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お金を入れない主人:不潔で口もききたくない、顔も合わせたくない

Q 
 主人は生活していくお金を入れてくれず、人のためのボランティアみたいなことをしている。私が仕事をしているので、私をアテにしているのだと思う。また、イヤらしい本やビデオを買ってきたりして、主人のことが不潔に思え、口もききたくないし、顔も合わせたくない。どうすればいいのでしょうか?

A
 離婚したらよろしいがな(笑)。あのね、最後の手段としてそれは考えておいたほうがいい。イスラエルでは、結婚のときに同時に離婚の慰謝料を決めるんです。万が一離婚したらどのくらい支払うかをね。
 離婚イコール不幸だとみんな思うけれど、そんなことないです。離婚は、不幸にすればいくらでも不幸になるけれど、不幸でない離婚はたくさんある。どうしても一緒に暮らせなくて、一緒に暮らすことはものすごく不幸だという事態に陥っているときがあります。そのような、離婚したほうがまだマシだというような場合には、離婚をすればいいと思う。
 離婚するときに相手を憎む必要は何もないんです。離婚する夫婦は必要以上に相手を憎んで、その憎しみのパワーで離婚しようとする。それはバカげていると思う。それをやりますと、子どもへの影響までが致命的になるんです。5年でも10年でも20年でも、一緒に暮らしてくれたということは嬉しいじゃないですか。どうしても一緒に暮らせなくなるときが来てしまって、そして別れるとしても、それまでの生活というのは決してマイナスばかりではなかったはずです。それはそれでたくさん感謝すべきことだと思うんです。例えば、お母さんが子どもを引き取るとして、子どもに対してわれわれがしてあげなければならないことは単純明快です。「お父さんとお母さんは一緒に暮らせなくなりました。けれど、あなた方のお父さんであることは変わらない。だから、会いたくなったらいつでも会いに行ってかまわない。お母さんはお父さんのことを今では好きでなくなった。だけど、あなた方がお父さんのことを好きでも、それはちっともかまわない」。これだけ教えればいいんです。あとは何もいらない。
 もし再婚するんだったら、「今度家に来る男の人は、お母さんがとても好きな人です。だから一緒に暮らしたいと思う。あなた方もその人と友だちになってくれるととても嬉しいけれど、それはあなたたちが選べばいい。それで、その人はあなた方のお父さんではない。あなた方のお父さんは、今は離れて暮らしているあの人しかいません。だから、“おじさん”だと思っていい。お母さんのボーイフレンド。だから、その人は名前で呼んでかまいません」。
 そうすると、子どもたちはちゃんと育ちます。多くの人は、自分の憎しみを子どもたちにも一緒に分かち合おうとしてしまうのね。「私はあの人キライ!あなたたちも好きになってはいけません!」。そんなことを言うから不幸な子どもが育つんです。離婚の影響は決して致命的ではありません。むしろ、非常に夫婦仲が悪いところで育っているほうが、よほど悪いです。
 それで、夫婦が一緒にやっていけるかどうかというのは、たくさんの判断の基準があります。生理的なレベルとしては、例えば触られてもイヤという状態になっていると、しんどいですね。臭いとか、肌触りだとか、そういう生理的な触覚的な面がイヤな感じになっていると、とても苦しい。それから、同じ経験をしても、まったく違うところを注目している夫婦は難しいです。具体的な話をしますと、ある男の人とある女の人が結婚をしようとしても、なかなか踏み切れないというカップルがいた。両方ともある程度年を取っていて、慎重になっているんです。だいたい結婚というのは、若い無分別なときはすぐできるんだけれど、少し分別ができると恐くてなかなかできなくなるものですね。それで相談に来たんです。僕(野田)は宿題を出しました。まず2人で食事に行ってもらいました。そのあとで、「レストランはどんなふうでしたか?」と聞いた。すると、男の人は、「あのレストランは入り口のドアが面白くて、大きな木のドアで覗き窓がついていた。中へ入ったら、家具が全部黒い木でできていて、しっとりと落ち着いて良かった」と言いました。女の人に聞いたら、「窓がアルミサッシではなく木の窓枠で、柱なんかもしっかりしたもので、とても良かった」。2人ともまったく料理の話はしないけど、同じ体験をして同じところに注目しているでしょう。こういう夫婦はやっていける。相当違うなぁという夫婦でもやっていけるんです。ところが、一方は「ボーイさんが美男子だ」と言い、一方は「椅子が良かった」と言うのは駄目なんです。レストランに行く程度のことだったらいいけど、例えば子どもが非行化したとか、借金を抱え込んだとか、いろいろなトラブルが起こったときに、まったく見ているものが違うというのは、話し合いが成立しないんです。夫婦自身が、自分たちで問題を解決する力を持たなくなったときというのは、難しい。
 第3番目に、この人生に期待しているものが違うときです。ご主人のほうは、波瀾万丈・冒険の人生が欲しい、奥さんのほうは安定した生活が欲しいと言うと、難しいです。究極的にどんな人生でありたいかということは、夫婦がやっていけるかどうかの大事なポイントなんです。
 第4番目は、これはそれほど大きくないんだけど、揉(も)め始めると結構大きな要素になるのが、実家の生活水準です。わりと質素に暮らしてきたご主人と、「みすぼらしいものは食べてはいけない」と言われて育ったお嬢さんとが暮らすと、初めのうちはいいんですが、トラブルが起こったときにそれがとても大きなことになってしまうことがありますね。古風な言い方ですが、“家の釣り合い”というのも大事なんですね、結局。
 それくらいのところでトラブルがあって、トラブルを自分たちの力で修復する力がないと、離婚ということも考えていい。もちろん離婚しなさいと言うのではなくて、離婚ということも一方では考えておいたほうがいいということです。
 このケースですと、まずご主人は、自分のお金をボランティア活動なんかにつぎ込むということが、自分の人生の1つの大きな設計なんですね。奥さんは違う。奥さんは、もしかしたらご主人に養ってもらうのが設計なのかな。そこらへんの食い違いが、調整できるものか、できないことなのかによりますね。全然調整できないんだったら、一応離婚ということも考えながら、今後の生活設計してみる。
 夫婦って面白いもので、「別れる」と思ったらいろんなことが辛抱できるようになって、いつの間にかしっくりくるようになることもあります。それは、やはり依存心があるわけよ。奥さんは、理想の亭主に対する期待を現実の相手におっかぶせているのね。「もういつでも別れてやるぞ!」と思ったとたんに、現実の亭主の背後にあった理想の亭主が消えるのね。だから全部辛抱できるようになったりする。このポルノビデオの話も、どうもその類のように思えます。ご主人がポルノビデオを見るのは、まぁいいじゃないですか。元気になられて。“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”で、やることなすことみんな憎くなっちゃっている。というのはね、きっと愛情があるから。
 うまくいく結婚生活というのは、自分の理想を相手に押しつける度合いが少なければ少ないほどうまくいくんですね。現実の、この気の合わない男と、どうやって仲良く暮らしていくかを、工夫し始めるとうまくいくんです。あの男をうまく改造しようと思っている間はうまくいきませんよ。うまくいかせようと思ったら、この奥さんはまず離婚のことを考えてみる。亭主なしで暮らすことを考えてみる。亭主なしで暮らすことを考えて、今のほうがまだましだと思ったら、一緒にいること。亭主なしのほうがいいと思ったら離婚することです。(回答・野田俊作先生)

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「平等」と「敬うこと」の関係

Q
 横の関係でいれば怒りがないことはわかりました。私は祖父母とのつながりの中で、敬う心で接してきて、うまくいっていると思います。“平等”と“敬う”ということの関係を教えてください。

A
 これは同じことなんです。平等ということは尊敬し信頼するということ。だって、自分は人から尊敬されたいでしょう。人から信頼されたいと思うでしょう。軽蔑されたいと思う人がいますか?いないですよね。ということは他人もそうです。だから、良い人間関係にあるということ、対等で協力的で平等な人間関係にあるということは、お互いがお互いを尊敬しているということ、お互いがお互いを信頼しているということです。お互いがお互いを軽蔑し合って対等というのは、あまり良くありませんね。両方が猜疑心と不信感に凝り固まって、それで対等というのはあまり良くないですね。そんなものはちっとも良い人間関係とは言えない。
 相手と、例えばお爺さんやお婆さんと私とが、相互尊敬、相互信頼の対等の関係にあるのが望ましいんだと思う。どうやったらそうなると思いますか?
 私がお爺さんやお婆さんを尊敬したり、信頼していたら、いつかは向こうもこちらを尊敬したり信頼したりしてくれるかもしれませんね。私がお爺さんやお婆さんを軽蔑し、不信感を持っているのに、向こうがいつかはわれわれを尊敬したり信頼してくれるということはないだろうね。だからお互い同士に尊敬し合おうとしたら、まずこちらが始めないと仕方がないですね。
 学校だってそうで、生徒から尊敬されたいし、信頼されたいという先生は、まず生徒を信頼し尊敬しなければいけない。生徒のことを軽蔑していて不信感に凝り固まっていて、「こいつは放っておいたら絶対に悪いことをするぞ」と思っていて、それで教師を尊敬してくれというのは虫が良すぎる。夫婦間でもそうです。奥さんに尊敬されたいと思っている旦那さんは、奥さんを尊敬しなかったら駄目です。
 だから、平等というのは、なぁなぁの仲になることや気安い仲になることということではなくて、自分の最も尊敬する人と同じように、すべての人を尊敬するということなんです。皆さんも尊敬する人がいるでしょう。その人と同じように自分の家族にも、お隣のおばちゃんにも、駅の切符を切っているおじさんにも接することなんです。(回答・野田俊作先生)

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子どもの権利の一部を学校が預かるのは?

Q 子どもの権利の一部を学校が預かって、子どもの健全な成長のため強い管理をするという実態についてどう思われますか?
A ↓
http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-5-20.html

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自分をころして生きるのがつらい

Q
 友だちであろうとすると相手に気を使ってしまうし、自分らしさを出そうとすると相手に嫌われてしまうように思う。自分自身をころしてしまうと生きていくことが大変つらくなってしまうんですが。

A
 「今のこの私」を好きになってくれない人とは友だちにはなれないんですよ。どうしたってね。ありのままの自分じゃない自分で、作り物の自分をこしらえて、それで好きになってもらっているのは、普通は友だちとは言わないですね。だってそれは偽物を売っているようなものですから、詐欺商売ですよ。特に家族の場合はエエカッコできないですね。パンツの色までバレているのにどうやってエエカッコできるんですか。まったく普通のありのままの自分を好きになってもらわなくてはいけない。この人の課題はこれです。
 ありのままの自分で人に好きになってもらうために、まず第1にしなければいけない作業は、自分が自分と友だちになること。理想の自分ではなくて、現在のありのままの自分と友だちになれること。自分で自分のことを好きでないのに、人に「自分のことを好きになってください」って言えないじゃないですか。もちろん、いっぱい欠点はありますね。人間であるということは、欠点があるということですから。でも、その欠点というのは考えてみたら、実はないんですよ。なぜあるように見えるかというと、「理想の自分」があって、そこから「現実の自分」を引き算しているからです。理想の自分から現実の自分を引き算して、いつも採点しているから。その採点の仕方をやりますと、見えてくるのはマイナスのことばかりですね。それはとても勇気をくじきます。自分に向かってそれをしてもいけないし、他人に向かってそれをしてもいけない。理想の亭主から現実の亭主を引き算したり、理想の子どもから現実の子どもを引き算したりしますと、マイナス点ばかりですよ。
 そうではなくて、最悪の亭主や最悪の子どもや最悪の自分とかをイメージしてほしい。そこからプラスの部分を探すんです。最悪の亭主ってどんなですかね。例えばお金をくれない、例えば家に帰ってこない、帰ってきたら暴力をふるう……、そんなの最悪ね。それに比べればどうですか。お宅のご主人は毎日帰ってくるでしょう。時刻は多少違うかもしれないけれど。お金も入れてくれるでしょう。大したもんです。これは勇気づけることができますね。「毎日毎日帰ってきてくださってありがとう」って。「遅いけど」って言わないようにね(笑)。子どももそうです。最悪の子どもというのは死んでる子どもです。生きているだけで大したもんです。「元気でいてくれるだけでも嬉しい」って言えますね。
 最悪の自分もそういうふうにして考えます。例えば、生きているっていうことはすごくいいことでしょう。今日も元気だということはすごくいいと思いますよ。僕たちは健康のときには自分が病気のときのことを考えないですね。でも今日も元気で1日を過ごせるなんて素敵なことだと思いませんか。肝臓さんや腎臓さんや心臓さんたちにたくさん「ありがとう」を言いたいでしょう。私(野田)はこういう商売をしているので、とても体のことを気にします。例えばアメリカなんかに住んでいますと、マリファナなんかが簡単に手に入るんです。でも私はやらなかったの。なんでかと言うと、脳をやられると困るから。脳をやられたら、仕事にならないでしょう。本当に自分のことが好きでいる人は麻薬なんかに手を出さない。お酒だって僕は嫌いではないけれど、そんなに深酒をしない。やっぱり脳をやられると困るから。本当に自分のことが好きだと、麻薬とかシンナーとか酒とかに溺れないですよね。ちゃんと自然にブレーキがかかるから。まず自分の体とか健康状態とかを好きになってほしい。
 性格だって、私はいいところがいっぱいありますね。人には大きな声で言いにくいですけれど。自分で密かに思うのは自由ですからね。「僕ってなんて素敵な性格なんだろう」って勝手に思っています。皆さんもそう思ってください。朝起きて鏡の前に座るとき、「きゃっ!私ってなんでこんなに素敵なんだろう」と言って、しばらく惚れ惚れとしてください。これは別に誰からもイヤがられるわけではないし、絶対にいいと思いますよ。
 まずそうやって自分と友だちになること。自分がどんなに素敵かプラスの部分にだけ注目することです。理想から見てマイナスの部分には注目しないこと。さらに努力を重ねて、これ以上向上しようなどと思わないこと。今のままで十分大丈夫です。
 あなた方は今まで間違った育児を受けてきたわけです。理想の子ども像を親や教師が持っていて、「どれが足りないか」をずっと言い続けてこられて、「この足りないところをちゃんと認識しないと、あなた方はロクな大人にならないぞ、向上しないぞ」って言い続けられたんです。違うんですよ。進歩とか向上とかというのはそんな方法ではしないんです。「私はここが駄目だ」「私はここが足りない」と思って頑張ると、イヤなものから逃げるという形で頑張るでしょう。イヤなものから逃げるという形で頑張るというのは不幸なんですよ。良いものに向かって頑張らないといけない。
 およそ、イヤなものから逃げるという人生はそれ自体が逃げの人生で、“挑戦”のように見えるけど違うんです。本当にチャレンジするということは、“楽しいもの・良いもの”に向かっていることを言うんです。自分の欠点から逃げるということではないんです。
 自分のいいところを認識するようになると、そこを使えるようになる。それを使いこなすということが大事なんです。われわれの心とか体とかというのは、僕らのような年齢になってしまうと、すでに与えられていて変えられないものだと考えておいたほうがいい。今、「身長を3センチ伸ばせ」って言われたら困るでしょう。もう伸びないんですよ。それと同じように、僕たちの心も基本的にはもう変わらない。でも、生き方は完全に変えることができる。それはなぜかというと、使い方は変えることができるから。同じ体、同じ心をまったく違うふうに使うことはできる。
 僕らの持っているプラスの面を積極的に使い始めれば、生き方を全面的に変えることができます。あたかも性格が変わったようになりますが、性格が変わったわけではない。本当は“内気”だった人が“思いやりのある”人に変わるだけなんです。“臆病”だった人が“慎重”な人に変わるだけなんです。“臆病”と“慎重”というのは同じことなんですが、でも実際には全然違います。プラスに使えば“慎重”で、マイナスに使えば“臆病”です。そういう使い方の違いが起こります。だから生き方が全部変わります。
 まず自分がどのくらいプラスを持っているか知ってください。そうすると、友だちとつきあうときに、相手に気を使って嘘の自分を出す必要がなくなります。「私はこんなんです。こんな私でよければ好きになってください」と言えるから。第一、相手に気を使うというのは、「相手から良く思われているときだけ私は大丈夫だ」というものの考え方でしょう。相手から良く思われていようが悪く思われていようが、私は私のことが好きだし、私は大丈夫だ」。出発点はここです。そうして初めて、「こんな私で良かったら好きになってください」っていうのが出てくる。そうでないと、本当の友だちは作れないです。そうでなくて作った友だちは、全部こちらが偽物を売りつけて作ったお客さんで、詐欺商法の被害者です。(回答・野田俊作先生)

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忍耐について

Q 
 私は現在中学校に勤務する教師ですが、学校ではとにかく「忍耐」ということを強調します。そのことについてどう思われますか?

A
 人間は本当は忍耐をしない動物だと思うんです。私はすごい働き者です。自分で言うのも変だけど。でも、辛抱しているんじゃない。楽しいからやっているんです。楽しくないことは絶対にしないんです。大人になるとみんなそうです。子どもも実はそうです。「つらい、つらい」ではやらないですよ。「つらい、つらい」とやるのが好きな人がいますが、あれは「つらい、つらい」と言って頑張ってやっている自分に快感を覚えてやっているんです。「なんて私は立派なんだろう」と思ってやっている。それは一種のマゾヒズムです。とても変な心理で、あんまり健康じゃない。学校が子どもたちに身につけさせようとしているのは、そういうちょっと歪んだ精神です。自分を苛(さいな)むことを喜ぶ精神です。あれは健康ではない。
 この世には、僕たちがあまり「したくないけれど、しなければならない」こともたくさんあります。それが、どうしてもしなければならないのか、しなくてもやっていけるのか、まず考えてみる。しないでもいいと思ったことは、僕は全部パスすることにしている。しないんです。
 いくら逃げたって、しなければいけないということがはっきりした場合には、2つの方法があります。1つは、それをイヤイヤする。もう1つはそれを楽しんでする。どっちかです。そうしたら僕は楽しんですることを選ぶ。辛抱しながらイヤイヤするほうは絶対に選ばない。子どもたちに僕たちが教えてあげたいことは、そのことです。どうしてもしなくてはならないことがあれば、それは楽しくやろう。どうやったら楽しくやれるか工夫しよう。イヤなことを耐えてやるというのは絶対にやめたほうがいい。だって同じことをするんだったら、イヤイヤやるのと、楽しんでやるのと結果はどっちがいいと思う?
 だから忍耐というのは、とても間違った考え方です。とても変態的な考え方です。そんな変態的な考え方を子どもに押しつけてはいけないと思うんです。(回答・野田俊作先生)

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