このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。
🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。
「美男の顔役」・・・②
舞台は変わって河内山宗俊の家になります。
さあ、勘美津の猛攻撃が始まります。
勘美津「女たらし、おたんちん」
市之丞「うるせえなぁ、俺が嘘つきかよ。おい、今になって謝るか、俺は一度だっておめえと一緒になろうなんて口はきかなかったはずだぜ」
飛びかかってくる勘美津に着物を上から押しかぶせると、
市之丞「落ち着くんだ・・。それに、おめえ、初めなんつった」
📎 このあとの台詞まわし、抑揚、振り、表情が可笑しくて可笑しくて、流石、橋蔵さま
市之丞「私だって水商売の女だし、金子市之丞様の奥方になろうなんて言いやしない。他に何人女がいたっていい、飽きがきたら捨ててもかまいやしない。
楽しい夢を10日でも20日でも見さいすりゃ私の気持ちがおさまんのよ~、なんて抜かしやがったくせに」
勘美津「その気持ちがおさまんなくなったのよ、だから結婚して~」
勘美津から言い寄られ市之丞の冷たい言葉がまた波乱を呼んだ。
市之丞「それじゃ、こっちがおさまらねえ」
いい加減によしてくれ、としつこくすがる勘美津を払いのけたから大変・・障子と一緒に倒れた勘美津が
勘美津「ちきしょう、薄情もの」と言うと、あるものを手当たり次第に投げつけ始めます。土瓶、茶碗、煙草盆、着物が飛んでくる飛んでくる。「嘘つき」
投げつけるものに当たらないよう、部屋の中を逃げ回る市之丞。
市之丞「だって、おめえ」「暴力はいけません」 (①の画像)
とうとう床柱にしがみついてしまいました(➁の画像)、勘美津は泣き出します。
直次郎「大変ですよ、お客ですよ、お客」
勘美津「また女でしょ」
直次郎「その通り、お玉が池の千葉周作の娘と言ってね」
📎(これは大変、鉢合わせ・・どうする・・金子市之丞。またまた女難です。)
📌 この時のセット風景
花園さん「こういう役はとっても楽しい」と大張り切り。
橋蔵さま「ひろみちゃんお手やわらかに頼みますよ」
床柱にもたれ悠然と構えている橋蔵さですが、風を切って飛んでくる灰吹き等を身軽にかわしながらも、心配そうに花園さんをけん制していたようです。
沢島監督は自分に被害がないので、花園さんにハッパをかけたそうです。
「せいぜい派手にやってください。騙された女の気持ちをぶつけるつもりで」「当たってもいいからもっと勢いよく 投げていいよ」
橋蔵さまは高く低く飛んでくるものを上手くよけ、花園さんはテストテストでふうふう。
監督の「はいOK、なかなか迫真的で結構でした」・・・お二人とも顔を見合わせてホッと一息。
市之丞が女難にあっている頃、河内山宗俊のところに福山藩用人竹内金次郎というものが、名の通った花瓶を探している、骨董の目利きが東西一と聞き、所蔵の品を分けてもらいたいとやって来ていた。
庭の片隅に転がっていた尿瓶を”夜の雨”と称して金五十両で売りつけていた。
さて、千葉周作の娘琴江が来た市之丞の部屋の様子は、どうなっているのでしょう。
市之丞、勘美津の時とはうって変わって神妙な面持ちです。
琴江 「市之丞様、私の気持ちを打ち明けた日から、父の道場へ姿を見せぬようになられました。そんなにこりの琴江がお嫌いですか?」
市之丞「いやぁ・・別に・・嫌いなどとは」
琴江 「それでは、あの、私を」
市之丞「いや、それは・・ しかし・・」
すり寄ってくる琴江に追い詰められて、逃げ場がなくなりました。
琴江 「そうですか、分かりました。市之丞様にもう決まった人がいるなら、父はもとより許しません。私は家を出ます。そばに置いてください」
市之丞「いや・・その・・」
琴江は市之丞の腕にもたれに寄り添って、
琴江 「いえ、私に飽きが来たら追い出してもかまいません。ただ、あなたのお傍で10日でも20日でも・・」
♧(どこかで聞いた台詞ですね。)
市之丞「初めはみなさん、誰でもそうおっしゃる」 (③の画像)
もう、その台詞は聞き飽きた、という表情をする市之丞です。
<次に続く>
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「美男の顔役」・・・①
3月「大江戸評判記 美男の顔役」の放送も終了しました。
この作品大好きなので十分にゆっくりと書かせていただきたいと思っています。
橋蔵さまの良さが詰まった作品なので、見ていない方には知っていただきたくて。
旗本くずれのやくざ浪人金子市之丞の哀愁、ひょうきん、真面目、等の場面がふんだんにあり、橋蔵さまの魅力が存分に描かれています。
一度に書くと画像が上手く反映されない時がありますので、時間の合間をぬって少しずつ投稿していきます。
今回は、台詞で攻めてみましたが、多くて読みずらいかしら。
私、台詞を読み取りながら、言葉と台詞まわしの勉強をしてしまいました。
河内山宗俊に関しては講談「天保六花撰」や歌舞伎天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)で有名なので、皆様ご存知だと思います。そこから脚色した、片岡直次郎の母が出世をした息子に会うため国もとから出てくるというので、河内山宗俊達が一芝居をうつ、という筋も映画化ドラマ化が数回なされていましたので、「あぁっ、あの筋書」とお分かりの方もいらっしゃると思います。
「美男の顔役」はその話を御家人崩れの悪名高い剣客、金子市之丞をメインで描いた作品です。
橋蔵さま演ずる金子市之丞、悪党で美男、女性に大もて。橋蔵さまのいろいろな表情が盛りだくさん、楽しく可笑しい中にも心を打ち、市之丞の母への思慕を織り込んでの涙が浮かんでくる人情ものです。
橋蔵さまの金子市之丞の母を想う演技に愛しさを感じてしまいます。
この作品は橋蔵さまの声の抑揚の使い方、台詞まわしのうまさがよくわかります。表情も良いです。武士としての台詞に品位があり、うまいなぁ。引き込まれます。
作品をご覧の方は、台詞から、橋蔵さまの表情や声の抑揚はこうだったと思いながら読んでみてください。
まだ、ご覧になっていない方は、台詞から、橋蔵さまの表情やこんな声で抑揚で、と想像していただければうれしいです。
立回りも橋蔵さま軽い感じで動いてゆきますが、ダイナミックで歯切れの良い格好いいチャンバラで決まっています。
監督は沢島忠さん、橋蔵さまで明朗活劇作品は「若君千両傘」以来になりますかしら。では、橋蔵さま金子市之丞「美男の顔役」に入っていきましょう。
片岡直次郎は水茶屋で、飛脚から母親が江戸へ出てくるという手紙を受け取り、河内山宗俊に相談しなければと慌てています。暗闇の丑松は身投げをした百姓彦六を助けるために飛び込んだが、金槌のため反対に助けられ意見をされています。同じ時、金子市之丞は・・・
川の桟橋に繋がれている屋形船のなかで、男(中野碩翁の用心村山源之進)が嫌がる小唄の師匠勘美津に言い寄っています。
そこへ、屋形船の障子が開き黒頭巾の金子市之丞が入ってきました。(バックに軽妙な音楽が流れこの後を・・するような)
市之丞「お楽しみのところ、とんだ邪魔入り、恐縮旋盤」 (①の画像)
源之進「なに奴じゃ」
市之丞「この女の亭主でござる。如何に拙者のような浪人とは申せ、女房を手籠めにされて、そのまま打ち捨ておくにはまいらん」
源之進「・・・」
市之丞ここで、にやっと笑い、砕けて、
市之丞「というのも、誠にもって野暮なはなし。(➁の画像)下世話にも、間男七両二分という言葉がござるそうだが、拙者もあいにく手元不如意の折から、 金五十両にて目をつむってもよい」
ここで「美人局(つつもたせ)」という言葉が出てきます。
時代劇を見ている皆様はご存知、徳川時代には不義密通はご法度で、密通の者は男女ともに死罪になりました。とはいうもののこの法には裏があり、実際には金でカタをつけることも多かったようです。間男のほうから命乞いがあったときには、相手の男に大判1枚の首代を支払えば、どうやら命は助かったよう
です。
文化年間の書物『金曽木(かなそぎ)』に、「江戸には姦夫の償を金七両二分といふ。大阪にて五両と云もおかし」とあります。これが「間男七両二分」という言葉の由縁らしいです
川柳「据えられて七両二分の膳を食い」という句があります。据え膳に応じたら、夫婦共謀での示談金を巻き上げるいわゆる「美人局」だった。この様に命がけの不倫も幕府にわからなければ金になると、金儲けの材料に利用する者が続出し、天保期には幕府の取り締まりが厳しくなったようです。
源之進「う~ん、おのれ夫婦共謀の美人局だな。その脅しに乗る拙者と思うか」
市之丞に抜き打ちで刀を振りかざした村山であったがねじ伏せられて、懐から財布を取り上げられてしまいます。
「おっ」財布の重さを手に乗せて重さをはかり顔をしかめて
市之丞「身分の地位のと、ごていそうな口を聞きやがったわりには、しけてやがるぜ」
財布を懐に入れて
市之丞「やっ、ご無礼つかまつった」 (③の画像)
バカ丁寧な挨拶を残して、屋形船を出て行きます。 (悪いことをしても、最後の挨拶は忘れない金子市之丞でした。)
🍀この時の橋蔵さま
「悪人といったって根は純情なんですよ。愛される悪人、というのが、金子市の狙いなんですよ」、と。
この場面カット後、「どうも、後味が悪くていけませんやね」と。
花園ひろみさんも「ほんとね」と美人局のお二人が言っていたそうです
🐧(こんなように素敵で粋な浪人に惚れていたら、どうなろうと美人局の片棒かついでしまいますね。)
勘美津は金子市にぞっこん惚れているから片棒をかついでいるのに、金子市之丞が言い寄ってくる女の一人としてしか見ていないのに腹を立ててしまいます。
市之丞はお金を手に入れれば、女には用なし、勘美津には目もくれず帰っていきます。勘美津の気持ちは、これでは納まりません。金子市を追って練塀小路まで追いかけていきます。
この後、色男金子市之丞に女難が降りかかってきます。
<次に続く>
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📍 手元にある資料の中に、雑誌の橋蔵さまの撮影日記の一部分に、「まぼろし天狗」のことがありましたのでちょっと抜粋してちょっと書きます。
📍橋蔵さまの一日一日から撮影の様子と橋蔵さまの行動をなんとなく想像していただければうれしいです。
1962年7月「橋蔵のやくざ判官」封切り、1962年8月「まぼろし天狗」封切りでした。「やくざ判官」の撮影の終盤に「まぼろし天狗」の準備が進行していたようです。
6/11 「やくざ判官」のお白洲のシーン。厚い衣装の重ね着、裃袴に威儀を正しているこの暑さ、辛さ。一段高い調べの座から見下ろして気持ちがいいだろうねとみんなからいわれちゃったけど、お白洲でのんびり笑っている長屋の住人と交替したい心境でした。
6/11 午後からぎっしりのスケジュール、23時までかかる。家に帰りホッ
と一息ついたら13日にかかっていました。
6/13 何に当たったのか、どうも食あたりらしく、お腹をかかえて七転八
倒、とうとう仕事を休ませてもらう。一日中絶食、夜薬を飲んで就寝。
6/14 薬と絶食の効あり。今朝はすこぶる快調。絶食のせいか体重が減ったような軽々しさを感じる以外は以上なし。一日休んだので、今日は大いにはりきり深夜一時にアップする。OKのとたんにちょっとガックリ。早々に帰宅。
6/15 お休みです。昼過ぎから散歩がてらデパートを廻ったり、骨董屋さんを覗いたりする。夜月光で東京へ。
6/16 本社で、東映歌舞伎の打合せや次回作品のことを相談しました。
6/17 一日東京住まい。夕方から銀座に出て夏シャツなどを見て歩きまし
た。夜月光で京都へ。
6/18 9時からイレズミ、お昼開始でオープンの大立ち廻りです。カラッと晴れたのはいいが、まるで真夏 のよう に凄い暑さです。このセットで50人からの捕手を相手にオープンを狭しと駆けまわるんですから大変な重労働、 脚力には相当自信がある方なんだけど、テストテストでフラフラになっちゃった。一部を明日に廻して、次回作のズラ合わせと衣装合わせをして帰る。
お風呂から出てきたら足がガクガク、オツカレさまでした。
6/19 9時開始でオープンの立ち廻り、またもや右に左に、牛若丸のように大活躍(ちょっとバテ気味でした が ネ) やっとお昼過ぎに一段落。15時から、お白洲の取り直し。
もう少しお賑やかに、ということで 立ち廻りが追加されたんです。
6/21 1時から自宅で、中川組「まぼろし天狗」の本読み、中川監督と打ち合わせをしました。そのあと雑誌のお仕事で写真を撮る、夕方から松竹座で映画をみて、食事をして帰りました。
6/22 お昼から衣装合わせをする。
6/23 自宅で本読みと衣装合わせをする。いよいよ明日からクランク・インです。
6/24 9時開始で「まぼろし天狗」の初日です。シーンは、ボクの周馬が刺客団に襲われて逃げるところ、初日から追っかけられて大汗をかいちゃいました。夕方、スタッフの人達と夕食をご一緒する。
6/25 11時開始、今日は喬之助の方、お美代の2階で、北原しげみ君の女将お美代とやりとりします。終わってから台本の直しについて打合せ。
6/26 9時開始、細い崩れ落ちそうな橋の上で、不気味な按摩との凄絶な立ち廻りを撮る。すれ違いざま、仕込杖から白刃をひらめかして斬りつける按摩を一刀の下に切り倒します。(2枚の画像のところ)
短い時間ですが、新しい殺陣らしくスピーディーでスリル満点の立ち廻りでした。17時から、マキノ組「やくざ判官」のお白洲の撮り直しをやる。
6/27 10時半開始で定時に終わり、早めに帰宅、せりふの勉強をして就寝。
6/28 9時開始、盛り場の裏セット。マコちゃん(桜町弘子さん)のお艶を相手にホドの良いところをみせます。というのは、ボクの二役のうち周馬にホレているお艶を、周馬に化けた喬之助(ややこしいです)が騙すくだりです。演技とはいえ女性を騙すということは心苦しいかぎりでした。
6/29 9時開始、闇の道でやくざに襲われるところ、さっさと掘割に叩きこみ「そこでしばらく頭を冷やせ」グッときちゃうセリフでしょう。心身ともに快調です。
6/30 9時からお仕事、今日で6月もお終いです。
一月なんてアッという間に経っちゃいますね、梅雨ももうすぐあけることでしょう。じゃ皆さん来月までお元気に。
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周馬が目障りと「闇の御前」は葬るように指示。
按摩を装った刺客が橋の上ですれ違った喬之助を襲う。
🐧この作品の第一の見せ場になっていると思います。この場面は何度も見たい箇所です。
この場面については、あとに書く橋蔵さまの撮影日記に出てきます。画像はそちらに載せました。
喬之助は周馬になりすまし、矢場のお艶に会いに行く。お役御免になった今「闇の御前」の仲間になると言い、「闇の御前」の屋敷に案内してもらうように。お艶は本物の周馬と思っている。
お艶 「八丁堀の旦那だったら、いくらでも役得があるのに」
喬之助「と、今から思ってみてももう遅い。ところでお艶、相談があるんだ」
お艶 「えっ」
喬之助「わざわざ危ない思いをして、お前を訪ねて来た意味がわかるか」 (①の画像)
お艶 「旦那・・・じゃ、あたしたちの仲間に」
喬之助「こうなったら、地獄でも何処でも落ちてやるさ」
お艶 「旦那、ほんとっ」
喬之助「嘘を言っても始まるまい」
お艶がそうと決まれば闇の御前の許しをもらわなければと
喬之助「闇の御前?」
🐧この着流し、橋蔵さまだから似合います。
お艶の悲鳴が聞こえたので、屋敷の扉を開けると そこに「闇の御前」が待っていた。
もっと近くへ来るようにと言われ、用心をしてすり寄って行った時、すり寄るときのかまえといい、肩の動きも左肩を打たれているのに左右同じだと、周馬出ないことを見破られ、地下牢に落とされてしまう。
地下牢に落とされたお艶がいた。
周馬がずっと好きだったお艶は、こころの中を告白し、ちょっとでいいから抱いてほしいとすり寄った。(➁の画像)そして肩に触れた時、肩に傷のないことがわかる。(③の画像)
🐧ラブシーン?といえるのはこの場面だけになります。
「旦那は・・・守屋の旦那じゃない」
🐧またまた、この着流し、橋蔵さまでなければ着られません、いいでしょう。
いっぽう周馬は喬之助の妹志乃から二人は兄弟ということを、また「闇の御前」の本拠地に乗り込んだことを聞かされ駆け付ける。
1961年ごろから、橋蔵さまの殺陣、立回りは、流麗なところに力強さが加わってきたので、素晴らしいです。見ていてスカッとします。
田沼一味が麻薬を籠で運ぶ所を清吉達が押え、喬之助と周馬は「闇の御前」と呼ばれる首領を暴き、晴れて兄弟揃ってこれからの門出・・・というところで終わりになります。
中川信夫監督は時代劇の怪談ものでは独特の映像で見せるテクニックがあった人のようです。この「まぼろし天狗」でも抑え気味ですが、無気味さ、荒れた屋敷のセットなどに生かされています。
橋蔵さまとの作品はこの一作品でした。時代劇が衰退していなければ、もっとおもしろい作品が見られたかも・・・。
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筋書は二の次、橋蔵さまを十分に堪能できる作品の一つ「まぼろし天狗」です。浅川喬之助が良い。天狗屋敷と呼ばれている屋敷の旗本だが、着流しが粋である。
🐧その着流しの柄・・・橋蔵さまでなければ着こなせないですよ。
周馬をねらう賊と橋の上での太刀さばき、終盤の立回りは、さすが橋蔵さま!!
1962年ごろは橋蔵さまの魅力が輝いていた時です。
それだけに、東映の、いや時代劇が衰退しきってしまって、大衆的娯楽映画がなくなって来た時になってしまったことが悔しかったですね。
田沼意次の屋敷で余興にふけっていた時、その中の女が突然苦しみだし田沼邸から連れ出され井戸に落とされようとして斬られたところへ町奉行与力守屋周馬と目明し明神の清吉が通りかかった。女は麻薬患者で「闇の御前」と言って息絶えた。周馬は途中増上寺の五重塔に忍び込んだ盗賊を取り押さえようとする。
周馬「きすぐれの仙吉だな。増上寺五重塔を仕事場に使うとはさすが悪党だ。(①の画像)そこで何をしてきたか察しはついている。神妙にしろ」
取り押さえようとした時、お艶の短銃で左肩を撃たれる。
刺客一味に取り囲まれ、逃げこんだ店で、天狗屋敷で知られる旗本浅川喬之助に助けられる。店の2階に覆面の男達が押し込んで来た。女将お美代に
喬之助「何だこの連中は?」
お美代「そうなんですよ、勝手に誰かが逃げ込んだなんて言って押し入って来
て。」
覆面の男「失礼ながらお手前は。」
喬之助「あっはっはっは・・こいつはとんだご挨拶だな。そういうあんたは、
どこの誰だ」(➁の画像)
男達が出て行ったあと、天井裏に隠れていた周馬を、撃たれた肩の傷が痛々しい。
喬之助「れっきとした十手を持っている与力が、また何で追われたりなすった
んだ。」
周馬 「・・・」」
喬之助「ご厚誼がどうのこうの・・そんな気がねなら抜きにしてもらって結構
だ。俺は直参旗本には違いねえが、・・暗闇坂の屋敷に行ってみれば
すぐ分かることなんだが・・どうだい話してくれねえか。」(③の画像)
二人は瓜二つ。喬之助は周馬が忘れて行った印籠を見て兄弟であると・・。
喬之助は周馬の見代わりになって清吉と「やみのごぜん」を探し出すことに。
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忙しさの中ちょっとの間ですが、時間ができました。
そこで楽しい作品を見ればよいのに、重苦しい「天草四郎時貞」をどういう訳か見てしまいました。橋蔵さまファンである私ですが、理解できない作品です。
今月の東映チャンネルは前にも書きましたとおり、またまた「天草四郎時貞」の放送です。
まだまだ橋蔵さまのよい映画があるのにどうして・・・。
私の場合橋蔵さまの見たくない映画のベスト5のトップにはいるものです。
大川橋蔵さまは時代劇スターとして夢を与えてきた俳優です。時代劇が廃れはじめ時代も60年代は殺伐とした時代になっていき、それに準じて時代劇映画も画面が汚い?ものが流行るように変わってきました。風向きが賞取りの作品の方に向き、それについて行かなければ生き残れなくなってしまう。
その渦の中に、東映の方針と年齢的にも帰路に立っていた橋蔵さまが、当時松竹を離れた20代の大島渚という監督に希望を託した映画が「天草四郎時貞」だった?
時代劇を手掛けるのは初めての大島監督、やはり松竹で描くものとは違い、時代劇の戦いの場面を描くは下手、俳優の魅力を生かせない。
いやと言いながら私は今月も見てしまっていますが、何回見てもあのアングル、あのセリフ等、理解しがたいのです。話の流れというものが分からない。
60年安保闘争敗北後の民衆の心境を反映した演出だということであったらしいが、戦いの最中に戦術がどうだこうだと机上の空論だけで動きがなく、グタグタと台詞だけで動きがない。見ていて重苦しいだけで。
東映の時代劇は娯楽時代劇時代のような、それでなければちょっとあとの集団抗争時代劇のようなものでなければ、見ていて映画にのめり込んでいく迫力がない。
そして、橋蔵さまで四郎時貞を撮るのであったら、違った撮り方があったのでは。
四郎時貞は10代では? ノーメイクの橋蔵さまで撮らなければいけなかったの?
カリスマ性をもっている四郎は描かれていない。二人の女性の愛もこの中になくてもいいようなお粗末さ。
橋蔵さまで撮る必要のない映画だったと思います。OKを出した東映も何を考えていたんでしょう。
この後、東映時代劇は行く方向を見失っていきましたね。
この映画の撮影の途中から「恋や恋なすな恋」の撮影に、そのあと「橋蔵のやくざ判官」「まぼろし天狗」と橋蔵さまらしい作品が続きましたから、橋蔵さまもファンも気分一新出来たでしょう。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
「若様やくざ」から私の好きなところから・・(B)
①鶴江と暫らく別れることに、髪についた葉っぱを取ってやる鯛平、別れがたい場面です。
②鶴江を救い出し、鼠小僧三郎吉が鯛平からの言葉を鶴江に伝えた時の表情、この後
ウィンクをしますよ。
橋蔵様は、きゅっと口を結ぶとえくぼができるのです。
この映画の中、えくぼができる場面がいっぱいありますよ。
③町人に身をやつし香炉を再び探して帰ると、殿様の格好から着流しになり、籠を見送り「すまねぇな」と言って江戸へ向かう誠太郎です。
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「若様やくざ」から私の好きなところいっぱいあるのですが、少し画像アップしました。・・(A)
①掃き溜め長屋で目明しのキズ源に名前はと聞かれ「鯛平っていうんだ」と。
②めしやぐず六で朝飯を食べているところの橋蔵扮する鯛平の食事場面。
とっても可愛いでしょう、そして何とも言えない品があると思いませんか。
私、こういう何気ない動作と表情場面好きなんです。
③ぐず六の看板娘お雪は鯛平に大サービス、鯛のお雪に見せる表情
いい男にこんな表情されたら、お金を持っていなくてもサービスしちゃう気持ちわかりますね。
前に座っている阿部勘さんは待遇が違うので怒っていますよ。
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今年最後の私の橋蔵さまの作品についての投稿になります。
「若様やくざ」この作品、東映チャンネルは昨年12月にも放送しました。私は12月25日にこれを見て楽しい気持ちで新しい年を迎えたように思います。
今年も、29日にまた放送がありますから、楽しく明るい気持ちで翌年を迎えられることを望んでいます。
一年前にやったものをまたすぐに放送、珍しいですね。
原作「おとぼけ侍」からのごく軽い感じのライトコメディー風時代劇です。
この種の作品はドタバタ喜劇に陥りやすい為、軽い芝居の中にも時代劇の枠から外れないある種の風格をもった作品にしようということなったようです。
橋蔵さまも堅い作品ばかり(赤穂浪士、富士に立つ若武者、月形半平太等)が続いたので、くだけたものがやりたかったと言って、ご本人も楽しくやっていたようです。
ストーリーは、千鳥の香炉と呼ばれる将軍家からの直々に下賜された宮津藩の家宝をめぐってお家断絶を策す風早一派が鼠小僧三郎吉に香炉を盗ませたところから物語が始まる。橋蔵さまの松平丹後守の一子誠太郎が鯛平という遊び人になって、千鳥の香炉の行方を求めて江戸じゅうを探し回る痛快娯楽時代劇。
気楽な遊び人鯛平(二枚目半とおとぼけぶりがいい)⇒颯爽とした着流し侍(きりっとしていて頼もしく剣もたつ)⇒若殿様誠太郎(江戸の掃き溜め長屋へ戻るため画策をして鼠小僧三郎吉に千鳥の香炉を・・)⇒江戸に戻る誠太郎(「すまねぇな」とにこっとして着流し姿で江戸へ・・)と変化する橋蔵さまが楽しめる作品です。
挿入歌が楽しい。
ベートーベンの有名な”ジャジャジャジャーン”で始まり、飲み屋の2階の一室で鯛平がいざよいお吉にお酒を飲まされるところで”酒は涙か溜息か”、鯛平いや誠太郎が浪人姿で鶴江を助けに行くところで”海行かば”などちょっとしたところに挿入歌が使われています。
阿部勘が雨の日に雨漏りする屋根から傘を差して外を見ながら、「・・おまえを待てば雨がふる、濡れて来ぬかと気にかかる・・」と、”有楽町で逢いましょう”の替え歌で。
そして、鯛平が懐に入れている財布の小判を推し量らうときや最後の”おしまい”に吹き出しを使ったりと面白い技巧を使っています。
あの頃、幸福の手紙が全国に流行りましたね。この手紙が届いた人は次の人にまわさないと不幸になるとか言って、ね。それがこの香炉がいろんなところへ行ってしまう始まりに使われています。
いざよいお吉の家に幸福の手紙が投げ込まれ、鼠小僧三郎吉が幸福の手紙を香炉に巻き付けて次に回したから香炉があちこち行ってしまうということに。
📯この作品の監督とは橋蔵さまは「花吹雪鉄火纒」を撮っています。この作品から4年前です。4年ぶりの河野寿一監督は橋蔵さまの進歩ぶりに驚いたと言っています。
🎩「芝居が上手くなっているのは当たり前ですが、如実に現しているのは、立回りにうまみが出たこと。
かつての橋蔵の場合、立回りとそれら諸々の芝居とを比較した時、どちらかと言うと立回りの面で美しいが、いま一つの迫力がかけることがあった。それがここ2、3年のうちにここまで上達するとは思わなかった。
日本舞踊の美しい線と、激しい気迫が立ち回りに一つの味わいを出してきた。
欠陥とも言われた腰のきれを、よくマスターして流麗な動きを見せてくれたのには、すっかり驚き入ったものだ。」とおっしゃっています。
🐧 (「富士に立つ若武者」「月形半平太」の立回りは確かに今までの橋蔵さまのたちまわりに凄さ迫力が加わり、斬るときに体が流れないし、力強いし、橋蔵さまの場合斬ったあといったん止まるポーズ(見せるポーズ)が必ずあるのですが、それにも凄さと綺麗さが一段と加わり、見ていて気持ちがよいです。)
「若様やくざ」での立回りも切れ味がよく綺麗で素晴らしくスカッとします。
ラストちかくの浪人姿の時の髷は橋蔵さまがメークアップの人と相談して創案してのニュースタイルで、きりっとした中にも江戸っ子若様らしい粋があって素敵です。
🐧 久保菜穂子さんのいざよいお吉との飲み屋の一室でのお酒をすすめられてお金をスリ取られてしまうシーンを撮り終えて、「ラブシーンは沢山やったけど、こんな爽やかなラブシーンははじめてです。いいですね」と橋蔵さま。
しかし、大川恵子さんの鶴江が”侍の娘でなくてもいいと思っています”と町人の鯛平に大胆な告白をします。鯛平も鶴江を愛しています。
鶴江からのプロポーズの言葉に「それも、一つの生き方かもしれねえな」と。
この時の橋蔵さま、こういうおかたいラブシーンは苦手なんです」と頭をかいていたそうです。
🐧ちょっと横道にそれますが、橋蔵さまは、あねご肌の女優さんとの絡みがとってもリラックスしていていい感じだと思いませんか。淡島千景さん、久保菜穂子さん、青山京子さんなどの女優さんとの共演ものは橋蔵さまはリラックスしてご自身の魅力を発揮できているように感じるのは、私だけでしょうか・・違っていたらごめんなさい?
雑誌からの「若様やくざ」3ポーズです。
雑誌からなので、それぞれ色が違うのはご勘弁願います。
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若君千両傘⑧
知らない方がよいのかもしれません。でも橋蔵さまがこの作品の時頑張ったことを少しでも知っていただきたくて書かせていただきました。
私は、この映画の題名を聞くと、どうしても脳裏をよぎってしまうのです。
「若君千両傘」の撮影、途中休止になった出来事を・・そして「本当に本当によかった」と思います。
当時の4大スターと付き合いがあった、中でも個人的にも深かったのが橋蔵さまだったという渡部保子さんも書いていますが、
33年9月号大川橋蔵写真日記のなかに、手の怪我で刀が握れなくなり1か月も撮影を休んだことが書かれています。橋蔵さま自身は、「転んでビール瓶のかけらで切った、自分の不注意」と話しています。
が渡部さんは、それは表向きの公式発表で、本当は芸能界独特のいやな裏話があったことを言っています。橋蔵さんは2か月位刀が握れなかったはず。
当時、橋蔵さまこう言っておられました。
「5/23夜、仕事を終わり食事の帰途、旅館付近の暗がりで、アスファルトの打ち水に、ラバーシューズをスリップさせ、運悪く瓶のかけらに右手をついて手のひらに負傷をしてしまいました。
右人差し指の筋が切れていたということで、いささか慌てたが、幸い手術の経過は良好、5月30日に抜糸をし、6月中休めば今まで通り立回りも可能との明るい見通しです。
7月そうそうから「若君千両傘」を引き続き撮影し中旬には終了、スクリーンの上で7月末にはお目にかかれると思います。」
橋蔵さま「痛くて眠れなかった」日があったようです。
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