MENU
56,874

論語でジャーナル’24

 ある人禘(てい)の説を問う。子曰く、知らざるなり。其の説を知る者の天下に於(お)けるや、其(そ)れ諸(こ)れを斯(ここ)に示(み)るが如きかと。其の掌(たなごころ)を指せり。

 ある人が「禘」の祭祀についてたずねた。先生は言われた。「禘の祭祀については知りません。禘について理解している者であれば、天下のことについても、それ、ちょうどこれを見るようなものでしょう」と、その掌(てのひら)を指さした。

※浩→前段で、孔子は魯国で執り行われた不正な禘の大祭について不満を持っていることがわかりましたが、孔子は魯国の卿として仕えていましたたから、公式に文公が主宰した禘の大祭が間違っていたと批判することはできないのです。その孔子をひとつ困らせてやろうと、ある人(為政者)が禘について問いかけました。弟子らの質問には、どんな難問でも正面から取り組んで答える孔子ですが、こういう意地悪い質問には、するりと身をかわして、相手にしなかったのです。
 「祖霊をお祭りする禘について正確に理解しているならば、それは天下国家が掌中にあるも同然である」と機知の効いた回答を返しました。
 この段もわかりにくいところですが、身振りを伴った孔子の会話の活発さ、それを記録しえた文章の活発さが脈々とわかる、と、吉川幸次郎先生。答えようのないことを質問されたときの回答の参考になります。「それがわかるくらいなら、~だってできる」と。もしも先生が、「自分のクラスを思いどおりに掌握するにはどうしたらいいでしょう?」と質問したら、「それができるなら、あなたは世界を支配できるでしょう」というふうに(笑)。これは野田先生からの“又聞き”ですが、学校の先生になる人はほんとは政治家になりたかったのだが、それができるほどの実力がないので、子どもなら支配しやすいだろうと、先生になったと、アドラーが言ったと。私の知り合いで、もと小学校の先生で、のち私の在職する高校に転勤されて、定年退職後は県会議員になられた方がいらっしゃいます。すごい方です。納得しました。
 なお、「簡単明瞭な要約を“指掌”という出典がここだそうです。

引用して返信編集・削除(未編集)

中国語講座10/4

第30課 “会hui4”(~できる)
<スキット>
A4! Dian4zhang3 hao3 shuai4 a!
啊!店长好帅啊!
わぁ、店長すごくかっこいいですね!
Zhe4 shi4 er4shi2 nian2 qian2 de zhao4pian4.
这是二十年前的照片。
これは20年前の写真だ。
Ta1 jiu4 shi4 wo3 shi1xiong1, jiao4 Liu2 Shun4feng1.
他就是我师兄,叫刘顺风。
この人が私の先輩で、名前は劉順風って言うんだ。
O4, Liu2 Shun4feng1 shi1fu1.
哦,刘顺风师傅。
おお、劉順風師匠。
Ta1 hui4 zuo4 hen3 duo1 cai4. Ta1 zuo4 de bao1zi te4bie2 hao3chi1.
他会做很多菜。他在哟的包子特别好吃。
彼はたくさんの料理が作れる。彼の作る肉饅は特においしいんだ。
Ni3 hao3haor1 xue2 ba.
你好好儿吧。
しっかり学びなさい。

<単語>
@好hao3 = (副詞)すごく
@帅shuai4 = かっこいい
@照片zhao4pian4 = 写真
@就是jiu4 shi4 = まさに~だ
@叫jiao4 ~ = 名前は~と言う
@师傅shi1fu1= 師匠(職人など熟練した能力を持つ;運転手、コック、マッサージ師など)
@会hui4 = ~できる
(学習や練習を通して技能をマスターして。語学、運転、飲酒、喫煙など)
  発音はhuei4
@好好儿hao3haor1 = しっかりと、きちんと

<キーフレーズ>
Ta1 hui4 zuo4 hen3 duo1 cai4.
她会做很多菜。
 否定形は「他不会做菜Ta1 bu2 hui4 zuo4 cai4.」
 質問されて答えるには、会Hui4. / 不会Bu2 hui4.

<聞き取り>
Ta1 bu2 hui4 kai1che1.
他不会开车。
彼は運転ができません。
Wo3 hui4 he1 jiu3.
我会喝酒。
私はお酒を飲みます。

<エクササイズ>
私は泳ぐことができます。
Wo3 hui4 you2yong3.
我会游泳。
あなたは泳ぐことができますか?
Ni3 hui4 bu hui4 you2yong3?
你会不会游泳?

<ピンイン> “ji qi xi”と“ju qu xu”
・ji qi xi :唇を横に引いて「ジ チ シ」
・ju qu xu(←jü qü xü ):唇を突き出して丸めて(「ウー」の形で)「ジ チ シ」
@ju4ji2聚集 集まる
@qu1qi2 曲奇 クッキー

<ひと言>
かっこいい!
Hao3 shuai4!
好帅!

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年10月04日 13:37)

論語でジャーナル’24

 子曰く、禘(てい)、既に灌(かん)してより往(のち)は、吾これを観るを欲せざるなり。

 先生(孔子)がこうおっしゃった。「禘という祖霊を祀る国の大祭で、祖霊に捧げる神酒(みき)を地面に注いでからあとは、私はそれ以上の儀礼を見ようとはしなかった」。

※浩→ここはとても難解です。古注によれば、孔子が魯国の士大夫として仕えていたとき、国の大祭である「禘(てい)」が六代目の文公によって行われました。そのとき文公は、自分の父親である五代・僖公を四代の閔(びん)公よりも高い地位に立てるために、「禘」の礼法に背いて不正に、僖公の祭りの順番を閔公より前にして位牌(木主)の配置も入れ替えたのです。これを見た孔子は、古代から連綿と続く礼法を無視して、都合の良い祭祀を行なった文公に憤慨しましたが、家臣の身分としてこれを正すわけにもいかず、お神酒を注いで以降の儀式をじっと目を閉じて見ないようにしたのです。うーん、言いたいことも身分を考えて我慢したということでしょうか。聴覚と視覚について、野田先生から聞いたことがあります。「見たくもない人がいたり、物があったりする。どうしたらいいか?」という質問に、先生は「眼をつぶればいい」とおっしゃいました。続けて、「音は耳を塞いでも聞こえるが、人や物は眼を閉じれば見えない」と。納得しました。ただ、自分の責任を回避するために、「あれが、あるいはあの人が邪魔になって~ができない」と、聞こえるものや見えるものを「口実」にしていることがあります。アドラー心理学の用語で言うと、「劣等コンプレックス」です。これは本当は「できない」のではなくて「したくない」のです。こうはっきり言うと「自己責任」がしょうじますし、ときに角がたちますから、言い訳として「~のせいで」と言うのです。いわば「欺しのテクニック」ですから、アドラーは「自己欺瞞」とも「人生のウソ」とも言いました。

引用して返信編集・削除(未編集)

しごとの基礎英語10/2

<ジョブキソ16>
#テーマ
 取引先から注文されたサンプルが納期に間に合わない。1日待ってもらうには?
Sorry, we need to check on that. Are you able to wait until tomorrow?
すみません、その件に関しては確認させてください。明日までお待ちいただくことが可能でしょうか?
 @ be able to ~ = ~することが可能、~する能力がある
#会話
Sorry, we need to check on that. Are you able to wait until tomorrow?
Yes, that is fine. I will await your update.
ええ、いいですよ。またの連絡をお待ちしています。

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル’24

 子曰く、夏礼(かれい)は吾(われ)能(よ)くこれを言えども、杞(き)は徴(しるし)とするに足らざるなり。殷礼は吾能くこれを言えども、宋は徴とするに足らざるなり。文献、足らざるが故なり。足らば則ち吾能くこれを徴とせん。

 先生がこうおっしゃった。「夏王朝の礼制(制度)を私は十分に説明することができるが、夏王朝の子孫である杞の国には(自説を証明するための)夏の礼制の証拠が足りない。殷王朝の礼制を私は十分に説明することができるが、殷王朝の子孫である宋の国には(自説を証明するための)殷の礼制の証拠が足りない。なぜなら、杞の国と宋の国には(過去の制度を知るための)史料文献と博学な賢人が残っていないからである。それらが十分であれば、私の礼制にまつわる自説の証拠とできるのだが」。

※浩→現在の河南省にある「杞」は、夏王朝の後裔が封ぜられた国で、「宋」は殷王朝の後裔が封ぜられた国です。夏(前23~18世紀)は孔子の時代の周より2つ前の王朝で、聖王・禹によって創設されました。殷(前18~12世紀)は周のすぐ前の王朝で、聖王・湯(とう)によって創設されました。
 「徴(しるし)」は、孔子の礼にまつわる自説を実証する「根拠・証拠」という意味です。「文献」の語源がここにあります。現代では一つの単語ですが、古代中国では「文」は木簡や竹簡に書かれた史料文献を、「献」はその土地に住む古老など物知りな賢者のことを意味していました。
 孔子は夏・殷王朝の礼、つまり制度などは周の制度からさかのぼって類推することができると考えましたが、それらの子孫の国には史料が保存されていないし、学者もいないために、理論を実証することができないことを嘆いています。孔子はこの点で、今の歴史学者のように、確かな史料による実証がないと、礼も理論倒れになることを知っていたのです。孔子の学問の態度が、「実証」を尊重していることがよくわかります。根拠のない理屈は妄想に近いです。ますます増加傾向の「特殊詐欺」の被害者は、根拠もなく犯人の言葉を信じて、騙されています。16~17世紀のイギリスの哲学者・フランシス・ベーコンは「4つのイドラ」といって人が陥りやすい偏見を述べています。
 1.種族のイドラ…例:朝日や夕日の直径は南中時の太陽の直径より大きい
 (=実際には同じ。ただの目の錯覚。)
 2.洞窟のイドラ…例:日本食こそ世界で最も美味しい料理である
 (=食べたことがないだけで、世界にはもっと美味しい料理があるかもしれない。)
 3.市場のイドラ…例:新しい担任の先生はとても生徒に厳しい
 (=とクラスの友人が噂しているのを確認もせずそのまま信じている。)
 4.劇場のイドラの…例:人気キャスター曰く、「某アイドルの衆議院選挙立候補は国民的な関心事だ」。
 (=と影響力のある人からテレビで連日言われれば信じてしまう。)
 というように、人間には偏見や思い込みによる事実誤認がしばしば起こるので、絶えず帰納法(=実例を一つ一つ拾い集めて真理を追求するやり方)を用いて事実かどうか丹念に検証していく必要がある。
「イドラ」は英語のidolです。日本語で「アイドル」というとまったく別の意味になりますが、もともと「偶像」という意味から「偏見」「思い込み」という意味になったのすから、アイドルは「作為的にでっちあげられた幻影」なんです。これに浮かれているファンはある意味気の毒かもしれませんが、人のことは言えません。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計535件 (投稿531, 返信4)

ロケットBBS

Page Top