Q0379
子どもの職業選択に関して、親はモデルとしてどのようにしたらいいでしょうか?私(母親)は水田を少しやっています。このごろは産業化で機械ばっかりで、手作業はほとんどありませんし、父親はサラリーマンです。
A0379
自分自身も先祖もお百姓さんでなかったから、よくわからないけど、僕は村医者をしようと思った。できたらこの世にいる間に村医者ができるといいと。田舎でワークショップをしますね。だいたい山奥の田舎の村では、Iターンと言って、都会の人に「住みついてくれ」と言っている。「医者は住んでもいいか?」と言ったら、だいたい歓迎してくれるはずです。あいうところでやる医者は「低度医療」です。「高度医療」じゃなくて。低度医療というのは、スクーターに乗って、ポテポテポテと往診に行く。「おじいちゃん、今晩は」「ああ、先生いらっしゃい」「血圧高いね」と言いながらお茶を出してもらって、ごそごそ話をします。嫁の悪口の1つも聞き、「もうすぐ干し柿できる。できたらあげるから、そのころまた来てね」「来るわ」と言って帰る。こういう医療が僕はすごく好きなんです。病院でカッコ良い機械に取り囲まれて、患者さんに来てもらってしゃべるより、医者が患者さんの家へ行って、患者さんの生活の中へ入り込んでする医療が、医療の原点だと思うし、そうでないといけないと思う。残念ながら、今の医学部はそういう教育をしてない。今の医学部は、基本的に、“病院にいるお医者さん”を育てている。検査機械がいっぱい入ってないと動けない医者を育てている。僕のころはまだそうじゃなかった。僕のころの教授さんたちは軍医さんだった。みんな軍医経験者で、中国かどこかの前線にいて、聴診器を1個持って、兵隊さんと一緒に中国の大草原を歩きまわっていた人たちで、怪我をしても何にもない。そんな中で治療をしてきた人たちだから、僕らにもそういうこともあるかもしれない。君たちの一生に何が起こるかわからない。聴診器とか打診・触診とかをバカにするけど、「これしかない場所もあるんだから、ちゃんと覚えときなさい」って、厳しく教えてもらいました。だから、僕は触診の名人です、自分で言うのも何ですが。このごろお腹を触るお医者さんは少ない。カッコだけ触っているけど、わかってない。今も、週に半日だけお医者さんをしていますが、ほとんどの患者さんにお腹を触らせてもらいます。漢方薬を合わせるために。触りながら「ここ何か感じます」と言ったら「どうしてわかるんですか?」と言われる。そーっと触ったらわかるんです。そーっと触ると、何かあったらわかるんです。そういうのを先生たちから習った。今の教授たちにはそんな技術はない。低度医療ができるお医者さんはいない。でも、医学部にそういうイメージができれば、低度医療の教育を、当然します。田舎の村医者として働ける医者の養成だってやる。工学部だって、村の鍛冶屋さんはいります。ちょっとした修理ができる人って、近所で、電器だって、機械だって、何でも修理できるお商売のできる人って、絶対に必要なんです、農村で。今みたいに大企業があって動くわけじゃない。僕が最初に乗った自動車は、故障したら自分で修理できた。ヤバいなと思ったら、前を開けて、「あ、これやな」言って、プラグを磨いたら動いたりして、あれはほんとはあの時代にはもうしてはいけなかった、排気ガス規制で。でも、理系の人たちは機械に触るのが好きですから、自分で勝手に自動車のチューンアップしていた。ある時点でできなくなった。プロもできなくなった。あるとき、ドイツ製のアウディに乗っていたことがあって、何かトラブルが起こって、「あそこにガソリンスタンドがある」と、ガソリンスタンドへビューッと入って、「ちょっと見て」と言ったら、若いお兄ちゃんが出てきて、前を明けて、「どないなってるねん。あーうまいことできてるねえ。これ凄いわ。うちではできません。“ヤナセ”呼んでください」。確かにそうなんです。コンピューターで燃料噴射することになっていて、凄い精密機械、測定器がないと、修理できない。町のガソリンスタンドで修理できない機械になった。日本の車もそのあとすぐそうなりました。若いころ、僕はラジオ修理屋さんをいていた。テレビやラジオがうまく動かなくなったら、修理に行きます。同級生の家とかに。テレビを分解して、裏の抵抗器かなんか1つ付け替えると動く。原価30円くらいを3000円くらいもらって、だいぶ稼いでいた。でも、電気屋さんへ出したらもっと取られた。今のテレビは全然修理できない。完全に一体化プリント基板で。この機械の作り方をやめないといけない。町の鍛冶屋さんが自分で修理できる機械を作る。そうするとそこにイメージができてくる。工学部で何を教えればいいか。そうやって、ほんとに手作りの世界をもう1回作るんだということを、日本人がだんだん決心していったら、そんな中で、自分にできることが決まっていく。全員がお百姓をするわけじゃない。昔から全員がお百姓さんだったわけではない。お百姓さんも大事だけど、お百姓さんを支えるいろんな人たちが必要。そういうイメージで話し合っていってください。なるべく、手作り化した動きができるほうが賢いと思う。そうしたら、いろんなところで暮らせるでしょう。うちの父親は往診するお医者さんで、ずっと医療の原点で暮らしていましたが、僕は残念ながらあまり医療の原点にいられなくて、良かったのは、震災のとき、ボランティアで西宮市の避難所へ行っていたこと。あのときはほんとに医療の原点で、看護師さんと2人で自転車の乗ってコキコキと避難所を回って、おじいちゃん・おばあちゃんの長い長い話を聞いて、みんな暇ですから、ああやって暮らしていた。あれはいい仕事だと思った。「医者とは何か」という迷いが完全に取れた。医者というのは、要するに患者さんに手当をする。手を当てるもんだと。患者さんに触れない医者はダメ。患者さんのほうを向いて、患者さんの話を聞いて、患者さんの体を触って、話をする間に、だんだん治ってくる。漢方医学はずっと前からやっていたけど、今はチベット医学の勉強をしている。なんでチベット医学かというと、話が怪しい。病気の原因は4つある。1つは「不養生」。ちゃんとご飯を食べないとか、日常生活のリズムが乱れているとか。2番目は微生物、バイ菌とか。「虫」と言う。3番目は「呪い」。誰かがあなたのことを呪っている。魔術。4番目は「過去生の祟り」。医者はどれか見分けないといけない。食習慣の乱れ、生活習慣の乱れなら、生活指導をする。微生物ならお薬を使って生活指導する。呪いはおまじない、ご祈祷をする。だいたい医者が祈祷師を兼ねている。「では只今からご祈祷します」と言ってご祈祷する。過去生の因縁で悪事をなしたのは、ご祈祷くらいでは治らない。本人が巡礼に行くとか、お寺に寄付するとかしないと治らない。それのお手伝いもする。手広く全部やる、どの医者も。医療機械も何もないし、薬草も乏しい。中国のようにたくさん草が生えている場所ではないから、わずかの薬草を工夫して使いながら、ほんとに「手当て」で、体を触りながら医療する。ほんとに医者の原点だし、医者と魔術師の中間というのは実は曖昧で、僕の仕事なんか、「お前はまじない師か」とみんなから言われているけど、ほんとは中間はない。このごろのお医者は「まじないって何?」と言うけど、ほんとはチベットの医者みたいに、過去生の祟りもあるかねと思う。医療の一番原点のところで考えることが、やがて絶対に役に立つと思う。今すぐにチベット医学をやりなさいとは言わない。ただ、あれは残さないといけない、将来に。いつかああいうふうな発想をもっと新しくして、使っていく時期が来るのではないか。医者がどこまで面倒をみるかというと、やはり生活の全体の面倒をみないといけない。(回答・野田俊作先生)
18,曾子曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり、孟荘子の孝や、その他は能(よ)くすべきなり。その父の臣と父の政とを改めざるは、是(これ)能くし難きなり。
曾子が言われた。「私は先生(孔子)からこう聞いている。『孟荘子殿の親孝行ぶりは、たいていは、他人もそれをできるけれど、亡くなった父の家臣と政治の仕組みとを改めずにそれを引き継いだことは、誰でもができることではない」。
※浩→「孟荘子」は魯の家老・孟孫(仲孫)、諡(おくりな)が速で、父・孟献子の地位を世襲しました。孔子がその人物を批評した言葉について曾氏が語っています。伝統主義者の孔子らしく、父親の政治の方針や家臣の使い方をそのまま変えずに継承することを正しい「孝の道」だとしています。彼の在政期間が短く、在喪期間だけでなく彼が死ぬまで続いたので、これほどほめられたのかもしれない、と貝塚先生の解説。
不肖ながら私が父のやり方を受け継いでいることとしては、ずば抜けて“几帳面”なことです。ほとんど神経症的でした。家の中のものはほとんど全部まっすぐに置かれています。斜めになっているものはほとんどありません。今では笑えますが、それでも無意識にそうなっています。あえて乱暴にする必要もないので、なるがままにしています。これは遺伝か学習によるものか?遺伝の影響は確かめようがないですから、学習によるものとして考えると、子どものころのあれが“外傷体験”になっているのかもしれません。トラウマというほどでもないのでしょうが、小学校のころ、母屋の4畳半ほどの和室の隅に小さな机を置いて勉強していました。あるとき、それまで物置だった玄関土間の横の3畳の間を父が整備して勉強部屋にしてくれました。机の他に小さな本棚も置いて、田舎の家にしては立派な勉強部屋になりました。嬉しくて、勉強したあとそこでそのまま寝たりしていました。ある日のこと、机の上に勉強道具をほったらかして外で遊んでいて、帰ると部屋中のものが床にひっくり返っていました。途方に暮れていると、母が「あんたがちゃんと片づけんから、お父ちゃんが怒ってひっくり返したんよ」と言いました。私は泣きべそをかきながら、床に散らばっている本や文具を拾い上げて、元の場所に片づけました。あれはこたえました。父自身の身の回りのものはどれもきちんと置かれていました。圧巻は机の引き出しの中です。すべての文具類が、きちんとまっすぐ置かれているようで、1つだけ少し斜めに置いていました。母に理由を聞くと、「誰かが触ったらきっと元に戻すときまっすぐに置くから、それで誰かが触ったことがわかるんだって」と言いました。恐るべし、オヤジ!母親っ子だった私は、「大きくなったらお父ちゃんみたいになりたくない」と言っていましたが、なんのことはない。父のまんまを今もやっています。ああはなりたくないと思いながらそのままになったということは「反面教師」だったわけですか。そういえば、名匠・小津安二郎監督の映画の構図は直線的で、いろいろなモノがまっすぐに直角的に配置されていました。監督はわが父のようなライフスタイルだったのでしょうか。
Q0373
アドラー心理学カウンセリングでは、症状を解消することを目標にはしませんが、先生の昔の事例に、強迫神経症の子どもが、「汚いのでテレビのリモコンに触れないと言う」のに対して、「サランラップを巻かせて」と話をされていたことがあったと思うのですが、症状の解消を目的にしなくても、話題として触れることはあるのかなと思いました。もしそうであるなら、症状が話にのぼらざるをえない場合に、何か分岐点なり方針なりというのがあるのでしょうか?あるとすれば、それはどんなものでしょうか?
A0373
僕、別に、人が強迫神経症であろうが、パニック障害であろうが、それを治す気はないんです。話題にするしないにかかわらず、それが僕らの相談の目標にならないんです。われわれは魔法使いではないから、「ちちんぷいぷい」と言ったら、強迫神経症が治るとか統合失調症が治るとか、まったく思いません。そこが問題じゃなくて、「社会とどうつきあうか」が問題なんです。人間関係をどう持っていくか?人間関係がちゃんと保てるようになれば、あるいは症状はなくなるかもしれないし、あるいはなくならないかもしれません。どっちでもよろしい。ずっと症状を持ったままで、良い社会生活を送るなら、それはそれでよろしい。そんな人はいますからね、世の中には。パニック障害を持ったままで、良い社会生活を送る。それはそれでよろしい。そんな人もいっぱいいますから。パニック障害をなくすとか弱めるとか考えてない。そのことを何とかしてあげないといけないと思った途端に、向こうの手の内に引っかかっている。だから、関心はないです。(回答・野田俊作先生)
大森先生
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
1つ質問いたします。
「良い社会生活」のイメージですが、アドラー心理学ではどのように考えますか?
例えば、共同体感覚や横の関係、社会と調和して暮らす、自立する。
他者信頼、自己受容、他者貢献。など、たくさんのスラングが頭の中で、もつれて少し混乱しています。
私は対人関係において、支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあうようにしていますが、
たまにイライラ、こらーっ!!と怒りが爆発し、まだまだ修行が足らないと落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ぴくいち様
明けましておめでとうございます。こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。この掲示板にご投稿いただいて感激です。
> 1つ質問いたします「良い社会生活」のイメージですが、アドラー心理学ではどのように考えますか?例えば、共同体感覚や横の関係、社会と調和して暮らす、自立する。他者信頼、自己受容、他者貢献。など、たくさんのスラングが頭の中で、もつれて少し混乱しています。
→おたずねの「良い社会生活」は、「良い人間関係」と言い換えると、例の「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」になるでしょう。カウンセリングでの「人間関係」のあり方でもあります。
互いに尊敬しあい、信頼しあいながら、共通の目標に向けて協力するということですね。これを日常の生活に応用すれば、「良い社会生活」が実現しそうです。
言葉の整理をしますと、「共同体感覚」というのは“理念”ですから現実に存在するものではないです。とても抽象的なことばですから、いろいろな学者がいろいろな言い方をしています。リディア・ジッヒャーと言う人はこれを「横の関係」と言い、ルドルフ・ドライカースは「デモクラシー」と言いました。でもよくよく考えると、言葉が違うと同じ概念を表しているとは考えにくいですから、割引してしまいます。「共同体感覚」と言う限りあくまで見えないままですが、「横の関係」と
言うと「関係」というのが見えそうな気がしてきます。「デモクラシー」と言うと、かなり外れてしまっているようです。「共同体感覚」の反対語は「自己執着」です。これを手がかりに理解していくほうが便利かもしれません。つまり「共同体感覚を実践しよう」と決意してもどうしていいかわかりにくいですが、「自己執着」に堕していないかを点検することは可能です。このことで他者を裁かなくてすみます。他者を裁くことを「競合的」と言います。裁かないで力を合わせて動くことを「協力的」と言います。「良い社会生活」は「協力的に生きること」です。
「自立する」と「社会と調和して生きる」というのは、これは子育ての「行動面の目標」です。子育ての目標は「行動面」と「心理面」とあります。「心理面」の目標は、子どもが「私には(自己管理と貢献の)能力がある」「人々(主に家族)は(信頼できる)仲間だ」という信念を持てるように勇気づけることです。良い信念を持てば良い行動ができます。
「他者信頼」「自己受容」「他者貢献」は、「健康なパーソナリティ」の条件です。これらを満たした健康な個性の人々が協力し合って暮らせる社会は「良い社会」でしょう。
哲学者カントの考えをヒントにした「自律(自立)友愛」という校訓の学校があります。この言葉がぴったりです。国際連盟の理念でもありました。今の国際情勢とはほど遠いです。
> 私は対人関係において、支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあうようにしていますが、たまにイライラ、こらーっ!!と怒りが爆発し、まだまだ修行が足らないと落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。
→「支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあう」
「支配しないで協力する、相手の強み(長所、パーソナルストレングス)を見つけ、自分にできることを考えて協力する」…“理想像”として百点満点ではありませんか!
でも、現実にはいろいろ障碍があって、完全に実行することは不可能でしょう。この「方向」へ向いてコツコツできるところから実践していくのが現実的でしょう。高すぎる理想を求めると勇気をくじかれます。イライラしたり怒ったりの「マイナス感情」が出るときは、おそらく速効を求めたりして「自己執着」に傾いているんでしょう。それは自分への警告ですから、そこで「ハッとして、いかんいかん。急ぎすぎてるな」と軌道修正していけばいいのではありませんか?完全主義になっていなかったか、自己点検のチャンスです。ドライカースは「不完全を受け入れる勇気を持とう」と言いました。
こんなことではいかがでしょうか。またいつでもご質問ください。
大森先生
お忙しいところ、丁寧なご返信をいただき、感謝いたします。
「良い社会生活」は、「良い人間関係」という意味でとらえる事とお教えいただき、
返信を読み終わる頃には、あぁすっきりした。という快感につつまれました。
これぞ、本職!!と思った次第です。
また言葉を整理していただけたお陰でそれぞれの言葉の理解が深まりました。
「不完全を受け入れる勇気を持とう」この言葉を大切に過ごしたいと思います。
これからも掲示板を楽しみにしております。
ありがとうございました。
Q0378
リーダーシップの話です。自分が今どうなのかなと迷っていることなんです。文化祭というのがありまして、総合学習なんですが、私は学年の担当なんです。うちの学校が不思議なのは、3年生だけが劇をやって、1、2年生は観るという形なんです。よその学校から来た先生から、「1,2年は何もしないのはどう思う?」という意見が出だして、年度の途中でそんな意見が出てきたので、「それはもう提案済みです」と、パーンと蹴ったんです。今年はそれで終わりました。そのあと、先生方にアンケートをとってまとめました。実際にやったのは3年生で、学年の先生として「成果と課題と気づいたこと」ということでまとめました。それを職員会議に出しました。で、終わったんですが、「1,2年生も何かやったほうがいいんではないですかという意見が出ていた」と追伸に書いてあったので、「それは私の仕事ではありません。プロジェクトチームを別に立ち上げてやってください」と蹴ったんです。で、その後動きだしそうにないんです。誰も何も言いそうにないんです。私は知らん顔しようと思っているんですけど、このままでは来年度もまた引きずりそうで、私も責任を感じていたり、私の仕事じゃないことには手を出さないぞと決心しながら、学校全体のためにはどう動くべきかと迷っています。
A0378
管理職はどう言っています?「管理」だから管理職がまず意見があるでしょう。
Q
管理職は、「1,2年生も何かしたほうがいいんじゃないか」という意見が出たときには、「そうだね」と言った。
A
このごろの管理職はみなそうです。自分に経験がないから、誰かが言ったら「そうだね」と言う。反対したら、「そうだね」と言う。
Q
私の仕事は、「総括」を出したらそこまでで、「あとはプロジェクトチームを作ってやってください」と言ったときには、みんな黙っちゃったので、知らん顔していました。
A
そのプロジェクトチームは、いつどうやってできますか?
Q
わかりません。
A
管理職はどう言っていますか?
Q
そのことについてはコメントはなかったです。みんな黙っちゃいましたから。
A
だから、管理職に「プロジェクトチームをいつ作りますか?」と言ったら?
Q
私は推進派じゃないんです。
A
別に推進派ではなくても、次どうするかはプロジェクトチームが決めるでしょ。
Q
「プロジェクトチームでやってください」というのは私の判断なんです。
A
じゃあ、それは通ってないんだ。承認されてない。違う?知らんけど。チームを作ろうということ自体がまだ決まってないんだ。
Q
決まってないんです。
A
そんなら何も決まってないんだ。
Q
何も決まってないんです。
A
何も決まってないなら、惰性で動く。よくわからないけど、どこが問題なんですか?例えば、1年生から3年生まで全部劇をやるというのも、3年生だけやるというのも、どっちもありうると思う。あなたが問題だと思っているのは何なんですか?
Q
私個人的には今の形のほうがいいと思っています。
A
なら、そう言えばいい。
Q
「私はそう思います」というのは言っているんですけど、私が決めることではなくて、学校全体が決めることです。
A
決めるのは学校全体ですけど、意見を言うのは個人の責任です、いつも。どんなときにも自分の意見を発信し続けないといけないと思います。決定権があろうがなかろうが、僕たちは人生について、道徳的・倫理的な、善いことと悪いこと、正しいことと間違ったこと、美しいことと醜いこととの判断を道徳的と言うけど、3年生だけ劇をやって、1,2年生は見学にまわるのが、私はいいと思ったら、権限があろうがなかろうが、そう思うのなら、言うのが自分の責任だと思う。民主主義社会で暮らすわれわれの責任だと思う。僕は学校に対して何も権限はないんですけど、学校のことを言い続けるんです。南京事件にも沖縄事件にも何も関係ないけど、言い続けるんです。それは道徳的な判断なんです。これは言わないと不道徳だと思う。最終的に、「お前が言うのは違う」と決めれば、そっちに従います。民主主義者ですから、私は私の意見を発信しますが、みんなが違うと言ったら、「いや、絶対これでいくぞ」とは言いません。そんなのしたら、民主主義社会そのものが潰れるから。だから、もうちょっと言ったらどうですか。おとなしくしてないで。だいたい、あんたはそうやね。あのときもそやったけど。(爆笑)
Q
自分の意見をバーンと出す、最後に。それをしないんですね。
A
そう。だからまわりの人にわかりにくいよ。「あの人何思っているか」が誰からも見える人でいたほうが、向こうが私を取り扱いやすくない?「野田さんに話したら、どうせこう言うで」というのが先に見えてるほうが、わかりやすくていいやんか。
意見を発信し続けることというのは、今すごく大事なことだと思う。こんな世の中になったからこそ、むなしいと思っても、言い続けないといけない。持続は力で、言い続ければ声は届く。届いた範囲は変わっていく。たくさんのことで、イヤがられようが、反対されようが、僕は言い続けているんですよ。反対する人は当然いる。私は1つの立場をとっているから、「あんたの意見は違うで」と言う、それはOKです。民主主義とはそれだと思う。例えば、大阪府下の落選している議員さんがいる。この人は核武装論者なんです、はっきり。選挙のときに、自分は核武装論者だと言うから、徴兵と核武装を言うから、落ちたんです。前は通っていたのに、選挙制度が変わって、落ちた。でも、徴兵・核武装の人も国会へ行ってほしい。共産主義革命を起こして、天皇は潰せと言う人も国会へ行ってほしい。国民のある比率でそんな人たちもいて、その人たちの代表として国会へ行って話をしてくれると、一番国民の意見を反映したものが決まると思う。極端な意見を言う人を排除するのはおかしい。僕、自分自身は中道論者だと思っている。徴兵論者でも核武装論者でもない。反対でもないし、賛成でもない。考えてるんですけどわからない。強力な再武装は反対です。そんなのしたら、最後は竹槍ですからね。意見は発信し続けないといけないと思います。学校とかお役所とかは、意見を言わなくても暮らせる。役人の生ぬるさは、僕も15年も公務員をやりましたから知っています。あそこで意見を言えば、唇寒いんです。おとなしくしていれば無事安全に定年まで暮らせる。よくわかるけど、それやっていると変わらないよ。うるさいやつだと思われても、長いことつきあっているとわかってくれると思う。ごり押しで自分の通そうとしているのではない。ただ、意見を発信しているだけで、決まったら従ってくれる人だとわかってくれれば、そのうちイヤがられなくなる。(回答・野田俊作先生)
17,曾子曰わく、吾諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり、人未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か。
曾子言われた。「私は先生(孔子)からこのように聞いている。「人間の行為のうち、自力だけで究極まで行けるものはない。必ず学問なり教養の助けを借りてはじめて究極に近づける。しかし、この原則にはずれるものがある。ほかでもない、親の喪における態度である。自己の内心から湧き起こる悲哀、それのみによって究極の完全な態度に到達できる」。
※浩→今までの子遊・子夏・子張らは孔子の言葉をそのまま引用しないで、自分の解釈をつけて自分の言葉として語っていましたが、曽子は孔子の死後、教団を相続したので、常に孔子背景として発言することになったでしょう、と貝塚先生の解説です。親の喪については、莫大な遺産を残しているような家では、残された子どもたちによる遺産分与争いが、映画やドラマで描かれていますが、ああいうところでは、故人への哀悼の気持ちなどまるでないかのように感じられます。凄まじくおぞましいです。映画『犬神家の一族』の4Kリマスター版が「日本映画専門チャンネル」で放映されていました。これまで何度も見た映画ですが、また観直しました。画面がとても鮮明になっていて、しっかり楽しめました。最近は、NHKでもかなり本格的な作品が作られて、金田一役は吉岡秀隆さんで犬神家長女役は大竹しのぶさんでした。この大竹さんの長女は鬼気迫る名演技でした。犬神家の莫大な遺産をめぐる凄まじい親族争いで悲惨な事件が起こるのですが、ストーリーはともかく、亡くなった往年の名優が大勢出演されているのが嬉しかったです。まず高峰三枝子さん。それから三國連太郎さん。三國さんは冒頭に出るだけですが、凄みがありました。刑事役の加藤武さん、弁護士役の小沢栄太郎さんもまさに適役。犬神家長女(高峰三枝子さん)の息子の恋人で婚約者の島田陽子さん。さらには犬神家次女の息子で殺される役の地井武男さん。神主役の大滝秀治さん、金田一が宿泊する宿の女中役の坂口良子さん。犬神家長女のお琴の師匠役・岸田今日子さん。宿の亭主役の三木のり平さん。蒼々たるメンバーですが、どなたも既に故人です。現在活躍中の方は、金田一耕助役の石坂浩二さんと三女役の草笛光子さんくらいですか。長女の息子役のあおい輝彦さんはとっくに引退されていて、消息は不明です。これからも時々録画保存版で観るつもりです。故人が現在もお元気で活躍されている錯覚でもいいから、身近な存在としていていただきたいです。渡瀬恒彦さんなんか、「おみやさん」「十津川警部もの」「タクシードライバー」で今もしょっちゅうお目にかかっています。