<ジョブキソ40>
#テーマ
(電話の応対)取引先が商品を追加オーダーしてきた。在庫と入荷の状況を伝えるには?
I'm sorry. We're out of stock now. Our next supply will be delivered next week. Are you able to wait untill then?
申し訳ありません。在庫を切らしています。次の入荷は来週になります。それまで待っていただけますか?
※sold out = (お客さんと小売店の関係)売り切れ
@ supply = 補充、供給
@明日=tomorrow
@明後日=day after tomorrow
@明明後日=three days from now
#相手の応答
Okay, understood. Please let me know ASAP when they arrive.
わかりました。在庫が届いたらすぐに連絡をお願いしますよ。
第1課 ハングルの基本
<ポイント>
トモさんが毎日料理を準備します。
トモッシガ メイr ヨリルr チュンビハmニダ
도모 씨가 매익 요리를 준비합니다.
①語順が日本語と一緒
②語順を入れ替えられる
毎日トモさんが料理を…。料理を毎日トモさんが…。
③音が似ている(漢字に由来した漢字語がある)
氏=씨 ッシ
料理=여리 ヨリ
準備=준비 チュンビ
毎日=매일 メイr
約束=약석 ヤkソk
三角関係、無理無理=삼각관계! 무리무리! サmガkグァンゲ! ムリムリ!
<文字の仕組み>
#タイプ1
하
子音|母音
h | a
#タイプ2
도
子音 t
──
母音 o
※ㅇは無音の子音、右か下の母音だけ発音する。
아=ア 이=イ 우=ウ 에=エ 오=オ
<聞き取り>
こんにちは。
アンニョンハセヨ
안녕하세요?
お会いできて嬉しいです。
マンナソ パンガpスmニダ
만나서 반갑습니다.
<単語>
果物=과일 クァイr
グレープフルーツ=자몽 チャモン
イチゴ=딸기 ッタrギ
りんご=사과 サグア
キウイ=키위 キ’ウィ
レモン=레몬 レモン
スイカ=수박 スバk
ココナッツ=코코낫 コ’コ’ノッ
ゆず=유자 ユジャ
梨=배 ペ
マンゴー=망고 マンゴ
ぶどう=보도 ポド
20,季文子、三たび思いて而る後に行う。子、これを聞きて曰く、再び思えば斯(すなわ)ち可なり。
季文子(きぶんし)は三度考えてから実行した。先生がこれを聞いて言われた。「二度考えてみて結論がえ出れば、それで良いのである」。
※浩→季文子は孔子の前時代の魯国の宰相ですが、晋国への使者の役目を仰せつけられて、出発するまでに三度考えて、晋の礼制を万全に理解してから出発したと言われます。孔子はこれを聞いて、三度まで考え直して決断するほど慎重であるべきではなく、二度しっかりと考え直して結論が出ればそれに従えばよいと批評しました。
これは朱子の解釈のようですが、古注では、「季文子ほどの賢者ならば二度でよい」と、「賢者」という前提があって、このほうが穏やかに聞こえます。「三国志」の“三顧の礼”もありますし、三度確認するというのは、それほどやりすぎとも思えません。現代、横断歩道を渡るとき、「右見て左見てもう一度右を見てそれから渡りましょう」と子どもたちに注意しています。鍵をかけたあとちゃんとかかったかどうかを、普通は1回ドアを引っぱって確認しますか。これを何度もやると神経症です。私自身はかなり神経質ですから、季文子なみの慎重さも納得できます。あまりの慎重さに嫌気がしてやめると、今度は文章を書いたあとのチェックなどがいい加減になってあとで誤字が見つかることがしばしば起こるようになりました。まあ、見つけた人が知らせてくれますから、それに頼るのも可なりです。ライフスタイルが少しだけ変化したのでしょう。感覚型では「聴覚型」ですから、とにかく耳に入る音にとても敏感です。野田先生が、「視覚的なものは眼を閉じさえすれば見えないが、音は耳をふさいでも聞こえる」とおっしゃっていました。なるほど、昔住んでいた借家のそばに国道とバイパスを結ぶ短絡路になっている市道があり、深夜も大型トラックが往来して、私の安眠を妨げていました。その後、バイパスが貫通してトラックが通らなくなって安眠できるようになりました。音には敏感な反面、見るほうはいい加減なことが多く、見たものの記憶もあやしいです。これは気をつけないと危ないです。ときどきハッとすることがあります。視覚・聴覚・触覚をバランスよく使っていきたいです。
「学而篇」の曽子の言を思い出します。
曽子曰わく、吾、日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。
<アスペクト助詞 “过”←「過」の簡体字>
@过 guo =~したことがある(経験)
@吃 chi1=食べる /chi1guo=食べたことがある
#あなたは北京ダックを食べたことがありますか?
Ni3 chi1guo Bei3jing1 kao3ya1 ma?
你吃过北京烤鸭吗?
(我は省略)食べたことがあります。/食べたことがありません。
吃过。/ 没吃过。
#あなたは中国に行ったことがありますか?
Ni3 qu4guo Zhong1guo2 ma?
你去过中国吗?
まだ行ったことがありません。 Hai2 mei2 qu4guo 还没去过。
c.f. まだ行っていません。 hai1 mei2 qu4 还没去。
<ピンイン> fとh
f :英語とほぼ同じ
h :喉の奥から息を強く出す
fa1hui1 发挥 発揮する fu2he2 符合 符合する
fu4huo2 复活 復活する he2fu2 和服
he2fan4 盒饭 弁当 hu4fu1 护肤 スキンケアする
河合夫婦は着物で結婚式に出席します。
He2he2 fu1fu4 chuan1 he2fu2 can1jia1 hun1li3
河合夫妇穿和服参加婚礼。
<補足> アスペクト助詞 “了”le
@了:「~したことがある」(経験) 現在よりもわりと離れた昔のこと
我前几年去过一次长城。
Wo3 qian2 ji1 nian2 qu4guo yi1ci4 chang2cheng2
数年前に一度長城に行ったことがあります。○
我昨天去过一次长城。
Wo3 zuo2tian1 qu4guo yi1ci4 chang2cheng2
昨日一度長城に行ったことがあります。×(不自然)
<日本の読み物>
翻訳する fan1 yi4 翻译
ブックカバー shu1 tao4 书套
装丁がきれい。 zhuang1 ding4 piao4 liang4 装订漂亮。
繊細な xi4 ni4 细腻
奥深い shen1 du4 深度
漫画 man4 hua4 漫画
<驚き>
本当に? Zhen1 de ma? 真的吗?
うそ! Zhen1 de jia3 de? 真的假的?
まさか! Bu2 hui4 ba? 不会吧?
びっくりした。 Xia4 le yi2 tiao4 吓了一跳。
神様! Tian1 na! 天哪!
そんなはずはないだろう。 Zen3me ke3neng2 ? 怎么可能?
19,子張問うて曰わく、令尹子文(れいいんしぶん)、三たび仕えて令尹と為れるも、喜ぶ色なし。三たびこれを已(や)めらるるも、慍(いか)れる色なし。旧き令尹の政、必ず以て新しき令尹に告ぐ。何如(いかん)。子曰く、忠なり。曰く、仁なりや。曰く、いまだ知らず、焉(いずく)んぞ仁なるを得ん。崔子(さいし)、斉君(せいくん)を弑(しい)す。陳文子、馬十乗あり、棄ててこれを違(さ)る。他邦に至りて則ち曰く、猶(な)お吾が大夫(たいふ)崔子がごときなりと。これを違る。一邦(いっぽう)に至りて、則ちまた曰く、猶吾が大夫崔子がごときなりと。これを違る。何如。子曰く、清し。曰く、仁なりや。曰く、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。
子張がおたずねした。「楚の令尹(宰相)の子文は、三度令尹に就任したが嬉しそうな様子は見せませんでした。また、三度令尹を辞任させられましたが、恨めしがる様子は見せませんでした。いつも、もと令尹のときの政策を新令尹に引き継ぎました。どうご覧になりますか?」先生は言われた。「それは誠実(忠実)だ」。子張はまたおたずねした。「仁と言えましょうか?」。先生が答えられた。「十分な知性を持った人物とは言えないから、仁とはなしえない」。。
さらに、子張がおたずねした。「(斉の家老の)崔子が斉の君主(荘公)を殺しました。同じ(斉の家老の)陳文子は4頭立ての10台の戦車を持っていましたが、それを捨てて(斉を)立ち去りました。他国に着くと、「やはり、ここにも斉の家老の崔子と同じような人物がいる」と言ってそこを去り、別の国に行ったが、また「ここにも斉の家老の崔子と同じような人物がいる」と言ってそこを去りました。これは、いかがなものでしょうか?」。先生は言われた。「清潔だね」。子張がたずねた。「仁と言えるでしょうか?」。先生がお答えした。「知性に欠ける。どうして仁と言えようか」。
※浩→門弟の子張は、「仁」の徳を高潔な人格を持って体現した人物として、楚の名宰相であった子文と、斉の重臣であった陳文子を挙げて、孔子に「彼らは仁であると言えるでしょうか?」とたずねてみました。孔子は、当時の首相に当たる令尹の重責にありながら、その権力に頓着せず粛々と伝統に従って職務をこなす子文を「誠実である」と高く評価しましたが、知力が十分ではないのでまだ「仁」ということはできないと答えました。
斉の主君に忠実な家老の陳文子についても、「清潔である」と高く評価しながらも、知力が不足しているのでまだ「仁」ではないと答えました。孔子の理想とする「仁者」は、単に「忠義・清浄」という人格的な高潔さを備えた人を指すのではなくて、時勢を見極めて社会(天下)に貢献するだけの知力を備えた「智者」でもないといけないのです。「仁者」と呼ばれる条件の高さがよくわかります。と当時に、為政者の条件も示されているように思われます。
「仁」の徳からアドラー心理学の「共同体感覚」を連想します。「仁」は内的構えであるのに対して、「共同体感覚」の「感覚」は内的構えのようにとれますが、アドラーが「共同体感覚」の原語・ドイツ語のゲマインシャフツゲフールを英語に訳すとき、social interestと、interest「関心」としていることから、外へ向けられていることがわかります。アドラーの若いときの英語の著作では、social feelingでしたが、晩年にはsocial interestと言い換えています。feelingは受動的な感覚・感じ方で、interestは関心・能動的な関わりです。共同体感覚がアドラーの中で、受動的な感じ方から、世界との積極的な関わりに変わっていきます。“感覚”と言うから、「センス」とか「ものの見方」だと思ってしまうのですが、実は、世界とのつきあい方という、行為とそれを背後から支える態度だとアンスバッハーが解説していました。アドラーのお弟子さんが、「共同体感覚をどうやったら教えることができますか?」とたずねたら、アドラーは“Live it.”と答えたことからも、このことがよくわかります。こういうことは人に「言葉」で教えても伝わらないのですね。「自分が生きてみせること」です。
孔子が先輩政治家を「仁」の立場から厳しく批判しているのも理解できます。日本の政治家はほとんど落第しそうです。