MENU
57,576

論語でジャーナル’24

 子曰く、君子は食飽くを求むることなく、居(きょ)安きを求むることなく、事に敏にして言に慎む。有道に就(つ)いて正す。学を好むと謂うべきのみ。

 紳士は、食事にあたって満腹を求めず、住居については安楽を求めない。行動に敏捷であり、そうして言語には慎重であれ。以上のような点に気をつけつつも、自己だけの判断では誤謬に陥るから、有徳の人に接近してその批判を求める。そうした行為をなしうる人物は、学問を好む者と判定してよかろう。

※浩→私の早期回想です。「幼稚園の卒園式のあと、講堂のステージ横の部屋にヘラ台のような細長いテーブルが置いてあった。そこに先生や友だちと並んで座って、紅白のお饅頭をいただいた」。
 早期回想というのは、アドラー心理学の性格分析技法の1つです。さて私の在職中にアドラー心理学の学習会を開催していて、終了後には必ず「懇親会」を開いていました。退職後、参加者の方々のご厚意によって、新たに会場を得て、継続することができました。ところが、二月(ふたつき)三月(みつき)経過した時点で、懇親会がないことに気づいて、私は少しスネていました。そでまでの私のライフスタイルですが、言葉ではっきり言わないでスネたりしてそぶりでアピールしていました。それに世話人さん方が気づかれて、私に事情を聞いてくださいました。理由をお話たところ、翌月から毎月必ず懇親会が開催されることになりました。この早期回想でわかります。「通過儀礼のような節目節目の行事を大事にする人」であることがわかります。「紅白のお饅頭」のほうに関心があるのであれば、「食いしん坊」だということになりそうです。確かにおいしいものをいただくのは今でも大好きです。
 私は高校までは田舎の本籍地で暮らしていました。父は大農家の末っ子で、本家の近所に一軒家をもらっていました。家の前に大きな納屋がありその中にお風呂がありました。納屋の部分には3台ほどの石臼があり、足でペダルのようなものを踏んで穀物をついていました。のちにこの納屋部分は撤去されてお風呂だけが小さな小屋として残りました。脱衣場はないので、母屋で衣服を脱いで玄関から裸で飛び出して、お風呂場に直行しました。お風呂は金属製の五右衛門風呂で、狭い流し場がありました。当時は水道はなくて、風呂水を家のそばのいつも水を湛えている堀からバケツ運んでいました。水は泥で少し濁っていましたが、今から思えば「温泉」みたいなものです。子どもたちも水運びをしました。飲み水や炊事には井戸水を使いました。竹竿についた釣瓶でくみ上げては、これまた桶やバケツで一々台所の水瓶に運んで使っていました。台所は土間で、流し場は地面に掘っているので、水仕事は母がしゃがみこんでやっていました。もちろん電気釜などはない時代です。ご飯は「竈(おくどさん)」で炊きます。「おくどさん」は関西では「へっつい」と言います。おかずの煮炊きは七輪を使っていました。「七輪」は関西では「かんてき」だそうで、落語で知りました。父はお百姓をしないでサラリーマンになり、日本通運に勤めていました。父の兄たちはみんな、田畑やマスカットの温室を持っているのに、父はこの家と畑だけを持つサラリーマンでした。それでも自宅前の畑には四季の野菜が植えられ、父と母が力を合わせて世話をしていました。キャベツや茄子、トマトや西瓜、トウモロコシや大根、人参と、ほとんど買うことなく自給できていました。今思い返すと、まるで「桃源郷」のようなのどかで平和な生活でした。私が高校へ行くころは、私の進学をめぐってか、両親の意見が対立して、母が強引に私を普通科進学校へ行かせ、学費を稼ぐために、岡山市内に住む従姉妹(いとこ=母の妹の娘、私と妹は「久保田のおばちゃん」と呼んでいた)のアパートに同居して一緒に和裁をしていました。私も、そこで暮らしたり、母の実家(岡山市内で内科を開業する母の兄の家)に一間を借りたり、時には妹が父と一緒に暮らす実家へ戻ったりをくり返して暮らし、大学生になりました。大学時代のことは「自叙伝」に書きました。
 田舎の実家での暮らしは、決して裕福なものではありませんでしたが、母が都会育ちで、節目節目のお祝いは必ずしていました。確か、毎月朔日(ついたち)にはお赤飯を炊いていました。春のお彼岸には「ぼた餅」を、秋のお彼岸には「おはぎ」を作り、五月の節句には「具だくさんのちらし寿司」を作り、家族の誕生日はお赤飯を炊き、クリスマスには、子どもたちの枕もとに、サンタクロースのプレゼントを靴下に入れてくれていました。こういう家庭で育った私は、節目節目の行事を大事にするようになったのでしょう。
 「行動に敏捷」に関しては、私はとかく“即断即決即破滅”(by野田先生)になりそうで、これは注意しないといけません。何ごとに関しても、結果を早く求める傾向があります。用心、用心。これを防ぐために、「自己の判断での誤謬」がないよう、賢者の知恵をあおぐことがほんとに必要です。
 本を読んで学ぶのはもちろん大切ですが、日常の実践において、物欲は控え目に、独り判断に頼らず、有徳者の判断を取り入れて慎重に生きている人は、学問を好む人と言える。 私にとって最高の有徳者はもちろん故・野田俊作先生です。

引用して返信編集・削除(未編集)

しごとの基礎英語7/22

<ジョブキソ4>
#テーマ:会計で支払おうとしている取引先に「私が払います」と“押し切る”には?
 We must pay.ではどうか?→こう言われると、何かのルールがあるのかと思う。その会社ではルールがあって、「こちらが払います」と言うと悪いんじゃないかという感じがする。
 mustは「強制力」を示す(よんどころない事情があって抑えている感じがする)。
 「そうするより仕方がない、やむをえない」。
☆修正
 I appreciate that, but I insist.
 ありがとうございます。でも私が払うという気持ちは変わりません。
@insist = 強く主張する(自分の立ち位置から動かないという気持ち)
※感謝の気持ちを伝えるには、
 That's so kind of you. ご親切に。
※もしも相手のプライドを考慮するなら、Next time, It's on you.と言ってあげればいい。
 It's on me(us). 私(たち)が持ちます(負担します)よ。

#相手の反応
Thank you very much. This time you get it, but next time, It's on me.
それはどうもありがとう。今回は払ってもらうけど、次回は私が持たせてもらうよ。

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル’24

 有子曰く、信、義に近づけば、言復(ふ)むべきなり。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかるなり。因(よ)ること、その親(しん)を失わざれば、また宗(むね)とすべきなり。

 有子が言いました。「信(=約束をたがえぬこと)、それは無条件に道徳でない。それが、義(=正しさ)に近づいた場合に、はじめて約束の言葉が吟味に堪え、実行に堪える。また、恭(=うやうやしさ)ということは、無条件に賞賛されない。礼の掟に接近した恭しさである場合に、はじめて恥辱から遠ざかりうる」。

※浩→また弟子(有若)の登場です。この一節も難解で、他の読み方もあります。
 別の読み方:信は義に近し、言復(ふ)むべければなり。恭は礼に近し、恥辱に遠ざかればなり。
 信と恭とは、義そのもの礼そのものではない。しかしそれらは近いものではある。何となれば、信であれば言葉は頼りになり、恭であれば恥辱を受ける危険が少ないから。
 有子は、「信」「恭」「因(姻)」という徳が成立する根源、つまり「本(もと)」を考え、その徳の実現する限界を設定しました。孔子の弟子の中ではきわめて論理的であったそうで、同輩から反感を持たれるもとにもなったようですが、この精神は、子思~孟子の「性善説」の理論に発展していきます。
 少し前にも、「君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず」とありました。カウンセリングやその他の対人関係で行き詰まったときは、対人関係の基本原則を思い出すように、つねづね野田俊作先生から教わりました。アドラーの高弟・ドライカースは「良い人間関係」の4つの基本原則を次のように示しました。
 1)相互尊敬 2)相互信頼 3)目標の一致 4)協力
 まず1)2)が大前提です。相手への尊敬・信頼は十分であったか?どこかで自分の優越性を鼻にかけて、相手を軽視していなかったか?相手に不信感を持って「どうせ言ってもわかりっこない」とか決めつけていなかったか?無自覚に強引に自分の思う方向へ相手を引っ張ろうとしていなかったか?
 コミュニケーションがこじれるのは双方の目標が一致していないからです。野田先生はよく「すりあわせ」とおっしゃいました。双方の目ざす目標が合理的で実現可能かどうかを検討して、不合理で実現不可能なものを捨てて、合理的かつ達成可能な目標を一致して決めることができたら、その目標に向かって「協力」していくことができます。
 安っぽいヒューマニズムで不遜にも人様を援助しようとすれば結局行き詰まり、途中で投げ出すことにもなりかねないでしょう。これでは「縦の関係」です。「横の関係」で、目標が一致していないと、真の援助に向かって進むことはできないです。どこまでいっても、要修業・要鍛錬です。

引用して返信編集・削除(未編集)

ハングル講座7/20

第14課 「~(し)ます」「~です」(ヘヨ体)の縮約形
<キーフレーズ>
「スウォンさんが本当にかっこいいです」
スウォン ッシガ チョンマr モッチョヨ
수원 씨가 정말 멋져요.
@かっこいい=멋징다 → かっこいいです=멋지어요 →縮約 멋져요 モッショヨ

<縮約の2つのパターン>
1,母音が一緒になる場合
ダメですよ=안 돼요!  アン ドェヨ
@なる、できる=되다 トェダ →なります、できます=되어요 →縮約 돼요 トェヨ
@飲む=마사다 マシダ →飲みます=마시어요 →縮約 마셔요  マショヨ
 飲みません=안 마셔요.  アン マショヨ

2,母音が脱落する場合
@行く=가다 →行きます=가아요 →縮約 가요.
@立つ=서다 →立ちます=서어요 →縮約 서요.

<練習>
@学ぶ=배우다 →学びます=배워요 ペウォヨ
@(電気を)つける=켜다 キョ’ダ →(電気を)つけます=켜요 
@出す=내다  →出します=매요
@強い=세다 セダ →強いです=세요

<問題>
1,本を借ります。
 @借りる=빌리다
チェグr ピrリョヨ
책을 빌려요.
2,服が安いです。
 @安い=싸다
オシ ッサヨ
옷이 써요.
3,単語を覚えます。
 @覚える=외우다 
タノルr ウェウォヨ
단어를 외워요.

<ひとこと>
「もっと大きいサイズありますか?」
ト ク’ン サイジュ イッソヨ?
더 큰 사이즈 있어요?
「大きすぎます」
ノム コ’ヨ
너무 커요.
「もっと小さいサイズありますか?」
ト チャグン サイジュ イッソヨ?
더 작은 사이즈 있어요?
「ちょっと小さいです」
チョm チャガヨ
좀 작아요.

<ハングル部屋> 分かち書き
スウォンさんが本当にかっこいいです。
수원 씨가 정말 멋져요.
※分かち書きするのは、文節で。
 他には、「~さん」、肩書き「~部長」とか、個数、時刻の「時」「分」。
@2個=두 개 、3時=세 시
私は毎日7時にパンを食べます。
저는 매일 일곱 시에 빵을 먹어요.

<フィナーレ>
@戻ってくる=돌아오다  トラオダ
 → 戻ってきてくれ=돌아오+아요 → 縮約 돌아와요  トラワヨ
@代える、替える=바꾸다  パックダ →代えます、替えます=바꿔요 パックォヨ

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル’24

 有子曰く、礼の和をもって貴しとすれば、先王(せんのう)の道も斯(こ)れを美となす。小大之に由れば行われざるところあり。和をもって和すれども、礼をもって之を節せざれば、また行うべからざるなり。

 礼を実現するには調和が大切である。昔の聖人王のやり方は、この点、すなわち礼において素晴らしかった。しかし、大小を問わずすべて礼を旨(むね)としているのでは、うまくいかないことができてくる。それは、礼の実現の手段が調和であることを知らないからだ。しかし、調和が大切だという認識をもって調和をはかるのはいいが、礼の本質に帰って、身分的な秩序に従って節制を加えないと悪平等となって、またうまくいかなくなるものだ。

※浩→儒学では、何事にも2つの側面を想定し、真理はそれらの中央にあるとする傾向(中庸)が有力だと考えます。礼についてまず顕著な側面は、調和ということです。例えば、初対面の儀式や外交使節に応対する儀式では、いかなる場合にいかなる挨拶をすべきかと、最も調和を得た時間と、最も調和を得た言葉が規定されています。あるいはまた、酒を一杯飲むにも、最も調和を得た飲み方が指定されています。このように調和は礼の重要な側面ではありますが、調和の美にばかりに憧れ溺れていてはいけないのです。事柄の秩序だった遂行という礼の別の側面、それをも重視すべきなのです。日本では、学校の卒業式などで、今も固苦しいほどの調和と秩序が実行されているようです。
 「和をもって貴しとなす」は、聖徳太子の十七条憲法でもおなじみです。私たちは学校で先にこちらを学びました。
 私の両親は行儀に大変厳しくて、子どものころは私たちきょうだいはかなり厳重に守ってきました。大人になってから次第に緩んで、時には無作法をやるころもありましたが、それでも自分をかなり堅苦しい人間だと自覚しています。父は家の中では頑固そうで、隙のないふるまいをしていました。家から一歩外へ出ると、まるで“えびす顔”で、ご近所の人から好感を持たれていたようです。母は「お父ちゃんは内弁慶で外恵比寿だ」と言っていました。母は明治の女性の典型で、優しさと厳しさの両方をバランス良く備えたいて、“やさしくきっぱり”子どもたちを育てました。
 私は中学生になって家での勉強時間が長くなると、それまでのようにお座敷の隅に机を置いて勉強していては隣室で寝ている家族に気も使いました。そんなとき父は、それまで使っていなかった玄関の土間の隣にある3畳程度の和室を勉強部屋として整理してくれました。玄関の土間にはいつも背の高い父用の28インチの自転車が置いてありました。カッコ良かったです。ある日のこと、私は本棚から出した本を何冊か床に放置したまま、外へ遊びに出ていました。帰ってみると本棚も机もひっくり返り、本や文房具が床に散乱していました。呆然としていると母が来て、「あんたが片づけんから、お父ちゃんが癇癪を起こしてひっくり返した」と言いました。途方に暮れましたがどうしようもなく、1つ1つ元へ戻しました。いわば外傷体験で、それ以後は過度に几帳面になってしまいました。今でも続いています。私のライフスタイルの根幹は「几帳面」「規律と秩序」「安定」でしょうか。ともにアドラー心理学を学ぶ相棒・K先生の影響を受けると、「ま、いっか」と、ある程度中途半端に放っておける能力も少しは備わってきたようです。それでも結局気になっていつの間にか無意識のうちにきちんと整理整頓しています(笑)。
 母は改まった場所へ出向くときは必ず和服でした。着付けがとてもきちんとしていて、和箪笥から出した着物に樟脳の匂いが残っていて、子どもの私にとってはそれが母の匂いでした。
 お行儀の良い人に成長したことではずいぶん助かりました。大学生のとき家庭教師に行ったおうちで、上がるときに脱いだ靴をきちんと逆向きに揃えていたら、そこの奥様が大変気に入ってくださって、待遇がぐっと良くなりました。お月謝をはずんでいただけたのはもちろんですが、大学卒業まで家族同然に扱っていただけました。
 最近は老眼が進んで、細かいところの埃などはよく見えないため、目につかないところはほったらかしです。妹が帰省したとき、「お兄ちゃん、ここにこんなに埃が」と指摘されて慌てています。
 食べ過ぎるのと断食の中間あたりが適正なダイエットだと野田先生がおっしゃっていました。育児を考える際、やさしすぎると甘やかしになるし、厳しすぎるとスパルタになります。説明や話し合いはやさしく親切に、決まったことの実行はきっぱりとやりたいものです。“やさしくきっぱり”です。このフレーズは、1998年だったかに日本アドラー心理学会総会(名古屋)にお招きしたジェーン・ネルセンさんから教わりました。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計536件 (投稿532, 返信4)

ロケットBBS

Page Top