Q
実母は91歳です。4年前に呼び寄せました。手すりを使ってベッドからトイレまで歩けます。家事は私にやってほしいと言います。母は手が汚れたのがわからず、あちこち汚れを付けながら移動しているので、きれい好きな夫に気を使って、母にやらせていません。自分の衣類の着脱、着やすいようにボタンはマジックテープにして、ズボンもシャツも改造して前開きにしてあります。刻みの食事をスプーンで食べることができます。夜、面倒だと私にやらせようとして、ちっとも着替えしようとしない。イライラする私。朝、デイサービスのショートステイに出かけるときも、早く起こしても起きようとせず、「もう遅刻よ」と言うとやっと起きる始末。私が手を出せば何もしようとせず、お人形のように突っ立っています。手伝えば5分で済むことです。そのほうがストレスが少なく、夜は手伝ってしまいます。近年私も対応はわかってきてこんな日々ですが、ストレスはやはり溜まり、1か月に1回、1週間から10日ばかりショートステイに預けます。年に2,3回、ものすごく若返った感じに元気になり健常者に戻ります。こんなエネルギーがあるなら、日常の中で少しでも自分のやりたいことをやったらいいのにと、こちらは思いますが、まったく寝てばかりです。
こんな老人を世話しているこっちが鬱になってしまいそうです。気持ちだけでも元気になればと思い、本人希望の喫茶店に週に2,3回連れ出しますが、他に元気になる方法はないでしょうか?
A
このおばあちゃんのやっていることは、子どものやっているのとまったく同じですから、元気になる方法はいくらでもあります。
これも、老人と僕たちがつきあうとき、僕らの持っている先入観ね。子どもは母親が変われば子どもが変わると、みんなそうだろうなと思う。老人だってわれわれが変われば変わる。「このおばあちゃんボケてるから」とか、「頑固だから」とか、「わからず屋だ」とか「甘えている」とか、おばあちゃんが悪いことにしてしまう。子どもにだと、初めは「この子は頑固だ、わがまだ」と思っていても、「そんなことやっていると子どもは変わりませんよ」と言うと、「それはいけませんね。母が変われが子どもが変わるんですね」と思ってくれる。でも老人だと、思ってくれない。
看護者が変われば老人は変わる。課題シートをしっかりつけておばあちゃんを勇気づける方法を工夫してください。(野田俊作)
ひとつ脱稿
2002年10月30日(水)
2つの原稿のうち、厄介なほうが脱稿した。面白い話だったが、四百字詰換算で25枚は少なすぎた。60枚くらいもらえると言いたいことがすべて書けたと思う。それくらいに引き伸ばして、日本アドラー心理学会の機関紙に投稿しようかと思っている。せっかく膨大な量の引用文献をコピーしたので、ひとつひとつ中身をゆっくり解説しながら書きたいのだ。
もうひとつは、引用文献なしで自分の言いたいことを書けばいいので、機嫌よく書いているうちに長くなりすぎて、削らなければならない。これまた、与えられた枚数があまりにも少なすぎるのだ。夕方になると体力が切れてきて、眠くなったので寝てしまった。このごろいつも、午後4時ごろになるとエネルギー切れになる。今日はもうこの原稿には手がつけられないと思う。明日の午前中にしあがるだろう。
不整脈は日によって様子が違う。今日はかなりよくて、自覚的な不快感はあまりない。昨日はとても具合が悪かった。一昨日は調子がよかった。かなり不安定だ。不整脈がよくても疲れやすいし、悪くても疲れやすい。
数日前から背中にカイロを貼って暖めている。そうすると不整脈がマシな気がする。パートナーさんは、「それはいいことね。漢方が効くということよ」とニヤニヤしている。知り合いの漢方医に連れて行きたいのだ。パートナーさんだけではなく、多くの知人や、あるいはこのページを読んでくださっている私の知らない人々が、漢方や整体や、その他の健康食品などを勧めてくださる。有り難いことではあるが、西洋医学はピンポイント爆撃で、漢方や整体はそれが一段落ついたあとの内政なんだと思っている。まず薬を体に合わせるのが先だろう。漢方や整体を信じないわけではまったくないのだが、西洋医学とは役割が違うと思うのだ。今はまだ攻撃的な西洋医学に任せる時期じゃないか。
もうひとつ脱稿
2002年10月31日(木)
午前中にもうひとつの原稿も脱稿した。昨日のとはちょっと毛色の違う話で、両方並行して書いても混乱しなくてよかった。同じような話題を並行して書くと、どちらにどの話を書いたのか、自分でもわからなくなると思う。違う話だと、そういう問題は起こらない。もっとも、一方がうんと手馴れた話でないと、しんどいと思う。今回は、一方は大量の文献を引用しながら私自身もあまりよく知らない領域のことを書き、もう一方はただ知っていることを順序だてて書けばいいだけだったので、並行で書くことができた。しかし、同じ締切日の原稿を2つも引き受けるのは、やめたほうがいいね。実は、もうひとつ依頼があったのだが、さすがに3つ並行はかなわないのでお断りした。私が断ると書ける人がいない話題もあるので、申し訳ないのだが、いくらなんでも3つは無理だ。どうせ私は締め切りギリギリにならないととりかからないんだし。
午後2時前に家を出て、大阪のオフィスにちょっと寄ってから新幹線で東京へ来た。東京のオフィスでは今日は行事があるのだが、私の担当ではない。明日の午後から私の仕事なのだが、コンピュータの調子が悪いので、WinXPを入れるために早く来たのだ。今はWin98なのだが、この間からものすごく調子が悪い。すぐにフリーズしてしまう。自宅のマシンをWinXPにバージョンアップしたらきわめて快適なので、ここのもWinXPにすることにした。
さて、WinXPを入れようとすると、エラーが出る。Win98に重ねて入れるバージョンアップ版なので、Win98に傷があると、ちゃんと入らないようだ。仕方がないので、Win98でリカバリーする。それで今日は終わってしまった。バカみたい。こんなだったら、ゼロからWinXPを入れる方のバージョンを買っておけばよかった。「安物買いの銭失い」という諺は全国的なものなのか、大阪でしか言わないのか知らないが、ちょっとケチったために、余計な仕事をずいぶんしなければならない。
ながら族
2002年11月01日(金)
朝からコンピュータと格闘して、無事WinXPを入れ終わったらお昼、それからアプリケーションをあれこれ入れたら夕方になった。もっとも昼からは親教育グループのリーダー養成の実技試験の試験官をしないといけなくて、採点しながらコンピュータを触っていた。忙しいことだ。それでも点数は、もうひとりのもっと真面目に試験していた人とほぼ一致していたから、いい加減にみていたんじゃないんだよ。
夕方、新しく入れたDVDドライバのテストにオペラのDVDを入れたら、「エリアコードが違います」というエラーメッセージが出た。なんだこりゃ。あれこれ触っているうちに、ドライバのプロパティを見ると、エリヤコードの設定があって、そこを「2」にしたら動いた。DVDは地域によってエリヤコードというものがあって、日本は2なのだ。そういうことを知らない人は、どうするんだろう。無事『ワルキューレ』が画面に出て、これは解決した。
夕方6時から8時は私一人の仕事になるので、あるソフトに関連する巨大ドライバのバージョンアップ版をインターネットからダウンロードさせておいて仕事をしたが、どういうわけか途中で回線が切れていて失敗した。明日やりなおさなければらない。WinXPは、周辺機器のドライバをほとんどすべて入れ替えなければならないのでやっかいだ。さいわい、東京の事務所にはたいした周辺機器がついていないのでよかった。
返り討ち
2002年11月02日(土)
東京で仕事をしていたが、ある働きすぎの人に、「週に1日は、まったくなにもしない日を作りませんか」と提案したら、後でスタッフから、「社長も月に1週間、なにもしない週を作ったほうがいいわ」と言われた。たしかにそうだね。仕事を休んで沢登りに行くんじゃなくて、家でゴロゴロしている日を作ったほうがいいと思う。月に1週間は無理でも、週に1日はそういう日があってもいい。
さいわい、体調は日に日によくなってきている。不整脈はまだあるが、頻度はかなり減っている。身体のメッセージは明白で、「休憩しなさい」ということだ。明日、名古屋で仕事をしたら、来週はあまり予定が入っていない。非生産的に一週間をすごしてみようかと思っている。
Q
中学校の教師です。今のクラスに不登校の生徒がいます。家へ行っても会うのは拒否されています。お母さんには会えますが、さて何ができるのかと思います。具体的にお願いします。
それと、クラスの体制はどうすればいいか。オープン・カウンセリングに来たらいいのかとも思います。
A
自分のクラスに登校拒否が出たら、考えなきゃいけないことはまず、自分のクラスの中に登校拒否を作る構造がきっとどっかにあるんだと思ってください。
先生自身がその子に嫌われている可能性がある。先生が嫌われていないけど、クラスに競争関係・縦関係ができてしまっている可能性がある。子どもがクラスの中に自分の場所を見つけられなかった。ということは、その子をのけ者にした。あるいはのけ者にしなくても、その子をうまく受け入れることのできなかった構造があるから、それを何とかしないといけない。子どもと話をする前にそう決めつけて動いてもしょうがないから、子どもと話をしたい。
子どもが会うのを拒否したらどうするか。会うのを拒否したら会わないこと。子どものイヤがることをしないこと。親が会いたいと言えば会う。親と会うならどこで会うがいいか。学校で会うのもよい。「先生がうちへ来たらイヤだ」と言うなら学校で会う。
学校で会うときは何をするか。「親を勇気づけること」です。親がパニックに陥らないように、罪悪感を持たないように。「大丈夫ですよ。時間はかかるかもしれないけどきっと大丈夫ですよ、子どもさんを責めないで、あなた自身を責めないで、(配偶者がいるなら)夫婦仲良くして暮らしてください」と言えばいい。
家で会うときは何すればいいか。家で親と話するときにはきっと子どもは聞いている。聞いているから、家では親を勇気づけてはアカンのです。登校拒否になって子どもが教師とも会わないというような家では、きっと親と子どもの関係はあんまり良くない。
先に親とどこかで打ち合わせをしておいて、「親が悪い。あなたが無理解だからダメなんだと言いますよ」と言っておく。で、うちへ行って「こんにちは。どうですか。……え?出てこないー?それはあなた方が無理解だからですよ。子どもさんの話をちゃんと聞いてますか。聞いてないでしょう。私は心配してたんですよ、あの子の友だちになりたいと思っていたんですよ。残念ですね。さよなら」と帰る。そうすると、子どもは「ひょっとしたらあの先生は味方かな」と思うかもしれない。訪宅するアドレリアン・カウンセラーは、よくこの手を使う。担任は子どもと直接利害関係がある。カウンセラーは利害関係ないからちょっと楽です。
学校の体制がどれだけとれているかによるが、担任が訪問しなければならない理由はない。担任はむしろ訪問するのに一番向いてない人かもしれない。子どもはたぶん担任は嫌いでしょう。担任が行くのをイヤだと言ったら、「どの先生だったら行ってもいいか」聞く。子どもがなついている先生がいれば、「あの先生ならいい」と言うかもしれない。そこで動けるような体制を学校で作る。「英語の先生だったら会う」「保健室の先生なら会う」「校長だったら会ってやる」と言うかもしれない。そう言うことはあるんです、実際に。ある教科の先生は好きだとか、去年の担任は好きだということはある。その先生に動いてもらう。その先生と子どもの距離が近くなるように、親としめし合わせてその程度の芝居をすることはある。
後半について。
クラスの体制をどうすればいいかと先生が考えるのは、縦関係ですね。「クラスの体制をどうしようか」はクラスで相談してほしい。「どうもあの子はこのクラスに居場所がなかったみたいだ。それは私のやり方が悪かったのか、みなさんが十分できなかったのかわからないが。あの子がもしも学校へ帰ってきたときに、どうやって迎えてあげたらいいか、あるいはこの中にまた登校拒否が起こらないように、みんなが仲良くつきあうにはどうすればいいか考えたいな」と言ってクラスでお話をすること。ところがこれはそう簡単にできない。先生と生徒の間に縦関係があるから。縦関係がなくなるまでお話できない。
『僕たちのアドラー心理学入門・パート3』に、ある学校の先生がアドラー心理学を学んでクラスが変わっていく記録が1/3くらい載っている。大変なんですよ。それまで普通の学校で普通の教師としてやって来た人が、すっかり発想を変えてアドラーでやろうとしても、その年度はダメです。年度の初めからやらないと。そしたら何とかなる。(野田俊作)
スライドの効果
2002年10月27日(日)
アドラー心理学基礎講座の講義で6時間喋った。これまでは、スライドもノートもなしで、すべてアドリブで喋ってきたが、今回からスライドを用いている。スライドを使うと、記憶の一部が外部に固定しているわけだから、自由に脱線しても、ちゃんと元へ戻れる。その分、話が面白くなったか、あるいは単調になったか、私自身は判断できない。学会発表では若いころからスライドを使ったが、そのときは脱線するのが目的ではないので、ひたすら一直線に真面目に喋る。講義は、時間もたっぷりあるので、あちこちフラフラさまよってもいいのだが、今回ははじめてなので、まだちょっと臆病で、そんなに思い切って脱線していない。この点では、スライド使用の効果が薄いかもしれない。だから、かえって面白くなかったかもしれない。
しかし、面白いにせよ面白くないにせよ、聴衆にとっては、すくなくとも私が要点だと思っていることがスライドに提示されているわけだから、本題と余談の区別はつきやすいだろう。私にとっても、ミニマム・リクワイヤメントを漏らさないという利点はある。なにもなしで喋るのは、それはそれで楽しいが、後で、「しまった、あのことを言っていない」ということがないではない。
スライド使用の主な目的は、こういう個人的な問題よりも、他の講師にも同じスライドを使ってこの講座をしてもらうことだ。アメリカでは共通のシラバスを使って講義しているが、パワーポイントのほうが印刷されたシラバスよりも便利だと思う。安上がりだしね。何回か使って洗練させて、共有財産にしようと思っている。
さすがに6時間の講義は、体調が悪いときには疲れた。帰宅して夕食をとると、すぐに寝てしまった。寝ついたのは8時過ぎか。11時半ごろまた起きてきて、これを書いている。歩くのでは疲れないが、喋るのは、呼吸の統制が難しいのかもしれない。あるいは脳の酸素消費量が増えるのが問題なのだろうか。
論文の美学
2002年10月28日(月)
論文2報のうち1報はほとんど書きあがった。アドラー心理学と20世紀後半のさまざまの心理療法の関係について論じたもので、かなり厄介な内容だ。たくさん引用をつけてずいぶん格好よくなったのだが、まだなんとなく締りがない。もうちょっとドラマチックにしたいんだ。出だしからアレグロで読者を驚かせ、いったん基礎的な概念をアンダンテで説明し、そこからすこしずつ盛り上がってクライマックスがあって、次第に落ちついてモデラート・カンタービレのコーダで終わるという風にね。今はなんだかデコボコしていて、どうもよくない。書くべきことはすべて書かれているのだが、構成がよくない。私はそういうことがとても気になるのだ。
明日はこっちはおいておいて、もうひとつのほうを書こう。醸し出すと、いいアイデアがわくかもしれない。ひとつのは、まだ骨子しかできていないが、こちらはまったく心配していない。私の知っていることを書けばいいだけのことだから。それに、書くのがとても楽しいテーマだし。たぶん明日中に書きあがると思う。
探していた本
2002年10月29日(火)
帰り道、職場の近くの駅前で古本市をしていた。なんとなく入ってあれこれ見ているうちに、E・S・ガードナー『レスター・リースの冒険』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を見つけた。この本をもう10年以上も探していたのだ。例の父親の本棚にあって、中学生か高校生のころに読んで、とても面白かったのだ。その後、その本は行方不明になった。早川書房の新書版の本だったのだが、絶版になっていて、入手できなかった。今回見つけたのは文庫本だ。後で文庫本になって再版されたということらしい。
ガードナーというと弁護士ペリー・メイスンのシリーズが有名なのだが、この本の主人公レスター・リースは泥棒だ。それも思い切りお洒落な泥棒で、贅沢な暮らしをしている。スカットルという助手が実は警察の回し者なのだが、その目の前でまんまと盗みをする。ユング心理学風に言うとトリックスターだ。子ども時代にわくわくして読んだ本が、いま読んで面白いかどうかわからないが、論文書きが終わったら読んでみようと思う。
もっとも、論文を書いている間も本をまったく読んでいないわけではない。電車の中などで『リヒャルト・シュトラウス/ホフマンスタール往復書簡全集』(音楽之友社)をすこしずつ読んでいる。ホフマンスタールはある日とつぜん戯曲の全体像を思いつくこととか、R・シュトラウスはときどき間違って「と書き」に曲をつけてしまうとか、両者がかなり激しいやり取りをして台本を作り変えながら、できた分からどんどん作曲していくとか、舞台裏のさまざまのことが伺えて楽しい。
Q
もとの学校に戻るのも大変だと言われますが、子どもが希望し引っ越しできる条件であれば、引っ越ししてやるほうがいいのでしょうか?
A
やるほうがいいとは思いません。「こうしてやったほうが子どものためにいいだろう」というのは“縦の関係”だから。まず、子どもの人生があって、その上で手伝ってあげたいと思うなら手伝うし、手伝ってあげたくないと思ったら手伝わないというのが、対等な協力的な人間関係だからね。
“協力”という言葉がアドラー心理学の中によく出てくる。これまであまりきっちり話していなかった。協力するというのは「一緒に暮らすこと」「一緒に働くこと」「一緒に語り合うこと」だ、とかいうふうにアドラーが書いている。「一緒に暮らす」とか「一緒に働く」とか「一緒に話し合う」というのは、面白い考え方です。
「一緒に」というのは、親が子どものためにという関係ではなくて、「ほんとに対等に」という意味です。だから、「引っ越ししてあげたら子どもが学校へ行くんじゃないか」、「引っ越ししてあげたほうがいいんじゃないか」という発想で引っ越しするんだったら、それはやっぱり縦関係です。子どもの奴隷になっているし、過保護だし過干渉です。一緒に話し合った結果、「それじゃあ他の学校へ行こうか」ということになって行くんだったらそれはかまわない。微妙な違いですね。その違いがわかるようになっていくことがすごく大事だと思います。
「子どものために発想する」んじゃないということ。子どもと一緒に暮らす仲間として、相談して決めていく。「引っ越しできる条件であれば引っ越ししてやるほうがいい」というのは、やるほうがいいだけに、言葉尻にこだわるんです。何か話しているうちに「引っ越ししようか」と言うならかまわないけど、「そうしてやったほうがいいんじゃないか」と思って、無理してするならおやめなさい。だって、行かないかもしれないもの。もしも行かなかったら、「あんたのために引っ越ししたのに」と腹が立つでしょう。だから縦関係だと言うんです。(野田俊作)