MENU
45,316

論語でジャーナル’24

 子(し)大廟(たいびょう)に入りて、事ごとに問う。或るひと曰く、孰(たれ)か鄹(すう)人の子(こ)を礼を知ると謂(い)うや、大廟に入りて、事ごとに問えり。子これを聞きて曰く、是(こ)れ礼なり。

 (魯の役人時代に)先生は大廟に入って儀礼を一つ一つたずねられた。ある人が言った。「誰が鄹の田舎から出てきた役人(孔子のこと)が礼を知っているなどと言ったのだ?あいつは、大廟の中で儀礼について一つ一つたずねているぞ(あいつは何も礼について知らないではないか)」。先生はそれを聞いておっしゃった。「それ(前任者に一つ一つ丁重に質問をすること)が礼なのだよ」

※浩→古代の礼制について詳しいという評判のあった孔子が、魯で役人として勤めていた時代に、「あいつは、前任者に大廟の儀礼や作法について事々に細かく質問しているじゃないか。礼について詳しいというが何も知らないじゃないか」と揶揄され軽侮されたことがあった。その噂について孔子は、「礼節とは、知らないことを知っていると言って優越感に浸ることではなく、前任者(その道の先達)に敬意を払って、丁重に教えを乞う謙虚さこそが礼の道だ」と語ったのです。相手を見下す傲慢不遜な態度や知的優越感に浸る姿勢こそが、最も礼から遠い振る舞いであることを示した印象的なやり取りです。
 鄹(すう)は土地の名で、孔子の父が地方官として在任していた土地です。その役人の子どもとは、すなわち孔丘(孔子)のことです。
 ギリシャでは、ソクラテスの有名な「無知の知」というのがあります。「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの、「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉です。この言葉は、「無知の知」ではなく、「不知の知」という表現が正しいとする論もあるそうです。「無知」とは、知識が欠けることや愚かなことを意味していますが、ソクラテスが自覚しているのは「知らないこと=不知」ですから、無知よりも不知のほうが適切なようです。なるほどね。でも、諸行無常は諸行不常とは言いません。「無常」と「不常」とはどう違うのでしょうか?これを追求していくと、もしかしたら「唯識」と「中観」の違いにたどり着くかもしれません。知らんけど。
 ソクラテス以前の哲学者は、哲学の祖と言われるタレスが「万物の根源は水である」と言い、ヘラクレイトスが「万物の根源は火である」「万物は流転する」と言うなど、万物の根源について探求しました。アテネが繁栄してくると、ソフィスト(知者)が主に弁論術を教えていて、中には詭弁を商う者も出てきました。しかしソクラテスは「自分は何も知らない」そして「それを自覚している」といい、自分はソフィストではないとしたのです。ソクラテスの真理を探究する哲学の基本となる概念の「無知の知(不知の知)」は、ギリシャ哲学の流れの中で画期的な考え方でした。
 ソクラテスは「いかに生きるべきか」「より善く生きること」について問い続けました。無知である自分に気づいたとき、人は自分と向き合い、真の知に近づこうとする探求が始まります。それはいかに生きるべきかの探求へもつながります。ソクラテスの「無知の知」は、よりよく生きるための指針でもあります。
 「知」への欲求は「知への愛」とされます。「哲学:フィロソフィー」の言葉のもととなったギリシャ語「フィロソフィア」は「知を愛する」という意味です。
 ソクラテスが「自分が何も知らないということを自覚する」きっかけは、デルフォイの神託「汝自身を知れ」でした。あるときソクラテスの弟子が、「アテネで一番の知者は誰か?」とデルフォイの神託所でたずねたら、「一番の知者はソクラテスである」と告げられます。それを聞いたソクラテスは、そのお告げの意味を解明するため、賢者とされる人や高名な人をたずね歩いて、その結果、みんな「何も知らないのに知っていると思い込んでいる」ということに気づき、自分は知らないということをわかっているという点で知恵ある者だというのが、神託の意味であったと悟ります。
 ソクラテスは「無知の知」出発点として、他者との問答を通じて探求を深めますが、その過程で論駁されたり知らないことを暴かれたりした識者などから激しい憎悪を受けることになって、やがて無実の罪で告訴され、裁判の結果死刑判決が下り牢獄につながれます。逃亡を勧める弟子もいましたが、ソクラテスは「ただ生きるのではなく善く美しく正しく生きることが大切だ。逃亡は善くも美しくも正しくもない」と言って、毒を飲んで自害しました。
 こういうことを昔、高校の「倫理」や「現代社会」で教えていたことを思い出しました。あれから20年以上たちました。あれからどうしていましたか?私も歳を取りました……。美空ひばりさんの(仮想の)ヒット曲『あれから』みたいです。それでも、今年度もありがたいことに、岡山工業高校でアドラー心理学の講座を毎月開かせていただいています。そして、11日(金)から岩手県盛岡市でアドラー心理学会総会が開かれています。今日13日が最終日です。相棒K先生は盛岡はまだ行ったことかないからと、現地へ旅立たれました。羽田まで飛行機で、東京からは東北新幹線で行かれました。若いから行動力があります。私は横着をしてオンライン参加です。残りあと今日の午前中です。今年の総会は、久しぶりに「分科会」が復活して、私は「臨床分科会」に参加してしっかりカウンセリングのおさらいをしました。お二人カウンセラー試験を受けられて、お一人が合格されました。合格の基準がよくわかりました。カウンセラーの問いかけ方によって流れがまったく変わることが眼前で確かめられた気がします。

引用して返信編集・削除(未編集)

ハングル講座10/12

第28課 ハムニダ体を覚えよう
<前半>
#「~です」
「名詞 + 입니다(直結型)」
私はコウケンテツです。
저는 고겐테쓰입니다.

#「~ではありません」(否定形)
「名詞 + 가/이 아닙나다 (パッチムなし/あり)」
学生ではありません。
학생이 아닙니다.

#「~ですか?」「~ではありませんか?」(疑問形)
「名詞 + 입니까?」= ~ですか?
「名詞 + 가/이 아닙니까?」= ~ではありませんか?

#「~(し)ます」「~で素」(動詞・形容詞)
「語幹 + ㅂ니다 / 습니다 (パッチムなし/あり)」
 ㄹ語幹:「ㄹを取って + ㅂ니다」
@食べる=먹다   食べます=먹습니다

#「~(私)ません」「~(九)ありません」(否定形)
「語幹 + 지 않습니다 (直結型)」
@見る=보다
@見ません=보지 않습니다
        (ㅂは鼻音化してㅁの音になる)

#鼻音化
 パッチムのㄱ,ㄷ,ㅂは、次にㄴがあると、鼻音化してㅇ,ㄴ,ㅁの音に変わる。

<面接場面>
こんにちは。
안영하십니까?
私はコウケンテツです。
저는 고겐테쓰입니다.
よろしくお願いします。
잘 부탁합니다.
私は料理研究家です。
저는 요리연구가입니다.
38歳です。
ソルンヨドrサリmニダ
서른여덟 살입니다.
私はハングルが好きです。
저는 한글을 좋아합니다.
(ドラマは毎日見ますか?)
いいえ、毎日見ません。
아뇨, 매일 보지 않습나다.
(自分をイケメンだと思いますか?)
いいえ、私はイケメンではありません。
아뇨, 저는 미남이 아닙니다.

<ワンポイント>
キョンジュ(慶州)まで2枚ください。
キョンジュッカジ トゥジャン チュセヨ
경주까지 두 장 주세요.
チェジュドまで2枚ください。
제주도까지 두 장 주세요.

枚数
1枚=한 장
2枚=두 장
3枚=세 장
4枚=네 장
5枚=다섯 장
テグまで5枚ください。
대구까지 다섯 장 주세요.

<後半>
#過去の表現「~(し)ました」「~でした」
「語幹 + 았습니다/었습니다」  (陽母音/陰母音)
 하다語幹:「~하다」 →「했습니다」
※語尾を니가?とすると疑問文
@召しあがる=드시다  召しあがりました=드셨습니다

#意志の表現「~(する)つもりです」
「語幹 + 겠습니다」  (直結型)
ビビンパを食べます=비빔밥을 먹겠습니다.

#尊敬の表現「お~になります」「お~です」
・「語幹 + 십니다/으십니다  (パッチムなし/あり)
・ㄹ語幹:「ㄹを取って + 십니다」
※語尾を니까? とすると疑問文
@好きだ=좋아하다  お好きです=좋아하십니다

#過去の尊敬の表現「お~になりました」「お~でした」
・「語幹 + 셨습니다/ 으셨습니다」  (パッチムなし/あり)
・ㄹ語幹:「ㄹを取って + 셨습니다」
※語尾を니까? にすると疑問文
@見る=보다
ご覧になりました=보셨습니다

<スキットドラマから>
よく絵を描きます。
자주 드림을 그립니다.
(量は)そんなに多くありません。
그렇게 많지 않습니다.
(あなたを)初めて見たときから気に入っていました。
처음 봤을 때부터 마음에 들었습니다.
スウォンさんは本当に心がきれいです。
수원 씨는 정말 마음이 순수하십이다.

<イケメン喫茶で>
いらっしゃいませ。
어서 오세요.
失礼いたします。
실레합니다.
コーヒーをお召し上がりください。
커피 드세요.
すてきです。
멋있어요.
ありがとうございます。
감사합니다.

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年10月12日 07:25)

論語でジャーナル’24

 子曰く、周は二代に監(かんが)み、郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな、吾(われ)は周に従わん。

 先生(孔子)がこうおっしゃった。「周の礼制は夏・殷の二代を模範とし、咲き誇り良い香りのする花の如く美しいものである。私は周の礼制(伝統)に従おう」。

※浩→孔子が、最高に優れた文化と儀礼を持った時代と考えていたのは「周王朝(魯の先祖が建国した国)」の時代です。特に孔子が尊敬していたのは、殷周革命を実現した武王に仕え、武王の子・成王に大政奉還した周公・旦(しゅうこうたん)です。それは、太公望・呂尚とともに武王を補佐した周公・旦が、周の政権を取ろうと思えば取れた立場にありながら、その実権を自ら進んで主君である成王に返還(大政奉還)したからです。下剋上が相次ぐ混乱した春秋時代に、孔子が目ざした理想の政治は、突き詰めれば、伝統的な「周礼」に還ることで、正統な君主に政権を返す「王政復古」の実現でした。周礼に還る政治とは、人民の礼節と為政者の徳性によって国家を治める徳治政治です。
 「為政篇」に「子曰く、これを導くに政を以ってし、これを斉(ととの)えるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且(か)つ格し/格る(ただし/いたる)」とありました。
 先生(孔子)がこうおっしゃった。「人民を導くのに法制をもってし、人民を統治するのに刑罰をもってすれば、人民は法律の網をくぐり抜けて恥じることがない。人民を導くのに道徳をもってし、人民を統治するのに礼節をもってすれば、人民は(徳と礼節を失う悪事に対する)恥を知りその身を正すようになる/正しい道に至るようになる」。
 まことに孔子の理想とした政治のあり方とは、有徳の君子が「仁・義・礼・智・信の徳」をもって率先垂範を旨とする政治にあたることで、人民に道徳や良心を植え付けることで「自律的な社会秩序」を構築することでした。孔子の思想は、悪事をした人間に懲罰を与えて痛めつけたり自由を奪うことで犯罪や無礼を抑止しようとする「法家」(韓非子・李斯)とは正反対の政治思想と言えます。孔子は、人民を恐怖(処罰)」によって秩序を維持する政治を行うことに反対し、人民を徳化(教育)することによって、自発的な社会秩序を生み出そうと尽力したのです。こういうところが、アドラー心理学の「勇気と責任」や「共同体感覚」という考え方に通じるようで、とても親近感を覚えます。学校の現状は「法家思想」的な懲罰主義のようで、孔子の理想からはほど遠いようです。そうそう、岡山県備前市には「閑谷学校」といって、江戸時代の岡山藩主池田候が庶民のために作った学校があります。「孔子廟」もあって、講堂では今も『論語』の講読が行われています。残念なのは、せっかくこの講堂で論語を唱えても、それが日常の生活にほとんど生かされれていないことです。ご本家の中国ではどうでしょうか?どれくらい孔子や孟子の教えが今の時代に生かされているのでしょうか?

引用して返信編集・削除(未編集)

中国語講座10/10

第31課 客観的な条件のもとで「~できる」「~していい」
<スキット>
Ta1 jia1 fang2zi hen3 da4, ni3men ke3yi3 zhu4zai4 ta1 jia1 li.
他家房子很大,你们可以住在他家里。
先輩の家は広いからあなたたちは彼の家に住むことができます。
Zhen1 de ma? Na4 tai4 hao3 le!
真的吗?那太好了!
本当ですか?それは良かった。
Ta1 ai4ren ye3 hen3 xi3huan Ri4ben3.
他爱人也很喜欢日本。
彼の妻も日本が大好きです。
Ta1 zheng4 wei4 ni3 shou1shi2 fang2jian1 ne.
他正为你收拾房间呢。
今君のために部屋を片づけているところだよ。
Shi4 ma? Zhen1 xiang3 zao3dianr3 qu4 Bei3jing!
是吗?真想早点儿去北京。
そうですか?早く北京へ行きたいなあ!
Hao3 qi1dai4 a!
好期待啊!
楽しみだね!

<単語>
@ fang2zi 房子 = 建物
@ ke3yi3 可以 = ~してもよい
@ zhu4 住 = 住む/泊まる・滞在する
@ ta1 jia1 li 他家里 = 「他家」という本来場所を表さない名詞に、方位詞「里」をつけて 場所化して「彼の家に」
@ ai4ren 爱人 = 配偶者(夫/妻)
@ zheng4 正 = ちょうど~しているところ
@ wei4 为 = ~のために
@ shou1shi 收拾2 = 片づける
@ fang2jian1 房间 = (建物の中の)部屋
@ xiang3 想 = ~したい(願望
@ dianr3 点儿 = 少し(表現を和らげる)
@ Hao3 qi1dai4 a! 好期待啊! = 楽しみだ!

<キーフレーズ>
Ni3men ke3yi3 zhu4zai4 ta1 jia1 li.
あなたたちは彼の家に住むことができます。
你们可以住在他家里。
@ke3yi3 可以 = (助動詞)客観的な条件の下に「~ができる」「~してよい」
      他に、許可したり・許可を求めるときにも使う。
※返事:
「いいです」= ke3yi3 可以
「ダメです」= Bu4xing2 不行 Bu4 ke3yi3 不可以 は少しきつい感じになる
「一緒に写真を撮ってもいいですか?」
Kěyǐ yīqǐ pāi zhaòpiàn ma ?
可以一起拍照片吗?

<ピンイン> “zu, cu su”“zi, ci, si”“ze, ce, se”
・zu, cu, su:口笛を吹くように唇を思い切り丸めて発音する。
・zi, ci, si:唇の端を思い切り横に引いて「ウ」と発音する。
・ze, ce, se 唇を「エ」の形にして「オ」のように発音する。
@cu4 酢 ci4 回数 ce4 測定
@su4 速度 si4 四 se4 色

<エクササイズ>
許可の「可以」
「飛行機で携帯電話を使ってもいいですか?」
Fei1ji1 shang ke3yi3 da3 shou3ji1 ma?
飞机上可以打手机吗?
不行。
「トイレに行ってもいいですか?」
Keyi3 qu4 xi3shou3jian1 ma?
可以去洗手间吗?
Ke3yi3, qu4 ba.
可以, 去吧。

<衣服に関する単語>
@ワンピース:lian2yi1qun2 连衣裙
@ハイヒール:gao1gen1xie2 高跟鞋
@Tシャツ:T xu4shan1 T 恤衫
@ズボン:ku4zi 裤子
@ジーンズ:niu2zai3ku4 牛仔裤
@くつ:xie2 鞋
@靴下:wa4zi 袜子
@パンツ:nei4ku4 内裤

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル’24

 王孫賈(おうそんか)問うて曰く、其の奥(おう)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(そう)に媚びよとは、何の謂(いい)ぞや。子曰く、然らず。罪を天に獲(う)れば、祷(いの)る所なきなり。

 王孫賈がたずねて言った。「“部屋の奥の神の機嫌を取るより、竈(かまど)の神の機嫌を取れ”という諺は何を意味しているのでしょうか?」。先生は言われた。「そうではない。至高の天に対して罪を犯したならば、どこにも祈る場所などはないのです」。

※浩→衛の霊公の大臣であった王孫賈は実力で霊公を圧倒して、事実上、衛の政権を掌握していました。孔子は衛に亡命したのですが、そのときに実力者の王孫賈を無視して、正統な君主である霊公に丁重な挨拶をしに行きました。これに憤慨した王孫賈は、「部屋の奥の神の機嫌を取るより、竈の神の機嫌を取れ」という諺を引いて、「名目上の君主である霊公」ではなく「実質上の君主である王孫賈(自分)」に断りを入れるほうが孔子の利益になることを説こうとしました。しかし、周の礼制を尊ぶ孔子はその不正な申し出を断って、「至高の天(正統な身分秩序)」に逆らえば、誰に祈ってもすべては無意味なことである」と説きました。天命思想や王政復古を前提とする儒教では、家臣が君主の身分を実力で簒奪する下克上(謀反・反乱)を極めて厳しく非難します。日本の歴史では、鎌倉時代以後は“下剋上”の連続でした。
 「竈(そう)」は“かまど”で、家の中の重要な位置にあるので、祭祀の対象でした。その竈の祭りは、まず竈本体の前でして、さらに奥(おう)といって内側の部屋の西南の隅(家屋の一番奥まったところ)でもう一度祭り直しました。今の日本の台所で「竈(かまど)」のあるおうちはないでしょう。システムキッチンか、そうでなくても、シンク(「流し台」と言えばいいのに)と調理台とガスレンジかIHヒーターでしょう。昔の田舎の家の台所は土間で、そういえば水道などなくて、流し台のそばに大きな水瓶がありました。そこへ戸外にある井戸からバケツや桶で一々水を運んで、そこに溜めて使っていました。水くみは主婦の大きな負担でした。わが家の井戸は母屋を出て、家の前の畑を横切った山際にありました。ポンプもなくて釣瓶で一々くみ上げていました。深い井戸で、夏は水が冷たく、冬は温かく感じられました。夏にはよくスイカを井戸に入れて冷やしていました。台所には竈があって、燃料は薪でしたから、天井は煤だらけで、そのため、必ず年末に「煤払い」という作業をしていました。季節の風物詩です。竈の上のほうに「神棚」が設置してありました。お札がが貼ってあって、徳利のような小さな花瓶に松がいけてありました。私たちは「かまど」とは言わないで、「おくど」とか「おくどさん」と読んでいました。「へっつい」とも言うんですね。「へっつい幽霊」「へっつい盗人」という落語があります。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計493件 (投稿489, 返信4)

ロケットBBS

Page Top