子、韶(しょう)を謂(い)わく、美を尽くし、又た善を尽くせり。武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽くさず。
先生が、伝説の聖王・舜(しゅん)の制作した楽曲である韶(しょう)を評して言われた。「美的に完全であるばかりでなく、道徳的にも完全である」。また、周の武王が作った楽曲である武を評して言われた。「美的に完全であるが、道徳的には完全と言えない」。
※浩→古代の聖王の系譜は、堯・舜・禹と続きますが、舜は堯と戦火を交えることなく禅譲によって帝位を譲られたので、舜の作った音楽は「善と美」が完全に調和している。一方、周の武王は殷周革命で武力を用いて、殷(商)の紂王を放伐して帝位を奪取したので、武王の作った音楽は「美的」ではあっても、「道義における正しさ(善)」において舜の音楽よりも劣っているということです。
音楽においての「美」は理解できますが、「善」とはどういうことでしょうか?「真善美」と関係あるのでしょうか。「不道徳な音楽」ってあるのでしょうか?日本では、かつて性風俗に混乱をきたすおそれのある音楽が、放送禁止になったことがあります。今では当時よりもっともっと過激なのが堂々と放送も販売もされています。性道徳観も時代とともに変化しています。「性的マイノリティー即性的異常」と考えられなくなったことは時代の進歩です。昔、島和彦さんが歌う「悦楽のブルース」が放送禁止になりました。レコードは大丈夫だったので、私は購入しました。聴いてみて、まったくエッチだとは感じなかったのに、放送禁止になったのが不思議です。そう思ってネットを開くと、同意見の人のコメントがありました。大島渚監督の映画「悦楽」の主題歌だから放送禁止だとか。まったく納得いきません。歌詞を覚えていますよ。
→泣いちゃ泣いちゃ泣いちゃ泣いちゃいないわ カクテルの青い青い青い青いグラスが 目に浮かぶ 甘い甘いとつい酔って 醒めりゃ心がほろにがい
ね、どこもエッチじゃないでしょう。B面は「志津子」という曲でした。わが妹も「しづこ」ですが、「字」が違います。個人情報なので書きません(笑)。
なぎら健壱さんの「悲惨な戦い」はレコードが放送禁止になりました。歌詞の内容は、国技館からテレビ中継していた大相撲の取り組み中に力士の廻しが落ちる(不浄負け)という、架空のハプニングの顛末を語ったコミカルなものでしたが、日本相撲協会のクレームもあったとされ、放送禁止の扱いになったとされます。ただし、1999年にフジテレビの『NONFIX』で放送されたドキュメンタリー『放送禁止歌』でのインタビューで、なぎらさんは、レコーディング中も多少の不安はあったが予想外にヒットしてスケジュールも決まっている矢先に放送禁止に指定されましたが、実際には相撲協会からのクレームはなく、その前に民放連が自主規制したとみられますと話し、結局言葉に罪はなく使う人の意識問題だということになったそうです。やれやれ。私は当時、備前高校のボート部員の顧問をしていて、部員からレコードを貸してもらえて、ばっちり聴けました。
現代の一部の音楽はただやかましいだけで、特にテンポが無茶苦茶速く、歌詞などほとんど聴き取れなくて、メロディーに至るとなきに等しいものが氾濫しています。人々の豊かな情操を育むことなど想定外なんでしょう。そして、一時流行してもすぐに次のブームが到来して忘れ去られています。クラシックの名曲は同じ曲でも何度聞いても感動します。あの魅力は何なんでしょう。
第31課 並列、現在進行の表現
<並列の表現>
#キーフレーズ
飛行機も遅れて道も混んでいてとても大変でした。
ピエンギド ヨンチャ’ッカゴ キrド マッカゴ アジュ ホンニッソヨ
비행기도 연착하고 길도 막히고 아주 혼닜어요.
#公式:「~(し)て」「~くて」
・「語幹 + 고 (直結型)」
@遅れる=연착하다 遅れて=연착하고 ヨンチャ’カゴ
@混む=막히다 混んでいて=막히고 マッキゴ
Jisongさんは素敵で歌が上手です。
Jisong 씨는 멋지고 노래를 잘해요.
<現在進行の表現>
#キーフレーズ
仕事を探しています。
일을 찾고 있어요.
#公式:「~(し)ています」
「語幹 + 고 있어요」 (直結型)
@探す=찾다 探しています=찾고 있어요 チャッコイッソヨ
@来る=오다 来ています=오고 있어요
@勉強する=공부하다 勉強しています=공부하고 있어요
@作る=만들다 作っています=만들고 있어요
@住む=살가 住んでいます=샇고 있어요
@食べる=먹다 食べています=먹고 있어요
<問題>
1,今日は寒くて雪が降っています。
오늘은 춥고 눈이 오고 있어요.
2,ごはんを食べてテレビを見ています。
밥을 먹오 테레비전을 보고 있어요.
<ワンポイント>
写真撮っていただけますか?
サジン ッチゴ ジュシゲッソヨ?
사진 찍어 주시겠어요?
「주시겠어요」は「주세요」より丁寧な言い方。
お皿いただけますか?
チョpシ ジョm ジュシゲッソヨ?
졉시 좀 주시겠어요?
お水いただけますか?
물 좀 주시겠어요?
<流音化>
@元来、元々=원래 [월래] ウォrレ
@韓流=한류 [할류]
<フィナーレ>
休みの日には何をしますか?
휴일에는 뭘 해요?
本を読んで食事して、掃除をして洗濯をして外で食事をします。
책을 읽고 식사하고 청소를 하고 빨래를 하고 밖에서 식사를 해요.
今度一緒に食事をしましょう。
다음에 같이 식가 해요.
いいですね。
좋아요.
僕も休日にはご飯を食べてご飯を食べますよ!
저도 휴일에는 밥을 먹고 밥을 머거요!
今ハングル講座を見ています。
지금 한글 강좌를 보고 있어요.
儀の封人(ふうじん)、見(まみ)えんことを請いて曰く、君子の斯(ここ)に至れるもの、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらずと。従者これを見えしむ。出でて曰く、二三子、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきこと久し。天は将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。
衛の儀(=地名)の国境役人が(孔子に)面会したいと願って言った。「ここを通過した人で立派な君子である人と、私はまだお会いしたことがないのです」。そこで、孔子の従者が、国境役人を孔子と会わせてあげた。孔子のもとを退出してから国境役人は言った。「諸君、亡命して流浪しているからといって、どうして心配することがあるだろうか(いや、心配する必要などない)。世界が道徳を失ってからずいぶんになります。誰か救済者が出なければなりません。天(天上の神)は、あなたがたの先生(孔子)を、天下に正しい道徳を打ち立てるようにふれ回る木鐸にしようとしているのだから」。
※浩→「封人」とは国境線の防衛に当たっている役人のことです。日本で言えば「防人(さきもり)」です。忠恕と礼節を備えた真の君主である孔子に見えた(まみえた)国境役人の感動と興奮が伝わってきます。国境役人は故郷の魯を追われて亡命している孔子の弟子たちを励ますように、孔子の稀有(けう)な才能と天下を支える人徳について賞賛します。故国を失ったことは悲しむべきことですが、天下の逸材である先生(孔子)に従っている以上、あなたたちは何も心配することなどないと。現代でもマスメディアを「社会の木鐸」と言いますが、古代中国では政府が民衆に何かを周知するときに木の鈴を鳴らしました。これが木鐸です。武事には「金鐸」、文事には「木鐸」です。政治の先行きや社会の問題を客観的に見通すことのできる知識人や文化人が「社会の木鐸」ですが、情報革命(IT普及)の進展で、今は、マスメディアや知識人への素朴な信頼がぐらついて、社会の木鐸として完全に信頼できる権威は成り立たない状況にあるようです。なるほど、日本の大手の新聞社には、どこの国の利益を考えているのかわからなくなるような動きをしているところがあるみたいです。さいわい、インターネットで、そういうメディアの報道を厳しく批判している記事に接することができますから、私たち市民はメディアの変更記事に惑わされることが少なくなっていて助かります。今日10月31日は「ハロウィン」です。
ハロウィンは、毎年10月31日に行われるイベントです。キリスト教では、ハロウィンの翌日(11月1日)は「諸聖人の日(万聖節)」という祝日にあたります。諸聖人の日とは、キリスト教におけるすべての聖人を記念する日です。ハロウィンは英語で「Halloween」とつづりますが、これは諸聖人の日(All Hallows' Day)の前夜(All Hallows' Evening)が短縮されたものです。つまり、ハロウィンは「諸聖人の日の前夜祭」といった意味の言葉になります。
ハロウィンの起源は、2000年以上昔の古代ケルト人までさかのぼります。古代ケルト人とは、アイルランドやスコットランドを始め、ヨーロッパの多くの地域に居住していた人々のことです。古代ケルト人の宗教であるドルイド教では、10月31日に「サウィン祭」というお祭りを行っていました。サウィン祭は、ケルトにおいて1年の終わりである10月31日に収穫物を集めて盛大に行う、夏の終わりと冬の到来を告げるお祭りです。その後、歴史の中で古代ケルトの文化はキリスト教文化に吸収されていきますが、10月31日をお祭りとする風習は残り続け、現在に伝わるハロウィンへと変化していきます。もともと古代ケルトの宗教的なお祭りからスタートしたもので、キリスト教由来のイベントではないことから、キリスト教では宗教的な意味合いは持たないイベントの1つとして扱われています。ハロウィンは、発祥の地とされるアイルランドから多くの国に伝わっていますが、それぞれの国の文化と融合して独自の発展を遂げているのが特徴です。アメリカでは世俗的なイベントとして親しまれていて、ハロウィンの日は家をホラー風に装飾してホームパーティーを開催したり、仮装をしたりして楽しんでいます。近年日本で親しまれているハロウィンは、アメリカから伝わった楽しみ方です。アメリカを経由すると、ろくなことにならないことが他にもあります。
ハロウィンの起源である古代ケルトでは、日本のお盆と同様に、10月31日は死後の世界との扉が開き、ご先祖様の霊が家族に会いに現世へ戻って来る日と考えられていました。しかし、ご先祖様だけでなく、悪霊や悪さをする精霊なども一緒に現世に来てしまい、子どもを攫ったり人の魂を取ったりするとも言われていました。そこで人々は、仮面を被ったり化粧をしたり、魔除けの焚き火を焚いたりして、悪さをする悪霊や精霊を驚かせて追い払っていたとされています。この風習がもとになり、ハロウィンの日に仮装する文化が生まれました。また、仮装する目的は悪霊の仲間だと思わせ、災いから身を守るためという説もあります。日本では、ハロウィンといえば仮装を楽しむイベントとしてのイメージが強く持たれています。魔女や悪魔、モンスターといった定番の仮装だけでなく、アニメや漫画、映画のキャラクター、芸能人などのコスプレをして楽しんでいる方が多く見られるのが特徴です。ハロウィンの際に、目・口・鼻をくり抜いて顔の形にしたかぼちゃの装飾を見ることも多いはずです。このかぼちゃには「ジャック・オー・ランタン(ランタンのジャック)」という名前が付いていて、アイルランドのジャックという男の伝承が由来とされています。しかし、ご先祖様だけでなく、悪霊や悪さをする精霊なども一緒に現世に来てしまい、子どもを攫ったり人の魂を取ったりするとも言われていました。ある日、いつも悪さばかりしているジャックという男が、ハロウィンの日に魂を奪おうとする悪魔と遭遇します。ジャックは悪魔を騙して魂を取らないことを約束させましたが、生前の悪行がたたって、死後は天国に行けませんでした。また、仮装する目的は悪霊の仲間だと思わせ、災いから身を守るためという説もあります。しかし、悪魔との約束により地獄に落ちることもできないジャックは、カブをくり抜いて作ったランタンに灯をともして、死後も現世をさまよい続けているというのが、伝承のあらすじです。この伝承がもとになり、カブのランタンを作って飾る習慣ができました。現在はかぼちゃが一般的なのは、アイルランド人の移民から伝承が伝わったアメリカではカブに馴染みがなく、かぼちゃのが手に入りやすかったからと言われています。スコットランドなど一部の地域では、現在もカブの中身をくり抜いたものでランタンを作っているそうです。
これだけの歴史を知ると、何も「異教徒のお祭りを日本でやらなくてもいい」と思えます。意味も歴史も関係なく、ただ何かにかこつけて騒げばいいというのが、今の日本の風潮だとすると、とても嘆かわしいです。ハロウィンと類似の行事としては、日本では「お盆」が立派にあります。異教徒のお祭りをわけも知らずに騒ぐのではなくて、日本本来の「お盆」をもっともっと大切にしようとは思わないんでしょうか。
第34課 「どのように」「どうやってに」の「怎么」
<スキット>
Nin2 hao3! Qing3wen4, qu4 chao1shi4 zen3me zou3?
您好!请问,去超市怎么走?
こんにちは!おたずねしますがスーパーへはどう行ったらいいですか?
Cong2 zher4 yi4zhi2 wang3 nan2 zou3, zai4 di4 yi1 ge lu4kou3 wang3 dong1 guai3.
从这儿一直往南走,在第一个路口往东拐。
ここからまっすぐ南に歩き、一つ目の交差点で東へ曲がります。
Wo3 zhi1dao le. Xie4xie nin2!
我知道了。谢谢您!
わかりました。ありがとうございます。
Tang2tang, nei3bianr shi4 nan2?
糖糖,哪边儿是南?
タンタン、南ってどっち?
Shi4 zhei4bianr. Kuai4 zou3 ba!
是这边儿。快走吧!
こっちだよ。急ごう!
<単語>
@请问qing3wen4= ちょっとおたずねしたのですが
@超市chao1shi4= スーパーマーケット
@怎么zen3me= どのように、どうやって(動作の方法や手段をたずねる)
@走= zou3 歩く、行く
c.f. 「走る」= pao3 跑
@从 cong2= ~から(動作の出発点)
@在 zai4= ~向かって(方向)
@往 wang3= ~で(場所)
@路口 lu4kou3= 交差点
@拐 guai3= 曲がる
zuo3= 左
you4= 右
@哪边儿 nei3bianr= どちらのほう(疑問詞)
@这边儿 zhei4bianr= こちら
<キーフレーズ>
去超市怎么走? スーパーへはどう行ったらいいですか?
@ 怎么~ = どうやって~するか
※文型:「去+行きたい場所+怎么+動詞?」
あなたの名前はどのように書きますか?
Ni3 de ming2zi zen3me xie3?
你的名字怎么写?
「わかりましたか?」Ming2bai le ma? 明白了吗?
「わかりました」Ming2bai le. 明白了。「わかりません」Bu4 ming2bai.不明白。
※文型:「怎么+ 動詞フレーズ?」=「どうして~?」「なんで~?」(不思議に思うとき)
Ni3 zen3me bu4 zhi1dao4 ne? 你怎么不知道呢?
あなたはどうして知らないんですか?
↓
「すみません」Dui4bu qi3. 对不起。
↓
「気にしないで」Mei3 guan1xi. 没关系。
<発音>
「qu4去」の[u]は「ü」:口を突き出して丸めて、中では「イ」を言う。
<聞き取り>
Ta1 zen3me hai2 bu4 lai2?
他怎么还不来?
彼はどうしてまだ来ないの?
<エクササイズ>
中国語でどのように言いますか?
Yong4 Han4yu3 zen3me shuo1? 用汉语怎么说?
去超市怎么走?
↓
まっすぐ行って、二つ目の交差点で左に曲がります。
Yi4zhi2 zou3, zai4 di4 er4 ge lu4kou3 wang3 zuo3 guai3.
一直走,在第二个路口往左拐。
<ピンイン> 無気音と有気音
b(o) / p(o)
d(e) / t(o)
g(e) / k(e)
j(i) / q(i)
zhi(i) / ch(i)
z(i) / c(i)
お腹がいっぱいになった。
Du4zi bao3 le.
肚子饱了。
ウサギが走って行った。
Tu4zi pao3 le.
兔子跑了。
<漢字日中相違 “哎呀!”> 「祭」
「祭」は日本ではFestival
中国では「祭ji4」は「祖先をまつる」(喜び騒ぐものではない。)
「学園祭」は中国語では、「xue2yuan2jie2 学园节」 (节←「節」)
四字熟語に「guang1 zong1 yao4 zu3 光宗耀祖」=「祖先の名を上げる」
「宗」と「祖」は“祖先”“家族の系統”に“光”を当てる
(恥をかかせない。跡継ぎがしっかりやっている)。
子、魯の大師に楽を語りて曰く、楽は其れ知るべきなり。始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり、以て成(おわ)る。
魯の音楽団の楽長と音楽について論ぜられたとき、先生が言われた。「音楽の仕組みはだいたいわかります。最初に、(金属の打楽器である)鐘が高らかに響き渡り、次いで(諸楽器の)合奏がなごやかに流れ、さらに管弦楽器の各パートが別々にはっきりと旋律を奏で、最後に心地良い余韻を長く残しながら終わるのですね」。
※浩→社会秩序や民心の安定に役立つものとして、礼節を伴う音楽をこよなく愛した孔子が、魯の音楽団の楽長に対して音楽を語った部分です。「翕如(きゅうじょ)」とは、勢いよく盛大に鐘のような打楽器が鳴り響く様子である。「鐘」からリストの「ラ・カンパネッラ」を連想しましたが、これはピアノ曲です。『パガニーニによる超絶技巧練習曲』を改訂した『パガニーニによる大練習曲』の第3曲で、嬰ト短調です。飛躍してしまいました(笑)。
次の「純如(じゅんじょ)」は、管弦楽のいろいろな楽器が、静かに調和を保って鳴り響く様子です。協奏曲だと、独奏楽器に絡むオーケストラの部分でしょうか。「皦如(きょうじょ)」とは、管弦楽のそれぞれの楽器が独奏のようにはっきり聞こえる様子です。これも協奏曲だと、各楽章の終盤の独奏楽器のソロ(カデンツァ)でしょう。「繹如(えきじょ)」とは、長い余韻を残しながら音楽が流れている情緒的な状況である。最終楽章のフィナーレが演奏され終わった後に残る余韻は、やはり生演奏でないと味わえません。
野田先生も音楽好きですが、かく言う私も大の音楽好きです。ただ自分の場合は、レパートリーがめちゃくちゃ広く、そのためにどの分野も深みはないです。「かじる」程度と言えます。クラシックから、ポピュラー音楽(特にイージーリスニングのインストゥルメンタル)、日本の歌謡曲(演歌)、邦楽(特に歌舞伎由来の長唄&端唄)、コンチネンタルタンゴ、アルゼンチンタンゴ、一時はイタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソンと、何でもござれでした。端唄に関しては、何曲が自分で唄えます。大学を出たころ、美空ひばりさんの「縁かいな」と「さのさ」をレコードで聞いて感動して、何度も何度も聞き直して覚えました。よく忘年会などで披露させていただいて、けっこう好評でした(笑)。あとは、市丸さんの「槍さび」が絶品です。中に「黒田節」が挿入されています。それから、艶っぽい「鬢(びん)のほつれ」とか、「都々逸」を何曲がレパートリーに持っています。退職してからは、お座敷の宴会に出ることがなくなって、いつしか唄うチャンスを失ってしまいました。今は、ときどき台所で洗い物をしながら、一節口ずさんでいるくらいです。隣家の人がびっくりするでしょう(笑)。生演奏を聴く機会も、在職中にはありました。最高の体験は、いつだったか、岡山市民会館に「イ・ムジチ合奏団」が来演したとき、聴きに行きました。おなじみの『四季』に感動しました。CDで聴くのと較べようがないです。中村紘子さんが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏されたときも、聴きに行きました。珍しいところでは、大阪の厚生年金会館の大ホールで、東音会の長唄演奏会にも行きました。岡山にはシンフォニーホールという立派な施設があるのに、そこへはどういうわけか、いまだに行っていません。岡山市には昨年秋、旧市民会館と市民文化ホールを合体させた岡山芸術創造劇場(ハレノア)ができました。大中小と3つの劇場を持つ大規模な劇場ですが、その大劇場に回り舞台も花道もないようで、歌舞伎好きの私にはこれが不満です。で結局、観劇は大阪や京都へ行くでしょう。