古注:子曰く、射は皮を主とせず。力を為すこと科(しな)同じからず。古の道なり。
先生がおっしゃった。「礼の儀式である弓試合では、皮(=まと)に命中することばかりが脳ではなく、競技の態度が立派でなければならない。つまり、勝つことでなく、出場することでなければならない。また、力仕事の奉仕をする場合、体力の差異に応じて、違った仕事を課せられ、同一種類の仕事をしない。この2つのことはいずれも「いにしえの道」である」。
新注:子曰く、射(しゃ)は皮を主とせず。力の科(しな)を同じくせざるが為(ため)なり。古(いにしえ)の道なり。
先生(孔子)がおっしゃった。「射礼(弓道)は、皮の的(まと)を射抜くことを第一としない。射る人の生来の能力には等級があり同じではないからだ。これが古代の聖王の実践した道(やり方)である」。
※浩→私は弓道はまったくの門外漢で、弓道に関しては一言のコメントもありません。K先生の津山工業時代、相談室の同僚・N先生が弓道部の顧問でした。2022年にすぐお隣の学校へ異動されましたが、津山工業の弓道部はとても強かったです。そういえば、映画「時を賭ける少女」の主人公(原田知世さん)は弓道部でした。お仲間とよく、「桃栗三年柿八年、ゆずは九年で成り下がり、梨のおバカは十八年」と歌っていました。そのあと、「ミカンの間抜けは二十年」と続くことは最近知りました。昔の大作映画「大菩薩峠」(東映版)の第三部では、準主役の宇津木兵馬(中村錦之助さん)が甲府勤番支配・駒井能登之守(東千代之介さん)の保護のもと、流鏑馬(やぶさめ)に出場して優勝するシーンがありました。武士の社会では、格式高い重要な競技会だったようです。今は古武道といえば、お相撲が最もポピュラーですが、流鏑馬のような日本古来の武道も末永く存続してほしいです。
<ジョブキソ18>
#テーマ
ファックスが届いた。英語の文章にわからないところが!「お時間があるときにこのファックスの内容を教えてもらえませんか?」と言うには?
When you have a moment, could you help me underatand this fax?
※注意
When you have time...は駄目。ビジネスはそもそも誰もtimeはない。
#相手の応答
Fax? Okay, let me see it.
ファックスだって?わかった、見せてくれ。
子(し)大廟(たいびょう)に入りて、事ごとに問う。或るひと曰く、孰(たれ)か鄹(すう)人の子(こ)を礼を知ると謂(い)うや、大廟に入りて、事ごとに問えり。子これを聞きて曰く、是(こ)れ礼なり。
(魯の役人時代に)先生は大廟に入って儀礼を一つ一つたずねられた。ある人が言った。「誰が鄹の田舎から出てきた役人(孔子のこと)が礼を知っているなどと言ったのだ?あいつは、大廟の中で儀礼について一つ一つたずねているぞ(あいつは何も礼について知らないではないか)」。先生はそれを聞いておっしゃった。「それ(前任者に一つ一つ丁重に質問をすること)が礼なのだよ」
※浩→古代の礼制について詳しいという評判のあった孔子が、魯で役人として勤めていた時代に、「あいつは、前任者に大廟の儀礼や作法について事々に細かく質問しているじゃないか。礼について詳しいというが何も知らないじゃないか」と揶揄され軽侮されたことがあった。その噂について孔子は、「礼節とは、知らないことを知っていると言って優越感に浸ることではなく、前任者(その道の先達)に敬意を払って、丁重に教えを乞う謙虚さこそが礼の道だ」と語ったのです。相手を見下す傲慢不遜な態度や知的優越感に浸る姿勢こそが、最も礼から遠い振る舞いであることを示した印象的なやり取りです。
鄹(すう)は土地の名で、孔子の父が地方官として在任していた土地です。その役人の子どもとは、すなわち孔丘(孔子)のことです。
ギリシャでは、ソクラテスの有名な「無知の知」というのがあります。「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの、「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉です。この言葉は、「無知の知」ではなく、「不知の知」という表現が正しいとする論もあるそうです。「無知」とは、知識が欠けることや愚かなことを意味していますが、ソクラテスが自覚しているのは「知らないこと=不知」ですから、無知よりも不知のほうが適切なようです。なるほどね。でも、諸行無常は諸行不常とは言いません。「無常」と「不常」とはどう違うのでしょうか?これを追求していくと、もしかしたら「唯識」と「中観」の違いにたどり着くかもしれません。知らんけど。
ソクラテス以前の哲学者は、哲学の祖と言われるタレスが「万物の根源は水である」と言い、ヘラクレイトスが「万物の根源は火である」「万物は流転する」と言うなど、万物の根源について探求しました。アテネが繁栄してくると、ソフィスト(知者)が主に弁論術を教えていて、中には詭弁を商う者も出てきました。しかしソクラテスは「自分は何も知らない」そして「それを自覚している」といい、自分はソフィストではないとしたのです。ソクラテスの真理を探究する哲学の基本となる概念の「無知の知(不知の知)」は、ギリシャ哲学の流れの中で画期的な考え方でした。
ソクラテスは「いかに生きるべきか」「より善く生きること」について問い続けました。無知である自分に気づいたとき、人は自分と向き合い、真の知に近づこうとする探求が始まります。それはいかに生きるべきかの探求へもつながります。ソクラテスの「無知の知」は、よりよく生きるための指針でもあります。
「知」への欲求は「知への愛」とされます。「哲学:フィロソフィー」の言葉のもととなったギリシャ語「フィロソフィア」は「知を愛する」という意味です。
ソクラテスが「自分が何も知らないということを自覚する」きっかけは、デルフォイの神託「汝自身を知れ」でした。あるときソクラテスの弟子が、「アテネで一番の知者は誰か?」とデルフォイの神託所でたずねたら、「一番の知者はソクラテスである」と告げられます。それを聞いたソクラテスは、そのお告げの意味を解明するため、賢者とされる人や高名な人をたずね歩いて、その結果、みんな「何も知らないのに知っていると思い込んでいる」ということに気づき、自分は知らないということをわかっているという点で知恵ある者だというのが、神託の意味であったと悟ります。
ソクラテスは「無知の知」出発点として、他者との問答を通じて探求を深めますが、その過程で論駁されたり知らないことを暴かれたりした識者などから激しい憎悪を受けることになって、やがて無実の罪で告訴され、裁判の結果死刑判決が下り牢獄につながれます。逃亡を勧める弟子もいましたが、ソクラテスは「ただ生きるのではなく善く美しく正しく生きることが大切だ。逃亡は善くも美しくも正しくもない」と言って、毒を飲んで自害しました。
こういうことを昔、高校の「倫理」や「現代社会」で教えていたことを思い出しました。あれから20年以上たちました。あれからどうしていましたか?私も歳を取りました……。美空ひばりさんの(仮想の)ヒット曲『あれから』みたいです。それでも、今年度もありがたいことに、岡山工業高校でアドラー心理学の講座を毎月開かせていただいています。そして、11日(金)から岩手県盛岡市でアドラー心理学会総会が開かれています。今日13日が最終日です。相棒K先生は盛岡はまだ行ったことかないからと、現地へ旅立たれました。羽田まで飛行機で、東京からは東北新幹線で行かれました。若いから行動力があります。私は横着をしてオンライン参加です。残りあと今日の午前中です。今年の総会は、久しぶりに「分科会」が復活して、私は「臨床分科会」に参加してしっかりカウンセリングのおさらいをしました。お二人カウンセラー試験を受けられて、お一人が合格されました。合格の基準がよくわかりました。カウンセラーの問いかけ方によって流れがまったく変わることが眼前で確かめられた気がします。
第28課 ハムニダ体を覚えよう
<前半>
#「~です」
「名詞 + 입니다(直結型)」
私はコウケンテツです。
저는 고겐테쓰입니다.
#「~ではありません」(否定形)
「名詞 + 가/이 아닙나다 (パッチムなし/あり)」
学生ではありません。
학생이 아닙니다.
#「~ですか?」「~ではありませんか?」(疑問形)
「名詞 + 입니까?」= ~ですか?
「名詞 + 가/이 아닙니까?」= ~ではありませんか?
#「~(し)ます」「~で素」(動詞・形容詞)
「語幹 + ㅂ니다 / 습니다 (パッチムなし/あり)」
ㄹ語幹:「ㄹを取って + ㅂ니다」
@食べる=먹다 食べます=먹습니다
#「~(私)ません」「~(九)ありません」(否定形)
「語幹 + 지 않습니다 (直結型)」
@見る=보다
@見ません=보지 않습니다
(ㅂは鼻音化してㅁの音になる)
#鼻音化
パッチムのㄱ,ㄷ,ㅂは、次にㄴがあると、鼻音化してㅇ,ㄴ,ㅁの音に変わる。
<面接場面>
こんにちは。
안영하십니까?
私はコウケンテツです。
저는 고겐테쓰입니다.
よろしくお願いします。
잘 부탁합니다.
私は料理研究家です。
저는 요리연구가입니다.
38歳です。
ソルンヨドrサリmニダ
서른여덟 살입니다.
私はハングルが好きです。
저는 한글을 좋아합니다.
(ドラマは毎日見ますか?)
いいえ、毎日見ません。
아뇨, 매일 보지 않습나다.
(自分をイケメンだと思いますか?)
いいえ、私はイケメンではありません。
아뇨, 저는 미남이 아닙니다.
<ワンポイント>
キョンジュ(慶州)まで2枚ください。
キョンジュッカジ トゥジャン チュセヨ
경주까지 두 장 주세요.
チェジュドまで2枚ください。
제주도까지 두 장 주세요.
枚数
1枚=한 장
2枚=두 장
3枚=세 장
4枚=네 장
5枚=다섯 장
テグまで5枚ください。
대구까지 다섯 장 주세요.
<後半>
#過去の表現「~(し)ました」「~でした」
「語幹 + 았습니다/었습니다」 (陽母音/陰母音)
하다語幹:「~하다」 →「했습니다」
※語尾を니가?とすると疑問文
@召しあがる=드시다 召しあがりました=드셨습니다
#意志の表現「~(する)つもりです」
「語幹 + 겠습니다」 (直結型)
ビビンパを食べます=비빔밥을 먹겠습니다.
#尊敬の表現「お~になります」「お~です」
・「語幹 + 십니다/으십니다 (パッチムなし/あり)
・ㄹ語幹:「ㄹを取って + 십니다」
※語尾を니까? とすると疑問文
@好きだ=좋아하다 お好きです=좋아하십니다
#過去の尊敬の表現「お~になりました」「お~でした」
・「語幹 + 셨습니다/ 으셨습니다」 (パッチムなし/あり)
・ㄹ語幹:「ㄹを取って + 셨습니다」
※語尾を니까? にすると疑問文
@見る=보다
ご覧になりました=보셨습니다
<スキットドラマから>
よく絵を描きます。
자주 드림을 그립니다.
(量は)そんなに多くありません。
그렇게 많지 않습니다.
(あなたを)初めて見たときから気に入っていました。
처음 봤을 때부터 마음에 들었습니다.
スウォンさんは本当に心がきれいです。
수원 씨는 정말 마음이 순수하십이다.
<イケメン喫茶で>
いらっしゃいませ。
어서 오세요.
失礼いたします。
실레합니다.
コーヒーをお召し上がりください。
커피 드세요.
すてきです。
멋있어요.
ありがとうございます。
감사합니다.
子曰く、周は二代に監(かんが)み、郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな、吾(われ)は周に従わん。
先生(孔子)がこうおっしゃった。「周の礼制は夏・殷の二代を模範とし、咲き誇り良い香りのする花の如く美しいものである。私は周の礼制(伝統)に従おう」。
※浩→孔子が、最高に優れた文化と儀礼を持った時代と考えていたのは「周王朝(魯の先祖が建国した国)」の時代です。特に孔子が尊敬していたのは、殷周革命を実現した武王に仕え、武王の子・成王に大政奉還した周公・旦(しゅうこうたん)です。それは、太公望・呂尚とともに武王を補佐した周公・旦が、周の政権を取ろうと思えば取れた立場にありながら、その実権を自ら進んで主君である成王に返還(大政奉還)したからです。下剋上が相次ぐ混乱した春秋時代に、孔子が目ざした理想の政治は、突き詰めれば、伝統的な「周礼」に還ることで、正統な君主に政権を返す「王政復古」の実現でした。周礼に還る政治とは、人民の礼節と為政者の徳性によって国家を治める徳治政治です。
「為政篇」に「子曰く、これを導くに政を以ってし、これを斉(ととの)えるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且(か)つ格し/格る(ただし/いたる)」とありました。
先生(孔子)がこうおっしゃった。「人民を導くのに法制をもってし、人民を統治するのに刑罰をもってすれば、人民は法律の網をくぐり抜けて恥じることがない。人民を導くのに道徳をもってし、人民を統治するのに礼節をもってすれば、人民は(徳と礼節を失う悪事に対する)恥を知りその身を正すようになる/正しい道に至るようになる」。
まことに孔子の理想とした政治のあり方とは、有徳の君子が「仁・義・礼・智・信の徳」をもって率先垂範を旨とする政治にあたることで、人民に道徳や良心を植え付けることで「自律的な社会秩序」を構築することでした。孔子の思想は、悪事をした人間に懲罰を与えて痛めつけたり自由を奪うことで犯罪や無礼を抑止しようとする「法家」(韓非子・李斯)とは正反対の政治思想と言えます。孔子は、人民を恐怖(処罰)」によって秩序を維持する政治を行うことに反対し、人民を徳化(教育)することによって、自発的な社会秩序を生み出そうと尽力したのです。こういうところが、アドラー心理学の「勇気と責任」や「共同体感覚」という考え方に通じるようで、とても親近感を覚えます。学校の現状は「法家思想」的な懲罰主義のようで、孔子の理想からはほど遠いようです。そうそう、岡山県備前市には「閑谷学校」といって、江戸時代の岡山藩主池田候が庶民のために作った学校があります。「孔子廟」もあって、講堂では今も『論語』の講読が行われています。残念なのは、せっかくこの講堂で論語を唱えても、それが日常の生活にほとんど生かされれていないことです。ご本家の中国ではどうでしょうか?どれくらい孔子や孟子の教えが今の時代に生かされているのでしょうか?