MENU
98,016

脳梗塞で倒れた親族にどう話しかけたらいいか?

 今日はこちらでご覧ください。↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai1keiji-08-08.html

引用して返信編集・削除(未編集)

破門と寛容(3)

破門と寛容(3)
2001年09月06日(木)

 比叡山の琵琶湖側に坂本という町がある。比良山系に沢登りに来て、帰りにここに寄った。琵琶湖から日吉神社へむかって上がっていく道の途中に、伝教大師最澄の生家があるのをみつけた。坂本へは今まで何度か来ていて、いつもその前を通っているのだが、気がつかなかった。通っているといっても、車で通りすぎているだけなので、仕方がない。しかし、自分が生まれた家の裏山に寺を作るなんて根性のない坊主だ。
 私は最澄に反感を持っているみたいだ。彼の罪は数々あるけれど、最大の罪は、いわゆる「大乗戒壇」の設立だと思う。日本の律は『四分律』で、鑑真が中国から持ってきて、東大寺に戒壇を作った。その後、日本の全僧侶は東大寺で四分律に従って受戒していた。ところが、最澄は、四分律を「小乗戒」だと言い、大乗仏教徒は「大乗戒」でもって受戒しなければならないと主張した。しかし、インドにも中国にも、大乗戒などというものは存在しない。彼が、経典や論書のあちこちをつぎはぎしてでっち上げたものだ。天皇は、政治的なおもわくからだと思うが、比叡山に大乗戒壇の設立を認めてしまったので、天台宗に限っては、大乗戒という偽物の戒でもって受戒することになった。
 中国人はこの戒が偽物だと知っていたので、日本の僧が中国に留学するとき、比叡山で受戒した旨を記した認定書(戒牒という)は無効だった。正式の僧だという証明がないと、さまざまの不便があった。そこで、比叡山で受戒した僧侶は、奈良東大寺の戒壇の戒牒を偽造して持っていったんだそうだ。私文書偽造だね。栄西や道元も、認定書を偽造して経歴詐称して留学したんだと思うと、ちょっとおかしい。
 先日(09/02)書いたが、律の規定によれば、「布薩を共にできなければ非仏教」なのだから、最澄の大乗戒で受戒した者は、仏教の僧ではない。大乗戒の条文は『梵網経』(どうもこの経典は中国で偽作されたらしい)によっているのだが、これは、『四分律』の条文とは似ても似つかないものなので、布薩は共にできない。四分律に従っているなら、南方上座部のパーリ律とだって、チベットの説一切有部律とだって、布薩を共にできる。
 1200年前に最澄が犯した過ちを、今になって修正するのは難しいかもしれない。しかし、世界の仏教教団と「布薩を共にできる」ようになることは、かなり重要なことではないかと思う。そうしておきさえすれば、理論上で何を主張しておろうが仏教なんだ。



破門と寛容(4)
2001年09月07日(金)

 昨日、「日本の僧が中国に留学するとき、比叡山で受戒した旨を記した認定書(戒牒という)は無効だった。そこで、比叡山で受戒した僧侶は、奈良東大寺の戒壇の戒牒を偽造して持っていったんだそうだ」と書いたが、文献的根拠がいるだろう。
 先師、諱は明全、貞応癸未二月廿二日、建仁寺を出て大宋国に赴きたまう。その年四十歳。もとこれ比叡山首楞厳院の僧なり。(中略)全公もと天台山延暦寺の菩薩戒を受けたまう。しかれども宋朝は比丘戒を用う。ゆえに、入宋の時に臨んで、この具足戒牒を書持したまうなり。宋朝の風は難くして、習学の僧みな先に大僧戒を受くるなり。ただ菩薩戒のみを受くるの僧は、いまだかって聞かざるなり。先に比丘戒を受け、後に菩薩戒を受くるなり。菩薩戒を受けて夏臈をなすこと、いまだかって聞かざるなり(元漢文。引用者書き下し)。
 これは、貞応二(1223)年に道元を連れて入宋したさい、明全が持参した東大寺戒牒の奥に付された注記の一部である。それによると、(一)明全は北峯戒壇で受戒していたにもかかわらず、東大寺戒壇で受戒したことを示す東大寺戒牒をもって入宋したこと、(二)それは中国において、延暦寺戒壇の立場である菩薩戒のみを授けて比丘とする授戒が認められておらず、大僧戒(=『四分律』に説く比丘戒)受戒によって生ずる戒臈は認められるが、菩薩戒の受戒による戒臈は認められていなかったこと、がわかる。ようするに、鎌倉時代の初期においてすら延暦寺戒壇は中国において承認されていなかったのである。逆にいえば、東大寺戒壇こそは対外的に承認されていた戒壇であったといえ、そこでの受戒によって生ずる戒臈は中国の僧侶集団においても通用したのである。(松尾剛次『鎌倉新仏教の成立―入門儀礼と祖師神話』吉川弘文館 p.165)
 「戒臈(かいろう)」というのは受戒してからの年数のことで、僧の席次はこれで決まるのだそうだ。ちょっと体育会系だね。
 それはともあれ、こうして、なにか主張すると文献的根拠をあげるようになったのは、文学部教育を受けたたまものだ。



破門と寛容(5)
2001年09月08日(土)

 こういう話題には、人々はあまり関心がないかもしれないので、いいかげんにしようと思うが、もうちょっとだけ。
 むかしの仏教教団では、「布薩を共にする」かぎり、思想的にどんなに変わった説を唱えても破門されることはなかったという話を書いた。この話は、「布薩を共にする」というところが、キーだと思う。
 布薩は、とてもおごそかな儀式だ。月に二度、地域の全僧侶が、特別の事情(たとえば病気)がないかぎり、結界を張った特別の場所(布薩堂)に集まらなければならない。最初に、司会者が、「もろもろの大徳たちよ、私は今、戒を説こうと思う。汝らは注意して聴いて、善く心にこれを念ぜよ。もし戒を犯したとみずから知ったなら、すなわちみずから懺悔せよ。犯すことがなければ黙然せよ。黙然すれば、大徳たちが清浄であると知る」というような意味のことを、きわめて儀式ばって4回唱える。それから、戒の条文(250近くある)をひとつひとつおごそかに読み上げ、違反していないものは沈黙し、違反しているものは懺悔する。儀式は夜おこなわれるので、いっそうおごそかな雰囲気になる。
 しかし、実際的な意味がそれほどあるとは思えない。戒に違反した者がみずから懺悔することなど、そうありそうにない。だから、参加することに意味があるのであって、内容に意味があるのではない。こういう形式的な儀式を共にすることを、仲間の条件にするというのが、この話の面白さだ。
 人が他者に対して寛容であるためには、形式的な儀式に共に参加できることが一方にないといけないのではないかと思っている。いっしょに「お祭り」に参加すれば、意見が違っても仲間だと感じる、ということだ。今、さまざまの不寛容が世界中に荒れ狂っている。宗教対立とか民族対立とか思想対立とか。オリンピックやその他のお祭りが、いくらか調停の役割を果たしているかもしれない。しかし、4年に一度では少なすぎるのだろう。布薩のように、月に1回とか2回とか、共通の儀式に参加するというようなことがあれば、もうすこし許しあって暮らせるのかもしれない。なにか、そういう工夫はないものかな。(野田俊作)

引用して返信編集・削除(未編集)

ひとりっ子(5歳男子)に手をかけすぎる

Q
 5歳になる男の子がいます。とても可愛くてついつい手をかけてしまいます。主人に、「マザコンになるから、子どもから自立するように」注意されるのですが、どうしたらよいでしょうか?

A
 もう一人産んだら?ひとりっ子って良くないよ。ゆうとくけど。ひとりっ子はほんとに大人になってから困るんです。できるだけひとりっ子を減らしたいんです、世のため人のために。もう一人産んだら?私の母親が「三人主義者」だったんですよ。「子どもは3人産みなさい」って。どうしてかというと、一人死ぬかもしれんから。初めから「一人死ぬかもしれんから」計算で生まないといけないから、二人だったら人口が減るじゃないですか。三人産んどけば一人死んでも減らんじゃないですか。だから「三人産みなさい」ってずっと言ってたんですよ。だから、三人を目処にどうですか?もうひと頑張り。分散しますと、こんなにマザコンにならないんです。ひとりっ子の具合の悪さはこれなんです。お母さんは子どもにつきっきりになるんですよ。アドラーもひとりっ子は嫌いだったみたいで、アドラーは、「ひとりっ子は一刻も早く保育所へ入れなさい」と言っています。僕もやっぱりそう思います。一刻も早くひどい目に遭わせてやらないと、人にしていいことと悪いことの区別が全然つかない大人になりまして、とんでもない無礼者の礼儀知らずになりますから、一刻も早くひどい目に遭わせる算段をしてくださいな。一番のお勧めは、もう一人産む。二番目は、できるだけ長時間保育所へ入れて顔を見ないようにする。どうでしょう。(野田俊作)

引用して返信編集・削除(未編集)

破門と寛容(2)    野田俊作

破門と寛容(2)
2001年09月03日(月)

 先日、玄奘三蔵の伝記(慧立・彦宗著,長澤和俊訳『玄奘三蔵―西域・インド紀行』(講談社学術文庫))を読んだ。玄奘は、旅の途中で、さまざまの部派の僧院に泊まっているようだ。単身で(おそらく無一文で)出発したのだから、僧院に泊まって、在家信者の布施を受けることがなければ、到底インドまで旅をすることはできなかっただろう。だから、そのことは驚くべきことではないように思えるが、よく考えるとそうでもない。昨日の話題だった佐々木氏の議論と関係づけて、ふたつの点を指摘しておきたい。
 ひとつは、中国僧であった彼は、中国で一般的だった法蔵部の『四分律』に従っていたはずだが、法蔵部は小さな部派で、僧院の数はそう多くなかったと思われる。実際、彼は、説一切有部や大衆部の僧院にも泊まっているように読み取れる。つまり、部派が違っても、布薩を共にできたのだ。ということは、布薩で読み上げられて違反がないかどうか確認される戒の条文は、各派で共通だったということだ。佐々木氏もそう書かれている。部派の間には、法(経典)についての思想の対立だけでなく、律についての解釈の相違もあったのだが、それを戒の条文に反映させないように、各部派とも細心の注意を払っていたようだ。私は『四分律』とチベット語訳の『説一切有部律』とパーリ語の『南方上座部律』しか見たことがないが、たしかに戒の条文についてはきわめて似ている。
 もうひとつは、大乗仏教徒であっても、布薩を共にできさえすれば、上座仏教の僧院に泊まれたということだ。そういう僧院に泊まると、玄奘は喧嘩を売ったようで、なかなか凶暴な坊主だったことがわかる。そうして喧嘩を売っても、布薩を共にできるかぎり、追放されることはなかったようだ。
 こういう状態を復活できないものだろうか。日本の教団もいいかげん悔い改めて、律を守って暮らす気にはならないかな。ならないだろうな。



グレツキ
2001年09月04日(火)

 インターネットラジオで、グレツキという作曲家の『交響曲3番』の第2楽章を聞いて、とてもよかったので、CDを買った。ヘンリク・ミコヤイ・グレツキについてはまったく知らなかったのだが、1933年、ポーランドで生まれたので、いちおう現代作曲家だ。『交響曲3番』は、彼の代表作なのだそうだ。小さなオーケストラにソプラノのソロがついている。3楽章あるが、すべてlento(ゆっくりと)だ!

 歌詞は、第1楽章は中世の聖歌で、キリストの死を嘆くマリアの歌。

最愛の息子よ、選ばれた者よ
あなたの傷を母に分けておくれ。
息子よ、いつもお前を心に抱いて、
まごころをささげてきたこの母に、
語りかけておくれ、安心させておくれ。
今、お前は私のもとから行ってしまう、
私の人生の希望よ。
 (英訳から翻訳。以下同様)

 第2楽章は、なんと第2次大戦中、ゲシュタポの監獄の中の独房の壁に書かれていた、18歳のポーランド女性の詩。

泣かないで、お母さん、泣かないで。
もっとも清い天の女王さま、
私をいつまでも支えてください。
アヴェ・マリア

 そして、第3楽章は民謡で、戦争で息子を失った母の歌。

どこへ行ったの、
私のいとしい息子。
戦乱の中で、
ひどい敵に殺されてしまったのか。
 (中略)
もう二度と、
私の手はあの子に届かない。
この老いた目が
つぶれるほど泣いたとしても。
 (後略)

 詩も悲しいが、音楽も悲しい。こんな悲しい歌が書けるんだねえ。オーケストラは単調に2つの和音を繰り返す。ずっと低音が鳴り続ける。その上で、ソプラノが、単純だが、きわめて美しい旋律を歌う。すべてがあまりに単調なので、一度聴くと、呪いのように耳について離れない。
 無調で不協和音で、作曲家本人だけが喜んでいるような音楽は、1980年ごろから書かれなくなって、こういう、真にシリアスな音楽が書かれるようになったんだそうだ。私はちょっと時代遅れになっていたな。そういう作曲家たちの曲を聴いてみよう。



グレツキ(2)
2001年09月05日(水)

 昨日書いたグレツキの『交響曲2番』は、西ドイツの交響楽団に委嘱されて書かれた。それでもって、第2楽章の歌詞が、ゲシュタポの独房の壁に書いてあったポーランド女性の詩なんだ。これって、ちょっとすごいね。日本のオーケストラが中国人の作曲家に委嘱作品を頼んだら、歌詞が特高警察に拷問されて死んだ娘が書いた詩だった、というようなものだ。
 ヨーロッパの国々のお互い同士の近さは、日本のような島国にいると、ちょっと想像がつかない。距離的にも近いが、国境を陸路で越えることができるので、隣国の人が簡単に移住してくる。どの国も、昔から人種混交国家だ。同じ国の中で、違った人種同士が昔から憎しみあっている。昔から憎しみの言葉をかけあっているので、交響曲の歌詞ぐらいでは、そんなにこたえないのかもしれない。
 グレツキは、別にドイツ人にイヤミをいうつもりであんな歌詞を選んだわけではないだろう。女の悲しみを通じて、戦争や拷問や虐殺のない、みんなが融和して暮らせる世界への希望を歌ったのだと思う。それはドイツ人もわかっているだろう。けれど、わかっていても、つらいんじゃないかな。
 ドイツのある心理学雑誌に、ドイツ人の著者がユダヤ人の老人に向かって、「もういいかげん、昔のことは忘れたらどうですか?」と言ったところ、老人は、「忘れてしまうと、許すことができなくなる」と答えた、と書いてあった。日本人のように、「水に流して」忘れてしまう国民とは違うんだ。いつまでも覚えていて、思い出すたびに、悲しい目をして相手を見つめて、それからため息をついて許すんだ。

引用して返信編集・削除(未編集)

夫が家出

Q
 結婚して10年になります。この前主人が何か不満があったらしく、3日間家出をしました。こういう場合ほっといたらよいのでしょうか?

A
 聞いてあげたほうがいいんじゃない?「何か私に気に入らないことあるんですか」と、恐いけど。どうしても恐くて聞けないときは、僕たちのお勧めしている夫婦カウンセリングに来られたら、背中合わせに座るんです。顔を見ると恐いから。それでどっちからでもいいから、15分間何でもしゃべれるんです。15分たったら、あと15分、今聞いてたほうの人が何でもしゃべれるんです。それでその日は終わり。30分時間をとって、1人が15分しゃべり、もう1人が15分しゃべる。あとからしゃべる人は、先に15分しゃべったことに反論してもいいし、全然関係ないことを言ってもいいです。それで気がすめばそれで終わり。気がすまなければ次の日にまた同じことをする。昨日先にしゃべった人があと、昨日あとでしゃべった人が先にしゃべるんです。だいたい10日くらいすると、仲直りしますわ。言いたいことが出尽くして。お互い凄い理解が深まります。「ああ、こんなことを考えてたんだ」って。夫婦って、知りませんでねえ、お互いのことを。背中合わせで15分ずつ、とにかく何言ってもいいんです。怒ってもいいし、ひょっとしたら黙っててもいいんですよ。15分ずつ好きなことを言う時間を作られたらどうでしょうか?ちょっとの間。(野田俊作)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計772件 (投稿766, 返信6)

ロケットBBS

Page Top