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明後日も楽しみです

こんばんは。

今年の6月からは、仕事の日程も順調なので、
6月、10月の拾得ライブに続いて、
11月2日の、マルコハウスライブにも行けます。

ここは、拙宅の近所です。
これまでは、勇造さんのライブと仕事がなぜか重なってしまい、
くやしい思いを続けてきましたが、明後日は、やっと念願がかないます。

ライブハウスではなく、一般の飲食店なので、
調子に乗って大声を出さずに、勇造さんの歌声とギターを
静かに味わうつもりです。

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「マルコハウス」ライブ、濃いけど気持ちの良いライブでしたね。
タコちゃんのギターあが俺の声とギターに重なって、それもマイクなしの生で、ほんとに至福の時でした。
個人的な訳があって、また来年11月3日(頃)に「マルコハウス」でやります。
今から楽しみです!急に寒くなって来たけど、お元気で!

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BANDのみなさんの熱演をバックにした勇造さんの歌声に酔いしれた2週間後に、
マイクなしでの歌声とギタープレイを、至近距離で味わえた私は、
ホンマに贅沢至福の音楽体験をさせてもらいました。

オープニングの「背中」。ひさびさにライブで聴きました。
「この背中の春 4回の春を、ビルマへ送った菊の花 煮ても焼いても まだ足りん」
この歌詞に、「せや!(そうだ!)」と心から共感します。
私は菊の花は嫌いではありませんが、菊の花の「家紋」は心底大嫌いです。

「75歳の夏」。
「もし ひとつ夢がかなうなら、世界中の『いのち』が幸せになるように」という歌詞が、
メッチャ素晴らしい!
6月の拾得ライブでは、「ほんまやで!」と声を張り上げてしまいましたが、
今回はうなずきながら、「ホンマやで」と、心でつぶやいておりました。

「『ぷがじゃ』に人生狂わされた人たち」という勇造さんのジョークに苦笑しながら挙手した私は、同じく挙手した隣席の同年配とおぼしき男性と、「ぷがじゃ」について、しばし歓談しました。「天王寺ステーションシネマ」「トビタOS」「新世界国際」などの「名画座」についても、語り合いました。
「ぷがじゃ」は、私の人生を、実に豊かにしてくれました。
同誌に掲載されていたさまざまな情報や特集記事は、視野が狭かった私に、
「へぇ~、こんなオモロイことがあり、オモロイ人たちがいるんやなぁ・・・」
と感じさせてくれる、「文化指南雑誌」でした。
 私も、若い人たちに「このオッサン、オモロイやん?」と思ってもらえるような仕事をせなあかんなぁ…と思います。

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おはようございます。雨もようですが、お待ちしています!

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土曜日のライブ、ホンマ楽しみです!

こんばんは。
土曜日の拾得ライブ、ホンマに楽しみです。

今年は私の仕事の日程も順調で、6月29日のライブに続いて、
明後日も、勇造さんの歌声と、BANDのみなさんの演奏を楽しむことができます。

私はいつも、仲さんのギタープレイの「神業」を楽しみにしておりますが、
長年BANDを支え続けてきた、永見潤さんのドラミングも、耳に刻みつけたいと思います。

明日も、しっかり働いてメシを食い、明後日は「請福」を体にぶちこみながら、
ライブに酔いしれます。

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わざわざ大阪から、今回もありがとう!
大きな声の「米」、拾得に響いてましたね。
永見君とのラストライブ、
あんな風にみんなでプレイ出来て、ほぼ思ったようにやれて、今でも心地よい韻の中に居ます。

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昨夜のライブでも、勇造さんの力強い歌声とバンドのみなさんの絶妙の演奏に、
泡盛「請福」を「体にぶちこみながら」酔いしれました。

永見潤さんへの「送別ソング」のような「青函連絡船」、バンドのみなさんの楽器を歌詞に取り入れた「二階のおばさん」、
ご家族への愛にあふれた「唇かみしめて」「一番上の兄」に聴き入り、そして、「75歳の夏」の歌詞における
「ぶれない反戦主義」に、拳を握りしめて、「そうや!」と共感しておりました。

そして、「米」! ホンマ絶妙の選曲です。
無能政権のせいで、われわれ庶民が「主食」を食べられない惨状。
そして、懸命に米を作り続けて、運んでくれる人たち。
さまざまなことを考えながら、「米」を聴きながら、「コメぇ!」と
一度叫んでしまいました。

私は出勤前に、米をたっぷり弁当箱に詰めて、その上に副菜を乗せた弁当を、
 作っておりますが、明日の弁当づくりでは、「コメぇ・・・」とつぶやきながら、
「八十八の苦労が込められた米」を弁当箱に入れます。

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おわり はじまり

忘れられないライブになりました。
勇造さん!お見事でした。
少し感想を書きました。
新しい明日に期待します。

https://yamasaku.exblog.jp/33264647/

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さくらさん、心のこもったライブ・レポートありがとう!
最後の曲、「フォーエバーヤング」の時左手の指は仲くんの肩を叩き、右手の指はさくらさんが思っていたのと同じように、永見君の肩を叩いていました。すると永見君が手を伸ばして強い力で俺の肩をつかみました。「ああ、永見君もいろんな思いを今持ってるんやなあ」とその時思いました。強い力が嬉しかった!
すべて何事も始まり、そして終わる。
27年間の永見君との歌の旅は終わったけれど、これからもそれぞれの旅は続いて行きます。
それぞれのこれからの旅に幸多かれ、と今は思うばかりです。
永見君、長い間ご苦労様でした。
そして永見君が居たライブを聴いてくれた皆んな、ほんとにありがとう!

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東北ライブのあれこれ

今年も陸前高田ジョニーと、釜石メサに行ってきました。
今回は相方カンチも一緒です。
あの地に心血を注いで亡くなった「やなぎさん」を想う歌い手が3人偶然に集まり、勇造さんにお願いして歌う時間を作っていただきました。ありがとうございました。
お陰でカンチはなんだか一区切りがついたようです。

東北、最初の頃はなんとなく心落ち着きませんでしたが、少なくともライブの間は屈託なく楽しめました。

勇造さん!今日「往復書簡」が届きました。これでレポは完結です。

お暇なときによかったら。
陸前高田ジョニーから遡って見ていただけたら、わかりやすいかと思います

https://yamasaku.exblog.jp/

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質問

今さら感のある話かもしれませんが、あえて質問してみます。

かなり昔のこと(いつかはっきり覚えていないが「チャオプラヤ河に抱かれて」はもう出ていました)ですが「天安門」の曲を作っているが今回のコンサートには間に合わなかったとおっしゃっていました。

あの曲はその後どうなったか?またタイトルを変更し何処かのアルバムに入れられているのか、教えて頂ければ幸いです。

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近況

勇造さん、はがきが届きました。
僕は9月の末に目の手術の予定で、術後1週間は車の運転は禁止です。
もっとも今の現況ではトンネルの中で時速40キロ以上出すのは、両脇がぼやけいて見えるため運転が怖いです。
三陸道路はトンネルだらけ、手術しなくてもライブは今年も参加できません。
おまけに耳もよくなるどころか、聞きづらくなる一方です。

先日ジョニーに行ってきました。
市役所の震災の見学にかこつけて、バスに乗って正味二時間半で陸前高田につきました。
昔、渓流釣りの大会で気仙川に行ったときは5時間くらいかかったかな。
ジョニーは由紀さん一人でやるにはちょうどいい広さですね。
料理のほうはやはり「大盛ぎみ」少し残してしまった。

今年のお盆の台風5号の大雨は全国版で久慈が放送されました。
すごかったですよ。
市内のすぐ上流にあるダムは満杯、下流の川は橋げたの真下まで水が来ていて、雨は小降りになるがダムへの流入量はうなぎのぼり。
僕の家は川からそんな遠くありません。
お盆で帰省中の家族全員で隣町に生家に逃げました。
幸いに洪水までいきませんでしたが、2016年から三度目の大雨でした。
異常が日常になってきているようです。

世界中おかしくなっているのに、ウクライナやガザなどでは人間の愚かしい性が。
むかしの観た「猿の惑星」のラストシーンを思い出す。
海辺を馬で進んだ先にある破壊された建造物。自由の女神だった。

ライブの夜は後ろを向きながら前に進む、元気がでる夜になりますように。

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はがきを出すときに橘さんの顔が浮かびました。
大雨の時には心配してましたが、無事で良かったです!

由紀さんに会いに行ったんですね。今のジョニーは由紀さん一人でやるのにちょうど良い大きさですね。
移転の時に届いた手紙に「店は前より狭くなるけれど、体力を思えばちょうどよいかもです」と書いてありました。

こちらはジョニーの由紀さんとは11月1日に再会です。
こうして毎年秋に由紀さんと会うようになって、ジョニーでライブをするようになってもう50年。
今年も有恒君のことを思い浮かべながら歌ってきます!

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磔磔(たくたく)50周年記念番組

最近、勇造さんは拾得がほとんどだけど同じ酒蔵のライブハウス磔磔の50周年記念番組がBSフジで9月8日に放送された。
拾得のテリーさんも30秒?位インタビュー受けていた。
タイのカラワンもここでライブを行ったのを見に行ったな(撮影した人からVHSのコピーも貰った)。
確か海の始まりのフレーズ"水かぶり踊った男におおきに"は磔磔での出来事のハズ?
(昔は内部の入口横に水道の蛇口が有ったハズ)

ネットのTverで15日の23:59迄見れます「平仮名の"たくたく"か"磔磔"(←"はりつけ"で変換)で検索)」

PS.水島さんも元気そうで良かった

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年09月10日 16:14)

枚方の勇造ファンさん、ありがとう!

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土田会長

秋田県羽後町の土田会長お元気でしょうか、ふと思って検索したら由利本荘市内陸の横手町、羽後町に土砂災害警報が発令されていたようで心配に思いましたが、勇造さんの御加護で御無事のはずと信じております。

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勇造さん確認とご報告ありがとうございます♪

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ふるさん、バンコクから土田君に電話したら無事でした!
「うちは少し高い所にあるので、水はたまらづに流れていきます」とのことでした。
元ファンクラブの人が心配してます、とも伝えました。
無事で良かったですね。

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歌を作る楽しみ

かせたにさん、わざわざ遠くからライブへありがとう!
そして歌詞を深く聴いてもらって嬉しいことです。
「海の始まり」のあの部分、いままで指摘してくれた人はかせたにさんで二人目でした。

歌を作る時の楽しみの一つは、「これ分かってくれるかなあ、ここ分かってくれたら嬉しいなあ・・」という歌詞を作ることで、すべての歌にではないけれどこんな風に思って作った歌がいくつもあります。
例えば・・、いやこれは内緒にしとく方が楽しいかも。
でも1曲だけ。曲のタイトルは「センシミーナ」です。

バンコクは今雨期です。毎日1時間くらい雨が降ります。気温は高くても35までくらいまで。
新しい歌を作ったり、8月17日のバンコク・ライブの準備にかかったりしています。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年08月03日 20:00)

まだまだ若造

今年前半のツアーが終わって、久しぶりにほっこりしています。

うさぎさん、さくらさん、ラブ・レポートをありがとう!
じっくり、しっかり読ませてもらいました。
新曲「75歳の夏」がライブ前夜に出来たことが嬉しかったです。

75歳のこの時まで歌い続けて来れたのは、ほんとに皆んなのおかげです。
それと丈夫な体をくれた父と母に感謝です。
勇造バンドも当日の会場での音合わせだけで、良い感じのライブが出来るようになりました。
コロナでスタジオが使えなくなったことによる、怪我の功名(?)です。

ツアーしていると、年に4か所ほどエスカレーターもエレベーターもない駅に降り立つことがあって、
その時にはため息をつくこともあるけれど、「これも含めてツアー」と気を取り直して、ギターとスーツケースを持って階段を上り始めます。時々お持ちしましょうかと言ってくれる人が居て、ありがたいこと。

さくらさんが書いてくれていたように、デイランやニールヤングを想えばまだまだ若造。
先日訪ねたジャズ喫茶「嵯峨」のママは82歳でしっかり、しゃきっと現役。
これからもまだまだ、ライブとツアーを続けたいと思ってます!

※ジャズ喫茶「嵯峨」 北海道・八雲にあるジャズ喫茶の老舗。初めて歌いに行ったのは1967年頃。
先日訪ねた時に、ライブで訪れたミュージシャンの年表があったが、大学生バンドをの除くと、
山下洋輔さんが4回、俺が5回で最多だった。
「北海道の朝」は「嵯峨」ライブで言った時のことを想って作った歌ですぞ。

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そう、ラブですぞ、ほんとはラブ・ラブ・ライブレポートと打ったはずなのに。
近頃うちのコンピューターの変換、調子が悪くて、改竄と打ったら解散、裏金と打ったらまたかね、出るんです。
どうも気持ちを察するようで。
何はともあれ心のこもったレポートありがとう!
読んで憂苦図けられています。違う違う、勇気づけられています、です。

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え?「ラブ•レポート」?❣️
勇造さん!これ、誤記じゃないですよね?ですよね?

だそうだよ、うさぎさん❣️
うひひ。。。照れるね~!(*^^*)

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