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世のため人のために生きたい

Q0358 
 自分のことを自分でいじめることがときどきあります(野田→珍しい趣味ですな)。それと自分のことばかり考えていると思う(野田→それも珍しいですな)。野田先生のお話を聞いて、何か世のため人のために生きたいと思いますが、何かアドバイスをお願いします。

A0358
 それはね、人生を面白がることですよ。まあ、あるところから先は心理学を越えて宗教の領域かもしれない。分子が集まって、あるとき「私」を作りました。お父さんとお母さんの精子と卵子からできましたが、そのあと育ってきたのは、炭素や窒素や水素が縁あって、私の体の一部になったわけです。なんで宇宙や神や運命は私を作ってこうやって動かしているか?それは理由があるからです。宇宙や神や仏は無駄なことはしない。意味があってしている。意味は何かと考えないといけない。動物は考えなくても、一個のことしかできません。牛さんは草を食べてミルクを出すしかできません。鶴さんは魚を食べて空を飛ぶしかできません。あの人?たちは考えなくていい。人間は、何にでもなれる。兵隊さんにも詩人にも実業家にも政治家にも弁護士にもなることができて、可能性がいっぱいあって、その可能性のうちどれかは自分で考えるように設計されている。私が生まれてきたこととか生きていることについて私は知らないけど、意味があるんだと思うこと。ただ偶然に、たまたま生まれてきてたまたま生きているんではないと。それを生かしている力がある。その生かしている力の設計図は、あなたが自分で見つけなさいよという設計図で、見つけないで動物のようにただ飯食って排泄して一生を生きているのではつまらない。見つけると、この世で自分の役割を果たして生きることができます。見つけるためにはたくさん体験しないといけない。頭で見つかるものではない。体験するためには、この人生は興味深いと思って、探すといろいろある。知らないことがいっぱいあるんだと好奇心を持たないと、体験しない。神様は僕たちに好奇心というものをくださいました。あちこち覗きに行って、良いことも悪いこともいろいろやってみる。あまり年取ってやるとバカですから、若いうちにやってみる。子どもたちには旅をさせたほうがいい。だからみんな悪いことをするんです。悪いことをする中で、自分の人生を探すんです。あるときに見つかればラッキー。いつまでに見つかればラッキーか。このごろだんだん遅くなりました。世の中が複雑になりましたから、35歳までに見つかればいい。35で見つかっていないと焦る。タイムリミットが来ている。
 これは全体としては単純なことです。江戸時代や明治時代だと、普通の学校の先生とか親とかが教えたことです。あなたが生きているのはあなた1人の力ではない。神様や仏様が生かしてくださっている。あなたはこの世で役割がある。それを天命とか天職とか言うが、探さないといけない、と教えた。このごろは政教分離で、非宗教的な世の中になって、学校の先生はこれが言えない。学校で宗教教育をしてはいけないという変な法律がある。宗教教育じゃない教育なんてあるんだろうか。なかったら単なる技術教育じゃないか。思想のない技術なんてナンセンスです。技術は後ろに思想的な裏打ちがあってはじめて意味がある。思想=宗教ですから、何はともあれ。今の「教育基本法」なんて最悪だと思う。「憲法」も最悪ですけど。先生が言ってくれないから、親が言わないとしょうがない。人生には意味があって、その意味を探すんだということでしょうね。そうすると、こう自分のことばかり考えるとか、自分で自分をいじめる暇がなくなる。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

8,逸民(いつみん)は、伯夷、叔斉、虞仲(ぐちゅう)、夷逸(いいつ)、朱張、柳下恵、少連。子曰く、その志を降(くだ)さず、その身を辱(はずかし)めざるは、伯夷・叔斉か。柳下恵、少連を謂わく。志を降(くだ)し身を辱めたるも、言は倫(みち)に中(あた)たり、行は慮(のり)に中たる、それ斯(こ)れのみ。虞仲、夷逸を謂わく。隠居して言を放(お)き、身は清に中たり、廃は権に中たる。我則ち是に異なり、可も無く不可もなし。

 隠者は伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連。先生が言われた。「自分の志を高く保ち、一身の潔癖を守り続けたのは、伯夷・叔斉兄弟である。柳下恵・少連を評価すると、志は捨てられ、その身は汚された。しかし、その言葉は道理に的中し、行動は思慮に的中した。それだけだが、それは素晴らしい。虞仲・夷逸を評価して言うと、彼らは世の中から隠れて住み、言葉を放棄して沈黙を守った。隠棲のやり方も程よいものであった。しかし、私は彼らとは違う。(自由無碍の境地で状況を見極め)主君に仕えるべきときには仕えて、仕えるべきでないときには仕えない。一定のきまりに拘泥しない」。

※浩→孔子が、高邁な志と潔癖な倫理を持っていた隠者(隠棲の士)をそれぞれ評価しています。主君への忠義を貫いて餓死した伯夷・叔斉を讃え、それ以外の隠者についても評価しています。しかしながら、孔子はそれらの俗世を捨てた隠者とは異なって、状況や大義を見極めながら仕える主君を選んでいきたいと言っています。
 「伯夷・叔斉」は殷末の賢者兄弟です。周の武王が殷を滅ぼしたとき、これをやめるように諫めて聞き入れてもらえないので、首陽山に逃れて、蕨を食べていましたが、ついに餓死しました。「虞仲」は呉の泰伯の弟。泰伯とともに位を末弟の周の季歴に譲って江南に逃れた仲雍(ちゅうよう)にあたると言われます。「夷逸・朱張・少連」は不明の人物。「柳下恵」は魯の大夫・展獲。自由に生きる隠者、後世にもある価値を持ち続けたのは、この条が重要な基礎になっていると吉川先生は述べられています。が、儒家がこんなふうに道家的な隠者を評価するのは、やはり珍しいです。相互に影響し合っている部分もあるのでしょうか。アドラーとフロイトだって、20世紀初頭には共同で活動した時期があったのですから、それなりに影響し合っていることは確かででょう。例えば、「無意識」という概念の元祖はフロイトです。アドラーは「無意識」という“もの”の存在は認めず、「無意識的」というふうに形容詞として使いました。フロイトの娘さん・アンナ・フロイトは「自我心理学」を確立しました。カレン・ホーナイの「所属本能」は「所属欲求」としてアドラー心理学に導入されました。サリヴァンやフロムといった新フロイト派の人たちはアドラー派と言ってもいいくらいアドラー心理学っぽいです。ただ、創設当時はクリエイティブだったものが、時代とともに土着化していく傾向があるようで、その点には要注意です。そういえば、MHKの紅白歌合戦を見なくなって久しいです。当初は、必ずしも“人気”のみにこだわらず、実力のある歌手が登場していて、ほんとに歌唱力で評価されていました。いつしか人気投票のような形になって、特にその年に華々しい活躍をした人を登場させるようになり、実力者が姿を消していきました。舞台も次第にレーザー光線などを多用して、ギンギラギンの宇宙ステーションのような感じになって、見るのが疲れるようになりました。歌手の名も国籍不明のようなカタカナ文字の人やグループばかりです。まあ、見ないのですから、批判もやめましょう(笑)。

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「時間の無駄をした」とよく後悔する

Q0357
 神経症の人の話を聞いて、そう言えば自分もそうだと頭の中で考えてしまうときが多いという気がするんですが、時間の無駄をしてしまったと、あとで後悔することがよくあります。こういうときはどうしたらいいでしょうか?

A0357
 2つ助言します。1つは「ストップ」と言うこと。言うとけっこう止まるんです。何はともあれ行動する。もう1つは、「相手に言えないことを考える」のをやめる。これはきつい。頭の中でモヤっと考えたことを相手に言うとか、言えないようなことを考えるのは即やめる。これでだいぶ人生の問題が減ります。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

 今日はこちらでお読みください。↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-12-25.html

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息子が「高校やめる」と言い出した。やめてほしくないならどう対処するか?

Q0356
 「課題の分離」について、もし息子が高校をやめると言いだした場合、やめてほしくないときは、どのような対処法がありますか?

A0356
 「やめてほしくない」と言う。以上。それでもやめるならやめるでしょう。
 中学までは義務教育です。誰の義務かというと親の義務です。行ってもらうために工夫する義務がある。学校へ行かないなら行かないで、違うところで学んでもらわないといけない。でも高校からは義務教育ではない。完全に子どもの人生の課題です。やめるんだったら、「そう」と言う。でも、外へ行かない人は家の手伝いをしなければならない。「学校行かない」「わかった。私は行ったほうがいいと思う。あなたが行かないならOKです。その代わり家にいる人は責任を果たさないといけないから、どういうお手伝いをしてもらえますか?」。だいたい家でできることは、掃除、洗濯、炊事、小さい子のお守り、お父さんのお守り?とか。どれでも好きなのを」。お母さんと同じように家事を分担してもらいたい。「将来また高校へ行く気になったら行ってもいいよ」と言う。
 日本、韓国、台湾は、中学出たら高校へ行く、高校を出たら大学へ行くのが当たり前になっている。ヨーロッパ諸国は違う。私は、あるとき、オーストリアを汽車で旅行したとき、若い男の子がコンパートメントに乗ってきた。何となく話した。英語が上手だし。スイスの子で、ケニアでアルバイトをして帰ってきた。高校へ1年間行って、学費がなくなったから、休学してケニアで1年アルバイトした。次の年、学費が貯まったから帰って、秋学期から高校2年生に行くと言う。1年でたぶんなくなるから、次の年はまたどっかへ行ってアルバイトする。スイス国内ではそんなに仕事がないから、アフリカとか行ったら、スイス人には仕事があるから。みんなそうするのが普通。親がお金を出す子もいないことはないが、普通の子は高校は自分のお金で行く。18歳になると、2年間徴兵があって兵隊へ行く。帰ってから続きを行くかもしれない。大学へ行くかもしれない。スペインからの留学生に聞いたら、「それが普通じゃないか」と言う。アメリカの人に聞いたら、アメリカは高校はわりと親が出すけど、大学は完全に自分のお金で行く。途中で休学して、次の年の学資を稼いで、また行く。社会問題になっているのは卒業年齢が遅くなること。30とか35まで大学にいるのが問題になっている。われわれものんびり構えましょう。「高校やめます」「そうですか。2年後でも3年後でも、社会勉強して、また行く気になったらになったら行こうね」。
 昔カウンセリングした男の子が高校をやめた。中学も不登校。1年足らずでやめると言う。お母さんパニックになった。「やめたらよろしいが」と言ってあげた。それで、「条件としては家の手伝いするか外で働くか。それならやめていい」ということにした。その子は外で働くことにした。中卒では大した仕事ないから、日雇い労務者になった。あれは稼げる。大阪の西成あたりで、日雇い労務者をしていた。半年くらい現場で働いていたら、東北なまりのおじいさんと同じ現場で働いていた。「若いのに、体も達者なのに、なんでこんなことしてる?」。「高校つまらんからやめた。親が働けと言うから働いている」。おじいさんが怒った。「何てことするんだ!中学しか出なくて社会に出ると、末はオレみたいになるぞ」。これは迫力があった。次の年から高校へ行った。社会の中で高校へ行く必要があるとわかればまた行く。何もわからないで高校行っている子が多い。いったいなぜ学校へ行かないといけないか、なぜ勉強しなければならないか、親もわかっていない。教師もわかっていない。なんで勉強しないといけないか?アドラー心理学はわかっている。世のため人のために役に立つ人間になるため。教育がないとエネルギーを使えない。教育があるとエネルギーを高度な形で使える。良い教育を受けていい会社へ就職しようと思わない。良い教育を受けて自分の力を有益に使える仕事をしたい。お医者さんかも、ラーメン屋さんかも、お巡りさんかもしれない。子どもごとに皆違う。
 阪神間の高級住宅地のある子どもが、超有名校に行っていた。夏休みにラーメン屋でアルバイトしてラーメンと餃子を作っていて目覚めた。「これが自分のこの世の使命だ、天命だ。私の天職はラーメン屋だ」と悟って、家へ帰って「学校やめてラーメン屋になる」と言ったら、両親がびっくり仰天した。両親とも高学歴で、良い会社に勤めて、子どもは一流私学の進学校へ行っている。そこから大阪大学へ来た子がいたけど、「恥ずかしくて同窓会に行けない。せめて京大か東大でないと、阪大ごときでは恥ずかしくて同窓会に行けない」と言っていた。そういう学校の子で、両親は頭にきたけど、「せめて高校だけ出なさい」と言って、子どもは「わかった」と、そうしたけど、大学へ行けないようにわざと成績を下げた。卒業はできるが、どこも進学できないほど下げた。卒業できる程度に下げて、無事ラーメン屋になった。今もやっている。
 自分の力を活かすために、学歴が必要なら学校へ行けばいい。必要なければ無理に行かなくていい。いつも個人個人個性があって、何がこの世で自分のすべきことかを探さないといけない。そのために学校が必要なら行きます。この子は今のところ見つけていないから、やめたらよろしい。(回答・野田俊作先生)

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