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行動するときの判断基準は?

 今日はこちらからどうぞ↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-5-26.html

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反省するのは?

Q
 反省することは良くないことですか?

A
 反省するのはいいんですけどね、感情的に反省してもしょうがないですね。(極端な例えですが)戦争してね、敵が強くて味方が負けているときに、将軍が反省してオロオロ泣いたとしたら負けるでしょう。ここで将軍はどう反省するかというと、敗因だとか、劣勢を盛り返すための戦術だとか、そういうところを考えないといけないですね。
 数学の成績が下がったら、なぜ下がってしまったかとか、勉強の仕方のどこに問題があったのかとか、どの部分がわかってなかったのかとか、どうすればそれは理解できるだろうかとかという部分を、冷静に反省しないといけないわけです。「ああ、努力が足りなかった。ガックリ」というのは良くない。「無駄な努力をした」というのが正しい。自分をすぐ卑下するのは駄目ね。日本人はもっと効率というのを学ぶといい。「最小努力・最大収益」です。日本人の古典的発想からすればそれは美徳ではないかもしれないけれど、そのほうが楽に生きられます。私は美徳でなくてもいいからできれば楽に生きたい。
 だんだんと世の中もそうなってきつつはありますね。ゆっくりとだけど。努力していればそれでいいというのでなくて、やっぱりきちんと科学的に考えて、効果的な努力をしないといけないと、企業なんかは考えていますね。(回答・野田俊作先生)

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中1娘の友人が気になる

Q 
 中学1年の娘のことです。同級生の友だちが来ると2階の自室にこもって楽しくやっています。お昼ご飯もおやつも自分で2階に運びます。私は、初めて来た友だちを観察する暇が…。
A
 観察せんでよろしい。
Q
 観察する暇がありません。友だちがどんな子か知りたいと思うのですが…
A
 知りたいと思わんでよろしい。
Q
 …あまり干渉しないほうがいいでしょうか。
A
 干渉しないほうがいいです。子どもは、自分に一番必要な友だちを選ぶ能力があると信じてください。あるいは、そうでないかもしれないけれども、体験の中から「この友だちとはあまりうまくつきあえないから他の友だちを探そう」と、自分で決めるだろうと思います。
 子どもの友だちと友だちになろうとしないでください。子どもの友だちと友だちになってもいいのは、向こうから言い出したときだけです。例えば、娘さんが年ごろになって、「ボーイフレンドに会ってほしい」と言ったら、「イヤだ」と言わずに会ってあげてください。ちょっと悔しいかもしれませんがね。あるいは、友だちのほうから、「ちょっとおばさん、相談があるんだけど」って言ってきたら、ぜひ会ってあげてください。いつも、向こうから僕らのほうへ働きかけがあったときに動いてほしい。こっちから積極的に動かないこと。思春期の子どもを抱えた親は、すぐスパイ行為をやりたくなるんです。友だちを垣間見たいし、できたら手紙を開封したい。頭のほうから開けるとバレるから、尻のほうからナイフで切って、あとで糊で貼ったりするんですよね。子どもの机の中を見て日記を見るとかね、そんなことを絶対にしてはいけない。それが、子どもを信頼してないということなんです。子どもを一人前の人間として扱わないということです。私が監視しておいてあげないとあの子は必ず悪くなる、と信じているんですね。親が信じているのは何かというと、あの子は必ず悪くなるということね。そのパワーが子どもに伝わって、子どもは必ず悪くなる。私なんかがいなくたって子どもはちゃんと生きていくと信じていると、子どもは実際にそうなるんです。
 このお母さんは、「私が友だちを監視してあげていないと、あの子はきっと悪い友だちとつきあう」と思ってるので、きっと悪い友だちとつきあっていくでしょう。それをやめてください。知らなくていいです。ですから、おやつや昼ご飯を持って行くのを口実に、覗きに行くというような汚い手は使わないようにしてください。特に、もう少ししますと、今度は男の子が来ます。そのときも、向こうから言ってくるまで覗きに行かないほうがいいです。
 どうしても心配だったら、友だちがそこにいないときに、「あの子はどんな子なの?」って聞くくらいはできます。それでも、「放っておいて」と言われたら放っておいてあげます。聞いてみるのはいいんだけど、それは言葉とかではなくて、いい友だちなのか悪い友だちなのかこっちが判断しようとか、もし悪い友だちだったらつきあいをやめさせようとか、こちらの敷いた路線(下心)に子どもを乗せようとしているのだったら、きっと失敗するんです。ただ、野次馬根性で週刊誌を見るようなつもりで覗いて見たいというのだったら、子どもは許してくれるかもしれない。指導しなかったらいい。ただ知るだけだったらいい。(回答・野田俊作先生)

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親がハッピーだと子どもを過保護してよいか?

Q 
 親がハッピーで自分に問題なければ、子どもを過保護してもいいですか?

A
 駄目です。まず、過保護というのが何のことか説明しましょう。過保護というは、「子どものためにこうしてあげたほうがいい、こうしてあげたら駄目」という考え方のことを言うんです。あるいは、「子どもを苦労させないでおこう」という考え方も過保護と言います。将来苦労させないために、今苦労させようというのも過保護。だから、いわゆるスパルタも過保護です。スパルタというのは、この子が将来苦労しないですむように、今うんと苦労させようという考え方ですからね。
 アドラー心理学の育児の方針というのは、「責任ある大人」に育てていくことなんです。自分の人生について責任を取れる人間になってもらおうということ。つまり自立というのはそういうことなんです。「私のすることは私の責任であり、私のしたことの後始末は私がします」という人になってもらいたいんです。人のせいにしないで、“悪いあなた、かわいそうな私”と言わないで、いつも「私にできることは何かしら」と考える、そういう人になってもらいたいんです。
 だから、僕たちが最初にお母さん方に言うことは、多くの場合、「まず子どもから手を引きなさい」ということなんです。「この子のためにこうしてやったほうがいいんでしょうか、ああしてやったほうがいいんでしょうか、しないほうがいいんでしょうか」とよく聞かれます。ああしても、こうしても、そうしても、どうしても、みんな悪い。なんで悪いかというと、「この子のために」と言っているから。「塾に行かせたほうがいいんでしょうか、行かせないほうがいいんでしょうか」……。これだと塾にやっても悪いし、やらないでも悪い。「この子のために」というところから出てきた答えは全部悪い。これがアドラー心理学の1つの考え方なんです。
 ですから、すべてを子どもに選んでもらおう。それがすごくこの子にとって悪そうでも、子どもが選んだことならやってもらおう。それで、あとで起こった結末を全部体験してもらおう。そうすると、「こうやるとこうなる」という具合に、この子は自分の行動について学んでいくだろう。
 例えば、私のわがままで、この子にケーキを買ってあげたいと思ったとします。そのときに、「ケーキを食べさせてあげるのがこの子のためになるかならないか」とはあまり考えないですね。ただ、買ってあげたいんですよ。これは過保護ではない。遊園地に行きたいと思って、「今度遊園地に行かない?」と言うのも過保護じゃないんです。最近の遊園地はテーマパークだとかいって、そこへ行くとお勉強ができたりする。これをネタにして、少し勉強させようとか思っていると過保護です。
 ある意味子どもを友だちだと思うこと。子どもは友だちだから、こっちが遊んでほしいと思うときに、「ねえ、遊んで」と言うのはかまわないし、向こうが、「遊んでほしい」と言って遊んであげるのもかまわないけれど、「ちょっと学んでもらおう」という下心を持っていると、過保護なんです。
 だから、子どもと仲良くするのはすごくいいことです。子どもとはぜひ仲良くしてほしいし、たくさん遊んだらいいと思いますが、「こうしてあげるのがこの子のためにいいだろう」とか、「こうしてあげると駄目だろう」とかいう発想からも抜け出ることができると、本当に仲良くすることもできるでしょう。「この子のためにこうしてあげよう」という発想がある限りは、その下心はちゃんと子どもに見抜かれていて、そのうち、「お母さんと一緒に遊びに行くのはイヤだ」とか「映画を観に行っても、お利口そうなものしか行かないんだもん」なんて言われるんです。“小さな親切、大きな下心”。
 こっちにそうした下心がなくなると、子どもと仲良くなれます。そうしたら、向こうからちゃんと頼んでくれるようになります。頼んでくれたことについては協力してあげよう。 僕たちが学んでほしいことは『責任』と、もう1つは『協力』なんです。自分で責任を取りきれないときもあります。自分の力だけでは人間は生きられない。人に頼らないでいろんなことをすべきだろうけれど、どうしても人に助けてもらわなければならないときもたくさんあるんです。セックスについてなんかもそうで、相手に助けてもらってお互い同士が助け合わないと絶対できないですよね。そのときに協力ということが必要になってきます。だから、協力というのを学ばなくてはいけない。『責任』と『協力』というのは、アドラー心理学の2大テーマなんです。
 それで、人に協力を頼めるのは、責任を取って生きている人だけなんです。自分の行為に責任を取れる生き方をしている人だけ、人に協力を頼める権利があるんです。全然自分のやっていることに責任を取らないのに、「協力しろ!」と言うのはいけない。例えば、子どもがまったく無責任で、何もしなくて、宿題が出たので、「お母さん、手伝って」と頼んできたらどうするか。本当はやってあげたくないですね。第一、宿題なんて本人の課題ですから。「あなた、自分でやったら」と本当は言いたい。でも、それまでの育児が間違っていた分の罪滅ぼしで、最初はやってあげてもいいでしょう。それまでの育児とはまったく違う育児をするわけですから、極端に一度ストンと反対側に戻してあげないと、子どもたちが学ばないんですが、初めは、頼まれたら何でもやってあげてください。そのうち子どものほうが、だんだんと責任ということを学んできたら、自分でできることは自分でして、頼んでこなくなるでしょう。最終的には、自分の人生について、できる限りの責任を取って、どうしても駄目なことについてはちゃんと丁寧に頼んで、人の協力を取りつけることができるような子どもになれば万々歳です。
 ここで言っている過保護というのが、どんなことなのかはわからないけれど、「この子のため」ということなら、それは駄目です。どんなに母親がハッピーでも駄目です。母親のわがままで子どもと遊びたいと思い、子どもに喜んでもらいたいと思ってやるのはOKです。どこかに一緒に行くのも、何も下心がなく、ただの遊びで、友だちだから一緒にいたいというのだったらすごくいいことです。とても簡単ね。(回答・野田俊作先生)

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アドラー心理学テスト

23.アドラーによれば、子供のライフスタイルの発達に影響を与えるのは、
正解:a.子供が自分の扱いが暖かく愛情深いものであると感じた場合。

24.アドラーは、心を乱された患者と協力することに加えて、
正解:子供たちのメンタルヘルスも取り組みました

途中堕落

28.アドラーによると、精神的に健康な人は( )がよく発達しています。神経症の人はそうでない。
正解:a.社会的な関心(共同体感覚)

次の問題
29.アドラーによると、次のうち、各個人に個人の自由を与えるものはどれですか?
a.社会的関心(共同体感覚)
b.ライフスタイル
c.権力への意志
d.創造的自己
e.男性的な抗議

30.アドラーによれば、身体的劣等性を持つ人が社会的に有用になるかどうかは、主に
a.選択の問題である
b.早期の経験
c.カウンセリング
d.遺伝学

31.アドラーはフロイトの理論を( )の創造物と見なした
a.神経症
b.甘やかされた子供
c.職業カウンセリング
d.遺伝学

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