さんには歌舞伎役者としての雰囲気が、ずっと残っていたように思われます。

✋(画像をクリックすると拡大できます)
画像は、もう皆様ご存知の「伽羅先代萩」六代目と橋蔵さん

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「勢揃い東海道」再び…

Rara掲示板投稿記事から
🔸 おきょう 投稿日: 2023年02月19日 13:33:27 No.46
こちらは、雪どけが始まり道路は大変な事になっています。まだまだ寒い日はありますが、少しずつ春を感じています。
久しぶりに「勢揃い東海道」を観ました。橋蔵さんとひばりちゃんの仁吉・お新夫婦のシーンは30分位で橋蔵さんがいなくなるので、じっくり~じっくり観てました。
昔は豊富な予算もありロケもセット諸々贅沢でした。先日の「旗本退屈男」は衣裳が豪華って印象でしたもの。

「勢揃い東海道」は次郎長一家が仁吉の仇討ちをする事がメインです。その中の清水次郎長は片岡千恵蔵さんが一番ぴったりだと私個人的に思っています。
橋蔵さんと千恵蔵さんと共演してもぴったり合いますね。つい橋蔵さん~千恵蔵さん~ひばりちゃん揃った時「お坊主天狗」も思い出しました。

寂しいのは、この映画が東映最後のオールスター映画になった事です。

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Rara掲示板投稿記事から
🔹金糸雀 投稿日: 2023年02月19日 15:28:22 No.48
今年は今日が「雨水(うすい)」になります。2月中旬以降
雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降る
という意味合いですが、その通り気候は温かくなってきています。
西の方では春一番が吹いたようです。南西の風が入って来て春一番の可能性もと言われている
東京ですが、私の住んでいるところは今のところ曇りですが穏やかです。


🔸おきょう 様

そちらも雪解けの気候になってきたのですね。雪が解けるのはよいのですが、今年のような
雪が溶け出すと溜まったものではありませんでしょう。
もう少しで、穏やかな春がやってきます。
「勢揃い東海道」で東映オールスター映画が終りました。物語はちゃんと出来ていますね。
次郎長が盃を交わしている仁吉の仇を討つことで次郎長物語はハイライトを迎え幕を閉じるわけです。橋蔵さんは中ごろで画面からいなくなってしまいますが、「次郎長シリーズ」の最後の仁吉の役は
ひばりさんとの夫婦役と共にいつまでも残るでしょう。

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財界の人たちの支援で発足した「橋の会」

Rara掲示板への投稿記事から
🔸金糸雀 投稿日: 2023年02月16日 13:47:01 No.44

🔹えっちゃん 様

えっちゃん様のご要望に応えられているかどうか確かではありませんが、一応書いてみました。
2回の催しでそのまま終わったのかしら、この「橋の会」は発足のとき話題にはなりましたが、そのあと思っていたより話題はなかったように思います。


📌橋蔵さんの芸能生活40周年を迎えるにあたって、松竹と藤間宗家が動いていたのでは・・・と思うところもあります。
1975年第9回歌舞伎座公演は、大川橋蔵芸能生活40周年記念と銘打っての公演を念頭におき、発足されていたのではないかと・・・推測ですが。
その「橋の会」後援会は、三菱銀行の田貫渉会長を「橋の会」の会長とし、新日本製鉄稲山嘉寛会長、松下電器産業松下幸之助相談役、
三井不動産江戸英雄社長、日本生命保険弘世現社長、住友金属工業日向方斉社長、西武百貨店堤清二社長と
財界の名士の方々の支援で1973年(昭和47年)に発足していたようです。
橋蔵さんを囲んでの集まりで、日本の芸能について語り合っている中から芸能に興味があり、藤間宗家と親しい人たちに声をかけ、
橋蔵さんなら応援していこうというところから生み出されたということのようです。ですから、第一回の「橋の会」で橋蔵さんの舞踊を初めて見た、
知ったという方もいらしたようです。

こうして、1974年昭和49年6月28日・29日に歌舞伎座で大川橋蔵舞踊公演「第一回橋の会」が催されました。
そして、第9回歌舞伎座特別公演は、「橋の会」の支援もあり芸能生活40周年にふさわしい公演になりました。

「将来は舞踊家になる」のが橋蔵さんの幼いときからの夢でした。
6歳のとき舞踊家を夢見て藤間宗家で修行、歌舞伎界、映画界、そしてテレビ界と遍歴を続けていても、橋蔵さんの舞踊へのおもいは強く、
藤間宗家のもとで修行を積み重ねていたのはファンの方ならご存知のことと思います。
ですから、特別公演の舞台でも舞踊には熱が入っていました。

その橋蔵さんにあきらめかけていた舞台へのおもいに火をつけたのが「東映歌舞伎」でした。
舞台公演をするようになり、舞踊を披露する機会が多くなり、舞踊の会を催したいと橋蔵さんは思っていたそうです。
そんな時芸能生活40周年記念を前に「橋の会」をという話がもちあがり、後援会の人たちにも勧められ、
「橋の会」の舞踊公演が実現したということです。
橋蔵さんは「これを機に、踊れる俳優として軌道の一端に連ならせていただき、伝統芸能の伝承に粉骨したい」と言っていました。

そして、1976年昭和51年6月28・29日に「第二回橋の会」が歌舞伎座で催されています。

しかし、この頃から舞台公演の回数が増えたこと、「銭形平次」の撮影、後援会の集い、諸々公私ともに忙しくなっていて、
「橋の会」はこの2回で終わってしまったのでしょう。
舞台での舞踊のお稽古には平次撮影の合間にやっていくわけですし、そのほかに藤間関係の舞踊舞台もありますし、
舞踊公演と銘打った「橋の会」で、藤間宗家を初め舞踊の上手い人たちとご一緒してもらうわけですから、昼夜3作品の舞踊を踊っていくとなると、
いくら忙しくてもないがしろにはできませんものね。

元気でいれば、平次が終ったあとに、舞踊家としての舞踊舞台が作られていったかもしれません。
残念なことですが、結果的には、橋蔵さんの夢「舞踊家」は果たせず消えていきました。

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Rara掲示板への投稿記事から
🔸芙蓉 投稿日: 2023年02月19日 13:59:15 No.47
「橋の会」そういえばありました。
私がそれを知ったのは、歌舞伎座の特別公演の時でした。6月というのは5月の明治座公演のすぐ後ですから、橋蔵さまにはきつかっただろうと思います。
ファンとしては橋蔵さまが藤間流宗家をはじめ舞踊で名高い人達との共演を積重ねて、ご自分の夢の舞踊家になってゆく姿を見ていきたかったです。
橋蔵さまも、藤間流宗家とも話し合いそちらの道の方へ向かう段取りは考えていたと思うのです。その道筋の一歩を財界名士の方々のお力によりいただいたのに本当に残念です。
金糸雀様のおっしゃるように「銭形平次」の後時間が取れるようになった時に、改めて舞踊の世界が広がっていったように思います。

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平次第65話

今日の東映土曜定番時代劇「銭形平次」は第65話『秩父の姉妹』(1967.7.26放送分)です。


あんみつ姫や初代ボンカレーのパッケージモデルの松山容子さんを覚えていらっしゃる方も少なくなっているのでしょうね。
平次親分の少し滑稽な?部分も描かれたりして、まあまあ面白いかな。

昨日、錦之助さん主演の「反逆児」見入ってしまいました。あのような役は・・・う~ん、流石です。

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役者人生終末の作品に

気候はここ三寒四温で変化しています。春がチラッと顔を覗かせ始めているのでしょうか。フキノトウ、フクジュソウが春を告げて、草花が芽を吹きだすころになっています。

🔹浅んちゃん 様

瞼の手術でしょうから、しばらくは安静にして、完全によくなるには3ヵ月ぐらいかかるのではないかしら。またそのうち放送されますから、眼に無理をかけずに過ごしてください。
私は最近目がかすんで老眼鏡をかけていても字が見えづらくなっています。白内障が少しありますし、老眼もだんだん進んでいます。瞼の筋力も落ちてきていますね。そう考えると、いつまで細かい数字を見る仕事を続けるか、橋蔵さん関係のブログもどこまでやることができるだろうと考えこんでしまうときがあります。私は体のどこかしこに変調があらわれるようになってきました。
今までに経験しない病にみまわれそれを克服して、また一歩人はつよくなっていくのでしょうか。
橋蔵さんの生誕100周年まで頭も体も頑張れるといいなあ。

🖍️4月放送の長編ドラマ3本は、まさに橋蔵さんの集大成ともいえる作品になってしまいました。
特に「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」は橋蔵さんの幕切れを暗示したかのような・・・雪降るなか、橋蔵さんの好きな椿の花の中に消えていく光景は私たちファンに何かを物語って残していき、あとで私たちが見たときに「あっ!、あのとき橋蔵さんは・・・」と思う・・・私は見つめていて、この場面はそう思えるのです。いつも、この場面のことを思うと同じことをいいますが、涙がこみあげてきてしまいます。
これからという50代の最後に残してくれた3作品。それぞれに思いは違うでしょうが、病を押して頑張った橋蔵さんの、悲しいけれども役者人生終末の作品です。
一つ一つの橋蔵さんの動きに、じっくりと向き合って作品を見てみたいですね。

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平次第64話

掲載が遅くなりました。
Rara掲示板より
🔸金糸雀 投稿日: 2023年02月11日 12:08:47 No.35
今日の東映土曜定番時代劇「銭形平次」は第64話『花婿の死』(1967.7.19放送分)です。



◆4月の放送になるのですが、ここで一応お知らせとして書きますね。
CSの時代劇専門チャンネルで
新年度・新学期に心躍る4月。
大川橋蔵の魅力溢れるTV長編3作品を放送。
思わず背筋を正してしまう橋蔵の立ち居振る舞いをご堪能ください!
ということで、
📌『春爛漫!大川橋蔵主演・長編時代劇』3本の放送があります。
「沓掛時次郎」(1981年:TV長編)
「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」(1982年:TV長編)
「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」(1983年:TV長編)
4月放送のスケジュールに書き込みしますので楽しみにしてください。

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放送日楽しみにしています。お知らせ待っています
手術後抜糸がまだなので見えにくくてしかたありません。
そのころには元に戻っているとおもいますので、美しい姿楽しみにしてます。

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若かりし武士の橋蔵さん

Rara掲示板より
🔹金糸雀 投稿日: 2023年02月12日 13:03:20 No.38
昨日は「旗本退屈男」の放送がありました。
市川右太衛門さんの映画出演300本記念とあって登場するスターたちの顔ぶれはすごいです。
ストーリー自体には面白みを感じません。一番の見どころは退屈男の豪華な衣装でしょう。
そう旗本退屈男ほか東映時代劇作品の衣裳デザインを多数手がけたことでもしられる京都画壇の異才、甲斐荘楠音氏の回顧展が京都国立近代美術館で今日から4/9迄、東京ステーションギャラリーで7/1から8/27迄催されます。
「旗本退屈男」シリーズ他東映時代劇作品の貴重な衣裳も多数展示予定とのことです。

話がそれてしまいましたが、私は「旗本退屈男」の橋蔵さんを見ていると、何故か「赤穂浪士櫻花の巻」での役の橋蔵さんとダブってしまいます。役柄の雰囲気が同じようだからでしょう。
あのような武士ものになるとね・・・人それぞれの好みもありますが、当時の大江戸七人衆のときのような役や花笠若衆のときのような役ですと橋蔵さんは生き生きと描かれ気持ちがよい。
柳太朗さん、錦之助さん、千代之助さんがそれぞれに適役で固められると、橋蔵さんの適役はそうなってしまうのでしょうね。
久しぶりに正統な若かりし武士の橋蔵さんを見る作品の放送でした。

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残念!見逃しです!!橋蔵さん見たたった!
10日に眼瞼下垂の手術をしたもので、11。12日はあまりTVをみていなくて。
いまも仕事中ですが、老眼をかけても文字がぼやけてよく見えません、
パソコンの文字がはっきり見えないのは不便極まりありません、仕事になりません。
17日抜糸したら元に戻るのか心配です。何度も見ているYouTubeのトミーマミーも見たいのに…この文字を入力するのも四苦八苦です。大阪は雨で余計にうっとしいです。

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いつまでも残してほしい3作品です

Rara掲示板より
🔸まゆ 投稿日: 2023年02月11日 23:16:58 No.36
フジテレビで橋蔵さんが平次のあと長編ドラマに年に1本出ていた「時代劇スペシャル」という番組のものでしたが、
橋蔵さんらしさをもっともっと残してほしかったですね。
ちょうど体調もすぐれない時に頑張って撮っていたんだなと思いたくはないですが、顔の表情から推察してしまいます。
でも、平次と違って殺陣も気迫があり、やっぱり橋蔵さんの立ち廻りはこうでなくちゃと思いました。
平次の岡っ引きとしての立ち廻りもいいけれど、映画スターであった橋蔵さんがテレビでの時代劇で平次だけで終わらなくて本当によかったと思います。
3作品に終わってしまいましたが、橋蔵さんが映画でやりたかったものでしょう。
この3作品はいつまでも残してほしいです。

大河ドラマ「新平家物語」の話を母にしましたら、あの時代に若かりし清盛から40代で亡くなるまでを
橋蔵さんが演じ描いていっていたら視聴率は相当とれたと思うと言っていました。
長谷川一夫が主演した「赤穂浪士」からしばらく美男俳優が主役をやっていなかったし、視聴率は確実にとれていたと言っていました。清盛のような役も見たかったですよ。

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遠い遠い夢物語で終わった

Rara掲示板より
🔸金糸雀 投稿日: 2023年02月10日 14:05:35 No.33
❄️私のいるところからは屋根や木々は白くなり、雪の結晶がだんだん大きくなってきて、これから夕方にかけて降ってくるようだったのですが、
今は霙と雨のようです。毎年積雪がある地方から見ると大した積雪ではないのに、東京は大雪警報がでて交通機関が使えなくなるとパニック状態になるので大変です。少しの雪景色は風情があってよいですけれどね。


🔹おきょう様
いまでも、本当に大河ドラマに主演していたら、と思ってしまいますね。
大川橋蔵という俳優の取り上げ方が違っていたのではないかとも思うんです。これは、一ファンの迷い事になりますが。



🖍️橋蔵さんがテレビに移ったのは、時代劇が衰退してきたところにスキャンダルが重なり人気が落ちていて橋蔵さんの収入が減っていたこともあり、
結婚式の資金を作るためにというのも要因の一つだともいわれています。
映画スターが「銭形平次」をやるということで、お茶の間でテレビで見ることができるという利点、その「銭形平次」を持って舞台の方にも声がかかりました。
こうなると舞台ができるということは橋蔵さんの念願だったでしょうから、その気持ちは大変なものだったでしょう。

以前に書いたことがあると思いますが、その当時NHKの大河ドラマの制作は3年位前から決めていたと聞きます。
尾上松緑、長谷川一夫と主演が続き、そのあとしばらくは若手や女優の主演者が続いて、「春の坂道」に中村錦之助主演が決まり、
そうすると残り映画の時代劇人気スターは市川雷蔵と大川橋蔵が残るだけになりました。しかし、雷蔵さんはこのころから体調は良くなかったのだと思います。
そうすると、残るはただ一人。橋蔵さんもそろそろ「銭形平次」に見切りをつけてくれるだろうと交渉する準備はできていたのでは・・・

「新・平家物語」は橋蔵さんを想定してのものではなかったのでしょうか。若い時代に命を落とした平清盛ですから老け役がないわけで、
橋蔵さんの美しさは保たれるというわけです。錦之助さんが主演したあと今度は橋蔵さんが主演でやればこれ以上のものはありません。

しかし、一年余りNHK主体にスケジュールを組まなければなりませんから、舞台をやっている時間は無くなるわけですし、
「銭形平次」の視聴率がよくなってきている時に、収入の面でも相当違ってきますから、橋蔵さんとしても悩んだでしょうが、
「銭形平次」を選んだということですね。
あの時代、大河ドラマがこんなに長く続いて、名前が残っていくとは想像もつかなかったでしょう。
”平清盛”見たかったですね。視聴率稼げたと思います。
「銭形平次」はそれなりによいけれど、やはり歴史ものをどのように演じたかを見たかったです。遠い遠い”夢物語”で消えて終わってしまいました。

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