子曰く、これを導くに政をもってし、これを斉(ととの)うるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥ありてかつ格(いた)る/格(ただ)し。
先生が言われた。「法令によって指導し、刑罰によって規制すると、人民は刑罰にさえかからなければ、何をしようと恥と思わない。道徳によって指導し、礼儀作法によって規制すると、人民は恥をかいてはいけないとして、自然に正しい道にいたる。
※浩→このまま学校の生活指導にも応用できそうです。厳しい校則で厳しく罰して生徒を縛ろうとすると、誰しも罰から逃れることばかり考えて、恥知らずのことを平気でするでしょう。校長はじめ教師がみずからの人徳を高めて、礼儀正しく、kind and firmに生徒に接すれば、生徒は教師をモデルとして学びますし、恥を知る人になり、正しい学校生活を送るようになるでしょう。野田先生は、学び方を三つ教えてくださいました。一つは、言葉で学ぶ。二つは、モデルで学ぶ。三つは、体験から学ぶ。このうち、最も効果が低いのは「言葉」で学ぶです。言われたとおりにすぐできるなら、苦労はないです。最も効果的なのは、自らの体験を通して学ぶことで、次がモデルで学ぶことです。そういえば、私が教師になったのは、中学の社会科の先生に憧れたからでした。
「格」は「格物致知」の「格」です。これを宋時代の朱子は、「知を致(いた)すは物に格(いた)るに在り」と読んで、自己の知識を最大に広めるには、それぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが先決であると解釈しました。一方、明(みん)の王陽明は、「知を致すは物を格(ただ)すに在り」と読んで、生まれつき備わっている良知を明らかにして、天理を悟ることが、すなわち自己の意思が発現した日常の万事の善悪を正すことであると解釈しました。アドラー心理学の「共同体感覚」を連想します。
備前高校(現・備前緑陽高校)のボート部に「岸本格」君という部員がいました。昭和48年に、私がボート部監督として、夏のインターハイで三重県の大台町へ引率しました。備前高校にはボート部の大先輩のI.S.さんがいらっしゃって、私はこの方の補佐的な役割でしたが、陸トレや水上練習は私が中心になって指導していました。のちに岡山工業高校の校長になられる片山博美先生は、当時、交通指導の主任として大活躍でしたが、私が放課後に部員たちとランニングをし、重康さんは同僚と囲碁を打たれていると、「大森さんに走らせて、あんたは碁を打っているのか」と冷やかされていました。
その岸本君は小柄でしたからコックス(舵取り)でした。彼は自己紹介で、必ず「格を“いたる”と読みます。格物致知の格です」と自慢そうに語っていました。1年生で入部するとすぐに対抗クルー(試合に出場できる野球で言えば一軍か)のコックスになりました。漕ぎ手の選手は3年生と2年生の上級生ばかりですが、彼はひるむことなく、ひとたび乗挺するとテキパキと号令をかけていました。ジンクスに、レース直前にコックスが水上で立ち小便をすると必勝だというのがありました。彼は大台町のインターハイでこれを実行して、先輩たちを慌てさせました。さすが、「格物致知」の岸本君です。
1998年の日本アドラー心理学会総会(名古屋)には、米国からジェーン・ネルセンさんという女性の大物アドレリアンが招かれて講演をなさいました。彼女が残してくれた名言が「Kind and firm(やさしくきっぱり)」です。「これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば」は凡人の私には、高すぎる目標ですが、「やさしくきっぱり」が実行できるようずっと心がけてきました。「やさしくなければ男でない」は高倉健さんですが、人にはやさしく自分には厳しくありたいものです。
第16課 「~(し)ました」「~でした」(過去の表現)
<キーフレーズ>
私の愛をたっぷり込めて作りました。
チェ サランウr トゥmップk タマソ マンドゥロッソヨ
제 사랑을 듬뿍 담아서 만들었어요.
クッキーを食べました。
ク’キ’ルr モゴッソヨ
쿠키를 먹었어요.
@食べる= モkタ
電話をかけました。
チョヌァルr コロッソヨ
전화를 걸었어요.
@かける=コrダ
味は良かったですか?
マスン クェンチャ’ナッソヨ?
맛은 괞찮았어요.
私が考えました。
チェガ コアネッソヨ
제가 고안했어요.
<公式> 「~(し)ました」「~でした」
・「~(し)ます」「~です」=語幹 + 아요/오요/여요(해요)
・過去形
「陽母音語幹(ㅏ,ㅗ)+ 았어요」
「陰母音語幹 + 었어요」
「하다の付く動詞・形容詞の語幹 + 였어요」→「했어요」 ヘッソヨ
<過去形の縮約>
昨日韓式エステの店に行きました。
オジェ ハンバン ピ’ブグァンリシレ カッソヨ
어제 한방 피부관리실에 갔어요.
10歳は若くなりました。
ヨr サルン チョrモジョッソヨ
열 살은 젊어졌어요.
マッコリ出てきました。
マッコrリ ナワッソヨ
막걸리 마왔어요.
@行く=가다 →行きました=가았어요 →갔어요
@若くなる=젊어지다 →若くなりました=젊어지었어요 →젊어졌어요
@出る=나오다 →出てきました=나오았어요 →나왔어요
@出す=내다 →出しました=냈어요 ネッソヨ
<問題>
1,服を買いました。
オスr サッソヨ
옷을 샀어요.
2,その仕事は大変でした。
ク イルン ヒmドゥロッソヨ
그 일은 힘들었어요.
3,英語を習いました。
ヨンオルr ペウォッソヨ
영어를 배웠어요.
<ひとこと>
「エアコン故障しました」
エオコン コジャン ナッソヨ
에어컨 고장 났어요.
「このドア故障しました」
イムン コジャン ナッソヨ
이문 고장 났어요.
「お湯が出ません」
ットゥゴウン ムリ アン ナワヨ
뜨거운 물이 안 나와요.
「電気がつきません」
プリ アン キョ’ジョヨ
불이 안 켜져요.
<名前の呼び方>
キムスウォンさん=김수원 씨 キmスウォン ッシ(氏)
・フルネーム + 씨
・親しくなったら、名前+
姓につけると失礼になる。
・目上の人には役職か「先生」をつける
キム課長=김 과장님 キmグァジャンニm
キム先生=김 선생님 キmソンセンニm
・お店のお客様には名前 + 님「様」
キムスウォン様=김수원 님 キmスウォンニm
・友人や年下の人を呼ぶときは
「名前(パッチムなし)+ 야 /名前(パッチムあり)+ 아」
유나야 ユナヤ 수완아 スウォナ
<調理器具>
包丁=식칼 シkカ’r
まな板=도마 トマ
鍋=냄비 ネmビ
大さじ=큰술 クンスr
小さじ=작은술 チャグンスr
<フィナーレ>
新聞を読みました。
シンムヌr イrゴッソヨ
신문을 읽었어요.
料理を作りました。
ヨリルr マンドゥロッソヨ
요리를 만들었어요.
ハングルを勉強しました。
ハングルr コンブヘッソヨ
한글을 공부했어요.
子曰く、詩三百、一言もってこれを蔽(おお)えば(or さだむれば)、思い邪(よこしま)なし。
先生が言われた。「『詩経』の詩の数は三百、一言で結論すると『思い邪(よこしま)なし』に尽きる」。
※浩→「詩三百」は『詩経』のことです。『詩経』には三百五篇、題名だけあって本文のないものを合わせると三百十一篇の詩が収められています。その端数を切り捨てて「三百」としています。
詩の本質が「思い邪なし」というのは、純粋な感情が自然に流露し、しかもそれが調和を保ち、表現が適正で、決して過度に陥ってはならないということです。
孔子の教育では詩と音楽が尊重されました。その教科書として選ばれた『詩経』の半分以上は民謡で、奔放な恋愛をうたった歌、人生の苦悩をうたった暗い歌なども含みますがそれらの詩をも純粋な感情の上に成立したものとして、孔子が尊んだことをこの章は示しています。
『詩経』は、中国最古の詩集。黄河流域の諸国や王宮で歌われた詩歌305首を収めたもので、『書経』『易経』『春秋』『礼記(らいき)』とともに儒教の経典(五経)の一つとされました。西周初期(前11世紀)から東周中期(前6世紀)に至る約500年間の作品群と推測されています。内容は、周王朝の比較的安定した時代にふさわしい明るい叙情詩から、混乱期を反映する暗い叙事詩まで多彩ですが、数の上で最多なのは多いのは恋愛詩です。したがって『詩経』は、儒教以前の古代歌謡の黄金時代に花開いた中国文学史上まれな恋愛文学ないし女流文学の一面を持っていて、これをテキストに使う孔子は、粋と言えましょうか。
実際の詩はほとんどお目にかかることはありません。唐詩は高校の漢文でも習って、おなじみですが、『詩経』は習わなかった気がします。しかもとても難解です。一つ例を挙げます。
周南・樛木(きゅうぼく)(つる草に絡みつかれる木でもって、女の積極的な愛を受ける男の幸福を歌う)
一
南有樛木 南の国のしだれ木に
葛藟壘之 かずら草のはうという
楽只君子 喜びあふれる殿方に
福履綏之 良き人の幸(さち)もたらさる
二
南有樛木 南の国のしだれ木に
葛藟荒之 かずら草のおおうという
楽只君子 喜びあふれる殿方に
福履将之 良き人の幸みたされる
三
南有樛木 南の国のしだれ木に
葛藟栄之 かずら草のめぐるという
楽只君子 喜びあふれる殿方に
福履成之 良き人の幸とげられる
私は、詩は作りませんが、かつて短歌を詠んだことがあります。大学卒業直後に赴任した井原市立高校在職中に、学校の近所の小さな出版社から自費出版した詩集が何冊かありました。詩集のタイトルは「三舟(みふね)」で、ペンネームの「三舟史雄」からとりました。大事に保存していましたが、何度か引っ越しするうちに、紛失してしまいました。
ペンネームの由来は、
身は舟に心は空に委ねつつ 波の間に間に史(ふみ)を綴らん
という一首です。こうしていると、いくつか自作の歌を思い出しました。
喜びも悲しみも分けこの道を 若き師なれば生徒とともに
二十五の春はむなしく過ぎたれど 幸よ新たに夏来るらし
弁護士か医師か執事か秘書のうちに 真犯人の八割はおり
かつてただ送りしのみのこの道を 今送られてわれもまた行く
なお岡山工業高校には「東天会」という俳句の同好会がありました。そこへも参加させていただきました。俳号は「夢遊」でした。俳句は語数が少ないので、苦労しました。この職場には“玄人はだし”の上手な先生が多くて、唸るほどお上手でした。毎月5句投稿して、メンバー全員がお気に入りを投票します。数年間、お世話になりましたが、1回だけ「天」に選ばれたことがあります。それは、
飛行雲夢を異国の秋へ引き
でした。
地味ですが、会の代表者であったN先生から注目していただいた一句があります。
寒菊をいけて背筋を伸ばしけり
はたして「思い邪なし」だったでしょうか。
第17課 前置詞「在 zai4」
<スキット>
Wo3men qu4 bian4li4dian4 mai3 bing1ji1ling2 ba.
我们去便利店买冰激凌吧。
コンビニに行ってアイスを買おうよ。
Wo3men zai4 gong1yuan2 li chi1 ba.
我们在公园里吃吧。
公園で食べようか。
Ni3 kan4, nar4 you3 yi2 ge chang2yi3.
你看,哪儿有一个长椅。
見て、そこにベンチがあるよ。
Wo3men jiu4 zai4 nar4 chi1 ba.
我们就在那儿吃吧。
じゃああそこで食べようよ。
@ jiu = 就(他のところでなく)そこで
@ chao1shi4 = 超市 スーパーマーケット ←chao1ji2 shi4chang3 超级市场
@ hu4lian2wang3 = 互联网 インターネット
<キーフレーズ>
「主語+前置詞+場所+動詞フレーズ」
Wo3men zai4 gong1yuan2 li chi1 ba.
我们在公园里吃吧。
「公園で食べましょう」
@ 前置詞zai4 在 = 動作行為が行なわれる場所や範囲「~で」
@ zai4 gong1yuan2 li 在公园里 = 公園の中
「公園」「教室」「冷蔵庫」などは、“場所”ととらえないで“もの”ととらえるので、liなどの方位詞が必要。
@ ba 吧 = 提案を表す助詞
<聴き取り>
Wo3men zai4 gong1si1 li he1 ka1fei1 ba.
我们在公司里喝咖啡吧。
私たちは会社でコーヒーを飲みましょう。
Wo3men zai4 jiao4shi4 li xue2 Han4yu3 ba.
我们在教室里学汉语吧。
私たちは教室で中国語を勉強しましょう。
<発音>
・Wo3men 我们 のwoは子音がなければ「uo」の音
・yuan园 はüan。
・li里 は軽声
・chi1吃 は「反り舌音」で有声音
<エクササイズ>
彼はレストランで夕ご飯を食べます。
Ta1 zai4 can1ting1 li chi1 wan3fan4.
他在餐厅里吃晚饭。
私は毎日家で料理をします。
Wo3 mei1tian1 zai4 jia1 zuo4 cai3.
我每天在家做菜。
明日私たちはどこで集合しますか?
Wo3men ming2tian1 zai4 nar3 ji2he2?
我们明天在哪儿集合?
<ひと言>
「おめでとう!」
Gong1xi3, gong1xi!
恭喜,恭喜!
<ピンイン>
隠れる“e”“o”
pi2jiu3 啤酒(ビール):発音はpi2jiou3(iouは頭に子音がつくとoが省略)
他に、uei, uenのeも表記されない。
hui4 会 はhuei4のeが省略、chun1 春 はchuen1のeが省略。
jiu3 九 はjiou3、zui4最 はzuei4、zhun3 准 はzhuen3。
<街角中国語>
ベビールーム=yu4ying1shi4 育婴室
化粧室=wei4sheng1jian1 卫生间
チキンカレーライス=jii1rou4 ga1li2 fan4 鸡肉咖喱饭
マグロ丼=jin1qiang1yu2ding1 gai4fan4 金枪鱼顶盖饭
子曰く、政を為(な)すに徳をもってすれば、譬(たと)えば北辰(ほくしん)のそのところにいて、衆星のこれをめぐるがごとし。
先生が言われた。「政治を行うのに道徳をもととしたら、まるで北極星が天の頂点にじっと座って、すべての星がこれを取り巻きながら動いているように、うまくゆくに違いない」。
※浩→孔子の住んでいた華北は、初夏の短い雨期を除いて、天は隈なく晴れ渡っていて、夜空の星はいつも燦然と輝いていたそうです。孔子は、北極星を中心として美しい全星座が整然と運行しているのを見て感動したのでしょう。権力による政治ではなくて、道徳をもととした政治を行えば、きっと天上の星の世界が持つような荘厳な調和を地上に実現できるに違いないと考えたのでしょう。
西洋では、カントが、「わが上なる星空と内なる道徳法則」に畏敬の念をいだいて感動しています。この美しい空にミサイルを飛ばす国がありますが、アドラー心理学が考えるように、今の国際情勢を見ても、人類の精神年齢はほんとに10~12歳だと納得できます。日本ではかつて2つの都市で核兵器の被害を実際に経験しているにもかかわらず、アメリカの傘のもとに保護されているという理由で、「核兵器禁止条約」に参加していないです。自国防衛のためには仕方がないのでしょうが、そのアメリカが広島と長崎に原爆を落としたことを忘れてもいいのでしょうか。カントは18世紀末に『永遠(恒久)平和のために』で、国際連盟構想を掲げて、実際に国際連盟ができました。第二次大戦後は国際連合になりましたが、安全保障理事会では必ずといっていいほど、大国が拒否権を行使するので、議案は常に不成立です。今だって、アメリカの提案をロシアと中国が反対し、逆にウクライナへ戦争を仕掛けて実行しているロシアが、安全保障理事会で停戦の議決をしようとするといわば“被告”のロシアが拒否権を発動するため、議案は成立しません。これでは国連はまったく機能していないことになります。国際平和は夢まぼろしというのが現実のようです。
カントの『永遠平和のために』の概要は……
国家を1つの人格として捉える。そうすると国家は対外的・対内的利害に動かされる傾向性をもっていると同時に、定言命法により道徳的法則を自分自身に課すような存在だと言うことができる。でも国家は利害意識を放棄しようとしない。だから永遠平和状態に少しずつ近づくことしかできない。だから「常に拡大しつつある国際連合」という考え方のほうが役に立つ。
「結局、永遠平和状態に到達できないのなら、それを目指す意味なんてあるの?」と思う人もいるかもしれない。しかしそれは考え方として正しくない。なぜなら永遠平和状態がいつか達成されることは、自然の「摂理」が保証しているからだ(具体的にいつ達成されるのかはわからないが)。そのことに心配する暇があるなら、永遠平和状態に少しでも近づけるように努力すべきだ。「まずもって純粋実践理性の国とその正義を求めて努力せよ。そうすれば汝の目的(永遠平和という恵み)はおのずからかなえられるであろう」。
私が2番目に勤めた学校(高梁工業高校、当時は高梁南高校で今は高梁城南高校)の校訓は「自律友愛」でした。もちろんカントがルーツです。道徳的主体として自律した尊い個人と個人が、深い友愛でつながるという、アドラー心理学の「個人の主体性」と「共同体感覚」を彷彿させる美しいフレーズだと思います。カントの定言命法は今でも暗記しています。
「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」。
「定言」というのは「仮言」と対の言葉です。その定言とは「無条件」、「仮言」とは「条件つき」という意味です。「条件つき」というのは、「もし~ならば」という条件がついているのですから、例えば「もしあなたが幸福になりたいなら、人には親切にしなさい」となります。定言命法では「人には親切にしなさい」です。どう違いますか?
道徳的なのは後者です。無条件に善行を行なうという厳しい考えで、“厳格主義”とも言われました。私利私欲まみれの暮らしをしても、こういう美しい行動には憧れます。「この身は地獄の業火に焼かれても、それでも魂は天国に憧れる」と、「金田一少年の事件簿:オペラ座館の殺人」のヒロインが叫んで、飛び降り自さつをするシーンを思い出しました。
「人格の尊厳」ということが、今日、とても軽視されていると思います。他者の人格を考慮しないばかりか、最近はおのれの人格すら軽視しているような、破廉恥な行動をする人が多くて、嘆かわしいです。アドラー心理学の「共同体感覚」の実践はとても困難な状況です。