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選句候補作品鑑賞

 1 美しき変体仮名や板歌留多 (玉虫さん) 4
  板歌留多なるものを写真で初めて知った。変体仮名はとても読めたものではないが文字全体から受ける美しさは例えようがな
 いものだ。きっと現在の百人一首などに見られる遊び方との違いもあるのだろう。丁々発止と競い合う現代の歌留多と違い優雅
 な平安朝の遊びなのだろうか。など想像を逞しくしながら鑑賞した。正月にふさわしい句だ。

 2 悴める吾子の手を押し包みやる (手毬さん) 1
 子供は風の子と言うがどうだろう今の子は。勿論ここ数年はコロナのお蔭で外出もままならなかったのだが。この子は悴んだ手
 を真っ赤にしながら帰宅したのだろう。思わず抱きしめる。両手を包み込みながら。押し包むに情愛がにじむ。心温まる句だ。

13 母の背を流す幸あり女正月 (かをりさん) 7
  実に素直な句だ。その素直さが受けたのだろう高点を得た。女正月は小正月、おんな正月ともいい新年早々多忙な女性のための
 正月である。京阪中心のもので雑煮で祝うとか。この句、母親の背中を流すとは最高のお持て成し。一年の幸せを暗示している。

56 前掛けの裾に拭く手の悴みて (帷子ノ辻さん) 2
  何気ない日常生活の一コマを素直に表現している。思わず妣の仕種を思い出した。前掛けの裾が具体性があって好もしい。漬物な
 どを処理した後だろうか。悴んでいる手が愛おしい。

80 ふるさとの三日とろろや幸吉忌 (アイビーさん) 1
 「幸吉忌」を見て一瞬円谷幸吉を想定したが念のため歳時記を当たった。いずれにも記載は無かったがとろろ汁を秋と確認し東
 京オリンピックの思い出にしばし浸った。自衛隊員の幸吉は1964年の東京オリンピックでアベベに次いで2位でグラウンドへ、最後
 イギリスの選手に抜かれたが銅メダルの快挙。その後公私共に悩みが続き1968年のメキシコ大会をめざしながら自ら命を絶った。
 「父上様母上様」で始まり「干し柿、餅も美味しゅうございました」と続く遺書は今も記憶に新しい。「幸吉はもうすっかり疲れ切
 って走れません」と。なお、三日とろろは正月三日に食べる福島の風習とか。

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ナチ-サン
一番の板歌留多の句。
昨今少子化等と騒がれていますが、私の育った頃
子供の数は一家に五人六人はザラ。
正月に従兄弟ハトコ揃えば、参加するのも狭き門
でした。
下の句で取るのですから、下の句しか覚えて無かった。
乙女の姿・・・三笠の山に・・とかは、文字が独特で。
仲間に入れてもらった、何枚とれた、それが一年の始まりでした。
子供といえども百人一首の美しさは、覚えるものですね。
下の句で取っていても、好きな歌は上の句も知りたくなり、一首おぼえてしまいました。
久方のひかりのどけきはるのひにしづごころなくはなのちるらん・・それも平仮名!で。
俳句の世界に踏み込んで、毎年新年に此の板歌留多を詠みたくなります。
いつかは良い句が作れますように。

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80 ふるさとの三日とろろや幸吉忌
拙句を取り上げていただきました。幸吉忌が歳時記に載ってないことは承知してました。所謂、忌日俳句というもの、俳人なら誰でもよいわけではなく、少しは名の通った俳誌の主宰者とか、これに準ずる俳人の忌日、それから小説家、詩人、歌人など文学全般に携わる人は対象になるようですが、スポーツマン、アスリート系はまず見ません。古橋忌、前畑忌、双葉山忌などとは言いません。考えてみればおかしな話です。正岡子規は野球の殿堂に入っているのに。

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ナチーサン、13 母の背を、この句は五句投句中の最後に入れた句です。
元句は 口聞かぬ母と湯浴みの女正月
母と喧嘩してただ、幸があるのかないのか、ではこうありたいと、読んでるうちに母がいとおしくなりました。
あんまりネタバレはよろしくないので、以後しません。

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自句自解

句会が終わった後の皆様の感想等、楽しく読ませていただいております。
自句自解をさせていただきます。

5,喜寿ながらピンクの五年日記買ふ
 五年日記六冊目、始めてピンクの日記を見付けました。今までの私では決して手にする色ではありませんでした。喜寿がそうさせたのかも!

35,風花や峠幾つも越へ帰郷
 一人、夫の里より空港までのバスの旅。朝一番のバスでしたので車窓の景色は風花でした。飛行機も無事飛んでくれました。その後風花などとは言っていられない大荒れの天候となり、バスは不通となり飛行機も欠航になったと聞きました!

43,知多の日を車窓に連れて初句会
 その日は、正月頃から天気予報では雨でした。朝7時過ぎの特急で神宮前へ。ところが工場の煙突と煙突の間に太陽が顔を出し明るくなってきたのです。このまま、この日を連れて行きたいと思いました。

65,庭に色あるだけでよし冬の草
 殺風景な庭の枯芝の中に冬草の色を見付けただけなんです。

83,早梅や熱田の杜に紅こぼし
 お詣りを済ませ毎年梅の開花を確かめに行きます。その後、楊貴妃の伝説のある清水社へお水を3回掛けに、それが私のルーティン!

よろしくお願いします。

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5,喜寿ながらピンクの五年日記買ふ
ピンクの五年日記を買った動機がよく分かりました。今までなら買うことはなかったピンク、喜寿という節目で気分を変えてみようという、まあ軽い動機だったのですね。よく分かります。私なんぞもいつも同じ行動パターンで、世間の方もそのように見ますから、たまにはガラっと意表をついて世間をアッと言わせてみたい誘惑にかられます。ところで喜寿ということは、私とほぼ同年代と言うことになりますね。所謂、団塊の世代の走りの世代です。

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アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

2 悴める吾子の手を押し包みやる (手毬さん)
外で遊んできた子か、あるいはもう少し年長の子であれば部活からの帰りかも知れない。手が氷のように冷たく悴んでいる。その悴んだ手を自らの両手に押し包むようにして温めてやる作者。母親の細やかな愛情、このようにして親子のスキンシップが図られるのだ。母としての親心を句にした佳句。

67 大吉にかすかな不安初神籤 (手毬さん)
御神籤で今年の運勢を占うのは正月ならではの光景だろう。神社の営業方針だろうか、凶も少しはあるが大体は吉が出るようになっている。吉の中にも大吉、中吉、小吉、末吉とあり大吉が一番良いに決まっているが、そう簡単にいかないのが人間の心理だ。大吉は今現在が最高で、あとは衰えるばかりじゃないかと却って不安になる。むしろ小吉ぐらいから始まって、後で尻上がりに良くなっていく方がよいと考えるのだ。そんな人間の心理の微妙なアヤに着目した一句。

13 母の背を流す幸あり女正月 (かをりさん)
7点を集めた。何処か温泉にでも出かけたのだろうか、女正月だから男はオフリミットだ。男の私から見ると、よくあんなに喋るネタが尽きないもんだと感心するが、よく喋り、よく食べて、少しは酒も飲んで煩わしい家事からも解放され、文字通り女の天下だ。そのあと連れ立って温泉に浸かる。老母の背中を流し親孝行の真似事もでき最高の女正月になった。ところでこの句は作者の実体験に基づいた句なのかなあ。

93 日脚伸ぶまだ鍋の出る犯科帖 (かをりさん)
鬼平犯科帳の著者の池波正太郎先生は名うての食通だ。著作の中でもしばしば食べ物の登場する場面があり、読者を楽しませてくれる。この季節ならさしずめ軍鶏鍋あたりか、折から冬至を過ぎだいぶ日脚が長くなってきたが、それでもまだまだ寒い日が続く。「うーん、たまらねえ、一本つけてくんな」と、お頭の台詞が浮かんでくるようだ。

8 ひとかどの児等の物言ひ初笑 (てつをさん)
児等といってもまだ就学前の幼い子であろう。正月で遠方の子や孫がやって来た時の情景か。何かの折に幼児が、それこそ大人が言うようにいっぱしのタメ口をきいた。周りの大人たちは一瞬、呆気にとられやがて爆笑する。おかげで一気に場が和み和気藹藹の雰囲気になった。正月らしい和やかな句になった。

49 生くるとは人送ること枇杷の花 (てつをさん)
1月句会のトップ、9点を得た句。老境に差しかかったてつをさんの心境。人が老いると言うことは、とりもなおさず夥しい数の人が逝ったことに他ならない。自分の親であり縁者であり、兄弟であり師であり友人であるのだ。あらゆる感傷を排除すれば、人生とは畢竟、人を送ることに言い尽きる。これがてつをさんの到達した境地なのだ。季語の枇杷の花が実に的確だ。

58 来る度に身丈測りて年あらた (無点)
お孫さんだろうか、家に来るたびに身長を計るのだが、子どもの成長の早さには驚くばかりだ。惜しくも無点句になってしまったが、正直どこが悪かったのか分からない。強いて言えば季語の「年あらた」がいま一つピンと来なかったのかなあ。「お年玉」あたりを季語に持ってきたらどうだろうか。来る度に伸びる背丈やお年玉 とか。吾よりも背高き子にお年玉 と迫る手もありそう。

成人式父の服継ぐパーマの子 (無点)
俳句は17音しかない文芸だから、一句の中にあれもこれもと欲張って詰め込むと俳句がせせこましくなるので気をつけたい。この句なども言わんとすることはよく分かるだけに入点の無かったのがいかにも惜しい。父の着し羽織袴や新成人 パーマの子も捨てがたいが。

アイビーの俳句鑑賞 完

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13 母の背を流す  温泉にでも出かけたのだろうか、これはそのとおり。さあ流したか、並列に並び、胸の石鹸を泡を流したまで。実はそれを読んだ句もあり、これはまたいつか。

93 日脚伸ぶ  これは先月のアイビーさんの円生師匠の、江戸の粋の句へお返事です。
GWは脚を伸ばして、知多、渥美など半島巡りをしてみんと。そうすると中京の風土の句も取れるかなあ。
熱田神社は是非!

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年01月23日 23:19)

アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

55 初刷りが重い戦火はまだ止まず (ABCヒロさん)
時事問題を俳句に詠むのは難しい、というより殆んど失敗する。思い入れが強すぎて17音ではどうにも表現し尽くせないのだ。上掲の句は、ロシア・ウクライナの戦争が根底にあることは間違いないが、プーチンがけしからんとか国際社会の団結がどうとか言いだしたらそれこそ収拾がつかなくなる。作者は、ただ「重い戦火」とのみ言っただけで、ごく自制的な姿勢に終始している。この抑制の利いた表現が、この句をして俳句たらしめている所以に他ならない。流石ベテランというほかない。

9 初糶の金魚木舟を赤く染め (ナチーサンさん)
初糶は、大間の鮪や下関の河豚を詠んだ句は多いが、金魚の初糶とはうまい所に目をつけたものだ。この近くでは弥富金魚、大和郡山が有名だ。「木舟を赤く染め」と句またがりにして収束したところが巧い。息を呑む赤が絵画的で効果を上げている。

62 理髪店出る正月の頭かな (ナチーサンさん)
作者ご本人の自句自解にもあったようにご自分の体験を詠まれた訳で、あれこれ言えば蛇足になる。ただ一点、「理髪店出る」とあれば理髪店から出てきたのは第三者で、作者はそれを目撃したという解釈も出来なくはない。これに対し「理髪店出て」とすれば理髪店から出てきたのはナチーサンさんご自身ということになる。第三者の行為より作者本人にした方がはるかに面白い。

10 人形(ひとがた)や宮の焚火に舞い上がり (ちとせさん)
人形は形代とも言い「ひとがた」と読む。紙を人間のかたちに折り、夏の大祓などに人間の身代わりとして悪霊を引き受ける。そして大晦日から元旦にかけ神社で焚かれる年木に燃べられる。燃え盛る業火に人形はまるで本当に生きているように宙に舞う。あたかも身についた悪霊の断末魔であるかのように。このようにして、身も心も清浄にして新しい年を迎えるのだ。親もそのまた親も、日本人は代々そのようにして新年を迎えてきたのだ。そんな敬虔な気持ちを呼び起こす一句。

94 一人居やせめて嚔は景気よく (ヨシさん)
何やかやで家族全員が出払ってしまった。家にいるのは作者のヨシさんが一人だけ、というシチュエーション。話す相手も無くテレビもつまらん、だんだん退屈になる。と、突然大きな嚔が出た。一人だけだから誰に遠慮も要らない。かくして盛大に嚔を放つ仕儀となる。中七に「せめて」を発見したのが作者のお手柄で、得も言われぬ可笑しみが生まれる。そこはかとなく俳味が漂って来る一句。

30 裸木や雪を纏うて晴れがまし (神林亮さん)
一面の雪景色の神々しいまでの感動を句にして品よく纏めた一句。ただ細かいようだが、裸木も雪も冬の季語で、この句に関しては季重りを避けたい気がする。雪景色の中だから別に裸木である必要もないわけで、松とか杉の具体的な木にするか別の言葉にするかしたいところ。座五に何を持ってくるかがこの句のポイントだから、「晴れがまし」でも悪くはないが、いかにも常識的で大人しい印象だ。もっと良い楚辞がありはしないか、その可能性をギリギリまで推敲してみることも俳句上達の方法と思う。

78 返事する声の余所行き春着の子 (無点)
何時もは活発過ぎてよく叱られるのに春着を着た時ばかりは神妙だ。返事をする時の声も余所行きの声だ。微笑ましい情景を上手く詠んだが無点になってしまった。少しだけ語順を変えてみたい。
アイビー流に詠めば  余所行きの声でご返事春着の子

以下次号、不定期掲載

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年01月20日 14:22)

62 理髪店出る正月の頭かな
「理髪店出て」とのご指摘納得です。有難うございました。

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55番の初刷りの講評をありがとうございます。元旦に配達される新聞は、チラシも加わって本当に重い。
なんとかその重さを、俳句に落とし込めないかと考えた次第です。お目に止めてくださり、うれしく思います。
 
年賀状は差し上げておりませんが、本年もよろしくお願いします。

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寒中お見舞いと句会案内です

 管理人さん、はじめ、掲示板の皆様、寒中お見舞い申し上げます。どうぞ、お体大切に、日々をお過ごしください。

 ここからは嚶鳴庵の句会案内です。1月は25日(水)、13時からです。
 兼題は納豆汁、ラグビー、または当季雑詠、5句を12時50分までに提出してください。
 
 短冊については規定のものがありますので、当日に配られます。

 開催場所  東海市しあわせ村 茶室 嚶鳴庵
 参加費   550円、句会終了後に、お菓子とお抹茶をいただきます。
 
 誰が参加しても、いい句会です、結社や○○会にとらわれることもなく、気が向いたらふらりと立寄って俳句を楽しむ、
 そんな雰囲気の句座です。筆記用具を持って、ある人は、歳時記や電子辞書を持って、ご参加を・・・
 お待ちしています。

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私からも参加をお勧めします。べテランの方もみえますが全くのビギナーと思しき方も多いです。加入、退会、再加入すべて自由です。肩の凝らない句会です。句会終了後のお抹茶をいただくのも楽しみです。ただ開催場所が東海市ですので愛知県以外に住んでみえる方はちょっと無理かなあと思います。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年01月20日 15:49)

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2

1 美しき変体仮名や板歌留多 (玉虫さん)
ちとせさんが1026の記事に写真を貼っていただいたお陰で、「板歌留多」とか「下の句歌留多」というものが世の中にあると初めて知った。紙ではなく板に、それこそ変体仮名も駆使した歌留多で、下の句だけを読み手が読むという、ちょっと初心者では無理かなというルールだ。歌留多の達筆もさることながら、普段目にしない変体仮名がまことに美しい。ここまでくると、単なる正月の遊びの域を越え、芸術か工芸と呼ぶのが相応しいように思う。いずれにせよ雅やかな正月らしい句になった。

75 末の子も十八番一枚とる歌留多 (尾花さん)
これも歌留多取りの句。幼い子もお姉さんたちに混じって歌留多取りに加わったのはよいが、お姉さんたちのようにはいかない。出だしだけ聞いて、ひったくるように取っていくお姉さんたち。それでも心優しいお姉さんがいて手加減をしてくれた。やっとの思いで1枚取れた嬉しさと言ったらない。天にも昇る心地だ。幼い末の子の燥ぐ様子が目に浮かぶようだ。正月らしい和やかな句。

81 熱燗で並ぶ徳利響く鐘 (和談さん)
除夜の鐘を聞きながらしみじみと行く年、来る年に思いを馳せる和談さん。いける口の和談さんなら当然、素面ということはないだろう。熱燗が無くては始まらない。それにしても穏やかな年越しだ。十分に現在の境遇に満足している和談さん、思うことはあるにはあるが欲を言えば限が無い。そんな心境だろうか。座五を「響く鐘」としたのは季重りを避けるためだろうが、私は季重りを気にせず「除夜の鐘」でよいと思う。あくまで除夜の鐘が主題で、熱燗は単なる小道具に過ぎない。

19 毛糸編む首肩まはし毛糸編む (帷子ノ辻さん)
特選に頂いた句。もうどのくらい毛糸を編んでいるのだろう、単調で肩の凝る作業、おまけに目も疲れてきた。小休止して肩をぐるぐる回してみる。少し楽になったので再開する。
ここで作者は実に大胆な技法を用いた。上五で使った「毛糸編む」のフレーズを座五でも繰り返したのである。こうして小休止前の作業を再び始めたことを雄弁に語って間然する所がない。恐れ入った次第だ。参りました。

53 車椅子砂利砂利参る初詣 (悦ちゃんあらさん)
年老いた親の車椅子を押して初詣に誘い出した心温まる情景を詠んだ。参道には玉砂利が敷き詰められており、大勢の参拝者が踏んで行く、間断なく続くその音がいかにも初詣らしい雰囲気を醸し出している。ただ砂利砂利と二度繰り返し使っているのは、オノマトペの「じゃりじゃり」に通じるが、さてどうしたものだろう。率直に言って私は賛成しかねるのだが。

54 大根は白足袋履いた京美人 (無点)
惜しくも無点となった。大根を白足袋の京美人にたとえたところはなかなかにユニークな見立てだ。ただ京美人となると楚楚とした佇まいを連想する。対して、大根は健康そのものの庶民性がウリの野菜というのが一般的なイメージではなかろうか。おそらく入点が伸びなかったのはそこらのギャップにありそうな気がする。

以下次号、不定期掲載

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以下は茶々さんからのメールです。
 「アイビーさん、ご講評有難うございました。
実は54番の大根の句、かって山下 清画伯様が「大根足は美人だな」と言っていたものです。
大根を収穫して思い出し作りました。京都の人には失礼かもしれませんが、お許しを願います。」
とありました。

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アイビーさん、75番の歌留多の句の感想をありがとうございました。
3人の孫がまだ幼かった頃歌留多をすると、末の子は兄ちゃんや姉ちゃんのようにとれなくて泣きだしてしまうので、一枚だけ教えておきました。「むらさめの・・・」と言ったら「きりたちのぼる・・・」をとるんだよ、と。 それ以来、末の子はその歌が十八番(おはこ)となりました。 この頃は3人とも互角に戦えるようになったが懐かしい思い出です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年01月20日 21:57)

アイビー🎵さん。そしてネット俳句の皆さんの俳句後のご感想等⤴️⤴️とても楽しく読ませていただいてます😃。今回の53番の俳句の事です。ご指導とご意見ありがとうございます。伊勢神宮に私の友人は毎年元旦か二日に参拝してます。そしてご家族に車椅子の人を今年はお孫さんがずっと押してくれたと話してくれました。そのほほ笑まし様子を俳句に詠んでみました。

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選句鑑賞

11 歳旦祭氏子の弥栄コップ酒 (和談) 3
  弥栄はイヤサカと読み「ますます栄える」の意の様だ。ボーイスカウトに係った私は式典などで
 体験した。お祝いでは枡に日本酒だろうがこの場合はどうか。祖先神を同じくする氏子がコップ酒
 で祝う。イヤサカ・イヤサカ・イヤサカア~の掛け声が聞こえてくるようだ。

28 半眼の猫と聞き入る除夜の鐘 (茶々) 2
  作者は無類の愛猫家。炬燵で暖まりながらの年越しだろう。年越しそばで一杯やりながら聴く除
 夜の鐘。愛猫と至福の時を共有しているのだ。猫には煩悩があるのだろうか。
 
59 小雪舞ふ赤富士眺む露天風呂 (令淑) 4
  今回露天風呂の句が2句あったが両方とも戴いた。赤富士に小雪、整った場面設定の中ゆったり
 と露天風呂に身をゆだねている作者。句の甘さが気になったがお正月ということで。

65 庭に色あるだけでよし冬の草 (森野) 2
  「易しい言葉で中身の濃い句を」をモットーに探していてこの句に出会った。子孫を残すため雑
 草にも花が咲くということは当然の摂理だが、名前も持たない可憐な花。作者は「色あるだけでよ
 し」と突っぱねている。冬の草冥利に尽きるのでは。迷わず特選に戴いた。

67 大吉にかすかな不安初神籤 (手毬) 4
  私にも経験がある。あまりにも旨すぎる神のお告げにふと不安がよぎる。勿論凶では気になる
 が。小吉くらいで気兼ねなく安心できるのだが。

87 翅一枚欠く冬蝶の足る知らん (かをり) 2
  この句の選で迷ったのは下五、「足る知らん」、どうもしっくりこない。言わんとしていること
 が分かるだけにまどろっこしい。いろいろ考えたが結局は原句以上のものは浮かばなかった。

98 露天湯や湯気の向かうのオリオン座 (尾花) 2
  露天風呂のだいご味は何といっても外気に触れること。特に大自然に触れることは浮世を離れた
 解放された自然体になれる。冷気に触れた湯気、その彼方に星がきらめく。それがオリオン座とき
 たら最高だろう。作者は一句を仕留め忘れぬうちにと早々に部屋へ引き上げたかも。

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ナチーサンさん、98番のオリオン座の句の感想をありがとうございました。
年末の30日に息子家族と温泉宿に行きました。 多忙を逃げる後ろめたさもありましたが、若者に合わせてその日に。
皆が寝静まった深夜2時頃目が覚めてしまったので、静かに起き出し、部屋に付いている露天湯に一人入ることに。乳白色の柔らかいお湯に浸かり、空を見上げれば嗚呼オリオンが、古い歌でも歌いたくなる気分で「さあ、もう少し頑張って生きて行くんだ・・・」と。自分へのご褒美の旅(刻)でした。

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ナチーサン、87 翅一枚ありがとうございます。
意外かもしれませんが、私は俳句は写生、デッサンが基本だとおもっております。
翅一枚欠く冬蝶までは写生、さてここから主観だの境涯の一振りをいれたいのです。
境涯が充満すると先月の聖夜の苦になります。一振りの香辛料でいいのです。
足るを知りたい自分があるから、足る知らんと詠んでみました。
足る知るや翅一枚の冬の蝶  元句はこれですが、盛りすぎで、私なんぞが読むと説教臭いので。
しかし、こうして再考してみますと、とても勉強になります。ありがとうございました。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年01月16日 23:04)

アイビーさん有り難う

41 御下やいつもの庭は霊験めく 
ご指摘ありがとうございます。変換に間違っていました。お正月にお湿り程の雨が降り、正に御降り、普段の庭が、枯芝がしっとりして石も濡れ満天星も枯葉を落とし、お正月の心持ちからか霊験新たかな清々しさを感じての一句でした。

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師崎の左義長

南知多町師崎の左義長まつりが1月22日の日曜日に開催されます。
下帯姿の若者が、無病息災と豊漁を祈願し、火のついた幟旗の火を消すまでの勇壮などんどです。午後1時、的場地区での点火に続き師崎地区5か所で始まります。
面白い句材が拾えるかもしれません。
興味のある方は、愛知県の公式観光ガイド「師崎左義長まつり」をご参照ください。

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アイビーの俳句鑑賞 その1

アイビーの俳句鑑賞 その1

43 知多の日を車窓に連れて初句会 (森野さん)
83 早梅や熱田の杜に紅こぼし (森野さん)
1月句会で個人別総合1位に輝いた森野さん、出句の5句とも高点でおめでとうございます。なかでも上掲の両句とも、清新の溌溂たる意気が感じられる、まことに1月句会に相応しい佳句になった。両句とも地名を取り入れ、その地名が持つイメージを最大限活かしている。知多といえば温暖で穏やかな風光を、熱田は神宮の森閑として清浄な雰囲気を読者の方が思い浮かべる。俳句は字数が限られているので、いちいち説明せずに、読者の知見に任せる部分がとても大きい。

97 よく聴いてよく励みたし大旦 (ふうりんさん)
これも新年に相応しい、浩然の英気を感じさせる句だと思う。とくに今年の干支の兎の耳の長さからの連想される「よく聴いて」が利いている。よく、よくとリフレイン効果を狙った対句も成功しリズミカルな調子が耳に心地よい。

59 小雪舞ふ赤富士眺む露天風呂 (令淑さん)
実体験の一句であろうか。新年早々、赤富士とはまた豪儀だ。おまけに小雪がちらついている露天風呂。舞台装置としては最高の、まことに正月らしいめでたい句になった。どこへも出かけず寝正月を決め込んだ当方には羨ましい限りだ。

89 元旦や猫も欲しがるエビフライ (茶々さん)
茶々さんはこの句も含め猫を題材にした句が多かった。犬派と猫派に分けると茶々さんは間違いなく猫派なのだろうと想像する。当該句は外連味なく、素直に詠んで余分なものを加えない、その潔さに好感が持てる。エビフライを欲しそうにしている猫、猫好き人間の茶々さんは邪慳に追っ払らえない。猫を叱るどころか、箸で摘んで一尾くらい与えたかもしれない。親馬鹿ならぬ猫馬鹿が微笑ましい。

37 客の無くテレビにしゃべる三ケ日 (ゆめさん)
コロナの関係か、例年に比べ今年の正月は来客が少なかった。いきおいテレビ中心の正月三が日となった。気がつくとテレビに向かって返事をしたり話しかけている自分、少しバツが悪いが何食わぬ顔をして遣り過す。それにしても退屈だ、誰か遊びに来ないかしら、と無聊気味の作者。日常のありがちな一コマを上手く拾った一句。

41 御下やいつもの庭は霊験めく (無点)
惜しくも無点となった。正月に降る雨を「御降り(おさがり)」と言い正月の季語となる。雨そのものは別に変ったところはないが、新年ということでなにやら特別な気分にさせられる。そこの気持ちの持ち方を「霊験めく」と表現したのはよく分かる。ただ御降りを御下と表記したため分かりにくくした憾みがある。その点が残念。

以下次号、不定期掲載

引用して返信編集・削除(未編集)

茶々さんまだこの掲示板設定されていませんのでアイビーさんのコメントメールで届けておきました。
本人も希望していますので一日も早くと思っています。ただ過去の設定データが消去されているのか確認できず試行錯誤しています。

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合計3910件 (投稿1936, 返信1974)

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