9,子曰く、小子(しょうし)、何ぞ夫(か)の詩を学ぶこと莫(な)きや。詩は以て興(おこ)すべく、以て観るべく、以て群(あつ)むべく、以て怨むべし。之を邇(ちか)くしては父に事え(つかえ)、之を遠くしては君に事(つか)え、多く鳥獣草木の名を識(し)る)。
先生が言われた。「弟子たちよ、どうしてあの「詩経」を学ばないのだ。『詩経』によってものを譬(たと)えることができるし、風俗を観察することができるし、友となって励まし合うこともできるし、政治を批判することもできる。近いところでは父に仕え、遠いところでは主君に仕え、鳥や獣や草木の名前を覚えるのに役立つものだ」。
※浩→『論語』の中には『詩経』から引用した言葉が多く出てきますが、孔子は“礼楽”を政治秩序の根本に置いていました。この条では、若い弟子(小子)たちにもっと深く『詩経』を学ぶことを勧めていて、『詩経』の言葉に真剣に向き合うことでどういう実用的なメリットや学習面での効果があるのかを教えています。言わんとするところは、「興観群怨」の四つで、要するに「詩」は感情の表現であるゆえに、論理の叙述である他の文献とは異なる効用を、この「四語」で指摘しています。感情の表現であるゆえに持つ特殊な自由さとしての比喩、あるいは感情の興奮、それが「興」で、感情の表現であるゆえに持つ広汎な観察の可能が「観」です。これらは詩の第一義的な性質で、次に集団生活における効用が「群」で、やり場のない個人的な感情の発散を「怨」と言います。
野田先生は典型的な理科系男子ですが、なんと、歌(クラシック)を歌われ、合唱を指揮され、短歌を詠み、詩を鑑賞されます。ただ「歌舞伎」はあまり引用されませんでした。昔の資料の中に、先生が解釈された詩がいくつか含まれていました。一つを紹介します。
夜(宮沢賢治)
これで二時間
咽喉(のど)からの血はとまらない
おもてはもう人もあるかず
樹などはしずかに息してめぐむ春の夜
こここそ春の道場で
菩薩は億の身をも捨て
諸仏はここに涅槃し住し給ふ故
こんやもうここで誰にも見られず
ひとり死んでもいいのだと
いくたびもさう考へをきめ
自分でも自分に教へながら
またなまぬるく
あたらしい血が湧くたび
なほほのじろくわたくしはおびえる(昭和8年)
宮沢賢治の詩を取り上げるなら、「こよひ異装のげん月のした/鶏の黒尾を頭巾にかざり/片刃の太刀をひらめかす/原体村の舞手たちよ」で始まる「原体剣舞連」だの、「けふのうちに/とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ」で始まる「永訣の朝」だのを取り上げるべきであろうが、そういう名作は、読めばどうしたって感動するのだから、わざわざ解説することもなかろう。それらに較べて、この詩は、仏教についてのいくらかの教養がないと、何のことだかわからないし、教養があると、のっぴきならなく感動的なので、いくらかの註釈が必要なのである。
「これで二時間/咽喉からの血はとまらない」という2行と、「おもてはもう人もあるかず/樹などはしずかに息してめぐむ春の夜」という2行の対照は、有限の人間と無限の自然との対照であり、生まれて死んでゆく人間と永遠によみがえり続ける自然との対照であり、迷いの中にある人間と悠久の悟りの中にある自然との対照である。悟っている自然の中で、人である詩人は迷っている[注1]。
「おもて」には、人がいない。「心」のあるもの、仏教語で言う「有情」は、もういない。今は、「樹」があるだけである。樹は、無生物ではないが、人や動物のような意味での「心」のあるものでもない。仏教語で言うと「無情」である。しかし、それは「息して」「芽ぐむ」のであって、生命はある。詩人にも生命があるが、それはなくなろうとしている。「心」がある人間、仏教語で言うと「有情」である詩人は、心があるためにそのことに迷っている。息づかいはあらく、樹のように「しずかに息して」はいられない。そして、樹は新しく「芽ぐむ」が、詩人は命を終わろうとしている。
さらに、樹は、仏教にとって特別な意味がある。ブッダが生まれたのはルンビーニ園の樹下であるし、成道したのはブッダガーヤの菩提樹下であるし、般涅槃に入ったのはクシナガラの沙羅双樹の樹下であった。おそらくそこに、次の「こここそ春の道場で」への連想があるのであろう。
「こここそ春の道場で/菩薩は億の身をも捨て/諸仏はここに涅槃し住し給ふ故」は、法華経の引用である。「如来神力品」に、「いかなる場所であれ、法華経が受持され、読誦され、解説され、書写され、説かれているように修行され、あるいはあるいはただ法華経の経巻が置かれているだけでも、そこが公園であれ、林であれ、樹の下であれ、僧坊であれ、一般人の住居であれ、殿堂であれ、山や谷や野原であれ、その場所に塔が建立され供養されるべきである。なぜかというと、まさにその場所で、すべての仏はこの上ない完全な悟りに達したのであり、すべての仏は教えの車を回したのであり、すべての仏は完全な涅槃に入ったのだと知るべきであるからである」[注2]と書かれている。また、「提婆達多品」に、「この全宇宙において、釈迦菩薩が衆生のために自らの肉体と命を捨てなかった場所は、芥子粒ほどもない」[注3]と書かれている。
賢治は法華経の行者であった。しかし、今、法華経の教えは観念にとどまっていて、さらに迷いを増すことしかしない。実感として存在するのは、「樹などはしずかに息してめぐむ春の夜」という絶対の世界と、「これで二時間/咽喉からの血はとまらない」という相対の自分との葛藤なのである。教えは身体的な実感にならない。そこで、「こんやもうここで誰にも見られず/ひとり死んでもいいのだと/いくたびもさう考へをきめ/自分でも自分に教へながら」という努力そのものが、さらに迷いを深めてしまうのである。法華経の教えに忠実であろうとすればするほど、自分と現実とから遠ざかってしまうのである。
これは別に宗教的な教訓詩ではないので、詩人が迷っていても一向にかまわないのであるし、むしろ迷っているところにこの詩の価値があるのであるが、「またなまぬるく/あたらしい血が湧くたび」という現実がやって来ると、「なほほのじろくわたくしはおびえる」詩人は、実に気の毒ではある。彼は、自らの死の意味を見失っている。なぜ「ひとりで死んでもいいのだ」と思えるのか、その根拠が、法華経の中にも、彼自身の中にも、彼の周囲の世界の中にも、見つからないのである。仮に、彼のいる場所が、「春の道場」であって、「諸仏はここに涅槃し住し給ふ」ところであっても、彼自身は「ほのじろく」「おびえる」しかないのである。すなわち、「億の身をも捨て」る「菩薩」には、自らはなれないのである。どこまでも迷いの中で考え続け、悩み続け、求め続けるのである。
野田先生はクラシック音楽に造詣が深く、ご自身で歌い、作曲もされました。このところの急な冷え込みで、私はシューベルトの「冬の旅」を思い描いています。この曲は私が大学卒業直後、井原市立高校に赴任したころ、「ベルリン・ドイツオペラ」が来日公演をしていて、その一行にバリトン名歌手のディートリッヒ・フッシャー・ディスカウがいました。彼は、そのときの上演演目の1つ「魔笛」では、パパゲーノ役でした。その彼の歌う「冬の旅」は絶品でした。ピアノ伴奏のジェラルド・ムーアとの相性も抜群でした。この歌曲集では「菩提樹」が特に有名で、高校の音楽の授業で日本語で歌いました。やはりドイツ語のほうが深いです。冒頭の「おやすみ」は、失恋した男性が恋人の窓辺で「おやすみ」と歌って、荒涼とした冬の旅に出る場面の歌です。まるで、仏教の修行僧を思わせます。わが家にCDがあります。今日、聴きます。
Q0322
社会通念や常識と言われているものは、健康なパーソナリティーの中に入らないのでしょうか?
A0322
社会通念とか常識を持っているということは、実は諸刃の剣です。まず社会通念、常識そのものが誤っている場合がありえます。例えば日本の戦前とか、サダム・フセインのイラクのように、1つの時代の精神そのものが、人類共同体に対して破壊的なイデオロギーを強く持っている場合に、それと同じ社会通念を持っていることが健康であるかどうか、ひょっとしたら、それはとてつもなく不健康な状態なのではないか。
これは大変難しい問題ですが、共同体感覚というときに、今自分が属している社会通念に合致しているほうがいいのか、判断に迷ったら、一番大きなスケールで共同体というものを考えてほしいと、アドラーとその後継者たちは言います。
つまり人類、それも現代だけの人類でなく、これから先、未来永劫の人類、人類が存続する限りの人類の側に立って、いったいどうなのか、今どう行動すべきなのかを考えたら、正しい指針が出るだろうと思います。
それをアドレリアンは「コモンセンス」と言っています。故意に常識とか良識とか訳さないで「共通感覚」という非常にこなれない用語を使っていますが、共通感覚にもとづいて行動すること、これは大事だと考えています。社会通念とか常識とかいうものについては、無批判にそれでいいとは言えない。多くの場合それを持っていることはいい。一度コモンセンスの立場に帰って検討してみないといけない。(回答・野田俊作先生)
8,子曰く、由よ、女(なんじ)六言六蔽(りくげんりくへい)を聞けるや。対(こた)えて曰く、未だせず。居(お)れ、吾女(なんじ)に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれば、その蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、その蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞(こう)。勇を好みて学を好まざれば、その蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。
先生が言われた。「由(子路)よ、お前は六つの概念についての六つの弊害(六言六弊)を聞いたことがあるか?」。子路は答えた。「いまだ聞いたことがありません」。「そこに座りなさい、話してあげよう。仁を好んで学問を好まないと、その弊害はただのお人好しになる(人から愚劣と見なされる)。智を好んで学問を好まないと、その弊害はとりとめがなくなる。信義を好んで学問を好まないと、その弊害は他人に利用され自らを損なう(自分が騙されてしまう)。正直を好んで学問を好まないと、その弊害は窮屈になる。勇を好んで学問を好まないと、その弊害は無秩序・乱暴になる。剛強を好んで学問を好まないと、その弊害は狂気になる」。
※浩→「居れ、吾なんじに語げん」は、孔子の学園で師匠が弟子にあらたまって教訓や故事などを語り聞かせるときの言いだしです。弟子が座から立ち上がって、先生に教訓をせがむと、先生は弟子を座らせて、居住まいを正し、あらたまって物語を始めます。ただ、この言い方をしているのは、『論語』ではここだけで、しかも、表現が教条的・図示的で、やはり『論語』前半とは違います。学問教養による調整を経ない限り、「仁知信直勇剛」の六つの美徳は六つの弊害を生むということです。こういう教条的な教えよりも、何かエピソードにもとづいての教えのほうが、弟子によく伝わるのではないかと思えます。セマンティックな記憶よりも、エピソディックな記憶のほうが心にしっかり残ります。教条的だと、まるで試験の前に丸覚えしているようです。試験で解答したあとは、すぐに忘れるかもしれませんし、覚えていても、ただ記号を覚えているようで、実生活には役立ちそうにありません。「じんちしんちょくゆうごう」って、何のことだか???日本の仏教のお経がまさにこのようで、せっかくのお釈迦様の教えがどんなものかは、さっぱりわからなくて、ただのおまじないのようです。「かんじーざいぼーさつぎょうじんはんにゃーはらみたーじしょうけんごうんかいくうどいっさいくやく……」。何のことやらわかりません。漢文で習った知識を参考にして、口語訳すると、「求道者にして聖なる観音は、深遠なる智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも彼は、これらの構成要素が、その本姓から言うと、実体のないものであると見抜いたのであった……」と、こういうふうに読むと、しっかりと意味が伝わってきます。最後の「ギャーテーギャーテーハラギャーテー…」の“真言”は正規のサンスクリットではなくて、俗語のようでいろいろに訳せるそうですが、古来翻訳しないものとされているようです。したがって、ここは“おまじない”みたいです。
アドラー心理学で、「最優先目標」というのがあります。人が切羽詰まったとき、最優先する目標を想定して、その人のライフスタイルを推量しようというもので、それそれの特徴とリスクが示されています。人はみな個性的で、パターンに分類できるものではないという大前提には立ちますが、人を知る手がかり・ヒントとしては役立ちます。↓
最優先目標
タイプA「安楽」
*しようとすること:安楽を求める(彼にとって安楽であるものなら何でも)
能動的:「甘やかされたガキ」
受動的:喜びを求める
*長所:こせこせしない、要求が少ない、他人にかまわない、調停者、外交的手腕にすぐ れている、共感性がある、温厚、先見の明がある
*他人の反応:いらいら、迷惑、退屈
*支払うべき代価:低い生産性、才能を使わない
*避けようとするもの:ストレス、責任、期待、「私を追い詰めないで!」
*不平を言う:低い生産性、忍耐強くないこと
*~から発しているかもしれない(小さい子どもの頃):不快、甘やかし
タイプB「好かれる」
*しようとすること:他人を喜ばせる
能動的:賛同を求める
受動的:憐れみをそそる
*長所:親しみやすい、思いやりがある、攻撃的でない、妥協する、自発的に奉仕するこ とがよくある、他人が望むことをする
*他人の反応:最初はうれしく感じる;「彼は素敵な人だな」
後に、賛同を求める彼の要求にいきどおりと失望を感じる
*支払うべき代価:成熟度の低さ、自己理想と自己評価の不一致、疎外
*避けようとするもの:拒絶
*不平を言う:自分と他人への尊敬の欠如
*~から発しているかもしれない(小さい子どもの頃):「敵陣の中で」(叩かれた子ども)
タイプC「支配」
*しようとすること:
A.自分をコントロールすること(普通は受動的)
B.他人をコントロールすること(能動的:独裁者、受動的:巧妙に立ち回る人)
C.状況をコントロールする
*長所:リーダーシップをとる潜在能力、系統だっている、生産的、粘り強い、断定的、 法を守る
*他人の反応:挑戦されていると感じる、緊張を感じる、抵抗を感じる、欲求不満を感じ る
*支払うべき代価:創造性の低さ、自然発露性の欠如、社会的距離
*避けようとするもの:屈辱、予期できないもの、馬鹿にされることを恐れる
*不平を言う:友だちが少ない、もっと親しくなりたい、「緊張している」と感じている
*~から発しているかもしれない(小さい子どもの頃):きついコントロール、打ち負か されていた
タイプD「優秀」
*しようとすること:他人より良い;
より能力がある、より善良、より正しい、
より役に立つ、より高貴に苦しむ…ヴィクティム、または、マーター(殉教者)
*長所:知識が豊富、正確、理想主義的、完全を目指す、粘り強く物事にあたる「共同体 感覚」の高いレベル(アドラー)
*他人の反応:不十分に感じる、「どのようにして達すればいいのだろうか?」劣等感や 罪の意識を感じる
*支払うべき代価:荷を負い過ぎていると感じる、責任を負い過ぎていると感じる、かか わり合いになり過ぎていると感じる
*避けようとするもの:人生とそのタスクにおいて、無意味なこと
*不平を言う:ひどい重荷、時間が無い、他人との関係の不確かさ、罪の意識
*~から発しているかもしれない(小さい子どもの頃):恥ずかしめる、完全主義
Q0321
自己受容に関連して、「現状のままの私でいい」というふうに思ってしまうと、人間の成長、進歩がなくなりませんか?
A0321
自分が好き、自己受容するということは、まったく現状のままの自分を認めるというより、「自分の不完全さは知っている、知っているけれども、そのことについて感情的に自分を咎めないのだ」というふうに理解するのが一番いいんじゃないかと思います。
自己受容ができない人というのは、非現実的に高い目標を持っている場合が多いようです。例えば、「すべての人に好かれよう」とか、「決して失敗しないでおこう」とか、「あらゆる人よりもあらゆる点で優れた人間でいよう」とかいうような、実現不可能な、不合理な高い目標を持っていて、それを実現していない自分を感情的に責めるわけです。「私は駄目な人間だ、私はまったく価値のない人間だ」と。
これは馬鹿げています。だから、まず実現可能な目標を持とう。これはいいことです。今より向上しよう、もっとたくさんの知識を学び、人格的に成長しようと思うことはいいことだと思うんですが、そうでない現状を感情的に咎めることはないんですよ。(回答・野田俊作先生)
7,胇肸(ひつきつ)招(まね)く。子往(ゆ)かんと欲す。子路曰く、昔者(むかし)由や諸(これ)を夫子に聞けり、曰く、親(みずか)らその身に於いて不善を為すものは、君子入らざるなりと。佛肸、中牟(ちゅうぼう)を以て畔(そむ)く。子の往くやこれを如何(いかん)。子曰く、然り。是(こ)の言(ことば)有るなり。曰く、堅しと曰(い)わざらんや、磨(と)げども燐(うすろ)がず。白しと曰わざらんや、涅(そ)むれども緇(くろ)まず。吾豈(あ)に匏瓜(ほうか)ならんや。焉(いずく)んぞ能(よ)く繋(かか)りて食(もちい)られざらん。
胇肸の招きに応じて、先生が行こうとされた。子路が申し上げた。「以前、私は先生からこう教えていただきました。『君主自身が不善を行っている国には、君子たる者は入国してはいけない』と。胇肸は中牟(ちゅうぼう)に拠って晋に反逆しています。先生がそこに行こうとされるのは、どういうことでしょうか?」。先生が答えられた。「そのとおりである。しかし、こういう格言もある。『ほんとに堅いと言わずにいられようか、砥(と)いでも砥いでも薄くならないのは。ほんとに白いと言わずにいられようか、染めても染めても黒くならないのは』と。私がどうして苦い瓜になることができようか。どうして蔓(つる)にぶらさがったままで、人間に食べられずにいられるだろうか(どこかに仕官の道を探さないではいられないではないか)」。
※浩→「胇肸」は、晉の范氏の家臣で、中牟の邑(ゆう)の宰でした。前497年、晉の趙簡子が中牟を横領しようとして范氏、中行(ちゅうこう)氏を攻めたとき、これに抵抗するために衛国に帰属しました。中牟という地名は各地にあり、どこにあたるかいろいろ意見があります。「吾豈に匏瓜(ほうか)ならんや……」について、中国古代の瓜には、甘いのと苦いのと二種あって、匏瓜は苦いほうです。
この出来事は、前の「公山」の招聘に応じようとしたのが孔子50歳のときで、それより12年後のことです。衛霊公に失望して、衛国を去るときの深い失望の中でのことだそうです。「公山」のときと同様、子路は不満で、「よからぬことを働いている者のところへは、君子は足を踏み入れない」と教わった。今、胇肸は中牟を根拠にして謀反をしているのに、先生がそこへ行かれるとはどういうことかと。孔子は答えます。確かにそうだ。しかし世の中には、堅いもの、それはいくらすり減らしても薄くならない堅いもの、また白いもの、それはあくまで白くて、いくら黒い土で染めても黒くならないもの、それらがあるではないか。私はそれだ。私は苦い瓜か。ぶら下がったまま、人に食べられずにいられようか。私は苦い瓜ではない。人に食われたいのだ。
子路は胇肸を謀反人だと言いますが、趙簡子が晉を抱き込んで、競争相手の范氏、中行氏を攻めたので、これに対して胇肸は晉から独立して、その邑ごと衛国に帰属し、衛の属国として受け入れられました。晉からは謀反かもしれないが、趙簡子に抵抗するための措置でしたから、単純に謀反とは言い切れない。衛国に亡命しても、その内政にあきれて、さらに外国に仕官の道を求めようとしていた孔子が、半独立国になった中牟の招きを受けようとしたのです。子路の非難は歴史の実情と食い違っているようです。孔子は、自分の政策を採用してくれる君主がいれば、大抵のことには眼をつぶって、招きの応じようという気だったのです。子路はこの孔子の気持ちがわかっていなかったのでしょう。でも、結局は孔子はこの招きにも応じなかったそうです。
春秋戦国時代は、諸子百家の時代で、賢者たちが諸国を遊説(ゆうぜい)して、自説を採用する君主を求めたことはよく知られています。孔子の一派(=儒家)もその代表です。仕官の道がいかに厳しかったかが察せられる一条でもあります。「遊説(ゆうぜい)」というのは、今は選挙運動ですが、もともとは、群雄割拠の時代に賢者が、諸侯を遍歴して採用してもらうために自説を述べたことを言います。今の日本の選挙運動は、どう考えてもクレイジーです。特に、選挙カーで自分の名前を連呼するのは、“騒音公害”です。私は最もうるさく連呼している候補者は絶対に投票しないことにしています。ということは、あの方法は逆効果で、定位置で聞きたい人を集めて演説するのが本来の選挙運動ではないかと思います。ただ、この方式でも、安倍元首相は暗殺されてしまいました。政治家の暗殺は、今に始まったことではありません。地元出身の犬養毅総理も「五・一五事件」で案されたことは有名です。アルフレッド・アドラーの願いは、人類永遠の願いなのでしょう。ボブ・ディランの「風に吹かれて」を思い出しました。