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父親の存在

Q0312 
 母子家庭です。父親の存在は絶対的に必要でしょうか?

A0312
 いいえ。絶対的に必要ということではありません。いたほうがいいけど、いないならいないで別に問題ない。ただ、母子家庭や父子家庭で育った子どもの特徴が1つあることに気がついたんです。大人どうしで話しているときに割り込んでくる。父親、母親がいると、大人どうしで話しているとき割り込んでくると、「ちょっと大人で話しているから待ってちょうだい」と言えるけど、そういうチャンスがない。おじいちゃんおばあちゃんがいなくてほんとの母子家庭だと、いつでもお母さんと話ができるものと思っていて、それで、例えば再婚したときなどに初め戸惑います。突然割り込んでくるから。問題はそれくらいでしょう。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

12,(孔子曰く、誠マコトに富を以てせず、亦(また)祇(ただ)異なれりを以てす)。斉の景公、馬千駟(せんし)あり。死せる日、民(たみ)徳として称(たと)うるなし。伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)首陽(しゅよう)の下(もと)に餓(う)う。民今に到るまでこれを称う。それ斯れ(これ)をこれ謂うか。

 (孔先生が言われた。「『詩経』には、人の評価は、裕福な富にはよらず、ただ富とは異なるものによるとある)。斉の景公は四千頭もの馬を持っていたが、死んだときには、人民は誰も景公の徳を称えなかった。伯夷・叔斉は首陽山のふもとで餓死したが、人民は今に至るまでその徳を称えている。詩経の言葉は、こういうことを言うのだろう」。

※浩→朱子の説に従って、この条の冒頭に、「顔淵篇」第十章に紛れ込んでいた「孔子曰く、誠不以富、亦祇以異」(『詩経・小雅』)を補っています。
 斉の景公(前547~490在位)は、ほぼ孔子の時代まで生きていた、欲張りな君主として有名だった。後世に語り伝えられるような「人間の真の価値」は、経済的な裕福さ(富)ではなく、人民が敬意を抱く「徳」にあるということを示しています。主君への忠誠を最後まで尽くして、敵国からの粟(食糧)を貰わずに首陽山で餓死した伯夷・叔斉の事例を引いて解説しています。「伯夷叔斉」は“四字熟語”としても有名ですが、良い機会です整理しておきましょう。↓
 伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は、歴史家の司馬遷が『史記列伝』の最初に取り上げた兄弟です。
 古代中国の孤竹国(こちくこく)の王子で、伯夷が長男、叔斉は三男でした。孤竹国は黄河の北岸に存在した小国で、その国民は農業や牧畜を営み、素朴な生活を送っていたようです。彼らは王子でしたが、国を出奔して周に向かうのですが、そこに安住しないで、山に隠棲して餓死します。
 伯夷はある日、父から孤竹国の王位は弟の叔斉に譲ると伝えられます。伯夷はこれを妬まず逆らわず、父の死後にはその遺言どおり、弟に王位を継がせようとします。しかし叔斉は、長男である伯夷が継ぐべきだと主張します。兄弟の間でいさかいが起きぬようにと、伯夷は自分から国を出てしまいました。叔斉は伯夷が去っても王位を継ぐつもりはなく、やがて兄を追って国を出ます。残った次男が民に請われ、王になりました。
 この時代は殷が中国を支配していましたが、その統治が乱れ、紂王という暴君が王になって、滅びの時が近づいていました。一方で、殷に従っている周は、統治がうまくいっていて、その評判が高まっていました。周を治める西伯昌(せいはくしょう)は徳のある名君として知られていて、国を出た伯夷と叔斉は、周で暮らそうと思って旅をします。しかし2人が到着すると、西伯昌は亡くなっていて、息子の武王が周を統治することになります。武王は暴君が居座る殷を滅ぼし、自らが新たに大陸の支配者となることを考え、父の位牌を掲げて文王の称号を捧げ、軍勢を出発させて殷の紂王を討伐しようとします。伯夷と叔斉は、武王が乗る馬のくつわを押さえ、諫言をしました。「父上が亡くなって埋葬もすんでいないのに、兵を起こすのは忠孝の道に外れています。また、主君の紂王を討つのは仁とは言えません」と。武王の家臣たちは兄弟の無礼に怒り、2人を殺害しようとしますが、武王の軍師・呂尚が「彼らは義人であるぞ、手を出すな」と言ってかばい、連れ去ってその身を守りました。2人は正しいことを、勇気をもって武王に告げましたが、武王はそのまま殷に攻め込み、殷は滅ぼされ、武王は新たな覇者として君臨しました。伯夷と叔斉は、主君に反逆して天下を奪った武王の元で生きることを恥として、首陽山に篭って隠棲するのですが、わらびなどの山菜を取って生活していて、やがて体が衰えて餓死してしまいました。

 死の直前に作った詩です。

 首陽山に登り 山菜を取って暮らしている
 暴力を用いて暴力に取って代わり 武王はその非を知らない
 神農や堯舜(ぎょうしゅん)の世は終わってしまった 私はどこにいけばいいのだ
 もう終わりだ 天命は衰えた

 暴力で天下を簒奪した武王を非難し、伝説的な王である神農や堯・舜の築いた平和な世が去ったことを偲んで、「この世は終わりだ、どこにも居場所がない」と嘆いています。
 こうして伯夷と叔斉は哀れな死を迎えましたが、その思想的に一貫した人生が、後の世に影響を及ぼすことになったのです。
 「この世は終わりだ、どこにも居場所がない」という悲痛な叫びは、昨今、自さつする人が多いことと重なります。まことに人間の究極の欲求は「所属(居場所があること)」だと痛感します。

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猫をアドラー式に育てられるか?

Q0311
 野田先生は猫を飼っていますか?(野田:私は飼っていませんが、猫はいますね)。うちも猫を飼っていますが、テーブルの上に上がったり悪さをよくします。そのときは叩いて叱ります。猫はアドラー的に育てられますか?

A0311
 育てられます。ちゃんと言って聞かせます。ただしあいつらはすぐ忘れる。すぐ忘れるのはしょうがない。ああいう動物ですから。でも、ちゃんと「そこへ乗らないでください」と言う。ときどき「このけだもの!」と言うと傷つくので面白い。耳だけピクッとなる。私の先生の1人のディノ・ローベンバーズというおばあさんの精神科医が動物が好きで、神経症の動物を家で預かって治療していた。おばあさんになって、人間の患者さんを診るのはつらいからと言って。犬とか猫とかいっぱい家にいた。ちゃんとアドラー心理学的に勇気づけと論理的結末で躾けた。ただし、動物は勇気づけるのに「よくやったね」と言っても勇気づけられないから、チーズか何かで勇気づける。
 勇気づけるとは何か。「私が喜んでいて嬉しい」ということを相手に伝えることだとも言えます。猫はチーズをもらうと、「あっ、ご主人様は喜んで機嫌がいいんだ」と思うじゃない。だから動物さんの場合には、ちょっとバックアップ強化子(物)を使う必要があるかもしれない。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

11,孔子曰く、善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探(さぐ)るが如くす。吾その人を見る、吾れその語を聞く。隠居して以てその志(こころざし)を求め、義を行いて以てその道に達す。吾その語を聞く、未だその人を見ず。

 孔子先生が言われた。「善を見ると、取り逃がしはしないかと急いで追求し、不善を見ると熱湯から手を引くように急いで身を引く。私はこういうことを実行する人を見たし、そういう言葉も知っている。下積みの隠遁者として生活しながら自己の理想を追求しつづけ、正義を行なってその道を通そうとする人、私はそういう言葉を聞いが、現実にはまだ会ったことがない」。

※浩→貝塚先生は現代語訳だけで解説はありません。吉川先生が少し解説されています。前半の善者もむろん優れた道徳者ですが、より忍耐を要する、より困難な事態として、後半の善者が考えられています。「現実にはその人を見ない」というのは、その可能性が未来に向かってはあくまで希求されていることを示します。希求が深いゆえに、嘆息も深い。嘆息のゆえに、希求は強まる。これはよく理解できます。希求は「目標」で、困難な事態は「現状」ですから、その差が「劣等感」を生みます。希求が深いゆえに嘆息も深いということから「劣等コンプレックス」を連想させます。古今東西、目標=理想の高い賢者は、その現実との差に嘆息しています。隠遁生活に入るのもしごく当然だと思われます。そういえば、ギリシャのエピクロスも「隠れて生きよ」と説いていました。エピクロスは「快楽主義」の「エピクロス学派」の始祖です。サモス島に生まれ、18歳でアテナイに上京し、20歳代は地中海の島で暮らし、ペリパトス派の哲学や原子論を学びました。35歳でアテネに戻り、アテネ郊外に土地を手に入れ、庭園学派とも呼ばれるエピクロス学派を創設しました。
 エピクロスの庭園は「エピクロスの園」として有名になり、親兄弟の他に大勢の弟子たちが集まり、親密な共同生活を行いました。召使の奴隷にも哲学を学ばせたことが記録に残っています。エピクロスが71歳で没したあとは、弟子が庭園を引き継ぎました。
 エピクロス派はセネカが代表するストア派とともにヘレニズム期の「ヘレニズム思想」を代表する学派です。ヘレニズム期とは、アレクサンドロス大王が没した紀元前323年から、ローマが地中海一帯を統一する紀元前30年までの約300年の期間です。
 ストア派は、快楽や欲求の衝動に打ち勝つ「アパテイア」という精神の強さを理想として、「禁欲主義」と呼ばれます。
 エピクロスは国事や世間の煩わしさから遠ざかり、心の平安を大切に生きることを説きました。その生き方を意味する「隠れて生きよ」という言葉がよく知られています。
 エピクロスは「デモクリトス」の原子論を思想の基底とする、原子論的唯物論や原子論的自然観を展開しました。霊魂は死によって消滅するとし、また感覚を徳や幸福の基準としました。この思想の上に快楽主義が築かれています。
 エピクロスの説く最高の善は「快楽」で、その快楽とは苦痛からの解放や心の平静である「アタラクシア」を意味するものでした。
 エピクロスは、人間の欲求を3つに分類します。1つ目は「自然かつ必要不可欠である」欲求、2つ目は「自然だが必要不可欠でない」欲求、3つ目が「自然でもなく必要不可欠でもない」という欲求です。3つ目の欲求は、贅沢や豪華への欲望でこれはきりがないとします(アドラー心理学で言う、「ボディ」「マインド」「ハート」を連想しています)。
 このように欲求について考察し、選択することが身体の健康と魂の平静を可能とするものであり、それこそが幸福な人生の目的であるとしました。エピクロスは質素な生活の中にアタラクシアを求め、パンと水の質素な生活は、健康を手に入れ、運命に対しても恐れない者にしてくれる、と弟子に説いています。

 エピクロスは弟子への手紙で次のように書いています。
 快楽が人生の目的であるとわれわれが言う場合、その快楽とは、一部の人たちが無知であったり誤解したりして考えているように、放蕩や享楽の中にある快楽のことではなくて、「身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないこと」に他ならない

 エピクロスは、アタラクシアの追及とともに、「死」の恐怖を克服することも唯物論の立場で説きました。死とは、生の構成要素であるアトムへ解体することであり、解体されたものは感覚を持たず、感覚を持たないものは人間にとって何ものでもないと主張しました(これも野田先生の「チベット仏教」のお話を連想させます)。

 名言を紹介します。↓
#全生涯の至福をめざして知恵が整えてくれるもののうち、何にもまして一番重要なのは、友情の獲得である。
#人はまだ若いからといって、哲学することを先に延ばしてはならないし、もう年をとったからといって、哲学に飽きるようなことがあってはならない。なぜなら、誰だって、魂の健康を手に入れるのに、若すぎることもなければ、年をとりすぎていることもないからである。(『徒然草・四十九段』を連想します。「老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽にこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩ゆるくし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや」とあります。)
#死はわれわれにとって何ものでもないと考えることに慣れるようにしたまえ。というのは、善いことや悪いことはすべて感覚に属することであるが、死とはまさにその感覚が失われることだからである。
#死はやがてやってくるだろうという予測がわれわれを苦しめると語っている者は、愚かな人である。なぜなら、現にやってきている時には何の悩みも与えないものが、予期されることによってわれわれを苦しめるのだとしたら、それは根拠のない苦しみだからである。
#死は、もろもろの災厄のなかでも最も恐ろしいものとされているが、実は、われわれにとっては何ものでもない。なぜなら、われわれが生きて存在している時には、死はわれわれのところには無いし、死が実際にわれわれのところにやってきた時には、われわれはもはや存在していないからである。

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責任とは?

Q0310 
人としての責任とは何でしょうか?責任と自己満足の違いはどこで見つけるんですか?

A0310
 責任って仕事です。責任とは何かというと、私の仕事のことです。
 昔、書いたことがあるんですけど、戦争責任というのがあります。この前われわれの国は戦争をした。大東亜戦争、太平洋戦争、第2次世界大戦。私は、シンガポールでショックを受けました。日本人のありとあらゆる残虐行為を陳列している。中国人をいじめたのは失敗だった。『史記』とか『十八史略』とかあるでしょう。中国3千年の歴史を書いた本がある。あそこで「何とか民族は悪いやつでわれわれをいじめた」と書いてあるから、日本民族もこれから2千年とか3千年とか言いつのられますよ。あの人たちは僕たちと違って忘れないから。日本人と違ってさらりと水に流してくれませんから。何しろ中華料理食っているから元気なんですよ。シンガポールは中国人の国ですから言いつのっている。
 シンガポールでは中国人を虐さつしました。日本の軍隊は、中国人はスパイダと思った。どれがスパイかわからない。インテリがスパイだと思った。どうやってインテリだとわかるか。眼鏡かけているのがインテリだ。眼鏡かけた中国人みなの首をくくったという恐ろしいことをしている。15万人くらいの普通の市民をころしている。地下鉄工事の現場から頭蓋骨がたくさん出てきた。
 そのときすごく責任を感じました。私は戦後世代ですが、やはり僕らのおじいさん、おばあさん、おばあさんはしないか、おじいさんやお父さんたちのした行為だし、それと同じ心・同じ傾向性は今の日本文化の中にも絶対にあると思う。昔の日本軍が持っていた体質は、今の日本人も同じように色濃く受け継いでいて、いつかまた戦争になったら必ず同じことをするぞと思う。それは海外旅行していて日本の団体さんと会うと思う。こいつら兵隊になったら昔の兵隊さんと同じことをするだろうと思う。すごく躾けが悪いから。
 それで、責任を取らないといけないと思いました。そのためには、まず戦争をしない、問題解決を怒りや暴力で解決しない日本国民を作らないといけない。いつも冷静に理性を頼りにして、話し合いと協力でもって問題解決するということを子どもたちに学んでもらわないといけない。それは家庭の育児や学校の教育の中で、本当に民主的な、自己責任・自己選択・自己決断という生き方を子どもたちに学んでもらうことが私の戦争責任だと思った。だから今責任を取っているんです。
 アドラー心理学をみんなに伝えているこということは。第2次世界大戦に対する私の戦争責任なんです。変な考え方でしょう。責任という言葉の使い方が違う。責任とはわたくしの仕事のことです。わたくしがしなければいけない仕事。そんな大袈裟な話でなくても、例えばコンビニに勤めて弁当売っているのは責任なんですよ、世界に対する。それは夜中にどうしてもお弁当が必要な人たちがいて、その人たちに対する責任を果たしているわけでしょう。みんなが自由に便利に暮らせるように手伝っている。
 仕事っていうのは全部そうなんです。どんな仕事も、この世界がうまく回っていくように、人々がしあわせに暮らせるように仕事しているわけで、ただ自分が儲かるためだけにしているわけじゃない。もちろん儲かるんです。共存共栄です。自分も儲かり、人々も不自由じゃなくなるというのが仕事で、それが責任だと思います。(回答・野田俊作先生)

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