MENU
82,513

論語でジャーナル

第十八 微子篇

☆篇のはじめに
 この篇は、乱世を逃れる隠士を主人公とする物語が中心になっています。孔子は、ここでは、いくら努力しても効果が上がらないに決まっている政治運動に身を粉にして働いている、おめでたい人物として戯画化されています。無為の生活を至上とする老子学派の影響が濃厚に見られます。しかし、春秋時代の末期の中国は、内乱と戦争に明け暮れ、貪欲な豪族と、それを囲む権力亡者の佞臣(ねいしん)とによって、醜悪な権力闘争が繰り返されていました。この乱世に絶望して、政治の舞台から逃れて隠士の生活を送る賢人がたくさん出たました。乱世において、一身の降伏をはかるには、隠士の生活が最も適しているからでしょう。
 そういえば、古代ギリシャでも、ソクラテスやアリストテレスの「ポリス」時代には、その“善き市民”のあり方が倫理の規範でした。アレクサンダー大王によるマケドニア大帝国の時代になって、ポリスが崩れると、エピクロス派やストア派など、個人の安心立命を主とする哲学が登場します。そのエピクロスも「隠れて生きよ」と、隠遁生活を提唱していました。
 戦国時代の儒家の教団は、道家の無為思想を批判することで、自らの権威を保持しようとしたのでしょう。(←貝塚先生の解説)

1,微子(びし)はこれを去り、箕子(きし)はこれが奴(ど)と為り、比干(ひかん)は諌(いさ)めて死す。孔子曰く、殷に三仁あり。

 (殷王朝の末期にあたって)微子は殷国から逃げ出し、箕子は奴隷に身と落とし、比干は(殷の)紂王を諌めたために死罪となった。孔子がこの三人を評して言われた。「殷には三人の仁者がいた」。

※浩→この「微子篇」の特徴はまず、「子曰く」で始まるものが一条もないことです。孔子の思想を直接記録していなくて、孔子の周辺の記述をあつめたものである点が、この篇の特殊性です。
 「微子」の「微」は国の名で、「子」は爵位だそうです。殷の暴君・紂王の兄ですが、紂王の悪逆非道な政治に愛想を尽かして殷から逃げ出してしまいました。微子は、殷が滅んで周の時代になってから宋国の君主となります。「箕子」は紂王の叔父ですが、紂王の悪政を諌めて殺されかけたので、狂人を装って逃げ出し、奴隷の中に紛れ込んで一命を取り留めました。のちに周の武王によって朝鮮に封じられます。比干も紂王の叔父でしたが、正義感が強く知性に優れていた比干は、紂王を必死に諌めて怒りを買い、遂に処刑されてしました。三人の忠臣、あるいは命を犠牲にし、あるいはしなかったのですが、孔子はいずれも仁者であると評価しています。現実の政治から隠遁した微子と箕子の評価には、道家の「隠棲・無為自然」が影響しているのでしょう。
 老荘思想を好んだ私には、儒家に申し訳ないのですが、魅力を感じる「微子篇」です。「泰伯篇」に、「危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば即ち見はれ道なければ則ち隠る」とありました。これについては、発見があります。「実験論語処世談」(渋沢栄一)です↓
 次に「危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば即ち見はれ道なければ則ち隠る」といふのは、人の去就について採るべき態度を明かにされたものであるが、これ等字義から見ると、周の封建時代には難なく適用できるのであるが、我が国の如きに向つては俄にその儘当て嵌めるといふ訳には行かぬかも知れぬ。
 危邦といふのは将に乱れ亡びんとする国であつて、そのやうな国には足を踏入れるなといはれるのであるが、日本等に於て国民たるものは、国家が危くなつたからといつて足を入れないで逃げ出す等といふことは到底有り得べからざること、又、許すべからざることである。若し不幸にして国家の危急存亡にでも関するといふやうな時でもあつたならば、それこそ一命を賭してもその回復再生に努めねばならぬ。これは字義通りその儘では一寸日本に応用でき兼ねるのである。然し恐らく孔子の意志はそこには有るまいと思ふ。同じ論語の中に子路の問に答へて、「今の成人とは、何ぞ必ずしも然らん。利を見て義を思ひ危きを見て命を授け」と孔子が言はれて居る。これに依つて見れば、既に自身の仕へて居る国が危くなつた時には、一命をも授けるのが即ち成人であり、君子であるといつて居られるのである。日本が危くなつたからといつて、亜米利加に籍を移す等といふことは、断じて許すことができぬのである。
 然しこれは孔子が、人といふことに重きを置かれて言はれた言葉であつて、周のやうに封建時代には止むを得ぬことである。互に諸侯が覇を唱へんとして居る時で、真に安んじて一命を托し兼ねるといふ時勢であつて見れば、先づ成る可く危きに近づかないで己れの身を全うすることが君子としては正しい道であるとしたのである。然し我が国に於てはそんな消極的のことは許されぬ。若し危邦乱邦であつたならば、自ら陣頭に馬を進めて国家の改造善導に努めねばならぬ。そこで私の考へとしては、一歩を進めて積極的に常に国家の為に努め、危邦たることから避けしめねばならぬとするのである。
 天下道有れば則ち見はれ、道無ければ則ち隠る、とは上に述べた如く危邦乱邦があつて何処でも見はれるといふ訳には行かぬが、天下は広いもので、若し何れか道が具つて居る国があれば宜しく行つて天下に見はれるがよいといはれたのである。然し何程乱邦であり危邦であつたにしても、その人が真に賢者であり偉人であつたならば、その人自身が見はれまいとしても必らず世間一般の尊敬が向けられ、知らず識らずの中に天下に名を為し見はれて来るのであつて、孔子自身が其通りである。孔子自身は乱邦であれば、格別自ら求めて見はれようとされた訳でもないが、自然と周囲のもの、後世のものが、賢者として崇敬の念を払ひ、何時とはなしに見はれて了はれたのである。
 が然し孔子の如きは特に優れた人であつたから勢ひさうであつたのであるが、それ迄に行かぬ人は乱邦に居ても他から自然と見はして呉れるといふ訳には行かず、さういふ時に臨めば却てその身を傷けるやうになるから、本当に道があればこれに依つて名を為すもよいが、道の行はれぬ所には行かないで、寧ろ隠れてその身を全うするに如ずかと戒められたのである。徒らに危きに近づいて遂にその身をも亡し、然も何等世の中に貢献する所もないといふのは、如何にも君子たるものの恥とせなければならぬ所である。今日の世の中には之れと等しいことはよくあることで、孔子のこの戒めは今も昔も応用できるのである。

 ・・・うーん。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で、渋沢が『論語』を大切にしていたことを知りましたが、さすがです。明治時代の語り方ですから、繰り返して読まないと理解しにくいですが、「国を思う気迫」が感じられて、今のアナーキズムに堕した社会にあって、身が震える思いがします。

引用して返信編集・削除(未編集)

言ったほうがいいか言わないほうがいいか

Q0351
 子どもが何かしたときに、声をかけたほうがいいか、放っておいたほうがいいか迷うことがあるんですが、何か言うと勇気をくじくような気もするんです。

A0351
 まず、「言ったほうがいいか、言わないほうがいいか」ではなく、「言いたいか言いたくないか」で考えます。次に、言いたいけど、「言うと喧嘩になるかならないか」で考えます。「言うべきか言わないべきか」、または「言ったほうがいいか言わないほうがいいか」という考え方は「タテの関係」です。相手の立場を考えて、私が決めてあげるんですから。子どもがちょっと夜遅く帰ってきたとして、「ここで何か言ったほうがいいか」、「言わないほうがいいか」という考え方自体が「タテの関係」です。そうではなくて、言いたいか言いたくないかで考える。これは「タテの関係」ではないです。
 で、この場合に「バカたれ!」と言いたいとします。第2段階は、「バカたれ」と言ったら、ますます彼と仲良くなれるかますます喧嘩になるかを考える。彼が勇気をくじかれるかくじかれないかではなくて、“われわれの関係”がより近くなるか遠くなるかで考えます。
 実は、「勇気づけてあげよう」というのは「タテの関係」なんです。相手を勇気づけて、立ち直らせてあげようという発想は、それ自体やはり「タテの関係」です。
Q
 勇気づけることが「タテの関係」だとしたら、それじゃあどうしたらいいのでしょうか。勇気づけをしてはいけないということなんでしょうか?
A
 「相互に勇気づけ合える“関係”を持ち続けること」が、勇気づけです。私とつきあって」いることで、自然に勇気づけられるような私になろうとすること。勇気づけというのは、作為的なものではないです。ただ、最初は確かにお稽古がいるかもしれない。「この言葉を言ったほうがいいか、言わないほうがいいか」ということは、言ってみて相手の反応を確かめるしかないです。僕らが、これは勇気づけだと思っている言葉でも、その人にとって勇気づけになるかどうかは保証がないです。
 だから、子どもたちとつきあっていても、配偶者とつきあっていても、より仲良くなる方向につきあいさえすればいい。そうしたら、お互いに勇気づけ合えます。
Q
 ウーン、お互いに仲良くできる状態をいつも保っていれば、そのこと自体がお互いを勇気づけているということですか?
A
 あなた自身はどう思いますか?友だちと仲が良かったり、ご主人と仲が良かったりすると、それだけで勇気づけられませんか?
 「勇気」というのは「元気である」ということです。一々個別の行動に、それがいいとか悪いとかと言ってもらわなくてもいいです。小さい子どもだったら、知らないから言ってあげたほうがいいですが、中学生ぐらいになるとみんな知っています。
Q
 小学生の高学年だったらどうでしょうか。
A
 本人に聞いてみたらどうかしら。僕は子どもに聞いてみていました。「ちょっと言いたいことがあるんですが、お聞きになりますか?」って。
Q
 勇気づけようとして小学校6年の子どもに言うと、私が期待しているほど明るい表情ではないですね。
A
 ということは、あまり勇気づけになっていなかったということですね。本人にインタビューしてみたらどうですか。「今の私の言い方はどうでしたか?」って。
 人間というのは100人いたら100人みんな違います。だから、一般的な勇気づけメッセージというのは、本当はないんです。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

26,子曰く、年四十にして悪まるるは、それ終(や)んぬるかな。

 先生が言われた。「年齢が四十歳にもなって人に憎まれるというのでは、どうしようもないね」。

※浩→孔子は三十にして独立し、四十にして心が惑わないようになるというのを一つの目安にしていたから、四十歳になっても他人の気持ちや欲求を察することができず、人に恨まれるような人物はどうしようもないと考えたのです。当時は平均年齢が低かったですから、四十歳といえば現在の五十歳以上にあたるでしょう。社会的に成功している人物ほど、他人の怨恨や嫉妬を受けずに生きるのは難しいです。儒教的には、不惑の四十の年齢になるときまでには、他人の恨みをいたずらに買わないような生き方をせよということになります。今は、小学校からして「いじめ」が多発し、妬み、誹り、悪口雑言だらけの世の中になってしまいました。日本は世界的に見て安全な国だったはずが、それもどんどん怪しくなっています。これを食い止める方策は、適切な育児と教育しかありません。その家庭と学校がこれまた怪しくなってきては、もうお手上げ状態です。野田先生がかつて、「大きな物語は崩壊した」とおっしゃっていました。「人類・国家・地域」規模での「ヨコの関係の構築」は至難の業です。残るは、もっとミクロな規模での「あなた・私」ペアでの「ヨコの関係」構築だけという情けない有様です。(「陽貨篇」完)

引用して返信編集・削除(未編集)

家族のルールが守られない

Q0340
 家族でルールを作ったがちっとも守ってくれない。どうしたらいいか?

A0340
 守られないのは、そのルールの「制定手続きの民主性」がどれくらい保障されていたかということ。そのルールの合理性、ほんとにそのルールが絶対必要だという必要性を納得したか。あるいは本当にそのルールが必要なのか。特権階級はいないか。みんなが権利と責任の量に応じて、ルールに縛られて暮らしているか。全員が少しずつ不便をし合っているか。そのことをチェックしないといけない。
 民主的な手続きで作られ、内容が合理的で妥当であり、平等に適用されるようなルールは必ず守られるはずです。そのような手続きが行われているにもかかわらず守られないとすれば、そのルールの中に、違反に関する責任の処遇を問う項目を作ってもかまわない。それによって、社会的結末を引き受けてもらうこともできる。多くの人が守らないルールはルールが悪い。ごく少数が守らないであれば、ルールは正しくて守らない人に問題があるのかもしれない。
 ルールというものは人間の道具です。人間がルールの道具ではない。このルールは実際的でないと思えば改正する。ルールは絶えず改正していい。1つのルールが決まったからといって、守られもしないのに、金科玉条、壁に書いて貼っておくのは不合理な行為です。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

25,子曰く、唯(た)だ女子と小人とは養い難しと為すなり。これを近づくれば則ち不遜、これを遠ざくれば則ち怨む。

 先生が言われた。「女子と小人とだけは取り扱いにくいものである。親しみ近づけると無礼になり、疎遠にすると恨みをいだくから」。

※浩→現代の倫理観では、男尊女卑や差別になります。吉川先生は、『論語』の教えの全部が現代には通用しないと。今、こんなことを言うと、大問題です。そもそも孔子の時代は階級社会ですから、そこを勘案して、貝塚先生は、もう少し丁寧に、ここでの「女子と小人」は、家庭内で使役している女子と男子の使用人(大阪ふうに言えば、「おとこしゅ」と「おなごしゅ」でしょうか)を対象にしていると解説されます。孔子の時代の貴族は多妻制でしたから、家庭内では多数のお妾さんがその召使いとともに同居していて、そういう多数の女子と使用人の取り扱いが難しいと言っているので、この言葉から孔子が恐妻家であったとか女子を蔑視していたと主張するのはおかしいとも述べられています。
 ただ、「女子と小人」にこだわらなくても、こういう人は存在しそうです。特に日本では、親しい人にはぞんざいになり、つきあいを切ると恨まれたりすることはあります。対人距離を考慮して、距離にふさわしいつきあいができれば、それにこしたことはないです。アドラー心理学では、対人距離の遠近で、「仕事のタスク」と「交友のタスク」と「愛(家族と性)タスク」に3分してつきあい方を考えます。距離が近づくほどに、“協力関係(共同体感覚)”の必要性が高まります。「愛のタスク」の距離になると、生理レベルでの嫌悪が生じるでしょうから、一層、相手への理解と配慮が必要になります。そのことを「永続し、運命をともにする関係」と表現します。「どのレベルのタスクか」を明らかにすることで、人間関係のこじれも少なくなりそうです。「仕事」なら「仕事」と割り切れます。「友だち関係」なら、かなりお互いが譲歩し合わないとうまくつきあえません。「愛のタスク」を、野田先生は“向こうがこけたらこっちもこける”関係、とか、“うちかてアホやけど、あんたかてアホや”という関係だと、面白い表現をされていました。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計725件 (投稿719, 返信6)

ロケットBBS

Page Top