MENU
63,707

医者にかからないために

Q0320
 医者にかからないためには次の3点の健康が大事だと思います。食物、精神の安定、適当な運動。野田先生は具体的にどんな点に留意されていますか?

A0320
 内科の研修医の先生がいいことを言いました。内科医のできでることは3つある。口からものを入れたり入れなかったりする。目や耳からものを入れたり入れなかったりする。体を動かさせたり動かさせなかったり。その3つしか治療がない。
 口からというのは、食事療法とかお薬をあげるとか。お薬も食事のうちだと彼は言う。医食同源者ですから。食事としてはお薬はまずい。食物を食べることも大事、食べないことも大事。
 目や耳というのは情報のこと。いい情報を聞く、知る、知らない。いらないことを考えないことも大事。精神の安定は、要するに、ちゃんと相手の言うことを聞き理解していることだとまず思うとわかりやすい。
 第3番目に体を動かすか動かさないか。それも大事。
 私は食物がダメです。前世の過去生に、地獄・畜生・餓鬼・阿修羅・人間・天の(六道の)、餓鬼の世界にいたみたいで、食べ物を見ると手が出る。ここの事務所(アドラーギルド)は豚の飼育場みたいで、いくらでも餌が落ちている。これは何とか克服しないといけない。精神の安定はいたって安定している。ときどき怒っていますが、あれは私のレクリエーションのうちで、私が怒らなかったら3日目に死にますから、精神の安定です。運動はたぶん足りているが、もっと運動したいので、自転車を買った。今までは社長公用ママチャリに乗っていたけど、あれはあれで買い物用に置いておいて、ツーリング用のドロップハンド21段変速を買った。泥棒に盗られないように気をつけないといけない。週に少なくとも1回は50キロ走ることになっている。50キロは大したことない。時速25キロくらいで走るから、2時間はちょっとしんどいけど3時間あれば楽に走れる。お遍路さんに行って、だいたい3日で80キロから90キロくらい歩く。鎌田さんはそれくらいで限界でアヘアヘ言っている。さと子さんなんかは最後のお寺に行って、「これから帰ろうか」と言うと、「次のお寺どこ?」と言うくらい元気。歳取るほど元気。若い人は小さいときからいいものを食っている。あの人たちはインスタントラーメンを食っているが、僕たちのころはインスタントラーメンがなかった。そういえば、インスタント食品は食べない。スナック菓子も食べない。食事は何とかしないといけない。タバコはやめてよかった。お酒も一時に比べるとずいぶん減ってよかった。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

6,子張、仁を孔子に問う。孔子曰く、能(よ)く五つの者を天下に行なうを仁と為す。これを請い問う。曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得(え)、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。

 子張が、孔子に仁について質問した。孔子が言われた。「五つのことを天下で実行できれば仁と言えるね」。子張はさらにその五つのことは何かと質問した。先生は言われた。「それは、恭・寛・信・敏・恵である。恭つまり礼儀正しいと他人に侮られない。寛つまり寛容であれば人望が集まる。信つまり誠実であれば他人から信頼される。敏つまり敏捷であれば仕事がたくさんできる。恵つまり恵深いと人を上手く使うことができる」。

※浩→こういう図式的な言語は、『論語』の前半と似ていないと言われます。朱子の「問答集」に「“六言六蔽(へい)”、“五美”などの説は、意味はそのとおりだが、皆聖人の常時の言語と一様ならず」とあるそうです。上論と下論の間に差異があると、最もはっきり言うのは伊藤仁斎で、朱子の意見の影響だろうと、吉川先生。
 子どもたちに教えるにはわかりやすいでしょう。「礼儀正しくありたい」「寛容でいたい」「誠実でいたい」「敏捷でいたい」「恵み深くいたい」と私も思います。「愛」についておさらいしておきます。
 愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える(コリント人への手紙1-13)。
 これを心がけると、うかつに「愛してます」とは言えなくなります。人を愛するというのは、よほどの覚悟がいることだとわかります。
 昔、在職中に、ある生徒から求められたことをやさしくきっぱり断ったことがあります。賢い生徒くんは、「じゃあ、先生、僕たちへの愛はなくなったんですか?」。これにはまいりました。生徒愛に溢れると自負していた私は、結局、受け入れました。何かというと、当時から私はウエイトトレーニングをしていて、ガタイがムキムキでした。生徒が「胸をピクピクさせるのを見せてくれ」と言うのです。「見せるためにやっていません」と断ったら、こう言われたのです。仕方なく、上半身タンクトップ姿で見せてあげました。拍手喝采ではありました。“見栄の大森”はその当時から存在していました。今は昔のお話ですが、トレーニングは現在も続けています。週3~4回は通っています。

引用して返信編集・削除(未編集)

アドラー心理学イコール・シンプリファイ

Q0319
 「アドラー心理学イコール・シンプリファイすることだ」と教えていただきましたが、生活体験の中において具体的に教えてください。

A0319
 具体的にってどうやって教えていいかわからない。「ああ、アドラー心理学をやって物事が簡単になった」という実感の問題だから。
 人に物を教えるとき3とおりの教え方がある。例えば、歴史を教えるのに、縄文式時代があって弥生時代があって、貴族の時代があって侍の時代があってというふうに、始まりから教える。これが第1の教え方。
 第2の教え方は根性がいる。今現在から教える。この前、自民党が政権を失った。その前は自民党と社会党でその前は自民党でとか。さらにその前は戦争があってと、逆向きに過去へ遡って教えると興味がつながる。中学・高校は第1の教え方です。『逆向き日本史』という本も出ていて、これは第2の教え方で面白い。
 第3番目は、大学で国史をやるとそんなふうにものを考えなくて、まず日本の歴史を2つに割るとしたらどこで割るか。南北朝で割るのが賢い。後醍醐天皇の前後です。いろんなことがあそこで変わる。文字を書く人がそれまでは高級武士とか貴族だったのが、そのころから村長さんが文字を書いて直訴している。日本国に文字がワッと広がった。それから、食べ物が変わって、米中心になった。貨幣経済がその辺から始まって、中国から輸入した六文銭・銅銭が使われた。鎌倉時代は砂金の袋だったのが、それからお金になった。田舎の村ごとにお寺やお墓があるというのもそのあたりから。日本人の暮らしそのものが根底的に変わるのが室町地代に入ったことみたいだという感じを持ちます。
 この感じは、高校で歴史をやっている限り絶対に持てない。高校の歴史の感覚で日本の歴史を2つにしたら、ほとんどの人が、鎌倉時代の初め・平安時代の終わり、武士の時代の始まりだと言う。高校式の政治史の見方ではそうだけど、そこには生活実感が何もない。大学なんかに行って歴史を全部知っていて、実際の生活実感を文献なんか押さえていると「室町」だとわかる。第3番目の体験主義的な教え方。細かいことはええがな。大まかにポンと体験しよう。
 アドラー心理学も、教えるときに、「基礎講座」といって縄文式時代から始めるやり方を1つしている。アドラー心理学の基礎的な考え方からずっと積み重ねよう。それから「パセージ」は日常生活の、まず育児という問題を取り上げて、そこからズルズルとアドラー心理学の中へ潜り込んでいこうとする第2番目の教え方もしている。それから、「プラサード」や「アスミ」はいきなりボンと「ハイ、アドラーですよ」と何も理屈なしに始める。 アドラー心理学をやると話がシンプルになるというのは第3番目の話です。「ああ、シンプルになった」という実感がないことには、説明すればするほど複雑になる。説明の量が増えるから。だから、やってみてください。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

論語でジャーナル

5,公山弗擾(こうざんふつじょう)、費を以て畔(そむ)く。招(よ)ぶ。子往(ゆ)かんと欲す。子路説(よろこ)ばずして曰く、之(ゆ)くこと末(な)ければ已(や)む。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之(ゆ)かんや。子曰く、夫(そ)れ我を招ぶ者は豈(あ)に徒(いたずら)ならんや。如(も)し我を用うる者あらば、吾はそれ東周を為さんか。

 公山弗擾が費を拠点として叛逆を企て、孔子を招いた。先生はこれに応じられようとした。子路はこのことに不服をとなえて申し上げた。「どこへも行くところがないとすれば、それまでのことです。わざわざ謀反人の公山のところへ行くことはありますまい」。先生が言われた。「そもそも私を招聘する者、それはただ漠然と無駄に招聘するのであろうか。理由があっての招聘であり、私への期待をもっての招聘である。もしも私を採用してくれる人があったら、自分はその国をいわば東周にしてみせたいのだ」。

※浩→魯公に反旗を翻した公山弗擾から孔子が招かれたというのが歴史的事実であるか否かははっきりしないそうですが、ここでは、公山の申し出に孔子が応諾しようとしたということになっています。
 「公山」は名は弗擾(ふつじょう)、陽虎と同じく季氏の家臣でしたが、陽虎と同じく季氏に不満を抱き、陽虎が謀反した孔子50歳のとき、その領地・費を根拠にして謀反を起こしました。そうして孔子を招聘したのです。孔子はそれに応じようとしたら、直情径行の士・子路は不機嫌になり、謀反人のところへ行くなんてとんでもないと、制止しました。
 常識では「公山」は下剋上の謀反人です。それなのになぜ孔子はその招聘に応じようとしたのでしょう?司馬遷の解説では、これは孔子がいよいよ政治家としての実践に入る直前の事件であり、政治的実践の出発点を、常識では謀反人とする人物への協力に求めようとしたのであろうとあります。孔子は、自分を使ってくれる者があれば、東周のように「周」を復興してみせると言いました。
 ところで、「周」は初め、陝西省の西安に都を置いていましたが、幽王が遊牧民の犬戎に滅ぼされたため、その子の平王が東遷して洛陽に都を立てて周王朝を復興しました。幽王以前の周を「西周」と言い、平王以後を「東周」と呼びます。
 実際には子路の意見に従って行かなかったようですが、公山の勧めにかなり乗り気であったことは、2つあとの条でわかります。
 孔子は50歳くらいで、まだ仕官の道が不安定でした。私はちょうどそのころ、アドラー心理学のカウンセラーになれて、人生が一変しました。わりとシャイで(自分でそう思っているだけ?)、大勢の人前で講演したりすることは考えられなかったはずが、それ以後、在職中も退職後も幼稚園から高校、あるいは企業に招かれて、講演活動をさせていただきました(HPに一覧あり)。そういうとき、思えば、必ず私を招いてくださった方がいらっしゃいました。中でも、当時総社市内の中学校の先生だった平○○○子先生、吉備中学校の養護教諭・茅○○○子先生、清輝小学校の養護教諭・小○先生、幼稚園の園長さん・片○先生……。ありがとうございました。どなたも「公山」のような“謀反人”ではありませんから、私は堂々とお招きに応じることができました。コロナ以後、講演以来はぱったり途絶えてはいますが、私が後期高齢者になったことも関係しているのかもしれません。それでも唯一、津山工業高校のスクールカウンセラーを務めることができていて、まだボケるわけにはいきません。

引用して返信編集・削除(未編集)

お年寄りの素晴らしさを示すには?

Q0318
 人生の上り坂にある娘に、お年寄りの素晴らしさを示す一発は何でしょうか?最近、年寄りを軽蔑しますね。

A0318
 これも今の文化装置なんですよ。年寄りをバカにするというのも。長い話になるからイヤやなぁ。
 今ちょっと急速に世界を動かしすぎなんですよ。いろんなものを技術的な改良をしすぎで、年寄りがついていけない。電気なんかでもそうです。蛍光灯があって、あそこにスイッチがある。これくらいはお年寄りもついていけるけど、エアコンはちょっとしんどいかもしれない。普通の家庭電化製品でも、急速にコンセプトが変わっていくので年寄りに対してやさしくない。その結果、お年寄りがバカに見える。人類の進歩と言うけど、僕は進歩だと思わない。これは人類の“変化”なんです。一番良くない作用は、年寄りを愚か者にしていく作用です。
 こないだテレビで縄文式時代の話をしていた。縄文式時代の都市が青森県で発掘された。1500年間、同じところで同じ暮らしをしている。全然進歩がない。1500年て長い期間よ。万葉集から今1300年だもの。縄文式時代は、1500年間まったく進歩しなかった。それは野蛮だったからでない。
 インドにモヘンジョダロ、ハラッパーというインダス文明がある。あれは5000年間何も進歩していない。インダス文明ができて、町ができて、町の様子は、ずっと同じように作り替えられていく。土器や石器は同じものをずっと作っていって全然変化させない。あんなところでは老人が尊敬される。何でも知っているから。今ちょうどその逆様で、物事が変わっていくのが進歩だという迷信がある。変わっていくのが進歩ではないと思う。
 私の好きな哲学者でイワン・イリーチという人がいて、メキシコで主に教育関係の仕事をしていた。彼が言うには、「このごろの自動車は困る。町の鍛冶屋さんが修理できないから」。メキシコの田舎だと、自動車というのは自分たちの村の鍛冶屋さんで修理できる範囲の機械でないと困る。ジープを買ったら100年くらいは使いたい。荷車は100年くらい使える。町の鍛冶屋さんが修理していた。大戦のころだと、ジープなんか前線で軍隊がスパナやペンチがあれば修理できるように作ってあったから、やってこられた。ところが最近、特に日本車は高度なエレクトロニクス技術を使っていて、壊れるともうお手上げ。メキシコシティーまで持っていかないとどうにもならない。メキシコでもダメならアメリカまで持っていかないとどうにもならない。結局、諦めて新しいのを買わされる。日本でもそう。「具合が悪い」と言うと、「こんなん修理しないで買い換えなさい」ときっと言われる。あれは日本政府とトヨタと日産が結託した陰謀で、あんなのはウソですよ。アメリカやオーストラリアでは車検がないから、朽ち果てた車が走っている。日本では車検制度をテコにして、車を買い換えさせるようにしている。それで産業がグルグル回って、雇用もいいし景気がいいという1つのインチキがある。必要以上の過剰生産・過剰消費をせざるをえない経済のトリックがあって、僕らは文明の進歩だと思っている。家電製品で便利になったと思っている。ちっとも便利になっていない。自動車が壊れたら、隣の鍛冶屋さんへ持っていってトッテンカンと直してもらうほうが便利だと思わないですか。
 僕は子どものころ、電気少年だった。友だちのラジオやステレオを修理するバイトをしていた。当時真空管式アンプで、プレート基盤はなかったから。テレビだって作れた。無線送信機なんかいくつ作ったかわからない。今のはダメ。壊れたらお手上げ。一体化プリント基板で、壊れたらダメ。私もダメ、町の電気屋さんもダメ、パナソニックや東芝へ持っていってもダメ。30年も40年も使える機械を、数年で買い換えさせるように仕向けている。メチャメチャな不便です。
 昔、家にラジオが1台あって、最初は幼稚園のころに来た。それが高校出るころも動いていた。真空管式アンプで、12年間は元気に動いていた。今のはそんなに元気に動かない。2,3年したら買い換える。若い人はもっと買い換えたがっる。テレビのコマーシャルで。あれって不便。完全に騙されている。
 その中で1つの副作用として、年寄りを尊敬しないということが必然的に起こってしまう。新しい機械を扱えない愚かな(?)年寄りをどんどん作り出しているから。僕らもそのうちきっとついて行けなくなる。今は辛うじてついて行っているけど、ある日家に帰ったら、手をパッとやったら電気が点くとか、指をチョンチョンとしたらお風呂が沸くとかは覚えられない。「おじいちゃんダメねえ」ときっと言われる。文明の構造そのものに由来する。ついこの間まで老人たちは賢明だった。
 若いころはアホなことをしたと思う。愚かなことをしていた。友だちに悪いことをした。このごろあんなのせえへん。賢くなったと思う。年取ることは賢明になっていくこと。メチャメチャ賢くなったらもう死ぬんだろう。昔はそうだった。老人は賢明で、年寄りは何でも大事なことを知っていて、この世で知るべきことを全部知ったら死ぬということになっていた。今は年取るほど何も知らない。困ったことです。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計664件 (投稿658, 返信6)

ロケットBBS

Page Top