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親善試合

ご住職様お世話になっております。ボーイです。
季節も変わり肌寒い日々をお過ごしかと思いますが
体調管理には十分気をつけてお過ごし下さい。
さて昨日、野球部の親善試合があり6ー3で勝つこと出来ました。
私自信も選手として4打数1安打と勝利に貢献出来ました。
試合後に懇親会があり相手チームと一緒に楽しい時間を過ごさせて頂きました。
正直、人生で一番充実した日々を過ごして頂いております。
ご住職様には本当に感謝で一杯です。
短いですがご報告まで ボーイ

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無題

ちょっとした疑問なんですが、なんで仏教やイスラム教に戒律のない宗派がないことが厳しいと思わないのですか?

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にたまごさん。ご質問の趣旨は、インド仏教やイスラム教は戒律を重視するのに、日本の仏教は、何故、戒律を重視しないのかということですね。とりあえず、この視点に立って考えてみましょう。
まず、インド仏教ですが、この地の仏教は釈尊の開教以来、出家中心でやってきました。各時代、長者と言われる経済的スポンサーがおり、教団を支えてきました。大乗時代においても事情は同じで、基本的には出家者が中心でした。出家集団は基本的には組織の秩序維持のためににも何らかの規則が必要でした。この規則が戒律に他なりません。
イスラム教はコーラン全巻が戒律集のようなもので、信徒の日常生活の細部まで規定されています。確か、そのはずです。コーランの知識がないもので、ここまでとしてください。
さて日本仏教ですが、伝来のその初め、仏は異境の神として、強大な呪力の持ち主として捉えられました。日本の神を崇拝し廃仏を主張する物部氏は、仏教擁護者の曽我氏と対立しました。最終的には曽我氏が勝利して、仏教重視を掲げる聖徳太子の治世が実現しました。
聖徳太子は仏教を理論的に探究し、三経義琉(さんきょうぎしょ)を著しました。その後、最澄の天台宗、空海の真言宗が起こりましたが、国家安泰を祈る祈祷仏教でした。しかし、一方で、仏教の理論的研究は進展し、鎌倉仏教を準備しました。
平安から鎌倉時代にかけて新仏教が起こるのですが、その祖師方、法然、親鸞、道元、そして、日蓮らは皆比叡山・天台宗の出身でした。
これら祖師方は皆比叡山を下りて、大衆の中に入ってっていきました。大衆には戒律は不要でした。戦いが仕事の武士、魚や鳥獣を殺さなければ生きていけない漁師や猟師。そして、農民たちもまた殺生を犯さずして、生きていくことは出来ませんでした。つまり、日本の仏教は今ある庶民の生活をそのままに仏の救いを説いたのです。つまり、在家仏教と言うべきものでした。特に、浄土真宗は愚禿親鸞というように、頭を丸めた在家でした。
要するに、日本の仏教は信心・信仰を重視し、信心・信仰がそのまま修行というような傾向がどの宗派にもありました。浄土真宗に妙好人という篤信の信徒がありました。彼らは、まさに、生活即信心であって、誰もが認める篤信の信者でした。だから、妙好人と呼ばれました。彼らに、あえて戒律は不要でした。何故なら、生活そのものが持戒の生活になっていたからです。

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質問させて下さい

はじましてニャン太と申します。
早速ですが宗教にあまり詳しくないのですが、仏教=般若心経だと思っていたのですが、私の知人は浄土真宗なのですが、なぜ般若心経を唱えないのですか?気になっていたのでご住職様、解りやすい回答をお願いします。

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解りやすい説明で納得出来ました。ありがとうございました。
この様なホームページに巡り会えた事に感謝いたします。
ご住職様もお身体、健康には気を付けて益々の発展とご活躍期待しております。
ニャン太

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確かに、浄土真宗では般若心経を唱えません。何故そうするのか。主催人も正確な理由は分かりません。
何かあるはずです。推察してみましょう。ニャン太さん。自力と他力ということを聞いたことがありますか。自力は修行、他力は信心・信仰という風に考えることが出来ます。
自力は自ら精進して、仏の高みに到達する。お釈迦さまが説かれた教えはそうでした。だから、お釈迦さまは人々には出家を勧められました。日々の生活を修行一本に集中して初めて悟りに達する。お釈迦さまはこう考えられたわけです。
しかし、これでは全ての人が救われません。そこで、お釈迦さまが亡くなられて4,5百年たった頃大乗仏教運動が起こりました。つまり、誰もが実践できる修行方法があるのではないか。これを彼らは大乗つまり大きな乗り物に譬えました。
浄土真宗の教える浄土教もこれら大乗運動の一つとして起こりました。浄土教徒は観仏と言って、仏とその浄土をイメージする修行をして、仏と一体となることを目標としました。中国に伝わった浄土教もインドの地の方法を取り入れました。
しかし、日本に浄土教が伝わると観仏とともに、信心と浄土往生を目指す浄土教が生まれました。前者を法然の浄土宗、後者を親鸞の浄土真宗が担いました。
浄土真宗は特に信心を重視しました。つまり、他力を徹底したわけです。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんとこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」
この歎異抄の冒頭の一文は念仏行者のこころ持ちをよく伝えています。摂取不捨というところが眼目です。つまり、阿弥陀仏は念仏者を必ず救い取って、その願いを放棄することは絶対にない。
さて、ご質問の件です。浄土真宗の説く念仏は専修念仏と言って、南無阿弥陀仏の六字の名号のみを選び取りました。従って、他の教えは放棄したわわけです。
般若心経は自力で悟りに達することを説きます。
「観自在菩薩、深般若波羅蜜を行ずる時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。」
般若波羅蜜とは仏の智慧、つまり、仏そのものと考えて良いでしょう。般若心経は明らかに仏(般若波羅蜜)を目指して精進せよと説いています。
浄土真宗が般若心経を唱えないのは、般若心経が自力の行を説いているからです。理由は意外と簡単なものです。
ニャン太さん。お分かり頂けたでしょうか。うまく説明出来たようには感じられません。疑問点などご指摘いただければ幸いです。

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苦しみ

昔の悲しかった事、悔しかった事をしょっちゅう思い出し辛いです。
悪かった家庭環境や学校でのいじめ、社会人になってからの対人関係の失敗など。
自分の非もあるし。自己肯定感が低く、見た目の悪さなどで攻撃的な人間に目をつけられやすい。そのせいで馬鹿にされた事など頭ではしょうがない、これからそういった事にならないようと考えてるのですが色々な失敗や不快な思いがすぐに思い出されて毎日が辛いです。
そういった恨みや苦しみを捨てて、新しい出逢いなどをしたいと思っても出来ません。周りが憎いし他人が嫌いです。
けど救われたいし誰かに大事にされたいです。居場所が欲しいと思います。

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30代女子さん。苦しい胸の内、お察しします。仏教では「人生は苦である」と説きます。確かに、そうではあるけれども、凡人としては到底納得出来ることではありません。
仏教では、人はその行為(業)によって、死に変わり生まれ変わりして、永遠に苦しみの人生を繰り返すと説きます。これを輪廻転生と言います。
この考え方に立てば、今生の自分は生まれるべくして生まれたということになります。貴女が今まで体験した不条理なこと、全てが過去世と今生の業の結果ということになります。
何を運命論的なことを説くのだとお叱りを受けそうですが、仏教の人生観からすれば、これが真実・真理なのです。
仏を信じることが出来て、初めて、理解できる事柄です。信心の力によって、自分の人生が肯定されてきます。今生は過去世の悪業を転換して、より苦しみの少ない来世に繋げる一里塚です。
お釈迦さまは、弟子たちに善行を勧められました。まさに、これが悪業の転換法に他なりません。日常、小さなことでも善行を重ねてください。
そして、師匠を探してみてください。師匠の下で自分の人生に参じてください。必ず、納得できる貴女の居場所が見つかるはずです。
疑問な点は何なりと当方へ問い合わせください。

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復活してる

ご住職様お世話になっております。ボーイです。
お恥ずかしいながらライン作業中に突き指してしまい2日ほど事務所にて雑用業務を
しておりました。
今は回復しており通常業務をしておりますのでご安心下さい。
最近では週末に会社仲間と良く居酒屋にいって日々の疲れを癒しております。
掲示板が一時書き込みが出来ない時があり心配しましたが、本日は復活してますね?良かったです。
本日は沖縄の仕事仲間より泡盛を頂き一杯やらせてもらってます。

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人生とは

お久しぶりです。最近、人生とは何なのかということを考えています。なんのために生きるのか、別に今死んでも後悔はないなとか、そんなことを考えても答えはないという結論に至ります。なにか仏教的視点で答えを見つけられたらいいのですが。

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ご返信ありがとうございます。生きていく上で苦しみは必ずあるものであり仏に1歩でも近づくことが正解なのだとしても仏にはなれない。すると結局解決策などない。がんばれ。ということになりまよね?アドバイスを聞いた上でこのような批判的な意見を言ってしまい申し訳ありません

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仏教では、「人生は苦である」と教えます。しかし、若い内は到底理解できるものではありません。その一方で、迷いは若者の特権だとも言えます。にたまごさん。苦しみも迷いも当たり前のことと考えてください。
仏教は確かに「人生は苦である」と教えますが、その説かれた背景を知らなければ、本当に理解したとは言えません。人は何処から来て、何処へ往くのか。これを死生観と言います。仏教的(インド的)死生観では、人は現世の業(行為)によって、生き変わり、死に変わり、苦の人生を繰り返す。これを輪廻と言います。そして、輪廻の苦しみは永劫に続く。
これでは、たまったものではありません。
しかし、法華経では地涌の菩薩と言って、人は願ってこの世(娑婆世界)に出生すると説きます。人は誰もがこの願い、この自覚に立つ時、誰もが地涌の菩薩なのです。
仏(ブッダ)とは究極の人間存在です。仏のことは仏にしか分かりません。つまり、仏とは言葉を超えた存在です。決して、仏を言葉で理解しようとしてはなりません。
にたまごさん。人間何のために生きるのか。仏には成れなくても、仏に一歩でも近づく。そういう努力を続ける。これが仏教を学ぶ者の為すべき事と考えます。仏教を学び続ける中で答えは自ずと出てくると思います。健闘を祈ります。

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更新してるね

久々の更新ですね?
色々な方を救っているのですね?本来、宗教の役割は人を正しい道に導く事ですよね!
お忙しい中、平和の為、真実の為、皆様に愛の情報配信ご苦労様です。
見てますよ!応援しております。
お体だけは十分注意してお元気にお過ごし下さいね!

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飲みに行ってきました。

ご住職様お世話になっております。
先日、会社近くのオススメの居酒屋に行ってまいりました。
こじんまりした落ちついた雰囲気のお店で夫婦二人で切り盛りしていました。
特におかみさんが作るおでんが出汁がしゅんでいてとても美味しかったです。
美味しい料理と相まって緊張する事なく和やかな時間を過ごす事が出来ました。
殆ど悩みなど忘れて楽しく、将来の夢をお互い話合っておりました。
彼は中学、高校と野球に青春をかけていました。高校3年の最後の試合で選抜高校野球出場にあと一歩届かず悔しい思いをした経験の持ち主でもあります。
自分も工業高校の野球部に所属していたので、彼の気持ちは痛いほどわかります。
一回り以上、年が離れていますが、少年時代の気持ちは一緒ですね、人は見た目で判断してはダメですね?今となっては悩んでいた自分が馬鹿らしく感じてしまいます。
非常に良い機会を与えてくれた事に感謝いたします。お互い成長しながらお互いの夢に向かって行きたいと強く感じた日となりました。
これもご住職様のご指導のお陰かと思います。
自信も付き何だかやれそうな感覚で一杯でございます。これからも仕事、物の考え方を大切に頑張って参りますので引き続きご指導のほど宜しくお願いいたします。ありがとうございました。

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飲みにケーション

ご住職様、お世話になっております。
以前、ご指導頂いたとうり会社の先輩と飲みに行く事が決まりました!
昼休みにクラウドで同僚とキャッチボールをしていた所、丁度、隣に来て野球話が咲き3人で居酒屋に行く事となりました。
何から何まで上手く行って、怖いぐらいです。また報告いたします。
本日は秋刀魚と冷やしトマトで練習しております。
アリさんの言うとうり、著作の本はお守りかもしれない?

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座禅

お久しぶりですです。
私は最近坐禅に行きたいなと思っているのですが、都内でここがおすすめなどはありますか?

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