第30課 感嘆、同意や確認の表現
<感嘆の表現>
#キーフレーズ
就職は本当に難しいですね。
チュイジクン チョンマr オリョmネヨ
취직은 정말 어렵네요.
ケンテツさんはいつも熱心に勉強されますね。
겐테쓰 씨는 언제아 열심이 고부하네요.
#公式:感嘆の表現「~(し)ますね」「~ですね」
・「語幹 + 네요(直結型)」
・ㄹ語幹は「ㄹを取って + 네요」
@難しい=어렵다 難しいですね=어렵네요[어렴네요]
@大変だ=힘들다 大変ですね=힘드네요
<同意や確認の表現>
#キーフレーズ
うちの息子かっこいいでしょう?
우리 아들 멋있죠?
#公式:同意や確認の表現「~でしょう?」
・「語幹 + 죠?(直結型)」
※?を取ると「~(し)ますよ」「~ですよ」
@かっこいい=멋있다 かっこいいでしょう?=멋있죠?
@当然だ=당연하다 当然ですよ=당연하죠
@来る=오다 来るでしょう=오죠
@知る=알다 知ってるでしょう=알죠
@着る=입다 着るでしょう=입죠
@作る=만들다 作るでしょう=만들죠
@学ぶ=배우다 学ぶでしょう=매우죠
<問題>
1,この梨は甘いですね。
@甘い=달다
이 배는 다네뇨.
2,この運転手さんは親切ですね。
이 기사님은 친설하네요.
3,あそこに信号が見えるでしょう。
저기에 심호가 보이죠.
<ワンポイント>
(お店で)「見ているだけですよ」
クニャン クギョンハヌン ゴエヨ
그먕 구경하는 거예요.
(店員さんに薦められて断る場合)「結構です」
トェッソヨ
됐어요.
「これください」
이거 주세요.
<ことわざ>
「ソダン(書堂)の犬3年にして風月を詠む」
ソダン ケ サm ニョネ プ’ンウォr ウンヌンダ
서당 개 삼 년에 풍월을 읊는다.
@ソダン=漢文などを教える寺子屋
@風月を詠む=詩を吟ずる
「2人で食べていて1人がしんでもわからない。→とてもおいしい」
둘이 먹다 하나가 죽어도 모른다.
<フィナーレ>
今日の勉強は簡単ですね。
오늘 공부는 간단하네요.
本当ですか? ケンテツさんは実力がありますね。家でも一生懸命勉強しているんでしょう。
정말요? 겐테쓰 씨 실력이 있어요.
当然ですよ!
당연하죠!
ケンテツさんは幸せですね。
겐테쓰 씨는 행복하네요.
<おまけ>
「10回切って倒れない木はない。→好きな人に根気良く口説けば必ず恋は成就する」
열 번 씩어 인 넘어가는 나무 없어요.
哀公、社を宰我(さいが)に問う。宰我、対(こた)えて曰く、夏后(かこう)氏は松を以てし、殷人(いんひと)は柏(はく)を以てし、周人(しゅうひと)は栗(りつ)を以てす。曰く、民をして戦栗(せんりつ)せしむ。子、これを聞きて曰く、成事(せいじ)は説かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往は咎めず。
哀公が(樹木を神体として祭る)社(やしろ)のことを宰我におたずねになった。宰我はお答えした。「夏王朝は松を使い、殷王朝の人は柏(ひのき)を用い、周王朝の人は栗を使っています。栗を用いるのには、国民を戦慄させようという意味がこもっています」。先生はそれを聞いておっしゃった。「すでに終わったことについて論じてはならないし、すでに為してしまったことについて諌めてもいけない。過ぎ去った事柄の責任を追及すべきではない」。
※浩→魯国には、君主や貴族の祖霊を祭る周社と、一般庶民の祖霊を祭る殷社(亳社・はくしゃ)とがあり、社には樹木が神体として置かれ「神木」とされていました。神木の下では民衆の裁判と刑罰が行われたので、周の時代の「栗の木」というのは、神聖な場所を示すと同時に恐怖の場所を示す目印でもありました。孔子の門人であった宰我(さいが)は、周社の威令を掲げて三家老を完全に追放する英断(王政復古のクーデター)を哀公に迫ったという解釈がありますが、孔子は暴力的なクーデターによって王政復古を実現してもその政権は安定しないだろうと考え、宰我の性急な諫言を牽制したとされます。
「すでに終わったことについて論じてはならないし、すでに為してしまったことについて諌めてもいけない。過ぎ去った事柄の責任を追及すべきではない」。
「過去と他人は変えられない」「取り返しのつかないことをしたら忘れるしかない。だって、取り返しがつかないんだもの」とよく野田先生から教わりました。某国は儒教が盛んだと聞いていますが、「1000年でも恨み続ける」とか、一度結んだ約束事を平気でチャラにします。儒教の形式だけが伝承されて、精神はないがしろにされているんでしょうか。そうだとすれば、せっかくの孔子の「礼」の教えがないがしろにされていると思えます。現在、NHKで「坂の上の雲」が再放送されています。ずいぶん豪華な作品です。出演俳優さんもセットもロケも。今、日清戦争が始まるところです。描かれていることは事実ではなくて作者の主観によるとしても、とてもリアルです。朝鮮半島の情勢もよくわかります。日本はそこと戦争していないんですね。「物事には二面ある」というのはアドラーの言ですが、恨み辛みだけにこだわるのはこのことを忘れています。ほんとは感謝してもいい部分もあるはずです。
第33課 禁止の“不要”
<おさらい>
パスポートを持っていないので出国できません。
Wo3 mei2you hu4zhao4, bu4 neng2 chu1guo2.
我没有护照,不能出国。
<スキット>
A4! Zhe4me duo1 cai4!
啊!这么多菜!
わあ!こんなにたくさん!
Duo1 chi1 dianr3, bu2yao4 ke4qi.
多吃点儿,不要客气。
たくさん食べて、遠慮しないでね。
Huan1ying2 ni3 lai2 Bei3jing1.
欢迎你来北京。
北京へようこそ。
Xie4xie nin2! Yi3hou4 qing3 nin2 duo1duo1 zhi3jiao4.
谢谢您!以后请您多多指教。
ありがとうございます!今後ともどうぞご指導をお願いいたします。
Na4me, ming2tian1 jiu4 kai1shi3 shi2xi2 ba.
那么,明天就开始实习吧。
ではさっそく明日から実習しよう。
<単語>
@ zhe4me 这么 = こんなに、このように(驚き)
@ dianr3 点儿 = yi4が省略、「少しの量」→表現全体をやわらげている
@ bu2yao4 不要 = 「~しないで」「~してはいけない」
@ ke4qi客气 = 「遠慮する」「気を使う」
@ huan1ying2 欢迎 = 「歓迎する」
@ zhi1jiao4 指教 =指導する
@ yi3hou4 以后 = 以後、今後、これから(他に、hui2tou2 = 振り返る、のちほど)
@ na3me 那么 = それでは、じゃあ(Na4だけでもいい)
@ jiu4 就 = 早速、すぐに
<キーフレーズ>
Bu2yao4 ke4qi.
不要客气。
遠慮しないでください。
@ bu2yao4 不要 = (動詞の前に置いて)「~してはいけない」「~するな」(禁止を表す)
第4声のbuが第2声(bu2)に変調。
Bu2yao4 wang4le chi1 yao4.
不要忘了吃药。
薬を飲むのを忘れないでください。
中国では「薬」は“食べる”もの。
<聞き取り>
Bu2yao4 wang4le zi4ji3 de dong1xi.
不要忘自己的东西。
自分のものを忘れないでください。
<エクササイズ>
@Bu2yao4 不要「~してはいけない」
無理をしないでください。
Bu2yao4 mian3qiang3.
不要勉强。
※もう1つの「禁止」(話し言葉);Bie2 别
パスポートを(携帯するのを)忘れないで。
Bie2 wang4le dai4 hu4zhao4 .
别忘了带护照。
<日本と中国の漢字の違い>
「整形外科」の「整形」は、中国では「美容整形」のこと。
@整形外科=gu3ke1 骨科
@小児科=xiao3'er2ke1 小儿科
@歯科=ya2ke1牙科
@漢方科(中国伝統医学)=zhong1yi1ke1中医科
@漢方薬=Zhong1yao4 中药
<ピンイン> 「反り舌音+i」 以外の母音
舌をそり上げて母音を素早く発音する。
@chen4shan1 衬衫 シャツ
Qing3 zai4 shuo1 yi2 bian4.
请再说一遍。
もう一度言ってください。
<締めくくり>
今日学んだことを忘れてはいけません。
Bu2yao4 wang4le jin1tian1 xue2 de dong1xi.
不要忘了今天学的东西。
子曰く、關雎(かんしょ)は楽しみて淫(いん)せず、哀しみて傷(やぶ)らず。
先生が言われた。「關雎(かんしょ)の詩は、楽しみながらも過度に楽しみ過ぎず、悲しみながらも過度に心身を痛めることもない」。
※浩→孔子は、礼節と音楽(礼楽)が社会秩序の維持に必要不可欠だと考えたように、『詩経』に出てくる詩を音楽として楽しんだようです。『詩経』の「国風」にある「關雎」という歌は、歓喜と悲哀の調和がとれていて、感情の抑制(節度)が適切で絶妙であると評価しています。
關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう=みさご)は 河の洲(す)に在り
窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ)は 君子(くんし)の好逑(こうきゅう)
參差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に流(もと)む
窈窕(ようちょう)たる淑女は 寤寐(ごび)に求む
之を求めて得ざれば 寤寐(ごび)に思服(しふく)す
悠(ゆう)なる哉(かな)悠なる哉 輾轉(てんてん)反側(はんそく)す
參差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に采(と)る
窈窕(ようちょう)たる淑女は 琴瑟(きんしつ)もて友(した)しむ
參差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に芼(と)る
窈窕(ようちょう)たる淑女は 鐘鼓(しょうこ)もて樂(たの)しむ
なごやかに鳴きあうミサゴの夫婦が川の中州にいる、窈窕たる淑女は、ミサゴの妻のように、君子の妻とするに相応しいものだ
生い茂った水菜は左右に求めて食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、目覚めていても寝ていても、求めに求めて伴侶にすべきものだ
窈窕たる淑女を求めて得ることができないならば、目覚めていても寝ていても残念に思うべきだ、ああ残念のあまり、身のもだえる思いがする
生い茂った水菜は左右に摘んで食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、琴瑟を以てもてなすべきものだ
生い茂った水菜は左右に選び取って食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、鍾鼓を以て楽しんでもらうべきものだ
この詩は、配偶者を求めて歌っていることから、中国人にとっては古来、婚礼の席で歌うべきめでたい歌だとされてきました。ミサゴの夫婦が互いに応じあって声を交わすさまを表しているのでしょう。ミサゴに限らず鳥は夫婦仲が良いものであるから、人の婚礼のめでたさを飾るのに相応しいです。また窈窕とは、つつしみ深い美しさのことで、中国人にとって、女性としてあるべき理想を表わした言葉でした。窈窕、窈窕…美しい言葉なのでよく覚えておきます。
「楽しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず」=歓喜の感情がいかにも楽しげでありながら、節度を保って過度でない。悲哀の感情が流れているが、それも節度を保って過度でない。中国の文化が、常に極端な感情の表出を嫌い、節度ある表現を尊んできたのは、孔子のこの言葉に影響されているのでしょうと、吉川幸次郎先生。今の中国もこうあってほしいです。
歓喜と悲哀の調和が絶妙というワードに引かれて、現代の日本の歌でいくつか思い出します。北島三郎さんの「風雪ながれ旅」のイントロの津軽三味線が耳に響いてくるようです。2011年の東日本大震災の直後にNHKで「チャリティーコンサート」があり、名だたる歌手がそれぞれのヒット曲を歌って、被災地のみならず全国を勇気づけました。私はそのうちでこの「風雪ながれ旅」が最も心に響きました。紅白歌合戦では、1980年・第31回から以降1981年・第32回、1996年・第47回、2003年・第54回、2005年・第56回、2010年・第61回、2012年・第63回と合計7回も歌われました。特に、2回目の歌唱となった第32回の大トリの紅白ステージでは、途中から猛烈な吹雪を思わせるような、真っ白い紙吹雪が大量に舞い落ちて、歌唱披露する北島さんが見づらくなるほどで、さぶちゃんの鼻の穴にも入ったようでした(笑)。この歌のモデルは津軽三味線の高橋竹山さんだそうです。あるとき、ラジオの「武田鉄矢、今朝の三枚おろし」で、3番を紹介していました。
「鍋の焦げめし袂で隠し 抜けてきたのか親の眼を 通い妻だと笑った人の 髪の匂いも懐かしい アイヤ アイヤ 留萌、滝川、稚内-」
この曲は、昭和の歌姫美空ひばりさんも歌っていて、そのうまさはさすがだと思いますが、やはり元祖・さぶちゃんのが理屈を越えて素晴らしいです。CDを買おうかと思いましたが、震災から1年後くらいにNHKのFM放送から録音できました。今やわが家の貴重な財産です。青森から北海道にかけての地名がやたら出てきて、覚えやすいです。
定公問う、君、臣を使い、臣、君に事(つか)うるにこれを如何(いかん)。孔子対(こた)えて曰く、君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。
魯の定公がたずねられた。「君主が家臣を使い、家臣が君主に仕えるにはどのような心がけを持てばいいだろうか?」。孔子は答えて申し上げた。「君主が家臣を使うには礼節をもって臨み、家臣が君主に仕えるには忠実なまごころをもって臨むことです」。
※浩→定公は魯の君主で、兄の昭公が家老たちに追い出されて、国外で野垂れ死にしたあと、権臣たちに擁立されて、BC509年からBC495年まで在位しています。孔子の43歳から57歳までで、かつ孔子が魯の大臣として抜擢されたのは、この君主のときでした。その孔子に定公が問いかけた言葉です。君臣の関係はどうあるべきであるかと。孔子は、君主が家臣に対する場合には「礼の伝統」に依拠し、家臣が君主に対する場合には「忠=まごころ(誠実)」を発揮すべきだと回答しました。
現代の職場、組織で、管理職は部下に「礼」をもって対し、部下は管理職に「忠」をもって臨むと言うと、封建的な感じがするでしょうか?「礼」と「忠」の真の意味をきちんと理解していればそんなことはないと思います。逆を考えるとよくわかります。「礼」の逆は「無作法」で、「忠」は狭義に「忠義」を言うのではなく「まごころ」「誠実」という意味ですから、逆は「裏切り」「不実・嘘つき」になります。こう考えると、現代にも十分適用できそうです。日本人は「まごころ」とか「誠実」いう言葉が大好きです。私が22年間勤めた岡山工業高校の校訓は「誠実勤勉」でしたし、最近非常勤で勤務したる津山の高校は「至誠敢行」でした。幕末の新撰組の旗には「誠」とありましたし、人名にも「誠」のほか別の漢字で「真」や「信」で“マコト”、「真琴」で“マコト”なら女性の名前になります。こんなにも誠が大好きなはずの日本人に最近は嘘つきが増えて困ります。