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🔶お知らせ・・ロケット掲示板とRara掲示板は同時運営しております

このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

「バラケツ勝負」・・③  #2016.5.31

🌊(下駄)どっかで盗んで来たんとゃうか
家に帰った久雄は夕べ木下組の殴り込みがあったことを聞く。
集団の殴り込みを助けてくれた秋月が久雄を待っていた。
足抜きをした芸者と秋月は一緒だった。福原の芸者から久雄のことを聞いて訪ねて来たという。

いつ捕まるか分からないのだから飯を早く食わせろ、という秋月に勝兵衛がそんな銭はない、と・・隠していた桐の下駄を久雄に見せ、質屋に入れたらいくらぐらいになるだろうと。
久雄 「何や、これ」
勝兵衛「兄やんの下駄があんまりちびてるよって、夕べ福原で・・拾てきましたんや」
久雄 「拾て来た?」
勝兵衛「へっ」
久雄 「そんなことゆうて、われ、どっかで盗んで来たんとゃうか」
🐦(桐の下駄がどうして出てくるのか、不思議に思うでしょう?それはあとのお楽しみに。あっ、言ってしまった。)

木下親分から久雄に昨日の詫びと言って米をもってきたが、久雄をおびき出しておいて殴り込みをかけるとは、と憤慨する。それを聞いた鹿造親分は、大月屋が両天秤かけていると分かる。大月屋は江藤組に寝返っていた。
(ここで、木下組と江藤組というやくざ組が関わっていることが分かりました。)

鹿造親分は久雄の身を案じ、バラケツの勝兵衛を呼んで
木下「これを武村はんに渡してくれ」
といって黒檀づくりの神戸には2本しかない合口を出し
木下「俺が大月と手を切っからには、武器棒ではあかん。いつも必ずこれを身につけて置くように言うてくれ」
📍(神戸に2本しかない合口、1本は久雄に、もう1本は誰にやったのでしょう? ここで明かしてくれないから、行きつくまでに大変。)

生活費と秋月のために50円必要だと勝兵衛が拾ってきたという桐の下駄を持って、質屋のおかつに頼みに行く。
質屋の帳面を手伝えばという、「それもそうだな」と久雄。おかつは前から久雄にバラケツから足を洗って養子になってと言っていた。
久雄「冗談ゆうたらあかん。俺はこんな商売は苦手やし、女出入りであんたが苦労するのが落ちやで」
それを承知でいっていると迫るおかつ、黙っている久雄に「何で黙っているのや」
久雄 「おかつさん、実はなぁ・・俺・・」(①の画像)
おかつ「いや、いやいや、聞きとうない言わんといて」

そこに、玄関が開く音がして武村刑事の声がした。
話をしていて奥の部屋の襖に久雄の姿をちらっと(➁の画像)見た武村刑事
武村刑事「おかつさん、ぶそんとか言うバラケツが帳面の手伝いにくるそうやな」
月々の末に2,3日だけ、優しくてそろばんが達者で、学校時代は剣道をやっていたとかで・・。
武村刑事「さあ、そこや、バラケツって奴はそうやって人を信用させといて、いきなり バッサリ悪いことさらすんや。まあ、けどな、わしには縁のない男やし、山ふまんかぎり手は出せんけど、金庫にだけは気いつけなはれ」
立ち上がりながら、久雄が持ってきた下駄に目がいく。
武村 「ええ下駄やなあ、駒屋の特製や。麻がよう通ったる」
おかつ「目がききますな、それ、わてがぶそんさんにあげようと思うて」
武村 「わざわざ買うてきたんやな。そやけど、歯裏に土が付いてるで。もっとも2、3回しか履いてないけど。まあええわ、お邪魔さん」
(こんな時、下駄の話を詳しくするのか、と不思議に思いますよね。)

武村刑事は質屋を出てから、鹿造親分のところから帰る勝兵衛に出くわした。
懐に入れていた合口を見て、誰から掏ったのだと聞かれ
勝兵衛「掏ったんやおまへん、木下鹿造親分からぶそんの兄やんに」
武村刑事の顔色が変わる。自分がもらったと勝兵は言い直す。
合口を返してもらい懐に入れながらふり向いたとき、彫師の留次郎の姿が目に入った。
(単なる通りがかりだけの者ではないですね。)

竹村刑事と入れ替わりに、質屋に妙子が乗り込んできた。おかつに久雄とキッパリ手を
きってほしいと。久雄を好きな女の闘いです。
妙子 「久雄さんさえ、ちゃんとした元の暮らしに戻ってくれはったら、うちはそれだけでも・・おかつさん、お願いです、うち何でもします、腹がたったら殴っておくんなはれ。お願いです、久雄さんのためを思うんやったら久雄さんを堅気に、お願いします・・・」
おかつ「負けたわ・・わての負けや」
おかつ「久雄さん、あんたさっき言いかけはったこと、この妙子はんのことと違う」
・・この時の久雄(③の画像)
おかつ「妙子はんやったら、わても納得しますけれど、もし他のおなごはんやったら、わてが承知しまへんで。よろしおますな。さあ、妙子はん、この質ぐさは、あんたに確かに渡しますよって、離したらあきまへんで」
🐧(おかつさん、格好いいなぁ、久雄さんふがいない。この間、久雄は立ったまま何も言えず二人の展開をみているだけでした。でも・・でもですよ・・どうして、久雄を取りあうおかつと妙子の場面、久雄を前にしてこんな風に長く描く必要あったのかな。そんなに大事な場面とは思わないのは私だけかしら。)

👆(下記URLをクリックすると画像にリンクします)
https://sugi-nami.blog.jp/archives/14803279.html

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「バラケツ勝負」・・②  #2016.5.31

♧任侠道、つまりやくざの掟とは
久雄は、木下組の子分に呼び出される。
その直後、集団の殴り込みがあり仲間達が痛めつけられる。
久雄を頼ってやってきた秋月京太郎がちょうどやって来て集団をやっつける。

久雄も別なところで木下組のものに囲まれる・・3日のうちに今のところを立ち退けという。
大月屋が大家田川の言う通りにしない限りは、立ち退きはしないとやり込め、木下組の親分のところへ案内させる。

久雄の前に木下鹿造が現れた。
木下「俺が木下や。うちの若いもんを、えらい可愛がってくれたそうやな」」
久雄「その話は後にしてんか。折り入ってな、あんたに聞きたいことがあるんやがな」
「言うてみい」木下鹿造が座る。
久雄「任侠道、つまりやくざの道の掟とは」
木下「分かりきったこっちゃ。第一に堅気の衆にご迷惑をかけんこと、第二に弱い者いじめをせんとや」
久雄「それやったら、今夜あんたがやったこと、あれは一体何ではんねん」
木下「何だんねとは何や、田川というやつは一銭でも余計に立退料を取ろうとしやがるし、また、お前らその尻馬に乗りやがって」
久雄「それは誤解や。あんた大月屋の口車に乗せられてまんねん」
木下「何やて」
久雄「まぁ、聞いとくなはれ、田川さんご夫婦は大月屋の先代の頃からあの家に住んで、恩給だけで細々と暮らしてました。ところが、5か月ほど前に奥さんが大病にかかって、その治療のために心ならずも家賃を滞納したんだ。すると大月屋は、その抵当として家財道具一切を引き上げてしもうて、またその上に・・」
🐦(この台詞長いので省略しようと思ったのですが、まず第一のカギになりますのでそのまま書きました。ここまでの映画の筋からは全然見えてきません。久雄がいきさつを話すことで省略されているようです。ああ、そういう事なの、とここで分かるのです。飛び過ぎです。)

木下は久雄たちが大月屋に嫌がらせをしているのだろうと。
木下「他に言うことないのんか」
久雄「それは、あんたさん次第ではおまへんか。あんたの方に聞く気がなかったら、馬の耳に念仏やろし、まぁ、木下組はごろつきどもの集団ということになりまっしゃろな」
木下「なに、ごろつき」
久雄「そや、ごろつきや。ごろつきとかくすぶりちゅうやつはな、表に任侠道の旗を掲げやがって、裏で何さらしてけつかるかわかるかい」
木下「ぬかしやがったな、若造」
木下日本刀を久雄の顔の前に抜く。
木下「見てみい」
久雄、じっと睨みつけ
久雄「切れまっか、親分。(①の画像) 斬れるもんなら斬ってもらいまひょ」(➁の画像)
暫くじっと久雄の目を見ていた木下親分、日本刀をしまい、
木下「われ、いいど根性やな。ぶそんちぅのは本名か」
久雄「本名や。音で読んでぶそん、訓で読んだら武村や」
木下「武村?」
久雄「そうや」
木下「ほんなら、あんた、刑事の武村はんの息子はんと違うか」
久雄の顔色が少し変わる。(③の画像)
久雄「冗談言うたらあかんで、息子がバラケツやったら、親の刑事が黙ってまへんやろ。俺はそんな身分のものやあらへん」
木下「なるほどなぁ、あんたは度胸もあるし、頭もええ。30円ある、これもってお帰り」

久雄が客人かかえて大変だろうという木下の気持ちを、「有難いが断る」という久雄。
「ぼん」と木下は久雄に向って言う。
木下親分がすることはこの件から手を引くことだ、と言って帰って行く久雄。
🐦(ここの場面いいところです。そして日本刀を突きつける木下と久雄の場面は、見ているこちらに緊迫感が伝わってきます。橋蔵さまやはりきりっと決まります。本格的な任侠映画であったらよかったかもしれませんね。)

木下は武村刑事に恩があった。そして、手間賃ともらった金を大月屋に義理をかいてすまないと言って返してくるようにいう。
(ここで、大月屋というあくどい金貸しが関わっていることが分かりました。)

久雄がずっと好きだった妙子は心配で後をつけて来て、木下組を出た久雄と帰り道に・・そして二人は一緒に朝を迎えることになるのです。
🐧(ここの場面、二人の感情を表すのはよく分かるのですけれど、橋蔵さまにこういうキスシーンは合わない・・・と思うのですが・・いかが。作品がバラケツですから仕方はないのですが、この表現しかなかったのかなと考えてしまいます。もう少し品位というものを考慮しても良かったのではないかな。ファンはここまでのキス・シーンは見たくないし、要求もしていなかったのでは。)

👆(下記URLをクリックすると画像にリンクします)
https://sugi-nami.blog.jp/archives/14803121.html

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「バラケツ勝負」・・①  #2016.5.30

そういえば、一応任侠映画?方向になるので、私は躊躇しました。
バラケツって不良とか愚連隊のことを言うわけでしょう。
当時、そんな題材のものを、甘い2枚目で売ってきた橋蔵さまがどうしてやらなければいけないの、と憤慨したものです。時代劇スター大川橋蔵を東映は潰すつもりなのか、と思いましたよ。東映は時代劇俳優はいらなくなったのですから。

掲示板に書こうと思い真剣に細かく見ていましたら、当時の世間の評価はどうでもよいと思いました。掲示板に書くので一つ一つ聞き流さず見逃さず把握していくと、橋蔵さま、いい所沢山ありますよ。捨てたもんじゃありません。(聞き逃さず見逃さず・・ですよ)
凄みを出すために、暗い表情であそこまでくずさなければいけなかったのかな。
あれは失敗だと思います。
この作品の橋蔵さま、当時はぼろくそに言われていましたが、それなりに可愛いし、作品が良いものであったら、素顔での物も悪くなかったと思いました。
作品内容を吟味したなら、現代ものいける、と思いました。

そういえば、フジテレビドラマでしたかしら、ほんのちょっとだけお出になったことありましたね。
テレビ番組を見ていたら、お名前が、あの時は、テレビで現代ものの橋蔵さまに初めてお会いするので、舞い上がってしまっていて、どんなだったか全然覚えていないんです。テレビをかけていたのは覚えているのですが。
すみません、横道にそれてしまいましたね

では「バラケツ勝負」(1965年)です。
🌊素直に喜べない久雄
神戸を舞台に不良と言われるバラケツが、殺人事件にまつわる真相を解明していく。
ある夕方、バラケツの一人がバラケツが塒として世話になっている田川の借家に新聞を手にして慌てたように帰ってきた。
🐦(何時橋蔵さまがスクリーンに映し出されるのか?、どんな感じなのか? ファンとしては映画の流れは頭に入らず、橋蔵さまの出を待っていたのでしょうね。2階から一人の男がおりてきました。久雄です・・・橋蔵さまです。この時の橋蔵さまとてもよい感じで好感もてます。)

久雄の父親である武村刑事が手柄をたて新聞に載ったと、新聞を読み上げはじめる。
「・・・12名の決死隊員が、北長狭通2丁目の菊ノ屋に踏み込みしところ、犯人はモーゼル拳銃を発射して抵抗したが(①の画像)、武村久五郎部長刑事が勇敢に踊りかかってそれを押え」
久雄「あぁ、わかった、もうえぇ、止めとけ」(➁の画像)
まだまだ後があるんだから、というのを
久雄「うるさいなぁ、止めとけと云うたらやめんかい」
といい2階に上がってしまう。
「なんぼ勘当されたからというたかて」「勘当?」「それじゃ”ぶそん”くんは、そのデカさんの」
久雄の仲間や大家の田川は久雄の父武村久五郎刑事の手柄を喜んでくれたが、勘当された身であった久雄は素直に喜ぶことが出来なかった。
「”ぶそん”の兄やんはあんな強がりゆうてるけど、ほんまは嬉しいんと違うやろか」
勘吉「そうかも知れんな、なんたって実の親子やわい」
祝ってやろうとしても、先立つものがない。
武村兄貴に相談してみる、というが「その兄貴がなあ・・」と勘吉。

2階に上がった久雄、窓から夕陽を見つめ
「モーゼル拳銃か、親父は運が良かったなぁ」
そこへ、たまにはパッと飲みましょうと持ち掛ける勘吉、久雄も賛成する。
夕刊を見ていた質屋のおかつは勘吉や大家が久雄のために質ぐさをいれ祝ってやろうという気持ちに打たれ、その気持ちを質ぐさにもらっておくという。

福原で、武村刑事を囲んで刑事たちが祝いをしている。
(その部屋が見える一室では、元兵事部長の栗本と軍医の坂内が、あれだけの手柄を立てたのだから、敬意を評して・・と酒を飲んでいる (この二人が関係してくるとはね)
芸者の花奴が武村刑事に近づきお酌をして
花奴「おめでとうおましたなぁ」
武村「なんや」
「一番乗りだっしゃろ、武村の旦那はん」という花奴に、何で武村久五郎って知ってんのかと。
花奴「そりや旦那はんが、あの人に似てはるよって」
同じ町内で育ち、久雄と幼馴染みらしい。
思い違いをしているのではないかという武村刑事に、思い違いはしていないと言い、
「これ、あの人からやと思って」と言って花奴が出した杯を払いのけ、
武村「出過ぎたまねさらすな。よーく聞いとけ、わいにはせがれなどあらへんで」とカッとなる。

田川の家の2階、久雄を囲んで盛り上がっているところ、勘吉と下に折り
久雄「おい勘吉、今夜のどんちゃん騒ぎは、ただの騒ぎと違うやろ」
あいつらただ騒ぎたくて、という勘吉。
久雄「隠さんかて分かっとる、親父の手柄いおうてみんなで」
勘吉「兄貴」
久雄「俺は喜ばへんで。親父が手柄したかて俺に関係あるかい。礼は言わへん。
・・そやけどな、みんなの気持ちだけは持ろとくは」(③の画像)

👆(下記URLをクリックすると画像にリンクします)
https://sugi-nami.blog.jp/archives/14802879.html

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「バラケツ勝負」に思うこと  #2016.5.29

私が「バラケツ勝負」に思うこと

作品のないようについて書く前に、どうしても頭の中をめぐっていることを吐き出した方が書きやすいかな?と思いまして。
🐧(ここで書くことは東映時代劇黄金時代が好きだった私の個人的見解ですので、不都合なことがありましたらお許しください。時代の流れが欲していた方向だったのだということは理解していますので。)

1960年に前にも書いた黒沢映画が人気を得てから綺麗な時代劇は廃れ始めました。岡田さんの考えで東映は生き残るためにやくざ路線に変えたようです。
(任侠路線というのは後になってから付けられた言葉だと思いますが。)

”時代劇の東映”といわれた東映は、他社のように現代ものではお客が入らず、そこで考えたのが”やくざ路線”のようです。時代劇で活躍していた人達はやくざ映画にでるようになりました。橋蔵さまも会社の方針には逆らえませんから、1965年に「バラケツ勝負」をとる破目になったのでしょうね。結果は不評で橋蔵様のやくざ路線は失敗、つぎの企画は没。この時もう映画界の東映には、橋蔵さまの魅力を活かせる企画、場所が無くなってしまったのですね。

「バラケツ勝負」・・題名がいけないな。これではひどい映画だと思われます。私当時この題名を聞いたとき、見たいとは思わなかったですもの。
プロデュースは次の東映を背負うようになるやくざ映画の俊藤浩滋。脚本は比佐芳武、監督は松田定次という東映時代劇を作ってきたお二人。凄いといえば凄い取り合わせだったのですが、撮るものの根本が違っていたのではと思います。脚本は橋蔵さまが主演ですからそれなりに書いたものなのでしょう。

主人公久雄は勘当されてバラケツになっているが、父親が刑事という育ちの良いぼんが、あることから勘当されて、といった設定になっています。普段にやれば橋蔵さまでもいけた作品だと思いますの。 橋蔵さまらしいところが作品の中に感じられるところがありますから。でも、主流は苦虫を噛み潰したような顔をした神戸のバラケツということで凄みと荒っぽさを表に出す映画にしなければいけなかったのでしょう・・プロデュースする人の考えは。(任侠という言葉を世間は違ったように映画に取り入れてしまった・・・任俠とは本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神を指す語です。)

やくざ路線を作ったのは俊藤さんと岡田さん。他の映画会社と違うことをやらなければと・・やくざの世界で有名な俊藤さんに、やってきたことを映画にすればいいというように頼んだと言われていますが。やくざ路線のレールは順調に敷かれていったのですね。
「バラケツ勝負」もやくざ映画のように撮られたので、世間の目は凄みがあって大暴れするものだと思っていたと思いますから、当然不評を買ったでしょう。
🐧(才覚のあった千恵蔵御大が社長になっていたら、東映はどのように生き延びたのかな、時代劇は完全にだめになっていってしまったのかな、・・・。)
そのあと東映は映画では落ちるところまで生きポルノの方向に、テレビの方で、生きて行くことなりましたね。
沢島監督が東映映画は鶴田たちの時代になってしまったので東映を去ったと言っていたように、俊藤プロデューサーの得意のやくざを描き、自身が育てた鶴田浩二と娘の藤純子が頭角をあらわしてきたわけですね。
「バラケツ勝負」でも妙子役の藤純子は水を得た魚のように、橋蔵さまは妙子に頭があがらず何も言えずふがいない男のように描かれています。
ですから、映画を見た男の人達は、「藤純子が良かった、橋蔵が女にふがいなく情けなくがっかりした」というような批評も多かったようです。
当時不評の第一に言われたことは、橋蔵さまが弱々しくて似合わないということだったと思います。
やくざ路線の映画だと思っている観客に、時代劇流の「若さま」のなぞ解き風と「新吾」の父母を恋うるイメージを思わせる方向を入れましたが、やくざの抗争の中でのバラケツを期待していた人達には不要だったようです。
また、周りの人達が普通に演技しているのに・・橋蔵さまには不良のような凄みを強調させているから橋蔵さまが浮いてしまっている。
そんな風にも思えるプロデューサーの演出にも問題があったのではないでしょうか。
橋蔵さまファンはすっぴんは見たくない、世話物の現代風のならばいいが品の悪い役は嫌います。よりによって江戸っ子の橋蔵さまにどうして関西のガラが悪い(表現が悪かったらごめんなさい)言葉をいわせるのですから。

橋蔵さまは優しく品のある甘さが売りものであるから、不自然になってしまう。もう少し背景を考えてほしかった。任侠映画いややくざ映画は無理だったのですよ。
橋蔵さまがよく相談なさっていた片岡仁左衛門さんも「甘さが売りものなんだから、汚れ役は絶対にやるなよ」と橋蔵さまに言っていたと語っていたことがあります。

作品自体の流れも、どこを主体に描こうとしているのか分からないようなストーリーになってしまっていることにも責任あると思いますが。
前半の間延び(バラケツ達の宴会、おかつと妙子の久雄の取りあい、拘置所の面会を願うところなど)、後半の筋の展開がいつの間にといった風で、早い一挙に謎解きの展開で結末にいってしまうのですもの。場面カットをしていった結果でしょうが、久雄の父武村久五郎が何を追っていたのかなんて筋からは考えられない。
最後土壇場で、なるほどあそことあそこからそういう事か、と考えるような始末。
刑事たちが分からないことをバラケツ達に、どうして分かるのさ、と言いたいところだけれど、そこは我慢して・・・。

東映チャンネルが何回も放送をしているので、私も今回考えたあげく、真剣に挑戦することにいたします。
次回は本題「バラケツ勝負」について書いていきますのでよろしく。

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「美男の顔役」から   #2018.8.11

🎶《 セリフ回しと抑揚のうまさ 》
橋蔵さまの魅力が十分に詰まった作品「美男の顔役」は私の大好きな作品の一つですので、何回でも言葉にして良さを伝えたいのです。
ブログでこの作品まで到達するには、時間がかかりそうなので、作品放送のたびにその時心に残ったところから書いていきたいと思います。(同じことを・・と思わないでくださいね)そのたびに、画像は変えていきますので。

旗本くずれのやくざ浪人金子市之丞の哀愁、ひょうきん、真面目さとふんだんに見ることが出来る作品での橋蔵さまがイキイキとしていてすごく良いのです。

河内山宗俊を中心にして描いたものはテレビドラマでもやったりしていましたし、歌舞伎では天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)で有名です。
これらは宗俊と直次郎がメインで書かれています。直次郎の母が出世をした息子に会うため国もとから出てくるため河内山宗俊達が一芝居をうつ、という筋になりのですが、「美男の顔役」はその話を御家人崩れの悪名高い剣客、金子市之丞をメインで描いた作品です。悪党で美男、女性に大もて・・橋蔵さまでなければ絵にならない、楽しく可笑しい中に、市之丞の母への思慕を織り込んで心を打つという人情ものです。橋蔵さまの金子市之丞の母を想う演技に愛しさを感じます。
石翁とのやり取りは品位があり、身の変わり方は橋蔵さまならではの上手さがいいですねえ。
立回りも橋蔵さま軽い感じで動いてゆきますが、ダイナミックで歯切れの良いチャンバラで流石。
二枚目半から三枚目のような役が挿入されているものをこれまで数回演じているので、この時期の橋蔵さまは、こういうものはお手のもの。本当に二枚目半に良き面が見いだされる橋蔵さまです。

「お楽しみのところ、とんだ邪魔入り、恐縮旋盤、 というのも、誠にもって野暮なはなし」
「下世話にも、間男七両二分という言葉がござるそうだが、拙者もあいにく手元不如意の折から、金五十両にて目をつむってもよい」と、歌舞伎調でのセリフで美人局でのお目見え、かと思うと、
「身分の地位のと、ごていそうな口を聞きやがったわりには、しけてやがるぜ」と砕けたやくざ浪人の口調奈なります。(①の画像)

市之丞はお金さえ手に入れれば、女には用なし、勘美津には目もくれず帰っていくのは良いのですが、女難が相次いで降りかかってくるのです。
この場面の橋蔵さまの動きに合わせてのセリフまわし、抑揚、振り、表情がとても良いので、セリフの面白さが引き立っています。
「私だって水商売の女だし、金子市之丞様の奥方になろうなんて言いやしない。他に何人女がいたっていい、飽きがきたら捨ててもかまいやしない。楽しい夢を10日でも20日でもいさいすりゃ私の気持ちがおさまんのよ~、」と勘美津の言いたいことを市之丞は飽きれながら言うのですね・・・この調子が何とも言えない。(➁の画像)

その直後には・・市之丞、勘美津の時とはうって変わって神妙な面持ちで、好きだとすり寄ってくる琴江によい返事をしないでいると、家を出るからそばに置いてほしいと。「私に飽きが来たら追い出してもかまいません。ただ、あなたのお傍で10日でも20日でも・・」と言うセリフが出て来たのです。
「初めはみなさん、誰でもそうおっしゃる」その台詞は聞き飽きた、という表情をする市之丞。(③の画像)

画像豊富に載せて見ましたが、橋蔵さまの雰囲気伝わるでしょうか。

ここまでで見る側を引きずり込んでいく、市之丞って?・・・筋はこれからどのような展開を見せてくるのか、リラックスして、わくわくしてくるのがいいですねえ。

👆(下記URLをクリックすると画像にリンクします)
https://sugi-nami.blog.jp/archives/14802472.html

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「美男の顔役」・・好きな殺陣   #2017.7.29

東京の23区は、夕方から強い雨や小雨が降る中、隅田川では 花火大会がありました。
テレビでも恒例の放送がありましたが、いつ見ても同じようなので、私はパス、「男はつらいよ」を見ていましたけれども。

今日は11時から「美男の顔役」をかけながら最後まで。 笑わされたり、そしてまた 泣かされてしまいました。が、今日は殺陣から・・最後の大掛かりな立回りもよいのですが、ここではやはり、峰内での市之丞ひとりの殺陣のところが素晴らしいと思います。

河内山宗俊から尿瓶を花瓶だと交わされた竹内金次郎が浪人を連れて、宗俊に恨みをはらすため碩翁の屋敷にやってきた時、金子市之丞が「こいつは俺にまかしとけ」と応対にでる。
この作品での橋蔵さまの台詞回しはすごいものですが、その一つ・・ここからの台詞回しも実に言いですね。
「よう、来たか、尿瓶」と楽しそうに玄関先で。
「坊主は」という金次郎に「坊主は奥でちゃんと待ってるよ」と市之丞。
金次郎「人を騙すにも程がある」
市之丞「騙すとはなんだ、坊主があの時、あれが尿瓶じゃねえとでも言ったかい。夜の雨という名器だと言っただけじゃねえか」
金次郎「くそ坊主め、あの小便壺を、(クンクン)、拙者にふさわしいもんじゃと言いくさった」
市之丞「ふさわしいじゃねえか。金にいとめはつけぬけん、(クンクン)てな口をたたくてめえの根性に、あれほどふさわしいものがあるか。それを賄賂に使って栄達を謀ろうとする伊勢守の根性だって、まこと小便壺に相応しいつてもんよ」
🐧(ふさわしいもんじゃねえか・・・この言い方好きだなあ)
金次郎「無礼者」から始まるところの殺陣は峰内での殺陣ですが、力強く、スピードがあり、見ていて惚れ惚れする見事な一つ一つの動きで、大好きなところです。
作品1時間14分50秒~15分5秒の短い中に8人を峰内で倒すところから、暗い画像なのでよく分からないかもしれませんが3点載せて見ました。

市之丞を通して、橋蔵さまのいろいろな表情を見せていただきました・・橋蔵さまに笑わされ、泣かされ・・ 目でも語る橋蔵さまから目を離せませんでした。 台詞回しは、橋蔵さまの声の表現がとても素晴らしく ほれぼれしてしまいます。
「美男の顔役」今月はリアルタイムで堪能いたしました。

👆(下記URLをクリックすると画像にリンクします)
https://sugi-nami.blog.jp/archives/14802194.html

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年05月24日 14:39)

橋蔵さまの表情と目が語る   #2017.7.17

皆様お出かけの3連休も終わりに、高速道路はUタンラッシュで夜遅くまで混雑状態とのことです。気温35℃という中、私は家でエアコンと扇風機を使い分けながらの暑さ対策で忙しく過ごしていました。
そんな中、橋蔵さま作品「大江戸評判記 美男の顔役」をリアルタイムで見て、橋蔵さまの美しさに酔いしれ爽やかな涼を得ました。
「美男の顔役」では様々な表情を見せてくださる橋蔵さまがいますから、何回見ても飽きないですね、この作品は。ですから、この作品を見るたびに、感じるところは同じなのですが書きたくなってしまいます。(またか・・といわないでくださいね、橋蔵さまの作品にそれだけ惚れこんでいる、ということなのですから。)

一番に魅了させられるのは、市之丞が母を恋しがる表情です。そこに橋蔵さまの目が語るからすごい。見ている私は胸がつまってきてしまいます。橋蔵さまはこれでもかと虜にしていくのです。

直次郎の母おもんを迎えて碩翁の屋敷での宴。おもんが疲れている様子に、市之丞におもんが肩を揉むのが上手だと言われ、市之丞は「幼少の頃、よく母の肩を」とうそをつきます。お袋さんはまだ元気でいるのか、という問いに市之丞無言。「いはらいませんのけ」の言葉にここで市之丞の表情は・・・。
おもんの肩を揉みながら瞼の母を思い出している心理描写を、橋蔵さまの表情が表していきます。
おもんが直次郎と踊っているのを見つめる市之丞・・胸がつまります。市之丞の心の中には、母への思いがあるのでしょう・・・辛くなってきますね。子守唄が静かに流れ、市之丞の気持ちをより強く映しだします。

おもんの知り合い彦六の娘を助け、追っ手が来るので3人は直次郎と国もとへ帰るようにと話すと、皆が一緒に来ないなら残るというおもん。それに対して市之丞はお伴をする・・・と、おもんたちを逃がすために、追っ手が来ることで命をおとかもしれないのだが、後始末をして数刻遅れていくと約束をしておもんを安心させるのです。
おもんの「何時ほど遅れまんねん」に市之丞「・・・明け六つ・・までには必ず品川宿のはずれで・・」と。
「ほんまやな・・・金子はん」「・・・必ず・・・必ず」という市之丞の表情に陰りが走ります。橋蔵さまは、こういう心理状態を表現するのがうまいし、そこに目でも語っているので、見ている人にすごく伝わるのですね。

品川宿外れでいつ来るかと待っているおもん。宗俊や丑松の姿がないので、おもんは市之丞に、「またあんた直ぐに引返しはんのけ」、市之丞「・・・すみません」と悲しそうな顔をしています。
おもんが市之丞に近寄って
「あんたさんに、もう一辺心ないことをたずねさせておくなはれやぁ。あんたさんのお袋さんはうんといいお袋さんでしたけ、そけとも悪いお袋でしたんけ。他人のお袋さんを恋しがさんのはな、うんとええお袋さんを持ったお方か、うんと悪い母親を持ったお方さんかの、どっちかに決まってまんのやで」
下を向いていた市之丞、おもんに何かを訴えるような目をして「ご母堂様、御免」と言い、おもんを後ろ向きにし、肩を抱いて「私の母は、私の母は子供の頃、私を捨てました」と。
市之丞「すねたこの市之丞に、母親の姿を教えてくださったご母堂様に、たった一つお願いがございます」と涙目でおもんから離れて、「おっかさん」
おもん「・・はいっ」。 その時の市之丞の嬉しそうな表情。
「おっかさん」市之丞は嬉し涙で顔をゆがめ、去っていくのです。
宗俊と丑松を人質にして約束をした開け六つまでに帰ることを約束した市之丞に待っているのは、碩翁の「家賃は高くつくかもしれぬ」なのです。
母の優しさをおもんに見た市之丞は幸せな心持で、覚悟を決めて戻っていったのでしょう。

橋蔵さまの「おっかさん」に弱い私です。「旅笠道中」もそうでした。

👆(下記URLをクリックすると画像にリンクします)
https://sugi-nami.blog.jp/archives/14801865.html

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心にある雪之丞、闇太郎   #2017.1.12

「雪之丞変化」の話が出てくると、ファンとして私も話したいことが沢山出てきてしまうので、困っちゃいます。これも橋蔵さまファンだったら何回も見たくなる、大切にしたい作品の一つですね。

東映でも橋蔵さが東映入りしてすぐに「雪之丞」をやりたかったようです。しかし、1954年に千代之介さんが「雪之丞」を三部作をやったばかりなので出来なかったようです。
「雪之丞変化」の映画を作ると二部~三部作で各社作って来たのですが、長すぎで間延びしてしまい、この一作だけにするのには脚本が大変だったようです。
正に橋蔵さまのために作られた内容がぎっしりにつまった作品になっています。
ただ、撮影はしたが、途中でシナリオを書き替え撮り直しか、または何パターンかを撮りしぼったのではないかと私は思うのです。
通常の物語のように浪路は雪之丞に恋焦がれて屋敷をでて病で、闇太郎の小屋で雪之丞に抱かれて死ぬのです。闇太郎が浪路を屋敷に運び、雪之丞が三斎の前に現れ、父母の恨みを、その背後には白刃が、ということになり雪之丞の殺陣があるはずだったのだと思うのです。ビデオのパッケージを見た時、不思議に思うでしよう。雪之丞の殺陣が写真にあるでしょう。
しかし、演出は作品のようになりました。この作品は、雪之丞と浪路を通しての市民の米騒動とそれに加担する闇太郎の方に重きをおいているような。雪之丞も闇太郎も大変素晴らしいのですが、私の頭の中に残るのは闇太郎です。この作品での評価はやはり闇太郎が素晴らしかったと言われました。
三役をやるわけですが、長谷川一夫さんの時は母親を、橋蔵さまは父親でした。橋蔵さま父親役で処刑場面に意欲的に取り組んだようです。
この時、橋蔵さま右足首を痛めていて包帯をしていました。足を引きずって入って来るほどで、何日か休まなければいけなかったのですが、迷惑をかけてはと頑張ったのです。前日、闇太郎であまり活躍してころんでしまったということでした。

口上「君が情けのたまずさに、・・ご贔屓願い奉る」からの『宮島のだんまり』、『関の扉』のお姫様姿』
最後の『鷺娘』(もう少し長く見たかった)と橋蔵さまの歌舞伎時代を彷彿とさせます。これだけの演目を熟せるのは流石です。(ご本人は着せ替え人形のようだったと)

淡島千景さんとは初顔合わせでしたが、お二人の息がとても合っていたのがより素晴らしい作品にしていますね。この時、淡島さん病み上がりで出演不可能という話がでましたが、よかったです。淡島さんのお初だから、橋蔵さまの雪之丞と闇太郎もよくなっています。

雪之丞の舞台を観ての闇太郎とお初の言葉の掛合いがよいです。(ここ覚えちゃいました)
「あばたがえくぼに・・」「違うよ・・惚れたのは目だよ」「・・まっ、目に惚れて肘鉄食って痛い目にあいなさんなよ」「・・あたしゃもう、雪之丞に目がないんだから」・・橋蔵さんの雪之丞だから、この掛け合い言葉ができるのです。

「雪さんの行先を教えよう」「船は・・」「あいた、慌てさせるねえ」「今夜の雪さんはお前にまかすぜ」「うれしいねえ」「俺の名を・・ひっぱりだすんだよ」・・この時も闇太郎とお初の色気ある目での会話となっています。(初共演とは思えないお二人の目の使い方と雰囲気)

そしてもう一か所、雪之丞とお初の「売りまへん」「売りまひょ」「あーら、気に入ったね、江戸っ子は気が短いの」

大川端は絶対に外すことが出来ない場面。
お初の話を聞きながら雪之丞が歩くところ。左右の指でさりげなく着物の褄を持ち変えながらの砕けた歩き方。
「ねえ、雪さん諦めな・・」とお初が言う時の褄を持っている手の動き。
「ご親切なご贔屓様の・・察しておくれやす」のところの歩き方と妻を持つしぐさ。
雪之丞、お初、ムク犬の吉、三人の素早い動きから、さっと舟に乗りながら簪を髪から取り投げるところまでの素晴らしさ。
そしてさっと翻って「すえなごうご贔屓に」と粋に舟を漕いで行く後ろ姿は美しい。

お初の家に寄った時に捕り方に囲まれた闇太郎の六尺棒での立回りも見逃せないところだと思います。

橋蔵さまの作品は、モノクロ映画も古臭くなく、今見ても十分受け入れることが出来ます。

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作品から立回りの変化が見えてくる  #2016.4.19

熊本地震から明日で1週間になります。毎日地震警報が入ります。
今も入りました、この音を聞くとドキッとします。
これから何処にいつ同じことが起こるか分からないようです。
一日一日を有意義に過ごすようにしなければなりませんね。

地震のこともありまして、橋蔵さまの作品の感想も控えていましたが、すみません、再開させていただきます。

今回の私の橋蔵さまの作品についての投稿はちょっと暗いものになりますが、ごめんなさい。
橋蔵さまのファンならこういう映画も評価しなければならないと思います。それは、今でなくても良い、のちのちそのかまえが出来た時でよいと思います。
どうしてこういう時代劇になって来たのかという変化が見えて来た1960年代についても頭に入れておいた方がよいと思います。
橋蔵さまの1963年の作品あたりからの立回りを見ていてお分かりになっていると思いますが、流麗、颯爽、というものがなくなってきていることの理由が分かると思います。

今月東映チャンネルで明日も放送があります「幕末残酷物語」。去年も何回か放送がありました。ちょうど橋蔵さまのお誕生の日にも放送がありました。
この作品橋蔵ファンとしては嫌いなもののランクにはいると思うのですが、意外と放送するんです。
普通は出来るだけ何回でもリアルタイムで観るようにしている私ですが、この作品は依然に一回見て最後が最後だけに(強烈なので)、私は脳裏にしっかり焼き付いてしまっているので、暫くは見ないかもしれないなぁ。

斬首シーンはリアルでここまで描いた東映映画はないと思うし、最後のシーンもまさか主人公をこんな風に✖✖とは誰も思っていなかったと思います。
と、言ってこの作品について書いているのですから、人の心というものは・・・
後味はわるいですよ。ですので、画像は今回なし。

(感想を書くにあたり、今回テレビ画面では見たくないので、PCで動画で1本まるまる配信されているので小さな画面のを見ました。見る勇気のある方は中国配信の動画ですがどうぞ。)

「幕末残酷物語」は1964年制作、1963年に錦之助さん主演、今井正監督の「武士道残酷物語」が上映され賞を撮っています。「武士道残酷物語」はオムニバス形式なので、見ていても目をふさぐと言うまでは、私はありませんでした。
多分これの誘発もあったと思います。

橋蔵さまが映画界の流れで会社の方針でこういうものにも取り組んだということ、二枚目を捨てて、すっぴんでここまで演技をやらなければならなかった時勢を、受け入れて見てほしいと思っているのです。
橋蔵さまは自分の進む道の助言をいただいていた方からも、絶対に汚れ役はやるな、と言われていました。
その通り橋蔵さまは、後にご自分の持っている魅力を発揮できる場所へと移したのは正解でしたね。
時代の流れに流されず、橋蔵さまはテレビと舞台で華やかに人気を落とさず芸の道を生き抜けた人です。
ご存命でしたら、ご自分でも、白髪の鬘は絶対にかぶらないとおっしゃっていた方ですから、年を取ってもご自分の考えをちゃんと持って、その道を切り開いていった方だと思います。

「幕末残酷物語」は当時映画の評判は橋蔵さまファンにはよくなかったし、新選組の裏を暴露したような暗い作品だということであの加藤泰監督の評価もよくはなかったようです。しかし、橋蔵さまがお亡くなりになってからの1990年辺りにこの作品を見た人達の評価があったようです。
当時白塗りの橋蔵さまの若さま・新吾を期待してのお客様の欲求を満たすことが出来なかった作品が、「スター大川橋蔵がいなくなった後に、やっと時代を超えて評価を得ることができるようになった作品」といわれているようです。
橋蔵さまが、脱二枚目に挑んだ作品の一つになるんでしょうね。
いやぁ、残酷です、悲痛です。
橋蔵さまのそういう場面は嫌だというひとは・・・絶対に見ない方がいいです。
橋蔵さきの美しさだけを・・・という人も絶対見ないこと。
橋蔵さまの違った演技面、性格俳優的面を見たい、感じたい・・・という人はどうぞ。

江波三郎(実は木村庄三郎)は新選組に入隊を志願する。隊の異様な空気が弱々しかった江波をふてぶてしく変えていく。
屯所内で厳しい規律が守れない者を処刑する斬首を命じられるが初めはなかなかできなかった江波が、自ら斬首役をかってでるようになった。(省略→最後の場面へ)
その中で、下働きのさととの淡い恋心が救いであったが、斬首を平気でやるようになってきた江波をいやだというさとを無理やり犯してしまう。
長州軍勢との対決に向う朝、近藤に呼ばれた江波は長州の間者であることがわかってしまう。
芹沢鴨の甥木村庄三郎で、おじの敵近藤を打つために潜入したことを薄笑いを浮かべながら、新選組は非人情な集団と叫び近藤に斬りかかる。大勢の隊士を相手に傷を負いながらも破れかぶれの大暴れをして全身をめったぎりにされた江波の前に、近藤から言われた沖田が立ちふさがる。
庄三郎は「あんただって、新選組の異常さを分かっているはずだ。けれども人情にかられて、近藤らを正すことが出来なかったんだろう。」と剣を抜いた沖田に言う。
そのあと「だが、この世の中で一番くだらぬ・・・」と言いかけた庄三郎の首に沖田の剣が・・・庄三郎の喉を貫く。

さて、「幕末残酷物語」から見えてくるものが、立回りの変化だそうです。
それは東映でも立回りの特徴が大きく変わってきたことがはっきり出ているということだそうです。
立回りの変化を書いてある文章があったので、そこから抜粋し私なりに分かり易く端的に載せてみました。

1950年代時代劇は東映のように、歌舞伎の素養のあるスター達が独特のリズムで立回りを演じてみせていた。美しさと同時に力強さも兼ね備えた舞踊的あるいは様式的動きとして記憶されている。
カメラの捕り方も重要で、カメラはロング・ショット、「引き」のカメラで役者の全身の動きが捉えられて初めて我々はその運動の魅力を感じとることができる。
1960年代に入って「時代劇映画の王国」が、黒沢明の作品によって大きく揺らいでいく。
リアルな立回りを演出・・「血の流出」です。
立回りは、「血の流血」「身体の切断」「効果音」を伴って、過剰に展開される残酷描写を含んだものへと変化していく。
同時代制作者たちに衝撃を与え、東映の加藤泰監督もその一人。
加藤監督か影響うけた「幕末残酷物語」のラストの立回り場面でそれが分かる。

ここで主人公は大勢の相手に斬られ、最終的に刀で喉を一突きされて死んでしまうが、それまでに流血しながらも必死の抵抗をする彼の立回りから、かつての様式的なものと明らかに一線を画している(はっきり区別している)ことが見て取れる。
「幕末残酷物語」で描かれた血の流血や刀で喉を突き刺すようなショットは、1950年代まで東映時代劇ではなかった演出で、黒沢時代劇の影響を強く感じさせる。

残酷描写の導入により立回りの性質が大きく変化。
役者の全身の動きを見せる「引き」のショット → 身体のある一部分を強調して描くことも必要になり、「寄り」のショットへと。

立回りは見る人の好みがありますから、何とも言えませんよね。
舞踊的様式的立回りは一つのリズムの載って見ていて気持ちの良いもので、気分が晴れ晴れします。
そしてこの立回りは誰でもが出来るわけではないのです。素質のない人には出来ないことです。
この立回りができる人達が、1960年からの立回りをすることは、また違う魅力ができると思います。
しかし、「寄り」だけを重視して作る時代劇は、素質のない人にも出来るのでは・・と思うのは、私の偏見でしょうか。
それが、今の時代にずっーと沁みついてしまい、美的立回りを考えない、ただリアルでさえあれば演出でどうにでも出来るという考えだけで作っているから面白くないのではないでしょうか。

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暫らくぶりに50代の橋蔵さまと  #2016.8.18

暫らくぶりに、橋蔵さまのセレクト、トリミングをしようかと、50代の橋蔵さまを見つめてみました。
「沓掛時次郎」「鯉名の銀平」と。
「荒木又右衛門」は仇討ちものなので、セレクト作品はつくりません。
(長編ドラマについての筋書、感想文は後日にしますので悪しからず。)

長編ドラマといえば、
1981年4月から1984年までフジテレビが放送していた「時代劇スペシャル」の第一回が橋蔵さまの「沓掛時次郎」だったのです。それから、年に一度「荒木又右衛門」「鯉名の銀平」と出演されたのです。
私はこの頃は仕事で遅くまで飛び回っていたので、「銭形平次」でさえ見過ごしていたわけですから、長編ドラマはリアルタイムでは見られませんでした。
テレビでも時代劇不況時代がやってきて、時代劇スペシャルも1984年3月で打ち切られました。
好評だったら、「銭形平次」が1984年4月には終わるのですから、多分この年の5月にも出演の話は出ていたことでしょう。
でもそのころには、橋蔵さまはご自分の体力の限界を感じとっていたのではないかしら。(これは私が思うことですからね。)

橋蔵さまがやりたかった作品「鯉名の銀平」を三年後1983年5月にやれたのは本当に良かったと思います。この「鯉名の銀平」をやらずに終わっていたら・・・。
舞台でも1984年2月の新歌舞伎座でも「鯉名の銀平」をできましたし・・・最後の舞台になりましが、橋蔵さま一か月公演本当に頑張ってくださいました。
ありがとうございます、ファンとして感謝でいっぱいです。

橋蔵さまも倒れ、「時代劇スペシャル」の番組も、
こうして見てくると、橋蔵さまは映画の時代劇黄金時代からお茶の間で時代劇がまさに受け入れられていた時代に、娯楽という夢を私たちに与えて生きてきた方だったのですね。
テレビ界の時代劇が廃れていく様子を目にしないで逝かれたのは、ある意味で良かったのかも・・・です。

橋蔵さまは判断の鋭い方でしたから、「銭形平次」を終わりにするという話があった時には、舞台と舞踊の方への考えで重点をおいていたでしょう。
橋蔵さまと一緒に、真の楽しい時代劇はなくなってしまいました。

⛵ 「沓掛時次郎」映画で知られているのは(戦後)
1953年長谷川一夫主演「浅間の鴉」
1961年市川雷蔵主演「沓掛時次郎」
1966年中村錦之助主演「沓掛時次郎遊侠一匹」

沓掛時次郎というと皆様も雷蔵さんのものが印象にあるのではないでしょうか。
太郎吉をおきぬの親のところに預け、「やくざの垢を落としたら、きっと会いに来ます」と言って追う太郎吉を振り切って去って行く。

錦之助さんのは、おきぬと太郎吉親子を三蔵から頼まれ叔父のところに旅立つ日に、親子がいなくなってしまう。一年過ぎた高崎宿で門付けをする親子に再開するところから・・おきぬが死に太郎吉をつれ故郷の沓掛に向う。

長谷川さんのは原作に大体忠実に描かれているようです。
この映画は見たことがないので、一度検証してみたいな。

やはり、橋蔵さまの「沓掛時次郎」は長谷川一夫さんの線のものですね。
贔屓目ではなく、橋蔵さまの時次郎は素晴らしいと思いました。

🎩 ここでは、私が何度見ても、目が潤んでしまう好きなところを3ヵ所。

* 雨の中食べ物を調達に出かけ病に倒れた時次郎が目を覚まし、太郎吉の「何日経ったか知ってる?」との問いに「昨日からだろ」・・「そうか、3日も・・」
太郎吉がその間にちゃんの敵を討とうと話をしていた、ということを聞いている時の時次郎のおきぬと太郎吉を見つめる顔、目が何とも言えぬのだ。
橋蔵さまのうなされて寝ている顔・・綺麗で素敵です。

* 身重のおきぬのためにどうしても一両を・・と出入りの助っ人の話を受け出かけていく時、おきぬが帰ってきたら話があると、時次郎も話があるんだと。
おきぬが「待っています」と言い、差し伸べた手を握りお互いに見つめ合うのです・・橋蔵さまの表情から伝わってきます・・切ないですねぇ。

*おきぬが亡くなり太郎吉を連れての途中、追ってきたやくざを追い払い、おきぬの遺骨を手にした時次郎の耳に「ちゃん」という声が聞こえたような、・・そして徐に太郎吉を見た時「ちゃん」と太郎吉が。
抱きかかえ「太郎吉」と時次郎が言います。
橋蔵さま、やはり50代の風格ですね。ジーンときてしまいます。そのあとの言葉はいりません。・・・(涙が出てきてしまいました)・・・太郎吉を連れて歩いてゆく姿が・・・(私の心にとても訴えるのです。)

橋蔵さまの若い時の映画での泣きは、どちらかというと好きではないのですが、50代での泣きはじっくりと見いって涙を誘ってきます。

🌷「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」映画でしられているのは(戦後)

1951年長谷川一夫主演「月の渡り鳥」
下田港へ乗り込んで来た帆立の丑松を銀平が痛めつけている間に、お市と卯之吉を一緒にさせようとしたことを、銀はお市が卯之吉を好きだと早合点し旅にでる。
しかし、お市恋しさに下田へ戻る。卯之吉はお市が銀平と会ったのをしって、丑松に銀平を斬ってくれと言いに行って自分も捕まってしまう。銀平は丑松一家を叩き斬り、二人に仲良く暮らすようにいい、捕り方にひかれていく。

1957年長谷川一夫主演「雪の渡り鳥」
大鍋の代わりに銀平は帆立へ談判に出向く。お市の父は銀平は生きて返らないだろうと、お市と卯之吉とを夫婦の約束をさせた。銀平は、帆立一家との喧嘩の前にお市に会い本心を確めようとするが、お市が返事をためらったので、誤解した銀平は帆立一家へ乗りこんだ。助人にきた卯之吉から夫婦約束の話を聞き、銀平はそのまま下田を去った。
丑松から立退きを迫られ、夫の不甲斐なさにお市は・・。そこへ銀平が現れ、お市は三年前の怨みごとを言う。卯之吉は嫉妬し、丑松に銀平が戻ったこと話す。
丑松との戦いに苦戦している銀平を、卯之吉が銛で丑松にぶつかって行った。銀平は彼の身代りに雪の中を捕方に引かれて行った。

1961年市川雷蔵主演「鯉名の銀平」
銀平はお市の気持をたしかめようとしていたが、彼女ははっきりした返事をしない。下田港の縄ばりを帆立一家が狙ってきた。これを知った銀平は帆立一家との決闘の場所へいく。そこへ卯之吉が姿をみせた。お市と祝言をすませてきたと聞き銀平は嫉妬したが、危い卯之吉を救って姿を消した。
銀平が下田へ帰ってきた。お市と銀平があっていたのを見た卯之吉は、帆立一家にかけこみ斬りこんだ。が、しくじって海中にとびこむ。銀平がかけつけ子分どもを斬り払う。海からはいあがった卯之吉が丑松を倒す。捕り方を見ると、銀平は丑松殺しの卯之吉の罪を引きうけお縄をうける。銀平は、幸せに暮しなといって引かれていく。

大映の二作品は、
銀平からお市に好きかどうか聞くのです。
最後丑松に危ないところを助けられるのです。そしてお市と卯之吉の幸せを願って、卯之吉の代わりに捕まるのですね。
銀平は最後は捕り方にお縄になって行くというのが今までの作品です。

でも、橋蔵さまの銀平は、捕り方が待っているところまで見送るというお市に、お縄になる所を見られたくないと、ひとりで雪の中へ消えていきます。
最後、お市と卯之吉に、なんとも言いようがない微笑みをみせ、雪にかぶった椿が咲いていて雪が降りしきる闇の中をゆっくりと後ろを振り返りながら消えて行く銀平、
これで、テレビからは少しお別れしますという、橋蔵さまのメッセージのようにも私は受け取れてしまうので、涙で目が潤んできてしまい、橋蔵さまの姿が画面から消えても、呆然としてしまいます。

時々、50代の橋蔵さま作品をみかえすと、そのたびに、橋蔵さまの軌跡の素晴らしいことに魅了されてしまいます。

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