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質問させて下さい

はじましてニャン太と申します。
早速ですが宗教にあまり詳しくないのですが、仏教=般若心経だと思っていたのですが、私の知人は浄土真宗なのですが、なぜ般若心経を唱えないのですか?気になっていたのでご住職様、解りやすい回答をお願いします。

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解りやすい説明で納得出来ました。ありがとうございました。
この様なホームページに巡り会えた事に感謝いたします。
ご住職様もお身体、健康には気を付けて益々の発展とご活躍期待しております。
ニャン太

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確かに、浄土真宗では般若心経を唱えません。何故そうするのか。主催人も正確な理由は分かりません。
何かあるはずです。推察してみましょう。ニャン太さん。自力と他力ということを聞いたことがありますか。自力は修行、他力は信心・信仰という風に考えることが出来ます。
自力は自ら精進して、仏の高みに到達する。お釈迦さまが説かれた教えはそうでした。だから、お釈迦さまは人々には出家を勧められました。日々の生活を修行一本に集中して初めて悟りに達する。お釈迦さまはこう考えられたわけです。
しかし、これでは全ての人が救われません。そこで、お釈迦さまが亡くなられて4,5百年たった頃大乗仏教運動が起こりました。つまり、誰もが実践できる修行方法があるのではないか。これを彼らは大乗つまり大きな乗り物に譬えました。
浄土真宗の教える浄土教もこれら大乗運動の一つとして起こりました。浄土教徒は観仏と言って、仏とその浄土をイメージする修行をして、仏と一体となることを目標としました。中国に伝わった浄土教もインドの地の方法を取り入れました。
しかし、日本に浄土教が伝わると観仏とともに、信心と浄土往生を目指す浄土教が生まれました。前者を法然の浄土宗、後者を親鸞の浄土真宗が担いました。
浄土真宗は特に信心を重視しました。つまり、他力を徹底したわけです。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんとこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」
この歎異抄の冒頭の一文は念仏行者のこころ持ちをよく伝えています。摂取不捨というところが眼目です。つまり、阿弥陀仏は念仏者を必ず救い取って、その願いを放棄することは絶対にない。
さて、ご質問の件です。浄土真宗の説く念仏は専修念仏と言って、南無阿弥陀仏の六字の名号のみを選び取りました。従って、他の教えは放棄したわわけです。
般若心経は自力で悟りに達することを説きます。
「観自在菩薩、深般若波羅蜜を行ずる時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。」
般若波羅蜜とは仏の智慧、つまり、仏そのものと考えて良いでしょう。般若心経は明らかに仏(般若波羅蜜)を目指して精進せよと説いています。
浄土真宗が般若心経を唱えないのは、般若心経が自力の行を説いているからです。理由は意外と簡単なものです。
ニャン太さん。お分かり頂けたでしょうか。うまく説明出来たようには感じられません。疑問点などご指摘いただければ幸いです。

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苦しみ

昔の悲しかった事、悔しかった事をしょっちゅう思い出し辛いです。
悪かった家庭環境や学校でのいじめ、社会人になってからの対人関係の失敗など。
自分の非もあるし。自己肯定感が低く、見た目の悪さなどで攻撃的な人間に目をつけられやすい。そのせいで馬鹿にされた事など頭ではしょうがない、これからそういった事にならないようと考えてるのですが色々な失敗や不快な思いがすぐに思い出されて毎日が辛いです。
そういった恨みや苦しみを捨てて、新しい出逢いなどをしたいと思っても出来ません。周りが憎いし他人が嫌いです。
けど救われたいし誰かに大事にされたいです。居場所が欲しいと思います。

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30代女子さん。苦しい胸の内、お察しします。仏教では「人生は苦である」と説きます。確かに、そうではあるけれども、凡人としては到底納得出来ることではありません。
仏教では、人はその行為(業)によって、死に変わり生まれ変わりして、永遠に苦しみの人生を繰り返すと説きます。これを輪廻転生と言います。
この考え方に立てば、今生の自分は生まれるべくして生まれたということになります。貴女が今まで体験した不条理なこと、全てが過去世と今生の業の結果ということになります。
何を運命論的なことを説くのだとお叱りを受けそうですが、仏教の人生観からすれば、これが真実・真理なのです。
仏を信じることが出来て、初めて、理解できる事柄です。信心の力によって、自分の人生が肯定されてきます。今生は過去世の悪業を転換して、より苦しみの少ない来世に繋げる一里塚です。
お釈迦さまは、弟子たちに善行を勧められました。まさに、これが悪業の転換法に他なりません。日常、小さなことでも善行を重ねてください。
そして、師匠を探してみてください。師匠の下で自分の人生に参じてください。必ず、納得できる貴女の居場所が見つかるはずです。
疑問な点は何なりと当方へ問い合わせください。

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復活してる

ご住職様お世話になっております。ボーイです。
お恥ずかしいながらライン作業中に突き指してしまい2日ほど事務所にて雑用業務を
しておりました。
今は回復しており通常業務をしておりますのでご安心下さい。
最近では週末に会社仲間と良く居酒屋にいって日々の疲れを癒しております。
掲示板が一時書き込みが出来ない時があり心配しましたが、本日は復活してますね?良かったです。
本日は沖縄の仕事仲間より泡盛を頂き一杯やらせてもらってます。

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人生とは

お久しぶりです。最近、人生とは何なのかということを考えています。なんのために生きるのか、別に今死んでも後悔はないなとか、そんなことを考えても答えはないという結論に至ります。なにか仏教的視点で答えを見つけられたらいいのですが。

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ご返信ありがとうございます。生きていく上で苦しみは必ずあるものであり仏に1歩でも近づくことが正解なのだとしても仏にはなれない。すると結局解決策などない。がんばれ。ということになりまよね?アドバイスを聞いた上でこのような批判的な意見を言ってしまい申し訳ありません

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仏教では、「人生は苦である」と教えます。しかし、若い内は到底理解できるものではありません。その一方で、迷いは若者の特権だとも言えます。にたまごさん。苦しみも迷いも当たり前のことと考えてください。
仏教は確かに「人生は苦である」と教えますが、その説かれた背景を知らなければ、本当に理解したとは言えません。人は何処から来て、何処へ往くのか。これを死生観と言います。仏教的(インド的)死生観では、人は現世の業(行為)によって、生き変わり、死に変わり、苦の人生を繰り返す。これを輪廻と言います。そして、輪廻の苦しみは永劫に続く。
これでは、たまったものではありません。
しかし、法華経では地涌の菩薩と言って、人は願ってこの世(娑婆世界)に出生すると説きます。人は誰もがこの願い、この自覚に立つ時、誰もが地涌の菩薩なのです。
仏(ブッダ)とは究極の人間存在です。仏のことは仏にしか分かりません。つまり、仏とは言葉を超えた存在です。決して、仏を言葉で理解しようとしてはなりません。
にたまごさん。人間何のために生きるのか。仏には成れなくても、仏に一歩でも近づく。そういう努力を続ける。これが仏教を学ぶ者の為すべき事と考えます。仏教を学び続ける中で答えは自ずと出てくると思います。健闘を祈ります。

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更新してるね

久々の更新ですね?
色々な方を救っているのですね?本来、宗教の役割は人を正しい道に導く事ですよね!
お忙しい中、平和の為、真実の為、皆様に愛の情報配信ご苦労様です。
見てますよ!応援しております。
お体だけは十分注意してお元気にお過ごし下さいね!

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飲みに行ってきました。

ご住職様お世話になっております。
先日、会社近くのオススメの居酒屋に行ってまいりました。
こじんまりした落ちついた雰囲気のお店で夫婦二人で切り盛りしていました。
特におかみさんが作るおでんが出汁がしゅんでいてとても美味しかったです。
美味しい料理と相まって緊張する事なく和やかな時間を過ごす事が出来ました。
殆ど悩みなど忘れて楽しく、将来の夢をお互い話合っておりました。
彼は中学、高校と野球に青春をかけていました。高校3年の最後の試合で選抜高校野球出場にあと一歩届かず悔しい思いをした経験の持ち主でもあります。
自分も工業高校の野球部に所属していたので、彼の気持ちは痛いほどわかります。
一回り以上、年が離れていますが、少年時代の気持ちは一緒ですね、人は見た目で判断してはダメですね?今となっては悩んでいた自分が馬鹿らしく感じてしまいます。
非常に良い機会を与えてくれた事に感謝いたします。お互い成長しながらお互いの夢に向かって行きたいと強く感じた日となりました。
これもご住職様のご指導のお陰かと思います。
自信も付き何だかやれそうな感覚で一杯でございます。これからも仕事、物の考え方を大切に頑張って参りますので引き続きご指導のほど宜しくお願いいたします。ありがとうございました。

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飲みにケーション

ご住職様、お世話になっております。
以前、ご指導頂いたとうり会社の先輩と飲みに行く事が決まりました!
昼休みにクラウドで同僚とキャッチボールをしていた所、丁度、隣に来て野球話が咲き3人で居酒屋に行く事となりました。
何から何まで上手く行って、怖いぐらいです。また報告いたします。
本日は秋刀魚と冷やしトマトで練習しております。
アリさんの言うとうり、著作の本はお守りかもしれない?

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座禅

お久しぶりですです。
私は最近坐禅に行きたいなと思っているのですが、都内でここがおすすめなどはありますか?

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お元気ですか?

お久~ぶり~でーす。アりです。
おじ様お元気にしてましたでしょうか??
私はやっと10月から本社(大阪)勤務になりましたーー。ラッキー☆
在宅勤務が多かった事もあり本社では全員で大掃除大会で大忙しの一日でしたよー
自分専用の机もちゃんとありましたよー、PCも新品のが置いてありました。
北海道、熊本、奈良、広島と転勤族でしたが、やっと落ち着く事ができます!
これも、御利益ですよね?最近見て無かったけど掲示板、大盛況ですね!
私には難しい内容でちんぷんかんぷんですが、大切なお守りなんです。
おじ様も元気そうで安心しました。報告まで

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作物を買った一人のファンですよ
私はお守り代わりに活用させてもらっています
因みに宝くじで何度か当たっています。そこそこの当選金額です
ご住職様もお身体にはお気をつけ頑張って下さいね

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おじ様?ご住職様の愛人なのかな?
当然、ファンも居るしお世話になる方も多いのでしょう
明日から通常業務です。今日は早めに就寝したいが寝れない、焼酎のロックで寝れるかも?
早めの出勤で朝定食を頂く予定です。少し酔ってるかも
おやすみなさい

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アリさん。仕事も子育ても順調のようで何よりです。当方、まだ札幌に居られるものとばっかり思っていました。西から東、転勤が続いていたんですね。今は、ほっとしているんではないですか。本社勤務は出世コースです。貴女ならきっと成果を出すことが出来るでしょう。必ず、仕事の上でも子育てでも御利益が出てきます。妙法十句にはそういう力があります。
おっしゃる通りです。確かに、ここ半年ぐらいで、掲示板への投稿が増えました。これも、アリさんが、ホームページ発足初期から応援してくださったおかげだと感謝しています。ただ、質問への回答を書くのは少々大変です。しかし、当方にとっては勉強になります。
アリさん。今後も、たまには当ホームページにアクセスしてください。そして、現情報告でもいいですから、何かあったら投稿してください。

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宗教戦争

初めまして紅葉と申します。
40代サラリーマンをしております。
仏家のホームページには度々、拝見をさせて頂いております。
特に時事ネタの憲法を考えるシリーズに感銘を受けました。
ここで質問なのですが、他国では頻繁に宗教戦争が起きていますが、なぜ日本ではそのような事にならないのですか?日本だけ特別なのでしょうか?よろしくお願いします。

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紅葉さん。やはり、舌足らずのようでした。ここでいう「宗教が怖い」という”宗教”は新宗教或いは新興宗教のことを指しています。これらの宗教は創唱者がいて、その創唱者の説く独自の教義あるいは経典解釈があって、しかも、その教義・解釈を信ずる信徒の集団がある。このような条件を満たした宗教を言います。天理教、大本教あるいは創価学会、立正佼成会、オーム真理教などです。これらを、宗教学者の阿満利麿先生は、創唱宗教と名付けておられます。対して、誰がいつどこで始めたのか分からず、人々は慣習的に先祖代々受け継がれている宗教を自然宗教と名付けられています。神道がこれに当たります。そうすると、既成仏教は自然宗教化した仏教と言えると思います。
何故宗教が怖いか。一般人(自然宗教徒)にとって、新興の創唱宗教は得たいが知れないものと見えるからです。特異な経典読誦や解釈、あるいは、密閉空間での信徒の集まり、強圧的な布教。昔の学会はそうでした。近くはオーム真理教がそうして自滅しました。オーム真理教なき今怪しい宗教は出ていません。
さて、次に、宗教と政治権力や経済的利益との関係ですが、宗教勢力は基本的には政治権力とは距離を置く方が多いと思います。権力と宗教の癒着は権力側が宗教勢力を取り込んだ結果が多いのではないかと思います。また、経済的利益は結果であって、金儲けのために宗教を始めるということはないと思います。金儲けだけを目的にすれば長続きしないのではないでしょうか。
また、紅葉さんのご指摘のとおり、日本人は一般的には争いを好まないと思います。新興宗教を警戒するのも争いの匂いを感ずるからです。争いを避けるために自己主張を控えるのが日本人です。しかし、世界の常識は違います。国際関係では国益を基本としなければ、他国に遅れをとります。国家としての自己主張に遠慮は禁物です。
最後に、宗教と戦争の件を取り上げます。アメリカのアフガン戦争が終わりました。この戦争は明らかにキリスト教とイスラム教の戦いでした。民主主義というキリスト教的な考え方をイスラム教徒アフガン国民は受け入れられませんでした。アメリカの敗退はこの事実を教えています。
先の大戦も、日本の国家神道とアメリカの国家キリスト教の戦いであったと捉えることも出来ます。
インドの対英独立戦争にしても、ガンジーのヒンディー主義とイギリスのキリスト教主義の戦いだったと言えます。
清末、政治動乱の中、太平天国の乱が起きました。この集団はキリスト教系の新興宗教で自ら武装し、占領地に独立国を作りました。清政府は外国勢力の力を借りてようやっと鎮圧しました。近くは、法輪功という新興宗教が共産党統治下にも関わらず拡がりました。共産党政府は徹底的な弾圧を加えて壊滅させました。共産党政府は太平天国の乱を想起したことでしょう。

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ご回答いただき、ありがとうございました。感謝しております。
日本でも少なからず宗教による争い事があったなんて知りませんでした。
それにしても流石、ご住職様だけあって知識の豊富差と解りやすい説明で納得できました。
程度の差こそあれ、その原因は政治権力や経済的な利害も複雑に絡み合っている場合があるのでしょうか?
人類の歴史における戦争の大半において、宗教が確かに一役を果たしてきたという点は否定できまません。
日本人は基本的に争い事を好まない人種なのだと感じています、正しい宗教による日本人の考え方が明るい未来をもたらす事もそう遠くない気がしてきました。
因みに私は宗教が怖いと思った事はないです。
自分は少し頭が固いのかな?掲示板、並びに仏家(HP)が益々、発展、成長する事を心より願っております。ありがとうございました。紅葉

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紅葉さん。当ホームページに度々アクセスしていただきありがとうございます。
さて、お尋ねの我が国における宗教戦争の件ですが、日本では、宗派争いと言った方がピタリとくるかも知れません。
平安時代末期から鎌倉にかけて、法然上人が念仏の教えを始めた際には、比叡山の天台宗は朝廷と結んで念仏教徒を弾圧しました。
室町から戦国時代には、浄土真宗に蓮如上人が出て、広く農民の間に、念仏が拡がりました。この集団は一向衆ともいい、各地の領主勢力と対立しました。特に、信長は一向衆に苛烈な弾圧を加えました。石山本願寺との抗争は特に熾烈なものでした。
しかし、浄土真宗の勢力は衰えず、徳川幕府は諸宗諸本山法度を制定して、仏教勢力の統制に乗りだしました。この制度は寺請制度とも言い、人民は必ずいずれかの寺院に所属せねばなりませんでした。つまり、全人民がどこかの寺院の檀家になることが義務付けられたわけです。各寺院は檀家の結婚、旅行の際には、寺請け証文を発行して、行政の一部を担いました。しかし、こうして、仏教教団は財政基盤が保証される代わりに、布教は禁止されました。仏教教団は魂を幕府に売ったも同然でした。
明治の文明開化は仏教教団にとって真の宗教の魂を取り戻すチャンスでした。しかし、仏教界はそうしませんでした。檀家制度は解体されず、各寺院は幕府の保護はなくなったものの檀家制度と墓地経営(墓守)に支えられて、その命脈を保ちました。
しかし、一方、明治時代には神道系の新教団が生まれました。天理教、金光教、黒住教などがあります。恐らく、これら教団の布教は仏教寺院と信徒の奪い合いという形で争いが生じたはずです。仏教と神道の宗派争いと言っていいでしょう。
さて、最後に、創価学会について、我が経験も踏まえて考えてみたいと思います。昭和三十年代から四十年代にかけては、学会の布教活動が最も盛んな時代でした。寺院に押しかけては、法論に挑むということは日常茶判事でした。一般人に対する布教活動も熾烈で、しばしば暴力的でもありました。その問題点を突いた「創価学会を切る」(藤原弘達)という書籍も発売されたほどでした。主催人もしばしば学会員と法論を交えた記憶があります。
そのような学会でしたが、2000年、自公連立政権が成立しました。以来、二十年余、連立政権は続いています。創価学会・公明党は国家権力の一部をこの間担ってきました。今、布教活動は低調のようです。かっての布教への情熱は失われたようです。学会による他教団との宗派争いはほぼ終息したのではないでしょうか。
真宗教団は寺請制度によって、生命力を抜かれました。学会も政権参加によって宗教的活力を喪失しました。
また、日本人には一般的に「宗教は怖い」という感覚があります。オーム真理教は結果的には自滅したのですが、一般大衆の宗教嫌いがそうさせたのかも知れません。つまり、日本人一般は宗教に警戒感をもっており、このような社会状況も宗教戦争が起こらない一つの理由かと思われます。
紅葉さん。説明が舌足らずになったようです。疑問点があれば、再度、問い合わせてください。回答が遅れたことをお詫びします。

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ネット情報から紹介します。臨黄ネットー坐禅会情報ー東京都 で検索してください。
当方のお勧めは上野谷中の「全生庵」(ぜんしょうあん)です。必ず、電話にて確認の上参加してください。坐禅の御利益あらんことを祈ります。

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お久しぶりですです。
私は最近坐禅に行きたいなと思っているのですが、都内でここがおすすめなどはありますか?

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